世界一の犯罪に関しての安全を保障された街、第三東京市。
 治安レベルでこれに比肩する都市は存在しないといえる。
 だが、この街は生きる上での安全は保証されてはいない。

 耳障りな警報音が安穏な喧騒を引き裂き、平和な時間に休息の時間を告げる。

「只今、第三東京市内全域に緊急避難勧告が出されました。お近くの避難施設へお急ぎください。ただいま…」

 無機質な女性の声による避難を呼びかけが市内の至る所から流れ出し、それぞれの距離の違いから山彦の様に響き渡る。

 規則的に動いていた車の流れは、警報と共にその流れを止める。
 既に6度の避難警報を経験した市民達の行動は的確である。
 路肩に沿って次々と停車されていく車、そしてそこから出た人の流れはすぐに他の流れと合流し、やがて地の底にその身を隠す。

 人がその地上の覇権を手放し終えると、建造物が地に呑まれて行く。
 幾許かの建造物を残し、隠されていた山の稜線が大地に広がっていくと共に、人の街は異形の者達の戦場へと姿を変えた。

 その噂は以前からあった。
 怪物と、ロボット。
 異形の怪物・使徒。それは既に市民にとって実在のものとなっていた。
 停電騒ぎの折、避難警報の遅れが多数の目撃者を生み、第伍使徒の様に建造物には見えないその姿は、怪物の存在を確実にさせた。
 噂のレベルを逸脱したその情報。
 その膨大な人の数、全てがNervによって隠蔽されている。
 だが、噂は事実として流れ、それを留める事はできない。
 最早、公然の秘密なのだ。
 そして、それを守る3体の巨大ロボットの存在。
 パイロットに関しては、一部に少年少女であるとの噂が流れているが、人道的観点から誰も信じているわけではない。
 訓練された職業軍人が搭乗しているに決まっている。
 理性を持つ大人なら、間違いなくそう思う。
 だが、子供達にはロボットパイロットはアニメの世界であり、幼い頃見た夢。
 それに憧れ、自らもそうなれると信じきっていた世代。
 噂は、子供達を通して市内を駆け巡っている。
 曰く、蒼銀の髪に緋瞳の物静かな少女。
 曰く、漆黒の髪に黒瞳の優しい少年。
 曰く、紅金の髪に蒼瞳の活発な少女。
 子供達の夢物語が、現実にあると、噂が語っているのだ。

 少年達が見る空想の世界は、幼い子供達に多大な影響を与える。
 正義の為に闘い、空を舞い、その手に持つ銃で悪しき者を討ち、その手に掲げる剣で敵を切り裂く。
 正義に敗北はない。

 そして、幼い子供達は噂を信じて、好奇心のままに動き続ける。
 正義の為に戦う自分を夢見て。
 自らの命を失う可能性など想像するわけもない。
 正義は勝つのだから。

 動きを止めた、街の中、そして流れを止めた車の流れ。
 その中の一つに、その二人の幼い子供が居た。

「ヒロちゃん… まだかな? 早くみ…」

 ヒロカと呼ばれた少年が、話そうとする少女の口を押さえ、その言葉をさえぎる。

「しっ… カリンは声がデカイんだよっ まだ、大人がその辺りにいるかも知れないだろ…」

「うん…」

 そして、その行為は誰に気付かれることもない。
 既に、人は地上にいないのだから。















コトノハノカミ〜コドモタチノユメ

書イタ人:しふぉん















「あいっかわらず… 非常識な形よね… 今度は表面から全方位レーザーだったりして?」

「笑えない冗談よ、ありえなくはないわ。 それくらい、貴女にも分かってるはずでしょ?」

 軽口でパイロット達の緊張に考慮したミサトの言葉を、切り捨てるリツコ。
 片や、空気を理解していない。片や、上辺の言葉だけしか聞かない。
 この二人が親友と呼び合うのも、間違いではない。
 どこか一つ、抜けているのだから。

「それに、使徒と断言できないって何度言わせるの?」

 その視線はモニターを見つめ、手は動きを止めることなく新たな文字の羅列を作り上げている。

「んだってさぁ、あんな生き物で、使徒じゃないって? それこそ変でしょ?」

『アタシもそう思うわ…あれで、使徒じゃないって言われても信じらんないわよ?』

『僕もです』

 通信機越しに話しかけてくる、シンジとアスカに緊張の様子は見れない。
 だが、リラックスしきっているわけでもない。
 コンセントレーションも良い具合に乗っている。

「市街全域の市民の避難、終了しました」

 マヤの報告に、ゆっくりとミサトが頷く。

〜とりあえず、様子を確認しないといけないわね。モニターで確認しても分からないしね。〜

 敵と断言されてなかったが故に出されていなかった、攻撃命令。
 だが、使徒以外ではないことが、その形状が物語っている。

 宙に浮かぶ球体。白と黒に色分けされ、一定の法則で描かれた模様。
 ガスが詰まった風船ならば、風により流される。
 直径40m前後にも及ぶ巨大な球体。
 その大きさ的見ても、風の影響を無視出来るものではない。
 だがその物体は風の影響も全く受けないまま、ただ漂うかの如く緩やかに一点に向け移動を続ける。
 物理的影響を無視して進むもの。
 つまり、その物体に動力があるということ。
 その動力を未知の推進力に変え、進んでいるということ。

「ん〜 シンちゃん、アスカ、レイ。三人とも準備は良い?」

「敵とは判別できないって言ってるでしょ? 分からないの?」

「とりあえず、これ以上は中心部に侵攻させるわけには行きません。
 これは作戦本部長としての発言です。碇司令が不在である以上、私が最高責任者です」

 言いながら、それまでとは異なる空気を醸しだす。
 そこにある姿は、少年達の『おねぇさん』ではなく、作戦本部長の肩書きを持つ女。

「三人ともいい? 慎重に接近して可能であれば、市街地上空外への誘導を行う。先行する一機を残りが援護。
 前衛は…シンジ君、よろし? 後衛にレイ、アスカはシンジ君のバックアップをお願い。」

『はい。』『いいわよ』『了解』
 三者三様の返答の中、三機は戦闘準備を完了させていく。

 先頭に立ち様子を伺うシンジは、前方に控える使徒と相対しながら電源・武装を整えながら移動する僚機の到着を待つ。
 注意深く使徒を観察する。
 一つの違和感を感じる。
 それが、何であるかも解らない。
 第六感と呼ばれるものであることは確かなのだが。
 それが、使徒に相対してるが故に現れる、自身の防衛本能ではないと否定できない。
 ただ、非常にゆっくりとした速度で近づく使徒を注視し続けるだけ。

