NO.7



くるみ

シュウト



第八話:アスカの奇行、トウジの作戦





 奇跡と友情の力で先生から頼まれた全てを成し遂げた僕はへとへとだった。
 こんなに疲れたのは初めてかもしれない。
 そしてこの後はお祭りだ。
 このハードなスケジュールに先が思いやられる。
 でも、ケンスケにも手伝ってもらってやっと終わらせたんだ!
 お祭りに出なきゃそんなの疲れ損だよ!

「なあシンジ。手伝おうか?」

「いや、いいよ。僕がやらなくちゃいけない仕事だし、ケンスケも電車とかで疲れたでしょ?昼寝してなって」

「そんなこと言うなよ。手伝うぜ?どうせ部屋にいても一人だしな」

「本当に手伝ってくれるの……?」

「おう」

「………ありがとう!ケンスケ!僕の仲間は君だけだ!」

 やっぱり持つべきものは友達だよね。
 ケンスケには何か返さないといけないな。
 それでケンスケったらこの後の祭りに行かないとか言うんだ。
 祭りに行ってもどうせ俺はボッチになるし、とかよく意味の分からないことも言っていた。
 そんな彼に僕は強引に、お祭りにでかけるときになったら迎えに行くから用意しておいてね、と言った。
 何かあったのかな、ケンスケ。
 僕が部屋に帰ると、アスカは押し入れから布団も出さずに畳の上にうつぶせで寝ていた。
 腕の上におでこを乗せて、無防備にスースーと寝ている。
 となると、僕の目線はやはりさっきのように白い脚に行ってしまう。
 柔らかそうなアスカの脚……。
 そしてスカートと服の隙間からは腰の部分がチラッと見えている……。
 ……いかん!落ち着け!碇シンジ!
 お前は普段からだらしない2人の同居人によって感覚を調教されたはずだ。
 こんなことでドキドキしていたら、家に帰った時に生きていけないんだぞ!
 僕は座布団を折り、枕代わりにしてアスカから2メートルほど離れたところで眠りについた。

☆彡


 ここは、どこだろう?
 誰かの、家?
 それにしては薄暗いし埃臭いし散らかっているけど……。
 僕は棚の上に小さい写真立てが倒れているのを見つけた。
 僕はそれを起こし、その中に入っていた写真の人物をよく見てみた。
 小学生のランドセルを背負っている男の子と中学生の学生服を着ている男の子だ。
 この家の人かな?
 でも、兄弟には見えないな。
 全然似て無いもん。
 小学生の方は屈託のない笑顔で中学生の手を握って笑っているけど、中学生の方は手を握られて心底面倒くさそうだ。
 そしてなにより、目が怖い。

「見たな。」

 僕は脊髄反射的に振り返った。
 そこには父さんが立っていた。例の如く、圧倒的なオーラを放っている。
 そして、父さんが指をパチンと鳴らすと、僕は何もないところへ放り出された。
 まさか、ここが、無?

「そうだ。」

 どこからか聞こえてくる父さんの声。
 でも、父さんは見つからない。
 僕は腕を伸ばしてみた。
 しかし、腕を伸ばしているはずなのに、伸ばしている感じがしない。
 それは、僕の目に、僕の腕が映っていないからだ。
 そして僕は無性に怖くなった。

「父さん!助けてよ!どこにいるんだよ!アスカ!トウジ!ケンスケ!委員長!先生!ミサトさん!リツコさん!……母さん……」

☆彡


 頬に衝撃を受けて、僕は目覚めた。
 目を開けると、僕の上にのしかかっているアスカがいた。
 僕のお腹のところにお尻を乗っけて僕の顔を覗き込むアスカ。
 お腹を圧迫されて苦しい気持ちと、お腹のところの柔らかい感覚に茫然とする気持ちと覗き込まれてドキドキする気持ちと、さっきの夢は一体なんだのだろうという気持ちと、何のつもりなんだろうという疑問の気持ちが僕の中にあった。

「ど、どうしたの?アスカ?」

「……そ、その、アリガトね、シンジ」

「え?」

「いつもありがとう」

 アスカの目は真剣で、そして優しさが籠っていた。彼女の両手は、僕の両耳のそばを通り、畳についていた。

「それと、いつもごめんね」

「な、何のこと?」

「あたしのわがままにつき合わせて。ごめんね。シンジは優しいから、渋々でもあたしのわがままに付き合ってくれる。今まで言ったことないけど、感謝してるのよ」

 だんだんアスカの顔が僕の顔に接近してきて、それに比例して僕のドキドキも大きくなった。
 アスカ、どうしちゃったんだろう?

