Lady And Sky


Act:1 彼女のアルバイト 前編

作者:三只さん

































「むう・・・・・・、マズイわよねぇ・・・・」

机の前で腕を組むことしばし。

惣流・アスカ・ラングレー嬢は渋面を上げる。

机の上で鈍い光を放つ硬貨は、全部で1、2、3枚。

銀、銅、銅。

ただいまの全財産、計120円なり。

まだ月初め。次回のお小遣いの支給日までは遥かに遠い。

ピンチである。

自慢の金髪を掻き乱しながら、アスカは机に突っ伏した。

指先で硬貨を立て、コロコロと転がしてみる。

くるくる。

ころん。

くるくる。

ころん。

・・・・・・やっぱりどうしたところで増えるわけはない。

ばんっ! と勢い良く机を叩くと、アスカは立ち上がる。

そして彼女は中空を睨むと、右拳を固く握った。

なんで、このあたしが小遣いに頭を悩ませなきゃならないの!?

セカンドチルドレンなのよ? 天才なのよ? 選ばれた人間なのよっ!?

・・・・・・エヴァンゲリオン搭乗者であり、世界を守った自分が、この程度の微細な問題で頭を悩ませる必要があるのか?

だとしたら、理不尽である。不平等である。不公平である。

正統な価値には正統な代価が支払われるべきだ。その極めて原初的な規則すら成立しないからこの日本という国は・・・。

そこでアスカのタンクトップから覗く白い肩はガクッと落ちた。

いくら自室で社会批判論を展開しても、事態は一向に好転しないことを承知しているからである。

「そもそも、ミサトがいつまでも保護者ヅラしてるのが問題なのよっ!」

乱暴に椅子に腰を降ろし、背もたれに背中を預ける。

いまだ色々と片付かない葛城ミサトのマンションに同居し始めて早三年。

それだけ一緒に暮らせば、彼女が保護者という立場に甘んじられる資質があるわけないということなど自明の理だ。

家事能力絶無。金銭感覚なし。色気はあれど慎みは足りない。

自分自身を遠い棚に放り投げてアスカは考える。

ったく、シンジが家事をしてなきゃ、このマンション全部が今ごろ夢の島ね。

そんなイカズ後家な保護者は、二人の被保護者の前で宣言したことがあった。








『アスカもシンちゃんも、お給料は貯金しといて、月々のお小遣いを出すことにするからね。成人するまで貯金貯金♪』

ビール片手に朗らかに言う保護者には、甚だ信用性がかけており、被保護者の片割れから猛反発を受ける。

『なによっ、それは!! あたしたちが受け取るべきお金よ? なんでミサトから制限うけなきゃならないワケ!?』

矛先は、傍らでノンビリとお茶なんぞ啜っている少年にも向けられた。

『あんたも、なーにのほほんとしてんのよ!?』

シンジはきょとんとした表情で答える。 

『いや、別に僕はミサトさんに管理してもらったほうがいいかなーって。特に欲しいものもないし・・・』

『あんたバカァッ!? ミサトなんかにお金あずけといたら、ぜーんぶ酒に消えるに決まってンじゃないのっ!! 』

『いや、いくらなんでもそこまでは・・・・』

シンジのツッコミを意に介さずアスカは続ける。

『じゃなきゃ、若いツバメに貢ぐのよ。

それでも足りなくなって借金にまで手ぇ出して、あたしたちに残されるのは貯金どころか借用書の山。

この不況のご時世、裸一貫であたしたちは社会の荒波に放り出されることになるんだわ・・・・。シクシクシク・・・・』

『・・・・・アスカ、あんたケンカ売ってる?』

青筋を浮かべ、未開封のビール缶を圧搾しつつミサト。









というわけで、不必要な怒りも加味された結果、提案は強行されて現在に至る。

「はあ〜・・・・・、一体通帳には幾らくらい0が並んでるかしらねぇ」

セチガライい溜め息きをつきつつ、アスカは形のいいアゴをテーブルに乗せた。

彼女の推察通り、適格者に支払われる俸給はかなりのものなのである。

チルドレンについてはいまだ研究が続けられていた。

エヴァが絡もうかどうしようが、それなりに貴重種ではあるらしい。

多少の誇張を加えれば、人類全体の財産と見なされている。

なんせ使徒の襲来が潰えた現在でさえ、定例実験、定期検診と時間を取られること夥しい。

ところが、今だにその代価となる報酬は、ダイレクトに本人へと渡されたことはない。

惣流・アスカ・ラングレー17歳。

花も恥らう乙女であり、まだまだ未成年である。

「う〜、しゃーない、貯金でも出すか・・・」

なんとも気だるげに、先ほどの回想とは矛盾することを口にしながら、アスカは立ち上がる。

ホットパンツから剥き出しの太腿を、惜しげもなく晒して向かったのはキッチンだ。

案の定、そこには、エプロン姿の同居人がクッキングブック片手に野菜を弄りまわしている。

同居人といってもミサトではない、念のため。

「シ〜ンジ!」

がばちょ、とばかりに背後から抱きついた。

珍妙な叫び声を上げ、少年の手からはトマトが零れ落ちる。

毎度の攻撃なのにちっとも耐性がつかないあたりは、彼らしいといえば彼らしい。

赤面を巡らせてくる万年家政夫に対して、アスカはとびっきりの笑顔を向けた。

「お金かして♪」

即座にシンジの顔が曇る。

「また?」

「またとはなによ、またとは」

「だって、もうこれで、15回目だよ?」

「いいじゃない。一時的に借りるだけなんだから」

「・・・・一回も返してもらってないんですけど」

スパコーン!