 二機が、後方で準備を行っている。
 準備はすぐに終わる。
 援護射撃用兵装を整え、射撃体勢に入るレイ。
 中距離支援武器を装備し、近接戦にも備える態勢をとるアスカ。

〜視線を感じる〜
 そう感じた瞬間、レイの視覚に何かが写る。

『…まって、人がいるわ。使徒の前方およそ300m、大型輸送車両の運転席付近に二人』

 一瞬の沈黙の後に、三機の視線と地上のカメラがトラックの運転席をクローズアップして映し出す。
 小学生にも満たないと思われる子供が二人。
 ダッシュボードの陰から目だけを覗かせ、エヴァを見ている。

『初号機! 救出に向かいます!』

 シンジが掛け声と共にそれまでの隠密行動から一転し、堂々と走りだす。
 一瞬後には、走り出した背中からケーブルだけが地面に残される。
 その様子にも使徒はなんら行動を起こそうとはしない。
 一瞬の躊躇もなく、ミサトはその行動のフォローを即座に支持する。

「アスカっ! 前進してシンジ君の援護、お願い!
 初号機による救出が済み次第、後退。零号機で保護、零号機のみ一時退却よ。
 レイはそれまでその場で待機。
 いいわね?」

『わかってるわよ!』

 いざという時には攻撃して、シンジの後退の時間を稼がなければならない。
 即座に電源ソケットを排出し、物陰から飛び出しシンジの後を追いかける。

『了解。』

 援護の為に射撃姿勢を整え、使徒を見つめる。
 レイの視界の中に更なる違和感が襲う。
 その視界の隅を弐号機が走り抜けていく。
 ビルに写る弐号機の影。

『…変』

「どうしたの、レイ?」

 目の前に広がる光景と、視界の隅に映る光景。
 二つの映像の大きな差。
 そこで違和感を一個の事実として認識する。

『…赤木博士、影の位置がおかしい』

 光の方向とは別の位置にある影。
 そして、その大きさも異なる。
 レイのその言葉を受け、球体の影が即座にメインモニターに映し出される。
 高層ビルのさらに高いところを飛ぶ巨大な物体。
 それによって遮られる光は、巨大な影となるはず。
 だが、その大きさは球体と変わらぬ大きさ。
 そして、光点と球体と影が、同一線上に無い。

「マヤ、影の観測をすぐにっ! データ収集急いで頂戴!」

 その事実が認識されると同時に、調査の対象が球体から影へと瞬時に移行する。

「シンジ君っ! 影に注意してっ!」

 その影が、トラックまであと少しと迫っている。
 注意しろと言われても、シンジにはどうしようもなかった。
〜このままじゃ、間に合わない!〜
 シンジは音声を外部出力に接続する。

『そこのトラックにいる二人! 逃げるんだ!』

 だが、逆に子供達はその言葉に運転席の影に身を潜め隠れてしまう。
 見つかって叱られると思い、身を隠してしまったのだ。

『後ろに敵がいるんだ! 早くこっちに逃げて来るんだ!』

 その声にびっくりして、車を飛び出し、後ろを確認する子供達。
 影は子供達のすでに10mほどの距離に接近してる。
 たった、10歩…目の前だ。
 そして、その上空には影ではない何かが、目の前にある。
 即座に、振り向きその小さな体で、走り出す。
 女の子の方はその恐怖に泣きながら走る。
 その手を取り、引っ張り、必死に走る男の子。

『手の上に乗って! 急いで!』

 たどり着くと同時に屈み、右掌を上に向け乗せる。
 左手で、包み込むように保護し、ゆっくりと立ち上がり、振り向く。
 手のひらに子供達を乗せている状態では、移動速度も上げられない。
 ゆっくり走ったとしても、その振動は大人でも耐えられるものではない。
 言うならば、水が満たされたコップからこぼさないように移動するようなものである。
 使途の動きが緩慢でなければ、捕らえられているはずの状態。

『シンジ! モタモタしてんじゃないわよっ!』

 僅かに差が開いたところで、アスカと合流を果たす。
 シンジを庇う様に背を合わせ、後ろ向きにゆっくりと後退する。
 極度の緊張感が漂う中、零号機にも合流を果たし、子供達を引き渡す。

『頼んだよ、綾波、』

『…任せて』

 促されるまま、掌から掌へ乗り移る子供達。
 再びそっと包み込まれ、戦場からゆっくりと後退していく。

「アスカ、そのまま零号機のサポートを、
 シンジ君、足止め又は市街地外への誘導、出来るわね?」

『わかりました、やってみます』

 ミサトの指示にアスカは静かに頷いて応える。
 シンジは近くの武器庫からハンドガンを選び、使徒に相対する。
 誘導のために、シンジは零号機の後退経路から逸れるように、ゆっくりと移動を開始する。
 シンジが手にした武器は移動時の障害を極力抑えた適切な選択。
 近距離からの射撃に優れ、遠距離での威嚇攻撃にも最適である。
 静かにただ動きが見られない事態に、誰もがこのまま退却までの時間を得られると確信していた。
 油断はなかった。

『足止めだけでも…威嚇攻撃を行います』

 万全の体制を築く為のシンジの行為は作戦遂行上正しいものといえる。
 後退経路確保のための援護射撃。
 ミサトもその判断には異を唱えるはずはない。
 シンジがその返答を待つよりも早く、目標をセンターに合わせて引き金を絞る。
 正しいはずであった。
 相手が人であるならば…
 乾いた炸裂音と共に、宙に浮かぶ球体に対して三本の光陰が迫っていく。
 そして…球体は消滅した。
 着弾もしないまま…

「消えた!?」

 その事態に驚く間もなく、事態という名の歯車は急速に回転し始める。
 シンジの足元に突然現れる巨大な影。

「パターン青!使徒発見! 初号機の直下ですっ!」

『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! 何だよこれっ!? おかしいよ!』

 叫びを上げたのは、誰かすらも分からぬほどの緊張が駆け抜ける。
 シンジの叫びと共に映し出された映像は、常識をまったく無視した光景だった。
 広がる影と、その中に飲み込まれていく車両と建造物…そしてその中心部には、泥沼に嵌ったように徐々に沈み行く初号機の姿だった。
 シンジが足元に向け発砲しても、ただその弾丸は影に飲まれるだけ。
 その影が、すべての物体を飲み込もうとする物ということを悟ったときには既に遅かった。
 驚きに、上空を見上げると球体がその場にある。

