4万ヒット記念寄贈










雨ノチ晴レ


作、三只





















雨の絡む記憶は何故か苦い。

思えば、初めて逃げ出した日も雨が振っていた・・・・・・。

僕こと碇シンジは、モノレールに乗りながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

既に夜の帳が下りた外界の景色は、降りしきる雨でさらにぼやけて定かではない。

必然的に窓を伝う滴を目で追うことになる。

ガラガラの車内には、学校帰りの学生が数人に、サラリーマンと思しき男性が一人。

あと、かなりご年輩のご婦人が一人座っている。そして僕だけだ。

ふと窓に反射した自分の身なりを思う。

ずぶぬれの全身。もともと着ていたものは大学生のファッションに毛が生えた程度のものだ。

誰が、こんな姿の僕を見て、世界を救った英雄だと思うだろう?

自分で疑問を投げかけたくせに、僕は自己嫌悪に陥る。

僕は英雄なんかじゃない・・・・・・・・。

それは今日呼び出された事に起因する。

『自伝を書いてみませんか・・・・・・・』

十代の頃から、公私共に何度もオファーをかけてくる出版業界の人々。

一応、僕がネルフに所属しエヴァンゲリオンを操縦していたことは、極秘扱いになっているはすだが、サード・インパクトがあっては、公然の秘密というやつだった。

全人類の意識が、一時的とはいえ、完璧に融合した世界。理論上、あの時、全ての人類はあらゆる事象を、記憶を共有できた・・・・・はずだ。

もっともあの出来事を正確に理解している人はいない。

当事者である、僕にすら定かではないのだから。

あの出来事は、もし神という存在がいるとしたら、サード・インパクトとは、その神様とやらが起こした、単なる気まぐれってやつだろう。

まあ、その程度のものに過ぎないだろう、と理解している。いくら悩んでみても、答えなんて出やしないんだから。

『大丈夫ですよ。なんだったらインタビュー形式でも構いませんし、ゴーストライターも幾人も控えてます。ギャラの方はいくらでも・・・』

先ほどの編集者の金属的な声が、耳の奥で反響している。

僕は我知らず舌打ちする。

ほんの学生の頃は、ミサトさんや元ネルフのみんな、大人の人たちが、僕らの見えるところ見えないで色々手を打ってくれていたみたいだけど、僕自身が社会人になった以上、煩わしくても、自分で解決しなくちゃならない。

