「『その日は、人を狂わせるには十分すぎる暑さだった…』か」

仮設テントに戻ってくるなり、葛城ミサトはそうのたもうた。

「なにそれ? なんのセリフ?」

ノートPCに向かいながら、半ば事務的に訊ねたのが赤木リツコ博士である。

「んー? 大昔の官能小説の書き出しのテンプレート」

笑いながらすっかり温くなったコップの麦茶を啜るミサトに、普段なら刺だらけの視線で一瞥するリツコであったが、ついつい嫌味が口を出てしまう。

「あなた、この暑さで脳までうだってしまったわけ?」

「なによ、そんなにカリカリしないでよー」

汗まみれの顔をうちわで煽ぐミサトに、リツコは自分が苛立っているのを自覚せざるを得ない。

しかしそれも無理なからぬこと。

時は八月の末日。

残暑が厳しいのはもちろん、第三新東京市がヒートアイランド現象を絶賛体現している超機械都市であるのは自明の理。

こんな日は、ひがな冷房の効いたオフィスで過ごすことをもっぱらとしている赤木博士であるが、今日ばかりはそうもいかなかった。

いま現在彼女たちがいるのは第三新東京市の、オフィス街の真っただ中の広場。

その隅に建てられた仮設テントの近くには、情報処理用のトレーラーもあるにはあったが、オペレーターのアメニティは無視された徹底的な経費削減仕様だ。

これらはひとえにネルフの財源不足に由来する。

人類補完計画はもとよりE計画も頓挫した当初、ネルフという組織の存在そのものが疑問視されたのも記憶に新しい。

その際、様々な独占的テクノロジーや情報データを楯に、どうにか国連直属組織としての体裁を整え、日本国政府の干渉を突っぱねていたネルフであった。

しかしそれにも限界が生じた。

再三にわたり成果を提出せよと詰め寄られれば、さすがに無視を決め込むわけにもいかないのである。

本人たちが示し合わせたわけではないが、ミサトとリツコはほぼ同時に視線を上げた。

二対の視線の先には、こちらも簡易テントにパイプ椅子というだけの粗末な来賓席がある。

その頭上に、白い横断幕が無風の空に力なく掲げられていた。





『汎用人型重機発表説明会』





「…まあ茶番よ、茶番」

額の汗をぬぐいながらのミサトが呟いた。

「ええ、茶番よ。ただし、ものすごーくお金がかかった、ね」

追従するリツコの声は、ただの呟きというには真剣さが勝った。

人型決戦兵器であった人造人間エヴァンゲリオンの、重機としての民需転用。

一言で表現すればそうなるのだが、具体的な計画に移行するまで実に様々な問題と葛藤があった。

それらはバッサリ割愛するにしても、まず、エヴァンゲリオンの単純起動だけにも凄まじい費用が必要である。

予算が潤沢であった使徒戦役の頃ならいざ知らず、さすがに現政府にそこまで面倒を見て欲しいとはいえない。

結果、ほとんど独力でネルフはエヴァの起動費用を捻出しなければならなかった。

まずは膨大な電力のプールから始まり、全職員は長期の節約生活を強いられた。

それがどれだけ過酷なものであったかは、葛城ミサト氏の晩酌のビールの本数が限定されたという些細な事項からも、十分に感じ取れるだろう。

こうやって屋外で作業を強いられている現状も、その流れに由来する。

まあ現実問題として、主賓たちを炎天下に放置して、主催者側だけが涼むわけにもいかないこともあったが…。

「それにしても、何もこんなに上天気にならなくてもねー」

ミサトは茫洋と空を仰ぐ。

彼女の愚痴は、この発表会の参加者の最大公倍数的な意見に違いない。

空は雲一つない快晴というやつで、我がもの顔の太陽がじりじりと下界を焼いている。

この日しか日程を組めなかったのは仕方なかったにせよ、なにもこんなに荒ぶらなくてもいいだろうに。

「それで? 準備は出来た?」

「たったいま出来たわ。あとは―――」

そうリツコが口を開いたそのとき。

二人のイヤホンマイクに、本日の主役の金切声が響いた。

『おっそーい! いつまで待機してればいいのよ、あたしは!』









「おっそーい! いつまで待機していればいいのよ、あたしは!」

エントリープラグ内の操縦席で、惣流・アスカ・ラングレーはぶーたれていた。

せっかくの夏休みの、よりによってその最終日に、なんでこんなことしなきゃいけないワケ?

