僕がこの部屋に来たのは今から3年前。
 3LDKの大き目の部屋。
 部屋もそれぞれが大き目の造りで、高級マンションといってもおかしくはないと思う。
 詳しい位置関係は分からないが、高層住宅の最上階の位置にあるため、外の物音もあまり聞こえてこない。
 窓を開けると、突風が吹き込んでくる。
 僅かに戸を開ける分には、自然の扇風機みたいで快適だ。
 リビングは南東向きで、日当たりもいい。
 キッチンは広く、対面式。
 料理が好きな女の子なら、喜ぶこと間違いない。
 恋人と一緒なら僕も凄く嬉しいだろう。
 ベランダもテラスといった方が良いくらい広い。
 ダストシュートまであって、ゴミを出しに行く必要も無いんだから、ミサトさんなら、泣いて喜ぶだろうなぁ。
 まさに、至れりつくせり。
 最高の環境といって良い。

 ただし、僕はここから出ることができない。
 ベランダに出れば、外の空気を吸うことは出来るし、日光浴もできる。
 風景は磨硝子に囲まれているから、全く見ることは出来ない。
 運動もランニングマシンや、ウェイトマシンもあるので運動不足にもなっていない。
 ただあの時から、軟禁されているだけなんだ。

 あの赤い海のほとりで、僕は彼女に酷いことをしようとした。
 動けない彼女の上に馬乗りになって、彼女の首に手をかけ…
 そして…
 殺してしまうところだった。
 だけど、結局できなかった。
 出来るはずがなかった。
 僕の傍にいて欲しい人。
 僕を見て欲しい人。
 僕を理解して欲しい人。
 僕を好きになって欲しい人。

 そう、僕は…
 彼女の…アスカの隣にいたくて、見ていたくて、もっと知りたくて…
 そして、大事な人…好きな人なんだ。
 そのことに気付いたのが、その時。
 自分が、涙を堪えているのに気付いたから。

 そしたら、力を入れるなんて出来なくて…、彼女の首に手をあてがってることしか出来なかった。
 そして、泣き続けた。

 一度、彼女の手が僕の頬に触れた記憶がある。
 涙を拭ってくれたのかもしれない。
 彼女が、ポツリとなにか呟いてた気もする。
 最後に憶えているのは、アスカの胸に顔を埋めて泣いていたということ。





思惑

書イタ人:しふぉん





 泣きつかれて眠っていた僕は、目を覚ますと迷彩服を着た兵士に囲まれていた。
 後ろ手に手錠をされ、手錠から伸びた紐は僕の腰を一回りして、隣にいる兵士の手にしっかりと握られていた。
 僕は戦自の人達に捕まったということは直に分かった。
 最後にアスカに一言だけでも伝えたかった。
 この時の僕は殺されるものと信じてた。
 どうせ殺されるなら、アスカだけでも助けたかった。
 だから、必死にアスカのことを聞いた。
 答えはなかった。
 他の人たちのことも、色々と質問したが彼らは答えてくれなかった。
 自分のことなどどうでも良かったのだと思う。
 詰め寄る僕に戦自の人達は、存在を無視するかのように何も反応してくれなかった。
 紐を持つ人が静かにしろって言ってた気もする。
 そこでの記憶はその辺りで途切れてる。
 多分、当身をされたんだと思う。
 目を覚ましたときに後頭部に鈍い痛みを憶えていたから。
 僕はどこかの地下施設に監禁されていた。
 小さな隙間から、入れられる食事。
 それ以外はベットとトイレしかない。
 独房だった。
 明りも、小さな非常灯だけ。
 窓なんか隙間もない。
 日に三度来る食事も、野菜スープとパンだけ。
 食器さえも、自殺防止なのか反乱防止なのか、スプーン一つだけ。
 自殺なんかする気はない。
 死ぬにしても、彼女だけは助けたいんだ。
 だから僕に出来ることは、ベットで寝て起きて、食事をする。
 ただそれだけだった。





 一ヶ月ほどした頃だろうか、日付の感覚や、時間の感覚がなくなって結構経っていた気がするから確かじゃないけど、急に数人の兵士に拘束衣を着せられて、連れ出された。
 そして、運び込まれたところがここだった。

