『避難警報が解除されました。20分後に退出可能となります。暫くお待ちください。避難警…』
 機械による、無機質な女性の声が響き、それに続き、どよめきにも似た安堵の溜息が狭い空間に響き渡る。
 シェルターに丸々一晩にわたり拘束され、緊急避難から開放された市民達の疲れは、かなりのものだ。
 前日から、摂れた食事も避難用の美味しくもない物。
 そして量もごく僅かにだけ。
 育ち盛りの少年達には、かなりの無理がある。
 大人達にしても、睡眠も満足に取れぬままそのままに仕事が待ち受けている。
 ネルフに関係する企業が多数を占めている以上、そのネルフが稼動しているのであるからして、当然ながら休めない企業の方が多い。
 これから再び始まる一日を考え、襲ってきた者に恨み言の一つも言いたいのだ。
 公然の秘密となっている、敵生体に対して。
 子供連れの大人はいまだに眠る子供を抱きかかえ、帰宅の準備を始める。
 一人身の大人達は、僅かな支度をゆったりと行っている。
 そんな中に、トウジとケンスケの二人もいた。

「今日はガッコ休みにならんかなぁ…ホンマ…」

 両手を挙げて背筋を伸ばすと、トウジの表情がそれまでの虚ろなものから、意思の光が見えるものへと変わっていく。
 だが硬い床の上で寝た体は所々で痛みを訴えており、軽く伸ばした程度では解れたりせず、さらに強すぎる刺激で応えてくる。
 軽く顔を顰めつつも、凝り固まった筋肉を無理やり揉み解して、動ける状態へと変えていく。

「諦めろ…俺は行かないけどな」

 トウジと違い、ケンスケは普段から趣味のサバイバルゲームで野宿を多く経験してるだけに、体が順応している。
 さらに寝起きが悪くないこともあってか、すっきりした表情でメガネをシャツの襟で磨いていて、すでに目が覚めている。
 既にケンスケの中では、今日の学校は自主休講と決定している。

「皆勤賞なんて、とっくにダメになってるんだから、サボっちまおうぜ?」

 ニヤリと含んだ笑みを浮かべながら、旅は道連れとばかりに甘い誘惑を友人に持ちかけて、罪の軽減(自己負担率)を減らす工作を忘れない。

「…お前はええわ…ワシはイインチョに恨まれとるさかいな、サボったらナニ言われるか分かったもんやないで…ホンマ」

 ケンスケの誘いに、思いっきり顔を顰めながら応える。
 その後も俯きながら「なんで、ワシだけあないに目の敵にされな…」などと口ごもる。

「じゃぁ、休まないんだったら、委員長に伝えてくれよ。俺はサボるってな」

「せっセコイでっ!ケンスケ! ワシを見捨てるんかい!」

「見捨てるんじゃない、生け贄に捧げるんだよ」

「生け贄かいっ!」

 お笑い芸人さながらにポーズをつけて突っ込みをいれると、周りからクスクスと忍び笑う声が聞こえてくる。
 ケンスケの語り口調やポーズから、周りは彼の言いたいことを何となくだが感じ取れている。
 多分、この場でトウジ以外の人間はその事実に気づいている。

「気づいてないって言うのも…ま、幸せもんだよ。トウジは…羨ましいくらいな。」

「はぁ? 何でワシがうら…」

「鈴原さんっ! 鈴原トウジさんはこちらにいらっしゃいますか!?」

 突然、迷彩服に身を包んだ戦自の警備兵が現れ、トウジを探す声が広いシェルターの中を反響し、ケンスケの言葉を遮る。

「トウジ呼んでるぞ? また?なんかやったのか?」

 呆気にとられ目を合わせるが、戦自兵の様子が尋常でない事に、すぐに二人とも冷静さを取り戻す。

「お前とちゃうわ…」

 吐き捨てながら警備兵の方にトウジが近づき、幾許かの言葉をかわすとトウジの顔が硬直した。
 そして、兵士に連れられトウジも慌てながらその場から立ち去っていく。

「なんか、あったのか…?」

 付き合いも長い、そして洞察の鋭いケンスケはその親友の去り方に、ただならぬ事態なのだと理解したのだが…
 彼にはそれを知る術も、時も与えられることは無かった。















コトノハノカミ〜ムチュウノオリ

書イタ人:しふぉん















 本部到着と同時に、本来なら報告の為に発令所に向かうか、検査に直行するはずなのだが…
 シンジはアスカに手を引かれ、ケージに近い休憩室へと向かっている。
 歩きながらアスカから聞かされた出来事は、シンジの驚きを誘うには十分だった。
 直後にレイがそこまでの怒りを顕にしたこと。
 そして、子供が苦手と思っていたアスカが…その子達を慰めてたということ。

「アタシも実際、ビックリよ。ファーストがあんな風に怒るなんて、意外だったしね」

 話口調からすると、アスカもそのことに関してレイを責めるつもりはないと読み取れる。
 シンジにしても自分のミスからと思うだけに、責める気はないのだが…アスカが許しているのが分からない。
 しかし、レイに関してだけは、それ以上に夢の中での母親の姿と似ていることが気になってしまい、他のことが頭の片隅に追いやられてしまう。
 何故?と、頭を過ぎるが答えなど出るはずも無い。

「それにしても…アンタ、どうやって倒したの?」

 急にかけられた声に反応できず、一瞬の間が空く。

「多分…。いや、わからないんだ。気づいたら、アスカがいて…」

 シンジの戸惑いで、アスカは怪訝な顔を見せるが、それは別の意味で浮かべただけ。
 Evaに対する恐怖。
 アスカの乗機では、いまだに起こってない事態…暴走。
 自身はEvaの構造に関して少しは理解している。
〜もしかして、暴走の原因はシンジの生存本能とかなのかな?〜
 その生存本能が発現したからといって、あの使徒を殲滅するだけの力があるのかは疑問が残る。
 人知を超えた力を発現しただけに、その疑問も膨らむ。
 だが、シンジが言い淀んだのは別の理由。
 母親が助けてくれたんのではないかと思うのだが…確証がない。

「…ま、アンタのことだから、そんな事だと思ったけどねぇ」

「…ごめん」

 いつもの様に済まなさ気に俯くシンジの顔。
 それを見るとアスカも溜息が毀れてしまう。
〜なんでコイツはこう、自虐的っていうか、内罰的って言うか…っもう!〜

「だれも、責めてるわけじゃないわよ」

「…いや、そうかもしれないけど…ごめん」

「じゃぁ、何でよ?」

「色々とさ、心配させちゃったみたいだから…」

 シンジは言葉と共に立ち止まり、本格的に項垂れる。
 その様子に再び溜息が出そうになるのを抑えながら、アスカはシンジの前に立つ。

「アンタ、約束したでしょ?」

 シンジはその言葉の意味を思い出せず、顔を上げ不思議そうにアスカを見ると…
 普段通りの自信満々な顔から、次第に赤みが差してきて、目尻が吊り上り、眉間に立て筋がゆっくりと浮かび上がる。
〜えっ!? 怒ってる!? どっ、どうしよう…〜
 などと理解したときには、逆に動揺して、その『約束』が思い出せなくなってしまう。
 動揺するシンジとは反対に、アスカは表情こそ変わりもしないが、今度はその目に寂しさを表し始め…
 以前は見せることのなかった『哀』の感情を、少しずつ顕にしてくる。
〜って、今度は泣くの!?〜
 そして、目が潤みを帯びてくる。

「昨日は自分から言っといて、忘れたとは…言わせないわよ?」

 流石にシンジも思いついたのか、ハッとした顔を見せると共に再び俯いてしまう。

「ごめん。でも、忘れてたわけじゃなくて、一瞬、何のことだかって思いつかなかったんだ」

「…じゃあ、判るわよね」

 アスカらしくない、静かに、そして搾り出したような声。
 その声にシンジが顔を上げると、何かを堪えるように俯き、両手を握り締めたアスカの姿が目に入る。
 握り締める力で腕が震え、それは肩に伝わり、全身を揺らしながら。

「アタシは心配なんかしてない。約束したからするなって、アンタも言ってたでしょ」

「うん、」

「…だけど、もしかしたらなんて不安になっちゃうのは…どうすればいいのよ。
 アンタが約束を守ろうとしたって、守れなかったかもしれないじゃないっ!
 それなのに、するなですってっ!? 無茶言わないでよっ!!」

 コンクリートと鉄で覆われた通路に、アスカの叫びが響き渡る。
 山彦の様に反響し、やがて悲しい音色だけを残し、静かに消えていく。
 シンジはゆっくりと頷きアスカに近づいて、アスカの手にそっと手を添え、優しく包む。

「ごめん、でも…」

「いいわよっ!言わなくったって…アタシだって、明日死んじゃうかも知れないのは解ってるわよ! だけど…」

 触れられた部分から染み込んでくる暖かさに、アスカが必死になって堪えている部分が崩れていく。
 見せたくない。
 そう思う気持ちが、アスカの体を一歩前に進ませて、項垂れた額をシンジの肩に乗せる。
 同時に、シンジの肩から指先に向かい、雫がゆっくりと伝っていく。

「…頑張るから、約束守れるように」

 シンジの肩の上で小さく頷き、僅かに揺れる紅金の髪。

「なんでこんな時にプラグスーツなのよ…あんたのシャツで、鼻かんでやろうかと思ったのに」

「そしたら、そのシャツ記念とって…お、か…ぁ、ぅ」

「…なによ、アンタ、変態じゃないの?」

 それまでの雰囲気を一変させて、シンジが急に慌てふためく。
 腕を宙でパタパタと動かし、落ち着つきを急速に失う。

「アスカ? あの、その…」

 アスカにしても、シンジの肩に動かれては居心地も悪くなるのだが、
〜なによ…ホントにするわけないじゃない〜
 などと、折角のムードを台無しにされたことに拗ねたりしてるだけで、目を瞑ったまま。

「…あの、あ、あすか、うし、ろ」

〜後ろ?〜
 シンジの言葉に、ゆっくりと目だけを開けると…足元に小さな影が二つ。
 本部内では、本来あるはずのないサイズの陰影。
〜…まさか?〜
 一瞬にして覚めていく感情が一瞬の冷静さを取り戻させ、ゆっくりと振り返っていく。
 そして予想通りの光景に、こみ上げてくる別の感情が一瞬でその冷静さを奪う。
 純粋な眼差しで見上げる二対の視線。

「だめだよ!おにぃちゃん!そういうときは『ぎゅ〜っ』ってだっこしてあげないと!」

「『ちゅー』するんでしょ? みせて!みせて!!」

 期待に彩られた子供たちの視線に、恥ずかしさはさらに増し、シンジとアスカの頬を真っ赤に染めていく。
 もちろん、二人の思考は上った血に邪魔されてまとまるはずもない。
 視界の隅、壁際で揺れる紫色の髪の毛など、目に入ることもなく。



