別段、エヴァに乗って操縦するのが嫌なわけじゃない。

むしろ専属パイロットとして訓練に明け暮れた日々を思い出し、感慨深いものさえある。

ひいては自分の中でそれなりにトラウマも克服できているのだろう。

それはアスカにとってささやかな、それでいて嬉しい発見だったが、それ以外が全くよろしくない。

「まず、なんなのよ、この恰好―!」

自慢の金髪に赤いヘッドセットはそのままに、今のアスカが着ているプラグスーツは、以前のものと形状が違う。

両肩や両腕はおろか、滑らかな両足まで剥きだしなのは、まんま水着である。

ビキニと違う点は、両脇から横っ腹の部分の布地が抉られるようにカットされていること。

おヘソの上を隠すように通過して、上と下の布地がつながっているというかなり恥ずかしいデザイン。

この新スーツを着て人前に出る度胸は、さすがのアスカにもなかった。

もちろんミサトたちの一部スタッフの目には晒さないわけにはいかなかったわけだが、

『うわ、えろ〜』

との保護者のコメントに、本気で辞退してやろうかと検討したアスカであった。

ったく、アンタらが予算ケチってこうなってんでしょ!? なに悲しくてプラグスーツの布地面積まで削減してんのよ!

言い返したいことは62個ほどもあったアスカであったがグッと我慢。

それもこれも、

「わかってんでしょうね? バイト代、弾んでもらうんだから!」

『はいはい』

苦笑交じりのミサトの返答。

『それじゃアスカ、始めましょうか』

リツコの声に、アスカはコックピットのレバーを握りなおして我知らず唇をなめている。

実に久しぶりの感覚だ。

四年ほどのブランクがあるけれど、この興奮だけは忘れることは出来ない。

「エヴァンゲリオン仮設弐号機、起動!」









巨大な人型兵器が膝立ちから立ち上がった。

それだけで、おおっ! といった歓声が上がる。

その歓声の大きさは来賓席の面々だけではない。半径200メートルほどの距離を置いて準備された一般観客席のものだ。

どよめきが熱せられたアスファルトから立ち上る陽炎さえも揺らした。

その陽炎の上に佇立する巨大な赤いフォルム。

かつての最終決戦を経て修復されたエヴァンゲリオン弐号機に他ならない。

同時に、世界で唯一のエヴァシリーズ、最後の一機ということになる。

もっとも、かつての雄姿を知るものにとって、現在の弐号機の姿は貧相に映ったかも知れない。

何重もの装甲版は取り外され、両肩の武器格納庫も存在しない。

見た目的には、換装前の零号機に近かった。

実戦兵器である必要性がない以上、それらを装備する理由もないわけだが、根源にあるのはやはり予算不足だ。

「ちょっとレスポンスが悪いわね…」

操縦桿を握りながら、アスカは一人ごちた。

だが求められているのは超高速機動戦闘ではない。問題なく動かせるシンクロ率である。

この感覚も実に久しぶりで、懐かしく、心地よい。

『んじゃ、アスカ。プログラム通り、よろしくー』

「了解」

軽く屈伸運動なぞを披露しながら、アスカは上機嫌も一転、少しだけ不機嫌になる。

あたしの弐号機が、こんな猿回しみたいなことをする羽目になるとはね…。

ネルフの抱える事情は承知している。

それでも昔のあたしだったら、こんなマネ、絶対に引き受けなかったでしょうけど。

エヴァ弐号機に乗ることだけが、自分の存在証明だった。

エヴァのパイロットとしての自分しか、誰も見てくれないと思ったあの頃―――。

そう苦笑しつつアスカはモニターで周囲の観客の列を捜索する。

見知った顔たちが、いた。

ま、それも当然か。

だって、あたしの雄姿を見るように! って直々にチケット渡してやったし。当選率250倍の激レアもんよ?

