今が昔となり、記憶の中にしか存在しなくなるまでの道程は、ほんの一瞬。

しかし、その積み重ねの先には無限の未来が存在する。

過酷な過去だからこそ、今の幸せを実感できる。

忘れたい過去であるからこそ、忘れられない。

今の幸せへと繋がっているから。

みなが愛してやまない幸福な世界は続いていく。

さて今回は、そんな悠久の記憶から零れ落ちたお話を一つ・・・・・・・。


































夫婦絶唱・おもひでボロボロ・その壱


愛と幻想の授業参観





























時に、西暦2031年。








ネルフ執務室。

一昔前までは、まるでオカルティストの隠れ家のようだったネルフ最高権力者の部屋も、

いまや採光窓から優しい光が注がれた清潔感のある部屋へと変貌をとげており、

以前の妖しさ大爆発な雰囲気は完璧に払拭されていた。

そして、今、その部屋で向かい合う二人の人物がいた。

一人は初老の男で、ひたすら重厚なデスクに腰を落ちつけ、顎ヒゲの前で手を組んでいる。

毛髪は白と黒の斑に染め上げられ、ヒゲは灰色へと変色していたが、サングラスの艶のある黒だけはその色を変えてなかった。

そのサングラスをかけた初老の男と向き合うのは、こちらは見事なまでの黒髪の少年である。ぬばたまの、というやつであろう。

見事なのは、それだけではない。

すっきりとおった鼻梁。

整った輪郭。

秀でた額にはややクセのある髪が波打ち、その下の双眸には、陽気と好奇心の絶妙なブレンドが踊っていた。

総じて纏う雰囲気は、初夏の日差しを思わせる。

相当な美形である。どこぞの芸能プロダクションが見つけでもしたら、血眼でスカウトをしに来るだろう。

しかしてこの少年は何者であるか。

実のところ、この執務室の主と二人きりで直に対面できる人物など、そうそう限られているのである。

更に、この二人には共通点があった。

二人とも、姓は一緒なのだ。

『碇』

ネルフ施設内で、この姓は極めて特別な意味を持つ。

その理由はおいおい語られるとして、今、少年が口を開いた。

「どうしてもダメなの?」

少年の悲しげな口調に、思わず『碇』ゲンドウも悲壮な口調を作った。

「むう・・・・すまない、アスマ」

初孫を見る彼の目を、サングラス越しに覗ける人間がいるとしたら、ちょっと潤んでいることが確認できただろう。

「・・・・・お祖父ちゃんだけが最後の頼みの綱だったんだけどなぁ」

アスマと呼ばれた少年は、バリバリと長めの髪を掻く。

会話から察っせるように、この二人は、祖父と孫という関係であった。

「・・・・・・・・・・・・・」

思いっきり悲壮な表情で黙り込むゲンドウ。こころなしか、その背中は小さくなる。

「うーん、そーなると、リツコさんもダメなんだよね? 冬月じいちゃんにでも頼むしか・・・」

少年は、ぼやきつつ逡巡する。

「あれは、ダメだ」

ゲンドウの声。

「冬月は、持病の腰痛と高血圧が再発してな。とても外出できるような状態ではない」

今年で78歳になる腹心の状態を、ゲンドウはそう伝えた。

「えー・・・・・・」

初孫が肩をがっくり落とした姿を見て、ゲンドウもますます肩を落とす。

「・・・・せめて、半年前に授業参観の予定を伝えてくれれば、対処のしようもあったのだが・・・・」

ゲンドウはぼやく。ぼやいても詮無きことである。しかしぼやかずにはいられない。

デンマークで催される国際会議に碇ゲンドウ・リツコ夫妻が出席するのは、半年前からの予定である。

本日の夕刻には日本を出立しなければならないのである。さすがに前日になって、キャンセルすることは出来ない。

万事孫が最優先なゲンドウであったが、ままならぬこともあるのだ。

「そっか・・・。無理いってごめんね」

そういうと、アスマ少年は卓上のオレンジジュースを一息で飲み干し、勢い良く椅子から立ち上がった。

「じゃあ、行くね。ひさしぷりにご飯でも食べに来てって、父さんがいってたよ」

ドアを開きながら孫はそう告げると、祖父の視界から消えた。

なにか声をかけようとしたままのポーズで固まったまま、ゲンドウは黙って閉ざされたドアへと視線を送る。

しばらくそうしていたゲンドウであったが、組んでいた手を解くと、卓上のメモ帳を引き寄せ、忙しくペンを動かし始めた。

ふむ、行きと帰りにはこれだけの時間がかかるわけで・・・?

