異様な緊張感と喧騒の相容れぬものが支配する空間。
 緊張感は、そこにいる者たちの声を大きくし、そしてそれに応える者もまた大きくなる。
 その中で、ただ一部だけが静かに報告を続ける。

「関空側、受け入れ準備終了したそうです、民間航空便の振り分けも完了したようですね」

 青葉の報告にリツコは、ようやくかと溜息を漏らす。

「空自の西・中部方面戦略輸送団は、離陸可能な全機をなんですが…まだ、足りませんね。」

「北部の連中はどうしたの?」

 間髪入れずにされる日向の俯き加減の報告に、リツコの眉が吊り上る。
 青葉とマヤは直後に身を硬くして、その後に備えるのだが…報告書に目を奪われてる日向はそれに気付きもせずにそのまま続けてしまう。

「それが…連中…「政府に打診しなさい!時間がないのよ!」

そのいつにない口調に日向も身を硬くすると、即座に振り返り行動に移る。

「太平洋艦隊のが届いたそうです!」

「これで、幾つ揃ったの?」

 一階層下からの報告さえ、通信機など使わず声に切り替わっている。
 それに答えるように、青葉も身を乗り出し手を振りそれに答える。

「これで計算では半数にはなる筈ですが… あと、8時間ほどで大西洋艦隊のも届く予定です…」

 乗り出した身を戻し、席に座るとともに手元の資料から推測した報告を続ける。
 既に、自分たちが原始的な方法で対話を行っていることに気付きもしない。
 それほどまでに、彼らの集中力は高いといえる。

「中継施設の準備も必要ね。南部沖縄基地に準備させるように伝えなさい」

「はいっ!」

「ロシア方面国連軍が、少し遅れそうですね。 予定より2時間ほど遅れる模様です。」

 青葉の報告をリツコが受けながら、その準備の指示を出し、それにマヤと日向が実行する。
 一連のルーチンワークの様にその準備は着々と進んでいく。

「だから言ってるだろ! 君じゃ話にならないっ! 北部方面司令官をすぐに出せっ! 今すぐだっ!」

 日向の怒声さえも既に、周りの喧騒から比べれば些細なものにしか聞こえない。
 ただ一部の人間たちはその会話に呆れ、顔を顰め、それを侮蔑する。

「時間はあと10時間もないのにね。 人の覇権争いはこんな時でも…」

「醜いですね…」

「でも、それも人よ」

 嫌そうな顔を隠しもしないマヤと、それを当然と受け入れながらも不満を隠せないリツコ。
 その二人を交互に見つめながら、集まる情報を青葉は整理し続ける。

「日向君、ついでにその司令官に、中継準備もさせるように伝えて頂戴」

「了解しました!」

 振り返りもせずに答える日向。
 そして、リツコもまた人のいない高台を眺めるだけ。

「今はまだ…を失うわけにはいかないのよ…」

 ポツリと呟くその声も、喧騒の中では誰の耳にも届くことはない。















コトノハノカミ〜ユメノツヅキ

書イタ人:しふぉん















 目が覚めた。
〜いつまで続くんだろう… この夢は… って、あれ?〜
 視点が異なっていた。
 まるで、誰かに乗り移っているかのようだ。
 ゆっくりと、薄暗い通路をその人物は歩いている。
 やがて、ある扉の前に立つと、よどみない様子でIDカードをスリットに通す。
 開かれた扉から、こぼれだした眩しい光にめを細める。
 部屋を見ると人影はない。
 やがて、部屋の隅においてあるデスクに向かい進むとそこに腰掛け、嗚咽を漏らし始めた。
 次第に、その嗚咽は大きくなっていく。
 何を思い描いたのかは分からないが、突然、机に伏せて大きな声で泣き始めた。
 ひとしきり泣いたのであろうか、数十分の時間が過ぎたころ、独り言を呟き始めた。

「起こってしまった以上、歴史は変えられないわ…」

〜母さんの声… じゃぁこれは母さんの記憶?〜
 顔をあげた、ユイは手元にあるノート型端末を開き、とあるファイルを呼び出した。
 “SecondImpact…”
 タイトルだけが僅かに読めた、他は良く分からない言葉で書かれている。
 見た感じでは、ドイツ語っぽく見える。
 なんとなくでしかない、アスカの両親から送られてきた手紙を見せてもらった時に、こんな感じであったような気がする。
 なにかに、八つ当たりしているかのような、そんな勢いでタイプしはじめる。

「起こることがわかっていて、防ごうとしていなかった。 それを、あの老人達は…起こしてしまった…」

 呟きが零れる、涙が止め処なく溢れている。

「なら、思うようにはさせない…。 この子の為にも…」

 何かを決意したのだろう。

 先程までのファイルを閉じ、メーラーを起動させている。
 宛先は… “Soryu=Kyoko=Zeppelin”…

〜これって、まさか…アスカのお母さん?〜

 タイプされる、ドイツ語と思われる文字列。
 それを、暗記しようと、必死で目を凝らそうとするが…
 霞がかる意識とともに、再び視界は暗転しはじめる。




















 子供達と一緒に包まる毛布は凄く暖かくて、気持ち良い。
 既に、時刻は深夜になっているのも手伝って、一時は眠気に流されそうになったけど…
 静けさにアタシの思考は自然にある一点に向かっていって、それと共に睡魔もアタシの横を通り過ぎていった。
 あと半日以内に、シンジを助けないと…
 アイツも馬鹿じゃない。
 沈んでいく中、あれだけ冷静だったんだから、その後の対処は間違えてないはず。
 気持ちは焦るけど…今のアタシは何もできない。
 子供たちの世話をしているからなんて、言い訳かもしれないけど。
 ファーストの殺気に当てられて…死ぬなんて、脅されて。
 そんな思いをさせたちゃったしね。
 やっぱり言い訳よね、これも。
 その証拠に一度、保安部の女性職員が迎えにきたけど、この子達が寝てることを理由に休憩室の外で待機してもらってる。
 一緒に居ると…アタシ自身が、恐怖に震えずにいるから。
 なんでか解らないけど、アタシはマイナス思考に捉われずにすむ。
 不思議よね。
 アタシの腕の中に居る、小さな子達が何をしてくれてるんだろうって。
 閉じていた目を薄っすらと開けて見てみれば、女の子…カリンちゃんって言ったっけ?…は、アタシの胸にしがみついてスヤスヤと寝てる。
 ヒロカ君は、アタシの肩…っていうより、やっぱり胸よね…に寄りかかって寝てる。
 シンジが命がけで助けた子供達が、アタシを助けてくれてる。
 どこに行っても、アイツはアタシを…
 全く、お節介もいいとこよっ!
 馬鹿の癖に…
 シンジは今も影の中でもがいてるのかもしれない。
 助ける方法はわからない。
 今のアタシにはあれが使徒であること以外、全く解らないから。
 解ることと言えば…取り込まれたんじゃないって事くらい。
 飲み込まれた建造物と初号機。
 それをあの上空に浮かぶ球体の体積から考えても、サイズが異なる。
 だから、それ以外の何かだってわかるけど…それ以上は解らない。
 リツコが今頃…いや、もう既に、解析も終わって、対策も出来てるのかもしれない。
 急激に情報が欲しくなってきて、待機してもらってる職員を呼ぼうと閉じた目を開ければ…ミサトが居た。