周囲の熱気に戸惑うようにこちらを見ている親友の洞木ヒカリの姿が嬉しい。

その隣でつまらなそうに扇子で顔を仰いでいる鈴原トウジや、カメラ片手に狂喜乱舞している相田ケンスケの姿なんぞも視界の端にとどめ、アスカの視線はもう一人の男子に注がれる。

…なによ、アイツ。なんか心配そうな顔しちゃってさ。

同居人でもあり同僚でもある碇シンジのその表情に、アスカはクスリと笑ってひそかに溜飲を下げていた。

本来なら関係者として、ネルフスタッフと一緒に近くで見ることも出来たはずだが、級友たちと一緒に一般観客席に回ることをシンジは望んだ。

そう勧めたアスカでもあったが、ひそかに自画自賛。

こんな恥ずかしい恰好、アイツの前で晒せるもんですか。

ちなみに、普段の共同生活の合間合間で、現在の恰好とは比較にならないほど際どい姿を同居人に見せてしまっていることについては、彼女の記憶巣から一端退避させられている。

『アスカ? どうかしたのアスカ?』

リツコの声。

「あー、はいはい、今始めるからー」









『あー、はいはい、今始めるからー』

「頼むわね」

一言いって、リツコはマイクのスイッチを切った。

「…あの子、やる気あるのかしら?」

「大丈夫。やる気バリバリよー」

ミサトはそう請け負った。

「久しぶりに乗って動かしたから、色々と思うことがあんのよ、きっと」

弐号機を見上げる親友の視線は、完全に保護者のそれ。

だけに、リツコも続きの言葉は飲み込んだ。

今日の実験に関しては、リツコ自身も色々と思うところがある。

急場しのぎのプランに整備も十分出来たとはいえず、無茶をさせているという自覚もあるからなおさらだ。

観客がどよめいた。

立ち上がったエヴァ弐号機が、予め設置されていた膨大な資材などを両腕に大量に抱えて運搬を開始したのだ。

その動きの滑らかさと力強さが見ているものを釘づけにした。

使徒戦役を間近に見てきた人間にとっては、この弐号機の機動はオママゴトに等しい。

しかし民間企業や政府各省にとっては垂涎の的に見えたことだろう。

もともと実用稼働に耐える人型ロボットというだけで画期的なこともある。これだけで広告塔としてのアピール力は十分だ。

そしていま弐号機は、車を掴み上げると、全く外装を傷つけることなく持ち上げて移動させた。

さらに鋼線の太いワイヤーを指先で器用に操り、蝶々結びを披露させている。

パワーは申し分なし。繊細な作業も可能。

この凄まじいまでの汎用性の高さこそ、エヴァシリーズの真骨頂ともいえる。

「さて、どれだけの企業が名乗り出てくれるかしらね?」

申し分のない動きを披露してくれる弐号機に、リツコはニヤリと笑って見せた。

資金難にあえぐネルフのスポンサーの獲得。

本日の発表会の最終的な目論見はそこにある。

スポンサーの資本に飲まれて庇を貸して母屋を乗っ取られるような展開は避けねばならないし、そうやすやすと根幹の技術提供も出来ようもないが、

「仕方ないわよねー。お金がないのは首がないのと同じだもの」

深刻そうな表情でミサトは言う。

今日の成果うんぬんで、毎日のビールの支給本数が変わるのである。これが真剣にならずにいられようか。

