二人は、引き離されることを恐れた。
 その功績に世界は、二人が共に居ることを恐れた。

「アスカ、僕らは生まれ変わってもずっと一緒だよ、」

「決まってるじゃないっ!アンタ以外でアタシの隣に立つ資格のある男がいると思ってるの?」

「無いって、信じたいよ」

「じゃぁ、答えはひとつでしょ? 生まれ変わっても、アンタはアタシの隣だけよ」

「うん、僕の隣もアスカだけだよ」

 世界の英雄はこの会話を最後に世を去る。
 彼らの死は、世界を揺るがした。
 そして彼らの幸せを祈る世界に人々は、新たに生まれくる命に彼らの名を与えた。
 世界に多くのシンジという名の少年と、アスカという名の少女が生まれた。
 大人達は全ての二人に幸あれと祈りを捧げる。


















 僕が生まれる半年くらい前の話らしいけど、世界の英雄と呼ばれる少年少女が死んだらしい。
 詳しいことは良くわからないけど、なんか悲劇のドラマだったらしい。
 それが原因で…僕の名前はクラスの1/3を占めてる。
 そしてもうひとつ、同じ様にヒロインの名前で占領されてる。
 いつの頃からか、僕の周りにはいつもこの4人のアスカがいる。
 青みを帯びた銀髪に赤い瞳の女の子・綾波アスカ
 茶髪のショートカットに少し垂れ気味の目をした女の子・霧島アスカ
 そばかすに二つに分けたおさげが模範的な女の子・洞木アスカ
 そして、まだ赤みの強い金髪だけど、将来は綺麗な金色に変わるって言われてる綺麗な髪と、澄んだ蒼い瞳に日焼けしても綺麗な白い肌、澄んだ青い瞳クォーターの美少女にして僕の幼馴染・惣流アスカ。
 全員が美少女って言ってもおかしくないけど、一人だけは別格。
 他にも8人くらい同じ名前の女の子がいるんだけど、その子達はファーストネームで呼ばれるのを嫌っているから、特に問題はないんだけど…
 この4人はファーストネームで呼べって、うるさいんだよね。
 だけど僕がアスカって呼ぶのはこの中でも一人だけ、惣流アスカ…彼女だけ。
 生まれた時から、ずっと一緒に過ごしてきたんだからね。

 思い起せば小さい頃は寂しがり屋の泣き虫なのに強がりだった。
 だからいつも泣きながらこう言うんだ。
『ママが、いなくっ、ても、寂しく、ないもんっ!』って。
 だから僕はいつもアスカの傍に居た。
 アスカが寂しくないようにって、それが当たり前のように。
 そして、約束したんだ。
『シンジのお嫁さんになるっ!』『アスカのお婿さんになるっ!』って
 アスカには忘れてるかもしれないけど…
 僕には忘れられない約束だから。
 このことを思い出すたびに、何故かもう一つの見たこともない映像が思い出す。
『僕は、アスカを決して離さない…だから、ずっと傍に居てほしいんだ、』 
 映像の中で、アスカは目に涙を浮かべながら怒るんだ。
『まぁったく、やっとなんだから! …アタシの答え聞きたい?』
 そう言いながら微笑んでるアスカの姿はきっと、僕の欲望が生み出した何年後かの姿だと思う。
 何かのお告げだとしても…まだ、先のことみたいだし。
 それよりも、今は現実に問題がある。
 僕と同じ名前をした男子はほとんど…アスカを狙ってるらしい。
 何とかしないといけないって思うんだけど…
 どうしたらいいのかな、わかんないよ、












  〜蘇生

書イタ人:しふぉん












 シンジがアタシを見ながら溜息をついてる…
 最近すごく増えた。
 見られてることに気づきながらも、アタシは気づかないふりをしてシンジの様子を伺い続ける。
 こうは言っても、シンジが多すぎるから限定できないって言わちゃったら困るわね…
 アタシのクラスには、シンジが15人近く居る。
 よく話すシンジに絞っても、4人。
 メガネオタクの相田シンジ・スポ根馬鹿の鈴原シンジ・軟派師の渚シンジ
 そして、アタシの幼馴染にして、世界の英雄と同姓同名の碇シンジ。
 まぁ、アタシもその世界の英雄とやらと同姓同名。
 世界の英雄と呼ばれた少年少女は、世界を救った後…大人達の汚い世界に弄ばれた。
 二人の持つ力は、この世界の中では強すぎたから。
 故に、どの国家もその力を取り込もうとし必死に画策したらしい。
 その結果、引き離される…そう思った二人は、心中という手段に出た。
 残される大人たちに最後に残したメッセージは、世界を平和にしてくださいって…。
 そして何よりも二人だけの最後の会話は、悲劇のドラマとして世界中に伝えられて…大流行しちゃったわけよね…
 それが、ベビーブームに重なったもんだから、世の中にはこの二人の名前が溢れちゃった訳で…
 二人に関して書かれた本は今でもベストセラー。
 (“福音というの名の下に…”青葉シゲル著Nerv出版)
 ママに至っては、初版はもちろん、愛蔵版ハードカバーの初版他…読む用・保存用と区別してて、同タイトルの本を5冊も持ってる。
 やっぱり、憧れってあるのかもしれないけどねぇ…
 世の新父母親は…自分の娘・息子にその二人の名前をつけちゃうのよね。
 だから、シンジって呼んでも区別がつかない。
 シンジがアタシを呼ぶと返事するのが4人。
 アタシがシンジって呼ぶのはただ一人だけなのに、余計な連中まで返事が返ってくる。
 ただ一人、向かい側の家に住んでて、生まれたときからずっと一緒に居る碇シンジだけに返事してもらいたいだけ。
 余計なやつの返事は無視。
 それに、シンジに対して…ここ数年、激しい競争が起きてる。
 表向きは仲良しみたいに振舞ってるけど…水面下の争奪戦は過激になってきてる。
 特に3人!アタシを含めて4人ね。…それも、同じアスカって名前で。
 シンジが呼び捨てにしていいのはアタシだけっ! それ以外の連中は認めないんだからっ!
 だって、シンジはアタシの旦那様になる人なんだから…約束だって…

『ずっとアスカを守ってあげるんだ、だから…』
 あの日、幼いアタシは雨の中、いつもと一緒ではしゃぎ回ってた。
 シンジもママも居て、凄く嬉しかったんだと思う。
 当時のアタシは酷い泣き虫で、いつもシンジとママが揃って居ないと泣いていたらしい…あんまり覚えがないんだけど…
 そして、アタシはお約束のように…交通量の多い裏道に飛び出した。
 その後は鳴り響くタイヤの悲鳴しか…覚えてない。
 気づいたときにはシンジがアタシの前で倒れてて、流れ出てくるシンジの赤い血を見て…気を失った。
 目を覚ましたときには、シンジと共に病院に運ばれてて、シンジの傍でママに抱かれてた。
 そしてママの手を飛び出して、シンジに抱きついたのよね。
『アタシのそばにずっといるって!やくそくしたでしょっ!』
 そして、アタシは訳の分からないことをずっと叫んでいた。
『絶対にアタシを一人にしないって言ったじゃないっ!』とか、『アタシの夢をかなえてくれるって言ったじゃないっ!』とか…
 あの時、アタシの中にはもう一人のアタシが居た。
 大人になってて…いや、ちょうど今の数年後の姿だと思う。
 シンジの姿も今より少し大人びていて、凛々しい。
 それがきっちりと頭の中に描かれてた。
 現実のシンジが目を覚ましたときに、頭の中のシンジと二人で言ってくれたのがさっきの言葉…
『だから大丈夫だよ、約束は守るから、』って…
 直後に、麻酔のせいでシンジはまた寝ちゃったんだけど、アタシはしがみついて離れなかったらしい。
 アタシもそれにあわせて抱きついたまま寝ちゃってたから。
 あの時のシンジってば…格好良かったなぁ…
 今のアイツがかっこ悪いって訳じゃないんだけど、あれは特別。
 もう、二度と見たいとも思わないし。
 これで、何度目なんだろ…助けてくれたのって…
 ????
 何度目って、一度だけに決まってるじゃない…命の危機なんて、何度もあるわけがないわよ。
 なのに、なんだろ…最近、記憶がおかしい…
 ふとシンジを見ると、まだ難しい顔をしてう〜んって唸ってる。
 何を悩んでるんだか…アンタは笑ってるほうが可愛いのに、そんなにしかめっ面しなくても…
 もうすぐアンタの顔を見れなくなっちゃうかも知れないんだから、せめて笑顔を覚えさせてよ、
 忘れられないくらいに…

















「悪ぃのぉ碇、ちぃっと頼まれてくれんか?」

 帰り支度をしてる僕に前触れもなく話しかけてきたのは、鈴原シンジ。
 運動神経は学年でTOPを争ってる、自称硬派のスポーツマン。
 だけど、その容姿から怖がられてて、女の子からは避けられてる。
 いつもなら相田となんか悪いことをしてるんだけど、今日は一人だ。
 それに、今日はやけに真面目な顔で話しかけてきた。
 特に僕にもこれといった用事もないし、真面目な顔をする友人をほっておくこともできない。
 うなずいて返事をすると、申し訳なさそうな顔をして、

「ここじゃ話しにくいことやんか、付きおうてもろうてええ?」

 そこまで言うんだから、よっぽど大事なお願いなんだろうと思う。
 言われるままについて行くと、鈴原は屋上に出た。
 やけに晴れた空は風が強い。
 もう帰るだけだから砂まみれになってもいいけど、休み時間とかだったら嫌だったな。
 そんなことを考えていたら、鈴原は懐から1通の手紙を取り出す。
 もしかして? アスカに? そんなことなら絶対に断る。
 鈴原がアスカを狙ってるらしいっていうのは、他の女子から聞いてるし。
 それに鈴原に限ったわけじゃなくて、多数居るのも既に周知の事実だし。
 だけど、アスカだけは誰に頼まれても譲りたくない。
 幼いころからずっと想い続けてきたのに、後から現れた奴らに攫われるなんて嫌だから。