しばらくしてある数式を完成させたゲンドウは、今度はやおら卓上の電話へと手を伸ばす。

白手袋がダイアルの上で踊り、一つのホットラインへの番号を弾き出した。

三度目のコールのあと、相手が出た。

「ハロー?」

相手は、デンマーク国際会議事務総長である。

それを確認すると、ゲンドウはヒゲの間から、流暢なキングス・イングリッシュで語りかけた。

「あー、私だ。碇だ。すまないが、会議の全行程を五分くらいに短縮できないかね? そーすれば、お昼までには日本へ帰って来れるんだが」

「ワット!?」





・・・・・学校側へ圧力をかけ、授業参観の日時を先送りすればいいのに、などという野暮なツッコミは、差し控えるべきだろう。































グラビア雑誌に出てくるような美少女が、悠然と微笑んでいる。

薄い白の紗を纏ったその姿は、純潔の天使を思わせた。

キミは誰だ?

口にしたつもりだが、言葉にならない。

けぶるような笑みが、徐々に近づいてくる。

薔薇色の頬が迫り、今まさに、吐息と吐息が触れ合うその直前で・・・・・・・

美少女の顔が母親の顔に変った。




「くぉらぁっ! おきなさい、アスマ!!」




「どぉうええええええええええっっっっ!?」


碇アスマは自室のベッドで跳ね起きる。

目前には、眉を逆立てた母であるアスカの顔が。

アスマはしばらく周囲を見まわす。そうして、ようやく状況が認識できた。

・・・・・・・夢だったのか・・・・・。

「なーに素っ頓狂な声あげてるのよ、この子は。寝ぼけてるの?」

アスカは呆れ声と怪訝そうな視線を息子に投げかけると、ベッド脇のカーテンを引いた。

眩しい光が部屋を縦断する。

十月の空は、雲一つない青空が広がっていた。

ああ・・・・ダメだったか。

爽やかな朝の空気を浴びているのに、アスマ少年の心は沈んで行く。

昨晩ぶら下げた逆テルテル坊主の健闘もむなしく、見渡す限りの快晴だ。

とうぜん、槍が降ってくるわけでもないし、異常気象の大雪で交通網が断線するわけもない。

最後の希望だった超自然的大災害も起きなかったことになる。

アスマは重い足をベッド脇へと下ろす。

そう、今日は、できれば来て欲しくない日だった。

すなわち、午後より授業参観のある日。

「ほら、ボーッとしてないで、早く仕度なさい」

母に急かされてアスマは渋々立ち上がり、着替え一式を持って自室を出ようとした。

自室の扉を潜った時、母の姿を見て彼の目が点になる。

「おふ・・・じゃなくって、母さん、その格好は・・・?」

アスカはえへへと笑って、

「どう? 今日着てこうとおもってるんだけど、似合うでしょ?」

アスマの顎があんぐりと開く。

母が来ていたのは、メッシュのワンピースだった。

「じょ、冗談じゃないぞ! いくらなんでもそんな・・・!!」

「だーいじょうぶ♪ この上にシースルーのジャケット着ていくからさあ♪」

「そーゆー問題じゃなくて、常識と雰囲気ってものを、ふがっ!」

言いかけたアスマの鼻が、母のしなやかな指先でつまみ上げられる。

「馬鹿ねぇ、さすがにこんなのは着てかないわよ」

ふがふが言う息子に、ニッコリと微笑むアスカ。

「ら、ふぁんでふぉんなことふるんだふぉ?(じゃ、なんでそんなことするんだよ?)」

「そりゃあ、嫌がらせに決まってるじゃないの♪」

「・・・・・・・・・・・」
 
呆然とする息子の鼻を弾きながらアスカは言う。

「まあ、おかげで目ぇ覚めたでしょ? 早く、顔洗ってらっしゃい」

そして、息子に背を向けた。

「嫌がらせにここまでするかよ、年甲斐もなく・・・・」

涙目になったアスマは、思わず小声で呟いてしまう。

次の瞬間、空気が切り裂かれた。

硬直した少年の目前を、なぎ払われた前髪がゆっくりと漂って行く。

「年が、どうしたって?」

強烈無比な後ろ回し蹴りを放った長いおみ足を収め、アスカは微笑む。

目が細まって剣呑な光が宿っている。美しくも恐ろしい野獣の笑みだ。