「それでなくても、今日だけでもだいぶお金がかかってるんだから。ぞんぶんに期待させてもらうわよ。でないと赤字だし」

リツコの台詞は手ごたえの裏返しだろう。

事実、プログラムは滞りなく進行中。

ガッっと出現する兵装ビル。

その中から弐号機が取り出したのはプラグナイフで、ここからが本日のクライマックス。

解体予定のビルを、ナイフで綺麗に切り分ける弐号機。

従来の爆破解体などに比べて安全性も高く、切り分けた資材を分別移動する手際も実に鮮やかだ。

事実、ものの五分とかからず、ビルの壁という壁は綺麗に同じ形の正方形に切り出され、重ねて積み上げられてしまった。

「お見事、アスカ。ちょっちサービスして締めちゃって」

『OKー!』

元来アスカはノセせられやすいタチである。

もちろん本人に面向かって言えば否定するだろうし、あえて彼女の名誉のために言い直せば、相応しい環境でより力を発揮するタイプと言えるかも知れない。

ミサトの声に触発されたこともあってか、アスカは弐号機の大きな手の中でプラグナイフをくるくると回転。

回転させたまま左右の手の中を行き来させるジャグリングを披露し、会場じゅうの喝采を浴びた。

この突然のパフォーマンスに、リツコだけがやや眉をしかめたが、周囲の反応にアスカに直接注意するのは躊躇われた。

そんなうちに弐号機はナイフを宙にほうり上げた。

空中で盛大に回転する大質量のナイフも見ものだったが、アスカの操る弐号機はその場でクルクルと一回転。

見事落ちてくるナイフをキャッチし、侍が刀の血のりを払うようなアクションでナイフを左右に二回振ると、滑らかな動きそのままにナイフを格納した。

本来はあったはずの弐号機の肩の収納部分へ。

しかし、今の弐号機に武装収納は存在しない。

結果、指をすっぽ抜けたナイフは宙を飛ぶ。

『あ゛』

直後、ズシン! と物々しい音が第三新東京市に響き渡る。

とある建物の側面に、巨大なナイフが突き刺さっている光景は、どこか前衛芸術的なシュールさがあった。

観客も全員あっけにとられたらしく、場は一瞬で静まりかえる。

その揺り返しとでもいうべき巨大なざわめきが起きる寸前。

眼鏡を半ばまでずり落してマイクを握り潰しながら、赤木博士は引き攣った笑いを浮かべて硬直していた。

「…赤字確定」

























ady nd ky 〜second air


Act8:突撃! 隣で晩御飯 前編 

by三只





























「そんで飛んだナイフは、なんとコンフォートマンションのシンジたちの部屋を直撃だってさ」

「よりによってそこに飛ぶとはのう。これで赤の他人の家とかやったらドツボやったろうけど、やっぱ惣流は天性の笑いのセンスがあるで」

始業式開けの教室にて。

好き勝手に言うケンスケ・トウジコンビだったが、アスカは机に突っ伏したままだ。

「でも、ほら。幸いにも誰も怪我したりとか、大きな事故が連鎖したわけでもないし…」

と、ヒカリがフォローしてくれるも、アスカは微動だにしない。

落ち込んでいるのはもちろんだが、彼女は疲れていた。

大失態を起こしたあと、マンションの側面にめり込んだナイフを処理したのも弐号機である。