「あんな、碇…アス…」

 この瞬間の僕の表情は、説明する必要は無いと思う。
 鈴原の表情は、一瞬にして真っ青になってたし。
 僕の手は強く握りしめられてて、見なくても真っ白になってるだろうって想像できる。
 振り上げるわけじゃないけど、我慢できるものでもないし。

「ちゃうって!勘違いすなや…霧島アスカや、」

 へ?
 緊張が一気に抜けて、道連れに魂まで持って行きそうなくらい、体から抜け出していく。
 それを見て焦っていた鈴原も落ち着きを取り戻してる。

「霧島とはよく話しとるやんか? 仲もええみたいやし」

 もし、アスカなら…って気張ってただけに、拍子が抜けた。
 まぁ、仲がいいって言うか、向こうが一方的に絡んでくるだけなんだけど…

「仲がいいって言うか…まぁ、世間話程度はするけど? もしかして?」

「そや、これをな霧島に渡してくれへんか?」

 そういうと、恥ずかしそうに頷いて、手紙を僕の方にすっと差し出してきた。
 何も僕に頼まなくったって、鈴原だって霧島と話をしないわけじゃないし…っていってもホントにたまにだ。
 自分で渡せばいいと思うんだけど、
 何で僕に頼むの?と訊いてみれば…、鈴原は恥ずかしそうに顔を赤くして俯いてる。 
 それと同時に、何かやるせなさそうな雰囲気も感じられる。

「ワシもな、何度かがんばってみてん…やけど、いざとなると…下駄箱いうんはなんやし…」

 なんとなくわかる。
 僕もアスカに、ラブレターを渡そうと思ったら…きっと出来ない。

「恥ずかしい、いうのもあるんやけど…、ごめんなさいって言われそうやんか…」

 わかるよっ!その気持ち!
 鈴原!君の事を疑った僕を許してくれっ!
 なんて、思う事自体…僕って現金だな、
 ライバルが減るんだってだけで、こんなに喜んでるし。
 まぁ、最近のアスカの人気は…留まることを知らないんだから、僕だって気になる。
 最近は市内の高校生までラブレターを渡しに来てるらしい…
 それに何より、前はずっと一緒にいたのに…最近は登下校のときにたまに一緒なだけ。
 僕を毎朝、必ず起こしに来てくれるけど、そのまま僕をおいて先に行っちゃうんだよね。
 最初は…嫌われたのかと思って、すごく落ち込んでたけど。
 もう年頃なんだから、僕と毎日一緒にいたら、勘違いされちゃうもんね。
 恋人同士なんてさ…僕はそうされたいんだけどな、
 だけど、告白なんてする勇気は無い…告白してもし駄目だったら…
 きっと、今までみたいに仲良しとしても傍に居れなくなるから。

「いいよ、霧島さんに渡せばいいんだよね?」

 答えた瞬間から、この世の春みたいに喜んでくれてる。
 そこまで喜んでくれるなら、悪い気もしない。
 それになにより、僕にとっての悩みがひとつ消えることになるし。

「悪いの!ホンマありがとさん! 恩にきるわ!碇」

 明日でいいって言われて僕が頷くと、鈴原は走って帰っていった。
 僕はそれを鞄にしまうと、ゆっくりと家に向かった。

















「アスカ? 決めてくれた?」

 最近の夕食の話題は…こればっかり、
 パパがドイツの研究機関に招聘されちゃって、それに伴って私たち母娘も…ドイツにって…
 一足早くパパはドイツに行って仕事をしてる。
 アタシの心の中では、行きたくないって決まってる。
 だけど、パパもママも一緒にって…一人だけ日本にとどまるわけにも行かないし。
 残るとすれば…ママも残ることになる。
 そうすると、パパ一人だけでドイツに。
 断ればいいのにって、思ったんだけど…それも出来ない。
 パパを呼んだのは、世界の英雄が在籍していたNervって言う組織の研究部門。
 今も世界の警察って呼ばれてるけどね。
 そんなところからの招聘を家族の都合でなんて言ったら、多分この先のパパの仕事にかなりの影響が出る。
 本部は日本にあるのに…なんで、ドイツの方になのよぉ…

「まだ、もうちょっと考えさせて、ママ…」

 結局、どっちにも決められない。
 ママと一緒にドイツに行ったほうがいいと思うんだけど…行きたくない。
 だけど、イヤっていうからには…理由がないとダメ。
 やっぱり…はっきりさせないと駄目なのかな…
 困った顔をしてるママを見るのもイヤだけど、ハッキリさせられない。
 だって…もしもって思ったら、訊けない…。

「そう、まだ少しは考える時間はあるけど… シンジ君には?」

「まだ…」

 『行かないで、アスカ』って、言ってくれるなら…すぐにでも訊けるのに。
 そんな都合のいい答えは…
 昔なら、きっとそう言ってくれたと思う。
 今みたいに距離もなくって、暇があるとシンジの傍に居たころなら。

「やっぱりシンジ君とは離れたくないのかな?」

 そういうママの顔は優しいけど…目は猫みたい…
 からかってるのよね。
 でも、そんなことをからかわれても…アタシには大問題なのに。

「ごちそうさまっ!」

 食事なんか、もう通る喉はない。
 ママがなんか言ってた気がするけど、聞く気もない。
 霞んでくる視界を無視して部屋に駆け足で戻ると、ベットに飛び込んでシンジがくれたお気に入りの猿のぬいぐるみを抱きしめたまま、アタシは小さくうずくまる。
 ぬいぐるみの茶色い毛がこげ茶色に少しずつ変わっていくのが滲んだ目に映る。
 わかってるの癖に…ママのばかっ!
 アタシがずっと好きなことは、ママなんか知ってる。
 ずっと前には、アタシが寝言でシンジの名前を呼び続けてたとき、わざわざそれを録音してアタシをからかってたこともある。
 知ってるくせに、シンジと離れたくないから悩んでるって…

















 ただ、暗闇だけしか確認できない中で、ひそんだ多数の息遣いがそこに流れる。

「惣流の方は問題ないか?」

「…順調よ。」

「シナリオの第一幕は成功したな。」

「そうやな、失敗するわけにはいかんで?」

 複数の同意の声が響く。
 声だけが聞こえるが、その姿は全く確認できない。

「じゃあ、第二幕に移行するわよ」

「明日は頼んだで、ヒカ…「しっ!」

 一際大きな声とともに、暗闇の中から冷たい視線だけが一点に向かう。

「盗聴の恐れはないけど、あのアスカよ? もうちょっと注意して頂戴。」

「す、すまん…」

「では、本日の会議はこれで終了する。」

 議長とおぼしき宣言とともに、窓に挽かれていた暗幕が開かれ、薄明かりが室内を照らし出す。
 円卓上に並べられた学習机と椅子。
 そして、部屋の片隅に追いやられた多数の机。
 一人を残し、4人の少年少女が薄明かりの中を退室していく。
 一人残された少年は寡黙にただ机を並べていく。

「わざわざ、並べ替えなくてもいいじゃん…議長って肩書きだけだな」

 ポツリと呟いた彼の言葉は誰の耳にも届くことなく、ただ机を並べる音に飲み込まれる。

















 放課の鐘の音と共に、クラスメイトの数人がアタシに駆け寄ってくる。
 くだらないお喋りの為に、今日の予定を聞いてくる。
 それがいつもは楽しくて、一緒に遊びに行くんだけど…今日は違う。
 夕べから朝方までずっと考えてた。
 止まらない涙を必死にこらえて考えに考え抜いた結論は…駄目でもいい、シンジに言おうって。
 終わったらすぐにシンジの所へって、SHRまでの間に帰り支度を整えてある。
 そう思って、シンジの方を見たときにはすでにシンジの姿はなかった。
 教室の中をぐるっと見回しても、その姿のかけらもない。

「ねっ、シンジ見なかった?」

「え? 知らないよ? 碇君でしょ?」

 「うん、」ってコクリと頷くと、周りにいる友達は互いに顔を見合わせ、確認しあってる。
 全員が首をかしげて「さぁ?」ってポーズをしていると、アタシの後ろ、会話の外にいた人物が教えてくれた。

「…碇君なら、終わるとすぐに出て行ったわよ、昇降口とは逆方向だったから校舎裏かもしれない…」

 綾波アスカ…この女の笑顔はシンジの傍で以外は見ることができない。
 シンジに気があるということはこの時点で学校内全ての人が分っている。
 それをまた、隠しも否定もしない。
 だから、いつもその視線の先にはシンジがいるとされている。
 その綾波が言ったんだから、間違いなくシンジは裏庭に向かったんだろう。

「今日はちょっと、シンジと用事があるから、ゴメン!みんな」

 そう言って、アタシは鞄を抱えて走り出した。
 廊下の窓から校舎裏を覗いてみると、確かにシンジらしき人影が更に人目のつかない裏手のほうに歩いていくのが見える。
 あんなところに何の用かしら?
 何かがそこに行ってはまずいって…囁いてくる。
 そう言われると逆にそこに行かなければいけない気がしてくる。
 そんなことを考えるより、今はとりあえずシンジに追いつかないといけないわね。
 残された時間は、もう1ヶ月もない…
 たったひと月の間だけでも、シンジとそういう関係でいれたなら、何年か後にアタシは一人でも帰ってくる。
 その時まで今の気持ちを続けられるようにって…そういう関係でずっといれるように頑張れる。
 だからこそ、アタシは行かなきゃいけない。
 昇降口から校舎裏のほうには通り抜けできないから、普段はみんな上履きのまま外へ出る。
 先生たちも特にそれをとがめることはないからアタシも階段を下り、そのまま校舎を出る。
 さっき上から覗き見た様子からすると、シンジの目的地はきっと裏庭にある用具室の影。
 あそこは相田が良く写真を売ったりするのに使ってる。
 校舎からはまるっきり見えないし、学校の外からもまるっきり見えないからそういう秘密の何かをするにはうってつけの場所。
 アタシに隠し事でもするつもりなのかも知れないけれど、そんなことさせる気はない。
 どうせ鈴原や相田と、悪巧みでもするつもりなんだろうけどね。
 だからアタシは構わず進んでいった。
 そして、用具室の影が見える場所まで進んだ時…それがただの思い込みだって気付かされた。
 アタシの足は急に動かなくる。
 目に映るのはシンジと…そしてもう一人、シンジにいつもまとわりついてる女だ。
 アタシと同じ名前を持つ女「霧島アスカ」
 シンジが鞄から何かを取り出して、それを俯きながら…あの女に渡してた。
 遠くから見ても解かる。
 白地の横封筒。
 男の子がそれを使う目的なんか、アレくらいしか…いつもアタシに踏みつけられて…そして、アタシが今もっとも欲しかったモノ。



