さわやかな日曜日の朝。

碇家のキッチンでは包丁とまな板がリズミカルな音を立てている。

自慢の腕を振るっているのは、この家の便宜上の家主、碇シンジ氏であった。

「よしっ、上手く出来たな」

お手製コンソメスープを味見して、童顔をほころばせる。

その優しげな雰囲気と童顔が相まって、とても40歳近い年齢とは思えない。

「おはよ、父さん」

目を擦りながら挨拶したのは、彼の娘にして碇家長女のミコトである。

「ああ、おはよう」

シンジは娘を見やる。だぼだぼのパジャマを纏ったやや小柄な娘は、それはそれは愛らしい。

「おはよう、父さん」

続いて階段を降りて来たのは、次男である碇リュウジ。

ハーフパンツとTシャツといういでだちは、長身の日本人離れしたプロポーションを浮き彫りにしている。

「ああ、おはよう。もうすぐご飯だから、二人とも顔洗っておいで」

「「 は〜い 」」

二人とも起き抜けの顔をぶら下げて洗面所へと向かう。

その二人の前を横切る人影。

「シンジ〜、今日のお風呂ちょっと温い〜」

脱衣所から飛び出してきた人影は、彼ら二人の母親である碇アスカであった。

バスタオルを巻き付けただけというあられもない姿であるが、リュウジもミコトも動じない。

これが碇家における日常の風景なのだから。

「母さん・・・・・・・」

それでもリュウジあたりは声をかけずにはいられない。

「あら、おはよう、リュウジ」

にっこり微笑むアスカ。

「いい加減、そんな格好で出歩くのは止めたら? 」

「そう? まだまだイケてるでしょ、お母さんは? 」

アスカはバスタオルに包まれた豊かな胸を反らす。

そりゃそうだけど・・・・

リュウジは言葉を飲み込む。

実際アスカは、世の同年代の女性が、詐欺だ!! と絶叫しかねないようなプロポーションを保ち続けているのである。

「まあ、いい加減、分別つけて貰いたいの。これは子供たちからのお願い」

絶妙のタイミングでリュウジの援護をするミコト。

たちまち頬を膨らませて、むくれて見せる母アスカ。

「シンジ〜、子供たちが苛めるの〜。そんなにあたしは見苦しくなったの〜? 」

当然彼女が逃げ込む先は、旦那であるシンジの元である。

「いや、そんなことないよ。アスカは今でも最高に奇麗なままだよ」

夫の真顔の言葉に、たちまち破顔する。

「そうよね〜(はぁと)」

そしてバスタオル姿のまま、夫へとしなだれかかるのである。

「わっ、ちょっとアスカ、危ないって・・・・・・・・」

そんな両親を見やり、子供たちは同時に顔を見合わせ深い溜め息をつく。

これが碇家の朝の始まりであった。











続々・夫婦絶唱


  

子供たちの挽歌編 日曜哀歌(さんでーぶるーす)