「なっ!「しーっ。おはよ、アスカ」

 ビックリして声を上げようとしたアタシを、人差し指を口に当てて静かに遮る。

「アスカも成長してるのねぇ…」

 優しく微笑んでて…怪しいわね。
 ミサトはこういう時は、ニタぁって厭らしい顔でいなきゃいけないのに。

「シンちゃんのおかげかな?」

 直後にニヤリと顔を変化させて…やっぱりミサトだ。
 安心した…って、違うっ!

「シンジのおかげってなによ…」

 ムッとした険悪な視線と、雰囲気を一応は出すけど…
 この女には、そんなものは効かない。

「だってさぁ、アスカがそんなに可愛いお姉さんしてるって、前じゃ想像できないわよ? やっぱり、シンちゃんが変えてくれたのよねぇ」

 シンジのおかげって、うぅ…
 アタシの顔に血が集中してくるのが良くわかる。
 多分、真っ赤になってるはず。
 言い返したいけど…言い返せない。
 どうしてかと言うと…
 先日のシンジのママの命日から、ずっと…アタシはシンジにベッタリとくっついてる。
 シンジが視界の中に居ないと…極端に不安になってくる。
 理由は…わからない。
 不安なまま布団の中にもぐったりすると、あの夢と…
 そして、よくは憶えてないだけど、とにかく怖い夢を見る。
 だから、アタシはシンジの傍にずっといる。
 まぁ、それもあって…今や、職員でアタシ達の関係を知らないものはいない。
 そういえば、発令所のメンバーにばれた時、
『情けないぞシンジ君! 告白は男の方からするもんだよ! 女の子からなんて…』
 って、ロンゲとメガネに叱られてたわね。
 『羨ましい』って溢してたのは、アタシとシンジの秘密にしておいてあげてる。

「まぁ、こういう私もさぁ、ココに来たときはビックリしたわよぉ、あのアスカがねぇ…ってさ」

 ミサトの言い分はこうだ。
 対策会議を終え、アタシに詳細を知らせようと探してみれば、引き取りに向かわせた筈の保安部員が外で待機してた。
 何事かとアタシに注意しようとしたら、アタシが子供達を抱きかかえて寝てるように見えたのだ。

「あんな怖い思いしたら…トラウマになっちゃうわよ、死ぬのよなんて、あんな言い方されて…」

 それが何を意味して語ったか、ミサトは瞬時に気付いてくれた。
 アタシの心の中に爆弾として残っているモノと…
 この子達とアタシの過去との類似点を、

「大丈夫よ、アスカがついててあげたでしょ? この子達は、大丈夫」

「うん…」

 そのまま、優しくカリンの髪を撫で、ね?っとばかりに、笑顔で…
 ちょっと似合ってないって思うのは、アタシだけじゃないはず。
 でも、ミサトも…

「最初は私も、日本沈没か地球崩壊が起こるのかと思ったわよぉ」

 前言撤回。
 やはり、ミサトはミサトである。

「この子達の可愛さが解らないからアンタは嫁き遅れなのよ」

 アタシの切り返しに、頬を引き攣らせて我慢してる。
 ふっ、アタシに口で勝とうなんて百年早いわね。

「と、とりあえず、状況の報告をするから、静かに聴いてね。」

 途端に真面目な表情で、アタシの目を見るミサト。
 つられる様にアタシの表情も、引き締まったものに変化する。
 変化を確認するかのように頷くと、ゆっくりと状況を話しはじめた。



「ちょっと、ディラックの海って、前世紀末に存在を否定されたんじゃ…」

 アタシだって、ドイツの最高学府を既に出ている。
 さらにはNervの英才教育が受けた。
 知識量から言えば、ミサトに匹敵するか上回っているって自信はある。

「立証が出来ないから否定されたんでしょうね。今はATフィールドなんて、理解不能のものがあるんだから。」

「確かにね、転相位空間自体がまだ理論の構築もなしに存在しているんだしね…、っで?」

 途端にミサトに苦渋の面が浮かぶ。
 きっと…今の科学力じゃ、助けられないってことよね。
 エヴァ自体、100%理解して使ってるわけじゃないし。

「そんなことだろうと思ったわ、助けられないって事…「違うの…」

 違う?とすれば、それほどまでに言いにくいこと?
 例えるならば、生死の保証がない方法。
 まさか? シンジを殺してしまう可能性があるってこと?
 そう、思いついた瞬間だった。

「方法は…」

 ミサトの口から綴られた言葉は、アタシの想像を超えていた。
 天才というなら赤木リツコ博士が世界の現存する誰よりも上だと言われてるし、アタシもそう思う。
 電子工学が専門のであるにもかかわらず、生体工学から、ありとあらゆる学問の深い部分まで。
 そのリツコが提案した方法。
 他に方法はないって、シンジがほぼ間違いなく…死んでしまうと思われる方法しかないって…

「もちろん、私は反対したわ… でも、計画を強行したのは… 司令なの……。私だと私情が入るからって、指揮権まで取り上げられちゃったわ」

 父親が? 子供の死を許可してる? 司令って、血が繋がってないの?
 確かに司令は…アタシから見ても、変だ。
 シンジから聞かされた話で、アタシの父親よりも酷い人だってことは解ってたけど。
 命さえも?
 形だけでも…父親であるあの男はアタシを大事にしてくれた。
 違う、決定的に何かが…
 このままじゃ…シンジが死んじゃう…

「ゴメ…」

「謝らないでっ! 謝ったら…たとえミサトでも許さない。
 アイツは、帰ってくるって…約束してくれた。
 だから…謝ったら…謝ったら…シンジが帰ってこないって…認めることになっちゃう」

 アタシだけは…アイツが帰ってくるって、絶対に信じる。
 絶対に、そんな計画はさせない。
 だから、泣いたら駄目…
 そう思ってても…アタシの視界は歪んでいく。
 堪えていたのに、我慢という名の堤防から溢れ出した不安が、一気に噴出してくる。
 頬が濡れる感触も認めたくない。
 アタシは…泣いてなんかいない。
 だけどアタシの意思を無視して、それは溢れてくる。
 目を閉じて、俯いて、アタシは必死にそれを堪えようとする。
 だって、信じてるんだから、泣いたら駄目。