 回収されたレコーダーの分析を行っていたマヤが、ふと顔を上げる。
 疲れからと、周りの者は思ったのであろうか、気づいていたとしてもその様子を気に留める気配はない。
 無機質な軽いものが触れ合う音は止まることなく響いている。
 その様子に小さく溜息を漏らしながら、マヤは疲れの見える静かに目を閉じ、何かに集中しはじめる。
 自分が聴いたその音が、間違いであることを祈りつつ。
 初号機が沈降してからの半日以上、その状態を知りうる術はなかった。
 無論、シンジ以外に向こう側の世界を知るものもいない。
 だが14歳の少年に、その世界がどんなものであったか問うたところで、得られるものは少ないとわかる。
 なにより、生命維持を優先し、その殆どの時間を寝て過ごしていたことは脳波を記録し続けていたレコーダーによって証明されている。
 高次の空間。
 たとえ、1次元だけ上の世界であっても、時間軸という新たな方向がが発生する。
 三次元では、ただ流れていくだけの存在を捉えることができるのだ。
 もし四次元空間のとある場所に物体を固定することができたなら、その物体は腐食することも…風化することもなく、時の流れという鎖から解き放たれ、その場に在り続ける事となる。
 もし、その場所に何時でも行ける扉が開くとしたら…そこに、永久に物資を保存しておくことが可能となる。
 それがもし、実用化できるなら、S2機関に並ぶ世紀の大発見ともなる。
 一研究者として、胸が躍る。
 戦争が生み出す新しい技術。
 マヤが内心、忌み嫌いながらもこの場を去ることができない理由の一つなのかもしれない。
 使徒殲滅の方法でさえ、今のマヤにとっては重要な情報。
 その扉を開かせる可能性につながるのだから。
 ほんの僅かな情報でも…それを求め、シンジの音声を確認しただけだった。
 だが得られた物は、自分が忌避し、触れたくない部分。

「かあさ… 」

 他の記録を呼び出し、シンジの状態を確認するが、該当時間の脳波は睡眠中であることを示している。
 寝言…他の者なら「可愛いね」、「やっぱり子供なんだな」の一言で済まされてしまう筈。
 シンジが語った寝言の殆どが意味を成さない言葉の羅列であったのだが、ただ一言にマヤは驚いて反応してしまったのだ。 
 その一言が、他の寝言にとある規則を与え、意味のあるものに換えていく。
 そして、第参使徒戦以来の暴走。
〜シンジ君、もしかして…?〜
 忌避しながらも、無理矢理納得させた自分の心が、悲鳴を上げる。
 シンクロの秘密について、EVAの中に眠る人がいるということを…
 過去に何度も言い聞かせ、乗り越えてきた。
 マヤには、実験中の事故であったことは唯一の救いだったのかもしれない。
 シンジが母の存在を無意識に認識してる可能性がある。
 前例のない、長時間に亘るシンクロ状態。
 それによって、その秘密が知られてしまったのではないか?
 母親が眠るという…、人身御供と納得させられた事実を。
 チルドレンたちも、同じく。
 知られてしまった場合… チルドレンの精神状態は想像に易い。
 それは、人類の命運にそのまま直結する。
 だがそれでも、全人類と天秤にかけられるものではない。
〜しょうがないじゃないっ!私だって嫌なのよ!〜
 目をきつく瞑り心の中で叫び、ゆっくりと顔を上げ天井を眺める。
 だが今は、このことを上司に報告することが先決と、自分に言い聞かせる。
 凝り固まった肩を解す様に、頭を左右に振りながら周りの者が自分を見ていないことを確認する。
 そして、その部分に関するデーターを纏め上げると、マヤはその記録DISKと共に、ここにいない上司の執務室へと向かった。



















 並び立つ二人の女性は、その内心の動揺を隠すことなく顔に出す。
 噂に名高い、Nervのロボットのパイロット自ら、自分たちの息子・娘を連れてくる。
 その話を聞いたときには、緊張したものだが…
 確かに噂では、3人の少年少女だと聞いたことがあるが、彼女たちがそれを信じるはずもなく、歴戦の勇士か?はたまたイケてる青年か?等と想像していた。
 現れたのは、アニメに出てくるパイロットスーツのようなものを着た10代半ばにしか見えない二人の少年少女と、仕官服を纏った自分たちと同年代の女性。
 そして少女の両手には、息子・娘がしっかりとしがみついていたりする。
 少女の手を離れて飛びついてくる息子・娘達が怪我がないことに安心しながらも、まさか?と思いつつ、信じ切れない状況のまま。

「ヒロカ君とカリンちゃんのお母様ですね?」

 呆然としていた所にかけられたミサトの声。
 思わず礼も忘れ、頷きながら返事を返してしまう。

「私、国連特務機関Nerv本部・作戦本部長を勤めさせて頂いております、葛城三佐と申します。」

 と、ミサトが敬礼を交え挨拶を始めれば、母親たちはその驚きを収めるどころか、余計に驚いていたりする。
 子供たちが昨日のおやつに「ケーキを食べたい」と言いはじめ、どうせなら美味しいお店でと、誘い合って出かけ…
 食べた直後に避難命令がでて…
 子供たちを見失って一時期は錯乱したものの…
 警備の人からNerv本部で保護されていると聞かされ…
 警報解除と共に連れ出され、迎えに来た。
 そしてさらに子供たちが来るまでの間に簡単な説明を受けて…

「昨日からの状況の説明させて頂きますと…」

 等と、普段のミサトからは想像しにくい丁寧な対応なのだが…
 状況を理解しても、母親達にしてみれば、なんでそんな偉い人が?と、思うしかない。
 そして、ミサトの口から語られた顛末に、さらに驚くことになる。
 反射的に頭を深々と下げ、子供たちへと厳しい視線を向けるのだが、ミサトがそれを遮る。

「余り叱らないでおいてあげてください。
 正直に申し上げますと、作戦中パイロットの一人が非常に危険な状態にさらされた為、
 一部の者が幼いことを知りながらも、感情に圧され強く叱ってしまい…」

 逆に今度はミサトが深く頭を下げる。
 その後ろで、アスカとシンジも合わせるように深く頭を下げる。

「お子様に、怖い思いをさせてしまいました。
 その者達に代わりまして、深くお詫びさせていただきます」

 逆にそこまで偉い人に頭を下げられて、動揺してしまうのは母親達。
 逆に、頭を上げてくれないかと、必死に頭を下げる始末。
 ようやく、三人が頭を上げたときには、ほっと溜息を漏らすほど。
 その様子を、子供達は理解できずに目を丸くするだけ。

「お二人と、御子息・御息女に於かれましても、ここで見聞きしたことは守秘義務に該当することが多数あります。その辺りの説明を…」

 ここまできて、二人の女性はNervという名の軍隊であることを思い出し、ようやく冷静さを取り戻す。
 同時に、子供たちが自分たちの手から離れて、再びシンジ達の元に走り寄っていく。
 そして、二人の目耳に入ってくるものはミサトの説明だけでなく、子供たちと少女の会話。

「いつかぼくも、おにぃちゃんみたいにロボットにのりたいなぁ」

「アンタたちも頑張れば、なれるかもね?」

 等々…
 衣服から想像はしていたが、それが真実となると、また話は別。
 噂に聞いた人類の未来を賭けた戦いが、まだ青春の入り口にしか達しないかという少年少女に託されてるのだ。

「守秘義務はお子様にも適用されます。まだ理解するには難しい年齢だとは思いますが、言い聞かせて頂けますか?」

「あ、はい。わかりました…。ところで、そちらの二人は?」

 生返事で返す母親達に、ミサトはそれもしょうがないかと思い直す。
〜やっぱし、気になるかぁ…まぁ、伏せてもばれちゃってるしね〜
 ミサト自身も噂について聞き覚えがあるだけに、母親たちの反応も解る。

「お察しの通り、こちらがエヴァンゲリオンと呼ばれる決戦兵器のパイロット達です。」

 予想通りの答えでありながらも、彼女達は再び驚きに支配される。

「あんな…子供達が…」

「ですが、彼らは幼い頃からこの日の為に、訓練してきた選ばれし子供達なのです…」

 予想通りの反応にミサトもお決まりの台詞で返す。
 幼いうちからの英才教育は…と、話に聞くことはある。
 彼女達から見るシンジ達は世間一般に言われる者と違い、国連直属機関による英才教育。
 選ばれし子供達。
 その先入観念が、彼女達の視線に羨望の色を混ぜていく。
 だが同時に、不安にも似た空気を放ち始める。
 現実問題として、歴戦の勇士と比べて見たとして、体格からして劣っている。 

「そして…彼らだけに特別な素養があり、あの子達でなくては動かせないのです」

 察したように語られるミサトの言葉に、彼女達の視線が再び変わる。
 羨望から哀れみに。
 あの子達は、普通の少年時代を送ってきたのだろうか?
 そして今も、青春を謳歌してるのだろうか?
 と、勝手な推測を始めてしまう。
 実際、アスカはこれまでの時間の全てをこの戦いの為に費やしてきたのだから間違いではない。
 表向きにはシンジもそう扱わなくては、体面上問題がある。
 それをミサトは簡単な言葉と態度から、推測させただけ。

「こんどたたかってるときのおはなしきかせてくれる?」

 ヒロカのお願いにシンジがミサトの方を覗き、守秘義務とか…と、心配気に伺いを立ててる。
 その様子を察した母親達は、ミサトが許しを出すよりも早く行動に移した。

「お兄ちゃん達は忙しいのよ? 悪い怪獣をやっつけるために頑張ってるんだから。邪魔したらだめでしょ?」

 彼女達の頭の中のシンジ達は、過密なスケジュールに縛られてるのだから、他意はない。
 逆に、この戦いが終えた後なら英雄と呼ばれる者達と知り合いになれるのだから、子供達と遊んでくれた方が嬉しかったりする。
 だが、子供達…カリン・ヒロカにはそれは解らない。
 不満を体中で表現しながら、上目遣いでシンジとアスカに助けを求める。
 母親達から見れば引くことで子供達にお願いをさせようと、打算が働いていたりもする。
 ゆえに子供達のそんな素行に口を挟みはしたものの、僅かに苦笑いを浮かべるだけで全く止める気もない。
 子供達のそんな様子を見てアスカも断りきれないのか、視線を合わせるためにしゃがんでいたアスカが、下から覗き込んでいる。
〜アタシはOKだけど…、シンジは?〜
 シンジがその判断に迷いを浮かべる。
〜僕も問題ないとは思うんだけど…いいのかなぁ…〜
 視界の端に捕らえたミサトの動きを捉えられなければ、シンジはそのまま迷い続けたのかもしれないが…
 ミサトがにこやかにウィンクしている。
 保護者にして上司の許可が下りた今なら構わないと、ゆっくりと頷くシンジに子供達が喜び、何故かアスカまでも子供達と一緒に嬉しそうな顔を見せる。

「じゃぁこんど、おうちでいっしょにおやつたべよ!」

「やくそくだよ!」

「わかったから、落ち着きなさいってば…」

 はしゃぎだす子供達に抱きつかれて、アスカは身動きが取れなくなる。
 母親達も察したのか、振り向きミサトに深く頭を下げる。
 ミサトは、自分らしくない気がしてしまい、頬を指先で掻いて誤魔化すだけ。
 シンジも足元の騒ぎを微笑ましく思いながら、ミサトの方を見るが…その視線は、ミサトの背後に固定される。
 物陰に見える人影。
 普段はその視界の片隅にさえ映らぬはずの黒い影。

「針千本!? って、なによそれっ!?」

「だって、さっきだってやくそくしたのに…」

 足元の優しい空気とミサトの背後の黒い影。
〜…そっか、僕は今回も…そうだよね、独断専行だし、〜
 微笑に苦しさが滲み出す。
 ミサトも、その表情から何かを読み取ると、視線の先を追って振り返り、状況を把握する。
〜あらま、時間?〜
 あくまでとぼけた様にそう問いかける視線に、影が頭を下げる。
 無論、シンジもミサト越しにその光景を見ている。

「さっきは緊急事態なのよっ!」

「だけど…」

 足元の会話と、目に入るその光景。
 僅か10m程の距離でしかないにもかかわらず、違うその気温に戸惑ってしまう。
 そして、こちらに視線を戻したミサトの少し困った顔。
〜時間切れ、ですか?〜
〜ごめんねぇ、シンちゃん〜
 目、表情の僅かな違いしかないが、シンジは問いかけ、頷き応えるミサト。