「シンジ君、逃げてっ!」

 命令ではない、ただの悲鳴としき聞こえないミサトの声が大きく響く。
 それに続く大人達の叫び声。

『碇君!』

 子供達を保護し、後退しながらもシンジから目を離すことが出来ない。
 アスカも零号機の護衛から一転、シンジの元へと走り出す。

『馬鹿っ!何やってんのよっ!』

 シンジを救出しようと、走り寄るアスカの脳裏にシンジの手紙の文節が浮かび上がる。
“僕が死んでしまってるって、ことだよね。”
〜だめ! この前っ約束したじゃないのよ! 生きて帰るって!〜

『シンジっ!死んだら許さないからねっ!』

 すでに、腰まで沈降してる初号機の中で、シンジは周りの動揺をよそに、冷静になっていく。
 何故かは分からない、諦めてもいない、ただ漠然と何とかなる。
 そう感じていた。
 予定された、出来事。
 そして、生還できる未来。
 根拠など無いにもかかわらず、シンジの胸の内を満たしていく。
 飲み込まれた部分の感触がないわけではない。
 足が動く感触もある。
 ただ、そこに何もない空間を感じるだけ。
 腰から下が、宙に浮いてる感覚。

『死んじゃダメって言ってるじゃないっ!』

 通信越しに聞こえてくる、アスカの悲鳴。
 シンジが軽く左に顔を向けると、そこにはいつもの様に厳しい表情で睨むアスカの顔がうつる。
 だが、その瞳には僅かに涙が浮かび上がっている。

〜また…泣かせちゃった…〜

『大丈夫だよ、アスカ。
 どうやら、呑みこまれたから直に死ぬってことはない様だし。
 ミサトさん、リツコさん、自分でも何とかしようと思いますけど…
 あとは…お願いします。』

 諦観してるわけではない、その表情が全てを語っている。
 その雰囲気に大人達も我を取り戻すが、時すでに遅い。

「プラグの射出!信号送って!」

「駄目です!反応ありません!」

『アスカ…約束したでしょ? 大じ…心配し…い…』

 そう、呟いた直後…初号機の姿は影に飲み込まれた。



















〜やっぱり何もない世界って…ちょっと怖いな…〜

 沈降直後から内臓電源に切り替わるまで、シンジはありとあらゆる探索を行う。
 ATフィールドの展開・ソナーの照射・全周波帯送信。
 全てのレスポンスが皆無だった。
 ただ、電波さえ反響するのに時間のかかる程の広さがあるだけかもしれないと仮定できても、結論を出すには材料が不足しすぎてる。
 沈降後1分ほどした時にアンビリカルケーブルの断線が確認されると、即座に生命維持モードに変更。
 救出がされるとしても、すぐにはありえない。
 早くても数時間後。
 幾度となく、叩き込まれた緊急時対処法である。

〜後は、待つだけか・・・?〜

 急速に霞んでくる考えにも拘らず、安堵感が満ちている。
 何かがそう感じさせる。
 不思議な感覚を感じながら、シンジはただひたすら時が流れるのを待つ。



















 気づいたときには、ケージに居た。
 いつどうやって戻ったかなんて、記憶にない。
 頭の中で繰り返される光景…沈んでいく初号機の姿。
 シンジが…居なくる瞬間…『大丈夫、心配しないで』って確かに聞こえた。
 でも、現実にアイツはいない。
 その事実がアタシの体と心を凍りつかせていた。
 先日の一件以来のシンジが怖い。
 自分の命をなんとも思ってない様な…
 第壱拾使徒戦。
 アイツはただ一人、アタシもファーストも書かなかった遺書を…書いた。
 そしてただ一人で…アレを支えきった。
 でも、あの日の夜にアイツは約束してくれたっ!

『アタシより先に死なないって、っでずっとアタシを守るって…傍に居るって…、約束できる?』

 シンジは呆然としながらも、何度も何度も頷いてくれたじゃないっ!
 証拠だってちゃんと、DVDに撮っておいてあるんだからっ!
 そう、約束したんだから…
 なら、アタシのすることは…アイツを助け出す事…
 絶対に助け出してやる。
 アタシに一生、頭が上がらないくらいに感謝させてやる。
 アタシの体から震えが消えて、急速に視界が広がっていく。
 そして、蘇った音の中に…聞きなれない泣き声が響いていた。
 小さな子供が叫ぶように大きな声で…
 子供がここに?
 シンジが助けた子供達だ…
 アタシはその声に誘われるように駆け出した。
 そこには怒気、いや、そんな生易しくない…
 殺気を隠しもせずに撒き散らすファーストの姿。
 そしてアンビリカルブリッジの上でペタンと座る二人の幼い男の子と女の子の姿。
 男の子は声こそ上げてないが、恐怖に怯えて…震えてる。
 女の子は大きく泣き叫びながら、失禁まで…

「何してんのよっ! ファースト!」

 ファーストはアタシの声にも反応せず、ただその冷たい視線を幼い二人に投げかけてるだけ。

「…この人達のせいで、碇君は死んで「シンジは死んでないっ!」

 最後まで言わせるわけにはいかない…それを認めるわけには絶対にいけないから。
 分かるわよ…アンタも不安だって言うのは…でも、
 ファーストがアタシを見る視線に悲しみが溢れてる。
 ゆっくりと子供達を後ろに隠すように、ファーストの前に立つとそれがよく分かる。

「アンタ、この子達に何をしたの…」

「作戦遂行の邪魔をしたのよ…その結果は、碇君の損失…責任は取ってもらうわ…」

 言いながら悲しみを殺意に切り替えて、アタシから子供達に視線を移す。
 少し収まりかけていた恐怖に再び少女が泣き声をさらに大きくする。
 そして、アタシの足に縋りつく小さな影。

「おね、ちゃ…ぼ、く…し、じゃう、の?」

 死んじゃう? なんでよ?
 その瞳には幼い心には耐え切れないくらいの絶望の色が浮かんでる。
 こんな小さな子がなんで…?