 ここに運び込まれて、初めて会話することができた。
 部屋に入ると、中に一人の若い男がリビングに配下の兵らしき人を従えて、待っていた。
 戦自の仕官と名乗るその人は、丁寧な挨拶と共に僕の状態を話してくれた。
 今、戦争責任の問題で裁判が起こっていること。
 そして僕がサードインパクトの重要参考人であること。
 一時はそれを起こした主犯として、捕らえられていたということも。
 彼は僕からのいくつかの質問にも答えてくれた。
 僕らが寝ていた場所はジオフロントの端。
 人々が溶け込んでいる赤い海に見えたのは、じつはリリスの体液(LCL)だけで、人は溶け込んでいなかったらしい。
 つまり、LCLが溜まっていた場所は、ジオフロントそのものだったんだ。
 成層圏の外側まで飛び出すようなリリスの巨体なら分からなくも無い。
 世界中の人々は、ほんの僅かの瞬間だけ意識を失っていただけということ。
 つまり、補完は完全に失敗していたのだ。
 全ての人々は、帰ってきていたのだ。
 何事もなかったかのように。
 綾波が、僕の願いを叶えてくれたんだ。
 命と引き換えに…。
 碇ゲンドウ以外のネルフのメンバーは無事で、死んでしまったと思っていたミサトさんも生きていた。
 侵攻の際に死んだと思われてた職員や、弐号機に殲滅された戦自の隊員たちも生きていたらしい。
 でも、アスカに関してだけは、何も教えてくれなかった。
 機密なのか、ただ生きている。
 それだけだった。

 結局、僕はここから一歩も出ることができないとの事だった。
 犯罪者としての扱いではなく、証人としての役割が大きいらしい。

 学校は?と聞くと、通信教育または、専属の教官に寄る指導をしてくれると。
 本・食料・衣類・生活雑貨、必要なものはメモに書いて玄関先にあるポストに入れると、二時間ほどで届けてもらえると。
 そこで初めて、僕は結局、監禁されるのだと理解した。
 必要なことを語り終えたとばかりに、男は僕を置いて立ち去っていった。

 暫くこの後のことを考えていた。
 参考人ということは、すぐに殺されるということはない。
 最低でも軍事裁判にかけられてからということになるんだろう。
 アスカと弐号機はサードインパクトが起こったとき、既に行動不能だった。
 多分、MAGIの中にもデータとして残っているだろう。
 ミサトさん達も、証言してくれるはずだ。
 これで… アスカの無事は確定してる…
 僕の願いの一つは叶ったんだ。
 きっと…。





 ここで暮らして二週間を過ぎたころ、一人の女性がここに来るようになった。
 僕の専属の教官で高校レベル程度までは、全ての教科を教えてくれてる。
 アスカとまではいかなくとも、かなりの才媛であることは間違いなかった。
 ただし、勉強などのこと以外、一切の会話をしない人なので、情報を得ようとしても無駄だった。
 毎日、アスカのことが知りたいと、聞いたが全く無視。
 僕にとって、納得できないこともあった。
 証人であろうと参考人であろうと、事情聴取があるはずなのに、それが全くなかった。
 サードインパクトの時の様子を全く聞いてこない。
 たとえMAGIに記録が残っていたとしても、最後の瞬間の記録はないはず。
 あの時、世界は一瞬だけど停止していたんだ。
 感覚として、それが分かっている。
 なのに、何も聞いてこない。
 それが、不安でたまらなかった。
 一年程が過ぎた時、僕の我慢は限度を迎えた。
 せめて生死くらい教えてくれと、無事なのか?と、その教官の襟首を掴まえ、詰め寄った。
 もしもの時の為に、筋力トレーニングだけは欠かさずにきたこともあって、教官の力では僕に勝てないようだった。
 それまで、無表情を通してきた教官が、恐怖に怯えていた。
 結局、僕は外に控えていたであろう、警備兵に捕らえられて、何も聞くことができなかった。

 翌日、最初に話した仕官を名乗る男がきた。
 彼女(教官)は、勉強以外のことは一切、口にしてはいけないと厳命されていたことを話してくれた。
 同時に、軽く頭を下げてきた。
 心なんか全くこもってない、形だけの謝罪だ。
 そんなことはどうでも良かった。
 僕のストレスが限界に近いのは自分でも分かる。
 そのせいだと思う、少し間を置くと、現在の外の様子を少しずつ説明してくれた。
 第三東京市は破棄され、今は廃墟であること。
 ネルフは、まもなく解体され、職員も元の職場に帰るということ。
 僕は、全く知らなかったのだが、ほとんどの職員が、国連軍などの組織から派遣されていたらしい。
 ほかにも、そこに住んでいた人々が… と、教えてくれた。
 最後に、アスカのことを聞くと、「生きている、無事だ。」とだけ、教えてくれた。
 「何故、そこまで彼女のことを聞きたがるのだ?」と、聞かれた。
 彼らには分かるはずも無い。
 僕は、彼女に逢いたかった…。
 逢って、許してもらえなくても、謝りたかった。
 逢って、受け入れてもらえなくても、傍にいたかった。
 逢って、嫌われたとしても、好きだと伝えたかった。
 だから、一つになる世界を拒んだんだ。
 「大事な人だから…」こう答えた僕の心など、彼は理解できる筈もないんだ。
 多分、彼らの情報には、僕とアスカは仲は険悪で最悪のものだとでも、書かれているのだろう。
 事実、アスカとまともに会話したのは、喧嘩だったような気がする。
 だが、これで僕の中に一つ、確信できたことがあった。
 彼女は解放されてないということ。
 僕と同じように、戦自、もしくはいずれかの組織に拘留されている。
 間違いはないと思う。
 もし、ドイツに帰ったのならば、無事だけとは言わないだろう。
 他の職員達の動向のように、ある程度までは知らせてくれるはずだから。

