幾つかの偶然に、幾つもの符号。

ようやくすべて合点が行く。

飲み込む唾がひたすら苦い。

この温泉に無理矢理連れてきたのは自分なのだ。

根本的な原因はあるのだろうけど、皮肉が過ぎる。

冗談じゃないわよ、まったく…!!

足早に神社の階段を下り、アスカはただ旅館へむけて疾走した。





































Lady And Sky



Act:10 温泉へ行こう!! 後編

by三只






































息をせき切らして帰ったアスカは、まず女将に面会する。

事情を話すと同時に幾つかのお願いをした。

心良く引き受けてもらえたことに安堵し、そして時間まで他にすることがないことにも気づいて憮然とする。

お風呂に入り直し気持ちを落ち着けて、宿泊中である離れにとって返す。

シンジに変化がないことを確認し、作ってもらった夕食兼夜食でもあるオニギリの山にパク付いた。

タクアン漬けを囓り、自分で淹れた不味いお茶を飲みながら時計を見れば夜の7時半。

さあ、ここからが長丁場だ。

アスカは気を引き締める。

夕方の女将へのお願いは、完全な離れへの人払いだ。

明日の朝まで、何があろうと仲居一人近づけさせない事になっている。

もっとも室内電話で連絡すればすぐ来てくれるとは思うが。

今夜、片を付けてやる。

それがアスカの目論見である。

幽霊だろうがなんだろうが、人様に無用のちょっかいを出したら、注意されるのが世の倣わし。

冗談抜きでアスカは幽霊の首根っこをひっつかまえて、説教の一つでもしてやるつもりなのだ。

彼女の内心では、昨夜の光景と老婆の昔話のブレンドが、自身でも判然としない怒りでシェークされている。

その高温の煮えたぎったカクテルが、ガソリンよろしく心臓で燃焼し、脳内を炙ってやまない。

アスカもあえてその感情を抑制しようとせず、単純なハイの思考に身を任せている。

こうでもしないと、考えてしまいそうだ。

自分がシンジを失うかもしれないということを。

燃えたぎる怒りでマイナス思考を焼き尽くす。

いらただしげに腕を組み、頭をぐるりとまわした。

襟に入り込んだ髪を跳ね上げ、ムズカシイ顔つきでアスカはTVを点けた。

どちらにしろ来訪があるとすれば夜半過ぎだろう。

八畳間に陣取り、すぐ側にシンジは寝ている。監視態勢は万全だ。

となると、暇である。

日曜日の夜なので、見る番組に事欠かない。洋画劇場があったのは特にありがたい。

特に興味のないタイトルだったが、それなり面白く観賞する。

ところが、軽い武者震いをしながら待てたのもこの時間まで。

深夜のニュース番組も終わり、明日の天気予報が流れ始めたころ、アスカは大きく欠伸をした。

いやいや、これからよ、これから!!

自分でホッペタを叩いて叱咤激励するのだが、どうにもまぶたが重くなる。

今朝は早起きだったのだから尚更だ。

薄くて熱いお茶を啜り、気合いを入れ直す。

にしても、相変らずやることはないわけで。

というわけでぼーっとひたすらTVを眺めれば、気が付いたらやっているのはアメリカの通販番組だけだ。

そろそろよね…。

時計の針の短針が、三時を指そうとしている。

昨晩の時間帯だ。

この万全の態勢の中、化けて出られるものなら、出てきて見なさいよ!!

出てこなかったら、あんたの負けなんだから。

何事も勝負ごとに変換するのはいつもの彼女のペース。

まだ姿を見せぬ敵に毒づき、腕まくりをするアスカ。

そして更に30分経過。

昨夜、幽霊を目撃した時間は過ぎ、シンジにも全くといっていいほど変化はない。

意気込みだけが空回りしたアスカは、実は自分がとんでもない勘違いをしていた可能性に思い至る。

昨夜の幽霊は、シンジの顔を確認していた。そこで別人と気づいて、もう来ないんじゃ…。

だとすると、こんなことしてるのは全部無駄骨…?

血色のいいシンジの寝顔も合いまり、本当にそう思えてきた。

…そうよねー、幽霊に取り殺されるなんて、迷信よ、迷信!

とゆーか、そもそも幽霊なんていなかったのかも。

一度疑い始めれば、わさわさと疑問点が生じてくる。

考えてみれば、女将は幽霊だといっていたが、彼女も口伝で聞いただけで実際に見たわけではない。

唯一の生き証人である老婆にしても、実際問題として本人の話は信頼に値するのだろうか?