「…そうよ」

 一瞬、呆気にとられそうになるアタシを引き戻したのはファーストの冷徹な声。
 この子達の叫びの理由をここで理解した。

「なんでよっ!」

「…責任はとってもらうわ」

 確かに…シンジを危険に晒した責任はある。
 だけど、それ以上は認めない。
 いくらここが特務機関でも認めない。
 もし大人なら…その罪は、自分達の命を以ってしても、償いきれない。
 だからって、子供にまで死ねって言うの…?
 殺意に匹敵する視線を送りながら。
 ふと、アタシの頭の片隅から、持ち上がってくる忌まわしい記憶。
 同時に湧き上がってくる恐怖。
 体と心が凍りついてくる。
 震えが体を支配しようとしたとき…
 もう一つの小さな影がアタシの足に縋り付いてきて、その震えがアタシの正気を呼び戻した。
 小さな女の子が泣き声も出せぬほど震えて、アタシの足を抱きしめてる。
 助けて…って、声なき声で…

「そんなことは…させない」

 そう、認めてしまったら…シンジは帰ってこないって、認めるってことだから。
 絶対にそんなこと、許さない。

「言った筈よ、シンジは死んでない。絶対に帰ってくる。だから、この子達を処罰することは絶対に認めない」

 言いながらアタシも強くファーストを見る。
 認めるってことの意味を解からせる為に…
 少しの間が空いた後、急速に殺気が薄らいでいく。
 そして、ゆっくりと俯いていく。

「…信じてるのね」

 小さく呟くように搾り出された言葉にアタシは頷く。
 やりきれないって、解かるわよ…でも、こんな幼い子供達に責任を、なんて…
 多分、ファーストも理性では解かってる。
 きっと、コイツもだから…
 何も言わずに立ち去ろうとするのをアタシはただ見送った。
 今アタシは動くこともできない。
 いつの間にかにアタシの両足は、その小さな腕で抱きしめられていたから。

「もう大丈夫よ、安心しなさい…アンタ達」

 コクリと頷くその姿が可愛らしくて、アタシは二つの頭を撫でる。
 自然と足から離れた手はアタシの首と胴に変わり、再び大きな声で泣き始める。
 耳元で響く声が少し痛い。
 少し落ち着くまでは、このままかな…
 覚悟を決めるしかないかって思ったとき、さらに間の悪い女が居ることを忘れてた。
 強面の保安部員の男を3人も従えて…
 状況が違えば安心させるという面もあるのだろうけど、今は場違いよ。
 まぁ、ミサトだし…
 作った笑顔を張り付かせて「大丈夫よぉ〜」なんて言うけど…
 その笑顔の下はアタシが見てもすぐに判る。
 ファーストみたいにしてはいなくても…この子達には、ちょっと厳しいわよね。
 証拠に保安部員が手を引こうとすると、アタシの髪の毛を握り締めて離さない。
 子供って敏感なのよね、理解してるわけじゃないけど、本能的にミサトと保安部員が怖い人って判ってる。

「あっちゃぁ〜っ、アスカに懐いちゃったのかぁ…ちょっち困ったわね」

 困るのはアタシの方だって言うのに…
 女性保安部員とかでも連れて来ればいいのに、わざわざ強面の男を選んで来るなんて考えなしって言うか…
 そのうえ、自分では優しいお姉さんのつもりで話しかけてるってんだから、やってらんないわよね。
 怒ってるって、雰囲気がモロに出てるのに。
 子供達は、アタシの髪の毛をつかみながら首にしがみついて、ワンワン泣いてるし…

「まだ、救出作戦の概要さえ決まってないんでしょ? それが決まるまでは、アタシに任せてくれない?
 このままじゃ埒が明かないし、髪の毛これ以上抜かれたくないもの。落ち着くまで…ね、ミサト?」

 ファーストの話も交えて説明すると、ミサトは不承不承ながらも頷いてくれた。
 後で女性保安部員などを寄越させることを約束して引き返していく。
 とりあえず、アタシもこんなところに居たって…どうにもならないし。

「もう大丈夫よ、さっ一緒に…ね?」

 アタシは女の子をそのまま抱きかかえ、男の子の手を引きケージに最も近い休憩所に足を向けた。
 『懐いちゃった…』って、動物じゃあるまいし…
 懐いたっていうより、アタシを信じきってる。
 そんなに、人を簡単に信じちゃうなんて…誘拐にでもあったら、この子達どうする気かしら?
 そんなことを思いながら、子供たちを見る。
 男の子の泣き声は聞こえなくなってる。
 鼻を啜りながら、必死に涙を止めようとしてる。
 女の子はまだ大きな声こそ上げてないが、アタシの首にしがみついて泣いてる。
 これだけ信じられちゃうと…裏切るなんて絶対にできないわよね。
 誘拐犯だって改心しちゃうんじゃないの?
 子供の純粋さが、羨ましくなっちゃうわね…



















 気付くと、色の曖昧な、霞んだ世界にいた。
 ぼやける視界。
 何かを見ようとしても、焦点が合わない。
 暖かさに包まれてるのは感じる。
 暑いわけではない。
 適度な温もり。
 そして、自由にならない手足。

〜ここは…? どこ?〜

「シンジは、寝ているのか?」

 聞き覚えのある声。
 だが、その言葉に含まれる温度は記憶にあるものと異なる。

「寝てはいませんよ。 元々おとなしい子ですから。」

「君に似たんだな、私に似たのではこうはならん」

 すぐ近くから、見知らぬ声が聞こえてくる。
 その声の主を探しても、その視界では見ることが適わない。
 だが、何かがその主を懐かしいものと、教えてくれる。

「あら、そうですか? 貴方に似たら、無口で静かな子になると思いますけど?」

「そうかも知れんが… ん?あくびか…眠いのか? シンジ?」

 別の温もりを頬に感じるとともに、急速にこみ上げてくる睡魔。
 逆らうことも出来ずに、その視界が、暗く塗りつぶされていく。



















 椅子に座らせて、すぐ目の前のベンダーで暖かい飲み物をって選ぼうとした時、ふと思った。
 やっぱり、ホットココア? それともホットミルク?
 緊迫した状況に接してるはずなのに、アタシはドラマのお約束を想像してる。
 だが、この子供達を世話をしていると、アタシは落ち着けることが不思議だった。
 待機室を含め、本部内は強い空調のせいで寒い。
 まして、外で遊んでいた薄着の子供たちにはちょっと酷な話だと思う。
 冷え性の女性職員たちが、空調の調節のためにストライキを企画したって話も聞くしね。
 結局、二つのホットココアと、自分用のミルクティーを持ち、長椅子に腰掛ける子供達の元に戻る。
 自分の休憩用に持ち込んだ、大型犬が描かれた可愛い毛布に肩を寄せ合い包まりながら。
 ココアを両手で抱え、ふーっと必死に息を吹きかけながら、少しずつ啜り飲んでいく。