「約束したのよ… 証拠もあるのよ… だから、絶対に帰ってくる。」

 頬に何かが触れてきた感触と共に、濡れた頬が拭き取られる。
 気付けば、アタシの胸で寝ていたはずの女の子の小さな手が、アタシの頬を撫でている。

「おねぇちゃん、ないてるの?」

 小さな手で、アタシの頬に流れる涙を必死に拭ってくれる。
 それが、心にジンと染みてきて…
 アタシは二人を抱きかかえて、声を上げて泣いてた。



















 ゆっくりと、覚醒がはじまる。
〜あれ? 今までと、少し違うな…〜
 繰り返し見続けているからであろうか、シンジの心の中に慣れが顔を出した。
 最初は、小さな光が二つ。
 一つはオレンジ色の優しい灯り、
 一つは白色の目に厳しい明り、
 次第にそれは、大きくなっていく。
 灯りは左目の視界を埋め尽くし、明りは右目の視界を埋め尽くした。
 ぼやけた風景で両目に異なる様子を映し出す。
 次第に、明瞭になっていく視界。

「第二次接続完了。まもなく絶対境界線に到達します。」

 女性の声が、左からは機械的変換されて、右からは肉声で聞こえる。

「ユイ… 大丈夫か?」

〜父さん?〜

 両目それぞれの視界が明確に映し出される。
 左目は機材に囲まれた、エントリープラグと思われる。
 右目はどうやら、実験室のようだ。

 左目の視界の端にあるモニターには、ゲンドウと幼い頃のシンジの姿が見える。
 シンジの後ろには白衣を纏った冬月の姿も見える。

 右目に写るのは視界一杯の大きなモニター
 そこには、ユイの姿が大きく映し出されていた。

「ええ、今のところですけど。きっと大丈夫ですよ」

 右目の中の笑顔で答えるユイが見える。

「おかあさんっ がんばってねっ!」

「ありがと、シンジ。 お母さん、頑張っちゃうからちゃんと見ててね」

 左目には、真剣な表情でじっと見つめる幼いシンジの姿。
 右目には、優しい母の笑顔。

〜母さん!? なんで、プラグなんかの中に!?〜

「絶対境界線突破。 接触開始しました。」

 その瞬間を全ての大人達は恐れていた。
 だが、何事も起こらなかった。
 ほっと安心しようとした時だった。

「接触領域拡大していきます!」

 オペレータと思しき女性の叫びが、響き渡る。

「接続解除っ! いそげ!」

 ゲンドウが厳しい声で回りに指示を出す。

「おかあさん?」

 幼いシンジが、その様子に不安を感じて、母を見つめる。

「強制解除だっ!」

「信号受理されません!」

「おかあさん! どうしたの? へんだよ!」

 右目に写るユイの姿が、ごく僅かだがかすんで見える。
 左目の視界もごく僅かだが、霞んでいる。

〜何が起こってるって言うんだよ! 父さんっ!〜

 左目に写るゲンドウの姿は、驚愕に震えている。
 同じく写るシンジも、得体の知れない恐怖に怯えながら、目に涙を浮かべながら必死にこっちを見ている。
 冬月がシンジの後ろに立ち、肩に手を添えて、大丈夫だよと何度も繰り返している。
 ユイも苦しいさを隠しながら、必死に笑顔をシンジに向けようとしてる。
 次第に、それは厳しくなり、笑顔に歪みが隠せなくなる。

「あなた、ごめんなさい… シンジ、大丈夫よ…しん…」

 言葉が途切れ、ユイの姿がそのまま霞んで消えた。
 右目の視界が、直後に消えた。
 僅かに、ゲンドウの絶叫が聞こえる。
 左目の視界も同時に、だが、緩やかに暗転していく。

(心配しないで、お母さんちゃんと、帰るから…)

 左の視界が消え去る直前に、左の耳にしっかりと聞こえた。
 ユイの言いかけてた言葉が。

 意識は再び闇に沈んだ。



















「ありがと、もう大丈夫よ。」

 頬を撫でる小さな手がずっと、アタシの涙を拭ってくれてた。
 掌とハンカチでずっと…
 まるでアタシを慰めるようにニッコリ笑いながら。
 さっきまで泣きじゃくっていたのはこの子の方なのにね。
 心配してくれたんだってわかる。
 この子達にとって、アタシは味方。
 そのアタシが泣いてたら、不安になっちゃうわよね。
 だから…アタシを慰めてくれてたのよね。
 その証拠に、アタシが微笑むと満面の笑顔で、応えてくれる。
 純真さが可愛い。
 アタシにも…こんな時代があったのかもね。
 うぅうん、多分、あった。
 ママに「なかないで、いいこいいこ」って頭を撫でた記憶がある。
 アタシがされて嬉しかったからって、ママにもしてたんだ…
 馬っ鹿みたい…
 でも、子供はそれが嬉しいのよね。
 ゆっくりと手を伸ばしてカリンの頭を撫でてあげると、嬉しさを隠そうともしないで、笑顔をさらに輝かせる。
 ホントに可愛いわ…
 アタシも釣られて笑顔が浮かんじゃうもの。

「だめっ! おねぇちゃんっ!」

 叫びと共に、寝てたはずの男の子・ヒロカが目を覚ますと、ビックリしてるアタシに思いっきり抱きついてきた。
 次の瞬間には、耳元で大声で泣き始めるし、また耳が…

「びっくりさせないでよ、なんなのよいったい?」

 なんて言っても、答えられるはずがない。
 流石に、一日でこれだけ泣きつかれれば、解りたくなくても解る。
 背中をあやす様に叩いて、早く泣き止ませようとするけど、ちょっと無理っぽいわね…

「ひろちゃんね、きっとね、こわいゆめみちゃったんだよ」

 アタシにしがみつく手の片方を離して、ヒロカの頭を撫で始める。
 それと共に、声は小さくなるけど…相変わらず、喉を詰まらせて泣き止まない。

「オバケでも出てきたっての?」

「うん、きっとそーだよ。 ひろちゃんオバケだいっきらいだもん」

 オバケを信じてるなんて、子供って面白いわね。
 笑いが我慢できずに、クスクスと口から毀れる。
 カリンも同じように忍び笑い。
 この子はオバケが怖くないようね。

「たっだいまぁ〜 って、あらあら、ヒロカ君いじめたの? アスカ?」

「ちっ、ちがうわよっ」

 いつの間に居なくなってたのか、ミサトがビニール袋と何枚かの書類を抱えて戻ってきた。
 ビニール袋の中は幼児用下着らしき包み。
 今更に思い出したけど…この子もらしちゃってたんだっけ…