                      
by 三只 鷹久さん








「ごちそうさま〜」

一足先に母であるアスカは朝食の席から退く。

「ああ、お粗末様」

シンジはようやく自分の朝食を開始したところで、子供たちは育ち盛りの食欲を満たすのに忙しい。

碇家の全員は、肥満には無縁という得な体質をしている。

リュウジにしてもミコトにしても、肥満を気にせず、父の作るプロ裸足の料理の数々を堪能できる次第であった。

ようやく朝食を終え三人が食後のコーヒーを啜っていると、アスカが寝室より出てくる。

「アスカ・・・・? 」

シンジが訝しげな声をかける。アスカは淡い緑のツーピースというお出かけスタイルだったからだ。

「さあ、シンジ。お天気もいいし、お買い物にでもいきましょ!!(はぁと)」

シンジが悲壮な顔つきになる。

「ああ・・・ごめん、アスカ。今日は仕事の関係で予定があるって、話してなかったけ?」

アスカはしなやかな指先を額に当てて考え込む。

「・・・・そーいえば、そんなことを聞いたような・・・・。すっぽかしちゃ、ダメ? 」

一転悪戯っぽい笑みをシンジへと向ける。

「残念だけど、無理だよ・・・。ゴメンね」

心底申し訳なさそうなシンジ。

「そっか・・・・・・・・」

アスカは宙を仰いでいたが、今度は食卓につく子供たちへと視線を転じる。

「そうだ、リュウジにミコト。お母さんとお出かけしましょ? 」

ブーーーーーーーーーーーッ

一斉にコーヒーを吹き出す二人。

「行儀悪いわねぇ、二人とも」

呑気に顔をしかめるアスカ。

「い、いや、今日はゼミの連中と約束が・・・・・」

むせながらリュウジが言う。

「そうそう、あたしも友達の家に呼ばれていて・・・・」

ミコトも口を開く。

嘘八百。

「ええ〜〜〜〜〜!? 」

顔をしかめるアスカ。

万事に果断実行の彼女であるが、付き合わされる方はたまらない。

「・・・・・あんたたち、お母さんとお友達とどっちが大事なの? 」

しまいには、言ってくることが無茶苦茶である。

予期せぬ危機的状況を迎えたことを悟る子供たち。

・・・・・・すまない、兄貴っ!!

リュウジは心の中で兄であるアスマに詫びた。それはもう心の奥底から。

「あ、あの、アスマ兄さんを誘ってあげたら、どうかな? 」

・・・・・・ゴメンね、兄さん。ホネは拾ってあげるわっ!!

ミコトも心から兄へと詫びる。

「そうよ、アスマ兄さんは、確か今日暇だとかいってたしー」

ミコト、ナイス!!

リュウジが視線だけで告げてくる。

「そうだね、アスマのアパートは繁華街からも近いし、いいんじゃないかな? 」

これはシンジ。

まったく悪意がないだけに余計タチが悪い。

「・・・・それもいいわね」

アスカが肯定的な呟きを洩らす。

「そう、そうだよ。最近、母さんと会ってないから、兄貴も寂しいっていってたし」

「そうそう。この間兄さんも、今日あたり買い物行くみたいなこと、いってたわよ」

ここぞとばかり発破をかけるリュウジにミコト。

もはや毒喰らわば皿までの心境である。

「そっかー。じゃ、いってみようかな」

三分後。

アスカは子供たちと旦那に見送られ、家を後にしていた。

スキップしそうなほど軽やかな足取りで家から遠ざかる母の後ろ姿を見ながら、リュウジとミコトは心の中で手を合わせていた。

兄であるアスマに合掌。

そのようなささやかな謝辞を捧げたのも束の間、自室へと駆け戻ったリュウジとミコトは五分三十七秒きっかりで身支度を整えると、更に十三秒後には玄関先で靴を履いていた。

互いに携帯電話のスイッチを切ったことを確認し、うなずきあうと、父であるシンジへと声をかける。

「じゃ、父さん。出かけてくるから、兄貴から電話きたら、『ゴメンね』っていっておいて」

「・・・? ああ、わかったよ。行ってらっしゃい」

「行って来ま〜す」

そう言って二人は家を飛び出した。

今日は夜になるまで家に帰るまいと、堅く心に誓いながら。








碇アスマは覚醒と睡眠の境界線である桃源郷を彷徨っていた。

ああ・・・幸せだ。

前日遅くまで続いた第十七回新入生歓迎コンパ(アスマは二十歳になってから大学へ入ったのだ)もつつがなく終了し、月曜提出のレポートも済ませてある。

従って本日日曜日は、好きなだけ寝ていられるという次第であった。

実家を出てから早数ヶ月。

電車で二駅という比較的近所のアパートであるが、一応両親の支配権から脱し、ささやかな自由を獲得していた。

ベッド上でその自由を満喫するアスマ。

その時、玄関のチャイムが鳴った。

ピンポーン

・・・・・誰だ、日曜の朝っぱらから?

まだ半分眠ったままの頭で上体を起こす。

「アスマー、また寝てるのー? 」

その声を聞いた途端、アスマの脳は瞬時に覚醒した。

なんでおふくろが!?

