NO.7
くるみ
シュウト
第十話:父の過去
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 くるみ 第十話 ――― 終 ――― 2014815 シュウト.
「あんたは本当にひどいやつだよ。俺と先生からユイを奪ったくせに自分が閻魔さんにユイを奪われたら世界を滅ぼしちゃうんだか―――シ、シンジ……どうしてここにいるんだ!?」
僕は木の陰に隠れるのを忘れて、先生の隣にいつの間にか移動していた。
そして、墓に刻まれた文字を読んだ。
『六分儀家代々之墓』とそこにはあった。
「先生、父さんのことを先輩って言っていましたよね?でも先生が父さんをそんな言い方で呼んだことは今までありませんでした。父さんのこと、なにか知ってるんですか?」
僕が言うと、先生は僕を見つめてから、少し考え込むような仕草をした。
今まで先生は父さんのことを『お前(僕のことだ)の父親』と呼んでいた。
でも、今先生は『先輩』と言った。それは父さんに言ったと考えていいと思う。
だって母さんと僕の名前が先生のつぶやきに出ていたから。
それにそもそもなんで僕が先生のことを学校の先生でもないのに『先生』と呼ぶのかというと、父さんがそう呼んでいたからだ。
父さんが旅館、くるみ荘の館長のことを『先生』と呼んでいたから僕はこれまでその人を『先生』と呼んでいた。
しかし、その先生が明らかに父さんへ向かって『先輩』と言った。
先輩というのはまず間違いなく年下の人間が年上の人間を呼ぶときの言葉だ。
父さんと先生の間で矛盾ができている。
先生はふうっと溜め息をつくと、僕に言った。
「まあ、あそこまで聞かれちゃ、な。話さないわけにはいかないか。話さなきゃいけないって、分かってたんだけどな。―――でも、今日はやめておこう。明日、この話をすべきところでお前たちに話そう。お前たちはもっとシンジの両親について知らなくちゃならない」
「お前たちって、あたしも……?」
僕と先生の後ろに立っていたアスカが言った。
「そうだよ」
「どうして?あたしはシンジのお父さんやお母さんとはなんの関係もないわよ?」
「いや、君には真実を知っておいてもらいたいんだ。シンジだけが抱え込むのではなく、シンジと君の二人で知っておいてもらいたいんだ。それに、君はシンジの彼女なんだろ?」
アスカは、それまでと違い、否定しなかった。
くるみ荘へ帰ってから温泉に入ったり、卓球をしたりなどいろいろなことをしたけれど、僕はそれどころじゃなかった。
きっとアスカもそうなのだと思う。
「なんやお前ら。妙に静かやんけ」なんてトウジに言われちゃったもん。
結局あまり遊びが捗らず、さっさと寝ることにした。
お祭りに行っているときに準備してくれたのだろう、部屋にはすでに布団が敷いてあった。
その布団がぴったりとくっついていて、更に枕もくっついていなければふつうなのだけれど。
僕たちは無言で布団と枕を離した。でも、それほど離さない。
なんとなく、離れすぎるのは嫌だったから。
アスカも……そう思っていたのかな。でもそうじゃなければアスカはもっと離したり、僕たちの間になにかものを置いたりするだろう。
20センチくらい離して僕たちは布団に入った。
コンフォート17よりも涼しく、静かで眠るのにはうってつけなのに僕は寝付けなかった。
アスカの方をチラッと見てみると、僕に背を向けていた。掛け布団が上下しているのを見ると、どうやら眠ってしまったようだ。
初めての日本のお祭りで大はしゃぎだったもんなぁ。疲れたんだ。
僕は静かに布団から抜け出し、アスカを起こさないようにそーっと歩き、冷蔵庫から麦茶を出してコップに注いだ。
そのコップを持って、障子扉を開けて隣の部屋へ移動した。
闇に慣れた目には、窓から入ってくる月光が痛かった。
山は黒く塗りつぶされ、月はその上で輝いている。
なんとなく、侘しい気持ちになってしまった。
早く父さんの過去を知りたい。
でも、それを知って僕はどうするんだろう?