「さっきも、シンジのことだから先生から言われた仕事をやったのはあたしの為、っていうのもあるんでしょ?あたしたちのペアが一万円もらえるように」

 僕は唾を呑んだ。
 寝ている状態だからか、それともドキドキして緊張しているからか、のどの動きが大きかった。

「本当はね、シンジが仕事に出て行った後、手伝いに行こうと思ってたのよ?でも……」

 うなだれたように首をガクンと下げたアスカ。
 彼女の長い前髪が、僕の口元に垂れてきて、こそばゆいし、唇に当たるとなんだか彼女を汚しているような気がするし、そしていい匂いが鼻に入ってくる。

「いいよ、別に。先生がお小遣いを半分にしたのは僕のせいなんだし。それに多分、先生のことだから僕があんなこと言わなくたって仕事をやらせたはずだよ」

 僕が言うと、アスカはパッと顔を上げ「そう」と呟いた。
 そして彼女は目を瞑り、顔……というより唇を僕のそれに近づけてきた。
 心なしか、アスカの頬は赤らんでいるような気がする。そして、僕の頬も。
 彼女の前髪が、今度は僕のおでこに垂れてきて、またこそばゆい。
 僕もアスカに倣って目をきつく閉じた。
 また鼻息がこそばゆいから息しないでなんて言われないように自分を落ち着かせながら。
 そのとき、僕はアニメだったらここで邪魔が入ってキスなんかできないんだろうな、と思った。
 結果的に僕たちはその予想通りキスなんか出来なかった。
 アスカの鼻の頭が僕の鼻の頭の隣を通り過ぎた時、僕は―――いや、僕たちは視線を感じた。
 しかしそれはトウジやケンスケや委員長や先生ではないものだと直感的に僕たちは分かった。
 冷たい視線を感じた。
 それは、僕みたいな男がアスカみたいな女の子とキスをしようとしていることに対する妬みの視線ではなかったんだ。
 氷の針のような冷たい視線だった。
 目を閉じていても僕たちはそれを感じ取ったから、アスカは唇の下降を止め、僕は鳥肌が立ち、そして僕たちは目を開けた。
 よって僕たちは超至近距離で見つめあうことになった。

「今の……なんだろ?」

「……い」

「え?」

 なんて言ったのかよく聞こえなかった。
 僕はこんな至近距離で女の子と話したことなんてあまりないからドキドキして、体が熱くなった。
 この部屋は風通しが良く、クーラーは一応ついているのだけれど涼しいから扇風機で充分事足りるんだ。
 その首振り扇風機が僕たちを向いたときがとても心地いい。
 でも、そっぽを向いているときは、気温は高くないはずなのにとても暑かった。
 多分、顔も真っ赤だと思う。
 僕の体の熱が、アスカに感じ取られてしまうことを想像して、僕は恥ずかしくなった。
 そんな僕とは対極に、アスカは冷静そうな顔をしていた。
 もしくはハッとしたような顔をしていた。

「ゆ、ゆうれい」

「幽霊って、……見えたの?」

「み、見えなかったわよ。でも、司令の幽霊の視線になんとなく似ていたような……気が、したから」

 確かにそんな感じはした。でも、なにか違ったような、違わなかったような。
 そしてそのとき、インターホンが鳴り、鍵を閉めていなかったから勝手に入ってきたトウジが言った。