 ラブレター。




 シンジが小さな声で何かを話してて…それを嬉しそうにあの女が聞いてる。
 アタシが見てられたのは、そこまで。
 あふれる涙が、あたしの目に映るもの全てを滲ませて、シンジの姿もプールの底から覗いたみたいに揺れてる。
 気づけば、アタシは校舎のほうに向かって勝手に進んでた。
 俯いた視界に移るのは歪んだ地面とアタシの足。
 胸の奥が鼓動にあわせて、締めつけられるみたいに痛い。
 アタシが貰うはずのモノだったのに…どこでズレちゃったのかな?
 アタシの方から…もっと早く言えば…良かったのかな?
 最近、一緒に学校に行ってなかったから?
 それとも、あまり遊ばなくなったから?
 いっつも、デートのこと荷物持ちとか言ってたから?
 言ってくれるって…約束してたのに…シンジの方からって…
 無意識に動く足は、アタシを勝手に運んでいく。
 気づいたときには夕べと同じ場所、同じポーズ。
 お気に入りの…うぅうん、もう思い出のぬいぐるみを必死に抱きしめていた。
 思い出にかわっちゃ…思い出にしても・・・
 イヤっ…したくなんか、ないの・・・に・・・

















 繁華街の外れにあるファミレス。
 学校帰りの少年少女たちの溜まり場になるのは避けられない立地条件。
 これから街へと繰り出す人、街から帰ってきた人が立ち寄り人が溢れるはずなのだが…
 踏み入った客は店内の一点から広がる黒い空気に一服もままならず、店を後にする。
 一点に陣取るのは、制服姿の少女達。

「なんだ、私達が連れて行ってあげようかと思ったのに、勝手に行って勝手に暴発しちゃったのね。」

 お下げの少女・洞木がそう言うと、そのときの様子を見ていた綾波が静かに頷く。

「びっくりしたわよ、シンジから手紙を受け取ろうとしたらアスカが一人で立ってるんだもん、予定と違うし、」

 彼女達は言葉こそ溜息混じりに聞こえるが、その顔は喜びに満ちあふれてる。
 遠くからチラリと見る程度であれば、その空気は微笑ましいものに見えたのかもしれないが…
 その雰囲気は妖しさに満ちている。

「誘おうとしたら、急に用があるからって碇君を追いかけて行ったのよ。 綾波さんの機転には感謝するわ」

「これで後はアスカがドイツに行けば完璧ね。男共には可哀想だけど」

 隣に並ぶ綾波も深窓の令嬢よろしく静かに話す言葉は清純だが、発する気は妖気そのもの。

「…大丈夫、あのロンゲなら私の言うことは聞いてくれるわ」

 肩をすぼめて、俯き、口元に手を当てて、笑い声がクスクスと囁かれる。
 もし彼女達の前髪に隠れた目元と、手に隠された口元が見えたなら…彼女達に春が訪れることは永遠に無かったであろう。
 幸いなのか、計画的なのか…その雰囲気に店の者さえ近寄ることが出来なかったのだから。

〜まったく…女性陣は過激だね、これが恋というものなのかい…争いの歴史っていうやつだね、
 シンジ君の為だからね、少し調べてみるとしよう〜

















 学校への道を走るのは久しぶりかな…
 いつもなら一人で歩いても間に合う時間に家を出るけど、今朝は寝坊した。
 毎朝必ず起こしてくれるはずのアスカが、今朝は起こすどころか家にも寄ってくれなかった。
 風邪でもひいたのかな?
 まぁ、学校に行けばわかることだし。
 とりあえず、必死に走った甲斐もあって始業には間に合ったんだけど…アスカの姿はなかった。
 病欠の連絡もないらしい。
 心配になって、家に電話しても誰も出ない。
 「碇はしらんのか?」って、鈴原達も心配して訊いてくるけど…わかんない。
 携帯にかけても圏外のメッセージが流れるだけ。
 朝、家を出たことは確かみたいだ、家に電話をして母さんに聞いたら、今朝も元気良く「行ってきます」って声が聞こえたって。
 でも、その後いつもは「おはようございます」ってうちに来るのに、それが今朝は無かったって。
 昨日、学校が終わった後は会わなかったし…
 学校でなんかあったのかとクラスの人に聞いても、いつもと変わらなかったって…
 ひとつだけ分かった事といえば、授業が終わってすぐ飛び出していったってことだけ。
 鈴原に頼まれたことがあるから、僕もすぐ飛び出してる。
 その後は会ってないからわかるはずもないし。
 僕が、何かしたのかもしれない…そう思っていろいろ考えるけど、思い当たる節も無い。
 昨日? それとも、一昨日? 先週?
 わからない…
 いろいろ考えてたり、訊いて回ってたおかげで、午前中はなんとか学校に居ることができた。
 だけど、僕の我慢はそこまでだった。
 昼休みに学校を抜け出して、町中を探し回った。
 アスカが居そうな所を色々と…
 以前話に聞いたケーキ屋さんとか…
 行きたいって言ってた雑貨屋さんとか…
 だけど、見つけることが出来なかった。
 結局、家に帰ったのは深夜。
 母さんから、アスカが家に帰ってるから、僕にも帰って来いって…

















 シンジに逢いたくなかった…
 泣いて泣いて泣きまくればスッキリするなんて、誰が言ったのか知らないけど、全くそんな事なかった。
 いつまでたっても涙は止まらないし、胸の痛みは引く気配がない。
 今シンジの顔を見たら…また耐えられなくなる。
 だからアタシは毎朝の約束も放棄した。
 それと、イヤでも教室に入れば、見なきゃいけなくなるから学校もサボった。
 学校に行くフリをして家を出たアタシは、学校とは逆方向の駅に向かった。
 どこかに行こうと思ったわけじゃなくて、ただ誰もいないところに行きたかったから、
 電車に乗ってどれ位したのか分からないけど、ふと眩しい光に窓から外を見たら海があった。
 次の駅で降りて、誘われるままに海に向かって歩き、たどり着いた場所がここ…
 幸いに砂浜には誰も居なくて、内海になってるのか波も穏やか、波乗り目当てで来る人も居ないような静かな砂浜。
 そこにただ座って海を眺めてながら、色んなことを思い出してた。

 シンジはきっと憶えてない。
 ずっとずっーと前、まだ幼稚園に通ってたころ、アタシがお嫁さんにしてっ!、なぁんて言ったことあるのに。
 小学校に入ってすぐの頃…アタシと毎日一緒に通ってたから、シンジは良く夫婦ってからかわれてたこと。
 アタシはそれが嬉しくて、言われるたびに『そうよっ!』ってシンジに飛びついてたんだっけ。
 なのに、仲良しの友達もいっぱい出来ると、シンジと遊ぶのが減って、ほんの少しシンジとの距離が開いた。
 同時にアタシは赤毛ってことで男の子たちから苛められていた。
 そんな時は必ずシンジが助けてくれた。
 涙を堪えてじっと我慢してると、シンジがすぐに飛んできてくれた。
 そして理由を話さないシンジは、いっつも先生に一人で怒られて…
 歳を重ねると、それもなくなった。
 アタシの周りには親友って呼べるような友達もいっぱいに増えた。
 クラス替えもあって、シンジと離れたときは泣きそうだったけど、我慢した。
 だから、シンジとは登下校のときに一緒なだけ。
 最初はそれが凄く悲しくて、毎朝いじけてた。
 だけど、それにも慣れちゃって…またシンジとの距離が少し開いた。
 学校に帰ってから遊ぶのも女の子同士が増えていく。
 女の子の輪の中に呼ぼうとすると、輪の中の女の子がそれを嫌がるから。
 一度、無理やり女装させた事もあったっけ。
 そういうこともあったからなのかな? シンジの方からも断られることが増えて…さらに距離が開いた。
 そんな時に、シンジが習い事を始めた。
 チェロをはじめたのよね。
 初めてとは思えないくらい上手だって、みんな褒めてたっけ…
 それもあってか、シンジは真面目にやってたわね。
 アタシは正直…寂しかった。
 シンジが盗られちゃったような気がして…
 事実、真面目になったシンジはアタシが誘っても、応えてくれなくなっちゃったから。
 そのかわり、一つだけ接点が増えた。
 夜遅くまで練習するシンジは、朝起きれなくなった。
 最初の2日くらいかな、玄関前で待ってた。
 だけど、それを気にしたおばさんが家の中でって、玄関の中で待つようになって…
 一週間もする頃には、お茶を飲みながらリビングで待ってたのよね。
 っで、それももどかしくなってきて…アタシが起こすようになった。
 毎朝、アイツの寝顔を楽しんで、それから起こす。
 二度目のクラス替えで、また同じクラスになったときには習慣になってた。
 アタシだけの特権って、喜んでたわね。
 だけど、ませてるアタシはその頃には『彼氏』とか『恋人』とか言われると、怒って『幼なじみ』だからよっ!って…
 そして、また距離が開いちゃった…
 そういえば、鈴原に『また夫婦喧嘩かいなぁ…』とか言われたこともあったわね。
 あの時は二人してムキになって違うって…あれ?
 デジャヴかな? それとも妄想かな…
 妄想と現実の区別が付かなくなってるなんて、アタシは狂っちゃったのかな?
 どれくらいの時間が過ぎたのか分かんなかったけど、空は夕日で赤みを少しずつ増やしていく。
 そうそう、そういえば、あの公園の時も…って、あれ?
 高台の公園…そんなの無い。
 シンジもアタシも、ぴっちりとしたレオタードにTシャツを羽織ってて…そんな服持ってない。
 公園のベンチの上でアタシは仁王立ちして、サンドイッチを齧ってて…いつそんな事を?
 妄想? それにしては現実味がありすぎる。
 でも、そんなこと絶対になかった…アタシ狂っちゃったの? ホントに?
 シンジの作ったお弁当…シンジが作るわけ無いじゃない。
 アタシが着てる服も違う。いったい何処の制服なの?
 シンジが作ってくれる御飯…インスタントラーメンくらいしか見たことないわよ。
 シンジが沸かしてくれたお風呂に文句をつけてるアタシ…なんで一緒に暮らしてるの?
 キスして、うがいして…いつ? 小さい頃ならしたけど、中学校にあがってからはそんなことしたことない。
 だけど、その姿は今のアタシ達と同じくらいの姿。
 蹲るアタシとそれに声をかけてくるシンジ…なに、あの赤い服は? シンジも青い服を着てる。
 おかしいわよっ!なによ、これ…妄想だったら、もっと幸せそうなものになったっていいじゃないっ!
 なのに、浮かんでくるのは怒ってるアタシと、悲しそうな顔のシンジ。
 シンジの後ろには赤い空と、赤い海。そして、アタシの首に手をかけてるシンジ…
 目の前に広がる海と一緒の風景…
 アタシの中で光がはじけた。
 病室でアタシの世話を続けるシンジ。
 アタシに必死に謝るシンジ。
 二人で一緒に暮らした日々。