 その他のいくつかの質問を答えると、彼は帰っていった。
 翌日から、今度は別の男性数名が交代で教官としてくるようになった。

 外の様子などの幾つかの質問は、伝えると2〜3日ほどして教えてくれるようになった。

 そして、それからまた一年ほどの間、僕はこの何も無い生活を繰り返した。





 ある日、僕の端末に、メールが届いた。
 メール機能があっても、どこにも送ることができないので、全く意味がなかった端末。
 ここに来てすぐの頃、ケンスケやトウジ・洞木さんに、元気? って、内容の全く無いメールを送ろうとした。
 例え検閲された後でも、届くのならばそれでよかった。
 メールが辿り着いたのを確認できれば、少なくともみんなが生きてるって証になるから。
 だが、メールは宛先に届くでもなく、発信不能とだけ、メッセージが返ってきた。
 外部との連絡も、一切が禁止されてるということ。
 予想はしていたから、さほどショックはなかった。
 そこに届いてきた、メール。
 発信者不明。メールの詳細情報を見ても、発信者は特定不能。
 不審に思ったが、ウィルスメールだったとしても僕になんら被害はないんだ。
 端末が使えなくなるだけ。
 そう思って内容を見てみた。

 --久しぶりね 元気?
  積もる話は一杯あるけど、それはまた今度ね。
  アンタは、アタシの事を聞いてるらしいけど、心配しないでいいわ。
  下手なことしないで、大人しくしときなさい。
  また、すぐに連絡してあげるから!
  それと…、次に会ったときには、覚悟しておきなさい!
  アンタの方から言わせてみせるからね!絶対に!

  P.S.
  このメール、読んだらすぐに削除しなさい!
  内容は心の中に留めておくこと!--


 アスカ? 多分、間違いないと思う。
 アスカ… 無事なんだ… 内容も一方的だし…
 何が言いたいのか、全然わかんないけど…でも…
 凄くうれしい。
 送信者を不明にしてあるのは、アスカだというのを隠さなければいけないからだと思う。
 はしゃいでしまいそうになる体と心を必死に押さえ込んで、メールを削除した。
 喜ぶ姿をカメラで見られたら、不審に思われる。
 どこにあるかは分からないけど、カメラがついているのは想像がつく。

 この日から、毎週・同じ曜日・同じ時間に、内容は相変わらずわからないけど、メールが来るようになった。
 返信しようにも、宛先が無いから、送り返すこともできない。
 言葉を交わしたい… 3度目のメールが来る頃には、その想いが爆発しそうになった。
 そう思っていたら…

 --アンタバカねぇ、相変わらず。日記くらいつけなさい!--

 って、メールが来た。
 言われるまま、日記をつけることにした。


 ○月×日 晴れ
 今日から日記をつけることにしよう。
 何にもない生活で、日記をつけるようなこともなかったのだから、書いてもしょうがなかったんだ。
 でも、書けばきっと自分の考えていることが分析できるのではないかと考えた。
 その日思った他愛のないことでも、書き留めておくことにしよう。


 こうして僕の書くことのない日記は一週間ほど続いた。
 だけど、翌週のメールに、日記に書いてあったことを叱る内容のメールが来た。
 アスカが日記を見てる。
 ケンスケと違って僕は端末なんかに関する知識は全くない。
 たぶん、何らかの方法で僕の端末を覗いているんだろう。

 それから、僕は日記の中に暗号のようにアスカに伝えたいことを書いた。

 ○月△日 晴れ
 先日、教官に質問したアスカの近況に関して返事が来た。
 相変わらず「無事だけど、それ以上のことは君には伝えられないんだ」とのことだった。
 無事でさえあれば良い。
 僕にとって、彼女が一番大事な人だから。
 いつか彼女に逢えたら、謝りたい、そして伝えたい言葉がある。
 だから、彼女だけは無事であって欲しい。