「センセ。そろそろ祭りに行くで。あ、それで惣流はいいんちょが部屋に来いって言っとったで」

「ふーん。で、あんたたちは何やってたワケ?」

「……なんのこっちゃ?」

「とぼけるんじゃないわよ。部屋に入ってから今まであんたとヒカリはなにをやってたワケ?」

「ま、まさかトウジ……女の子と二人だからって……!」

「シンジ!お前はワイの仲間やないんか?!それにお前も似たような状況やったやろ?!」

「で!なにやってたの?」

「ひ、昼寝や!センセのセンセが言ってた通りな!」

 センセのセンセ?
 あ、初めのセンセは僕で、次のセンセが先生のことか。

「本当に?」

「本当や!男に二言はあらへん!」

「ふーん。まぁ、その証拠はないけどいいわ」

「お前たちはどうなんや。いやらしいことでもシとったんやないか?」

 おかしいなァ。「し」がカタカナに聞こえるなァ。

「ふん!シンジが先生に仕事を頼まれたからそんなことやらなかったわよ!」

「その言い方やとセンセがそれに行かなかったらヤってたっちゅ〜こっちゃな」

「んなワケないでしょ!」

「こりゃ〜センセは夜が楽しみやなぁ。あ、惣流が楽しみなんか。ふはははははは!」

「……ヒカリに言うからね」

 そう言ってアスカは部屋を出た。
 トウジの横を通り過ぎたときにトウジに手を上げなかったのは意外だった。

「トウジ。あまりアスカをからかわないでよ。当たられるのはいつも僕なんだから」

「……シンジィ。なんでワイが惣流をからかうか分かるか?」

「分からないよ、そんなの」

「それはな……ワイが惣流を好きだからや!」

「へ……?」

☆彡


 なんだって?
 何を言っているんだコイツ?

「ワイはな……惣流に会ったときからずっと一目惚れしとるんや!惣流をからかうのは、実は照れ隠しなんや!」

 顔を真っ赤にして言うトウジ。
 僕は嫌な気持ちになった。
 まるで好きな人をライバルにとられてしまったように。

「なんや、その顔。お前は惣流を好いとらんのやろ?なのになんでそんな顔するんや?」

 確かに今、僕の顔はおかしいのかもしれない。
 確かに僕はアスカを恋愛の意味では好きじゃない。
 でも、なんなんだ、このムシャクシャは。

「さっきの惣流の対応見る限りやと、ワイにもチャンスあるみたいやな。もしワイが惣流に……アスカに告白してオーケーもらったらお前はどうするんや?」

 僕は考えた。そして想像した。トウジがアスカを「アスカ」と呼び、アスカがトウジを「トウジ」と呼ぶ光景を。
 2人が手を繋いでいる光景を。
 2人がキスをしている光景を……!

「泣くよ」

「へ?」

「僕は、アスカとトウジが好き合ってるなんて……」

「……………泣くっちゅーことは嫌、なんやな?」

「嫌だよ!嫌に決まってるじゃないか!だって、トウジがアスカを好きで、アスカもトウジを好きなんだろ!?そんなの嫌だよ!」

「なんでや」

 どうしてだろう。
 どうしてだろう。急に涙が出てきた。どうしてだろう。
 なんで僕は嫌なんだろう。なんで僕は泣いているんだろう。
 相手がトウジだからじゃない。
 たとえ相手がケンスケや加持さんやカヲル君だったとしても、きっと僕は泣く。

「分からないよ。もしアスカが誰かのことを好きになったら僕は嫌だけど止められない。泣くほど嫌だけど……止められないよ。そんな権利、僕にはない」

 僕の頭とは関係なく、口が勝手に動いた。
 体に力が入らなくなってしゃがみこんでしまった。
 クソッ。涙が止まらない。

「ワ、ワイは、このあと、祭りのときに告白するつもりやったんや。こんなこと、お前に許可をとるのも変やけど……惣―――アスカに告白してもええか?」

 トウジの言葉をよく頭で咀嚼した。
 トウジがアスカに告白する?
 もしアスカがトウジの言う通りオーケーしたらあの2人は付き合うことになる。
 それでアスカは良いのだろうか?
 僕にはどうしてもトウジと笑って話すアスカを想像できなかった。

「………やだ」

「お前が嫌でも、ワイはするで?」

「やだよ。そんなの認めない」

「どうし―――「トウジには僕よりアスカを大切にできないから!」

 トウジを遮って大声で叫んだ。

「別にトウジが人を大切にしない人だって言っているワケじゃないよ。トウジは僕みたいなヤツと友達になってくれたもの。大切な妹さんに怪我させた僕と友達になってくれたもの!」