「物の例えだよ、アスカ。」

「馬鹿にするんじゃないっ!解ってるわよっ!」

 少しふくれた様に視線だけをシンジに向ける。
 アスカはシンジを睨みつけてるつもりのだが、上目遣いで拗ねてるようにも見えてしまう。
 シンジもそれに安心して、アスカ同様に子供達と目線を合わせるべく屈むのだが…それが間違いだったことに気づく。

「必ず行くよ。僕も約束するから、」

「ぜったいだよ!」

 引き攣りそうになりながらも、かろうじて笑顔を留めたまま子供たちに応えるが、隣からの視線が痛い。
〜アンタが約束したんだからね。破った時はアンタが針を飲みなさいよ〜
 っと、見事に語っていた。



















 ディスプレイに映し出される文字列。
 知識のないものには、ただの数字とアルファベットの羅列に過ぎない。
 リツコはコーヒーを片手に気楽な表情で眺めているように見える。
 普段よりも僅かにリラックスしているかのように演じているのだが、口元に銜えた煙草の先が細かく揺れ、唇が僅かに震えていることを物語っている。
 そして、見つめるその目は細かに動き、流れる文字を雰囲気とは裏腹に一字たりとも見逃してはいない。
〜アレがEVA?ありえない… まさか、空間を破壊するほどの力を持つというの?〜
 理屈を超えた力。
 想像の範疇を明らかに上回っている。
 基礎理論こそ、先人が作り上げたものだが、数多くの失敗を調査し、現実に実用化させたのは自分だと胸をはれる。
 元は自分の専門外でありながらも、ここまで漕ぎ着けたのは自分の頭脳があってこそ。
 自分こそが、Evaの第一人者であると、そう自負し、誇ってきた。
 私がEvaを作り出したと…
 だが、設計上ありえない力を生み出したとしか、想像がつかない。
 たとえケーブル接続時だったとしても、N2爆雷992個に相当するエネルギーを供給しているわけではない。
 もし、向こう側が時の流れが停止した空間であったとしても…搭載されているエネルギー残量に至ってはありえる筈もない。
 常識を覆す、そして理論を破壊する力…
 基礎理論を作り上げ初号機に眠るのは、天才の名を欲しいままにした碇ユイ。
〜私の知らない何かがあるというの?〜
 既に、自分の頭の中に収められている筈のデータ。
 一字一句たりとも見逃すまいと、何度も目を通したその数式の一つ一つを確かめ、洗いなおす。
 だが、自分の知らない何かが隠されているとは、思えない。
〜それとも意思の力だというの? 馬鹿な…〜
 その仮説には、既に当の昔に辿り着いているのではある。
 しかし意志の力などという、非科学的なものを認めたくないのだが、頭の片隅から離れない。
 リツコは気付いていない。
 それが、恐怖を感じるが故にであることに。
 もし、その力を行使したものが、自分の想像通りであるなら…
 その力が自分に向けられた時、待ち受けるのは死のみ。
 どのように抗おうとも、無駄に終える。
 そして、その力は確実に自分に向けられることも…
 これを恐怖と自覚することはまだない。
 故に、リツコは基礎理論から調べなおす。
 無意識の恐怖から逃れるために。
 集中のあまりなのか、口元に咥えられた煙草の灰は橙色の光に引っ掛かりながらも、所定の場所に落とされるのを待っている事さえ気づかない。
 圧搾空気が急激に抜ける音と共に流れ出した空気に、煙草の灰はその力を失い、白衣の裾を汚し、その形を失いながら床へと降りていく。

「咥え煙草はみっともないですよ、先輩」

「そうね、加持君なら似合うかもしれないけど」

 なんとなくだか、マヤにもその姿が想像できたのか、クスッと小さく零しながら、振り向きもしないリツコの後ろへと歩み寄る。

「早いわね。もう報告書ができたの?」

 だが、マヤはその問いに答えず、光学ディスクをリツコの視界の隅に差し出すだけ。
 いつにないマヤの行動に、リツコが振り向く。
 そして、その目を見て理解する。
 報告ではない何かを見てほしいと…
 何も言わずに、リツコの隣まで歩み寄ると、端末にディスクを入れ操作し始める。
 インカムを端末に差込み、それをリツコに手渡す。
 聞いてくれと、暗に語っているのだ。
 誰にも聞かれないように…
 受け取り、耳に当てると共にマヤが端末を操作すると、僅かながらに聞こえてくる声。
 直後、驚きの顔に支配される。
「ずっと、シンクロ状態だった模様で…生命維持モードであったのも確かですが、カットしてなかったようです。」
 実験すら行ったことがない、長々時間に及ぶシンクロがどのような結果になるか。
 それをあらわしているのだ。
 聞こえてきたシンジの声は確かに母を呼んでいた。
 それが、ただの夢であるなら問題ない。
 だが、彼は母の夢は見たことがないと、各種の心理テストでも導き出されている。
 極限状況にあったからとも、理由はつけられるが、疑わずにはいられないのだ。

「サードチルドレンへの詰問、すぐに行うわよ。同時にこの情報を最重要機密として処理して頂戴」

 頷き退出するマヤを見送りはしない。
 マヤの気配がなくなると同時に、受話器に手を掛け、慣れた番号が指先で刻まれる。
 既に、頭の中ではサードチルドレンへの質問内容を検討している。
 夢の内容を聞き出すために。

「司令、お話が…」

 自らの願いの為に…



















 4人を見送り、その姿が見えなくなると同時に影が動き出し、僕の元にやってくる。
 ミサトさんの指示の前に動いてるわけだし、しょうがないといえばしょうがないのかもしれないけど。
 手錠を嵌められて、また独房の中か…
 二度目だし、今度は3日じゃ済まないかな?

「ちょっと待って、今からこの子達に説明するから」

 後ろには目もくれず、ミサトさんは左手を軽く上げて黒服の人たちを制する。

「シンジ君、勘違いしてるでしょ?」

「そうよ、アンタじゃないわよ。今回はね…」

 やけに落ち着いた声で、話すミサトさんとアスカ。
 僕じゃない? なら、誰が?

「今回は、アタシが営倉行きよ、」

「なんでっ!? アスカが!?」

「大きいものだけで、命令無視・上官侮辱・威力作戦妨害ってとこかな? 反逆罪もかな?」

「あら、さすがアスカねぇ…」

 しれっと、他愛のない事のように話す二人。
 アスカなんか、その罪状を指折り数えながら、自慢げに語ってるみたいに見える。
 呆ける僕を差し置いて、二人は話を進めていく。

「でも、違うわよ。
 今回はねぇ…日向君に感謝しなさいよ? アスカ」

「なんでよ?」

「リツコってば、アスカに指揮権委譲は告げてなかったでしょ?
 それに、リツコは軍属じゃないのよ。
 作戦後すぐにね、日向君が調書に添えて上げてくれたって。
 だから、命令無視もなぁんにもなし」

「な〜るほど。じゃぁ、アタシは作戦妨害だけ?」

 手を打ち、アスカは一人で納得してる。
 僕は、いまだに何もわかってない。

「まだ、審議中よ。だから、仮拘留」

「じゃぁ、期間は未定?」

「ん〜まぁ、長くて2日か…」

「私からよろしいですか?葛城三佐」

 黒服の人が割って入ってくる。
 この人たちが喋るところって、はじめて見る。
 ゆっくりとミサトさんが頷いて返すと、胸元から書類を引き出し、アスカと僕に見えるように広げた後、それを読み上げていく。

「セカンドチルドレンを48時間の独房留置とする。
 尚、拘留期間は仮決定であり、未定。
 また、拘留期間終了までに審議が纏まらない場合でも、期間終了をもって釈放とする。」

 抑揚無く、冷たく言い放つその姿は父さんみたいな感じがするけど…少し違う。
 見えない筈のサングラス越しに見えるその表情が、辛そうに感じるから。

「ってことらしいわね」

「二日もぉ〜っ? シャワーとか無いのよねぇ…」

 なんでそんなに簡単に言えるの? 牢屋だよ?
 そう僕が思うほど、アスカは本当に気にも留めていない。

「どうしてアスカが…」

 僕の問いに、脱力したように溜息を吐くと、今度は一変して厳しい顔で僕を睨む。

「アンタのせいよっ! ったく…分かってないんだから。
 後でミサトがリツコに訊きなさいよ」

 僕のせい…そう聞かされただけで、いつものように俯いてしまう。
 理由は分からないけど、多分そうなんだろう…

「…ごめん」

「またっ! 誰も謝れなんて言ってないじゃない!」

「だって!僕の…「はぁい!そこまで〜っ!」

 ミサトさんに急に遮られ、言葉が途切れる。
 謝れって言われてなくても、僕が悪いことをしてしまったんだから、先に謝っただけ。
 だけど、それが勘違いだったのを気づいてなかった。

「後にズレこんじゃうだけよ?
 ラブシーンは帰ってから二人っきりでやって頂戴。独り者には目の毒よ…っとに、」

 何でラブシーン?
 そう思って視線をアスカに戻すと、その目にまた涙が滲みかけていた。

「思い出させるんじゃないわよ…馬鹿、」

 そして、僕が言い訳を言おうとする前に振り向いて、そのままガードの人達の方へ行ってしまう。
 こうなっちゃうと、何を言っていいのか分からなくなる。
 必死にいろんな言葉を探すけど、出てくるのは一言だけ。

「…頑張るから、でも…ごめん」

 ごめん…その言葉しか思いつかないから。
 結局、それだけ。
 だけど、アスカはその言葉に振り向いてはくれないけど、立ち止まってくれた。

「明後日、ちゃんと迎えにきなさいよ! そしたら、許してあげる…」

「…うん、必ず、」

 そのまま、ゲートをくぐり見えなくなるまで、僕は背中を追っていた。
 別に、何か理由があった訳でもない。
 けど…なんとなく、そうしていただけ。

「次は、シンちゃんね。丸々一日検査入院コースよ」

「え? だって僕、何処も異常は無いですよ? なのに一日も?」

「ん〜 そうなんだけどねぇ…」

 見えなくなると同時に、ミサトさんが告げてきたことに、僕は寝言ばりにボケた声で問い返す。
 いつもの検査なら、半日程度。
 だけど、今回は丸々一日。
 ミサトさんも良く分からないらしいけど、長時間のシンクロ状態がなんとか、かんとか…って。
 そう言われれば、こんなに長くEvaに乗っていたことはない。
 だけど、殆ど寝ていたのに…

「我慢して頂戴。それもパイロットの義務なんだから、ね?」

 ミサトさんの説明が終了したと判断したのか、今度は物陰から制服姿の保安部の人の姿。
 ずっと、待っててくれたんだ…

「私もチョッチ忙しくなりそうな予感がするのよね… 御免被りたいとこなんだけどさぁ、」

 ゲンナリって言うのが、似合うくらい暗い顔に変えて、虚空を見つめてる。
 そんなに書類が嫌なのかな…まぁ、なんとなくだけど分かる気がする。
 思わず笑いそうになるけど、なんとかそれを抑える。
 とりあえず、保安部員の人が目の前に来てしまったので、その場はお開きに…
 僕は促されるまま、ミサトさんと挨拶を交わして別れた。



















 目の前に広がる書類の山…
 その光景の前では、いかなる者でも溜息を耐えることはできない。

「…ねぇ、日向君…これ?まぢ?」

 そのミサトの声に、諦めの表情の日向が頷く。
 日向も、最初にこの山を見たときに立ち眩みがしたのだから。
 既に、この書類の中に緊急性の無いものが含まれてないことは、彼が部下に頼んで確認してもらってあるのだ。