「・・・・イエイエ、ナニモイッテマセン、オ母サマ」

返答まで強張ってしまった息子に、アスカは矢継ぎ早に命令する。

「ほら、洗面所まで駆け足!」

「ガッテンデイ」

なんば歩き(右手右足を同時に出す同足歩き)で廊下を進む中学一年生の息子の背中を眺め、アスカは腕組みしつつぼやいた。

「まったく、捻くれた育ち方したわよねぇ。誰に似たのかしら?」












シャワーを浴び、身支度を整えキッチンへと顔を出したアスマであったが、気分はなお沈降したままである。

ウツウツしたままで指定席につくと、既に身支度を整えた弟妹たちが、美味そうに朝食を平らげている。

「どしたの? なんか、めちゃめちゃ暗い顔してるけど?」

次男であるリュウジが、兄の面相と雰囲気を見咎め、声をかけてくる。

「ん、まあな・・・」

曖昧に答える彼の目前に、焼きたてのフレンチトーストの載った皿が滑って来た。

「はい、アスマの分」

エプロン姿の父が微笑む。

しかし、父の手製料理の数々も、今日ばかりはいっかな気分を昂揚させてはくれなかった。

「やっぱり、父さんもダメなの・・・?」

アスマは、上目遣いに180cm近い長身の父を見上げる。

父であるシンジは、ちょっと困った顔をして、

「うーん、やっぱり、午後からとなると、仕事があって無理だね。それに、なにより・・・」

そういって、視線を90°ズラした。

すると、隣の部屋のドアが開き、アスカが飛び出してくる。

「シーンジ!!」

父に抱きついたその格好は、今度は白のトレーナーにオレンジのミニスカートだ。

まるで、高校生のようないでだちである。

「どう、これ来て授業参観に行ったら、姉に間違えられるかなあ?」

まさしくその通りなだけに閉口している子供らをよそ目に、アスカはシンジの首っ玉へと齧りついてる。

シンジは、うん、とても良く似合うよ、などといいつつ視線を息子に戻して言った。

「なにより、アスカが行きたがっているみたいだし・・・・」

ケラケラ笑っている母を眺めて、アスマはフレンチトーストを齧った。何故か苦い。

「いい加減に観念したら?」

母親がインスタント・ファッションショーを続けるため、また部屋へと引っ込んだ間隙に、リュウジが言う。

「うーむ・・・」

いまだ抵抗があるのだろう。長男はカフェ・オレを苦い表情で啜っている。

「加持さんちもアテにならないんだよね。なんせ、サトミねーちゃんの授業に出なきゃならないだろうから・・・」

加持サトミ。加持家の長女。

どのような数奇な運命が作用したか定かではないが、碇家の長男と同日に生まれた幼な馴染みである。

「そうなんだよなあ・・・」

加持夫妻に代理出席を頼む、というのも真っ先に選択肢に浮かんだが、同学年に娘がいるとになれば、そちらのほうへ出席するのが筋というものだ。

「じゃあさ、渚のおじさんに頼むってのは?」

そう提案したのは、末っ子にして碇家長女のミコト嬢である。今年小学四年生となる彼女は、それはそれは愛らしい。

「渚のおじさんかあ・・・・・」

それはアスマも考えなくもなかった。

「そりゃ、喜んで来てくれるだろうけど・・・」

碇家長男次男の脳裏に、年齢不詳の陽気な笑みが像を結ぶ。

渚カヲルは、旧姓綾波レイとの間に一子をもうけてはいたが、女子であった。

本人はよほど男の子が欲しかったらしく、ことあるごとに碇家の息子たちにちょっかいをかけてきては、母であるアスカに撃退されている。

「親切なことは親切なんだけどね」

リュウジが苦笑を洩らす。一番シンジの容姿を色濃く受け継いだためか、可愛がられた記憶も一番多いのは彼である。

「ああ・・・。引きうけてくれるのはいいんだけど、

『そのかわりといっちゃなんだけど、一緒にお風呂にでも入らないかい?』

なーんて言ってくる人だからなぁ・・・・」

アスマは頭の後ろで手を組む。

一緒に風呂に入る・・・・。碇家の男子は、それに妙に危機感を覚えるものである。

「じゃ、対策を変えるしかないわね」

ミコトが上品に口をナプキンで拭いながら締めくくった。