取りあえず、やんわりと、なるべく大人の態度で断ったつもりだったが、向こうはどんどん勝手に話しを進めていく。

とうとう頭にきた僕は、伝票をひっつかむと後ろも振り返らずに店を飛び出していた。

編集者の声が未練がましくまとわりついてきたが、僕は構わず人混みに紛れた。

早く家に帰ろう。

頭の中はそれだけで一杯になる。

もともと朝から雲行きが悪しい日だったが、僕が店を出たのを見計らったように雨が降り始め、たちまち土砂降りになった。

その雨が昔の記憶を呼び覚まし、僕の口の奥を苦くさせた。だから僕は歯を食いしばりひたすら歩き続けた。

おかげて駅に着く頃には、見事な濡れネズミが一匹出来上がったってわけだ。





「あらあら、そんなに濡れて、風邪引きますよ」

急に声をかけられたので、僕はびっくりして振り向く。

見ると、上品そうな老婦人が微笑みながら、タオルを差し出している。

どうやら、濡れネズミで佇む僕を不憫に思ったんだろう。

「すみません・・・・・・」

僕は好意に甘えることにする。

手を伸ばしタオルを受け取ろうとした途端、老婦人の膝掛けの下から一匹の猫が飛び出してきて牙を剥く。

「これこれ、竹丸、いけませんよ」老婦人は猫の背中を押さえる。「すみませんねぇ。人見知りの激しい子で」

「いえ、構いませんよ。タオル、お借りします」

僕はそう微笑み返すと、タオルで頭を拭う。苦かった心の奥に温かいものがしみ出してくる。

「ありがとうございました。それにしても可愛い猫ですね」

僕はタオルを返しながらいう。猫のことなんかよくわからないけど、老婦人の膝の上で甘える姿は掛け値なしに可愛かった。

「ええ、主人の忘れ形見なんですよ・・・・・」

僕の笑みが氷つく。まさか・・・・・・。不安が心の暖かさを駆逐し、黒い染みを広げていく。

「もう、六年も前になりますかねぇ。まだ、この街がへんてこな怪物に襲われてた頃の話ですよ」

間違いない。僕の不安が確信に変わる。

「あの人は昔気質の頑固な人でしてねぇ。避難勧告が出てるってのに、

『おれはこの家を動く気はねぇ。だいたい勧告ってのが気にくわねぇ。キチンとした説明した上で、退去して下さいってくるのが筋ってもんだろ?こちとら納税者だっ!』

といって梃子でも動かないって感じで。しようがないんで、誰か助けを呼んで無理矢理にでも連れ出そうと、わたしか家を出た途端、瓦礫が降ってきて家ごとペッチャンコ」

そういう老婦人の目は細められ、どこか遠く見ているような眼差しだった。

僕は硬直したままだった。

あの当時の第三新東京市。

市民の安全対策には十全が尽くされていたはずだけど、不幸にも、対使徒戦に巻き込まれてしまった人もいた。

避難しなかった方が悪いのだ、といえばそれまでかもしれない。

だけど、僕は自分を責めずにはいられなかった。

僕がもっと上手く戦えていたら・・・・・!!

その思いが、今になっても時々僕をさいなむ。

『アンタは精一杯やったわよ』

そういって彼女は慰めてくれる。

そして僕が他人に責任転嫁とすると厳しく叱責してくれた。

『なによ、エヴァ乗せられたって!?エヴァに乗るって選択した、自分の意志はないの!?』

全くもって彼女には頭が上がらない。

この目前の被災者にキチンと謝罪した方がいいのだろうか?

僕が逡巡していると、老婦人はゆっくりと顔を向けた。

「でもねぇ、瓦礫をどけて、あの人の遺体の下から、この猫が出てきたんですよ。まだ産まれて間もなかったこの猫が一匹だけ。・・・・・わたしには、この猫が主人が自分の命と引き替えに守り通したような気がしましてねぇ。愛おしくてしょうがないんですよ」

老婦人はゆるゆると口を開く。

「主人の遺体が確認されて涙にくれていたわたしのところに、不意に生きている命が現れたんですよ?その時の気持ちが解りますか?わたしは主人には悪いですけど、感動して、また泣いてしまいましたよ」

僕は口を挟まない。いや、挟めない。

「だからね、どんな悲惨な状況の中でも、何かしら希望は産まれてくるものなんです。わたしはこの子に生きる力をもらいましたよ」

老婦人は猫の顎の下を擽りながら、上品に微笑んだ。

その微笑みがあまりに眩しかった。

僕は思わず質問していた。自分でも思いもよらぬ質問を。

「エヴァンゲリオンのパイロットを、恨んでいますか?」

老婦人はきょとんした表情を浮かべた。

「えば・・・・なんですって?」

「エヴァンゲリオンです。六年前、怪物と戦った、巨大ロボットのことです。

そのロボットの戦闘で、恐らく旦那さんは」

僕は一瞬言葉に詰まる。

「間接的であれ、それが原因で、亡くなっています」

僕は言った。自分ではよくわからないが、顔は青白く、判決を待つ囚人のような表情を浮かべていたことだろう。

老婦人はまじまじと僕を見つめると、にっこりと微笑んだ。

「恨むなんて思いもよりませんよ。わたしはそういうことはよくわかりませんけどね、そのパイロットやらをなすってた人も、何か大切なものを守るために戦っていらしたんでしょう?それに、わたしの旦那は守るべきものが、あの家であり、あの生活であった。それだけの話です」