その理由を考えるより早く、ベッドから跳ね起きたアスマはジーンズに足を通し、Tシャツの上にジャケットを羽織る。

そして、開け放たれている窓から宙に身を踊らせようと駆け出したのと、玄関のドアが開いたのは同時だった。

「相変わらず、殺風景な部屋ねー」

息子の部屋を論評しながら、アスカがずかずかと入ってくる。

アスマはダッシュポーズのまま硬直して動けない。

「どしたのよ、何固まってるの? 」

「・・・いや、その、玄関の鍵・・・」

「あ、あれね。あんなちゃちな鍵はさっさと取り替えなさい。ヘアピン一本で開けられるわよ」

「そういう問題じゃないだろ!? 勝手に入って来られちゃたまらないんだよ、おふ・・・・・!! 」

アスマは言葉を飲み込む。

「おふ・・・・・何てすって? 」

アスカの両眼がスッと細くなる。

「い、いやー、そのお風呂にでも入ろうかと」

「あんた、ジーンズにジャケット羽織ったまま、お風呂入る気?」 

「そ、それは、今から脱ぐんだよ、母さん、ははははははははは」

アスマは渇いた笑いを洩らす。

息子をジト目で眺めながらアスカは言う。

「まるで、今すぐどっかに出かけるような格好じゃない」

「え、その、そう、出かけなきゃならないんだ、うん」

「分かってるわよ。買い物に行くんでしょ? リュウジとミコトがいってわ」

「な・・・・・?」

あいつら・・・・・・

アスマは瞬時に理解し歯がみしたが、もう遅い。

母親は強引に彼の腕をとると、玄関へと引きずっていく。

「お昼ごはんおごるから、お母さんと一緒にデートしましょ♪」

「いいいいいいい、ええええええええ!? 」

咄嗟に絶妙の言い訳が思い浮かばず、アスマは母親に引きずられていく。










繁華街まで引きずられていったアスマは、取りあえず手近な店で帽子を二つ購入した。

勿論、自分用と母親用である。

「ほら、母さん」

眼下に見える母親の頭に帽子を乗せながら、アスマは覚悟を決めていた。

・・・・・今日一日付き合うしかないか。

さきほどレジを打っている間に弟妹たちに携帯で連絡をとろうとしたが、繋がりすらしなかった。

あいつら、電源切ってやがる。

つまりそれは、他にスケープゴートがいないことを意味する。

ここで母親を突き放したところで、怒りの矛先は自分にしか向いてこない。

もはや観念するしかないのである。

「ぶー、やだな、ブランドもの帽子じゃなきゃ〜」

早速アスカ、我が儘全開。

だったら手前で買えよ、おふくろ!!

反射的に口をつきそうになった言葉を、慌ててアスマは飲み込む。

事態の回避が不可能と判明した以上、次に打てる手は、なるべく早く買い物をすませ、母を帰路につかせることである。

ここで機嫌を損ねてはまずい。

「ほ、ほら、今日は天気がいいから紫外線もキツイでしょ? 肌を守るためだけのモノなんだから、安物でいいんだよ」

「そお? じゃ、似合ってる? 」

小首をかしげるアスカ。

「ハイハイ、大変よく似合っておりますよ」

紫外線云々など嘘である。所詮安物の帽子など、単に互いの容姿を誤魔化すためだけの小道具にすぎない。

アスマ最大の懸念は、知り合いに母と一緒に歩いている姿を見られることにあった。

ごく親しい、それこそ小学生の頃から互いの家を行き来しているような仲のものなら、まだいい。

問題は、大して親しくもない、ちょっとした知り合いに見とがめられることだ。

困ったことに、アスマとアスカが二人並んで歩いていても、素直に親子という図式が成立しないのである。

これはアスカの容姿が異常に若く見えることに起因する。

四十路に片足突っ込んでるくせに、高校時代は伝説とさえなった美形ぶりは健在。

その若々しさたるや、エントロピーの法則に対する挑戦かと思われるほどだ。

よって、よく碇家の事情を知らない者が、彼ら二人の関係を見間違える確率はとてつもなく高い。

「あら、碇くんじゃない? 」

アスマの懸念は早速現実のものとなった。

大学の同じゼミで知り合った女の子が三人、人波から外れてこちらに近づいてくる。

なんでいきなりバレたんだ?