ひょっとしたら、からかわれたのかも知れない。

ひょっとしなくても、頭の方に思いっきり老人力がついていたのかも知れない――――。

ここまで平穏無事だと、さすがに彼女の鋼鉄の自信も揺らぐ。

……………。

ま、まあ、今日の迷惑は明日謝れば許してもらえるでしょ。

何事もないのが一番よ、そうよ!!

自己欺瞞で自己弁護完了。

あはははーと爽やかに笑いながら、アスカはトイレに行くことにする。

お茶を飲みまくったのでさすがに水っ腹だ。

さあ、もう寝ようっと。

用を足し、八畳間へ戻ろうとして、その足はピタリと止まる。

手をかけた襖の取っ手がやけに冷たい。

うなじが総毛立つ。

「…!!」

――――いる。

このむこうに来ている。

僅かな躊躇と恐怖。

振り払うように勢いよく襖を開け放ち、アスカは文字通り凍り付いた。

部屋中に満ちた冷気。

頭の奥をしんと軋ませるよう。

アイスブルーの瞳で、彼女は見た。

シンジの布団の前にしゃがみ込んだ若い女の姿。

淡い揺れるような白い顔が、シンジのそれに重ねられている。

愛おしそうに頬がすり合わせられる。

身じろぎ出来ず、アスカはその光景を見入っていた。

本当に身体が動かないのだ。これが金縛りというやつだろうか。

今まで体験したこともない感覚が、彼女の脳髄を鷲掴みにしている。

目前の者が彼岸の存在であることへの確信。

それに伴う、死を厭う本能的な恐怖が感覚の正体。

なんとしても忌避したい衝動に駆られる。

許されるなら逃げ出したいくらいだ。

でも…。

背骨の奥にぴんと張りつめた感覚がある。

目を見開く彼女の前で、今、仲居の幽霊は、シンジの唇に自分のそれを重ねている。

頭の深奥からなにかが沁みだしてきた。まるで、氷が溶けるように。

唇が離れた。

ちょっと顔を離した仲居は目を伏せる。

そして、あろうことか、シンジの浴衣の前をゆっくりと開き始めたではないか!

仲居の意思が明確な言葉になって伝わってくる。


「さあ…。シンジロウさま、契りを交わしましょう…」


次の瞬間、アスカは爆発した。

爆ぜた思考の濁流が背骨の線を通して全身へ波及し、呪縛を破壊する。

「シンジに触るなあっ!!」

可憐な唇から、猛々しいまでの威嚇が迸る。それは獣の咆吼にすら似ていた。

理不尽に対する憤りもあるだろう。

ただなすがままのシンジへの不甲斐なさもあるだろう。

だが、全身で吠えるアスカの脳裏を支配しているのは、純粋な怒りだけだった。

だから、叩きつけた言葉は、彼女の偽らざる本心。怒りの根元。

見ず知らずの女がシンジに触れるのが嫌だ。

自分以外が彼に触れるのが嫌だ。

アイツは…あたしだけを見ていなきゃならないの!!

猛り狂う思考が躊躇うことなく灼熱の言葉を弾き出す。

それは剥き出しの願望であり、彼女にとっての確定事項。

「シンジは、あたしのものよ!! そいつの髪の毛一本に至るまで、全部あたしのものなの!!

だから…触るなッッ!!」

そう、コイツはあたしの専有物。

誰が決めたって?

あたしが決めた!

自分で決めた!!

シンジはあたしに対して一生責任を負わなければならないのよっ!!

理由なんか、あんたに説明してやる義理なんてないからねっ!!

しかし、全く動じた様子もなく、幽霊は初めてアスカを振り仰いだ。

むしろ不敵な、いや、ひたむきとすら見える表情で、穏やかに反論してきた。


「この方はシンジロウさまです


「違うわっ、そいつの名前は碇シンジよっ! あんたの好きなシンジロウさんは死んだのよっ!!」

冷たい瞳が険しく歪む。ついに仲居の幽霊も叫ぶ。


「嘘ですっ!!


