NO.7
くるみ
シュウト
第七話:先生
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 くるみ 第七話 ――― 終 ――― 201481 シュウト.
僕はその人を常に先生と呼んでいた。
だから此処でもただ先生とするだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚る遠慮と言うよりも、その方が僕にとって自然だからである。
僕はその人の記憶を呼び起こすごとに、すぐ嫌な気持ちになる。
4人の友人たちと一緒にこの土地に来ても心持は同じ事である。
「やっぱり、持つべきものは友人だよなー。な、トウジ」
「シンジ。ホンマありがとな」
「ありがとう。碇君」
「いいよ。お礼なんて。僕の方こそ、みんなが来てくれてうれしいんだ。僕一人じゃ、ここに来る気はなかったからね」
「それにしても、あっついわねー。第二東京って避暑地で有名じゃなかったの?」
「アスカ、それは軽井沢っていうところよ。基本的に第三新東京よりも標高は高いし、太陽に近いから結構暑いところもあるのよ」
「いいんちょ、やけに詳しいなー」
「し、親戚がここに住んでいるのよ」
「で、シンジ。俺はあまり期待しちゃいないが、泊まる旅館っていうのは良いところなのか?」
「えっと、普通の旅館だと思うけど」
「ワイは期待しとるでぇー」
夏休み初日。
僕たち一行は先生の所へ向かっていた。
2泊3日の旅だ。
夏休み前に、トウジとケンスケを誘ったときの反応の速さは凄かった。
「ねぇ、夏休み中にさ、第二東京へ行くんだけど2人も―――」
「「行くっ!」」
こんな感じだった。
その2人に加えて委員長もアスカに誘われて行くことになったんだ。
第2東京駅にいた僕たちはそれから電車とバスを乗り継いだ。
僕はそのとき、あの時の逆のルートを辿っていることに自覚してなんだか懐かしくなった。
淡い期待を抱いて第三新東京へ向かった僕。
でも、そんなのはやはりあり得なくて僕は辛い思いをすることになってしまった。
ただ全部が全部辛かったわけじゃないよ。
楽しいこともあったんだ。
だから今僕はこうやって友達とあの時の道を逆走しているんだ。
そして僕たちは僕が10年以上過ごした家、くるみ荘にたどり着いた。
「ここだよ」
「意外と……」
「綺麗なところね……」
トウジと委員長がまるで心が繋がっているみたいに言った。
アスカとケンスケがそれをはやし立てる。
はやし立てられている2人は顔を赤くして首を振っている。
僕はそんな気になれなかった。
もうすぐ先生に会うとなると、僕は憂鬱だった。
「来たか」
僕以外の4人には聞き慣れないであろう声がした。
僕の保護者を10年以上してくれた、先生だ。
僕はまず、相変わらず元気そうな先生を見てホッとした。
先生のことは決して好きではないけれど、嫌いでもないから。
先生は背の高く、体格のいい人だ。年齢は教えられたこともないし、知ろうとしたこともない。
でも、父さんが『先生』と呼ぶくらいだから父さんより年上なのだと思う。
髭は顔のどこにも生えておらず、少し若く見える(歳が分からないから何と比較して若いのかよく分からないけれど)。
イメージとしては、加持さんの無精ひげを剃って、後ろの長い髪を切った感じかな。
「お久しぶりです。先生」
「ふん、相変わらずだなお前。父親にそっくりで生意気でイライラさせやがる」
この通り、口が悪い。
「で、君たちがこのバカの友達か」
「は、はい」
委員長がハッとしたように言った。
「ほう。シンジ、お前、友達できたのか。こっちにいたときは1人もいなかったのに。保護者懇談会で担任からも心配されてたのになぁ」
先生がニヤニヤしながら言う。
これが先生の常套手段なんだ。
人をからかって、からかわれた相手がヒートしていくのを見て楽しむ。
実に性格が悪い。
僕はイライラしながら、同時に恥ずかしかった。
だって友達やアスカに僕の過去を聞かれているんだから。
「そうですね」
僕はイライラを我慢しながら言った。
「センセ、こっちに友達おらんの?まぁ確かに初めのころのセンセの態度は悪かったわ。イヤな奴やったなぁ〜」
結構グサッときたよ。トウジ。
「で、どっちがお前の彼女だ?どっちもなかなか美人だが」
「どっちもそんなんじゃないよ」
「あんさん、この惣流・アスカ・ラングレーがシンジ君の彼女でっせ」
「そうそう」
トウジとケンスケが先生のようにニヤニヤして言う。
アスカが2人に制裁をくらわす前に、委員長が持っていたうちわの側面でトウジとケンスケの頭を叩いた。