景気の良い音が少年の頭に炸裂する。スリッパ片手にアスカは肩を怒らせる。

「男だったらグダグタいわないっ! さあ、いいから貸しなさい!」

「そんな理不尽だよ・・・」

と、まあ、いつものシンジだったら直ぐに財布を開けるところなのだが、今回は毅然と胸を張る。

「でも、駄目なものは駄目」

珍しく、頑とし譲らない少年に見下ろされ、なにコイツいつのまにこんなに背ぇ高くなってるのよ? などと思考を脱線しかけるアスカ。

「いいからよこしなさいっての。今からバイトしにいくんだけど、交通費もなくてさぁ。・・・・・・・なによ、そのロコツに不審な顔は?」

シンジの形容不能な顔付きは、惣流・アスカ・ラングレーという少女の人柄を把握、いや、その片鱗さえ知っている人間なら、充分賛同できるものである。

無敵で素敵な傲慢レディ。

頭を下げることは何より嫌い。

人から寄せられる無償の好意はとことん貪り尽くす。

そのくせに、その容姿は花も恥らう豪奢さ。

まるで、険しい高山の頂きの、妖しい魔性の人食い花・・・・・・・・・。




どげし。




シンジの顔面がキッチンの床とディープキスを敢行した。

必殺のカカト落としを炸裂させた長い足を震わせてアスカは叫ぶ。

「そんな風にあたしのことを見てたのか、あんたはっ!」

「は、つい思ったことが口に・・・」

慌てて流れる血ごと口を押さえるがもう遅い。

アスカのしなやかな指が煌くと、その両人差し指はシンジの口の端にかけられている。

「あたしの悪口を言う口はこれかっ!」

「いひゃい、いひゃいよ、アシュカ・・・・!」

口の中も切れているものだから、痛いことこの上ない。

「でも、アスカに出来るアルバイトなんてあるの?」

ようやく戒めから解かれた後だというのに、またもや迂闊なことを言うシンジ。

報いはコブラツイストだ。

「あ・ん・た・という男は〜!」

「ギブ、ギブ・・・・・・・・!!」

ギリギリと締め上げるアスカの顔は侮辱のゆえか朱に染まる。

しかし、これも、彼女を良く知るものは一様にこう証言するであろう。自業自得と。

苦痛が、奇妙に倒錯した快感に転換される寸前という絶妙のタイミングで、アスカは責め苦からシンジを解放する。

「まったく・・・・」

腕組みをしつつ彼女の傲慢な態度はあくまで変わらない。

「・・・・いてててて」

シンジもどうにか体勢を整えると、アスカを上目使いで見上げる。

キッ! と睨まれて、慌てて目を伏せるのが情けない。

とりあえず背を向けてから、シンジは自らの財布を調べる。

「ん〜・・・、3千円くらいでいいかな? 」

決して金使いの荒くない彼であるが、それほど経済事情が良いわけでもなかった。

まず保護者がたびたび食費、生活費の供給を怠るため、自腹を切ることが多い。

更に、もう一つの理由がいつのまにか彼の目前に回りこんでいて、その右手から3千円を掠め取る。

「ああっ!? 」

驚いてると今度は左手から財布を奪われた。

「ちょ、ちょっ」

と待ってよ、とシンジは続けられなかった。

目前にアスカの白い指。跳ね上げられた中指がシンジの鼻を鋭く弾く。

「痛!!」

涙に滲む視界には自室に飛び込むアスカの姿。

慌てて後を負うが、すんでの差で扉は閉ざされていた。

扉にぶらさげられた木製のプレート。

“ ヴァカシンジは勝手に入ったら死刑よ!! ”