「でも、大切にする相手がアスカの場合は、トウジは僕よりアスカを大切にできない!いや、トウジ以外のどんな男でも僕がアスカを大切にする以上にアスカを大切にするなんてできないんだ!」

 僕は荒れてしまった息を整えた。
 トウジは俯いて考え込んでしまっている。
 息が整っていくにつれて、汗が顔を流れる。
 僕はそれを拭いもせずにトウジを下からジッと見ていた。
 しばらく扇風機の音しか聞こえない時間が流れた。
 そしてトウジは真剣な眼差しで僕を見下ろして、言った。

「シンジ。お前にとって惣流はなんなんや?」

 僕にとってアスカとは何なのだろう。

「僕にとってアスカは……」

 同居人?
 いや、そういうことじゃない。でも、近い気がする。

「僕にとってアスカは……」

 クラスメート?
 違う。

「僕にとってアスカは……」

 戦友?
 確かにそうだ。でも戦友だからという理由ではこの僕の気持ちは説明がつかない。

「僕にとってアスカは……」

 好きな人?
 違う。だって僕はアスカをそういう意味では好きじゃない。

「僕にとってアスカは……」

 親友?
 そうなのかな?でも、もうちょっと近い気がする。
 僕は立ち上がった。

「僕にとって、アスカは……!」

家族?

☆彡


 ガチャ、バン!
 大きな音を立ててドアを開けたのはアスカだった。
 赤い花が綺麗な浴衣を着た、アスカだった。
 アスカはずんずんと部屋に入ってきて、腰に手を当て、トウジを睨んだ。

「そ、惣流!な、なんで……?」

「なーんかヒカリの様子がおかしいと思ったら、あんたら変な計画を立ててたみたいね。昼寝もせずに2人で考えたらしいわね?」

「い、いいんちょ……」

 トウジはいつの間にかドアのところにいた、これも浴衣姿の委員長に向かって落胆した声を上げた。
 どういうことだろう?

「ごめんね、鈴原。やっぱり私にはアスカは止められなかったわ」

「これは、どういう……?」

 なにがなんだかさっぱりだ。
 計画って何??
 意味も分からずキョロキョロしている僕に、アスカが言った。

「だーかーら。ヒカリと、熱血バカがあんたとあたしをはめたのよ」

 トウジは悪戯っぽくポケットから携帯を出した。

「今のは全て録音してあるんや」

 トウジの携帯のディスプレイにはマイクが映っていた。
 そのとき僕は全てを悟った。

「じゃあ、トウジがアスカを好きっていうのは、嘘なんだね?」

「当たり前やろぉ?なんでワイがこんな奴を好きになるねん!こいつのことを名前で呼んだのは演技や。いいんちょがやれってゆーたからゆーたんや。惣流なんかを好きになる物好きはセン―――」

 パァン!と良い音を委員長はどこからか持ってきたハリセンで鳴らした。
 音の発生源はもちろんトウジの頭だ。

「それは碇君の口から聞かなきゃダメでしょ!」

「そ、そうやな」

 叩かれた頭をさすりながら言うトウジ。

「でセンセは最後なんて言おうとしてたんや?」

「え……言わなきゃ……駄目?」

「ダメ!」

 委員長が大きな声で言った。
 その委員長の迫力に僕は少し怖気づいてしまった。
 トウジは「言―え、言―え」と僕をはやし立てる。
 そしてアスカは……。
 アスカは頬を赤くして横目で僕を見ていた。
 そのときはじめて僕は、アスカにその浴衣がとても似合っていることを知った。
 ピンクの生地に色とりどりの花が咲いているアスカの着ている浴衣。
 とても綺麗だ。
 僕は、顔が熱くなるのを感じながら、勇気を出して上を向いて目を瞑って言った。

「僕にとってアスカは―――」

 僕の声は、部屋から見える壮大な山中にこだましたような気がした。
 やり切ったように目を開け、三人の方を僕は見た。

「「「はあああああああああああああああああああああ????」」」

 彼らの声も、その山中に僕より大きな音でこだました。



くるみ 第八話 ――― 終 ―――


 私、関東育ちで関西に住んだこともないので変な関西弁になっていると思われます。
 関西の方、本当に申し訳ございません。

2014815 シュウト.




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