「おお!やっぱりそうか!それで、その関西弁の子とそばかすの子が付き合ってるんだな?なかなかお似合いじゃないか」
「洞木ヒカリです。2日間、よろしくお願いします。でも、私鈴原とは何でもないですから」
委員長が丁寧に、そして最後の部分は冷たい声でツンとして言った。
「……鈴原トウジです」
「鈴原ァ?ちゃんと挨拶しなさいよ!」
「したやないか!ちゃんと!」
「してないでしょ!よろしくお願いしますとか他に言うことあるでしょ!」
またこの二人は喧嘩始めちゃったよ。
トウジもトウジでどうせ委員長には口喧嘩では負けるんだから喧嘩なんてやめればいいのに。
「まあ、そこの二人は置いておいて、そこのメガネ君はなんて名前だ?」
「相田ケンスケです!」
「ふーん。で、そこの金髪のシンジの彼女で、名前は……なんだっけ?」
「あたしとシンジは付き合ってなんかないわよ!」
「じゃあ、婚約でもしてるのか?」
「してないわよ!」
「?……まあいいから、とりあえず名前なんだっけ?」
「あんたねー。人の名前なんて一回で覚えなさいよ!失礼でしょ?!」
「なるほど、シンジの好みそうなタイプだなー。我儘で、強気で、頑固で……」
「ぬぁんですって!」
僕はもう溜め息をつくしかなかった。
トウジと委員長は相変わらず喧嘩してるし、アスカは完全に先生に遊ばれているし。
僕とケンスケを見習ってほしいよ。
「まぁ、とにかく、よろしく。くるみ荘へようこそ」
旅館内に入ってもいろいろと問題があった。
まあね、嫌な予感はしていたんだよ。
それでもね、先生はやっぱり大人だし、そんなに子供じみたことなんかしないと思ってたんだ。
「なによ、これぇ!」
アスカは叫び、茫然とした。
委員長は顔を赤くし、トウジも同じように赤面した。
ケンスケは「なんで俺だけ……」と呟き、僕はイライラした。
その理由は、部屋割りだ。
僕はてっきり男3人で3人部屋を使い、女2人で2人部屋を使い、合計で2部屋使うものだと思っていた。
だがしかし、太っ腹の先生は三部屋も僕たちに貸してくれた。
その三部屋の内訳は、2人部屋が2つに、1人部屋が1つだった。
そして、丁寧にペアも部屋のドアに貼ってあったんだ。
101号室(2人部屋)……碇シンジ様、惣流・アスカ・ラングレー様
105号室(2人部屋)……鈴原トウジ様、洞木ヒカリ様
131号室(1人部屋)……相田ケンスケ様
「どうだ?これで文句ないだろ?」
僕たちの背後から聞こえてきた先生の声に、委員長とアスカが反論した。
「「よくなーい!」」
「どうしてだ?」
「どうしてって、私たち、まだ中学生ですよ!」
流石潔癖症の委員長だ。
顔を真っ赤にして腕を振ったり首を振ったり体全体で説得をしようとしている。
「お互いが好き同士なら別にいい俺はと思うけどなー」
「だから、まずあたしたちは好き同士なんかじゃないっての!」
流石アスカだ。
顔を真っ赤にして僕なんか逃げ出しちゃうくらいの剣幕で説得しようとしている。
「まぁ、良いじゃないか。別に二人で一つの布団に寝るワケでもないし、別に男女を二人きりにしたからといってそういうことをしなくちゃいけないワケじゃない。なんだ?二人ともそういうことには興味ないように思わせておいて実はそういうこと考えちゃったりしているのか?意識しちゃったりしてるのかー?あはは!」
いくら説得しようとしても先生には何を言っても無駄なのだけれど。
そしてなんとなく、酔った時のミサトさんのような口調だ。
「「そ、そんなこと考えてないわよっ!」」
「なら何も問題はあるまい?な、男子諸君」
男子諸君からは誰からも返事がなかった。
当たり前だ。
このタイミングで元気よくハイ!なんて返事したら僕ならアスカに殺されるし、トウジなら委員長に殺されるし、ケンスケなら―――。
「ケッ、ケンスケ!どうして泣いてるの?!」
「な、泣いてなんか、ううう……。ひっぐ。ジュルジュルジュル……、泣いてなんかない!」
とりあえず、僕たちは先生の部屋分け通りの部屋に入った。
僕には見慣れた部屋だけど、アスカにはそうでもない畳の敷いてある部屋だ。
コンフォート17には和室はないからね。
アスカはすぐに畳に寝転んだ。
「畳ていいにおーい」
そんなことを良いながらゴロゴロと寝返りを打つアスカ。
その時に見えた彼女のすらっとした白い脚を見て、僕は首を振った。
気を紛らわせるためにカーテンを開けると、まずは庭が見えた。
池があって、中ではたくさんの鯉が泳いでいる。
ああ、あの鯉たちの世話は僕がやってたっけ?