この末っ子は、時折大人びた発言をして、兄弟はいうに及ばず両親も驚かせることがしばしばある。

当然、妹の言っている事は、兄たちにも理解できた。

もはや、母が授業参観に来ることは確定した。あとは、いかに母の人間台風にも似たパワーから回避するか。

「・・・結局、考えるだけ無駄ってことじゃないの?」

次男がそう結論づけるのと、隣室のドアが再び開いたのは同時だった。

「今度はどお〜〜?」

ピ○クハウスを来たアスカがキッチンを横断して来る。

クルクル回るたびに、フリルと豊満な胸が大きく揺れる。

「うふふ、ブラを緩めにするのがコツなのよ♪」

もはや、誰に語っているのかすら定かではない。

愛妻を困惑気味に受けとめる父親を横目に、碇家長女は呆れ顔でキッチンを後にする。

碇家次男はコーヒーカップをもったまま絶句した。

そして碇家長男はというと、ゆっくりと椅子ごと床に横転したのである。




























「はああああああああああああああ・・・・・・・・、鬱だ・・・・・・・・」

碇アスマは教室の窓枠に顎を乗せ、溜息を吐いた。

目だけを動かして時計を確認すると、午後1時を回っている。

午後の授業開始は1時30分。

給食も終り、今は昼休みなのだが、そろそろ早い父兄ならやってくる時間帯だ。

「やあ、碇クン。なにを落ち込んでいるのかね?」

一人のクラスメートが声をかけてくる。

「・・・・あ?」

面倒臭そうに背後を振りかえったアスマの視界に、見知った顔が三人雁首を並べていた。

ニヤニヤ笑いを浮かべているのは、小学校時代からの悪友たちだ。

なんの因果か、中学校でも同じクラスに放り込まれている。

それぞれ名前を一之瀬、二ノ宮、三谷といった。

声をかけた一之瀬はニヤニヤしっぱなしで、替わりとばかりに二ノ宮が口を開く。

「いやー、元気と倣岸と鉄面皮が売り物のの碇クンも、落ち込むことがあるものだと、小生はつくづく感心している次第でございますれば」

「みょーな言い回ししてんじゃねぇよ、ったく・・・」

アスマは力なく応じると、またそっぽを向いて溜め息を吐いた。

「ありゃりゃ・・・、こいつは重傷」

三谷がおどける。

「にしても、うらやましいぜ、おまえの母ちゃんは若くて美人でなあ」

一之瀬が眼鏡をズリあげながら言うと、他の二人は熱心に賛同の意を示した。

正反対にアスマは益々意気消沈する。

「若くて、美人ねぇ・・・・・・・」

その点に関しては、異存はない。確かに、若くて美人だ。

が。

あーんなに性格が唯我独尊な上に、それに伴う行動力、経済力を持つ人間が、この法治国家日本にいていいものだろうか?

しかも、自分の母親なのだ。そりゃまあ、以前はアメリカ国籍だったらしいが・・・・。

もはや窓枠に寄りかかって溶けているアスマに、悪友三人たちは顔を見合わせヒソヒソと相談した。

付き合いが長いだけに、悪友たちには碇家長子の苦悩はよくわかる。

さて、どうするべきか。むろん、心の友として。

「えー、ごほん。・・・アスマよ、ここは少し発想を転換してみたらどーだ?」

代表して、一之瀬が口火を切った。

「発想ー・・・・・?」

不幸な碇家長子は、もはや顔半分しか振りかえろうとしない。

「そうとも。キミのお母さんは、どこにでもいる普通のお母さんということだよ」

「ただ、ちょっと他より若くて」

「ただ、ちょっと他の人より美人で」

三人は立て続けに力説する。

「ちょっと・・・かなあ・・・?」

アスマが振りかえりつつ、繰り返す。

「ほら、そこがいけないんだよ!!」

「普通だと、思うんだ!!」

「そう、スタンダードなんだよ、あれくらい! 普通だと思い込むんだ!!」

悪友たちの力説は熱を帯び、元来ノリやすい(ノセられやすい)アスマもその気になって来た。

「そうだな、普通の母親なんだ。ちょっと人様より、アレだけどな!」

『アレ』という代名詞に、どれだけ深い意味が込められているのか理解できる人間は、一体どれくらいいるのだろう?