父さん。
ついに一度も僕の前では父親らしい姿を見せてくれなかった(と僕は思っている。先生もそんなことを呟いていた)父さん。
赤い海から帰ってこなかった父さん。
その代わりに幽霊として僕の前に現れた父さん。
僕は父さんのことをよく知らない。分からない。
分かろうとしなかったワケじゃないと思う。
加持さんにも「君は自分の父親のことを聞いて回っているのかい?」と言われたくらいだから。
息子が、父親のことを知るのは別に悪いことなんかじゃないじゃないか。
そう思って僕は麦茶を一気飲みした。
そして景色を見ると、もう侘しくなんかなかった。
翌日。
ゆっくり起床して、少し遅めの朝ご飯のバイキングを食べた僕たちは各ペアごとに別行動をとることにした。
予定では、みんなで一緒に第二東京の観光地を巡ってどこかでお昼を食べてそしてお祭りにいくはずだったんだ。
でも、昨日の件で僕とアスカは先生と話さなければならなくなってしまった。
大事な用ができたから、と説明すると委員長とトウジは訝し気に了承してくれた。
その2人は予定通りに第二東京の観光に行くそうだ。
彼らを見送ったあと、僕とアスカは先生の部屋へ行った。
ノックをすると、先生はすぐに出てきて「出るぞ」と言って足早に出入り口へ向かって行った。
くるみ荘を出て、都市とは逆方向への道を進んでいく先生の後について行く。
雲一つない快晴で、少し歩いただけでじわっと汗をかいてしまった。
砂利道や草がぼうぼうの道を進み、先生は古い家の前で止まった。
いかにも日本の家、といった感じの家。
姿こそ古いけれどなかなか大きな家だ。
先生はその家の扉の錆びた鍵穴にポケットから出したこれもまた錆びた鍵を差し込み、苦労して鍵を開けた。
玄関を開け、中に入っていく。
外見はあんなに古いこの家だが、中は多少掃除されているようだった。
鍵を持っていたということは、先生が掃除しているのだろう。
ただ、あちこち痛んでいるらしく、床が抜けているところがあれば、踏むとギシッという不気味な音を立てる床もあった。
そして先生は、ある一つの部屋に入った。
その部屋は、僕が知っている部屋だった。
昨日昼寝をしたときに夢で見た部屋だった。
薄暗く、埃臭い。外はあれほど暑かったのに、不気味にこの家の中は涼しい。
あの夢の通り、父さんが背後にいるのではないかと僕は思った。
でも父さんはいなかったし、あの写真もなかった。
気になったけど、先生の話を聞こうと先生に促されたように僕は清潔なシーツの敷いてあるソファに座った。僕の隣にアスカが座った。
先生は僕たちと向き合うソファに座った。
「これから話す話はシンジの父親、碇ゲンドウ先輩、旧姓六分儀ゲンドウ先輩の過去の話だ。だがその前に、君たちをここに連れてきた理由はまず、君たち以外の誰にもこの話を聞かれないようにするためだ。そしてもう一つ。この家は、そのゲンドウ先輩の住んでいた家だからだ」
先生は言った。
この家が?!
この家に父さんは住んでいたの?!