「アスカ、僕らは生まれ変わってもずっと一緒だよ、」

 これって、あの時よね。 
 アイツってば、馬鹿よね。
 同棲なんて、好きでもない男とすると思ってるのかしらね。

「決まってるじゃないっ!アンタ以外でアタシの隣に立つ資格のある男がいると思っ てるの?」

 それとも、こんな風に言ってほしかったからかもしれないわね。

「無いって、信じたいよ」

「じゃぁ、答えはひとつでしょ? 生まれ変わっても、アンタはアタシの隣だけよ」

 そう、この時のアタシは生まれ変わることに疑問を抱いてなかった。
 おかしいわよね。
 死んだらおしまいって考えてたくせに。
 それにこうやって思い出せるのだって、かなりの偶然だったていうのに、

「うん、僕の隣もアスカだけだよ」

 こんな悲しい出来事で思い出すなんて…
 いっそ、忘れたままの方が良かったわね。

「だから、生まれ変わってもアスカを幸せにするって約束するよ、」

「アタシも…」

 そっか…約束したんだっけ。
 やく…そ、く。
 なのに、バカシンジはアタシじゃなくあの女を選んじゃった…
 アタシのせいで。
 アタシがもっと早く思い出してシンジに告白してれば、こんなことにはならなかったのに。
 馬鹿はアタシか…
 告白してほしいからって、わざとつれなくしたり…
 意地張って、生まれ変わっても変わらないんだから、死んでも治らなかったんだもん。
 それに、思い出してないなら…そのままの方がいい…
 あんな記憶、思い出したって良い事なんか一つもないもんね。
 あ〜ぁ…ドイツに帰ろう。
 今のアタシなら、ドイツに行っても特に不自由するわけじゃないし。
 それに、アタシの知らなかった親の愛ってのを教えてくれたパパとママを引き離すのも可哀想よね。
 敗者は去るだけ。
 日本に残っても…辛いだけだし。
 シンジだって記憶を取り戻せば、アタシを…だけど、アイツは付き合ってるあの女のことで悩んじゃうしね…
 アタシが傍にいたら…きっと思い出しちゃうしね。
 それにしても、このアタシがこんなに泣くなんて。
 生まれも育ちも変われば…性格も変わるんだ、やっぱり。
 家に帰ろう。
 そして、パパとママに一緒に行くって言わないとね。

















 あの日から、帰ってきてからのアスカは…僕を避けてる。
 朝は言うまでもなく、起こしてくれないから僕は遅刻を繰り返してる。
 学校でだって、声の届く範囲に居ない。
 授業中だけが唯一、アスカの姿を見ることが出来る。
 学校帰りに追いかけて、声をかけようと何度もした。
 だけど、返ってきたのは一言だけ…呟くように「バカシンジ」って…
 その一言以外は…返事はなかった。
 喧嘩した時でも、ここまでされたことは無かったな…
 こうなってくると僕が何かしたってことは確実だから、何度も謝ったのにそれさえも取り合ってくれないなんて…
 アスカにこんな扱いをされたことは生まれてこのかたなかった。
 そういえば、僕より先にアスカが謝ってきたってこともなかったな。
 そんな中で行われた学年末試験はボロボロ。
 答案なんか、帰ってこなくっても判ってる。
 試験勉強なんか、手につかなかったし。
 いつも僕に勉強を教えてくれた大切な人は…何処かに行ってしまった。
 「バカシンジ」…か…
 そんな言われ方、されたことなかったのに…なんか、懐かしい感じがする。
 何度も何度も、そう呼ばれた気がする。
 実際、馬鹿だよね…もっと早く動いてればこんな事にはならなかったのかも知れないのに。
 言い出す勇気が無いばっかりに、
 それとも、言ってたとしても結果は変わらないかもしれない。
 ただ、見てるだけで何もしなかった…前と一緒だ…
 そして今も終業の鐘が響くと共に、僕は机に突っ伏す様に顔を隠す。
 はた目に見れば、疲れてダウンしてるように見えるだろうから。
 本音は違う。
 避けられているから、僕から近寄るのが怖いから。
 決定的な一言を言われたくないから。
 アスカが友達を誘って遊びに行くまでの間、疲れて寝たフリをしてるだけ。
 そして、教室から静かに姿を消す。
 さすがにここまで暗いと、誰も僕には近寄ってこない。
 以前は良く話してた奴も、何も声をかけてこない。
 一人になりたい僕にとっては、好都合かもしれない。
 教室を出たからといって、学校を出るわけじゃない。
 最近は、日没まで屋上で色々と、考え込んでしまう。
 マイナス方向でしか考えられないけど、それもまた良いかなって思える。
 我ながら女々しいなって、よく解るな…
 グラウンドからは運動部の威勢のいい掛け声が響いてくる。
 日差しで熱くなったコンクリートの上に、横になって空を見上げる。
 目に映るのは青い空と…思い出と一緒に流れる白い雲。
 何度も何度も、同じシーンを思い出したりして…
 たまに、僕の妄想が見え隠れしてる。
 見たこともないような見渡す限りの海の上で、薄く黄色がかってたクリーム色のワンピースで仁王立ちしてるアスカとか…
 風に吹かれて裾がまくれあがって、僕はアスカに引っ叩かれる。
 見たこともない様な制服に身を包み、両手で鞄を抱えながら僕の前を歩くアスカ。
 その赤い髪を靡かせて振り向くと、少し怒った顔で僕を指差して『アンタバカぁ!?』って言うんだ。
 出来すぎた妄想だよなぁ、そんなこと…もう、ありえないのに、
 そして、今日も僕はそのありえない妄想をそれを繰り返す。
 それも、あと3日…
 終業式を終えれば、あとは春休み。
 それも過ぎれば、3年生…クラス替えもあるから、同じクラスになる可能性は低い。
 僕はただの幼馴染のお向かいさんに、なるんだろうな…

「シンジ君、今日もここにいたのかい?」

 不意にかけられた声に、頭を軽く持ち上げて見ると渚君が居た。
 彼が近寄ってくるのを確認するまでもなく、僕は再び空に視線を戻す。
 彼も夕日を見るのが好きで、そのくらいの時間になると毎日現れる。
 普段は女生徒に囲まれて身動きも取れない様だけど、この時ばかりはいつも一人だ。
 そして、不思議なことに自分の名前もシンジなのに、僕のことをシンジ君って呼ぶ。
 コンクリートの上に薄く積った砂がジャリジャリと音を立てて彼が近づいてくることを教えてくれてる。

「また、考え事かい?」

 目線をずらすことなく軽く頷くだけで、僕は返す。

「答えは出たのかい?」

 今度は横に振る。
 ホントは、答えなんか出てる。
 僕はもう、アスカの傍に居ることは出来ない。
 解っているけど、受け入れたくないだけ。
 僕の記憶にない決定的な何かが、アスカとの距離を決定的に広げたということ。

「シンジ君はまた、触れ合うことを恐れているんだね」

 またって言うのも、良く解からないけど、僕が怖がってる?
 そうだね…触れ合いじゃないけど、怖がってるのは事実だ。
 だから、アスカに確かめられない。
 本気で確かめる気なら…アスカの家に押しかけたっていいんだし。
 自分で自分にとどめを刺す事になるんだろうな。
 鈴原なら『男らしいっ!』とか言って、喜んで応援してくれそうな展開だ。
 でも…

「いいんだ、遠くから見てるだけでも」

 僕らしい幸せの形なのかもしれない。
 気づけばいつの間にかに隣に腰掛けてる彼が、呆れ顔で僕を見ている。
 いつの日か…その想いにも決着をつける日が来る。
 それまで、そのままでいたい。

「あまりに離れすぎると、見たくても見れなくなるって考えた事は無いのかい?」

 あと一年は、同じ学校だし…
 それを過ぎても、お向かいって物理的距離が遠くなるわけじゃないし。
 それに、母さんとアスカのお母さんは仲良しだしね。
 いやでもアスカの噂は聞かされることになる。
 現に今だって…最近の落ち込んだアスカの様子を僕に訊いてくる。