くわえてケンスケが言及した通り、巨大なナイフはミサト名義のマンションの部屋をジャックポットしていた。

ベランダから飛び込んだナイフの刃先は、ミサトの私室は及び、シンジアスカ両名の部屋まで両断。

私物はそれなりに被害を免れたものも多く、それらを運び出す作業で、先日のアスカはほとんど眠っていない。

ヒカリがいってくれたように、幸いにも被害は物的なものだけに留まったが、同じマンションで暮らすことは出来なくなった。

部屋の修繕にくわえ、凄まじい質量の物体が突き刺さったので、マンション自体の強度検査や補強など最低1ヶ月はかかるとのこと。

それらの費用はネルフ持ちであるのは当然で、これでバイト代を請求できるほどアスカも心臓が強くない。

結果としてただ働きのあげくマンションを追い出される羽目になったのだ。これで落ち込むなという方が無理かも知れない。

なにより―――。

アスカは視線だけを動かした。その先には、ふわあ、と欠伸をするシンジがいる。

荷物運びに従事して、昨晩はほとんど完徹だったのはシンジも同じだ。

「センセェも災難やのう」

心底気の毒そうにトウジが言う。

「ううん。まあ、いつものことだから…」

悟りを開いた直後のシッダルタのような笑みを浮かべ応じるシンジ。

「ちょっとそれどういう意味!?」

さすがにアスカも机から顔を上げたが、怒声は相田ケンスケの背中によって阻まれてしまう。

「シンジおまえ、枯れすぎだわ」

「まったくや。何もその歳で達観の境地にいかなくていいやろうに」

対してシンジは朗らかに言った。

「でも、アスカに付き合っていたら、こんなの日常茶飯事みたいなもんだし…」

そのあまりにも無垢な物言いは、親友二人を絶句させ、アスカも思わず言葉を飲み込んでしまうほど。

あんたねえ、普段のあたしとの生活はどんなドキドキアドベンチャーなわけよ!?

そう憤激して詰め寄ろうとする寸前、ケンスケがちらりと一瞥してきて、

「…結婚は哲学者を作るってのは、しみじみ至言だねえ」

「はあ!? け、結婚ってなんのことよ!?」

続いてトウジはこちらも向かずに親指だけで背後をさしながら、

「にしてもセンセ。マンションは出る羽目になったんやろ? このオナゴとの同棲生活は続ける気なんか?」

「ど、どどど同棲ちゃうわ!」

「ちょっとアスカ落ち着いて。言葉づかいも変になってるし」

どうどうとヒカリに諌められ、実のところ野郎どもの指摘はアスカの胸に突き刺さる。

本来、二人の同居生活に正統的な理由は、もはや存在しない。

それでも辛うじて、葛城ミサトという保護者を加えることによる疑似的な家族というような名目での、今日に至るまでの生活である。

そんな環境を破壊してしまったのは自業自得である。

しかし、一時的にせよ、マンションを出てまで三人一緒に暮らす、という提言をアスカは出来なかった。

まず保護者であるミサトは、早々にネルフ内の仮眠室を仮の住居にさだめ、今回の後始末に責任者として奔走している。

アスカにサービスするように指示を出した手前、彼女なりに責任を感じているのだろう。

では保護者抜きでシンジとアスカが二人で一緒の部屋に住むことは可能か?