拙い字のそれは、数年前から変わらないままだ。

非常時だというのに思わずシンジは入るのを躊躇してしまう。

プレートの文字に恐れをなしたのはもちろんだが、アスカの自室は彼女だけの聖域である。

シンジの家事能力をもってしても、いまだ立ち入れない未知の領域だ。言い換えれば、さすがのアスカも自室の掃除は自分でする、という意味だが。

しばし扉の前で逡巡して、結局出てきたところを捕まえることにする。

まあ、ここで彼の臆病さを責めるのも酷というものだろう。

というわけで、待つこと20分。

アスカが出てくる気配はない。

「・・・・・・アスカ?」

さすがに不安になってシンジは扉を叩く。

返事はない。

「入るよ?」

問い掛けるが、また返事はない。

それからきっかり2分たってから、シンジは恐る恐る扉に手を掛けた。

「・・・入りま〜す・・・」

開いた扉の隙間から、鉄拳も罵声も飛んではこなかった。

かわりに甘い香りが彼の鼻腔をくすぐる。

女の子の香りだ・・・・などとドギマキするシンジであったが、室内を目にして青ざめる。

開け放たれた窓。風にそよぐカーテン。

アスカの姿は影も形もなかった。

窓に駆け寄り、顔を出す。

このマンションに住んで三年目にして、彼は同居人の少女の部屋が非常階段に隣接していることを知った。










「財布の中身はいくらかなっと♪」

駅へと向かうのタクシーの後部座席。

ジーンズに包まれた足を高々と組み、水玉のキャミソールから白い肩を覗かせつつ、嬉々としてシンジの財布の中身を物色するアスカの姿があった。

しかし、まもなくその愛らしい唇も不機嫌そうにとんがる。

「なによ、二千円しかはいってないじゃない!!」

それでも最初に手渡されたのは三千円だったけ。

まあ、手持ちより多く渡してくるってのは、なかなかシュショウな心がけではあるわね。

一人、彼女しか分からない理由でご満悦の笑みを浮かべ、アスカはタクシーを降りた。

駅前で幾人から声をかけられるも、軽くいなして電車に乗る。

二つ目の駅で降り更に5分ほど歩いて着いた場所は、彼女の親友が住むマンション。

505号室。洞木と記された部屋のチャイムを押した。

「アスカ!? おそいわよ、何やってたのよ〜? 」

中学時代からの無二の親友、洞木ヒカリが出てきた。

「えへへ、ごめんごめん。ちょっと出てくるのにてまどってさ〜」

拝むように手を合わせるアスカ。

「・・? まあいいわ。とにかくあがって」

「はいはい」

部屋の中に案内されつつ、アスカは尋ねる。

「で? 詳しくは聞いてなかったけど、なんのバイトなワケ? 」

「それわね・・・・」

微妙に語尾を濁すヒカリを不審がりながらも、アスカは素直にリビングに案内される。

何気なくリビングを見回し、絨毯の一角を視線が掠めた時、その蒼い瞳は大きく見開かれ、クォーターの少女は絶句した。

「まあ、くわしいことはメモにまとめておいたから。道具は適当に使っていいからね。あ、あとコレ、バイト代ね」

テキパキと矢継ぎ早に言い残して出て行こうとしたヒカリの肩を、アスカの手がガッチリと掴む。

「まてい」

「お願い!! アスカ、素直に引き受けてっっ!! バイトしたいって言ってたじゃない!! 」

振り向くなり哀願口調になる親友であったが、アスカはかまわず声を荒げる。

「たしかにバイトしたいっていったわよ!! だけどちょっとまってよ!! バイトが子守りなんて、聞いてないわよ!? 」