「無理だよ、お向かいさんなんだから…どうやったって、近況は聞こえてくるよ」

 苦笑いを浮かべながら答える。
 そう、いくら諦めたって…その距離は変えられないんだから、

「そうかな? さっき職員室で聞いたんだけど、転校するらしいよ? 惣流さん」

 転校?
 その言葉を聞いた瞬間に、僕は飛び起きた。
 そんな話、母さんも誰も言ってない。
 もしそうなら、母さんからなんか言ってくるはず…

「信じられないのもわかるよ、けどね間違いなく惣流さんだよ、先生に確認したからね」

 そんな…
 なんで、そんな大事なこと…みんな、僕に黙ってるんだよ…
 遠くから見てるだけでも良かったのに…それさえも許してもらえないのか…
 僕は、いつの間にか駆け出してた。
 遅刻しそうなときでもこんなに真剣に走ったことは一度もない。
 頭の中で同じ質問が繰り返し提議される。
 なんで? その問いには、誰も答えてくれない。
 必死に駆けてたどり着くと、呼吸も整えずにチャイムを何度も鳴らす。
 迷惑なんて、気にしていられない。
 僕に黙ってるって時点で、向こうも悪いんだ。

「は〜い、ちょっと待ってくださいね〜」

 扉越しにおばさんの声が小さく聞こえる。
 呼吸が戻らないどころか、目の前がクラクラする。
 パタパタって、軽い足音の後にサンダルを履く乾いた音。
 ようやく扉が開いたときに、僕はただ叫んでた。

「なんでっ!転校することっ、黙ってたんですかっ!」

 怒りを込めて僕はおばさんを見る。
 おばさんも驚いた顔をした後、呆れた顔で二階を振り仰ぎながら、そう…って一言だけ。
 それだけじゃ、僕は納得できない。
 嫌われたのならそれでもいい。
 だけど、見ることもできない場所に行くのに、嫌われた理由も知らされないままじゃ我慢できない。
 一つだけカーテンが閉じられた部屋。
 明かりもこぼれない様に、しっかりと閉じられた部屋…アスカの部屋を見上げる。

「見てるんだろっ!なんで何にも言わないんだよっ!アスカっ!」

 閉じられたカーテンがわずかに揺れる。
 間違いなく見ている。
 その隙間から、こっちを覗く視線を感じるから。
 そこにあの青い色の瞳があるってわかるから。
 なのに…その幕は動くことなく閉じられたまま…

「ホントに…転校するんですよね、おばさん」

「えぇ…ドイツに…主人の仕事の関係で、早くても10年は…」

 そっか…そういうことか、渚君が遠すぎるって意味がわかったよ。

「それじゃ、もしかしたら…これで、最後かも……」

 見上げたままの視界の隅におばさんが頷くのが見える。
 僕の声に気づいたのか、後ろで扉の開く音も聞こえる。
 きっと母さんが心配で覗きにきたんだろう…

「アスカに伝えてください…行く前に嫌われた理由くらい、教えてくれって…ずっと家にいますから、」

 無礼なのは承知の上で挨拶の一言もなしに僕は振り向く。
 すぐ後ろにはいつの間にきたのか、母さんが立ってる。
 今はまだおばさんも、母さんも許せないから…知ってて黙ってたのは見ればわかる。
 だから、僕は二人を無視して自分の部屋に閉じこもる。
 ただ待つことしか、後はできないから。

















 あと3日我慢すれば…そう思いながら、アタシはベットの上で蹲ってた。
 あの日々…ミサトの家で暮らした奇妙な家族。
 ここ最近のアタシの日課。
 色んなことを思い出しては、その感傷にひたってる。
 キスの後うがいなんて、最悪よね…
 思い出しただけでも苦笑いが浮かんでくる。
 自嘲の笑み。
 あの頃、誰かに話してたら、『最低っ!』て引っ叩かれるわね…間違いなく。
 今のアタシでもそう思うくらいだし…
 あれが、シンジとの関係を最悪なものに変えた決定打かも…
 ガシャンと派手に響き渡る門扉の音と、次々と続けて鳴る無礼なチャイムの音に思考が中断させられる。
 ママがちょっと不機嫌そうな声で来訪者に呼びかけてる。
 誰よ? そんな失礼なことする奴は?
 そう思いながら、カーテンの隙間から玄関を覗いてみれば…シンジが居た。
 膝に手を付いて、肩で大きく息をしてて、走り疲れた感じで…
 そして、遠間から見てもわかる…アイツは怒ってた。
 玄関の開く音と共にアイツの怒鳴り声が聞こえてくる。
 なんで…って…
 締め切った窓からじゃアイツの声は流石に響いてこない…けど、廊下から扉を越えてアイツの声は確かに聞こえた。
 アタシが何も話してなかったことを…
 それで怒ってくれるってことが、少し嬉しい。
 まだ、アイツの中にアタシの場所があったってことだから。
 だけど…もう、駄目…逢いたいけど、駄目。
 急に体を起こしてアイツが睨み付けてくる。
 アタシがここに居ること…アイツを見てることを気付いてる。
 視線が交わったとき、体に震えが奔った…アイツの目が悲しいって叫んでたから、
 それでもアタシは居ないフリをする為、手に持ったカーテンが揺れない様に必死に腕に力を込める。

「見てるんだろっ!なんで何にも言わないんだよっ!アスカっ!」

 言えるわけ無いじゃない…遠くで幸せそうにしてるアンタの顔なんか見たくない。
 あの女と宜しくやってる所なんか…
 想像だってしたくない、だからアタシはあれからずっとアンタを避けてるっていうのに…
 気付きなさいよ、馬鹿、
 シンジの幸せを祈る気持ちと、アタシの幸せを掴みたい気持ち…アンタの方を優先させてあげたんだから。
 なのに、アイツはその悲しげな視線を隠すことなく、こっちに向けてた。
 アタシもその目から視線を外せなかった。
 そのまま、アイツが何かママに話しかけてるのが判る。
 普段の声で話す会話は、ここまでは聞こえてこない。
 アイツはこっちに向いていた視線を外すと、そのまま向いの自分の家の玄関をくぐって行く。
 アタシはそのまま動かなかった。
 うぅうん、動けなかった。
 シンジがそこまで怒ってたのを見たことは、一度も無いから。
 あんなに怖い視線をアタシに向けたことなんか無かった。
 だからかも知れない…
 アイツの部屋に明かりが灯り、アイツの姿が薄いカーテン越しに写る。
 そして、その影は動きを止めるまでアタシは目で追いかけてた。

「アスカちゃん?」

 静かなノックと一緒にママの声がした。
 返事をしようと思っても…声が出ない。
 理由は解からないけど、目もアイツから離せない。

「聞いてたんでしょ? 話してなかったのね?」

 ママがアタシの返事を待ってる。
 だけど、アタシはまだ動けない。
 息をするのさえ、どんどん辛くなってくる。

「いいわ、それよりシンジ君からの伝言よ…

『行く前に嫌われた理由くらい、教えてくれって…ずっと家にいますから、』って

そう伝えてください、って」

 言い難そうに、ママの言葉は途切れてる。
 多分、シンジにあんなに責められるとは思ってなかったんだと思う。
 アタシのせいで…
 嫌ってなんかいないのに、嫌われた理由って。
 そんなものあるわけないのに。
 あるとすれば…あの約束を守ってくれなかったこと…
 それだけなのに…
 アタシはその胸の苦しさから解き放たれることなく、ただその場に蹲ることしか出来なかった。

















 終業の鐘の音と共に集まる3人の少女達。
 一言も交わすことなく、ただ一つの空席を揃って見つめる。

「碇君、今日は来ないみたいね…」

「…そうね、ここ最近は落ち込み具合も酷くて、声をかけても気付かないくらいだったわ」

 ポツリと寂しげに呟く洞木の言葉に、綾波が返す。
 ここ数週間の彼女達の想い人の様子が気にかかるのだ。
 予想よりも激しいシンジの塞ぎ方に、不安がある。
 この二人にとって、シンジが落ち込むことは本意ではない。

「それもあと2日よ? その後はいくら迫っても、最大の壁はいないんだから」

 霧島の意見に、洞木も首を縦に振る。
 逆にこの二人にとっては、シンジの予想以上の落ち込みはチャンスと思っているのだ。
 そこを慰めることによって、自分へ心を傾かせる。
 そのための更なる計画を頭の中で思い描いている。
 前世において、鈴原の心の隙間を埋める為に尽力した洞木にとっては経験済みのシチュエーションともいえる。
 霧島においても、前世で恋人関係であったアドバンテージを生かすには、これもまた好都合。
 そして、ここにもまた新たな策謀を図ろうとする者…綾波である。

「…その後は、私達だけの勝負よ」

 その言葉は、新たな策謀の開始を宣言しているのだが…
 それに気付く者もいない。
 さらに、その少女達を見つめる目があることも気付かないの程に。

「惣流まで欠席いうんは、おかしいちゃうか?」

「あぁ…明らかに、変だな…奴らの様子もなんか…」

 疑いの視線を見せるのは策謀の加担者たる2人の少年。
 鈴原・相田である。

「惣流が最近クラスメイト達に奢りまくってるってゆうてるで?」

 相田のキラリと光る眼鏡の向こうには、明らかに何かを感じ取ってる節がある。

「調べてみないとな…」「そやな…」


〜そういうことかい、いつ何時も人の世は争いに満ちているのだね、贖罪の日は近いようだよシンジ君…〜

















 あれから僕はずっと引きこもってる。
 いつアスカが来てもいいように。
 カーテンも薄い方しかかけてない。
 夜中に明かりをつけてれば、部屋の様子が透けて見えてても構わなかった。
 ただ、僕はここに居るよって、そう言いたかっただけ。
 母さんも父さんも、話さなかった負い目からか…何も言ってこない。
 終業式くらいは出ろって言われるかと思ったけど、それさえも無い。
 酷いよな…
 だけど、この2日で解かったこともある。
 アスカの家の引越し準備は僕に知られないように、昼の間に行われてたってこと。
 僕が学校に言ってる間に、色々とやってたようだった。
 今朝は業者も来てて、荷物の運び出しもやってた。
 そして、アスカは一度も姿を見せてない。
 学校にさえ、行ってる気配が無い。
 引越しの準備で忙しいのかも知れないけど…違うっぽい。
 多分、話したところでどうしようもないんだろうって…だから、僕にはその理由を話すつもりは全くないんだって…それだけ嫌われてるんだって。
 そんな時、ふと頭によぎる風景がある。
 大きなディスプレイに囲まれた部屋で、アスカは真っ赤な服を着て僕に嫌味を言うんだ。
 なんて言ってるのかは良く判らないんだけど、その後姿は怒っている。
 そしてもう一つ…
 同じように真っ赤な服を着て蹲ったアスカの背中。
『なんでっ!なんでアンタが…』って…
 その口調は怒ってるのに、後姿は泣いていた。
 僕はかける言葉も見つからずに、ただその姿を見つめてるだけ。
 これも僕の妄想なのかな…
 見知らぬ部屋の中、僕のすぐ目の前で寝てるアスカは『ママ…』って呟きながら、目に涙を浮かべてた。
 真っ赤な光に照らされる狭く機械に囲まれた中で、瞳を潤ませながらも呆れ顔で『無理しちゃって…』って。
 そして、見知らぬ病室の中、やつれて包帯に包まれた姿で僕にしがみつきながら『ママ…』って泣いてる姿とか…
 僕の妄想の中のアスカは何度も泣いてた。
 アスカの悲しそうな姿を思い浮かべるなんて、最低な奴だな…僕って…