しかしながら、碇家長男が元気を取り戻したのは確かだった。

「友よ!!」

四人はがっしりと抱き合う。

意味不明のパフォーマンスに、クラスの女子が奇異の視線を送るなか、窓の外に猛烈なホイルスピンが響く。

慌てて窓辺に駆け寄ったアスマ以下悪友三人組は、眼下に、駐車場に滑り込んでくる一台の青いルノーの姿が確認できた。

タイヤから立ち昇る白煙を振り払い、颯爽と停車したルノーから降り立つ影。

加持夫人、ミサトである。

サングラスをかけたその勇姿は、年齢を重ねてはいたが、なお魅力的な雰囲気を発散している。

それを証明するが如くタイトスカートから伸びた脚線美は健在だった。

「おおっ! 」

カーマニアの三谷が身を乗り出してルノーを見つめる。

「あの人が、B組の加持の母ちゃんなのか?」

「ああ・・・・相変わらず派手な人だなあ」

二ノ宮の問いに答えながら、アスマは苦笑を浮かべるしかない。

なにしろ加持家と碇家の因縁については、まだまだ謎な部分が多いのである。

あの加持ミサトというご夫人とも、生まれた時からの付き合いではあるのだが、父と母の悪友だとかなんだとか。

一時的な保護者であったとも伝えられている。二人にとっては、姉がわりだったとも。

それはともかく、アスマらに気づいたミサトは、思いっきりピースサインを送ってくる。

ほとんど条件反射的にピースを返す四人。

だが、隣の教室からは、ピースサインでなく怒声が返された。

「母さん!! 年甲斐もなく何やってんのよおっ!?」

それは、ミサトの娘、サトミの声だった。

「でけぇ声だなあ・・・。アレがB組の加持かよ」

身を乗り出していたため、モロに怒声を受けてしまった三谷が、耳を押さえながら顔をしかめた。

「そ。学年一のカワイ子ちゃんで」

と二ノ宮。

「で、碇アスマくんのカノジョなわけだな」

うんうんと頷いて一之瀬。

「ちょっと待てぇぇぇぇいいい!?」

アスマは絶叫する。

「ど、ど、どーしてそーゆー話が出てくるんだあ!?」

狼狽する友人を眺めて、二ノ宮と三谷が突っ込む。

「なぜドモる」

「うんうん、青春だなぁ」

更に一之瀬がポンポンとアスマの肩を叩いて言った。

「まあ、避妊はしっかりしとけよ?」

ガキっ

アスマの左アッパーがモロに一之瀬の顎を捕らえた。吹っ飛ぶ一之瀬。

続いて、矢のような鋭く早い前ゲリが二ノ宮の鳩尾にヒットし、続けざまに放たれた手刀が三谷の首筋に叩き付けられた。

悪友三人を瞬時に昏倒させた加害者は絶叫する。

「オレとアイツは単なる幼馴染なだけだあああっっっ!!」

「まあ、冗談だ。ジョークだ。だからそんなにムキになるなって」

一之瀬が顎を擦りながら立ち上がってくる。

「オレはそーゆー冗談は嫌いなの!・・・ってそれよか、いくら手加減してるとはいえ、なんでそんなに早く蘇生するのよ、おまえらは?」

呆れるアスマを睨みながら二ノ宮が立ち上がる。

「まあ、これくらいじゃなきゃ、おまえの友人なんてやってられないってこと」

「あ、痛っ! ・・・およ? 寝違えてた首が治っている!」

三谷にいたっては喜んでいる。

アスマは異常にくたびれた表情で、窓の外へと視線を戻す。

すると、娘に叱られたミサトがスゴスゴと校舎の中に入ってくる姿が見えた。

首を右に巡らせば、隣の教室から顔を出している娘の姿が。

二人の目があう。

「・・・何見てんのよ?」

「別に」

「ふん」

サトミはそっぽを向いて、顔を引っ込めてしまった。

「あら、フラレちゃいましたか」

「うるせ」

三谷に裏拳をかましておいて、アスマは眼下の駐車場に視線を注いでいる。

ぼちぼち父兄が集まりつつあった。

次々駐車場に停められる車。

残念ながら、ミサトのルノーよりインパクトのある車はない。

そうこうしているうちに、授業開始のチャイムが鳴る。

「あれ・・・?」

窓の外を覗いていたアスマは首を傾げる。

母の姿が見えなかったのだ。

ゾロゾロと父兄が教室へと入ってくる。その中にも、母の姿は見えない。

「あれれれれ・・・・?」

とうとう、担任である御所ヶ原教師がやって来てしまった。

「きりーつ!」

日直の声とともに、全員が起立する。

・・・・・もしかして。

立ち上がりながらアスマの顔に笑みが浮かぶ。

「もしかして、急用かなんか入ったんじゃないだろうか!?

あの人は、なんだかんだ言って時間に正確な人だからな。

この時間に来ていないはずはない。

だとすると、やっぱり急な用事が入ったんだ!

そうだ、そうに違いない!