「だって、今言ったもの。聞いてないのはあたりまえ・・」

「そりゃそーね・・・・じゃなくて!! いくら何でも、これはないでしょお!? 」

アスカの、びしっい!! とばかりに指さす先には、推定年齢七ヶ月の赤ん坊が、小さなベビーベッドの中で寝息を立てていた。

「いいからお願い!! 従姉妹のおねえちゃんから頼まれはしたけど、あたしも今日はどうしても外せない用事があるの・・・・!!」

「んなこといったって・・・・」

渋るアスカ。

「こーゆーことは、親友にしか頼めないじゃない?」

「夕方まででいいのよ、ね? 赤ちゃんがずっと寝てれば何もしなくていいし」

「それでバイト代は五千円よ? いいなー、あたしだったら絶対引き受けちゃうけどなー」

なぜか必死の形相でヒカリはまくしたてる。

対してアスカは極めて冷淡に応じた。

「あっそ。じゃ、このバイト、ヒカリに譲るわ」

「そんなアスカ〜」

およよとばかりに泣き崩れる親友に、ブルーアイズがキラリと光る。

「それよ!!」

「は?」

「だからね、つまり、あんたがこのバイトをあたしに譲る理由よ!!」

「・・・・それは・・・アスカがバイトしたいっていってたからあ・・・」

ロコツに頬を赤らめ口篭もるヒカリに、アスカの金髪が近づいていく。

「ほらほら。他に誰がいるわけでもないし、ホントのこと、おねーさんに話してみ?」

「でも・・・」

などと胸の前で指をごにょごにょさせるヒカリであるが、全身からは『聞いて!!』オーラを放出している。

「え、とね。今日はね、久しぶりの鈴原とのデートでね、それも鈴原から誘ってくれてね・・・・」

「ふんふん」

というわけで、とうとうと語るヒカリの独白に耳を傾けたあと、アスカは頬を紅潮させたままの彼女の目前にスッと手を出した。

「はい♪」

「・・・なに?」

「バイト代の追加。いやー、そういう理由でなおかつ代打なら、五千円じゃ安いものねー」

「・・・・・冗談よね?」

「あ、そろそろ時間はダイジョーブ? さて、あたしも帰ってデートでもしようかしらん」

「あ、あ、あ、あ、アスカぁっ!! あんた鬼でしょおっ!?」

と、ヒカリは絶叫してみたものの、背に腹は変えられない。事実、約束の時間はせまりつつある。

「アスカ・・・・。あんた友達無くすわよ・・・・」

その前に、友達は選べ、洞木ヒカリよ。

呪詛の響きにも似た唸り声と共に、バイト代には3枚の夏目漱石翁が上乗せされた。むろんヒカリのポケットマネーである。

「毎度あり〜。ゆっくり楽しんできてね〜」

ちっとも嬉しくない声に送られてヒカリは自宅を出た。

待ち合わせ場所まで歩きつつ、アスカのことを思う。

彼女の能力的な面でのことは信頼しているが(不幸なことに人格的な面の評価を改めなければなるまい)、一抹の不安が拭い切れないのはいた仕方ない。

その昔、子供が嫌いだとかどうとか聞いたような気もするし。

「・・・まあ、いざとなったら碇くんに助けでも求めるでしょ」

そう一人ごちると共に、ヒカリはある事実に気づき愕然とする。




・・・・・・・・・・最初から碇くんに頼めばよかったんじゃない!!!!




















後編に続く

三只さんから高く飛ぶ車も愛らしい(微妙)アスカの素敵な小説をいただきました。

‥‥と、アスカがバイトなんてうまくいく筈ないと思うのは私だけでしょうか(笑)

気になる後編もいただいております!皆様首を長くしてお待ちください。