「シンジ?」

 物思いに耽ってる中、母さんの声が扉越しに聞こえる。
 責めるつもりは無いけど、どうしても不機嫌に聞こえてしまう声で僕は答える。

「明日、お昼の便でドイツに向うから見送りに行くわよ、あなたもついてらっしゃい」

 きっと姿を見るのは明日で最後だろう。
 なら、嫌がられるとしても…見たい。
 「わかったよ」ってぶっきらぼうに返事をするけど、心の中では少しだけ嬉しい。
 もしかしたら、話を少しでもできるかも知れないから。
 もう、嫌われた理由なんかどうでも良くなってきてるしね。
 あんな質問の返事はもういい、どうせ最後なら…告白したって良いんだ。
 結果のわかってる勝負を仕掛けるなんて、馬鹿の極みだけど…
 そう思いながら、僕は再び妄想の世界に浸っていった。

















 みんなには…何も言わなかったけど、アタシのお別れは終わった。
 貯めてたおこずかいが尽きるまで遊びまくったしね。
 これで、昨日までのアタシはおしまい。
 もう学校に行く必要もないしね…
 こういう日常っていうのがどれだけ幸せなものか、教えてもらえたもん。

 当面の必要な荷物を小分けして、バックに詰め込む。
 少し遅れても良い物は、箱詰め。
 大きな物はそのまま、処分してもらう予定になってる。
 分厚いカーテンで締め切った暗い室内で黙々と繰り返す。
 この期に及んでもまだ流れてくる涙のせいで、目の周りは真っ赤に腫れ上がってる。
 思えば、ここにある大切な物の大半はシンジとの思い出が詰まってるから。
 一つ一つを手に取るたびに、それを思い出してる。
 これは何歳のときの誕生日プレゼントだとか、クリスマスプレゼントだとか…
 部屋を見ればそれが溢れてることがわかる。
 捨てようかとも思ったけど…やっぱり捨てられないし。
 抱き枕代わりのこのヌイグルミも、なんどもアタシを慰めてくれた。
 今はもう小指の指先にさえ入らない玩具の指輪。
 あ〜ぁ…また目が痛くなってきた。
 こんなことなら、もっと前から準備しておけば良かったな…
 淡い黄色のワンピース…半年くらい前かな、デパートにシンジと買い物に行ったとき、目に留まって…
 演技じゃなく、本気で目を潤ませて強請った服が、初めてであったときの服なんてね。
 これを見たときに、なにかどうしてもって思ったのよね。
 そういえば…これを買った日って、ちょうどアタシとシンジが出逢った日と一緒じゃない。
 運命って、面白いわね…
 ダンボールに詰め終えた荷物を廊下に出すと、それを運び出す業者の人の足音。
 そして、荷物を運び出したアタシの部屋には…何もない。
 大きな旅行鞄と、バックが一つ…そして、明日着るためのあのワンピース。
 シンジは…ふとそう思ってカーテンの隙間から、シンジの部屋を伺う。
 そこには昨夜と変わらぬあいつの姿がある。
 ベットの上で膝を抱えたまま…身動き一つしない。
 多分、わざと自分の姿を晒してるのよね…薄いレースのカーテンさえ、今は開け放たれてる。
 学校に行ってるはずの時間でも、何もすることなく…
 食事、ちゃんと取ってるのかな…うぅうん、だめ。
 アタシは首を横に振ってその考えを追い出す。
 アイツが心配してもらわないといけないのはあの女、アタシじゃない。
 明日の朝には、もうここにはいないんだから。

「アスカ、ごめんなさい…」

 気づけばママがすぐ後ろでアタシを見ていた。
 シンジにそれだけ見とれてたってことなのかな…
 やわらかいタオルをそっと差し出して、アタシの頬をぬぐってくれる。
 まだ、止まってなかったのかな。
 未練がましいっていうのか、情けないわね。
 ふと包まれる優しさに、アタシは甘える。
 ママの胸に飛び込んで、止まらない涙でママの服を濡らしていく。

「そんなに嫌ならいいのよ? 今からでも間に合うのよ?」

 ママが優しくアタシに確認してくる。
 小さく首を振ってそれに答える。
 前の人生で感じられなかった優しさがここにあるから。
 我慢する。
 そう決めたのはアタシなんだから…

















 結局泣きはらしたアタシの目がひくことないうちに、出発になってしまった。
 空港までは待遇が良いからなのか、送迎の車まで用意されてて、こんな姿で電車でと思ってたアタシを少し楽にさせてくれた。
 搭乗手続きも何が優先されたのか良くわからないけど、アッサリと終わってしまう。
 通常、国際線に乗るなら余裕を持って3時間前なんていうけど、1時間もあれば終わるくらいに。
 することがないって、困るのよね…特に今日みたいな日は、
 暇ができると、やっぱり思い出しちゃうし…

「時間が空いちゃったから、先に何か食べておく? 朝ごはん食べてないでしょ?」

 ホントに、ママって敏感よね。
 アタシが少し雰囲気が変わったからって、すぐに気を使って…
 でも、アタシはもう少しこのままでいたかった。
 理由はわからないけど、なんか、そんな気がするから…アタシは首を横に振って応える。
 だけど、それは間違いだったって、次の瞬間には気付いた。
 ママがいきなり立ち上がると、明後日の方角に手を振り誰かを呼んでる。
 人で溢れかえったこのロビーの中の一角に向けて必死に手を振って。
 誰か見送りに来てくれてたんだ。
 アタシには誰も来ないけど…そう思ったら少し悲しくなってきて、俯いてしまう。
 やっぱり誰かに、少しは話をしておいても良かったかなって…
 誰かさんがきたら困るけどね。

「来てくれたのね、ありがと」

「何処にいるのって今、電話しようとしてたのよ」

 この声は…近寄る足音と共に聞こえてきた声はアタシの体を硬くさせた。
 聞き覚えがあるどころじゃない、毎朝かならず聞いてた声だし。
 あげることが出来ない視界の中に、声の主の足と…もう一つ、見慣れた運動靴が目に入る。
 今日はもう逢うことがないなんて、タカをくくってた相手。
 この1ヶ月、逢いたいのをずっと我慢してた相手。
 その視線がアタシに向ってるって、顔を上げなくても分かる。
 痛い、苦しい、辛い。
 感情に引っ張られるように、アタシの体が悲鳴を上げてる。
 暑くもないのに汗が噴出してくる。
 手足は硬く強張って小さく震えようとする。
 それを抑える為に、足に力を込め、両手で自分の体を抱きしめる。
 心臓が、いつもの倍以上の速度で早鐘を打つ。
 それが頭に響いてきて、アタシの耳からはその鼓動の音しか聞こえない。
 逃げないと…アタシが壊れてしまう。
 そう思っても、どうすればこの場から逃げられるのか分からない。

「ちょっとアスカを借りていきます。」

 その言葉がアタシの頭の中で咀嚼されるよりも早く、アタシの腕が引っ張られる。
 「イヤっ!離しなさいよっ!」って心の中では叫んでるのに。
 その言葉が喉を通らない。
 結局、力に逆らえぬままアタシは引き摺られる様にコイツの後ろを歩くしかなかった。



 母さんがアスカ達に電話しようとしたとき、丁度僕の目におばさんが手を振ってるのが見えた。
 そして、その隣に腰掛けるアスカの姿…それを見た途端、僕の体が強張った。
 乳黄色のワンピース。
 半年くらい前だ、アスカと買い物に行ったときアスカが急に、それを強請りはじめた。
 運命の出会いみたいな感じで、アスカにはビビッとくるものがあったみたい。
 そういえば、着てるのを見るのは初めてだ。
 だからなのか、僕は目が離せなくなった。
 俯いたその姿はアスカらしくない。
 見るからに、落ち込んでるって感じで…
 そう、アスカの周りには…クラスメイトの姿はない。
 みんなにはやっぱり内緒だったのかな…先生から、アスカの転校に関して一言も伝えられてなかったし、そうなのかも知れないな。
 母さんも僕の視線の先に気づいたのか、はしゃぐようにアスカ達のもとに僕を連れて駆け寄る。
 声をかけた瞬間…アスカは怯えるように体を硬くした。
 僕がアスカの前に立つと…それは震えに変わり、その震えを抑えようと両腕を抱えて小さく蹲ろうとする。
 その姿が、僕の妄想の中のアスカの姿と重なる。
 『…よかったね』愛想笑いを浮かべながら、僕がアスカに声をかけてる。
 違うっ!僕が言いたかったのはこんなことじゃないっ!
 僕はっ!…何を言いたかったんだろう…
 その様子に気づかず、母さんたちは嬉しそうに話をしてる。
 『いやっ!来ないでっ!』ってベットの上で、蹲りながら体を震わせて、視線は在らぬ中空を彷徨ってるアスカ…
 アスカを無理矢理抱きしめてる僕の背中・腕・首筋には、アスカの爪痕で血だらけに…
 それに合わせて同じ場所が痛み出す。
 激しい痛みに、僕の体が引き攣る。
 なんで空想の世界の痛みが、現実に…
 違う、これは…
 パチンと、音を立てて僕の中の何かが繋がった。
 切れていた配線が繋がったような…