「しょうがないですよ…半径340m内の建造物、車両他、ありとあらゆる物体が全て『消失』ですから…」

 日向の言うとおり、地面から上、グランドレベルから1mmとて突出した全ての物体が消失しているのだ。
 小さなものは道路脇に植えられたツツジ等の街路樹やガードレール、桜の木から始まって、大きなものは全高300mを超える高層ビルまで。
 この場合、その小さなものが彼らとっては大きな問題なのだ。
 第三東京市といえども、全てNervが所有しているわけではない。
 国道もあれば、市道もあり、県道もある。
 その備品ともいえる、街灯や信号機。
 そして、個人所有から、会社所有の車両。
 それぞれが纏められてるとはいえ…被害報告を認証しない限り、上部組織である国連からお金が下りてこないのだ。
 小さなものでも一枚の書類。
 時間差で届けられたのならば、それほどの問題も無いのだが… 
 使徒戦終了から僅かの時間を経過させただけにもかかわらず、迅速な被害報告が挙げられたのはMAGIの性能に他ならない。
 こういう時には、その性能を恨まずにはいられない。
 この手の書類は時間との勝負である。
 時間を掛けすぎれば、それが偽造であったとしても、ろくな調べもせずに払わなければいけなくなってしまう。
 保障を怠れば…それは、Nervの信用問題へと繋がるだけに、たまったものではない。
 強権を振りかざせば、そんなものを沈黙させるのは苦ではない。
 だが小さな事案如きに、強権を振りかざすほうが労力が必要なのだ。

「なんで、第壱拾壱使徒みたいに、知能戦仕掛けてくれないのよぉ…」

「それもそれで…嫌なんですけど。あんなハラハラ、もう御免ですよ」

 如何に有能な事務屋だったとしても…泣き言が出てくるのは致し方ない。
 まして、ミサトは事務屋ではないのだから、本当に涙を浮かべていたとしても誰も責められない。

「話は変わって、実はもう一つ重要な報告が…」

 その日向の言い回しと顔つきに、一瞬で平時の上司としての顔を取り戻す。
 先を促すように、視線で語ると、日向は頷き耳元で小さく語り始める。

「副司令からなのですが…、委員会がシンジ君への直接尋問を要請してくるようです。
 断るのでしたら、それに見合う材料が必要だから準備しろと…」

「本気? あんな場所にシンジ君を呼ぶ気なの?」

「そうみたいです。マヤちゃんから聞いたんですが…どうやら、ACレコーダーが生命維持に食われて、作動してなかったようなんです」

「なるほどね…」

 ミサトの表情が明らかに曇る。
 日向は知ることが無いが、上部組織である「人類補完委員会」の尋問は、その雰囲気からして異常である。
 周りは見渡す限りの闇…視界の全てが埋め尽くされる圧迫感。
 ただ、自分だけがスポットライトの中に立ち…話しかける相手の威圧に満ちた声は、どこから聞こえてくるのかも分からない。
 ミサト自身も、その環境に初めて放り出されたときは、拷問と勘違いしたほどである。
 そんな中に、14歳の少年。
 それも、つい先日までは普通の生活をしていた子供が…耐えられるわけが無い。
 情報の出元が副指令である。
 そして、断るならば…という前提で話している。
 意図するそれを理解すると、ミサトの行動はすばやい。

「シンジ君、ちょっと精神が不安定な状態ってことで…技術部と医療部に手を回して頂戴。
 錯乱気味とでも、適当に理由をつけてね」

「了解しました」

「それと、尋問には私が代理で出席するって、副司令にも」

「はい」

「っで、手配が終わったらすぐに戻ってきて」

「は? はぁ…」

 他にも何かあるのかと、忙しくなる事への懸念を抱きつつ日向がミサトを見ていると…
 そこまでの真面目な顔が一瞬にして崩れる。
 ミサトの周りに見えた「尊敬できる上司」のオーラなど欠片も無い。
 既に、目に浮かぶのは大粒の涙…

「これを…私一人で処理しろって言うの? そんな冷たいこというの!日向君はっ!」



















 白い天井、白い壁、白い床、何度も寝た白いベット。
 差し込む日の光が、痛いくらいにその白さを際立たせる。
 慣れてしまったNerv医療部特別病室303号室。
 検査機器がベットの傍らに並び、メトロノームみたいに規則的なリズムを奏でてる。
 その音に誘われるように、僕の思考は深いところにもぐっていく。
 見せられた夢。
 あれは…母さんが見せてくれたのか?
 それとも、あれは僕の願望? 夢はその人の願いが…って聞いたことがある。
 だとしたら、母さんの姿が綾波にそっくりなのは、僕が綾波に母親としてのイメージを持ってるってことなのかも…
 だけど、それにはちょっと違う気がする。
 あの夢は、リアルすぎたから。
 細部にわたって、凄く鮮明だった。
 いつも見る夢は、どちらかというと…なにか、はっきりとしない背景だったり。
 目的の人物以外はどこかで見たことがある風景だったり。
 そして、どこかに矛盾がある。
 山奥の小屋に居たはずなのに、扉を開けると都会だったり。
 だからなのかもしれない。
 あの夢が僕の夢じゃないって…
 そして今ならわかる…あの時、母さんがいたのは、きっと初号機のエントリープラグ。
 これは多分、間違いないことだと思う。
 僕の心が、肯定してる。
 夢の中の僕が言った言葉。

『うん!わかるよ! お母さんはココにいるんだよね!』

 母さんが初号機の中に?
 そんな馬鹿な…そんな非常識なこと…ありえるわけがないよ。
 否定したいのに、これも何かが否定させてくれない。
 だとしたら、Evaってなんなんだろう…
 ─人造人間─ 人が作り出した人、ロボットじゃない。
 機体が感じた痛みを、自分も感じるなんて…
 よくクラスの仲間が、アニメの話で言ってたけど。
 漫画の中じゃ、そんなことありえない。
 やっぱり、母さんは初号機の中に…
 肯定する何かに、僕の心が傾いた時…一つの疑問が浮かんできた。
 もしかして、弐号機の中にも、アスカのお母さんがいるの?
 でも、ドイツには両親が居るって…聞いた記憶がある。
 多分…違うんだろうと思う。
 なら…母さんのことを知りたければ…やっぱり、アスカのお母さんに聞くのがいいのかも知れない。
 だけど、僕の心の中で、何かがその結論を否定している。
 それが言う材料は…思い当たる。
 過剰って言ってもおかしくないかも知れない。
 この前の父さんとの衝突以来、アスカは僕から離れない。
 ただ、僕の目の届くところにいつも居るってだけだけど…
 逆に言えば、アスカはいつも僕を見ているって事。
 ユニゾンからこっち、そんなことなかったのに。
 どちらかと言うと、自分の時間を欲しがってた。
 なのに、眠るまでずっと居間にいたりして…
 話しかけることもなく…
 かと思うと、僕が夕飯の支度で包丁を使ってるのに、話しかけてきて…

『アタシと話してるんだから、目を離すんじゃないのっ!』

 とか。
 でも、それで怪我をすると…

『何やってんのよっ! 危ないじゃない!チャンと見てやりなさいよ!』

 って、支離滅裂なことばかり言ってきて…
 なんとなくだけど、分かる。
 どうして、そういうことをするかって。
 多分、僕の意識が他に向くのを怖がってるんだ。
 だから、ずっと近くにいるんだって。
 リビングで舟を漕いでても、僕が部屋に戻るまで絶対に動かない。
 そして、ある日…一度だけだけど、

『…ママ、お願い…私を…死んじゃいや…』

 そう寝言で呟いたんだ。
 この後、ドイツ語だと思う言葉で…ずっと魘されるように呟いてた。
 何かに縋るように、僕のシャツを握り締めながら。
 間違いなく…アスカは母親を求めてる。
 普通、女の子は父親に甘えるって、聞いたことがある。
 なのに、アスカは母親を…
 僕には分からないことだけど。
 綾波の姿もそう…なんで、母さんにそっくりだったんだ?
 父さんがやけに優しく接することといい…何かあるのか?
 知りたい…だけど、どうやって?
 その疑問に行き着くと同時に、見慣れた人影が二つ扉をくぐって来る。

「どう? シンジ君、調子は?」

「別に、すぐにでも退院できそうな感じです」

 僕の返事に、苦笑いを浮かべる伊吹さんと、そんなことが出来るわけ無いと一蹴するリツコさん。
 できる限り平静を装ったつもりだけど…
 実際はどうだか分からない。
 いつもと変わらない事後検査だと思ってた。
 だけど、そうじゃないって気がしたんだ…
 何故だかわからないけど、伊吹さんとリツコさんが二人で現れた時から。
 昔の僕なら…間違いなく気づいても、気にしなかったような事なのかもしれない。
 だけど、何かが…『いけない!』って、訴えてくる。
 こういう胸騒ぎの時に、正直に話すと…記憶にある限り、ろくな事にあった記憶が無い。
 してもいない罪に問われたりもした。
 酷い時には寒空の下で一晩過ごしたこともある。

「いきなりで悪いけど、いくつか訊きたいことがあるの。良いかしら?」

 何の断りもなくベット脇の椅子に腰掛け、いつものように足を組むリツコさん。
 そして、僕の様子を伺うでもなく問いかけてくる。
 僕もそれに頷いて返す。
 人に話しかけながらも、書類から目を離さないリツコさんの纏う空気は、いつもと変わりは無い。
 こっちの方をまったく見もしてないのに、僕が頷いたのに気づくところとか…
 その瞬間、二人がいつも通りを演じてるんじゃないか?って、疑問が浮かんできた。
 後ろの伊吹さんは違ってたから。
 その雰囲気と、僅かに視線が泳いでいた。

「まずはだけど… 寝ていたわね? あちら側にいる最中」

 二人が、僕から何かを聞きだそうとしてるのかもしれない…
 そう結論が出るのに、時間はかからなかった。
 リツコさんが質問をしてきたのとほぼ同時。
 そして、質問から聞き出そうとしてることを理解するのは簡単だった。
 もしかしたら、これは僕をリラックスさせようと持ち出した閑話で、本題じゃないのかもしれない。
 だけど、思い当たることはたった二つ、夢と使徒を倒した時のこと。
 倒したときは、僕自身覚えてない。
 多分、映像なんかもあるんだろうから、例え何を言っても…

「勘違いしてるみたいね、シンジ君。叱ってるわけじゃないのよ、どんな状態だったか聞きたいだけだっただけ」

 リツコさんの声に、僕は思考が自分の中だけに向かっていたことに気づく。
 僕の沈黙を叱られて凹んでるのと勘違いしてくれたのは運が良かったのかもしれない。

「…すいません」

 思わず反射的に謝ってしまったのが功を奏したのか、伊吹さんは疑ってる視線じゃない。
 ただ、リツコさんだけは…わからない。

「そう、やっぱり寝てたのね」

 普段から、ポーカーフェイスだから。
 俯き書類に向けられてるように見える視線…
 だけど、髪の毛に隠れたリツコさんの目は、間違いなく僕のその動きを捕らえているはず。

「…寝ちゃってました。なんか、良くわからないんですけど…すごく眠たくて」

 寝てたことは、きっと隠せることじゃない。
 隠したところで、レコーダーに脳波が記録されている。
 寝ていることは脳波を見ればばれてしまっているんだ。
 そして、これが確信なのかもわからない。
 なら…ただ寝ていたことにして、何も覚えてないって…
 そんな嘘が通じるとは思えないけど、やるしかない。

 「夢は見れた?」

 とにかく、曖昧に答えるしかない。
 だけど、いざって思うと何を言って良いかわからない…

「先輩もホントに怒ってたりしてないから」

 僕の沈黙を叱られて、言い訳に困ってるって誤解してくれてるんだと思う。
 それが好都合なんだけど…

「気にしないでいいわよ、私達にとってはね、シンクロ中の睡眠なんて貴重なデータなんて、こういう時でもないと得ることができないだけだから」

 ここまでいわれると、僕も沈黙で誤魔化す事なんかできない。
 とぼけるにしても…多分、夢を見ていたことは否定できないだろうから…
 そこで急に閃いた。
 夢なんて…普段、覚えているか?