「いつか、シンジに話すためにこうやってときどき掃除もしていたんだ。しかし、この家も近く取り壊されることになった。それもあってシンジをここに呼んだんだ。これが最後の話すチャンスだからね」
僕は頷いた。それしかできなかった。
隣のアスカも頷いた。
先生は僕たちが頷いた意味を分かってくれたらしく、ついに父さんの過去を語り始めた。
「先輩は薄幸な少年だった。
先輩が14のころ、先輩の両親は離婚し先輩を引き取った母親も病気で離婚からすぐに亡くなった。
しかも、離婚する前も両親共に息子へは無関心だったそうだ。叱りもしないが、接点もつくらないような両親だったらしい。
旅館の女将だった俺の母親は、親戚もおらず一人になってしまった先輩を引き取った。そのとき、俺は6歳だった。
俺は先輩を兄のように慕っていた。
もともと近所だったせいもあるし、俺は母親に言われて先輩の家に遊びに行ったこともあった。
先輩は遊びを知らず、俺がこの家に来ても、ずっと勉強机に向かって勉強していた。俺が話しかけても答えてくれず、しかし迷惑そうな素振りもせず、ひたすら無視だ。
幼稚園児に向かって無視を決め込んでいたんだぜ?そんな人をどうして慕っていたのかというと、先輩は俺の5歳の誕生日にプレゼントをくれたんだ。
ペットボトルロケットだった。
普通のペットボトルのロケットとは違って、飛ばした後最高点に達すると破裂するっていう仕組みのロケットだった。
先輩は1か月前から教科書を出さずにノートになにやら数式をかきこんだりしていて俺は疑問を抱いていたのだが、自分のプレゼントの為だと分かって感動に似たようなものを感じたんだろう。そして俺はあの人を慕った。
先輩はウチに居候を始めてからも、別に特段優しくしてくれたワケじゃない。君たちのイメージ通り、不愛想で挨拶も返してくれない人だった。6歳の俺には、先輩の不幸なんて分からなかった。だから常に一人を好み、暗いオーラを出している先輩がよく分からなかった。一人を好み、暗いオーラを出している友人やクラスメートは俺にはいなかったんだ。
先輩は中学を卒業すると、どこか遠くの寮のある高校に入学した。俺と母親があんな人でもいなくなったら寂しいものだなと話し合ったのを憶えている。俺の母は毎月仕送りと手紙を先輩のところへ送った。先輩は必ずその一週間後に一万円を封筒に入れて返してきた。母親がそんなことしなくていいと手紙を送っても、先輩は手紙も添えず送り付けてきた。俺は先輩がいなくなってから、何度も先輩に与えられていた部屋に入ったが、あの人の部屋だ。想像はつくだろ?勉強机しかないんだ。その勉強机の中も、家を出て行くときに全部持って行ったのだろう、何もなかった。ないと思っていた。しかし、一つだけ残っていた。それは写真だった。小学生の俺と、中学生の先輩が写っている写真だった。引き出しを何度も開いたり閉じたりするうちにその写真は引き出しの奥に引っかかってしまったんだろう。だから先輩も気づかなかった。しかし、俺は気づいてしまった。7歳だった俺は泣いたよ。もしかしたら先輩は、俺のことを大切にしてくれていたんじゃないか、って思ったら泣いていたんだ」
先生はそこまで言って僕たちにシワの線がたくさん入った写真を見せた。
シワの線はあったけれど、紛れもなく僕の夢に出てきた写真だった。
「俺と先輩が再会したのは、俺が大学3年生の時だ。別に進路なんかどうでもいいと思っていた高校生の俺は、音信不通だった先輩が自分で金を稼ぎ京都大学を卒業していたことを母親から聞き、先輩に負けるのが癪だったから必死に勉強して、京都大学に入学した。母親は、先輩が住んでいた寮に聞いてそのことを知ったそうだ。俺と母は疑問を抱いた。学生が大学に入学したりする金を自分で賄えるはずがない。母は寮の同部屋だった男子生徒や、先輩を多少でも知っている男子生徒に聞いて回った。しかし、だれも満足のいく答えはくれなかった。俺の母親はとんでもないお人好しかつお節介焼きな人間だったんだ。
さて、再会の話をする前に、話すことがある。
俺は先輩との再会の前に碇ユイという二つ下の後輩に出会っていた。
俺は、君たちも知っている、冬月先生の講義を受け、先生のことを気に入っていた。