アスマは青くなりながら自問自答する。

この場合、彼自身の容姿に対する無頓着さが裏目に出た。

たとえ帽子を目深に被ったとして、長身の日本人離れしたプロポーションを誇る彼の身体は、隠しようがないのだから。

ちなみに帽子から半分出ている顔だって、そんじゃそこらの美形と賞される青年の比ではない。

どだい生半可な変装など焼け石に水なのであるが、彼がそれに気づくことはないだろう。

・・・・・どうする? いっそのこと逃げるか?

それでも一瞬後には、現在進行形の問題へと対する思考に切り替わっている。

しかし、0.3秒でその考えを破棄した。

バレてるのに逃げたとあっては如何にも妖しいと言っているみたいだし、何より置いてけぼりにした場合の母の反応が怖い。

そこでアスマはすこぶる穏便な方法を選択した。

さり気なく母の前に立ち、女の子たちの視界から母を隠すという手段である。実際長身の彼の後ろにアスカはすっぽり隠れることが出来る。

「どうしたの、碇くん。お買い物? 」

女の子の一人が気さくに声をかけてくる。

「いや、まあ、天気もいいしね・・・」

母の姿を巧みに隠しながら、曖昧に誤魔化すアスマ。

「じゃ、一緒に遊びにでも行かない? 」

もう一人の女の子も声をかけてくる。

実は彼女たち三人ともアスマに好意を抱いているのだが、好意を寄せられている本人はさっぱり気づいていない。

「うーん、悪いね、ちょっと先約が・・・・」

「あら、後ろにいる人は誰? アスマくんの知り合い? 」

最後の一人の女の子が、アスカに気づく。

「え、あ、えーと、この人は・・・・・」

アスマが口を開くより早く、アスカが彼の背後からしゃしゃり出てくる。

「あ、いつもアスマがお世話になっています。アスマの母です」

「はい・・・・・・・・!? 」

凍り付く女の子三人組。

「いや、違う、従姉妹だよ!! 」

そういうなり母の手を引っ張ってアスマは走り出す。

しばらく走って振り返り、まだ呆然としている三人組に向けて、
 
「ホントに従姉妹だからね〜〜〜!! 」

他の通行人まで一斉に碇親子の方を向く。・・・はっきり言って目立つことこの上ない行為である。

幾つかの道を曲がった果てに飛び込んだ路地裏で、母親に詰問を受けるアスマ。

「従姉妹ってのは何よ、従姉妹ってのは!? 」

「それはねー・・・・・」

アスマとしては溜め息を吐くしかない。

「こんな若くて奇麗な母親じゃ、嫌なの? 」

アスカは大袈裟に手を広げて見せる。

自分でいうな、とアスマはツッコミたかったが、事実がそのとおりなだけに閉口する。

「ううううう・・・・。アスマったら、老けている母親の方がいいのね・・・・」

さめざめと泣くアスカ。論点が完全にずれている。

「いや、違うって。あんまり若いから、とても母親には見られないんだよ、母さんは!! 」

「・・・・そうなの? じゃあ何で嘘をつく必要があるのよ!? 」

渋々とアスマは説明を始めた。

「だから、あんま若いんで、色々と勘ぐられるんだよ!! 継母じゃないかとか・・・・」

「何よ、それ? 」

「結構深刻なんだよ? こっちは・・・・」

そう。弟妹であるリュウジとミコトも母親との外出を嫌がるのは、ひとえにこの理由による。

知り合いに見られた時の説明が、尋常じゃなく面倒なのだ。