『…約束するよ…』

 怯えるアスカの腕に僕の手がすっと伸びる。

「ちょっとアスカを借りていきます」

 ほんの一瞬だけ抵抗しようとアスカの体が強張るが、それを無視するように力任せに引き起こす。
 そしてそのまま腕を引っ張って僕は歩き出す。
 ひとけの少ない場所を目指して進む僕の後ろを何も言わずにただ付いてくるアスカ。
 やがて、僕の目の前に青空が開ける。国内線用の見送りデッキだ。
 国際線と違って、人の気配が全くない。
 ここなら話をしても、人に聞かれる心配はない。
 人に聞かれたら、僕は気が狂ってるって思われるかもしれない。
 そんなことで警備員なんかが飛んできたときには、僕は言いたいことも言えぬまま終わってしまう。

「ごめん…約束破ってたね、」

 シンジに引き摺られるまま、見送りデッキに連れ出された。
 コイツに、責められる。
 そう思うと、アタシの胸が悲鳴を上げてる…こんなに痛い思いは、今まで経験したことはなかった。
 中央付近まで行くと急に立ち止まって、空を見上げてた。
 そして、急に謝った。
 約束…
 一瞬、アタシの胸の痛みが消える。
 代わりに沸き起こるのが、締め付けられるような苦しさ。
 もしかして…そう期待してしまう。
 だめ…思い出しちゃ駄目…アンタの幸せを考えてるのはアタシも一緒なんだから…
 シンジがゆっくりと振り向いてくる。
 見とれそうになるのを必死で抑えて、アタシは顔を俯かせる。
 今の顔は恥ずかしくて見せられない。
 それに、きっとアタシは期待してるって、そんな顔をしてる。
 だから、見せたくない。
 なのに、こいつはアタシの頬に手を伸ばしてきて、腫れた目元をやさしく撫でる。
 そして、首筋に向かってゆっくりと撫でていく。

「幸せにするって言ってたのに、こんなに泣かして…」

 ゆっくりと撫でた指先の感触で、目元が腫れてるのが良くわかる。
 僕が不甲斐無いばっかりに…
 その上、話してくれないからって責めて…
 泣かせてばっかりだ。
 さらに言えば、今の人生で『幸せにする』なんて約束…してないのに。
 馬鹿だな…僕って。

「いつそんな約束したのよ…」

 思い出してる、きっとコイツは思い出してる。
 それが、アタシの胸の苦しさも、痛みも…不安も悲しみも…負の感情を洗い流していく。
 言葉とは裏腹にきっとアタシの顔は、頬は緩んで恥ずかしさに真っ赤になってる。
 首筋に下りてきた手が、顎に軽く添えられる。
 そして、アタシの顔がゆっくりと持ち上げられる。
 見せたくないのに、アタシの体はその動きに抵抗しない。
 そして、言葉が嘘だってばれちゃうのに。

「アスカが憶えてなくても、僕は憶えてる」

 俯いてた顔がゆっくりと持ち上がってくる。
 前髪に隠れてた目元は真っ赤に腫れてて、アスカがどれだけ泣いていたか良く分かる。
 さっきまで強張っていたアスカの体から力が抜けていく。
 そうか…責められることに怯えていたんだ。
 僕の態度が違うから、安心したのかな…

「もう、アスカに嫌われててたとしてもいいんだ、それでも…」

 それでも?
 それでも、何よ?
 ゆっくりと持ち上げられていく視界に、シンジの顔が見えてくる。
 悟ったような、それでいてやさしく微笑んでてるのが、前髪を通して映る。
 憶えてないわけないじゃない、アンタよりずっと先にアタシは思い出してるんだから…
 でも…良いの?
 言っちゃったら…アンタはあの女と修羅場になるのよ?
 あの女を傷つけることになるのよ?
 それでも、言えるの?
 でも、コイツの目はそんなことは考えてないって言ってる。
 ちがう、考えてないんじゃない。
 そんな事に構わないって…
 それに促されるように、アタシの体は全ての抵抗を破棄する。
 今、シンジに襲われたら…きっと受け入れちゃう。

「言ったら…もう、戻れないわよ?」

 前髪に隠れていたアスカの瞳が露になる。
 今にも溢れ出しそうな涙で潤んでる。
 その目は、不安に彩られてる。
 この先はアスカにとって凄く迷惑なことなのかもしれない…
 でも、言いたい。
 思い出したなら、言わないと駄目だ…絶対に。
 譲れない。

「それでも…言いたいんだ、」

 さっきまでとは違う早鐘の音が耳元で煩いくらいに響いてくる。
 そう、アタシはその言葉を聞きたくて…耐えられなくなってる。
 でも、言ったら…コイツは自分を責める…そんなのやだ…

「だめっ! あの女ははどうするつもりなのよっ! 言ったら…あの女に…」

 ・・・・・・・・・・・・・・・へっ?
 あの女? って?
 シリアスに決めてた表情が崩れていくのが自分でも分かる。
 呆気にとられるってのが、こういうことだって再確認させられる。
 一体、何のこと?
 何がなにやら、話がぜんぜん読めない…

「あの女って? 何の話?」

 凄く格好よかったシンジの顔が、一瞬で埴輪みたいに…
 さっきまでの空気なんか、微塵も残ってなくって…
 アタシもそれに釣られて、呆然としちゃう。
 何の話って…

「アンタがっ! 霧島マ…違うっ、霧島アスカに告白してたでしょっ!」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 え?
 ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?
 いつ!? 一体!?

「校舎裏の用具室のところでっ!」

 驚いてる…って、コイツ…憶えてないの!?
 それともアタシの見間違…うぅうん、そんなことないっ!あれは確かにシンジよ!

「僕が…あっ! もしかして…」

 僕が、鈴原の代わりにラブレターを渡した時の…
 もしかして、それを誤解してる?
 いや、間違いなく誤解してる。
 誰にも見られないようにって思ったんだけど、誰かに見られていたのか…
 それが、アスカに伝わって。

「それって…鈴原にラブレターを渡してくれって、頼まれただけなんだけど…」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へっ?

「じゃぁ、アタシの…」

「そう、勘違い」

 それで、ずっと話してくれなかったのか…
 お腹の奥から笑いがこみ上げてくる。
 他愛のないすれ違い、先にアスカにちゃんと言っておけば問題なかったんだよな、

「ゴメン、僕がちゃんと先に話してれば、」「ゴメン、アタシがちゃんと話を聞いてれば…」

 アタシがちゃんとシンジと話をしてれば…
 馬鹿ね…アタシって…可笑しいったらないわね。
 二人で声を大にして笑う。
 人気のないところを選んで正解よね。
 こんな姿を見られたら、頭がおかしいって思われちゃうもんね。
 ひとしきり笑い終わると、また涙が出てくる。
 笑い声が、涙で擦れてくる。
 ホントに…くだらないことで、大事な選択を間違えちゃって…
 アタシってば、ホントに大馬鹿っ!
 折角、シンジが思い出してアタシに…なのにっ!

「泣かないで、アスカ…」

 ひとしきり笑うと目の前でアスカは…笑いながら泣いてた。
 涙が溢れてきて、それに釣られるように次第に笑顔が消えていく。
 そう、いくら誤解が解けても…もう…
 だけど、ならばこそ…僕は言わないといけない。
 前は、一日に一度は言わされた。
 だから、もう恥ずかしくなんかない。
 誰に聞かれても…それは変わらない事実だから。

「愛してる…だから、絶対に離さない…」

 あったかい言葉とともに、温もりがアタシを包んでくれる。
 だけど、アタシは涙を止められない。
 自分の愚かさが身に染みる。
 常夏の日本で、人の体温が気持ちいいって感じれるくらい、シンジに包まれてるのが気持ち良い。
 だけど、少なくともあと数年は…我慢しない…と…
 やだ…我慢したくない…

「やだ…やだよぉ…」

 僕の胸にしがみついて子供みたいに泣いてる。
 前のアスカなら考えられないけど…今のアスカは、小さな頃の泣き虫のまま。
 元はといえば、僕のせいだ…
 だから、絶対にドイツになんか行かせない。
 どうあっても、説得するしかない。

「大丈夫…絶対に離さない、ドイツになんか…」

 離れるなんて、今はもう考えたくない。
 アタシは、日本でシンジと一緒に…
 じゃなきゃ…

「もう一度…死んじゃおっか…」

 なっ!? そんなのだめだっ!
 そう言おうとした時、突然僕の目の前に人の気配が現れた。

「死ぬなんて、そんなことする必要はないよ? 惣流さん、シンジ君」

 銀髪に赤い瞳…
 ここ最近、落ち込んだ僕に毎日のように声をかけてくれた人。
 いつの間にここに現れたのか、僕の二歩先くらいの所でいつもの様に立っていた。

「カヲ…違っ、渚君!?」

「カヲルでいいよ、シンジ君」

 そういいながら、いつものあの笑顔を僕に見せる。
 カヲルで良いってことは…もしかして…
 確かに、あの赤い海って言えばいいのかな?、あそこで彼と話はした。
 そして、彼がまだ消滅はしてないということを知って…心の全てで謝った。
 僕の謝罪を聞いて、カヲル君が逆に謝ってきて…またいつか会おうって、約束したんだっけ。