「あの… もしかして… 寝言とか… 言ってましたか? 僕?」

 上目遣いで二人の顔を覗き見ながら言うのは、自分でもちょっとわざとらしいかな、と思う。
 だけど夢なんて、それで目を覚ましても、すぐに思い出せなくなる。
 まして、寝ていた間の夢なんて、覚えてるもんじゃない。

「ええ、しっかりとね。 ねぇ、マヤ?」

「『アスカぁ〜』ですから… 心配してたのが、バカみたいに。」

 溜息と共に、伊吹さんに視線を向けるリツコさん。
 その視線を受けて、同じく溜息と共に天井を見上げる伊吹さん。
 リツコさんはともかく…伊吹さんはわざとらしく感じる。
 無論、僕のほうも見抜かれてるのかもしれない。
 そして何より…僕は、アスカの夢を見た覚えはない。
 ここまで鮮明に覚えてるものを夢って言っていいのかわからないけど…
 寝言を言ったとしても…伊吹さんが言ったようにアスカの名を呼んだとは思えない。
 だって、アスカが夢の中に出てきてないから。
 僕の無意識の中で呼んだのかもしれないけど…違う。
 やっぱり…演技なんだ。
 そう結論付けるには十分すぎた。

「一応、聞くけど、どんな夢見てたか憶えてる?」

「夢なんて…起きても憶えてたことなんて…」

 首を横に小さく振る僕に、少し訝しげに様子を伺い…そして、落胆の溜息をこぼす。

「…そう、それならしょうがないわね」

「すいません」

 僕の見た夢に何を期待しているのか…
 母さんのことだろうって。
 知らないわけがないんだ、母さんが、初号機の中にいるってことを…
 リツコさんは技術部のTOPなんだから。
 もしかしたら、僕も寝言で母さんなんて言ってたかもしれない。
 そうじゃなくても、期待するんだろうと思う。
 僕の見た夢の中には…リツコさんはいなかった。
 多分、リツコさんは自分の知らない何かを知りたいんじゃないのかなって。
 なんとなくだけど、そう思ってしまう。

「気にしなくて良いわよ」

 そして、今も僕を見る伊吹さんの視線。
 この人は嘘が苦手なんだな…きっと、
 表情こそ、いつものにこやかなものだけど、その視線の先は僕の指先とか…
 多分、僕の知らない僕の癖が出る場所を見ようとしてるんだ。
 こんな状態で…憶えてないだけで、とぼけきれるのか?
 だけど、僕の頭の中で響き続ける警告音にも似た違和感が拭えない。

「じゃぁ、本題を聞くけど、いいかしら?」

 突然、口調が変わり、声の温度が下がる。
 これまでが本題じゃなかったの?
 そう、僕の不安が訴えてくる。

「使徒殲滅時のこと…憶えてるかしら?」

「いえ…まったく…」

 俯いたまま答える僕の顔に、リツコさんの視線が刺さるように向かってくる。
 僕が返事返事をしても、何も言わない。
 沈黙で僕に、その真偽を問い質しているんだ。
 これは嘘じゃない。
 だけど、本当のことも言ってない。
 あの時の母さんの言葉、母さんが助けてくれたんだとしたら…倒したのも母さん。
 沈黙の痛みが強くなってくる。
 これも演技だって言うなら…正直、だれでも騙せる気がする。

「…あの、」

 耐えられずに出てしまった。
 沈黙を破れればと、半分無意識に洩らしてしまった。
 でも、後悔するより先にリツコさんの溜息とともに、空気のほうが軽くなってくれた。

「これも、ね… まぁ、しょうがないわね」

「シンクロ中の睡眠って、貴重なデータなんですけどね」

 残念そうに、開いてたファイルを閉じて目を伏せてる。

「シンジ君?後で心理テストみたいなものを受けてもらうわよ?」

 心理テスト?
 不思議そうにする僕に…

「簡単なもの。寝てる間になにか深層心理に変化があったとしてもわからないから、それを調べるだけよ」

「じゃぁね、シンジ君」

 そう言い残して、そのまま二人とも部屋を出て行った。
 不味いかもしれない…そう気づいたのは、それからかなり経ってからだった。



















 朝のSHRを終えた時刻になっても、アスカ・シンジ・レイの姿ばかりか、トウジの姿まで見えないことにヒカリは不安になった。
 ヒカリにとっては、想い人でもある。
 皆勤を地でいくほどの健康優良児たるトウジが休んだことは、過去に数度だけ。

「鈴原は?」

 ヒカリが表面的には委員長としての責務を繕いながら、内心の不安を隠し、親友であるケンスケに聞いた。
 普段ならば、二人揃って遅刻して現れるのだ。
 それがただ一人、それも始業前にケンスケ一人現れたのである。
 不安に感じるのを止めることは出来ない。

「昨日の騒ぎが終わった時に、戦自の警備兵が来て、何か話をした後は飛び出して行ったよ。それっきり連絡もなしさ、」

 肩をすくめて分からないと少しオーバーに身振りをつけて言いながら、トウジの席を眺める。
 昨日は警報が明けたのが早朝だったこともあり、休校だった。
 大きな問題でもなければ、二日続けて休むことはない男である。
 あるとすれば、彼の妹のこと。
 それは、ケンスケだけでなくヒカリにも想像がついた。
 多分、危険な状況なのだろうと。

「トウジには今日中に連絡とってみるからさ、委員長も心配してるから連絡しろって伝えとくよ。」

 トウジの無事が分かって、不安が消えたわけではない。
 彼の妹の安否も気になる。
 そしてもう一人、親友の様子がつかめないのだ。
 二人それぞれの親友と、彼らの同僚の姿がいるべき場所に視線を移す。

「あいつらのことは、わからねぇよ…。 多分、訓練とかだとは思うけど…」

 視線の先を見たケンスケが問われる前に応える。
 無論、ケンスケが知ることが出来るわけではないのだが、今まで彼はどこからとも無くそういう情報を引き出してきたのだ。
 それに期待するのも無理はない。
 だが、彼とて少年に過ぎないのだ。
 知ることの出来ることなど、表面的なことに過ぎない。
 情報が無いということは、憶測や不安を生む大きな要因である。
 先日の襲来でまた怪我をしたのではないか…。
 もし、彼らに不幸があったとしても、自分たちには知ることは出来ない。
 ただ一つ、今、自分たちが生きている事実。
 これが、親友二人の勝利の証であるということ。
 その勝利がどのような代償で得たものか、知る筈もないのだ。
 大きな代償はなかったのかもしれない。
 念の為という理由で、来れないだけかも知れない。
 逆に、その代償は大きく二人が命に関わる怪我をしているのかも知れない。
 ここまで考えた時、ケンスケに最悪の場面が想像された。
〜最悪の場合は… シンジ達三人の誰か、いや、全員… そんなわけないよな〜
 たとえどんなに心の強い人物でも不安にならないということは無いのだから、まだ子供であるこの二人に、それを打ち消す方法はない。
 一晩以上の長い避難命令という事実に、その考えが悲観的になるのも避けられない。
 ヒカリも同様であった。
 最悪こそ想像しなかったものの、誰かが大きな怪我をしていると想像してしまったのだ。
 無事な姿を確認できれば、噂だけでも彼らの無事が知れれば不安でないのだろう。
 だが、この二人に知る術はない。
 そのもどかしさに、歯噛みするケンスケ。
 二人の親友と想い人の妹の無事を祈るヒカリ。
 今この二人に与えられている役割は、観客だけ。



















 見渡す限りの暗闇。
 自ら望んでその場に立つことを望んだとしても、落ち着かないのは致し方ない。
 その中で、直立不動のまま立ち尽くす。
〜姿を見せたくないなら、ただの音声回線だけにすればいいじゃない…頭おかしくない?〜
 などと、本気で口にしようものなら、厳罰では済まないだけに、心の中で叫ぶ。
 不平だけが、ミサトの心の中で鬱積していく。
 苛立ちを隠していくのもつらくなってきた頃、突如としてミサトに光が当てられた。
 ただ一人だけ闇の中にその姿が浮かび、僅かな影が足元に漂う。
〜さて…お仕事ね〜
 途端にそれまでの気持ちを切り替え、軍人然とした表情に切り替える。

「今回の事件の唯一の当事者である初号機パイロットの直接尋問を拒否したそうだな、葛城三佐」

 闇の中から突然かけられる声。
 スポットライトという前触れがなければ、ミサトも驚きに腰を抜かしていたかもしれない。

〜んなこと…報告書で挙がってるはずでしょうに…まぁ、形式だからしょうがないけど…相手が子供ってわかってる?〜
「はい、彼の情緒は大変不安定です。今ここに立つ事…尋問という負荷に耐えられる精神状態ではなく、良策とは思えません」

 内心の侮蔑などおくびにも出さず、毅然とした態度で立つ。
 そして、僅かに自らの心をのせた遠まわしな言い方で、集う老人たちを揶揄するのだが…
 その事など全く気にもしない面々はそれをあっさりと受け流す。
 いや、すでにここに居るものたちは、常識というものが歪んでいるのかもしれない。

「では訊こう、代理人葛城三佐」

「先の事件、使徒が我々人類にコンタクトを試みたのではないのかね?」

「被験者の報告からはそれを感じ取れません。イレギュラーな事件だと推定されます」

「彼の記憶が正しいとすればな…」

「記憶の外的操作は認められませんが」

「EvaのACレコーダーは作動していなかった、確認は取れまい…」

 あらかじめ決められた台本があるかのように、代わる代わる質問を投げかけてくる。
 しかもその声は、四方から次々と。
 相手に重圧を与えようとする演出としては、最適の効果を生み出すであろう。
〜馬鹿げてるわね、ホントに…それほどまでに相手をビビらせて、喋らそうってのは解るけどね〜
 ミサトの内心が語ること…それは、これが尋問ではなく拷問であると。

「使徒は人間の精神、心に興味を持ったのかね?」

〜なにそれ?使徒がなんであるか分かってないはずでしょ?〜
 意味の汲み取り方を誤ったのかと、一瞬だけ躊躇する。

「その返答は出来かねます。果たして使徒に心の概念があるのか?人間の思考が理解できるのか?それらの疑問に答えられる程、使徒を理解できてはおりません。全く不明の存在ですので」

「今回の事件には、使徒がEvaを取り込もうとした新たな要素がある。これが予測されうる第壱拾参使徒とリンクする可能性は?」

「これまでのパターンから、使徒同士の組織的繋がりは否定されます」

「さよう…単独行動であることは明らかだ。これまではな?」

「それはどういう事なのでしょうか?」

〜この連中は…知ってる?使徒のことを…〜
 そう確信するには十分すぎる発言だった。
 父の仇にして、人類の敵。 未知の生命体。
 すべてが謎に包まれた筈の使徒の行動にもかかわらず、それをも理解しているような語り方。
 不審が僅かに眉間を寄せるという形で、表情に浮かぼうとする。
 だがそれは、浮かび上がる前に、切り捨てられる。

「君の質問は許されない」

 不審は確信を従え、憤りへと変わる。
 だが、この場での命令違反は命にかかわる。
〜嘘が下手糞な連中ね…問い詰めても逃げるだけでしょうしね。証拠が無い今は大人しくしてあげる。だけど…〜