母親だと言って初見で信じてくれる人などまずいない。

挙げ句の果て男の目撃者なんか、あんな美人を紹介してくれときたもんだ。

さすがにそんなことまでは彼も説明する気にはなれない。

「もういいだろ、母さん。買い物始めようよ・・・・・」

「・・・・なんか釈然としないけど、ま、いいでしょ」

ようやく本来の目的である買い物が始まった。

しかし買い物をしている間も、アスマは周囲の視線が気になってしょうがない。

挙げ句の果てにブティックの店員から「ステキなお姉さんですね」などといわれて凍り付くこと数回。

母が三時間かけてバックを一つ買った頃には、アスマの疲労は極限に達していた。

「母さん、くたびれたよ・・・・・」

さすがのアスマも弱音を吐かずにはいられない。

「ふー、軟弱だわね。そんな子に育てた覚えはないわよ!! 」

そのアスカの声を聞きとがめたものが幾人か二人に視線を送るが、瞬時に頭に浮かんだ図式をうち消す。

この二人が親子? ははは、まさかね。

「んなこといっても、オレ朝飯だってまだ喰ってなかったし・・・・・」

碇家三兄妹の弱点其の一。

空腹になると、行動意欲が大幅に低下する。

・・・・まあ、碇家三兄妹に限ったことではないかもしれないが。

へたりこむ息子を見て、アスカは溜め息を吐く。

「一人暮らししても規則正しい生活しなさいって言ったのに。・・・なんなら家に連れ戻そうかしら? 」

その発言にアスマは内心で冷や汗を流したが、アスカは本気ではなかったらしく、一転して明るい笑顔を見せた。

「まあ、いいわ。ちょっと早いけど、お昼ご飯にしましょ」

その言葉に、アスマも胸を撫で下ろす。

そして彼らが向かったのは、ちょっと高級そうなレストランであった。

「いいの、母さん? 高そうだよ? 」

心配顔のアスマ。一人暮らしの彼の所持金に余裕がある時期は至って短い。

「お母さんがおごるっていったでしょ? 遠慮せずガンガン行きましょ!! 」

アスマは、母であるアスカに対する形容に「ケチ」という二文字がないことを思い出す。

万事に対し、彼女はやると決めたらそれにかかるであろう費用など気にしない。

それにしても・・・・我が家の資金源て、なんだ?

それは、アスマくんご幼少のみぎりからの命題であった。

だって、どー見ても両親たちは二人でラブラブしてるだけにしか見えなかったのだから。

今でこそ二人はなにかと働いているようだが、アスマが産まれた時、彼らは高校生であった。

そしてアスマが物心つくころに二人は大学生だったわけで、そのくせに今の家−−−7LDKの一戸建てに住んでいたのである。

一体それらの費用、生活費はどこから捻出されたのか?

取りあえず、ヒゲのお祖父ちゃんが絡んでいるのではないかと彼は睨んでいるのだが・・・・・。

「さ、入るわよ」

息子が難しい顔で考えこんでいるのを知ってか知らずか、アスカは見かけより逞しい腕を引っ張って店内へと踏み込む。

ぱんぱかぱ〜ん

途端に鳴り響くファンファーレ。

突然の出来事に目を丸くしている二人に対し、マネージャーと思しき男がにこやかな笑みを浮かべ歩み寄ってくる。

「おめでとうございます!! あなた方は、当店一万人目の入場カップルとなります!! 」

ずがらががっしゃ〜ん!!