 返事が、来た。
 --恥ずかしいこと書くんじゃないわよ!
  他の人に見られてたらどうすんのよ、まったく。
  それにね、アタシも言いたいことがあるのよ!
  だから、アンタも無事じゃなきゃダメだからね!
  それと、ゴメンはもういいから…
  聞き飽きたしね、言わないでいいわ。 わかった?--


 文字の向こうに、アスカの呆れた顔、真っ赤に怒ってる顔。
 それが見えた気がした。

 翌日の日記に、アスカの近況をそれとなく日記につけたみた。
 知りたかった。
 だけど、その答えは返ってこなかった。
 何度か書いてみたけど、まったく返ってこない。
 良く分からないが、話せないことらしい。

 僕とアスカの奇妙なメール交換は、それからも続いた。

 こうして、さらに1年の月日を耐えることが出来た。
 そう、あの時から3年の月日が経過したんだ。





 --アンタを助けてあげるわ。
  多分、逢ったときには伝えられないだろうから、先に謝っておくわ。
  ゴメンね。--

 相変わらず、意味が分からない。
 どうして、謝るの?と聞いてみても、どうせ、教えてもらえないだろう。
 不安が僕の中で大きく膨らんでいた。
 日記に書いたとしても、来週まではその返事はもらえない。
 僕は、助けてもらいたいわけじゃない。
 アスカさえ無事なら… 僕はどうだっていいのに。
 その気持ちを思いっきり伝えたかった。

 翌日、僕の予想に反して、事態は急展開を迎えた。

 昼食を用意していたら突然、警備兵に囲まれ連れ出された。
 来たときは目隠しをされていたから分からなかったけど、ここが大きな戦自の基地内であったことがようやく分かった。
 滑走路もあまり大きいのがないところを見ると、地上部隊の基地じゃないかと思う。
 自分がいたところは、その住居棟の最上階だったんだ。
 最初に士官を名乗った男も一緒に来た。
 どこへ行くんですか?と聞いてみたけど、今回は機密を理由に突っぱねてきた。

 沈黙のままヘリに乗せられ、数時間ほど飛んでいたと思う。
 降り立った場所は、どこかの研究所のようだった。
 かなり厳重な警備がされていた。
 Nerv本部でもこんなに厳重じゃなかったと思う。
 無言のまま士官の男が先行して進むと、後ろの警備兵が僕を急かした。
 建物の中に入ると、厳重なチェックを何度も通り抜けた後、一つだけしかない奇妙なエレベーターに乗せられた。
 地下にかなり下りていったと思う。
 ジオフロントにあったリニアエレベーターと同じ感覚だったから、間違いは無いと思う。
 エレベーターを降り、10分ほど歩かされると、暗い部屋に案内された。
 なんとなくデジャブを感じた。
 それもそのはずだった。
 明かりがついた時、それがいつの事だか分かった。
 初めてジオフロントに来たとき。
 同じように、僕の左手には、巨大な紫色の鬼が居た。
 また、これに乗って戦えって事なのか?
 もう、使徒は来ないはずだ。

 橋の反対側に、白衣を着た紅みのある金髪の女の子が立っていた。
 あの頃より、何倍も綺麗になって、そして、可愛くなっている。
 紅かっただけの髪も、金色の度合いを増し、天使の輪の様に輝いている。
 いくら綺麗になっても、可愛くなっても、見間違えるはずがない。
 アスカだ…だけど、その視線は…

 「久しぶりね、碇君」

 あのメールは、アスカじゃなかったのか?
 アスカの視線は冷たかった、まるで“ただの知り合い”と。
 まるで、はじめてリツコさんに会ったときに感じた視線。
 それもそうだ…、自分の首を絞めた人間を許せるはずが無い…。
 僕の妄想だったんだ…。
 たとえ許していたとしても、友達以下の扱いも当然だ。
 そう、悟ったとき、僕の世界は崩れ去った。
 甘い夢を見すぎていた。
 僕が許されているなんて…。
 アスカが無事だってだけで、良かったんだから。
 やっと結論を導き出せた僕は、笑顔でアスカに頷いた。
 たぶん、今までの愛想笑いじゃない、心からの笑顔が出せたと思う。

 「感動のご対面もいいが、こちらにも時間がないものでね。」

 デップリとしていて、あからさまに体の重そうな、初老の小男がアスカの影から出てきた。
 簡単に言うなら“小デブのおじさん”だ。
 アスカを舐めるように見る視線も、気持ち悪い。
 そして、僕を見る目は… あからさまに、僕を下に見ていた。
 偉い地位の人物なのかもしれないけど、最初から人をそういう目で見る人は信じられない。
 あの時も初号機の前であの髭オヤジは、同じ目をしていた。
 値踏みをしているつもりなのだろう、僕の周りをうろちょろしている。
 やっと終わったらしい時、小デブの側近らしい男が書類を片手に寄ってきた。