母ちゃんは、今日、来ないんだぁあああ!!」

「・・・・・碇。思うのはいいが、大声で叫ぶな」

御所ヶ原教師の諌める声も、アスマの歓喜の炎に水をかけるには至らなかったようである。

「すみません〜」

喜色満面の顔で謝りつつも周囲を見まわし、着席しようとした寸前、アスマの脳裏を違和感が駆け抜ける。

「・・・・・・・このクラスって、全部で40人ですよね?」

なに当たり前のこといってるんだか、という表情のクラスメートたちの視線を一身に浴びつつ、アスマは震える声をわななく唇から押し出した。

「・・・・・一人、多い・・・」

瞬間、ざわめく一同。

全員の視線が錯綜し、数秒後にはある一点へと集約された。

すなわち、教室の最後尾の机に。

明らかに列からはみ出した机では、眼鏡をかけた女生徒が顔を伏せていた。

今、セーラー服に包まれた華奢な肩が震えている。

「・・・・誰だ!?」

出所不明の誰何の声に被さるように響く高笑い。

「おーっほっほっほっほっほっほっ!」

上げられた、その見覚えのある顔よ。

「甘い、甘いわね、アスマっ!!」

旧姓・惣流・アスカ・ラングレーは、セーラー服を纏った胸を高々と反らし哄笑した。

「あたしは既にこの教室に侵入していたのに、全然気づかなかったなんて、大甘もいいところよっ!!」

抗議の声を上げかけた息子につめよりつつ、アスカは続ける。

「もし、あたしが敵対勢力だったらどうする気!? このクラスの全員が死んでいたところよっ!!」

比喩の巧緻とかいうレベルを超越して、物騒な話である。

なお呆気にとられたままの他のクラスメートとその保護者の視線の中、御所ヶ原教師は努めて冷静な声を出す。

「ええと、碇くんのお母さんですか? そろそろ授業を始めたいんですが・・・・?」

「あら、これは失敬」

アスカは、オホホと今度は上品に笑うと、自ら着ていたセーラー服に手をかけた。

そして、勢いよく脱ぎ捨てる。

その下から赤のロングスカートが姿を現したが、みななお呆気取られたままである。

もはや物理法則への突っ込みも諦めたアスマは、母に懇願した。

「お願いだから、大人しくしててよ、もう・・・・・・」

もはやほとんど泣き声に近い。

「情けないわね〜。泣く事はないでしょ?」

アスカはブツブツいいながらも、教室の後ろへと並ぶ父兄へと参列とした。

「と、とりあえず・・・・」

担任教師は気を取り直して、

「ご父兄のみなさん、お忙しいところ、ご苦労様です・・・」

頭を下げる父兄一同。

とにかく、ようやく授業が開始された。

歴史の授業なわけだが、黒板の文字を書き取る最中も、アスマはどうにも落ちつかない。

生徒たちはモチロンだし、くわえて父兄たちのほうから漏れてくる低いざわめきが、耳道を突っつくのである。

「こんなに若い方が、碇くんのお母さん・・・・・?」

ヒソヒソ。

「一体、幾つくらいなのかしら?」

ヒソヒソ。

「ウチの母ちゃんの百倍美人だぁ・・・・」

ヒソヒソヒソ。

「金髪だよ、おい」

ヒソヒソヒソヒソ・・・・・・・・・。

セーラー服姿で生徒たちの間に潜伏していたことも去る事ながら、その容姿は注目を集めてあまりある。

そんな中で、噂の当人はいたって澄まし顔である。

聞こえない、なーんも聞こえないぞ。

現実逃避を始めたアスマの耳だったが、教師の大声があっさりと扉を壊す。

「おい! おい、碇! 聞こえんのか!?」

慌てて姿勢をただす。

「は、はいっ!」

「ほら、この問題を答えてみろ!」

といわれても、聞いてなかったからサッパリ解らない。

「えーと、どうして豊臣秀吉は征夷大将軍になれなかったか・・・?」

問題を繰り返すという行為は、何も答えが解っていない証拠だという。今回もご多分に洩れなかったらしく、アスマ少年は言葉を濁すだけ。

「ええと・・・」

教科書を捲る。

「その・・・・・」

考えれば考えるほど、頭に血が上って、わけがわからなくなる。

「それはですね・・・」

「くぉおおの、馬鹿ああああああああああああ!!」

息子の不甲斐なさに、とうとう母親が暴発した。

ツカツカとヒールの足音も高く息子に近づくと、アスカは大声で叱咤する。

「豊臣秀吉が征夷大将軍になれなかったのは、サルだからに決まっているじゃないのっ!!」

1年A組の教室を、地響きが揺るがした。

「・・・・あら、違ったかしら?」

死屍累々とばかりに全員がコケた教室を見回して、アスカは頬を赤らめる。

「い、碇くんのお母さん、残念ながらハズレです・・・・」

教卓にどうにかしがみつきながら、担任教師は訂正した。

「あちゃ〜・・・。あの、ほら、あたしはドイツ人とのクォーターだしぃ・・・」

アスカは可愛らしい仕草で舌を出す。

言い訳になってない。というか、なるはずがない。

ついに、母親に対抗するように、息子も爆発した。

「いい加減にしてくれよ、おふくろ! もう、なにもかもひっちゃかめっちゃかに掻き回して!!