「そうだよ、僕もシンジ君に合わせて転生したのさ、証拠に第九でも唄おうかい?」

 アスカはいつの間にかに泣き止んだのか、僕の腕の中で振り返ってカヲル君を見てる。
 まぁ、その表情は驚いてるっていうか、固まってるっていうか…

「ア…アンタが、フィフス?」

「挨拶が遅れたね、初めましてセカンドの惣流・アスカ・ラングレーさん」

 信じられなかった…僕ら以外に、転生してる人がいたなんて…
 まして、転生なんて出鱈目なもの、あの時、僕らは何で信じられたのかさえ今じゃわからない。
 そんなものが存在するなら…正直、出鱈目過ぎて馬鹿らしい。
 呆然とする僕らに、カヲル君はあたかもそれが当然であるかのように語りかけてくる。

「リリンとは、かも容易く命を投げ出すね。 それがまた美しいとも言える… やはり限りある命と言うのは綺麗なものだね」

 呆然とする僕らにいつもの調子で話す。
 もったいぶった言い方で、人類の歴史がどうたらこうたらって…
 その場にそぐわない彼の雰囲気が、今は助かる。
 アスカも呆れてるというか、怖がってると言うか…、さっきまでの悲壮感は感じられなくなってる。

「そうそう、これを言わなければね。 惣流さんのドイツ行きを決めたのは何処の組織かな?」

 僕らの雰囲気が変わったのを確認したのか、本題を切り出してくる。
 アスカのドイツ行きを決めた組織って…なんのことか、僕にはさっぱり分からない。

「…Nerv」

 アスカがその答えを呟く。
 Nerv?って…どうして?
 だけどアスカにはそれが何かに繋がるらしい。

「もうひとつ、今回の惣流博士の招聘は、青葉副指令直々の要請らしいよ?」

 青葉副指令…って? 青葉さん?
 あの人が? 今の副指令?
 なんとなく、違和感があるなぁ…

「シンジ君はまだ分からないみたいだね」

 おもわずカクカクと首を縦に振って頷いてしまう。
 アスカは大体理解できてるようだけど、僕には何がなんだか…
 第一、僕らは名前こそ一緒だけど、別人だし…

「もし、生まれ変わってることを他の人が知ってたら?」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そんなはずは…
 あれ? でも、カヲル君はもう気付いてる。
 もしかして?
 僕の表情を読み取ったのか、カヲル君が静かに頷いてる。
 僕が生まれ変わったことを…アスカが生まれ変わったことを知ってる!?

「まったく、リリンというのは策略が好きだね。 僕がリリスをアダムと間違えたときもだしね」

 回りくどい言い方だけど、大体見当は付く。
 つまり、アスカのドイツ行きは仕組まれたってこと。
 でも、いったい何の為に…
 そこに何かの力が働くとしても、いったい誰の利益が…
 だけど、今はそんなことはどうでもいい。
 Nervがそれを指示したのなら、防ぐ手立てなんか今の僕らには…

「今の司令はだれよ?」

 アスカが急に覇気を取り戻した。
 なにか思いついたらしい。

「日向さんだね」

 それを聞いたアスカの顔がニヤリとイヤらしく歪む。
 まるで『ちゃ〜んす』とでも言いたげな顔。
 これを見ると、やっぱりアスカは変わってないって気がするのは…僕だけじゃないと思う…
 はたから見れば…まるで僕が詐欺の獲物で、その罠に嵌ったように見えるはず。
 うん、絶対間違いない…。

「アンタ、司令室の直通番号は覚えてるでしょうね?」

 急に僕の方に振り向いて、獣のような視線で問いかけてくる。
 やばい…思い出さなければ、僕の命がない気がする。
 たしか…△▽-○□・・・・・
 必死に思い出した番号を口にすると、僕の懐から携帯電話を奪い取る。
 そして、いつものように自信たっぷりの目で僕を見つめる。
 『アタシにまかせなさいっ!』って

「あ、もしもし、日向さん? アタシ、アスカよ。惣流・アスカ・ラングレー… 悪戯っ!? んなわけないでしょっ! 悪戯するような奴がこんな番号知ってるわけないでしょっ!… 証拠ねぇ… 本に書いてない事で、ってことよね… んじゃ、日向さんがミサトに横恋慕していたこととか… シンジがアタシの胸を見てcraftworkに励んだとか…」

 なぁっ!?
 なんでアスカがそのことを知ってるの!?
 あれは…僕が絶対秘密にしていたことなのにっ!
 僕の驚きに気づいたのか、急に優しい目で僕を見る。
 『いいのよ? 気にしないでも…』そう言ってくれてると思うんだけど…
 だいいち、何でそのことを日向さんとかが知ってるんだよ…やっぱり、監視してたんだ。
 無性に悲しくなってきたよ…

「こんなもんでいいの? そっ、じゃぁお願いあるんだけど… ドイツに行ってる惣流博士を日本に呼び戻してほしいのよねぇ… ありがとっ!日向さん!今度、挨拶しに行くから、じゃあね〜」

 ・・・・・・・・・・・・・
 えっと? もしかして?
 アスカはドイツに行かないの?
 そう問いかける僕に、嬉しそうに頷いてくれる。
 目の前には嬉しさで向日葵みたいに笑ってるアスカがいて、さっきの衝撃の事実なんかすっ飛んで行きそうなくらい、心が軽くなってくる。
 この一ヶ月間がの苦しさが報われた瞬間だ。
 さっきまでただアスカの腰にまわしていただけの腕に力が入る。

「僕の出番はここまでだね。 まぁ、リリスが思いつくくらいの策だから、僕が言わなくても気づいたかもしれないけどね… またね、シンジ君」

 僕らはカヲル君を見送りもせずに、喜びに抱き合ってた。
 もう、僕らを邪魔するものはいない。
 ずっと待ち望んでたものを手に入れられた。

















 アタシ達が渚の言葉の意味に気づいたのは、翌日になってから。
 ベットも運び出されて寝るところがないアタシは、シンジのベットを占領して寝てたんだけど。
 休みの午前中に男の家に訪れる女達に叩き起こされたってとこね。
 嬉しさのあまり、ドサクサ紛れに薦められたお酒をたっぷり飲んだシンジは、今もまだ床にひかれた布団の中で夢の中。
 ママもシンジのパパとママもかなり遅くまで呑んでたみたいで、チャイムの音に気づく訳もなかったのよね。
 仕方なしに代わって玄関を開ければ…綾波・霧島・洞木の3人。
 揃いも揃って、驚いちゃって。
 まぁ、そのお陰でアタシも気づいたんだけどね。

「あ、アス…惣流さん、碇君の家にいたんだ。 よかったぁ、最後のお別れできて」

「い、今ね、惣流さんの家に行って誰もいない感じだったから、碇君なら知ってるかなぁって思って」

 顔を引き攣らせながら言っても説得力なし。
 まぁ、その場しのぎとしては堅実な言い訳よね。

「うぅうん、転校は取りやめよ。 ヒカリ」

 にこやかに首を横に振って否定すると、ヒカリの顔が一瞬で青ざめていく。
 横に並んだ一同絶句。
 やっぱりね…コイツラ、赤い海から帰ってこないと思ったら、そういうこと…
 アタシの中の虎がコイツラを殲滅しろって、

「…に、弐号機パイロットね。貴女…」

 ゆっくり頷いてその問いに答えると共に、体が臨戦態勢に移行する。
 さすがに、昔ほど体が動くとは思えないけど…それはファーストも一緒だしね。
 なにより、今のアタシには気力が満ちてるからね。

「さぁて…洗いざらい白状してもらうわよ?」

















「では、席順のくじ引きを始めま〜す」

 委員長の掛け声と共に、出席番号順にくじを引いていく。
 あらかじめ僕とアスカの要望は委員長には伝えてあるから、僕らはくじを引いたふりをして、あらかじめ持っている番号を言うだけ。
 もちろんそのくじの中には、僕とアスカが望んだ番号は入ってない。
 そして、予定通り僕は一番窓側の最後尾席に移動する。
 もちろんアスカは僕の隣。
 これくらいの便宜はね、あれだけのことをしたんだからやってもらわないとね。
 ほかにも色々やってもらってるんだけどね。
 トウジには学校内でアスカに近寄る不埒な男たちを排斥してもらってて、
 ケンスケには校外の不埒な男達に関する色々な情報を集めてもらってる。
 二人が赤い海から帰ってこないって、僕は悲しんだのに…アスカを狙ってたからだなんて、許せないからね。
 綾波は、宿題を代わりにやってくれる。
 一回勉強したところだしね、いまさら同じところを勉強したくないからね。
 青葉さんは、綾波の言葉に踊らされただけ。
 アスカを一度ドイツに送れば、その記憶が蘇るかもしれないって。
 以前と同じ顔をした写真を見せてもらったとこから、間違いないって思ったらしくて。
 言われるままに、おじさんをわざわざドイツに送り込んだらしい。
 近いうちに、電話じゃなく挨拶に行かないといけないけど…当分無理かな?

「シンジ〜 今日のお昼はねぇ〜」

 そういいながら、アスカが僕に甘えてくる。
 前のアスカを知ってる人ならびっくりすること間違いなしだよね。
 今も、お弁当の事を話しながら、僕のひざの上に座ってるんだ。
 そうそう。
 なによりも皆が壁になってくれるから、学校でアスカとベタベタしてても、文句を誰にも言われないってことが一番かな。

「なんで、ワシらがこないな事…」

「言うな!トウジ…みんな、嫌だけど我慢してるんだ」

「綾波があんなこと考えるからよっ!」

「優良物件って、手に入らないものなのね…また鈴原かぁ…」

「…生まれ変わっても、私の役は変わらないのね…」

 この程度で許してあげる僕の心の広さに感謝してほしいんだけどね・・・

「ねぇねぇ、今度のお休みコンフォート行ってみない? まだあそこあのままなんだって」

 コクリと頷く僕に、幸せそうな顔で喜ぶアスカ。
 あの頃のままのあの部屋…
 またいつか、あそこで二人で昔みたいに…
 そんな未来をアスカと二人で描いていた。





しふぉんさんから200万ヒット記念作品をいただきました。

素敵なお話でしたね。このお話の元のお話もぜひ読みにいきたいところではありますが……。

何はともあれ、素敵な作品を読ませてくださったしふぉんさんに感想メールをぜひお願いします。