 「貴方には、エヴァンゲリオン初号機に乗って頂きたいのです。」

 予想通り、初号機に乗れ… こう言い出した。
 使徒でも来るんですか?と問えば、欲に淀んだ瞳で、世界の平和の為に…。
 なんて、言い出した。
 いくら僕でも、こいつの考えてることくらいはわかる。
 エヴァの力を使って、世界の覇権をとか、考えてるんだろう。
 僕はこんな奴らのためにこの世界を望んだわけじゃないのに、結局、良いように利用されるのか…。
 綾波がその命と引き換えにくれた世界なのに…。
 だが今、逆らっても無駄だと思う。
 アスカを人質に取るとか、他にも手段は考えているのだろうし。
 『大事な人だから』って前に言ってしまっているのだ。
 アスカにその意識が無くても、人質じゃないわけがない。

 「返事が無いということは、YESと取らせてもらうよ。碇シンジ君」

 アスカのほうをちらりと盗み見たけど、彼女の表情や視線に変化はなかった。
 僕は、悔しいが頷くしかできない。

 秘書が、とりあえず今日のところは起動実験を行うだけと、言ってきた。
 これにも、頷いて返事をする。
 良く考えたら、こうして無理やり乗せられるのもまるっきり過去の再現みたいだ。
 ここに居る人達は、ぼくが自ら乗り込んだとでも思っているんだ。
 『人類の未来の為に』なんていわれて、僕がすすんで乗ったんだと。
 人質が居るのも一緒、綾波がアスカに変わっただけ。
 良く考えてみたら、態度まで似たようなものだ。
 Nervの時は知らない間に悪の手先。
 今度は人質をとられて、悪の手先。
 僕には正義の味方の役どころは来ないようだ。
 神様を心のそこから憎むことが出来るよ。
 でも、もう悪役だろうと何だろうと構わない。
 僕の望みは、アスカが無事でいてほしいということ。
 それだけでも叶えられるなら、悪役でいるのも嫌なことでもない。
 多分、この悪役の先は… 勝敗に関係なく、世紀の極悪人と呼ばれるだけ。
 どうせ、一度は人類全てを滅ぼしてしまったのだから、それが公表されれば同じことなんだ…

 こう考えたら、気が楽になった。
 どうせ、流されるのが自分の役割なんだろうと。
 ふと気付くと、僕の顔をアスカが覗き込んでいた。
 僕が思考の海から浮かび上がるのを待っていたんだと思う。

 「では、以前と少し仕様が違いますので、説明をしますからこちらへどうぞ。」

 促されるまま、僕は初号機のエントリープラグへと向かった。
 色の明るさやなんかの僅かな違いはあるけれど、紫系統の色で塗りつくされた姿は前と変わりない。
 ゆっくりとタラップを上り、その細部を確認しても、以前と変わりは感じられない。
 タラップ最上部に着くと“EVA-01:third:Sinji.I”と刻印されたエントリープラグが目に飛び込んできた。
 エントリープラグさえ、あの頃のまま再現されていた。
 EVAの頸部にハーフイジェクトされたエントリープラグ。

 「どうぞ、お入りください。」

 促されるまま乗り込みインテリアに腰掛けた。
 アスカも続いて入ってきた。

 「見てわからないと思いますが、少しデータ表示位置が変更されてます。」

 言いながら、僕の隣に来るアスカ。
 僕の顔のすぐ横にアスカの顔が寄ってきた。
 アスカの髪から、シャンプーの香りが零れてきて、激情に駆られそうになってしまう。

 『そのまま聞いて、起動したら、左手、レバーの裏にあるボタンを押して…』

 アスカが急に、口を動かさないように僕の耳元で囁いた。

 「基本的配置は、変わりません、インダクションモードなどに…」
 各部を指差しながら、説明を続ける声はさっきまでのものとかわらない。

 『こっちを見ないで…、ボタンを押せば、外部からのコントロールは一切不能になるわ』
 
 「このあたりの変更点は、依然とちがって…」
 視線もさっきまでのものと、なんら変わりはない。

 『そしたら、第三東京市まで逃げて、行けばミサト達があとは何とかしてくれるから』
 でも、僕は確信できた。

 「他に気になるところはありますか?」

 やっぱり、あのメールはアスカだったんだ…
 この態度には何らかの事情が、あるんだろう。
 とりあえず僕も嬉しくて跳ね回る心を抑えて、演じることにした。

 「インターフェイスヘッドセットは、ありますか?」

 「えぇ、ここに。」

 アスカが左手のポケットから、あの頃のものと変わりない髪留めのように見えるそれを、差し出してきた。
 僕の白いインターフェイスではない。
 赤い、アスカがつけていた物。