そんなに長い間離れていたわけでもないのに、とても懐かしいのはなんでだろう?
遠くには美しい山々が連なっている。
あの山を先生と一緒にスケッチしたっけ?
「それにしても、どうして部屋を離してあるのかしら?」
アスカが言った。
確かに。
僕たちとトウジたちの部屋の間には101号室と105号室だから3部屋。
そのトウジたちの部屋とケンスケの部屋の間には105号室と131号室だから25部屋も挟まれている。
1人部屋は2人部屋とは離れているからケンスケはしょうがないにしても、僕たちとトウジたちはもっと近くにまとめても良かったんじゃなかろうか?
「僕たちの他にお客さんでもいるのかな?」
そうとしか考えられない。
でも、隣の部屋からは人気はないし、旅館の入り口から部屋までに僕たち以外に誰とも会わなかったから、その線は薄い。
そこにタイミングよく、先生が僕たちの部屋にやってきた。
「よう。ヤってるかい?」
どうしてだろう?「や」がカタカナに聞こえるなァ。
「何を、ですか?」
「お前の想像したことを、だ。この様子を見るにまだおっぱじめて無かったみたいだな」
「それで、何の用なのよ?さっさと出て行きなさいよ」
アスカが迷惑そうに言った。
さっきの件で、アスカの先生に対する評価はかなり悪くなっている。
先生の顔を見ようとせず、畳に寝っ転がっている。
「はいはい。じゃあ、用件だけ言っておく。あっ、そう言えば昼飯は食ったか?」
「はい、電車の中で」
「そっか。ならいい。今日は結構長旅で疲れているだろうから、昼寝でもして夕方のお祭りに備えておくことだな」
「お祭り!?」
アスカが食いついた。
「そう。結構大きなお祭りだ。当然屋台も出るし、人もたくさん来る。夏休み初日に来させたのは、そういうことだ」
「あんた、なかなかいいとこあるじゃないの」
「お褒めの言葉、ありがとうございます、お嬢様。しかし、まだ驚くのはお早いですぞ」
「なんですかその口調?気持ち悪いんですけど」
「……シンジ。お前はなしだからな」
「何をですか?どうせ大したものでもないんでしょ?」
「ほほう。そういうこと言っていいんだな?お祭りの戦費だよ」
お祭りの戦費?
ってことは、お小遣い?!
「えー!お小遣いくれるのー?」
「そうだ。まあ、2人で1万円渡すところだったんだが、シンジが余計なことを言ったからこのペアは5000円な」
「くあっ!ちょっとシンジ!何やってくれんのよ!」
うわっ!滅茶苦茶怒ってる!
でも、先生がお小遣いだって?
しかも一人5000円?!
10年以上僕にお小遣いなんて一度もくれなかったのに?
ぜっっったいに裏がある。
でも、とりあえずアスカの怒りをなだめないと。
アスカが怒ってたんじゃ昼寝なんかできないよ。
「先生!ごめんなさい!許してください!」
僕は土下座した。
畳とおでこを痕が残るくらいくっつける。
だって仕方ないじゃないか。
「………顔上げろ、シンジ」
先生の優しい声。
僕はこの時点で警戒すべきだったんだ。
先生はしゃがんで、顔を上げた僕の頭を優しく撫でた。
そして……。
「そんなみっともないマネするな。フィアンセの前だろ?」
「だ・か・ら!フィアンセじゃないって!」
そんなアスカの声は僕と先生の耳には届かなかった。
僕は先生の目を魅入られたように見る。
「土下座なんかするな。お前はただ、お祭りまでに、久しぶりにフロアーの掃除と空き部屋の掃除と、風呂掃除と食器洗いとシーツの整理、鯉のエサやりをすればいいんだ。今日はお前たち以外にお客さんいないから、空き部屋はお前たちが使っていない部屋全部な」
「先生ッ!」
先生の腕に僕は飛び込んだ。
なんて心の広い方なんだ。
フロアーの掃除と空き部屋の掃除と風呂掃除と食器洗いとシーツの整理と鯉のエサやりだけで僕の無礼を許してくれるなんて!
……………………………………………………ん?
「じゃ、頼むわ。それと、夜に声が漏れても大丈夫なように部屋の間を開けてるんだからな?遠慮なんかするなよ?さっきも言った通り、お前たち以外に客はいないしな。それと、足りないものがあったら俺のところに来ればいくらでもやるよ。じゃあ」
そう言って先生は出て行った。
僕は、やっぱりこうなるのか、と涙を流さずにはいられなかった。
そしてアスカ闇の帝王の如く邪悪な笑みを浮かべて、「あたしたちが一万円もらえるように頑張ってね☆」と言った。