「落ち着いた?」

 アスカの問いに、男の子はしっかりと、女の子はまだしゃくりあげながらも頷く。

「名前を教えてくれる?」

「ボク、仙石ヒロカ。コイツは、谷初カリンっていうの。」

 男の子は落ち着きを取り戻している。
 女の子はまだ、すこし目に涙が残っている。
 それもそうだと思うと、少し苦笑いが浮かんでくる。

「どうして、あんなところに居たの? パパやママとはぐれちゃったの?」

「うううん、ちがうの… ボクが… あの… んっと…」

 例え、自分を守ってくれる人でも、叱られるのは分かってる。
 叱られるのは、さっきに比べれば怖くはない。
 だが、そう簡単に割り切れないのが子供だしね。
 言い難そうにモジモジしてる姿は、なんかシンジみたい…

「大丈夫、アタシは怒ったりしないから。 ね?」

 アタシ自身が見ても、えっ?って驚くくらい優しい微笑を出せたと思う。
 それに、うながされるようにポツリポツリと、話しはじめてくれた。
 シンジもこうしてれば、もっと色々話してくれたのかな?
 幼い子供に重ねるのはおかしい事なんだけど、なんとなく同じ様に思えちゃうのよね。
 それが、可笑しい。
 心の中で、小さく笑いながら、男の子の言葉に耳を傾けた。

「んっとね、カイトくんから、きいたの。ロボットのパイロットがコドモだって、」

「カイト君っていうのはお友達?」

「うん、でもパパもママもそれはウソって、ロボットもいないよって。だから…」

 嘘ではない、いや、嘘であっても、嘘にしなければいけない。
 多分、この両親もNervの怖さを知っている。
 そして、この組織が真実を隠そうとしていることも。

「だから、くるまにかくれて…ロボットをみようっておもって。でもね!カリンはちがうの!ボクがむりやりつれてきたの。だから、カリンはちがうの! ゆるしてあげて、おねぇちゃん…」

 男の子ね、子供でも… そっか…
 落ち着きを取り戻したはずの男の子の目に再び涙が浮かんでくる。
 きっと、男の子の中では叱られるって、決め付けちゃってるのよね。
 必死に涙をこらえながら、俯き、耐えている。
 この子の両親なら、ゲンコツでゴチンってされちゃうんだろうけどね。
 だから…その役はアタシじゃない。
 震える姿が凄く可哀想で、アタシはそっと頭を撫でた。

「男の子ね、偉いわよ」

 二人を抱きしめ共に毛布に包まる。
 この様子は、保安部でも見ているだろう。
 しばらくの間、二人の話に相槌をうちながら、静かにすごす。
 そのうちに、言葉はどんどんと少なくなり…
 泣きつかれた女の子はアタシの膝の上に座りながら、肩に首を預けて寝ちゃってる。
 ファーストの殺気に中てられて、泣きじゃくってたのが嘘みたいに穏やかな顔で寝てる。
 そういえば、この子はおもらししたんだっけ…後で着替えさせてあげないとね。
 アタシの下着じゃ大きいけど…無いわよねぇ、Nervに幼児用の下着なんて。
 そういえば…結婚してる職員用の育児施設も無いって、これも喚いてたわね。
 しょうがないか…
 男の子も解き放たれた緊張から、瞼をしきりに震わせてて寝るのを我慢してるけど、暫くすれば女の子と同じ世界に行っちゃうわね。
 不思議な感じ…さっき、EVAから降りた時にはあんなに不安だったのに…
 この子達のお陰なのかな、不安が大きく膨らまない。
 全く無いわけじゃないけど、それだけに縛られるわけじゃない。
 それにしても…こんな小さな子達に「死んで」なんて…
 深い記憶のさらに底にある出来事。
 ママの手が…アタシの背筋にゾクゾクっと寒気が奔る。

『アスカちゃん…お願い、一緒に…』

 思い出したくも無い記憶がまた…
 ゆっくりと伸びるママの暖かい手。
 それが首筋に触れてきて…暖かい筈の手は異様に冷たくて…
 アタシ、死んじゃうって…あの時、確かに思った。
 誰にも知られたくない心の傷、
 思い出してしまうと心が凍りつく様に何も考えられなくなる。
 そして体が震えだす…筈だった。
 アタシを見つめる小さな眼差しが、またもそれを引き止めてくれた。

「だいじょうぶ? おねぇちゃん?」

 アタシと同等の恐怖をこの子達も感じた筈。
 なのに、この子はアタシを気遣ってる。

「心配しないでも、大丈夫!アタシは…」

 いつもの様に天才美少女って言いかけてアタシは止めた。
 アタシは、今日だけでも二度も…子供たちに助けてもらってる。
 最近、よくわかってきたのよね…
 アタシは強くなんかない、天才なんて人に言えるほど…偉くもない…
 ホントに天才って言うのが、Nervにはいっぱいいるしね。
 そして、シンジみたいに、誰かの為になんて…そんなに強い考え方も生き方もできない。
 アタシはアタシの為だけに生きてきたから…
 それが、弱いとはいわないけど…強くなんかないって、

「せいぎのみかただもんねっ!」

 アタシの言葉を継ぐように、満面の笑顔でアタシに…
 この子達のほうが、アタシより強いわね…
 あんなこと後で、こうやってアタシを励まそうとする。
 こんな小さな子に支えられるなんてね。
 シンジみたいじゃない…自分のことなんか、まったく気にしないで…
 もしも、さっきの事が原因でこの子達の心に傷が残るようなことになったら…アタシやシンジみたいに…
 そうさせてはいけない。
 そう結論が出たときには、男の子もアタシの肩にもたれ掛かるように静かな吐息のリズムを刻んでいた。



















 ふと、目が覚めた。
 さっきまでとは違い、色も景色も分かる。
 ただ、ここが何処なのかまったくわからない。
 通路のように見える。
 揺れながら周りの景色が流れていく。
 自分が抱きかかえられていることに気付き、自分を抱きしめてくれている人物に目を向ける。