 「貸してもらえますか?」

 身に着けた、瞬間に初号機の状態が、頭の中に流れ込んできた。
 S2機関の運転状況、素体の状態が、手に取るように分かった。
 母さんの魂も、そしていなくなった父さんが、ここにいるということが。
 そして、僕の望みを叶えてくれるって。

 『アタシは…いいから…逃げてね、お願いよ…シンジ…』

 「質問はありませんか? 無いようでしたら、予定どおり行いますので準備を、お願いします。」

 アスカは、僕だけ逃がすつもりなのか?
 僕一人、逃げろというつもり?
 このヘッドセットは、形見のつもり?

 「いやだ…、」

 僕がアスカを置いて、逃げる?
 嫌われてもいい。
 もしアスカがこの場に居たいのだとしても、ここにいたらアスカはまた利用されるだけになってしまう。
 それに、形見なんかいらない。

 「は? 何か言われましたか?」 

 立ち去ろうとしていたアスカが、こちらを振り向いた。
 チャンスは、今だけだ。  この先、二人きりでプラグ内に入ることなんて、きっと無い。
 これを逃したら、無理だ。

 「うん、言ったよ…。
       ハッチ閉鎖、エントリープラグ格納。」

 僕の声に応えて振動がエントリープラグに奔り、ハッチが閉まる。
 エヴァの頸部の中にプラグが飲み込まれる揺れが振り返ったアスカに襲い掛かり、バランスを崩して僕の方に倒れこんできた。

 「何してんのよアンタ!ダメよ! 起動しないかもしれないのよ!」

 僕は笑顔で振り向くと、大丈夫だよって伝えた。

 「LCL注水開始」 

 同時に、さっき教わった左手のボタンを押し、外部との接続をカットする。

 「外部からじゃないと、起動失敗するわよ! なに考えてるのよ!
  これで、計画が全部、失敗しちゃったじゃない!このバカシンジ!!!」

 あ…やっと聞けた… バカシンジって…
 これが聞きたかったんだ…僕。
 アスカの目も僕をきつく睨んでいるけど、以前のまま。

 「答えなさいよ!」

 あ、返事してなかったか。
 言わなきゃいけないこともあるしね。
 最初に約束したし。
 命令かな?

 「僕が、アスカを置いていけるはず無いだろ?
                ・・・大好きなアスカをさ、」

 固まってるよ、アスカ。
 僕に言えって、言っておきながら、言われると固まっちゃうなんて…可愛いなぁ…

 「シンクロスタート」

 プラグ内に、外の景色が写る。
 さっきの小デブおじさんが、なんか騒いでる。
 あ、あの時の士官もまだ居たんだ。
 迫撃砲って言うのかな、こっちに打ってるし…
 効かないのに…あぁ〜あ… 知らないんだね…
 アスカじゃないけど「こっちは壱萬弐千枚の特殊装甲で…」って言いたくなっちゃうよ。
 なんて、外の状況を確認していたら、起動プロセスは全て完了していた。
 あとは、僕の掛け声だけ。

 「アスカ? 起動するよ?」

 ぽけ〜っと、何がなんだか分からないのか、いまだ固まってる。
 ・・・・・・
 ・・・・・
 ・・・・
 ・・・
 ・・
 ・
 ん〜 しょうがない。
 僕は、アスカを引き寄せると、左手で抱きしめる様に支えることにした。
 さぁ〜〜〜って…

 「初号機! 起動!」

 掛け声と共に、初号機の鍔部拘束具が弾け跳び、あの絶叫が狭いケージの中でこだました。
 野獣の雄叫びっていうのか、何時聞いても、怖いものがある。
 さらに、今はあの髭オヤジが中にいるんだから、雄叫びも以前より少しパワーアップしてるのかもしれない。