「そう、ですが・・・・・・」

僕は言葉に詰まってそれ以上何もいえない。うかつに口を開くと涙が零れてしまいそうだった。

反面、頭の奥で、おまえは卑怯だ、と罵る僕がいる。

期待した答えが返ってきて満足か、それがおまえの贖罪になるのか、と。

気がつくと、モノレールは僕の降りる駅に近づいていた。

「すみません。タオルありがとうございました」

僕は深々と頭を下げる。

「いいのよ。困ったときはお互い様でしょ。それより、あなた、その・・・・えばなんたらのパイロットさんとお友達?」

「ええ・・・・そうです」

僕はどきりとしたが平静を装って答えた。少なくとも嘘はついていない。

「だったら、伝えておいてくれませんかねぇ」

老婦人は言う。

「そんなに自分を卑下することはありません、あなたのしたことは立派なことです。それと、戦うということは自分も激しく傷つくということ。その果てに守り通したものは、何よりも大切にしなさい、とね」

モノレールが駅に着く。

「解りました。確かに伝えます」

車両ドアが開く。僕は一礼して身を翻す。

老婦人は立ち上がって見送ってくれる。

僕はプラットホームに降り立つと、老婦人を振り返った。

「今日はありがとうございます。あなたとお話できて、とても嬉しかった」

どこからか発車ベルが響いてくる。

老婦人は猫をかき抱きながら答えた。

「わたしもですよ。碇シンジさん」

「・・・・・・・・・・・・!!」

僕が口を開くより早く、ドアは閉ざされた。

ドアが閉じられる寸前、老婦人の浮かべた悪戯っぽい笑みが、心に焼き付いた。

知っていたのか・・・・・・・・・。

僕はぼんやりとモノレールを見送ると、ゆっくりと改札口へと向かった。

帰る道すがら、老婦人の言葉が頭の中でリフレインする。

『その果てに守り通したものは、何よりも大切にしなさい・・・・・』

僕は我知らず微笑を浮かべていただろう。

僕にはある。身を挺して守り抜いたものが、僕にはある。

僕は足を早める。家はすぐそこだ。

それは。

僕が全てを賭けて守り通した彼女は。

今、エプロン姿で僕の部屋にいる。

















「おかえり、シンジ!!」





















おまけ


「ただいま、アスカ」

「あれ、シンジ、ずぶぬれじゃない!」

僕は濡れた上着を脱ぎながら言う。

「うん、まずはお風呂に入るよ」

「ええ、お風呂沸いてるわよ」

お風呂から上がってリビングへ行くと、美味しそうな匂いがキッチンから漂ってきた。

「アスカー、随分と腕によりをかけたみたいだねー」

頭を拭きながらキッチンへと向かう。

「えへへー、わかる?」

アスカは最近料理教室などに通っている。もともと天才少女と呼ばれただけあって、覚えはいいし筋も悪くないらしい。

「うわあ、美味しそう」

キッチンのテーブルに一杯に並べられた料理を見て、自然と賞賛がでた。

烏賊のパエリヤ、烏賊スミスパゲティ、烏賊ソーメン、烏賊のぽっぽ焼き、烏賊刺し、烏賊リング、烏賊、烏賊、烏賊、烏賊・・・・・・・

「あの・・・・・・アスカ?」

「今日ね、北海道の烏賊の産地直売ってのがあってねー」

そういってアスカは得意そうに胸を反らす。

「烏賊は一パイだと500円なんだけどね、ニハイなら900円、三バイなら1300円でー、10パイならなんと2500円だったのー。安いから十パイ買っちゃったー!!だって一パイの半額よ?」

「アスカ、それ騙されてるよ、絶対・・・・・・」





  おしまい。















烏賊のペエジの皆さま、初めまして。

へっぽこ物書きを自認している三只鷹久といいます。

・・・・・もう、どうしようもなくベタな作品ですね。

途中で頭の中で『もうちょっとひねらんかい!!』と天使さんが囁いたんですが、

どこからともなく悪魔さん御一行が現れて、天使さんをK・Oしてしまいました(笑)。

わたしには、「今はこれが精一杯Byルパン三世」ってな感じです。

大目に見てやってください。

では。
mitada1030@mail.goo.ne.jp


三只鷹久さんから素敵なお話を頂きました。
ひとときの心の触れあい‥それはシンジが自分の過去を見つめる瞬間でもあったのですな。
赦された彼は、愛する人の待つ家へと‥‥。

そう、イカのカオリの立ち篭める素敵な我が家へと帰るのですナ。

実に烏賊した素敵なお話でした!
みなさんも三只さんにぜひ感想を送ってください。

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