「はい」

 心をひた隠し、唇を噛み締めたくなる衝動さえ耐え抜き、平静を装う。

「以上だ下がりたまえ」

「はい」

 スポットライトが落とされ、通信回線が遮断されると共に、室内に眩しいほどの明かりがともる。
 ミサトが立っていたのは、会議室の中央。
 誰も居ない部屋の中でただ一人、立ち尽くしていただけ。

「お疲れ様です、葛城さん。 どうでした?」

 ミサトの背にある扉が開くと共にかけられた、日向の声。
 だが、ミサトはその声に反応しない。
 ただ、直立していた姿勢から、急に拳を握り締め俯くだけ。

「かつらぎ…さん?」

 日向が伺うように近づき、再び声をかける。

「もし…」

「は?」

 俯き顔にかかる髪の毛から唇の動きは見えない。
 ただ、小さく絞り出すような声が洩れるだけ。

「あの…」

「日向君」

「はい?」

 直後にあげた顔に浮かぶ表情は、泣いているようでもあり、怒っているような複雑なもの。
 その様子に思わず日向もそれまでの顔つきを一変させる。

「協力して…」

「何を?と訊きたいところですが…貴方の為なら喜んで」



















 ついこの前まで、しっかりと言葉を発していたはずの口は動かない。
 笑い、叱り、怒り、しかし涙だけは見せることがなかったその表情も今は動かない。
 その目蓋に隠された瞳も見ることが出来ない。
 トウジが急ぎ、連れられてきたのは第三東京市立病院。
 週に二日は必ずといって良いほど通っていた。
 妹・ナツミは最初の使徒襲来以来、ここを生活の拠点に変更させられた。
 遊ぶことも、歩くことも叶わず、ただ寝ているだけの生活。
 意識がないわけではなかった。
 毎日、交代で訪れてくれる、祖父・父そして兄。
 学校の友人も二週間に一度は必ず訪れてくれる。
 トウジもシェルターを出たあとは訪れる予定だった。
 このまま、順調に回復できれば。
 そう、誰もが願っていた。
 事実、快方に向かっていたと医師も判断していたのだ。

 その予測はあっけなく崩れ去った。
 今も、死んでいるわけではない。
 体の機能が低下して眠っているだけ。
 その眠りから覚めることなく、死に向かっているとしても。
 トウジに理解できたのはそれだけだった。
 詳しく医師が説明したとして、まだ中学生であるトウジに理解は出来なかった。
 原因も、聞いた。
 それが何を意味する言葉さえも彼には分からない。
 危篤状態。
 ただ唯一、理解できたのはその言葉だけ。
 動揺に支配された心では、全ての言葉は伝わることがない。
 そのまま、ただひたすら見つめ続ける。
 睡眠さえも惜しむように。
 滲む視界の中…ただ、触れることさえも叶わぬ妹をガラス越しに見守るだけ。



















 一人になるのは、すごく久しぶりの気がする。
 誰もいない家に帰ってきて『ただいま』って挨拶するのがこんなに寂しいんだって改めて思い知らされた。
 アスカの釈放は明日。
 それより一足早く僕は昼には退院を許されて、こうして一人で家にいる。
 今はそれが好都合かもしれない。
 この二日の間に、僕は自分の頭で整理できない量の情報を与えられたから。
 僕が初号機の中で見た「夢」という名の情報…
 あれは事実だったのかもしれない、だけどそれが真実だって言えなかった。
 リツコさん達が帰ってから、僕は心理テストについて深く考えたけど…
 アスカみたいに大学を出てるわけでもない僕が、それを防ぐ手立てなんかないって気づくのに、そう時間はかからなかった。
 なんとかしなきゃと思ったけど、結局は何も手立ても思いつかなくて…
 そのまま先生の質問に答えたんだけど…同時に質問もしてしまった。
 僕自身、焦りのあまり変なことを訊いてしまった思う。
 仮に嘘をついたとして、心理テストで嘘をついたことはばれるのか?って。
 ありがたい事に、ただ知識として知りたいだけだって先生も勘違いしてくれたから良かったけど…
 嘘発見器でもない限り、それはわからない。
 何かを隠してて、心が痛みを訴えているなら、それらしき結果は出るけど、何を隠しているのかわからないって。
 心理はあくまで考え方の根本でしかないからって、その先生も教えてくれた。
 特に、なにかを隠していたとしても、それは「かも知れない」という可能性の一つだということ。
 それに安心してしまった僕は、体に感じる異様な疲れから、あっさりと眠ってしまった。
 だからこうして今整理しようと思ったんだけど…
 あの夢は一体なんだったんだろうと…
 そして、なんで隠さなきゃいけないって思ったのか…
 疑問は尽きない。
 結局、あそこで見たことは…僕は覚えていない、母さんの姿を知ることができたこと。
 そう…あの夢を見た後でも、僕の記憶の扉は開かれてない。
 記憶を失った直接の原因。
 母さんが消えてなくなる瞬間を見せてもらったのに…
 そして幾つかのキーワード。
 『ゼーレ』『ゲヒルン』『セカンドインパクト』
 一つは僕も学校で教わった。
 大質量隕石が落ちて…って、コレでアスカに馬鹿にされたんだよな…
 でも、それは間違いだってことは今は知ってる。
 何がどうでって言うのは知らないけど、使徒が原因だってことは…
 残り二つのキーワードは…まったく聞いたことがない。
 でも…この二つを調べてはいけないって…直感が訴えてる。
 昨日と同じ…怖いって。
 そして、もう二つの名前…
 『綾波レイ』
 母さんとそっくりの顔をした、少女。
 隠し子? それは否定できないけど…同い年の訳が無い。
 じゃぁ、双子の兄妹? そうかもしれないけど…分からない。
 でも、娘っていっても…そっくり過ぎる。
 どちらかというと、母さんと双子の姉妹って言う感じ…
 もしかして父さんは、綾波が母さんの姿にそっくりだから、あんなに構う?
 …憶測しか出てこない。

 そしてもう一人『惣流・キョウコ・Zeppelin』という名前。
 アスカと同じ苗字の人。
 よく考えると…僕はアスカのことを何も知らない。
 ドイツに両親がいて…でも両親の名前は聞いたことがなくて。
 今までの事も。
 小さな時にEvaのパイロットに選出されて、訓練されて…
 そして、大学を出ている天才だってことだけ。
 結局、僕らは何も知らないんだ…
 知らないことだらけ。
 なんで、母さんは…僕にこんな夢を見せたんだ?
 一体、僕に何をしろって言うんだ?
 それとも、僕にその姿を見せただけ?
 ふと、そこに疑問が浮かぶ。
 あれ?母さんと、アスカの母さんは知り合…
 急に鳴り響く電話の音に気づいた。
 考えに沈んで、いつから鳴っていたのかさえ、わからない。
 慌てて立ち上がり電話を取る。

「もしもし、葛ら…「あ、いた。寝てたのかと思ったわよ。」

 言い切るより先に、言い出すなんて、子供っぽいよな…この人は。
 間違って電話してたら、どうする気なんだろ。
 なんて思うけど、正直、丁度良かったかもしれない。

「お疲れ様です。ミサトさん。あのちょっとき…」

「ちょ〜っち、お願いあるんだけど…駄目?」

「はぁ…」

 そのまま、僕の言葉を遮って続けざまに話すミサトさんに、思わず溜息が出てしまう。
 僕も、タイミングが悪いといえば、悪いんだけど…
 すぐに訊かなきゃいけないことじゃないし。

「実はさ、アスカの拘留期間短縮されてね、36時間なのよ。っで、もうすぐ釈放の時間だからさ…」

 ミサトさんのの言葉に振り向けば窓の外は赤く染まってて、時間の経過を教えてくれた。
 そっか、もうそんな時間なんだ…

「シンちゃんも経験済みだからわかるでしょ、シャワーもないしさぁ…着替えとか、持って行ってあげるんでしょ?」

 畳み掛けるように話し続けるミサトさんの声に、適当に相槌を打つ。
 あと2・3時間もすれば、アスカも釈放される。
 僕のときは3日間だけあって、着ていた制服なんか凄く汗臭くなってたっけ。
 なんとなくだけど、拗ねてるアスカの顔が思い浮かんでくる。
 確かに、そのままの姿だと電車に乗るのも嫌がるだろうな…
 腰に両手を当てて、胸を反らしながら文句を言う姿が。

「私もさぁ…2・3日、帰れそうもないのよねぇ…着替えとかアスカのを届けるののついでに、私のも…なぁ〜んて、駄目?」

 さっきの事も、電話よりミサトさんに直接訊いた方がいいと思うし…
 自分の心に言い聞かせるように、結論付ける。

「分かりました、でも…何を選んでも文句言わないでくださいね?」

 この後に待つ葛藤なんか、この時の僕には考えつかなかった。
 アスカの服を選ぶっていうことと、そして…箪笥を開けるって事を。



















「よぉっ葛城、頑張ってるか?」

 場にそぐわぬ闖入者・加持の軽い声に、書類の山の向こう側にもかかわらず、その厳しい視線はそれを透過して突き刺さる。
 差し入れようと手に持つ缶コーヒーにも汗か浮かび、その行き場を失う。

「…アンタも手伝いなさい…」

 疲れとも何とも言い難い重さを乗せた声に、ここへ来たことを後悔するには十分。
 顔を見るまでもなく、その目の下には暗い隈が浮かんでることは容易に想像できる。

「すまんな。そうしてやりたいのは山々だが、俺も仕事があるんでな」

「じゃぁ何しにきたのよ…」

「葛城に、お呼びがかかると思ってな」

 ミサトがその目だけを山から覗かせると、そこには何時の間に火をつけたのか飄々と煙を吐き出しながら、自分を見る視線に気づく。
 その視線に込められた意味を察すると、ミサトは再び書類に目を向ける。
 だが、意識は周囲に向けられる。
 個室とはいえ、誰に見られているかわからぬ状況。
 その空気を察したかの様に、加持は音も立てずにミサトの横に移動する。
 抱き寄せられたミサトの耳元で僅かに動く唇。
 物音ひとつ、囁き声さえもが無い空間。
 手元に置かれたコーヒーの缶が開く音さえも響き渡る。
 もし遠間からその姿を見るものがいたとすれば、恋人たちの僅かな逢瀬にしか見えない。
 その違和感さえも与えることなく。
 惜しむように離れる二人の姿。
 やがて、寸分たがわぬ元の立ち位置に加持が舞い戻る。
 ミサトの姿勢もそれ以前の状態。

「まぁ、今のところはその缶コーヒーに免じて開放してあげる」

「それはそれは…」

「じゃぁ、片付いたら連絡するから…また後で」

「お待ちしております」

 執事よろしく手を振り、頭を下げる。
 そして、そのまま振り返りもせずにその場を去る。

「…冷たい奴」



















「今日、今だけ許可するから、アタシの3歩前を歩きなさい」

 お疲れ様って言った僕に、最初にアスカから聞かされた言葉はこれ。
 独居房から更衣室に向かうまでの間、振り返ることも許されず。
 なおかつ、話しかけ続けなきゃいけないって言うのは、ちょっと辛かった。
 夕飯の用意もまったくしてなかった事を言ったら、凄い怖い声色に変化するし…
 こういうときに、相手の顔を見れないって言うのは、さらに怖い。
 それに、この服は誰が用意したかって、答えたときには…

「馬鹿っ!アホッ!変態っ!スケベっ!」

 って、1分くらい叫ばれて。
 さらにミサトさんの着替えをアスカが着替えてシャワー浴びてる間に届けに行く事を伝えた時には、アスカのローファーを避けることさえ出来ずに…
 なにも、全力投球しなくったって良いじゃないか。
 それなのに、瘤になってしまった、頭をさすりたくても…
 右手には、荷物。