 っと、これをきいて、やっとアスカの硬直が取れたようだ。
 目をパチクリさせながら、こっちを見ている。

 「言ってたでしょ?『アンタから言わせてみせるからね!』って」

 「ア…アンタ…「それに、こんなに美人になってるなんて、卑怯だよ、」

 アスカの顔が、一気に赤くなってる。
 照れてるんだよね… うわっ、なんていうのか…、卑怯なくらい…可愛いよ…ずっと、抱きしめていたい…」

 「なっ!? なんなのよアンタいきなり!?」

 へっ?あ… 声に出しちゃってたんだ…
 いくらなんだって、僕があんな台詞言えるはず無い。
 って、考えてたら、ふと、アスカが俯いてしまった。

 「アタシのこと、可愛いって言ってくれるの?」

 「うん、もちろん」

 返事をしてる、自分も恥ずかしくなってくる。

 「アタシのこと、大事っていってくれるの?」

 「うん、間違いなく一番大事だよ。」

 「じゃぁ… アタシが傍にいても、いいの?」

 「喜んで。僕の方からいさせてくださいって、お願いするよ」

 僕の答えに満足したのか、アスカは僕の首筋に思い切り抱きついてきた。
 血の匂いしかしないLCLの中で、僕の匂いを嗅ぐように、鼻をこすりつけて。
 浮かぶ涙を、拭うように目をこすりつけて。
 その動きにつられて、目の前でアスカの髪がゆらゆらと揺れている。
 すこし、苦しいけど… 凄く…幸せだ…僕…

 「ア… だ……き…」

 擦れて聞こえにくいけど、なんて言ってるか、僕には良く分かる。

 「アタシも大好き… ずっと、離さないんだから…」

 ぼくは、無意識のうちに、両手で思い切り抱きしめていた。

 この時、外では阿鼻叫喚の地獄絵図となっていたようだ。
 見事に拘束具を引きちぎり、タラップを破壊し、何かを抱きしめるかのように固定された手。
 挙句にATフィールドまで発生させてたというのだから、それもそうだろう。
 二人で抱きしめあったから。
 アスカの柔らかい感触に溺れてしまったんだ。

 世界最強の兵器と史上最高の美少女を強奪した僕は、その美少女アスカの案内にしたがって地上に出た。
 聞けば、ここは松代とのこと、思い切り走れば、音速を超える初号機だ。
 追いつくこともできない。

 完全に、追いかけられない状況にいたった時、アスカに思い切り叱られた。
 もちろん、平手付きとゲンコツ付き。

 「アンタの母親!ユイさんが初号機の中にいなかったらどうするつもりだったのよっ!取り込まれてたかもしれないのよっ!このっバカシンジ!」

 アスカ曰く、サードインパクトの時に、母さんは居なくなってしまったかもしれないとのことだった。
 現に、弐号機のコアは残っていたらしいのだが、アスカの母親『惣流・キョウコ・Zeppelin』の反応はなくなってしまっていたらしい。
 それを知ったアスカも、初号機のコアも走査したんだけど、以前のコアのパターンと違っていたんだそうだ。
 それもそうだ、あの髭オヤジもこのコアの中にいるんだもん。

 「アタシなんだか、急に気持ち悪くなってきたわ…」

 その気持ち分かるよ…って、父さんにも聞こえてるんだろうけど…
 だから、起動時に取り込まれそうだったら、アスカが緊急停止を行うつもりだったらしい。
 リツコさんから、その対処方法なんかも聞いていたようだ。
 僕は、ヘッドセットをつけた瞬間から、大丈夫だって確信があったんだけどね。

 他にも色々聞かせてくれた。
 当初、戦自は僕を戦犯として、生贄に差し出すつもりだったようだ。
 だけど、初号機が発見されて、それを逸早く回収できたのは、Nervでも国連でもなく戦自だった。
 そして、その力で世界の頂点に君臨しようと隠してしまったらしい。
 動かすことができるのが僕だけだということを、知らなかったのか、アスカに初号機を動かさせようと考えたらしい。
 そこで、アスカは僕より遥かに早く、あの日から1ヵ月後。
 僕があの部屋に連れ込まれた辺りから解放されていた。
 僕は戦犯で処理されることがこの時点では決定事項だったから、アスカが選ばれたのだろう。
 自分では動かせないと告げたのだ。
 専属パイロット制がどうしてかという理由が、彼らにはわかってなかったんだ。
 説明し終えたアスカに、彼らはならば痛んでしまった初号機を直せと命じてきたらしい。
 拒否したところで、事態は好転しない。
 最悪、僕は洗脳される可能性をそこで感じたアスカは、初号機を修復するのを交換条件に、僕には一切の手出しをさせないようして、技術者としてその頭脳を提供していたと。
 だから、僕が独房からあの建物に移送されたんだ。