「・・・・何してんのよ、あんたは? 」

不思議そうに、空中キリモミ三回転でコケた息子を見やるアスカ。

「い、いやー、はははははは・・・・・・かっぷるって・・・・・」

アスマは引きつった笑みを浮かべるしかない。

「お祝いに、無料でランチを提供させていただきます。ささ、こちらへ・・・・・」

カップル・・・・・男女の一組。特に夫婦や恋人。

前記である男女の一組という意味の一点に関しては間違いではないだろうが、後記されている意味においては、言及、確認したくないアスマであった。

「いやー、ツイてるわね」

アスカは上機嫌である。

大輪のバラを想起させる笑顔を眺めながら、アスマは母がとてつもない強運の持ち主であることも思い出す。

惜しむらくは、彼女の強運が息子たちにとっての悪運に転じやすいということだ。

思ったより豪勢に昼食がつつがなく進行し、二人ともデザートに差し掛かる。

「さて、飯も喰ったし、そろそろ帰ろうよ」

デザートのチーズケーキとアイスクリームをつつきながら、アスマがさり気なく切り出す。

「何いってんのよ、これからが本番よ? 昼食代も浮いたし、買いまくるわよ〜〜 」

アスカが食後のコーヒーを啜りながら言う。

「・・・・マジですか? 」

淡い期待を粉砕されて、アスマは溜め息を吐く。なかば焼け気味に口に放り込んだアイスクリームすら奇妙に苦かった。










昼食を終え、午後の繁華街に繰り出した碇親子は、妙に人通りが多いことに気づく。

「なによ、歩きづらいったらありゃしない! 」

帽子の下で悪態を吐くアスカ。

「んー、なんかゲリラライブ見たいなのをやってるなー」

母よりかなり長身のアスマは、人垣の遠くまで見渡せる。

視線の先には、トレーラー型のステージに群がる若者たちの姿が見えた。

その時、エネルギーを補充したことによって本来の明敏さを回復したアスマの頭脳に、悪魔の囁き、もとい天啓が閃いた。

母親をほっぽって帰ったら、母の尋常じゃない怒りを買うことは目に見えている。しかしそれが不可抗力だとしたら・・・?

実行可能であることを判断すると、アスマは即実行に移った。ここいら辺の行動力はまさしく母譲りである。

「母さん、あのライブやっているグループ、オレファンなんだ。もっと近くで見てもいいかい? 」

「別に、いいけど」

「よしっ、じゃあ行こう、母さん」

「ちょ、ちょっと・・・・」

アスマは母の手を掴むと強引に人垣に分け入っていく。

当然といえば当然だが、近づくにつれ人垣は大きくうねる。

「あ、ちょっと、アスマ・・・・・」

母の制止する声にも聞こえないフリをしてズンズンと人垣を退けていく。

案の定、強引に分け入った歪みが増幅され、より大きな人波となって二人に襲いかかった。

「きゃ!! 」

二人の繋いでいた手は分断され、小さな悲鳴とともに母は人波に飲まれて行く。

・・・・今だ!!

母の姿が視界から消えたことを確認すると、アスマは長身を屈め、一気に人垣をつっきる。

人垣を突破した彼の目前には、スポーツショップがあった。

躊躇することなく店内に飛び込むアスマ。

彼は売場を突っ切ると、真っ直ぐ男性トイレへと駆け込む。

幸いにも鉄格子のなかったトイレの窓から長身を宙に踊らせた。

一転して跳ね起きた場所は人通りの少ない路地裏。

彼はその狭い道を人目につかぬよう疾走する。

五、六回ほど角を曲がったところで、彼の目前にとあるデパートの非常口が現れた。

アスマは迷うことなく鉄の階段へと足をかける。

そのまま一気に十階分に相当する階段を屋上まで駆け上がる。

そのデパートの屋上は、ちよっとした遊園地風になっており、家族連れかファーストフードの店の前のベンチでくつろいでいた。

誰にも見とがめられることなく非常口から屋上に侵入したアスマは、アスファルトの壁へと背をもたせ、呼吸を整えた。

ジャケット越しに伝わってくるアスファルトの無機質な冷たさが、火照った身体に気持ちいい。

・・・・上手くいった!!