〜綾波っ!? あれ、でも… 髪の毛も、目も色が違う… だれ?〜

 レイであると、一瞬は思ったのだが、違う。
 そして、良く見れば明らかに年齢も違う。
 レイも数年の時を経たなら、こんな感じであろうか。
 その、柔らかい空気が、年齢を分からなくさせる。
 白衣を纏っているが、医者のようではない。
 何かを言おうと口を動かそうとするが、上手く動かない。
 ふと、自分の体を見れば、赤ん坊の体。

〜えっ!? 何だよこれ!?〜

「ぅぁぅ…」

 その呻くような声とともに、わずかに手が挙がる。
 その動きは、母に触れようとする様に、宙を掻き続ける。

「あら、起きたのね? ちょっと急いでたから揺らしすぎちゃったわね。ごめんね」

 優しい微笑と共に、揺れが小さくなる。
 途端に緩やかな揺れは再び意識を闇に閉ざそうとする。

〜くっ…なんでだよ、今また眠っちゃったら、また分からないままに…〜

 暗転しようとする意識を必死に振り絞る。
 そこに、掛け声と近づく足音が響いてくる。

「お早う御座います、ユイ主任。シンジ君もおはよっ」

〜いま?何って? ユイ主任? って、それじゃ…この人が母さん!?〜

「おはようございます」

 目を向けると見知らぬ白衣姿の若い男が声を掛けてきている。

「いよいよですね…」

〜僕の夢、過去の記憶? じゃぁ、まさかこれが父さん? そんなわけないか…〜

 髭もなく、さわやかな髪型と、笑顔。
 明らかに、別人である。
 父親のあの姿が、過去においてこうであったなどと、想像できない。
 そして、自分が見た最後の父の姿とは明らかに異なる。

「そうね これでE計画の実現がまた一歩近づいたのよね。」

〜E計画? 確か、リツコさんが責任者の…エヴァの計画のことなの?〜

「君のパパとママは凄い人なんだぞ、シンジ君」

 会話からこの人物が、父ではないと理解できた。
 言いながら、シンジの頬を指で突っつき、その感触を楽しんでる。
 そして、その指を幼い手が掴むと、口に含もうとする。

「おっと、食べものじゃないよ。」

 手から離れた指を物欲しげに見つめ続け、身を起こそうとしながら指を求める。

「パパじゃないものね、お父さん、お母さんだもんね」

 そして抱えなおして歩きだしたその揺れに、一度は覚醒しかけたシンジの意識も再び閉じられる。



















「じゃぁ、あの影の部分が使徒の本体なわけ?」

「直径680m・厚さ約3nmのね、その極薄の空間を内向きのATフィールドで支え、内部は“ディラックの海”と呼ばれる虚数空間。多分、別の宇宙に繋がってると思われます。」

「上空の物体は…鏡像…影ってことよね?」

 いかに、その性格がおかしいと否定されているミサトであろうとも、国内最高峰の学府を優秀な成績で修めた才媛であることには代わりない。
 普通なら、理解できない事象に対しても、それを理解する知力を持ち合わせている。

「簡単に言えばそういうことね…本体の虚数空間が閉じれば消えてしまうわね」

 特設された会議場で説明をするリツコの会話を理解できたものは、僅か4名ほど。
 他の者で、この会話を理解しているものはいない。
 ミサトが、分かりやすく噛み砕かなければ、その一端さえも理解できない。

「使徒が、何であるかということはわかったけど、どうするつもり? その“ディラックの海”の向こう側には、別の次元の世界。または、全く別世界の空間に繋がってるってことよね?」

「そうよ、そこで… EVAの強制サルベージを提案します。詳しい説明はご理解頂くまでに時間がかかりますので、方法だけ説明させていただきます。現存する全てのN2爆雷992個をあの影の中心部に投下。タイミングを合わせて、残存するEVA二機のATフィールドを使い、使徒の虚数空間に1/1000秒だけ干渉します。これに爆発のエネルギーを集中させて、使徒を形成する“ディラックの海”ごと破壊します。」

 捲し立てる様に一気にリツコは話す。
 その表情には、感情のない科学者としての顔しかない。
 青褪めた顔でリツコの隣に立ちすくむマヤ。
 今の言葉が、何を意味するか完全に理解している一人。

「ちょっとっ! まちなさいよ! そこは分かりやすく説明しなさいよ!」

 ミサトも同じく完全に理解している一人。
 だが、その影響がどれだけ出るのか、想像できない。
 多分、現実世界には影響が出ないのは分かる。
 だが、取り込まれている初号機の安全は保障できない。
 この世界で最高のエネルギーを瞬間的に放出できるN2兵器。
 それが992個。

「簡単に言うとね、“ディラックの海”の向こうの高次の空間っていうのは、この世界にもあるのよ。線のように…この場合は数学上で言う、面積のないものよ。そこまで折りたたまれた世界、見えない世界と思って頂戴。それに爆発エネルギーを継ぎ足して、エネルギー量を増加させることにより、見える世界に無理矢理広げるのよ。結果、初号機を引きずり出すと共に破壊するってことになるわね。」

 ミサトには、なんとなくだが、その言い回しから想像が出来る。
 そしてもう一人、世界的頭脳を有する人物がいる。
 その人物にとって、初号機パイロットは血縁関係にあるのだ。
 黙って見過ごすはずがない。
 本部に居ないとはいえ、緊急事態には特別通信回線を開き、対策会議には参加しているのだ。
 そのホログラフは、いつもの様に両手を顔の前で合わせ口元を隠している。
 後ろに立つ老人の姿も変わることが無い。

「だから! それによる影響を聞いてるんじゃない!」

「問題ない… 反対する理由はない。赤木博士、計画を認める。」

 そこまで沈黙を守ってきたゲンドウが、反対の声を上げるものと思っていたミサトにとって、その言葉は驚きと共に、それ以上の何かを感じさせる。

「ご子息の命がかかっているのですよっ! そんなっ!」

 ここに来て、この計画がシンジの命を考慮されてないことが周囲に理解され、ざわめきが巻き起こるが、冬月の一喝と共にそれは沈静化する。

「静かにしたまえ、先の事態は、パイロットの独断専行によるものだ。その償いはせねばならん。」

 実父の発言ではない。
 一司令官として…、そう好意的にとらえれば、見えなくもない。
 だが、心が否定している。
 そして、歴史が否定していた。
 人命を軽んずる軍隊を持つ国が、戦争に勝利したことはないと。
 確かに、一時的な勝利を収めてることもあった。
 だが、対極的な勝利を収めたことはない。
 それを、理解できない人達ではないはずなのだ。