不可能ではないが、そこに周囲を納得させるだけの理由は存在しない。

エヴァのパイロットを二人まとめて管理できる、と主張できなくもないが、ミサト抜きでは少し弱い。

やはり高校生の男女二人が一つ屋根の下ときたら―――トウジの指摘する通り、同棲に他ならないのだ。

シンジはすでに18歳を迎えているから、という点を勘案しても、周囲が認めてくれないだろう。

ましてやシンジが一緒に住もうと提案するならともかく、アスカの方からそう切り出すのは、太陽が西から昇っても無理な相談だった。

「はん、どうせ惣流のこっちゃ。一緒に住むちゅーても、シンジにおさんどんさせるだけで、自分が楽するのが目的やで」

「鈴原っ!」

珍しく声を張り上げて制止したのはヒカリ。

そのままぎゃあぎゃあ言い合いを始めた二人を後目に、当のアスカはというと、なんとも微妙な表情になってしまう。

トウジに内心を看破されたからではない。周囲にそんな風に思われていることを気にしているわけでもない。

彼女の言葉にできない本心は、もっと奥で渦巻いている。

「で、結局シンジはどうするの?」

「そうだね…」

ケンスケの問いに、顎に手を当て考え込むシンジ。

ミサトのようにネルフ本部に泊まり込むことも可能だ。

それでは通学に不便だろうと、幾つかの借り上げマンションもピックアップされていた。

今日の放課後までには、いずれかをを選ばなければならないわけなのだが。

「とりあえず、僕はネルフの準備してくれたマンションで一人暮らしだね」

シンジの発言に、アスカは内心で思い切り肩を落とす。

一緒に暮らそう? なんて言葉を期待していなかったわけでもないが、当たり前のこととはいえここまではっきり言われると落胆してしまう。

「ほんまか? なら泊まり込みで遊びいってもいいんか?」

「それは是非。とはいってもせいぜい一か月くらいだろうけど」

次のシンジの発言に、アスカは内心で喝采を上げる。

マンションの修復が終われば、また元の生活に戻るつもりなのだ、アイツは!

「マジで? シンジの手料理付き?」

「宴や! 男だけの聖なる祭りや!」

騒ぎ始める二バカコンビに、ヒカリが「わたしたちは受験生でしょ!」と冷や水をかけるがあまり効果はないようだ。

やれやれと戻ってきたヒカリは、どこか優しい眼差しでアスカに問いかけてくる。

「アスカはどうするつもりなの?」

「あたしは…」









築五年、商店街まで10分。学校まで20分。エアコン付き、シャワー、トイレ別の1LDK。

そこがアスカの選択したマンションだった。

たかが高校生には分不相応なくらいセキリュティも立地条件も良好。

「これで荷物は最後かしら?」

「サンキュー、ヒカリ」

大きな荷物は既に運び入れてもらっていたが、細々としたものはネルフの倉庫へ一旦保管。

そこから必要なものを取りにネルフへと出向いて、ついでにマンションの部屋の鍵も受け取ってきたアスカたちであった。

「うん、いい部屋じゃない。マンションを出てすぐコンビニもコインランドリーもあるし」

ヒカリがベランダの方を見ながら言う。

清潔そうな白い壁紙を夕日が橙色に染めていた。

荷物の山の隙間を縫って歩きながらアスカは携帯を取り出す。

「お礼に夕ご飯おごるわ。ピザでいい?」

「いいわよ、なんでも」

とりあえず奥の部屋に布団を敷けるスペースを確保し、リビングにテレビとテーブルを置く位置を定めたところでデリバリーピザが到着。

フローリングの床にクッションを置いて、さっそくアスカとヒカリは差し向かいでピザをつまむ。

唇が焼けそうなほど熱々のピザを頬張り、飲み物はダイエットコーク。

花の女子高生である二人にとって、おしゃべりの種は事欠かない。

「あー、食べた食べた♪ 考えてみれば久しぶりだわー、こんなジャンクな夕食は」

「普段は碇くんの家庭料理だもんねぇ」

「たまには悪くないわね、こーゆーのも」

「だからって毎日料理せずに買ってきたものばっかり食べちゃダメよ? 栄養が偏っちゃう」

「ひどいなー、ヒカリ。このあたしが自炊出来ないとでも?」

「出来るの?」

「…大丈夫よ、たぶん」

まだドイツにいて大学へ通っていたころ。

それなりに自炊はしていたという実績がアスカにはあった。

日本に来てからは全然お見限りで、正直に言えばフライパンや鍋の煮たり焼いたりといったのはともかく、ご飯を炊いたりするのはまるで自信がなかったりする。

「それとも、碇くんのところへ毎日食べにいくつもりかしら?」

ヒカリ自身、軽い揶揄をこめたつもりの発言だったが、思いもよらない効果を発揮した。

「でも、アイツ、食べに来てって誘ってもくれなかったし…」

なんと消沈するアスカがいる。

シンジの借りたマンションも、ここから徒歩で約20分ほどの距離がある。

何階の何号室まで把握している。

だからといって、誘われてもいないのにご飯をねだりに突撃するほど、アスカも厚顔ではなかった。

「だいたい、どの面下げてシンジんとこ行けばいいのよ…?」

そもそもの原因はこちらにあるし。

あたしのせいでアイツも一人暮らしをしてるみたいなもんだし。

仮に訪ねるにしても口実が存在しない。

勉強を教えてもらう? あたしの方が成績がいいのに?