大人しく参観しててくれよっ!!」

一息で言ってのけたのは天晴れである。しかし、直後に後悔の氷雨が彼を襲った。

「おふ・・・・・なんですって?」

母親のブルーアイズが、絶対零度の冷たさを閃かせる。タブーに触れてしまった、と思ってももう遅い。

「その、おふ、おふ、おふ・・・・・・・ぎゃっ!」

ほとんど音速の早さで、碇少年の耳は掴みあげられてしまう。

息子の耳を高々と掴みあげたアスカは、担任教師へと玲瓏たる笑みを向けた。

「ちょーっとあたしたちは席を外しますけど、どうか構わず授業を続けてちゃってくださいな♪」

得体の知れぬ凄みに圧倒され、教師はコクコクと頷くのみ。

「では・・・・」

アスカはなお微笑みを絶やさず、息子を引きずったまま教室を出ていってしまう。

息子は「いやだ〜、助けてくれぇえええ〜!」などと抵抗していたが、当然聞き入れられるわけもなく、ズルズルと引きずられていってしまった。

ピシャリ。

教室のドアが閉じられる。

その直後。



「ギニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」




おぞましい悲鳴が、遠くの廊下から流れ込んできた。

転がった机を起こしながら戦慄する生徒と父兄一同。

更に五分後。

碇親子が静かに教室に戻ってきた。

「お騒がせしました。・・・・さあ、アスマ。今度はしっかりと答えるのよ?」

「ハイ、ワカリマシタ、オ母サマ」

カクカクと、半白眼で答える息子。

この親子に、誰もが恐ろしくで突っ込めなかったのは、仕方のないことといえるだろう。












授業参観は、次の時間の体育にも引き続き行なわれる。

「一体、なにされたのヨ?」

更衣室で着替えながら二ノ宮が訊ねてくる。

「・・・・答えたくない」

既に着替え終わったアスマであるが、更衣室の隅っこで体育座りのまま佇んでいる。

「まあ、聞きしに勝る母上だな。小学校のころよりパワーアップしてるし」

一之瀬が苦笑いすると、アスマが噛みついた。

「おまえら、普通だっていったじゃないか・・・・・・・」

「ハハハハハハ」

乾いた笑いを洩らす悪友三人。

「まあ、次の授業は、さすがに大人しくしてるでしょ。だってサッカーだし」

三谷が励ます。

しかし、キッカリ15分後に、あっさりとその予想は覆される。











「ほら〜、行け〜、そこだ〜!!」

アスカの声援が、グラウンド一杯に木霊している。

男子が10人ずつに別れてサッカーが行なわれているわけだが、開始してからアスカはずっと声援を飛ばし続けている。

浮いてる。浮きっぱなしである。

ボールを転がしながらアスマは思う。

息子の心親知らず、とばかりに、アスカの声援はヒートアップする一方。もはや体育教師もなにも言わない。

「・・・・少し、お静かにされたらどうですか?」

アスマは知らないことだが、母を諌めたのは、同じクラスの父兄の一人だった。

分厚い眼鏡に派手な服のオバサマ。それが似合うのは貫禄というものに違いない。スリーサイズは殆ど三つとも同じだろう。

年齢に至っては、文字通り、アスカと親子ほど離れているのかもしれない。

「あら? なにかご意見でも?」

アスカは涼やかに微笑む。元来好戦的な彼女も、時を経て大分丸くなったりしていた。

「授業参観とは、親が子供たちの授業態度を観覧しにくることでしょ? それを父兄が率先して騒ぐなど・・・」

「不謹慎だと思いますか?」

クドクドいうオバサマの目前に、アスカは顔を突き出した。

「い、いえ、不謹慎てのもモチロンですが、その大人として・・・・」

ブルーアイズに気圧されたように、分厚い眼鏡が後ろに引く。

アスカはフッと頬を緩めた。

「確かに、不謹慎かもしれません。でも、こんな機会でなければ、息子の授業の様子をほとんど知ることはできないでしょ?」

「た、たしかにこんな機会はそうそうありませんわね・・・」

同意の声を上げてしまうオバサマに、気づけば他の父兄も熱心に聞き入っている。

「ですから、数少ない機会だからこそ、あたしは精一杯息子を応援してあげているんです。おかしいですか?」

「・・・・・・・・・・・・」

「愛する息子も精一杯やってるんですもの。あたしも負けてられないんです」

恥じらいもなくアスカは言ってのける。

息子の前では絶対に吐露しない本心を、アスカは垣間見せた。

「これが、あたしの育て方なんですよ。いつも息子とは真剣勝負です。こんな育て方、変でしょうか・・・・?」

「いえ、そりゃねぇ、変ではないんでしょうし、その・・・・・」

ゴニョゴニョとオバサマの語尾は消えてしまう。

「・・・・・・・・・・・」

他の父兄も黙り込んでしまう。

アスカは、優しく微笑むと、前に向き直り声援を再開した。