 ふと、そんな状況下で、どうやってネルフと連絡を取っていたかと聞いたら…。

 「マギにハッキングしてもらって、私の報告書や日記を読んでもらうのよ。
  そして、私の方からも情報を盗む振りをしてハッキングして…」

 なるほど…、僕の日記を読んでいたのと同じ手口でだ…、 
 松代のマギ2を利用して、監視する振りをしながらすれば、一切の嫌疑もかけられない。
 リツコさんに連絡を取れるようにったのも、少し時間がかかって僕と連絡取れるようになったのと同時期だった。
 僕にはそんな知識はあるはずも無いから、メールって形をとってたけど、実際はハッキングに近い方法で無理やり端末にもぐりこませたらしい。
 それから、僕らは別れてからのことを色々話した。
 あまり弱みを見せたくないとの事もあって、リツコさんのように演じてきたんだと言っていた。
 似合わないなと僕が溢すと、
 「なんでよっ!?」
 って、顔を真っ赤にして、唇を尖らせながら聞いてきた。
 答えは、アスカは可愛いからだ。
 リツコさんみたいに冷たい感じでいたら、可愛いのが台無しになってしまうし。
 唇を尖らせるなんて、リツコさんには悪いけど似合わないし。
 答えを聞いたアスカは、俯いて照れてしまう。
 これが、可愛いって理由なのに。

 暫くすると、アスカがすまなさそうに、こっちを見ていた。
 僕と再会したとき冷たくしてしまって、ゴメンナサイって。
 アスカも自分の気持ちは通じてるつもりだったんだ。
 それを逆手に取られる可能性があったから。
 それが、メールに書いてあった『ゴメンナサイ』の意味だった。
 隠してもダメだったことを言った時のアスカはかなりの勢いで呆れてた。

 暫くして、第三東京市に着くと、その景色は少し違っていた。
 赤い海が、なくなっていた。
 あのLCLは大地に溶け込んでいったらしい。
 そして、ジオフロント… 天蓋が、全く無い。
 大きく窪んだそこに、あのピラミッドが見える。

 「シンジ君!!!」

 突然、通信が割り込んできた。

 モニターの端に、懐かしい顔が並んでいる。
 青葉さん、日向さん、冬月副指令、マヤさん、リツコさん…
 そしてあの時、僕を導く為に、死んだはずのミサトさん…

 「おかえり、シンちゃん…」

 話では、生きてるって聞いてたけど…
 通信機越しといえど…
 いざ、その声を聞いたら…
 涙が溢れてきた。

 「た…いま…」

 涙でかすれた僕の声はこれだけしか出てこなかった。
 アスカが、僕の瞳に浮かんだ涙を、その手でやさしく拭ってくれてる…。
 嬉しさのあまり、何も言葉が出ない…。
 頭も空っぽになっちゃったよ…。

 「アラアラ…、世話女房って感じよねぇ、見ない間にそこまでいっちゃったかぁ…」

 「な!? なによ! ミサト! ・・・・・・・・・・」

 冷やかされて、アスカが怒鳴っている。
 これも、懐かしくて…涙が、止められないや…

 「泣き虫シンジなんだから、まったく…」

 どんなことをいわれても良いや…。
 アスカがいて、みんながいる。
 だから今、僕はすっごく幸せだ。

 ありがとう、綾波…





 今回の騒動から、エヴァは国連軍の所属となった。
 その管理機関として、ネルフも再発足。
 ミサトさんは再就職先ができたと泣いていた。
 再就職できなくて困ってたらしい。
 そりゃ、エビチュしか頭にないんだもん、無理…だと思う。

 僕は、国連軍の士官に強制的に着任させられた。
 やっぱり、学校には通えないらしい。
 トウジたちとは連絡も出来るようになったし、週に一度は会おうと思えば会いにいける。
 アスカが離してくれればなんだけど…
 その気配は全く無い。 

 ちなみに、戦略自衛隊は解体。
 日本政府は、内閣総辞職に留まらず、与党解体。
 政府自体が、国連に組み込まれるという、噂まで出てきてる。
 当分、混乱は避けられないようだ。

 後で分かったことだが、最初に来ていた女性士官はネルフの諜報部の人だった。
 ゴメンナサイ。
 もしもの時は、僕を救出する手筈だったらしい。

 あ、あと、僕の日記は今まで端末でしてたのだけど、アナログの鍵付き日記帳に変更して書いてる。
 鍵の隠し場所はばれてるから、アスカには見られている節がある。
 以前の日記は…アスカのみならず、ネルフの人間全てに見られていたらしい。
 僕がずっと前から、そう…出逢ったときから、アスカを好きだってことは…知られていたわけだ…。
 でも、いい…。
 僕が幸せなことには変わりが無い。

 そしてなにより、アスカが隣にいるから。



しふぉんさんから素敵な短篇をいただきました。
EoE後のお話ですね。

シンジ君の愛が通じて良かったですね。
これもアスカのおかげと言えましょう。そしてネルフの人達の。

らぶらぶではっぴーなお話を書いてくださったしふぉんさんいぜひ読み終えた後に感想メールをお願いします。