「カリンちゃん、着替え買ってきてあげたから、着替えちゃいなさい。 ね?」

「ありがとう、おねぇちゃん!」

 保安部員も優しい笑顔で後ろに控えていて、カリンを手招きしている。
 その声と手に怖がる様子もなしに、アタシの膝から飛び降りて駆け出していく。
 この子達は…もう大丈夫よね。
 アタシの中で、何かがふっと軽くなる。
 重荷が消えるって感じがなんとなく寂しい…

「おねぇちゃん? 30で? もうおねぇちゃんって歳じゃないのよ、カリン」

「まだ、29なんだけどねぇ… アスカぁ?」

 ジト目でアタシを睨む。背後に黒い影を背負ってるように見えるのは幻じゃないわね。
 流石にこれは、ミサトの急所よね…

「おねぇちゃんをいじめちゃダメ。またないちゃうよ?」

 ミサトが足元で、カリンがめっと言わんばかりに見上げている。
 流石に、ミサトも苦笑いを浮かべながら頭をなで、いじめたりしないと約束する。
 アタシだって、子供にあんなこと言われたら、怒るに怒れないわよね…
 約束に満足すると軽い足取りで保安部員に連れられて行く。
 ミサトと目を合わせると、何ともいえない可笑しさに、吹き出しそうになっちゃっう。
 子供達に振り回されてるって感じが、いつものアタシ達とは違う感じ。

「その書類は? ミサト」

「二人の身上書よ。身元確認のね。 名前は仙石ヒロカ君5歳と、谷初カリンちゃん4歳でいいのかな?」

 泣きやみ始めた、ヒロカがこくんと頷く。
 まだその顔はクシャクシャに歪んでいるけど、必死に涙を止めようとしてて…男の子なんだなって、いまさらに思っちゃう。
 それを見て、ミサトは苦笑いを浮かべながらも、また頭を撫でる。

「怖い夢見ちゃったんだよね? でも、大丈夫よ。」

 耳元でアスカが優しく呟くと、コクリと頷いて吃驚(しゃっくり)しながら、話しはじめた。

「あのね… おねぇちゃんもね…あのね…まっかなロボットでね…くろいののなかにね…とびこんじゃうね…ゆめを…みたの。」

 それを聞いたミサトが、まさかって目でアタシを見つめる。
 思いつかなかったわよ…そんなこと。
 ビックリするこというわね、まったく。
 まだ、アタシを疑ってるのか、怪訝な目でこっちを見てる。
 それも、二人そろって…
 驚きに声が出なくって、首を振って否定すると、二人そろってホッとした顔に変わった。

「大丈夫よ。アタシはそんなことしないから、ね?」

 涙目に上目遣いでホントに? と、再確認してくる。
 笑顔のまま頷くと、安心して首に回した手を外して隣に座りなおす。

「っで? この子達の親は?」

「B-16のシェルターに、二人の母親がいるのは確認してるわ。 外の状況があんなだから、迎えにはこれないけどね。」

 ふと、ヒロカを二人揃って見るけど、親がいないからって不安に思っているわけじゃなさそう。
 ホームシックにかかる暇もなかったって言えばそれまでだけど。
 そんな中でアタシには…一つの考えが浮かんでた。
 それを、今ミサトに悟られるわけにはいかない。
 考えが顔に出てしまったら、鋭いミサトのこと…絶対に気づくわね。
 紅茶を取りにいく振りをして、アタシはその場を逃げる。
 後ろで、ミサトがヒロカに両親の名前や住所を確認してる。
 アタシは紅茶に続いて、ベンダーのココアのボタンを押す。
 コッチは…見てない。
 アタシの中で、さっきのヒロカの言葉が繰り返してる。
 『…黒い地面の中にね…飛び込んじゃうね…』
 その言葉どおり、もし自分が飛び込めば…
 シンジが飛び込んで以来、使徒はその活動を停止してる。
 きっと、質量かエネルギーか…いずれかの原因を内包してしまったから、動けなくなった。
 そう推理できる。
 きっと、その引鉄が初号機だったのよね。
 聞いた話では半径340m… ジャンプして飛び込めば、中心付近に入れる。
 飛び込めば、生還の余地はないって事なのに…それをしなきゃいけない気がする。
 根拠がない訳じゃない。
 初号機と合流して、次に来るN2の衝撃を弐号機のATフィールドで防げば生還率は格段に上がるはず…
 もし失敗しても…シンジと一緒だし…
 それが決めてだったのかも知れない。
 あれだけ、死にたくないって思ってたのに…それを受け入れられるようになるなんて。
 ベンダーから電子音が三度ほど響くと、そこにココアが満たされたカップが現れる。
 そのカップを手に取り、その心の内に…誓いを封じ込める。
 今はまだ気づかれるわけにはいかないから。
 ヒロカにココアを手渡して、その隣にもう一度座りなおす。

「私の分は?」

「自分でとってらっしゃいよ。」

 普段のアタシが演じれてるかどうか少し不安だけど…
 不満そうな顔のミサトを見る限り、上手く出来てると思う。

「おねぇちゃん!ただいまっ!」

 新しい洋服に着替えたカリンが、はしゃぎながらアタシの足に飛びついてくる。
 この子達のおかげで…アタシは取り乱さずに済んだわけよね。
 そして、あの結論に辿りつけたわけだし…

「ありがとね、カリン・ヒロカ」

 感謝される理由が分からなくて、キョトンとした顔でアタシを見つめる。
 思わず、口から飛び出しちゃったのは…ちょっと拙かったわね。

「何でもないのよ、気にしない!」

 その言葉に、不思議そうな顔をしながら頷く。
 丁度タイミングよく、ミサトが両手にカップを抱えて戻ってくる。
 多分、片方はカリン用のココアでしょうね。
 やっぱり子供にはココアっていうのはお約束なのかな…

「分かってるだろうけど、今は外に敵がいるから、ママたちはまだお迎えにはこれないの。 暫く、ここでおねぇさんと一緒にまってようね。」

 二人に接するミサトの態度が、幼稚園の保母さんか小学校の先生みたいで、ちょっと可笑しい。
 よく考えれば…さっきケージで見たときの雰囲気は微塵もない。
 ミサトもこの子達に、癒されちゃったのかもね。
 優しい声で、二人に幾つも質問を繰り返す。
 二人とも、ケージでミサトに呼ばれて泣き喚いていたのを忘れたかのように元気よく返事してる。
 忘れたんじゃなくて…憶えてないのかもね。
 ノイズが天井のスピーカーから突然聞こえると共に、マヤの声が響いてくる。
 出番ね…そう思うと、表情が引き締まる。
 しまった!
 って、思ったんだけど…