「しかし! 今後の使徒戦においても「計画に変更はない。」

 僅かの反論さえ、認めないゲンドウに捻じ伏せられてしまう。
 ホログラフとは思えない威圧感を漂わせながらの言葉に、周囲の者も一切の反論を封じられる。

「葛城本部長は本作戦において私情を隠せないようだ。赤木博士、君が指揮を取りたまえ」

 指揮権の剥奪、つまりは、本作戦における救出対象はシンジではない。
 ゲンドウの発言はそれを意味していた。
 初号機本体はその強靭さもあるのだろう、この作戦を実行しようとも回収が出来る。
 その確信があるのだろう。
 だが、パイロットの保障はしない。
 人命と機体の天秤は彼らにとって比べるべき比重に値しないのだ。
 例え、それが3人の命であっても。

「了解しました」

「では、後は頼んだ」

 目尻を吊り上げ厳しい視線を隠しもしないミサトの前から、立体映像が消える。

〜それほどまでに、初号機が大事なの? 初号機にはなにかあるのね…〜



















〜う… んっ… また寝ちゃったのか〜

 再び、目が覚めた。
 だが、視界は闇の中。
 瞼を通して、明かりが少し離れたところにあるのがわかる。

「アダムが目覚めてしまった以上、SecondImpactが起きてしまった以上は、私達に残された道はこれしかないんです…、貴方の苦悩も分かりますが」

「しかしっ! コピーとは言えアレは使徒の…リリスなんだぞっ!」

「声が大きいですよ、あなた? シンジが起きちゃいます」

〜父さんと母さんだ、アレが使徒のコピーって、アレって何? リリス?〜

 もっと聞きたい、そう思いシンジは目を開け立ち上がろうとする。
 が、体は言うことを聞かない。
 金縛りではない。

「だが…、君が被験者になるということは…」

「ですが、人にさせるのも卑怯です。わかってください…」

 過去の出来事を夢見てるだけだ。
 人が思い出すことの出来ない、深層の記憶。
 自ら封じた記憶。
 そのことに気付いたとしても、その思いは強くなるだけ。

「危険と判断されるようなことは…させんぞ」

〜動けよ、動いてよっ! なんで、僕の体なのに…動かないんだよっ!〜

 両親を問い詰めたい。
 だが、その意識はまた、意思を裏切り沈んでいく。



















 静かな通路に、突然乾いた音が響き渡り、通る者達全てが動きを止める。

「たとえリツコでも、シンジ君に何かあったときは許さないわよ、
 それに、私だけじゃないわよ。
 アスカもレイも… 特に、二人は殺しかねないわ」

 ミサトの言葉に、リツコが冗談でしょとばかりに鼻で笑う。

「シンジ君を失うのは貴女のミスなのよ…それに貴女やアスカはともかく、レイが? 笑わせないで頂戴」

 自分の考えに絶対の正義を感じるものが、他人の細かい変化を捉えられないが如く。

「あら、リツコは知らないの? 
 さっきだって、シンジ君が助けた子供達を殺す勢いだったらしいわよ。
 殺意むき出しで、叱ってるようには見えなかったって。
 メンテの職員も見てるわよ。」

 その言葉を聴いた刹那、リツコに僅か一瞬だが驚きが見えた。
〜ありえないわ…そんなこと〜
 リツコにしてみれば、ありえないとしかいえないのだ。
 人でないものが、人の感情を持つ。
 半分は人なのだと分かってはいる。
 だが、はじめてみた時から、レイに感情は見えなかった。
 そして、感情を憶えなかった…。
 だから、人ではない…、そう決め信じてきたのだ。
 その少女が感情を出して、殺意を出して詰め寄ったなど、

「あら、そう。」

 内心の動揺を、素っ気無い言葉で返す。
 すでに、リツコの理解の外側に事態は動いてしまったのだが、それに気付くことは出来ない。

「碇司令やあなたが!そこまで初号機にこだわる理由は何? エヴァってなんなのよっ!」

 突如として襟首をつかみ上げながら詰め寄るミサトに、リツコはその内心を隠すべく視線をはずす。

「…あなたに渡した資料が全てよ」

 その答えにミサトが満足できるはずはなかった。
 つかんだ襟にさらに力を込めて、首を締め付けるように捻り上げる。
 さらに、まだ隠すのかと苛烈な目で問い詰めるが、リツコはそれにも答えない。

「一つだけ教えておくわ、人の命を軽く見る国が…組織が成功したためしはないのよ。させないからね、なんとしても、」

 捨て台詞のを残し、踵を返して何処かへと去って行くミサト。
 彼女は今回の作戦において、居場所はない。
 指揮権を持たない指揮官が発令所にいても、何も出来ない。
 何の報告も受け取れない。
 ただ其処に在るだけ。
 ミサトにとっても、世界の命運という天秤では、世界の方が勝る。
 だが、これを思い出させてくれたのはシンジだ。
 絶叫の中で友人を守り、命令を無視してまで…。
 あの時のシンジが錯乱状態だったのは分かっている。
 だが、錯乱していても、友達の命を守ること選択したのだ。
 それが故に彼は変わった。
 目的のない戦いから、守るための戦いへと…
 人一人を守れない人間が、人類を守るなどと言えない。
『僕にも、守りたいものがあったんです』
 さらに言えば、今回の対象は撃退数においても実績においても、エースであるのだ。
 全体数の2/3を退けておきながらエースを自称しない、そして、エースではないと言い張る少年。
〜それで、シンジ君が大人になったって…でも私も大人。保護者なんだから私がシンジ君を…なのに…〜
 今、ミサトが出来ることはない。
 少年が、守った者と守りたい者。
 それを励ます程度ことしか…。

〜命の存在自体が、無くなるのにね…、先を見なくて済む分、彼の方が幸せかもしれないわよ〜

 立ち去るミサトを、見送るようにリツコは眺め、心の中で呟いた。
 自嘲の笑みを浮かべ、端末に向かいなおす。
 そして、自らが人形と称す少女に殺される自分を想像していた。



