勉強を教えてやる? 頼まれてもいないのに、きっとウザがられちゃう。

じゃあ、家事を教えてもらいに? ダメダメ、そんなのあたしが普段から全然出来ないって宣言しちゃうみたいなもんじゃない!

そんなアスカの様子を眺めながら、ヒカリの口元は微笑でほころんだ。

普段は当たり前のように一緒にいるくせに、いざ離れ離れになると一緒にいるための口実を探してしまう。

そのくせ、一部の他人には、分かり易すぎるくらい分かり易いのだ、彼女の本心は―――。

そんな親友の懊悩を、ただ笑って眺めているだけな洞木ヒカリではない。

「要はアスカは、碇くんの家に行くためのきちんとした理由が欲しいわけね?」

「はあっ!? そ、そんなの…! なんであたしがアイツの…!!」

「アスカ」

「…………そういうこと、かも」

神妙な表情になる親友に、少しだけ声を改めて、ヒカリはアドバイスを贈ることにした。

「アスカ、自炊が出来るっていったわよね?」

「一応…」

「だったら、アスカが作った料理を、碇くんに食べてもらえばいいんじゃない?」

「えっ!?」

一瞬あっけにとられたようなアスカだったが彼女の頭脳は勢いよく回転。

料理の入ったどんぶり片手に、シンジの部屋を訪ねる自分の姿をシミュレート。

『こんばんはー。あのさ、今晩夕飯たくさん作りすぎたから、ちょっと食べてみてくんない?』

『あ、アスカいらっしゃい。ちょうど僕もご飯出来たとこなんだよ。良かったらあがってく?』

…うん、行ける。

すっごくナチュラル。完璧だわ!

自分の思考実験にアスカは興奮する。

それにしてもはっきりいって盲点だった。

アスカの中では『料理=シンジに作ってもらうもの』という図式があまりにも明確すぎたための心理的落とし穴。

逆にこちらから料理を作って持っていくとは、まさにコペルニクス的転回発想だ。

「ありがとう、ヒカリ!」

感激のあまり親友の手を握ってしまうアスカであったが、事ここに及んでようやくヒカリの笑みがニヤニヤ笑いにシフトしそうになっているのに気付き、慌てて手を離す。

いかに親友といえど、ロコツに本心を晒したり言質を取られるのには抵抗があるらしい。

その様子がまた笑いを誘ったが、どうにかヒカリは表情を崩さず言った。

「頑張ってみなさい」

思いがけないほど真摯な表情でアスカはヒカリの顔を見つめて何か言いかけて――――顔を逸らしてしまう。

改めてヒカリを見やってからの、そっけないほどのアスカのセリフ。

「まあ、せっかくだから料理つくってみようかな」









「じゃあ明日、学校でね」

アスカの新居を辞したヒカリは、帰る道すがら、アスカったら全く素直じゃないんだから、と笑みをこぼさずにはいられない。

まるっきり恋する乙女よね。だいたい、気になる男の子のとこに夕飯の差し入れなんて少女マンガの王道だし。

ここまで明け透けだとかえって目の毒って感じかしら?

特に、眼を逸らしたときなんか。

さきほどの様子を思い出し、ヒカリは更に笑み崩れる。

アスカが、「うん、頑張ってみる!」と言いかけたのは明白だった。










後編に続く?

三只さんからのLady And Sky 2、Act8です。

なんといきなり急展開になってきましたね。
ネルフの資金難……はともかく、アスカとシンジが別居して元に戻る手立てもないとは……。

続きの気になるところです。ぜひ続きも読めるように三只さんへ感想メールで激励しましょう。