「倒しに行くんだよね? がんばってね、おねぇちゃん!」

「あのお兄ちゃんも助けて、僕のせいで落ちちゃったんだもん! おねがい!」

 ニッコリと笑って、二人に頷く。
 ミサトにも、気づかれてはいないみたいね。

「プラグスーツ、着替えてから行きなさい。感染症になるわよ?」

 ん〜確かに…カリンはお漏らしして…アタシに抱きついてたわけだし…
 アタシは、発令所へと向けた足を更衣室に変更した。



















 再び、覚醒の感覚を感じたシンジは、ゆっくりと目を開けた。
 今度は、夢ではなく現実の覚醒。
〜寒いな・・・、プラグスーツの保温機能が落ちてるんだ…〜
 しっかりと覚醒すると、非常灯の薄明かりに照らされたプラグ内の様子が見えてくる。
 さっき夢の中で見たプラグとは、インテリアがまるっきり違う。
 ユイが入っていたのは、機材に囲まれ窮屈なイメージしかない。
 ふと、電源残量を確認してみると、既に12時間近く経過している。
 出撃したのが前日の夕方である。
 すでに、日は昇っているのだろう。
 あと数時間もすれば、外の気温は急激に上昇し暑い一日が始まる。
 そして、照り返す日差しに文句を言うアスカを思い浮かべた。
〜今頃、心配してるだろうな… さて、って言っても、どうしようもないし…〜
 考え始めると、再び眠気が襲って来た。
〜あれ…、これも夢だったのかな…〜
 シンジは再び、眠りの海に沈みこんでいった。



















 使徒を中心とした、地図を表示しながら、配置などを機械的に伝えるリツコ。
 レイとアスカは、ただ黙って聞いていた。
 全てを説明し終え、いざアスカが質問しようとした時。

 「以上です。二人は直ちに搭乗。一時間以内に所定の位置に向かいなさい。以後、指示あるまで現地で待機。ただちにかかりなさい。」

 質問を許さず、ただ一方的に命令のみを伝えた。
 これに、反発したのはアスカではなく、レイだった。
 レイにはその危険性が理解できていた。
 そして、その矛盾も。

「赤木博士、碇君の生命に問題はないのですか?」

〜ミサトの言うとおりね…〜
 質問するレイの口調は、普段聞きなれている抑揚のないソレではない。
 感情を顕にして、話しているのだ。

「質問・拒否は認めません。 命令よ、早く行動なさい!」

 レイは、その視線に殺意が在るかの如くリツコを一瞥し、了解と告げ、その場を後にする。
 アスカは何も言わず、その場を去る。
 ただ、ポツリと

「そっちが、その心算なら、アタシにも考えがあるわ…」

 誰にも聞き取れぬ呟きを残しながら。



















 作戦開始を前に、ミサトは、二人にその様子を見せようと端末を用意して、外部の映像を呼び出した。
 先程まで、外で待機していた保安部員も、二人の隣に腰掛け、様子をみている。
 二人には、アスカは命の恩人である。
 その人が、命懸けで戦うのだ。
 ここに来るまでは、命懸けというのが理解できてなかった。
 正義は絶対に勝つのだ。
 そう信じて、疑ってなかった。
 実際は、自分達を助けた男の人・シンジがその命の危険に晒されているのだと…

「ごめんなさい、かみさま。おねがいだからおにいちゃんをかえしてください…」

 両手を合わせ、跪いて祈りをささげる。
 だが、その祈る神の使いこそ怪物であることに、気づくわけもない。

「おねぇちゃんたちがぶじにかえってきますように… おねがいします」

 自分達の行いを後悔しながら、アスカの無事とシンジの生還をただ祈っていた。



















 ケージに向かう通路をこの二人が並んで歩くのは珍しい。
 普段なら、互いに距離を置いて歩くのだ。

「…弐号機パイロット」

「なによ?優等生?」

 互いに目を合わせようともせず、小さな声で話し始める。
 言葉だけ見れば、険悪な空気を感じなくもないが、そこにあるのは別の空気だった。

「…赤木博士の理論。間違ってるわ」

 その言葉に、思わずアスカは立ち止まる。

「…聞いて、N2のエネルギーでは、使徒は滅ぼせないわ」

「やっぱりね。」

「…そして、ディラックの海を破壊することも出来ないわ」

 それが意味することを、瞬間的に理解する。
 シンジはその程度では救出どころか…犬死であると。

「どういうこと? ファースト」

「…説明すると長くなるけど、聞く?」

 アスカはその問いに迷いもせず、頷く。

「…説明するわ。
 まず超ヒモ理論における、高次元の存在は知ってるわね?」

「えぇ、三次元空間における10次元の残りの7次元は、エネルギーが極端に低いために線として、今この場にも存在するってことよね」

「…そう。その残りの7次元は折り畳まれた世界・線として、この場にも存在してる。
 だから、赤木博士はその7次元にエネルギーを与えて、折り畳まれた世界を3次元中に存在させようとしてる」

 一瞬の間が二人の間に流れる。
 アスカがその情報を咀嚼して、理解しようとする間。
 それをレイは静かに待つ。
 そして、その情報がひとつの結論を導き出す。

「そんなこと無理じゃないっ!N2のエネルギーは3次元エネルギーよ!?
 高次元から見たらあたし達の世界は絵に描かれてるようなもんよ!
 絵に描いたビルが爆発しても、倒壊するわけじゃないわよっ!」

「…そういうことよ。だから、もしもがあっても…「見る」ことが出来るだけ。サルベージなんか不能よ」

 リツコの推論を遥かに上回る推論。
 前世紀に、その立証が不可能として破棄された理論をしっかりとレイは理解していた。
 そして、発展させた。

「ディラックの海だって、高次元空間から見たら折り畳まれた世界なんでしょ? だから、失敗するって訳ね。」

 レイの説明に、アスカも理解する。
 元々、多少なりとも知識は所有していたのだが、それを発展させる知識を持ち合わせていなかっただけである。

「…貴女、飛び込むつもりね」

 レイが視線をずらし、ポツリと呟く。
 アスカは自分の行動を先読みされ、僅かに驚くが…
 一つの答えに辿り着く。
 アスカが飛び込まないのなら…レイが飛び込むつもりなのだ。