〜眩しいな…〜

 目も眩むような日差しの中で目が覚める。
 木製の柵が見渡す限り続いていて、その向こうには太陽の光を反射させる湖。
 シンジが最近見たばかりの風景に酷似している。

〜ここは…芦ノ湖?〜

 そして、乳母車に乗せられたシンジ。
 目の前にしゃがんで、優しい微笑を絶やさず見つめるユイ。

「今日も変わらぬ日々か… この国から秋が消えたのは寂しい限りだ…」

〜また、夢? それにしても、この声…聞き覚えがある…だれだ?〜

「ゼーレの持つ裏死海文書。そのシナリオのままだと、十数年後に必ずサードインパクトが起こる…」

〜ゼーレ、シナリオ…なんだよそれ、サードインパクトが必ず起こるって〜

 口に出したいが、その口からこぼれるのは意味を成さない音だけ。
 体を動かそうとしても、動くはずがない。

「最後の悲劇を起こさないための組織… それがゼーレとゲヒルンです」

 子供に理解できぬ会話であるがゆえに、ユイもまたシンジから視線を外さない。
 木漏れ日が降り注ぐ中、幼いシンジはその湖面に反射する光の楽曲に目を奪われている。
 幼いその好奇心が、それを求めて

「解っている。私は君の考えに賛同する。だが、ゼーレにではないよ」

〜君の考え? なんなのそれ? 母さん…〜

「冬月先生、あの封印を世界に解くには… 大変危険です。」

 幼いシンジは母親のその言葉が自分に向けられた物ではないことに拗ね、むずがるような声を出す。
 それに応えるように、ユイはシンジの手を取り、あやす。

「資料はすべて碇に渡してある。個人で出来ることではないからね。この前のような真似はしないよ」

 むずがる声に、話しながら振り向く姿を見たとき、シンジはそれが誰だが認識することができた。

〜副指令!?〜

 髪の色も、顔つきも若いが、間違いなく同一人物であると。
 そして、冬月が母親となんらかの関係があることを即座に理解できた。

「それと、なんとなくも警告も受けている。あの連中が私を消すのは造作もないようだ…」

 冬月は幼いシンジが大きく声を上げてるのを優しく見るが、すぐにその視線は別の物へと変わる。
 後ろめたさからなのか、憂うような、物悲しげな視線。
 はしゃぐ姿を眺めているのが辛いのか、それもすぐに湖に戻ってしまう。

〜何かを隠してる…ゼーレ・ゲヒルン…何かあるんだね…〜

「生き残った人々もです…簡単なんですよ、人を滅ぼすのって」

〜…っ!なんだよそれ、そうしない為に僕は戦ってるって言うのにっ!〜

「だからといって、君が被験者になることもあるまい」

 幼いシンジは母の手にあやされるだけではもの足りず、さらに甘えようと強請り始める。
 それに応えようとユイもまたシンジの脇に手を入れ、ゆっくりと抱きかかえる。
 シンジもまた、抱えられた嬉しさを表すように、ユイの頬に何度も触れる。

「すべては流れのままにですわ… 私はその為にゼーレに居るのですから」

 自らの未来を悟るが如く、穏やかな話し声。
 だが、その瞳の奥には悲しさが満ちている。
 決して泣いているわけではないのだが…泣いているように見えてしまう。
 シンジが自分の知らない何かが動いてることを理解するには、十分だった。

「シンジの為に…」

〜僕の為に…って、駄目だ…寝ちゃ…だいじ…な…〜

 再び、シンジの意識はその意思に逆らい闇に包まれていくだけ。



















 レイはいつも通りに、休憩室で本を読んでいた。
 本を必死に読み…理解しようとしてる。
 普段、その行為に特に意味はないという彼女の言葉通り、時間をつぶす為に読んでいるだけ。
 そして、本の内容を知識として、頭の中に詰め込むだけ。
 本の内容や、其処に出てくる人物の心理考察などまったくしない。
 小説は、人物の心情などに主観が置かれる。
 SF作品のように技術的なことが其処に、出ていたとしても、それは説明でしかない。
 故に、彼女は小説の類をあまり好まない。
 得られる知識の量は、学術書と小説では桁が違うのだから、当たり前といえる。
 だがしかし、ここ数ヶ月、彼女の読む本の内容が異なってきた。
 学術書も確かにある。
 だが、哲学書や小説がその割合を増してきているのだ。
 自分の中に、僅かに浮かび上がる感情というもの。
 第伍使徒戦時にシンジの言ったただ一言が、彼女にそれを学ばせることを憶えさせたのだ。
『笑えばいいよ…』
 涙を流し、笑顔を浮かべながら。
『嬉しい時にも涙は出るんだよ』
 嬉しいって、何?
 自分には感情というものが、理解できない。
 彼の言う、怖い。悲しい。嬉しい。
 基本的な感情といわれるものさえ、自分には理解できてなかったのだと。
〜人ではない私には…いらないもの〜
 彼を知るまではそうだった。
 自分の保護者たる司令の息子。
 理由は分からなかったが、いつからか彼の言葉が気になった。
 そして、彼を知ろうと、その感情というものを理解しようと学び始めた。
 今日、彼女は新たな感情を発露した。
 あの幼い子供達に、自分は“怒り”をぶつけたのだと。
 以前にも、その発露はあった。
 だが、其れが“怒り”であることを、理解していなかった。
 シンジが司令を、父親を信用できないと、語った時。
 自分の信じるものを否定された時、彼女はシンジの頬を叩き、怒りを表したのだ。
 今は其れが分かる。
 同時に… 言いようのない感情が、心の中にあることを知った。
 言葉で表すことが出来ない。
 調べようとしても、集中できない。
 思い出そうとしても、その感情が邪魔をする。
 子供達の前に居るときには、其れを感じなかった。
 心の中に在ったのかもしれないが、分からない。
 怒りの感情に支配されていた為に、心の中を理解できなかったのだ。
 その怒りが対象を失って勢いを失った時、それを理解した。
 端的に言えば“悲しい”のだ。
 悲しいとは、涙を流し、後悔し、心が痛くなる。
 知識としては知っている。
 だが、自分の心が其れに該当していると思ってないのだ。
 誰かが、端的に語ってくれれば、分かるだけ。
 しかし、それは適わない。
 少なくとも、現在はいないのだ。
 それを教えてくれる可能性のある人物は、今、異世界に旅立っているのだから。





しふぉんさんからコトノハノカミ第三話をいただきました。

続きの気になるところです‥‥。

みなさまもぜひしふぉんさんに感想メールを送りましょう。