「そっかぁ、乙女のだけに飽き足らず…をねぇ…」

 更衣室から出てきてからずっと、左手には怪しい笑顔のアスカがぶつぶつ言いながら抱きついてる。
 それまでは思いっきり怒ってたのに…。
 本当は、ミサトさんの所に先に寄るつもりだったんだけど、僕がアスカのタンスの前で葛藤していたことは内緒。
 そのせいで家を出るのが遅れてしまった…なんてバレたときには、瘤じゃすまないんだろうな。
 Nervを出た今も、そのままアスカに抱きつかれるてる。正直、嫌じゃないけど…恥ずかしい。
 元々、人の少ない第三東京市だから、誰かに見られるとかそういうことは無いけど。
 それに、訊かなきゃいけないことがあるけど…、訊きづらい。
 家を出てからずっと迷ってる。
 聞いていいのか…って。
 僕自身のことは、アスカに聞いてほしくて話したけど、ほかの人には話したくなかった。
 アスカはどうなんだろう…
 何かきっかけがあれば、うまく話せるのかもしれないけど、そうはいかない。

「シンジ!聞いてんの!?」

 アスカの声で我に返る。
 目の前にはアスカが、すこし怒ったような顔をしながらも、心配そうな眼で僕を見てる。

「えっ?あ…ごめん、聞いてなかった」

「なに? 難しい顔して、考え事でもしてたっての? 眉間に皺なんか寄せちゃってさぁ」

 急に僕の右手から離れて、目の前で腰に手を当てたいつものポーズをとったかと思ったら、右手で僕の眉間を撫でてくる。
 今まで感じてた、暖かさが無くなるのが少し寂しいけど、額に添えられた別の暖かさにまた安心する。
 アスカの言うとおり、顔に出てたんだな。

「そんな顔ばっかしてると、司令みたいに怖い顔になっちゃうわよ?」

 思わず父さんの髭面を思い出してしまう。

「それは僕も嫌だな…」

 僕の相槌に満足したのか、目元が綻んでる。
 そして、そのまま飛び跳ねるように後ろに下がると、スカートを翻しながらクルリと僕に背を向ける。

「んじゃ、今夜はアンタのおごりね。さぁて、どの店にしようかなぁ」

「なっ!?」

 はっきり言って、僕の財布は薄い。
 今日ここで夕飯をとなると、ファミレスが精一杯で。
 腕を組んで頬に人差し指をあてて考える姿は、見てて可愛いけど…
 小悪魔って、こういうことを言うんだろう。
 なんて、心の片隅では考えながらも、僕の体はいつもの様にうろたえながら、許してもらうために正面に回りこむ。
 だけどその瞬間に、アスカがそれまでの雰囲気を一変させて俯いてしまう。
 前髪に隠れて目元は見えない。
 わずかに見える唇も、さっきまでとは違って引き締まってるように見える。
 覗きこんでその顔を見たいと思っても、できない…違う、させてくれない。

「許してほしい?」

 ようやく聞こえた声は、重く圧し掛かるような…でも、寂しげな音。
 迷うことなく頷く。

「じゃぁ、約束しなさい」

 前髪を通して僕のことを上目遣いに見ていたんだろう。
 僕が声に出すのを遮る様に話し始める。

「悩み事があるなら、教えて。アタシが助けてあげるから…。今すぐなんて言わないから、後で話しなさいよ?」

「うん、」

 少し躊躇した様な僕の返事。
 話して良いのか?
 わからない…だけど、アスカのこんな声を聞きたくなかった。
 そんな返事なのに、アスカは満足してくれたのかな?
 顔を上げ、いつもの強気な顔を見せてくれる。

「じゃぁ…ファミレスで許してやる。」

 お約束のポーズをとりながら、今度は見下ろすように僕を見る。
 なんか嫌な予感がするのは…と考えると同時に、アスカの右手人差し指が僕の目の前に突きつけられてた。

「その代わり、デザートにパフェつけなさいよっ!」

「…そっ! そんなっ! 僕、そんなにお金ないよっ!」

「男なんだからツマンナイこと言わないっ! さっさときなさい!」

 次の瞬間には、手を引いて駆け出すアスカに、引きずられる様に僕も走り出した。



















 薄暗い通路。
 人も通らぬ場所は空気も淀み、その足元には薄っすらと埃が積もってるのか、足跡が残る。
 セントラルドグマの奥深く。
 『草木も眠る丑三つ時』でなくとも問題ないのではないかと、更に疑問が浮かんでくる。
 渡されたメモと、偽造IDカード。
 それをミサトの胸元に忍ばせた人物は、言うまでもなく加持。
 メモにはこの場所に来る為の地図と時刻。
 無論、言うまでもなくそこまでのセキュリティーチェックは偽造IDを使えという意味であり、それを使用してここまで来た。
 床の足跡を見れば、自分以外の人物がここに来ている形跡はない。

「っとに、こんな場所に来いなんて…」

 呼び出されたとはいえ、こんな場所とは思ってもいなかったミサトにしてみれば、後悔したくなってきてしまう。

「なんて?」

 ミサトがポツリと溢した声に反応する様に、暗闇からからかう様な声だけが響いてくる。
 一瞬だけ驚きに体が反応するが、その声に聞き覚えがあることに気づき声の主を探す。

「デートの待ち合わせには無粋な場所ってこと。それとも、ヤリたいからこんな場所選んだっての?」

「そういうのは高級ホテルか、ピンク色の照明が残ってるような場末のラブホテルってのが相場なんだがなぁ」

 ふざけた会話をしながらゆっくりと影の中に人影が浮かび、やがて薄灯りの中に現れる。
 足音もさせず歩くその姿に、改めて加持がプロであることを認識させられる。

「っで、用件はなによ?」

 普段とは違うその厳しげなミサトの視線に、おどける様に視線を外し軽薄な笑顔を浮かべる。

「まぁ、アルバイトの成果って奴を、葛城に見せてなかったな。と、思ってな」

 そのまま、振り向くと影に向かいゆっくりと進み始める。
 ミサトも一瞬の躊躇を見せるが、その後を追う。

「っで、私にその成果を見せてどうしようっての?」

「判断するのは葛城の自由だ…ま、葛城が朝の尋問で疑問を持ったみたいだからな、」

 その言葉に、ミサトは息を呑んでしまう。
 秘匿回線中の秘匿回線ともいえる委員会との通信を、前を歩く恋人は傍受していたという事実と、その技量に。

「そんなに驚くなよ、監察権限内だぞ? 尋問状況の確認なんか」

 その程度なのか?と、疑問を抱えながらも前を歩く加持を追従する。
 正規の方法で見たのではない。
 そう確信するのだが、どうにもその証拠は挙げられない。
 疑念が言葉を失わせ、ただひたすらその背中を見つめるだけ。

「ま、これが葛城の疑問に答えられる代物かどうかは…わからんけどな、」

 急に立ち止まり振り返るその加持の背には、巨大な扉がひとつ。
 その端は、手に持つ非常灯くらいでは照らしきれない。
 本部内に於ける禁忌中の禁忌と言える大深度施設の更に奥。
 上級職員でも、ここに辿り着ける人間は数えるほど。
 その数える人に含まれるはずの自分が知らない扉。

「では、お客様にお持ち頂きましたカードをこちらに通して頂けますか? 姫様」

 執事よろしく頭を下げ、右手でカードリーダーを指す。
 一歩一歩、それに近づくにしたがい、冷や汗がミサトの背を濡らす。
 知ることによって、自らの命が縮められるものではないのか?と、
 汗のせいで感じる粘つくような不快感も、その想いを更に加速させる。

「最高のデートコースね。貴方に抱かれるより刺激的でドキドキしてくるわ」

 軽口を叩いて自分を奮い起こそうとするのだが、心の警鐘は鳴り止まない。
 引き摺られるように体も動けない。
 視線は間の前のカードリーダーに固定されてしまう。

「真実はいつも闇の中だ。知りたいのなら、それ相応のリスクと…勇気だな」

 耳元で聞こえた声に振り向けば、いつの間にそこに動いたのか…
 後ろからミサトの腰に手を回し、抱き締めている。
 ミサトには、その温もりに「守ってやる」という気持ちが込められているように感じる。
 そして、ゆっくりながらも張り詰めたモノが適度に緩んでいく感覚に安堵する。

「ありがと。んじゃまぁ…参りますか」

 ゆっくりとIDを通す。
 一瞬の静けさに続き、緑色のランプが点滅する。
 同時に重く響く駆動音。
 そして、その隙間から差し込んでくる灯りがその扉の大きさを示す。
 次第に光量も増し、闇に慣れた目を焼きつけていく。

「人類を恐怖の底に突き落とした…」

 加持の言葉に、逸らしかけていた視線をミサトは無理矢理戻す。
 霞む視界に、僅かに人影に似たモノが写る。
 ゆっくりと明確になっていく。
 それに従い、ミサトの目が変化していく。
 人影は十字架であり、さらに十字架はそれに貼り付けられた人影を…
 人に在らざる巨躯。

「…まさか」

 疑いつつも、信じきれない。
 驚きたくとも、その思考は停止してしまう。
 ただ惚けた様に、見つめるだけ。
 十字架に貼り付けられた影も輪郭を取り戻していく。
 だが、その人影の足は膝の辺りから下がない。
 人に在らざる姿形。

「確証はない。だから、葛城に確かめてもらおうか、ともな…」

 ようやく、頭脳が活動を再開する。
 それはミサトの目を驚きに見開かせ、全身を硬直させる。
 怪しげな仮面。
 両掌に打ち付けられた杭。
 人に在らざる白い肌。

「…そんな、何でここに?」

「やっぱり、こいつがアダムなのか、葛城?」

 その問いに、ミサトは答えることができない。
 自らの記憶を幾ら遡ろうとも、その姿を思い出せない。
 思い出せるのは、漂いながら見たあの光の柱と、言葉に表せない叫びにも似た音。

「こいつが、もしアダムなら…わずか数ヶ月で、卵の段階からここまで成長したことになる」

 記憶の遡行を遮るように放たれた、加持の言葉。
〜なんで?こいつってば、そんな事まで…もしかして!?〜
 一瞬の沈黙の後に驚きと疑惑の視線を返すが、加持はそれさえも「どこ吹く風」と締まらぬ顔。
 腰に回した腕もそのまま。

「そうだ…、俺がドイツから運んできた。弐号機と一緒にな」

「なに考えてたのよっ!あの時、加持君一人でそんなの持っていってたら、貴方が危なかったんじゃないっ!」

 ミサトの悲鳴にも似た叫びは、山彦の様に反響しながら、再び静寂に飲み込まれる。
 それと共に、ミサトの目に涙がうっすらと浮かぶ。

「今も生きてる。それで問題ないだろ?」

 潤んだ瞳のまま、ミサトは加持の顔を見つめ続ける。
 だが、加持は先ほどより少しだけ顔を引き締めただけ。
〜そうよね、加持君ってばいつでも自分の事だけ…いまさらに思い出すなんて〜
 ミサトは加持の横顔に、過去の加持の姿を思い出す。
 そして記憶の中のように、その腕の中で身を翻し、その肩で涙を拭う。