途端に、しばらく声援もなく静かで調子を取り戻していたアスマが、盛大にすっころんだ。

「こら〜! カズヒロも負けるなああああっ!!」

アスカに追従したのは、父兄の一人だった。

それを皮きりに、他の父兄も盛大に激を飛ばし始めた。

「そこだ〜、蹴れ〜!!」

「なにやってんだ、ミツオ! そこだそこっ!」

声援が渦を巻く。

「なんだ、なんだ?」

サッカー中の男子生徒たちは思わずボールを止め、更にテニスを終えて戻ってきた女子生徒たちも困惑する。

「くおらあっ! アスマあっ! 負けたらご飯ぬきよ〜!!」

抜きん出てアスカのよく通る声が響いている。

女子生徒たちも、半ばつられるように黄色い声援を上げて来た。

声援に後押しされ、図らずも異常に加熱する試合。

・・・・・おふくろの仕業かよっ!! などと思いつつも、アスマは巧みにドリブルでボールを運び、豪快なシュートを叩き込んだ。

もともと運動神経が抜きん出て優秀な彼である。本気になれば、クラスメートなど全く相手にならない。

「よしっ、さすがあたしの息子!」

アスカが膝を叩いて喜ぶ。

その後、試合はますます熱を帯び、一進一退の激戦が繰り広げられた。

アスマの個人プレーも及ばず、1対1のイーブン状態で、残り時間もあと僅か。

「くっ!」

センターラインまで上がったアスマへとボールが渡って来る。

時間的にも最後のチャンスだろう。ここで決めなければ・・・・・!!

いや、マジでご飯を抜かれるだろう。

ドリブルで切り込みながらアスマは考える。

いくぜ!!

デフィンダーを振りきり、フリーになった瞬間。

アスマは、渾身の力を込めて、ボールを蹴飛ばした。つま先で。

「あら!?」

ボールは大きく左に切れていく。運動神経はピカ一でも、サッカー歴がほとんどないことが仇になった。

「しまったあ!」

即座に後悔したが、もう遅い。

痛烈無比な速度のボールは、大きく弧を描きながら父兄の群れの中と進んで行く!!

「とりゃああああああっ!!」

気合一発。

金髪と、眩いばかりの太腿が空中に閃いた。

弾けるような音とともに、サッカーボールは撃ち返されていた。

撃ち返されたボールは、アスマの頬を掠め、遥か背後のゴールネットを揺らしている。

ロングスカートが風になびく。

優雅なまでの動作で空中のボールを蹴り返した張本人は、スカートの裾を押さえて、平然と地面に降り立った。

・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・パチパチパチパチパチ。

控えめに起こった拍手が、大きく波打った。

周囲の歓声には笑顔で応じたアスカであったが、息子を睨んだその顔は、赤いスカートに負けず劣らず紅潮している。

「・・・・・・あんた、狙ったわねぇええええええ!!?」

「いや、違う、絶対違うって・・・!!」

必死で弁解する息子との間合いを一瞬で詰めたアスカは、その頭を小脇に挟み込む。

「どーにもこーにも、メーイッパイ折檻してほしいみたいねぇ、このボクちゃんは?」

「いや、だから違うって、ムギュっ!」

息子の顔を豊満な胸に押しつけて圧殺する。そのまま校門の方へと向かうので、さすがに体育教師が声をかけた。

「あ、あの、碇くんのお母さん。まだ授業は終ってないんですけど・・・?」

首の後ろを叩きつつ、鼻血がこぼれるのを必死で留めながら、体育教師(36歳・独身)は言う。ロングスカートから伸びた白い太腿の映像は鮮明に目に焼き付いていたから。

アスカは首だけ後ろを振り向き、弾むような声で答えた。

「早退させます♪」

「・・・・・・・・・・・・」

気づけば、見計らったようなタイミングで一台のリムジンが校門前に停車するところだった。

アスカは当然とばかりに後部座席に息子を放り込むと、自らも乗り入れる。

そしてドアを閉じる寸前でグラウンドを振り返り、笑顔と挨拶をバラまいた。

「それでは、みなさん、ご機嫌よう」

走り去るリムジン。

取り残された父兄と生徒。

ただ唖然と悄然と呆然の三兄弟に支配された空気のグラウンドで、いみじくも碇アスマの悪友三人は、同時に同じことを思ったものである。

「ありゃ、『ちょっと普通じゃない』じゃなくて、『異常』ってんだよなあ・・・・・」




















おしまい、たぶん・・・・














*蛇足的後書き、或いは後書き的蛇足*



もう、楽しめる人だけ楽しんでください・・・・(笑)
















































 三只さんから夫婦絶唱シリーズの最新作『愛とゲンドウ幻想の授業参観』をいただきました〜(万歳!)

 相変わらず冴えてますね‥‥コメント不要の面白さです。

 アスカさん、普通じゃないです。ハイ(笑)

 みなさんも三只さんに感想メールのほうをお願いします。