「アンタにしては、冴えてるじゃない?」

「…そうね。貴女が飛び込むというなら…貴女に任せるわ」

 任せる…その言葉に含まれる意味に、アスカはピクリと眉を動かす。

「ファースト…アンタ…方法がわかるっていうの?」

「…これは、私の仮定よ。」

 それが意味するところは、事実ではなかった場合…シンジと同じ運命になってしまうと言うこと。
 レイはその視線に、アスカへの確認を載せる。
 『覚悟はあるのか?』と…
 アスカはこれにも躊躇無く頷き、その意思を明確にする。
 それを見届けたレイが、再び説明を始める。

「赤木博士の言うとおり、あれが虚数空間の影なら…その影はあんなに小さなサイズではないわ、もっと無限大の大きさを持つはず。
 この宇宙と同等の大きさになるはずよ。
 だから、こう考えられるの。
 あの上空の物体は、虚数空間の向こう側の高次元空間側のゲートの影ではないかって。」

「どういうこと?」

「…あの使徒の虚数空間に厚みがあると赤木博士は言っていたけど、それはありえないわ。
 無限小の薄さになってしまうから、厚さは見えないはずよ。
 数学上で言う平面ね。
 そこで、あの厚みはATフィールド又は、三次元空間に存在しようとするエネルギーの厚みと仮定すると、目に見える影は高次元空間へのゲートと考えられるわ。
 平面として存在してるなら…例えディラックの海を抜けるだけだとしても…」

「負エネルギー電子で…陽電子で満たされた世界を抜けることになっても、問題はないってことね。」

 そのアスカの言葉に頷く。
 レイにとってもアスカの理解力の高さは非常に助かるのだ。
 僅かに知識のある人物程度に説明するのとはレベルが異なる。
 そして、さらに話を進めていく。

「もし、これが正しければ…向こう側にもゲートがあると仮定できるわ。
 証拠に、引き上げたアンビリカブルケーブルは、途中までは存在したから。
 もし、ディラックの海そのものなら、ケーブルは影と接触した部分で消えてなくなってるはず。
 多分、向こう側のゲートから侵入しようとしても…強力なATフィールドを使って、出口を塞いでるだけ。」

「飛び込んで、シンジを捕まえた後、そのATフィールドを中和して、こっちに帰って来いってことね。」

「…もしくは、内向きのATフィールドを無理やり破壊できれば、
 3次元物体である初号機と弐号機は、高次元には出れずに、三次元に強制的に戻されるわ。
 …出来る?弐号機パイロット?」

 その問いに胸を張り、自信満々ないつものアスカが居た。

「アタシを誰だと思ってるの…天下に名立たる、超絶無敵天才美少女・惣流=アスカ=ラングレー様よっ!」

 その姿に、レイの中に安心感が生まれる。
 それと共に、小さな痛みも…

「…頼んだわ。
 N2は…飛び込んだ時点で爆撃中止になるはずだから。
 私も、こちら側から虚数回路に干渉を試みるけど、期待しないで」

「アンタの出番は無いわよ… それにしても、アンタも凄いわね、リツコ以上じゃない。」

「…赤木博士も専門外には弱いというだけ」

 レイは言葉と共に踵を返して、再びケージへと足を向ける。
 その瞬間に毀れだした言葉をアスカはしっかりと聞き、そして頷く。

「…碇君を…お願い…」



















〜あぁ、夢の中か…〜
 目を覚ました、シンジは3歳の体。
 椅子に腰掛け、テーブルの上のケーキを無我夢中で食べている。
 それを、見つめるユイが、反対側に腰掛けている。

〜あれ? これ、家のテーブル?って、ミサトさんの家じゃないかっ!?〜

 「そっかぁ、シンジはアスカちゃんが、大好きなんだ。」

 「うん! すっごいイヂっぱりでね! すっごいわがままでね! すっごいらんぼうなんだけど… だけどね、すっごくやさしいの… それでね、すぐにないちゃうの…」

 問いに答えるために、幼いシンジの手が止まると、口の中にあったケーキの欠片を飛ばしながら元気に答える。
 が、その声と表情も言葉とともに次第に小さく暗く変化し、俯いていく。

 「あら、シンジ? 女の子を泣かせちゃダメでしょ。」

 「ごめんなさい… さっきも…ぼくがね…しっぱいしたから、ないちゃってたの。」

 僅かに眉をひそめながらシンジに言い聞かせる。
 その姿を視界の端に捉えながらこれから叱られる事に怯えている幼いシンジは、その小さな手で力いっぱい握り締めてケーキを食べる為のフォークをその役割から放棄させる。
 これから起こるであろうことに備えるのだ。
〜これは、過去の出来事なのか?〜

 「そうなのね。 じゃぁ、次からは気をつけるのよ? わかった?シンジ?」


 「うんっ!」

 だが、その備えとは裏腹に暖かい手が頭の上に乗ると、俯いてた顔が急速に驚きに支配されて持ち上がる。
 そして、ユイの言葉に力いっぱい答えるとともに、その顔にはいっぱいの笑顔が浮かぶのだ。

 「アスカちゃんって、そんなに可愛いの?」

 「うんっ! すっごく!すっご〜く! かわいいよ! だって、ぼくのコイビトだもんっ! まっかなかみのけとね!あおいめが・・・・」

 ユイの問いに答える幼いシンジは、胸を反らし我がことのように自慢気に話し出す。
〜アスカに昔あったことあるの? いやっ、そんなはずない!〜

 「あらあら、ちょっと嫉妬しちゃうわね… まぁ、キョウコの娘ですものね、美人も頷けるわ」

 僅かに呆れた顔を浮かべながら、愚痴をこぼすように小さく呟く。
 だが、その笑顔を絶やされることなく幼いシンジをみつめる。
 幼いシンジはその言葉に耳を傾けることなく惚気話を自慢気に語り続けている。

 「でねっ、でねっ、アスカちゃんってね、すっごくもてるんだよ! がっこうにいくとね、まいにち…」

〜なんで!? 昔の僕が今の話をしてるんだ? おかしいぞ!〜

 「おかしくないわよ? シンジ。 私の中での貴方の姿はこの姿しか覚えていないのだもの…」

 その言葉とともに、幼いシンジも自慢話を収める。

〜そんな!? じゃぁ、あの時、母さんがいたのは!〜

 「もう、自分でわかるわよね? シンジ?」

 「うん!わかるよ! お母さんはココにいるんだよね!」



















 弐号機を指定待機箇所に配置し、作戦開始まで余裕があることを確認すると、アスカはディスプレイに映像記録を呼び出す。
 沈みゆく初号機の映像と…もう一つ、シンジの様子を映し出す。
 始めこそ動揺して恐怖に捉われた表情が落ち着き、そして優しくアスカに語り掛ける様を、繰り返し見ていた。
 30秒にも満たない僅かな映像。