アスマの頬を会心の笑みが掠める。

ワザと母親の元から逃げ出したとしたら大問題に発展するだろうが、あの人波という不可抗力が関与すれば、それほど不興を買うことはありえない。

後はどこかで時間をつぶす。せっかくの日曜日を荷物持ちで潰すこともないだろう。

母には夜にでも、「あの後一生懸命探したけど、見つからなかった」と電話の一つでもすればいいのだ。

アスマはジャケットの内ポケットを探る。

引き抜かれた手にはマルボロの最後の一本と百円ライターが握られていた。

さて、これからどこに行こうかな・・・・・

タバコをくわえ、火をつけようとしたとき。

横から伸びて来た手が、彼の唇からタバコをひったくる。

「あんた、こんなキツイ銘柄吸ってるんだ。別に吸うなとはいわないから、健康のためにもう少し軽いやつにしなさい」

剣呑な光を湛えたブルーアイズが息子から取り上げたタバコを眺めている。

「・・・・・・・・・」

アスマは掛け値なしに石と化した。

息子の口にタバコを戻して、アスカは微笑む。ただし野獣の笑みである。

「あたしから逃げられると思ったの? 十年早いわよ!! 」

「いや、その、どうしてここに・・・? 」

ようやく口を開くアスマ。タバコが落ちたことにも気づかない。

「そりゃあ、エレベーターを使った方が速いに決まってるじゃない」

説明になっていない。

アスマはまた母の恐ろしさを垣間見る。

「それよりも、今度逃げ出したら、ここら一帯に迷子の呼び出しかけるからね!! 」

本気の目で断言するアスカ。

『迷子のお知らせです。碇アスマくん、碇アスマくん、お母さんが待っています・・・・』

その光景を脳裏に浮かべようとして、アスマはその想像を全力で破棄した。

どのような想像力をもってしても、想像したくない事とはあるものである。

今回の母の警告は、まさしくその具体例といっても良かった。

「さーて、今日はトコトン付き合ってもらうからね」

母の言葉にアスマは完全に白旗を上げた。










夕方6時。

帰り道を二人は急ぐ。

いや、厳密にいえば急いでいるのはアスマであって、母であるアスカは上機嫌でソフトクリームなんぞを囓りながらのんびり歩いているのだ。

「もういやだー、タクシー使おうよー」

アスマは悲鳴を上げる。

それもそのはず、彼の両手には溢れんばかりの荷物が持たされており、前方の視界すら確保できない状態なのだ。

ちなみに荷物は全てアスカの買い物ばかりである。

アスカは泣き言をいう息子にチラッと視線を送ると、

「あんたはちょっとなまってるみたいだから、これくらい歩いて丁度いいの!! 」

と、とりつくしまもない。

確かに繁華街から碇家の本邸までの距離は歩いて一時間ほどである。散歩には丁度いいかもしれないが、荷物つきでは辛すぎる。

「オレももうアパートに帰らなきゃ・・・・」

「何いってんのよ、今日は家で夕食食べてくのよ!! 」

もはや強制である。

泣く泣く足を運ぶアスマ。必然的に足は早まるという次第であった。

もはやあたりも薄暗くなり、常夜灯に明かりが灯る。

人気のない路地を歩く二人。

不意に傍らから、乱暴な声をかけられる。

「おうおう、奇麗な姉ちゃん、オレたちと遊ばない? 」

ガラの悪そうな男たちが三人、碇親子に下衆な視線を投げつけてくる。

如何にもボキャブラリーが少ないと自己主張しているような発言が、いっそのこと悲しい。

「お姉ちゃん? 」

アスカが瞳を輝かせる。

「そう、お姉ちゃんに見えるの? うふふふふふふふ」

その場違いなまでに明るい笑みに、男たちは一瞬ひるんだようだが、さらに下卑た口調で言葉を吐き出す。

「そうさ。今からオレらと夜の海でも見にいかない? 」

「サイコーに気持ちいい遊びを教えたげるからさー」

一人が不健康な黄色い歯を剥いて見せる。

そんな彼らの前にずずいと進み出る荷物の塊、もといアスマ。

「やめとけ。この人はあんたらの手におえる人じゃない・・・・」

本人は渋く決めたつもりだが、荷物の隙間から顔だけだ姿は、見た目には滑稽なだけであった。

その後頭部にひじ鉄が炸裂する。

「どうゆう意味よ、それは!! 」

「ってーな、まんまの意味だよ、母さん」

・・・・かあさん?

男たちの無精ひげだらけの口がポカーンと開かれる。

しかし彼らは半瞬でその考えを追い払う。

「フカシこいてんじゃねぇぞ、コラァ!! 」

アスカの美しさの前に真実が駆逐された・・・という表現は言い過ぎだろうか?