あの先輩にも臆せず話しかけたり遊びに誘ったりしていた俺だ、一年生のときでも冬月先生の研究室に入り浸ったり、成人の先輩と一緒に鴨川でビールでも飲みませんか、と誘ったこともあった。先生も多分、俺のことを気に入っていたのだと思う。講義をサボって研究所にくる俺に「ダメじゃないか」と言った次には先生が取り組んでいる研究の資料を見せて俺に意見を求めたり、俺が成人になって二人で酒を飲みに行きませんかと誘うと、あれほど人付き合いの下手な先生がオーケーしてくれたこともあったからね。
そして、俺と先生の関係はその後も続くことになった。
3年生になったばかりのある日、俺は先生から相談を受けた。
『今年入った一年生に素晴らしく優秀な子がいるんだがね、その子が良い人がいれば家庭に入りたいと言っているんだ』
と先生は言った。俺は、先生が優秀というのだから、本当に優秀なのだなと思った。
『そこで君はどうかね?』と先生は言った。
『先生はいつからお見合いの仲介人になったんですか?』
と俺が言うと、先生は笑った。そこへ、碇ユイが来た。
俺がまず彼女に感じたことは、綺麗な子だな、ということ。お前の母親は美人だったんだよ。先生が仲介人になって、俺と彼女は自己紹介をした。彼女はフレンドリーな人だったせいか、俺に自分を「ユイ」と名前で呼ばせた。彼女は俺のことを先輩、と呼んだ。彼女は自分の研究を俺に教えてくれた。先生が優秀だと言っていた意味がよく分かった。この女、俺とは違う世界にいやがる、って俺は思った。神様がどこかで掛け間違えて余ったパジャマのボタンのように特別な人間だと思った。
俺とユイはその後、2人きりで何度か会って話をした。何度もあっているうちに分かったのは、彼女は俺が今まで出会ったどんな女の子とも違う女の子だということだ。俺の、神様がどこかで掛け間違えて余ったパジャマのボタンという比喩が的を射ていたことが分かった。俺は彼女と話していると、まるで自分までもすごい人間だと思えてきた。自分が彼女と同じ類の天才なのだと思えてきた。その感覚は、悪いもんじゃない。麻薬みたいなもんだ。彼女と会う回数も増えた。彼女は俺の誘いを断らなかった。そして、笑顔を振りまいてくれるんだ。そうしているうちに容姿端麗で、人当たりも良い彼女を俺は好きになった。
ある日、彼女は日本に留学中の日本とドイツのハーフの友人を連れてきて、紹介した。その子は俺よりも数歳年上で、とても美人で、頭がよかった。名前も教えてくれたが、忘れてしまった。俺は、ユイがどうしてこの友人を連れてきたのか不思議だった。
少し他愛もない話をしていると、彼女たちはゼーレという組織について話し始めた。彼女たちはその組織に属していたんだ。聞いた限りだとそこまで危ない組織だとは思えなかった。世界中の優秀な学者が集まって、なにかの研究をする組織。その何か、は教えてくれなかった。
そしてどうやら、俺を勧誘しているようだった。と、言うのも、俺が『俺もその組織に入れてくれないかな』と言い出すのを二人は明らかに待っていたんだ。俺はそうは言わなかった。そんな組織に勧誘されるのは非常にうれしいことだったけど、体が察知していた。その組織は危険だ、やめろ、と。
ドイツに帰るというユイの友人を駅まで送り、ユイを彼女の家まで送っている途中、彼女は率直に言い出した。
『先輩。さっき話したゼーレに入ってはもらえませんか?先輩ならきっと力になると思うんです』って。
俺は断ることは心に決めていたが、どうやって断るか考えた。好意を抱いている女の子が入っている組織への加入を断るということは、ひどく悪いことのように感じたからだ。好きな、野球部のメチャクチャ可愛いマネージャーの後輩の女の子から『野球部に入ってください!必ず先輩ならヒーローになれますから』と言われているようなもんだ。俺は彼女に嫌われるワケにはいかなかった。少し考えても、良い言い方は思い浮かばなかった。
俺は彼女の住むマンションの前まで「う〜ん」とか言いながら先延ばしをした。
ゆっくり考えて、また今度話すよと俺が言うと、彼女は笑ってはい、と言った。
その帰りだ、先輩との再会は」