 『アスカ…約束したでしょ? 大じ…心配し…い…』

〜なぁにが、『心配しないでよ』よっ!
 心配させたくなかったら、さっさと帰ってきなさいよっ!どぉせ出来もしない癖に…
 待ってなさいよ…今このアタシが助けてあげるから。
 一生感謝させながら、奴隷みたいに這いつくばらせてやるっ!〜

 オペレータ達により爆撃部隊の配置状況が整いつつあることが知らされる。
 あと数分もすれば、アスカ達にも作戦位置への移動が告げられるだろう。
 ふと、ディスプレイの逆の端を見れば、目をつぶり集中しようとしてるレイの姿が映る。
 作戦に集中しようとしてる姿と…誰もが思う。
 だが、レイはそれを演じているだけ。
 自分たちの考えを悟られぬように、ただ普段の自分のフリをしているのだ。
 アスカも同じく、冷静に見せかけているだけ。
 もしここで、リツコがシンジを卑下したのならば、そのメッキは即座にはがれるだろう。
 だからといって、集中していないわけではない。
 影の作戦があるのだ。
 最悪、自らも命を落とす作戦が…。
 繰り返されるシンジの声を聞きながら、目を閉じ、意識を一つに纏めていく。
 アスカの集中力が高まるにつれ、逆にレイはその心が乱れていく。
 リツコと司令に対する不信感である。
 父親である司令が息子の死を、いとも簡単に許可する。
 司令という立場がそうさせるのかとも僅かに考えるが…
 シンジの発言がそれを否定させる。
『当たり前だよ、あんな父親なんて!』
〜あんな父親と碇君は言っていた…父親とはなんなの…? わからない…〜
 表面的冷静を崩すまでには至らないものの、心の乱れが次第に大きくなる。
 そして、リツコという女の行動原理が理解できないこともさらに拍車をかける。
 俗に言う男女の関係である事は、レイは知っている。
 ならば、その男の息子を父親が許可したからといって、こうも容易にその道を選択することが出来るのか…
〜…これも、わからない…〜
 血縁関係というものは、本で得た知識にはもっとも強固な絆であると描かれている。
 それに当てはまらない三人の人物。
 答えの出ない無限回廊であるとレイには気付くことは出来ない。
 そして、レイの心に反映されるように数値はそれを正直に表す。
 第壱拾使徒戦時のアスカのように。

 「作戦開始五分前、零・弐号機は指定の位置に移動開始してください。」

 レイも返事もないまま、所定の箇所へと移動を開始する。
 僅かに、アスカとの間で開かれた通信ウィンドウに向かい小さく頷きを見せる。
 アスカもそれにつられる様に移動を開始するが、直後にアンビリカルケーブルによって、その背が引き戻される。

『あれっ? ごっめ〜ん、ケーブルの位置間違えてた』

「早く付け替えて、配置につきなさいっ!」

 普段にはなく、リツコの厳しい声が響き渡る。
 それに、表面上だけの謝罪のポーズをとって、ケーブルの付け替え作業を行う。
 あらかじめ計算どおりの行動。
 使途の影の端まで走ることに違和感を与えないために。

『よっと、』

『…急いで、弐号機パイロット』

『わかってるわよっ!』

 傍目には、普段どおりに映る二人の会話。
 だが、それに違和感をリツコは感じる。
 レイのシンクロ率は、第壱拾使徒戦時のアスカのようである。
 如何に集中しようとしても、集中が出来ない。
 この原因は、単にリツコの目論み違いからなのだ。
 伝えれば、その事実に、二人は作戦遂行不能になると。
 だが、それは深層から来る死を避けたいがために作り出された言い訳。
 端的に表すのならば、リツコはレイが成長しているのが怖いのだ。
 そして、感情を全て手に入れ、計画の内容を全て知ったなら。
 自分は殺されると。
 無意識下の恐怖に、自己防衛本能が働いたのだ。
 そしてその本能が理論を展開して、さらに警鐘を鳴らす。
 レイの低いシンクロ率とアスカの失態。
 普段にありえない状況。
 甲高い施錠音と共に弐号機の背に新たなケーブルが差し込まれ、アスカがゆっくりと立ち上がり駆け出す。

「弐号機のシンクロカット!急いでっ!」

 リツコの突然の命令に、誰もが対応できない。
 腹心ともいえるマヤでさえ、その命令の意図が理解できない。
〜気付いちゃったの!? チッ、だけど…ちょっと遅かったみたいね〜
 さらに、駆ける速度を上昇させて、影へと迫る。

「で、ですが…」

「早くしなさいっ! アスカは飛び込むつもりよっ!」

 次にリツコが叫んだときには、弐号機は…アスカは宙を舞っていた。

『リツコの作戦には…悪いけど、拒否させてもらうわよっ! もう少し勉強したほうがいいわよっ! リツコ!』

 N2の投下待機態勢にあった航空機が描く雲を背景に、陰の中央に着地する。

「何を馬鹿なことをっ!」

『馬鹿ぁ? どっちがっ!これだけは教えてあげるわよっ! 天才は一人じゃないのよ?』 

 言いながら、レイとの通信ウィンドウに目を向け、微笑む。
 その瞳が訴えてくるものをアスカは受け止め、そして更なる微笑で返す。

『任せなさいっ! このアスカ様がドジるわけないでしょっ!』

〜なんて事を… アスカは…〜
 もはや動揺を隠すこともリツコには出来なかった。
 作戦の中止を考えるが、それを指示も出来ない。
 中止を伝えるには既に遅いともいえる。
 一部の航空機は投下コースに入ってしまっている。
 リツコには、自分の浅慮を悔いるだけの時間はなかった。



















 「おねぇちゃんの嘘つきぃ!」

 ヒロカが泣きながら、叫んでいた。
 あれほどしっかりと約束したのに、それを破られたのだ。
 カリンは呆然としている。
 ミサトはもっと念を押せばよかったと、無駄になるということを、その追い詰められた頭脳では導き出されていなかったということを、一言…相談しろと言えばよかったと。