それはともかく、男たちは碇親子にじりじりと近づいてくる。

「ふう、美しさは罪ね」

しみじみという母親を呆れ顔で眺めるアスマ。

「で、どうすんだよ。すんなり帰らしてくれそうにもない連中だけど」

「ふむ。まあ、降りかかる火の粉は払わなきゃね」

アスカは前方に迫り来る男たちを睨むように腕を組む。

「そういうわけで、ちょっと懲らしめてやりなさい、アスマ!! 」

「結局、オレかよ・・・・」

トホホ顔のアスマは、取りあえず丁寧に荷物を地面に置く。

臨戦態勢に入ったアスマを見て、男たちは思わず後退してしまう。

かなりの長身。

喧嘩、格闘技などにおいては、身長とリーチがモノをいう。

だが、アスマの秀麗な顔を見た途端、男たちは勝利を確認した。

ヤツは喧嘩を経験しているはずはない。

こっぴどく殴られりゃ人相ってのは変わるもんだ。

しかし男たちの認識は180度違った。

彼らは数十秒後にその認識が間違っていたことを身を持って知ることになる。

「いっちょ揉んでやるか。かかってきなさい」

チョイチョイと指を動かし、三人を挑発するアスマ。

男たちは瞬時に激昂した。こういう輩の特徴は、総じて忍耐力に乏しいところにある。

掴みかかろうと迫る三人。

次の瞬間、アスマの長身が沈んだ。

そしてアスマは逆立ちの要領で地面に片手を付き、そのしなやかで長い両足を一閃させる。

一閃。

まさしくそう形容するに相応しい蹴りが、宙に奇麗な円を描く。

悶絶して男たちが吹っ飛んだ次の瞬間には、アスマは蹴り足の遠心力を利用して立ち上がっていた。

南米黒人格闘技カポエラ。

幼少の頃叩き込まれた技は、久しく使う機会はなかったにせよ、健在であった。

「まあ、こんなもんか」

手を払いながら悶絶している男たちを見やる。

スパコーン

景気の良い音が道路に響く。

「技のキレが悪い!! ほんとなまってるわね、あんたは!! 」

「それより、どっから出したんだよ、そのスリッパ・・・」 

「細かいことはどーでもいいの。ほら、荷物もって家までダッシュよ!! 」

「いい!? そんなー。タクシー使おうよー」

「おだまり!! 走って少しは足腰鍛えなさい!! 」

その後、第三新東京市の一画で、美女に追いかけられる荷物の塊、というシュールな光景が展開されたのは言うまでもない。










「ただいま〜」

ようやく帰り着いた碇家本邸の玄関で、アスマは脱力した声を出した。

そんな彼の前には、弟妹たちがビックリしたような表情を浮かべている。

「げっ、兄貴」

とリュウジ。

「あら、生きてた」

とミコト。

「・・・・・お・ま・え・らぁ〜〜〜〜!! 」

荷物を放り出して弟妹たちに躍りかかるアスマ。

「こらっ、せっかく買ってきたものを放りだすんじゃないの!! まちなさい、アスマ!! 」

アスカまで参戦する。

たちまち巻起こる、怒声、悲鳴の一大狂乱絵巻。

そんな喧噪を耳にしながら、鍋のシチューを掻き回しつつシンジは微笑む。

「うーん、家族が全員揃うと、にぎやかでいいよね♪」









おしまい。






三只です。

何か前回の話が望外な好評を得たようで、続編の運びとなりました。

しかし・・・LAS? LAA(笑)ですかね?

もうわけわかんないです。

それでは、また機会がありましたら、碇一家と一緒にお目にかかりましょー!!

三只さんからまた、また!
お話をいただいてしまいました。

今回のお話は‥‥アスアスですねぇ(笑)
わかいから親子に見えないのかぁ‥すると、シンジがミコトと出かけても一悶着あるんでしょうか‥‥。

うーむ騒動家族だ。

家族のぬくもりの貴さのようなものが伝わってきます<本当に?

とってもいいお話でありました。
読んで良かったと思われた方は、三只さんに感想メールを送ってくださいな。

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