「…馬鹿」

 腰に添えられていた加持の手が離れると、ゆっくりとミサトの髪を梳きはじめる。
 目だけをミサトに向けながら、溢れる涙をスーツに染みこませている紫色の髪の感触を楽しむ。
〜女はいつまでたっても、姫君なんだな…ま、暫くはこうしておくか、〜
 だが、その加持の想いとは裏腹に、ミサトの胸から流れ出した携帯の着信音によって阻まれる。
〜なによっ、こういう時は携帯の電源くらい切っておきなさいよ〜
 一瞬、ミサトはその場を壊したのが自分のではないと、加持を睨み付けるのだが…
 その視線を受けた加持は大きく溜息をつく。

「あのな、こういう場所に呼び出したんだから、電源を切っておいてほしかったんだがな…」

 その言葉が意味すること…それは、ミサトの携帯が鳴っていると語っている。
 キョトンとした目に変化させて、加持を見つめる。
 ミサトの思考は先の答えに辿り着くのに、僅かだが時間を要した。
 慌てて加持から身を離すし、胸元の携帯を取り出してみれば、着信を知らせるように青く光を放つ液晶が…

「ご、ごめんちょ…」

 僅かにすまなさそうな顔をみせながら、数歩下がると、振り向き電話をとる。
 話し始めたのを確認した加持は、小さな溜息と共に、振り返りその場にある巨人へと目を向ける。
〜ったく、ま…葛城らしいといえば、そうなんだが、
 問題はコイツだな…葛城の様子からすると、アダムとは言い切れないようだな…
 まだまだ、真実には程遠いってところか…〜

「なんですって!?」

 場所を考えぬ、ミサトの叫び声が再び響く。
 驚きにミサトを振り返れば、ミサトもまた加持を振り返る。

「っで?原因は?テロ?…まだ分からないと…そっ、すぐに戻るわ、じゃっ」

 通話を終了させると、ミサトは一人の女から作戦部長へと変身する。

「アメリカ第二支部が壊滅したそうよ。近隣関連施設も連絡不通。あとは聞いたとおりよ」

「穏やかじゃないな…とりあえず、戻るか…では、途中まで御送りしましょう姫様」



















「なぁ、シンジ…トウジの話、なんか聞いてないか?」

「え?トウジ、どうしたの?」

 いつもの様に、三歩前でアスカは洞木さんと楽しそうに話をしている。
 そして、いつもの様にケンスケと合流したんだけど、トウジの姿はなかった。
 僕も、いつものように寝坊したんだろうと、特には気に留めなかった。

「一昨日の警報解除の時にさ、アイツ、警備兵に連れられてどっか行ったっきりなんだよ」

 驚きに声が出なくなる。
 まさか? 何かあったのか?
 気づけば、少し離れていたはずの洞木さんも目の前に居て、期待の視線を僕とアスカに交互に向けてる。
 だけど、アスカは夕べ遅くまで営巣に居たんだから、知るはずが無いけど…一応と、視線を向ける。
 返ってきたのは否定するするように、首を横に小さく振る姿だけ。
 もちろん、僕だって知るはずも無い。

「ごめん、僕も何も聞いてない」

「連絡はしてみたの?」

「あぁ、昨日のうちに何度もな。家にも行ってみたけど、誰も居なかったよ。多分、あいつの妹のことだと思うけどさ…」

 僕が答えると同時に、アスカが問いかけてみるが…なんとなく予想通りの答えに洞木さんがさらに落ち込んでる。

「こんなんじゃ、明日『みょうこう』を見に行こうかと思ってたけど…行けねぇな、」

 『みょうこう』がなんだか分からないけど…多分、また戦自の何かなんだろう。
 それを見に行けないのを、少し残念そうに話す。

「後で、ミサトに訊いてみるけど…」

 言いよどみながら、僕のほうにチラチラと視線を向ける。
 自分では、言い難いから…って、酷いな。
 だけど、周りからの期待の視線に耐え切れなかったっていうのは、分かる。
 期待に添えないだろうってこともわかるだけに…言わなきゃ、拙い。

「でもミサトさん忙しいみたいで、全然帰ってこないんだ。だから、期待できないかも知れないけど…」
 
 それでも…言葉には出してないけど、洞木さんはそう言いたがってる。
 家にも居ない、連絡も取れない…不安なんだろうけど…
 って?

「でも、なんでそんなに洞木さんが心配するの?」

 なんか悪いこと訊いてしまったのか、洞木さんは俯いてしまう。
 ケンスケは明後日の方向を溜息混じりに眺めてるし。
 アスカは…

「なんでアスカが睨むのさ? もしかして、僕…拙いこと訊いちゃったの?」

「馬鹿だけじゃなかったのね、アンタって…新たな一面を見れた気がするわ…」

「馬鹿バカ言うなよっ! なんだよ!」

 言い返して失敗したっと思ったのに…
 普段ならそこで目尻を吊り上げるはずのアスカまでもが、明後日の方向に溜息を吐き出して…

「こういう奴だよ…コイツは、」

「そうね、ヒカリ行きましょ」

 三人とも、僕に向かってさらに溜息を吐き出して、そのまま僕を置き去りにしようとする。

「はぁ〜、やっぱこういうタイプがモテるってのは、テレビだけじゃねぇんだな…」



















 巨大なエスカレーター。
 端同士では、その人影さえ満足に見ることもできないほどの距離を、その中空に架けている。
 もし、某映画のように転げ落ちようものなら、例えスタントマンといえども、重症を免れない。
 ミサトでさえ、その技術力に驚きながらも、着任したばかりの頃は乗るのに僅かばかりの度胸が必要だったほど。
 だがこの空間は余りにも開けている為に、内密の話をするのには打って付けの場所になっている。
 アメリカ第二支部消滅の報告会を終え、新たに加わった書類を再び処理すべく会議室から執務室へと戻る道を、最短で戻らずにここを通る理由はそれだけ。

「っで?参号機は例のダミーを使うわけ?」

 ミサトがあからさまに侮蔑の態度をだす。
 距離があるだけに、大口径望遠レンズでも使わない限り、その表情が見られることも無い。
 その数段下で、リツコは無表情に前を見つめたまま。

「いえ、検討中だけど…新しい情報もあるわよ。」

 リツコは声にこそ抑揚はあるが、普段からミサトほど表情が変化するわけでもない。
 無意識に、見られることを恐れているだけなのかもしれないが…

「なによそれ? まさか新しい適格者でも見つかったって言うの?」

「御名答、ミサトにしては鋭いわね」

 驚き叫ぶミサトに、ほんの少しからかいの微笑を見せながらリツコが振り返る。

「なによそれっ! 聞いてないわよ!」

 普段ならば、あっさりと受け流してしまう程度の皮肉なのだが、 逆にそれはミサトのプライドをくすぐってしまったのか、徹夜続きでテンションが高いだけなのか、逆上したようにミサトは叫んでしまう。
 リツコは一瞬だけ声の大きさに、驚いていたりするのだが表には見せず、皮肉交じりの視線でそれを咎める。

「それはそうよ、だってまだ報告書には上がってない内密の情報なのよ?」

「…タイミングよすぎるわね」

「以前からその噂はあったのよ。資質があるんじゃないかって子がね」

 疑いの顔を見せ、ストレートにその疑問を口にするミサト。
 だが、その答えが自分の望むものではないと、内心理解している。
 この親友は機密に関して、以上に口が堅いことに。
 そして、リツコにはこの問答は予定された会話でしかない。
 すでにミサトのパターンを読みきっているともいえる。

「リツコ…あんた、マルドゥックに知り合いでもいるの?」

「違うわよ、碇指令を通じて催促していただけよ。
 その都度にほんの少しずつね、いい訳じみた情報をこっちにくれるのよ」

 ほんの少し呆れたように表情を繕い、話す。
 それは僅かに演じて、嘘に真実の色を混ぜるため。
 直感的な違和感を感じながらも、その言葉の説得力にミサトは追求を諦めてしまう。

「…っそ、まぁその情報の欠片でも手に入ったなら、連絡ちょうだい」

「それはもちろんね」

 その後に続く沈黙を、二人は破ることなく地に降り立ち、そして挨拶もそこそこに別れていく。
 だが、ミサトはリツコの姿が消えると同時に、再びエスカレーターへと再び戻り、再び上層階へと向かう。
〜教えてくれないなら…教えてくれる人に聞いちゃうもんねぇっだっ!!!〜
 その心の中を表すように、リツコが消えた方へと子供の様に舌を出す。
 に満足するしたのか、懐から携帯を取り出し、短縮ダイヤルを呼び出す。

「あ、加持君? 今夜暇? あのさぁ…ちょっち疲れたからさ、気分転換でもどう?」

「『いや、葛城…いい歳して、あっかんべーはないだろ…』」

 ステレオのように聞こえる声に、ミサトが前を見ると… 対向側に加持が呆れた姿のまますれ違っていくのだった。



















 ガラスの向こうに見える世界は、凍りついたように止まっている。
 空気の流れさえ、感じ取ることはできない。
 既に、丸二日をこの場所で過ごしているのにも拘らず、トウジは動かない。
 交代にと訪れる、祖父や父でさえもそれを強くは言えない。
 一般的に、歳の離れた兄妹は仲が良いと言われる。
 多聞に漏れず、トウジもそうであった。
 まして母親がいないとなれば、それは更に強いものとなる。
 自分の後ろを追いかける小さな妹。
 その姿が兄としての自覚を持たせてくれた。
 溺愛していたと言っても過言ではない。
 それだけに、トウジは眠ることさえ忘れ、静かに妹の姿を見つめ続ける。
 だがその心は、嵐の様に落ち着かないもの。

「なぁ、ナツミ…治る筈やったよな?」

 隣に座る祖父に、確認する。
 誰かにその未来を…保証してもらいたいから。

「…治る。そうにきまっとるやろ。わしの孫娘やで?」

 祖父の言葉に、ほんの少しだけ心を落ち着かせる。
 だが、その不安が消え去るわけではない。
 同時に、なぜ自分がこうも不安な思いをしなければいけないのだと…
 そして、妹ナツミが苦しい思いをしなければいけないのだと…

「わしな…シンジのこと、許したつもりやった」

「つもり?」

 その原因の一端を担う友人。
 痛みを堪えながらも、自分ともう一人の友人を助けた。
 そして、一度はここを去ろうとしていた。
 それが分かるだけに、責めたくない。
 男として、それはできない。
 そう思いながらも、矛盾は大きくなる。

「多分、許せてへん… 心の中で燻ってたんや」

「…そか」

 兄として、妹を苦しめている友人は許せない。
 ナツミが笑顔で居たならば、自分自身でも気づかぬほど小さな澱み。
 次第に力が込められていく拳は、硬くなったはずの皮膚を容易に裂き、所々にヒビが入る。

「せやさかい、ナツミのあないなカッコ見たら…ワシ、またシンジをドツキまわしとぉてしゃぁないねん…」

「シンジ君のせいやないやろ?」

「分かってんねん…せやけど…」

 男として…そういう教えをトウジに施してきた老人。
 その人物が、諭そうと話す言葉の意味も、トウジはよく理解できる。
 だが、感情がついてこない。
 自分の宝物が傷ついて、そして泣く姿を見せられて…
 理屈では分かっていても。
 それだけに、手を強く握り締め耐える。

「お前もしとうないんやな。」

 ゆっくりと優しくトウジの頭に老人が手を置き、撫でる。
 置かれた手の重さに流されるように、次第にその頭を垂れ、顔は俯いてしまう。

「誰に向かってワシ…」

「知りたければ、頭を鍛えるんやな。 見えないものも、見れるように」






しふぉんさんから『コトノハノカミ』の第五話をいただきました。

人物が動いてますね‥‥エヴァな世界になっていますでしょうか。勿論LASにもなっていますけど(笑

それにしてもトウジの妹、大丈夫でしょうか。なんとも気にかかる引きでした。

しふぉんさんのお話の感想をぜひお願いします。