 「でも、ヒロちゃんのユメは… ゆめのとおりになると、ぜったい、いいことがおこるもん。だいじょうぶだよ!」

 カリンがにこやかに、呟いた。



















 ふと、シンジの中にアスカが飛び込む様子が、見えた。
 そんなはずはないのだが、確かに見えたのだ。
 そして、自分を取り巻く空間に。
 何かが侵入してくる感覚。

〜アスカ? アスカ! なにやってるんだよ! きちゃダメだろ!〜

「アスカちゃん、シンジを追いかけてきちゃったのね… 恋人の危機ですものね… 妬けちゃうわ…、もうちょっとお話したかったけど…」

〜どうしたらいいんだ! わかんないよ! 母さん! 知ってるなら教えてよ!〜

「分からないのよ、私にも」

〜母さんっ!〜

「でもね… シンジのとって大切な宝物は、母さんにとっても宝物なのよ。」

 シンジは唐突に現実に引き戻される。
 プラグ内の電灯に火が入る。
 初号機の目に、再び光が戻る。
 プラグ内の全ての機能が復活していき、切れてかけていたはずの内臓電源の残量が8の数字を並べる。
 再起動しているのだ、無限の残量を持って。
 同時にシンジは自分がいる場所が酷く狭苦しく感じた。
 だが、感情がそれを理解させなかった。
〜アスカ…待っててっていったのに… 馬鹿アスカぁっ!」
 シンジの叫びと呼応する様に初号機が雄叫びを上げ…
 そして、シンジの意識が再び奪われた。 



















「馬鹿アスカぁっ!」

 聞こえるはずのない、シンジの声が…
 幻聴? ちがう…確かに聞こえた。
 通信機越しとかそんなんじゃなくて、頭に響いてくるような声。
 それと共に、沈んでいくはずのアタシの弐号機に別の力を感じた。
 既に膝したまで沈降したその足のさらに下から、持ち上げてくるような…

「えっ? 何が…起こってるの?」

 次第に影から押し出されて行くと共に、アタシの思考が停止する。
 もう、理解なんて出来ない…
 無理矢理に押し出されて行く違和感。

『状況は!?』

『わかりませんっ!すべてのメーターが振り切られてますっ!』

 通信機越しに聞こえるマヤ達の悲鳴にも似た声が、現実だって教えてくれてる。

『馬鹿な…初号機なの!? エネルギーは0のはずよ… それに…それほどのエネルギーを出せるはずがないわ…』

 弐号機のすべてが押し出されると共に、影に奔る亀裂。
 そして、荒れ狂う海のように波打つ影。
 シンジが? だけど、リツコが言うように…エネルギーはもうないはず…
 だけど…それを否定できない…
 浅間山の中でもそう…いくら特殊装甲で覆われてるとはいえ、あの高温高圧の中で耐えられるわけがない…
 そして、この前も…計算上…一機で支えられるはずではなかった…なのに、支えきった。
 またなの?
 それが…EVAの、初号機の力? それともシンジの力なの?
 もう、全ての声が消えていた。
 通信機の向こうからは電子音だけがマイクに拾われて、アタシの元に届けられてる。
 ただこれを見る全ての者が…呆然とするしか出来なかった。
 影に出来た亀裂が、地震でも起きたかのよう隆起する。
 そして、更なる亀裂を生み、また隆起する。
 地震のような波が収まりを見せると…今度は球体だった。
 アタシの直上で、震えるような変化を僅かに見せると、白と黒に分けられた模様が次第に黒一色に染まっていった。
 そして体液が…血がアタシに、雨のように降り注いできた。
 血の雨の中で、球体が徐々に歪み、裂けていく。
 裂け目から、人の手のようなものが飛び出して、さらにその裂け目を大きくする。
 まるで、熟れた柘榴みたいに肥大した実に…パックリとその表皮を裂かれて。
 そして、遠吠えにも似た獣の叫び声が響いて…
 いつもの紫色とは違うけど…あれは…初号機。
 間違いなく、

「シンジっ!」

 返事の代わりに更なる雄叫びだけが響いてくる。
 それと共に地に降り立つ赤紫色の鬼…
 アタシはその姿に、シンジが帰ってきた喜びと、信じられないほどの力に…恐怖した。

『馬鹿な…ありえないわ… 私達は…なんて物をコピーしてしまったの?』

『…こんなふうに帰るなんて、違う…私の考えと… 空間を破壊したとでもいうの?』

 リツコとファーストの声が…アタシの恐怖を加速させる。
 なのに…アタシの体は既に別の動きをしていた。
 いつの間にかに行動を止めた初号機の後ろに駆け寄り、プラグを取り出して地面に置く。
 そしてアタシ自身もEVAから降リ、プラグに駆け寄る。
 生命維持に食いつぶされた電源でハッチの自動開放機能は停止しているから、ありったけの力を込めてロックを解除してアタシは中に飛び込んだ。

「シンジっ!」

 っで…アタシが…それだけ心配して飛び込んだって言うのに…
 コイツは…
 スヤスヤと寝ていたりする。
 気絶してるとか…そんなんじゃなくて、寝言までのたまわってる訳で。

「馬鹿…あすかぁ…」

 ・・・・・・・・・・
 殴っても…文句は出ないわよね…

「誰が馬鹿よっっっ!!!!」

 っで…アタシの手がシンジの頬に伸びるはずだったんだけど…
 裏切るなっ!アタシの体っ!
 そう、アタシの体は勝手にシンジにしがみついてる。
 振り上げるはずの手もしっかりとシンジの首に回ってたりしてる。

「あ…アスカ!?」

 目を覚ましたシンジがアタフタしてる。
 また一晩、固まらせようかしら。
 なんて、考えてるのは嘘。

「だれが・・・ ばかよ・・・」

 今のアタシは…嬉しくて…
 さっきまでの怖さなんか一切、頭の中には残ってない。

「バカとは何よ、この超絶無敵天才美少女アスカ様に向かって…」

 口ではすねているような調子だけど…無理。
 喜びを隠すなんて無理。
 ちゃんと言ったつもりだけど…言葉に出来てるのかもわからない。
 証拠にアタシの喉は詰まって、普通に息をしてないし。
 なんで、こんな時にプラグ内にLCLがないのよ…

「夢じゃなかったんだ…」

 体中を弛緩させて、呟いたシンジの台詞の意味なんか、アタシにはどうでもよかった。
 そんなことよりも、言わなきゃいけないことがいっぱいあるから。

「心配させるなんて生意気よ…帰ってこれるなら、さっさと帰ってきなさいよ。馬鹿シンジ」

「ゴメン…」

「アンタをアタシが助けて…それで、一生頭が上がらないようにさせようと思ってたのに…」

 そんなこと言われてるのにシンジの手は、アタシの頭を撫でてて…
 アタシは子供に戻ったみたいに…喜んでた。






しふぉんさんから「コトノハノカミ〜ユメノツヅキ」をいただきました。

前回のシンジが飲み込まれた話の続きですね。

どうなることかとやきもきさせる続き方でしたが、‥‥。

シンジを復活させたのはアスカへの愛、でしたね。

とても良いお話でした。みなさんもしふぉんさんへの感想メールをお願いします。