「嘘じゃないわよっ!! そしてあんたも死んでるのよ!! いま、西暦何年だと思ってんのよ!?」

交わされる言葉の応酬。

幽霊も何もない、女の舌戦だ。


「…今、シンジロウさまは療養先の箱根から帰って来てくれたのです。あなたの戯言など…」


青白い手がシンジの身体を抱き上げる。


「そもそもあなたは何者なのです? 邪魔をしないでください…!!」


もとから死んでいる幽霊に、必死な、という表現は果たして適切なのだろうか。

その疑問をさておくにしても、死人と思えないほどの情念が発せられている。

そして臆することなく、アスカはそれと受け止め対峙していた。

が、この質問ばかり即答できなかった。

…あたしとシンジの関係って?

一瞬、頭が漂白される。

恋人?

まさか友人?

違う違う違う!!

…適切な表現が見当たらない。だからといって、適当な関係なんかじゃ断じてない!!

自分が抱えているのは、たぶんに概念的なもの。ゆえに言葉にできないのだ。それでこの上なく満足しているのに。

急速に遡行しようとする意識を押しとどめる。

この少年を意識し始めた頃を検索しようとする感情を押しとどめる。

今はそんな時間はない!!

「…そいつと、初めてキスしたのはあたしよっ!!」

咄嗟にでた言葉は、占有権を主張するには弱すぎる。

それでも叫ばずにはいられない台詞。

対して幽霊は優しく微笑んだ。

逸したと気づいたときにはもう遅い。アスカはまたも全身が呪縛されたことに気づく。


「…私も先日から接吻は重ねております


もう、幽霊はアスカを見ようともしない。愛しい男の面影をシンジに――――違う、シンジを見ている。

優しくシンジの頬を撫でた幽霊は、その手をシンジの胸元へと忍ばせる。

アスカは何も出来ずただ歯を食いしばり、その腹だたしい光景を見ていた。


「さあ、呼んでくださいまし。シンジロウさま。愛しい私の名前を呼んでくださいまし…」


持ち上げられたシンジのまぶたがゆっくりと開く。

眩しそうに見上げた彼の唇がゆっくりと言葉を紡ごうとしていた。

アスカの背中をとてつもなく不吉な冷汗が滑り落ちた。

呼んではいけない。彼女の名前を呼んではいけない。

呼べば、間違いなく彼岸へと連れていかれる。

だから、呼んではいけない――――!!

自分でも判然としない悔し涙が滲んできて、視界を歪ませる。

アスカは必死で呼びかける。

なのにその叫びは空気を伝わらない。
















目を細め、柔らかい表情で、それこそ満ち足りた表情で、シンジはその名を呼んだ。

もっとも愛しい人の名前を。









































「――――――――アスカ…?」












































気が付いたときには、冷気は大分薄まっていた。

金縛りもとっくに解けたアスカは、気まずそうに黙って、いまにも消え入りそうな幽霊を見ていた。

先ほどの言葉に対する嬉しさはもちろんあった。

またぞろ安らかな眠りに落ちたシンジを、わざと複雑表情で睨み付けてみる。

普段のアスカなら、勝ち誇って嘲笑の一つもあげるところだが、今はさめざめと泣く幽霊に対する不憫さのほうが勝った。

幽霊も泣くのかどうか、正確なことは知らない。

だけど少なくとも目前の幽霊は泣いているように見えた。あまりにも悲壮で、純粋な涙。


「分かっていたのです。全て分かっていたのです…。

この方はシンジロウさまではないことも。あの方は既に亡くなっていることも…」



ポロポロと染みの残ることのない涙をこぼしながら、幽霊は嗚咽する。


「それでも、私は、あの方と添い遂げたかったのです…」


…冷静に聞いてみれば、確信犯的な上、理不尽な所行だ。

けれども、幽霊など、元々存在自体が理不尽なわけで。

今さら文句を言う気にもなれず、アスカは幽霊の独白に耳を傾け続ける。

その耳に、鳥の鳴き声が滑り込んできた。

反射的に障子の方を見れば、うっすらと明るくなってきている。

時間だ。

朝と夜が入れ替わる暁の時間。古えより彼は誰時(かはたれどき)という。

見る見る幽霊は輪郭を消失していく。

最後に彼女はアスカを振り仰ぎ、寂しげに微笑んだ。


「あなた方は、どうぞお幸せに…」


「待ちなさいよっ!!」

思わずアスカは叫んでいた。

今回の結末は、勝利といえば勝利。

だけど、この仲居の幽霊は、あまりにも不憫すぎた。

かけたのは武士の情けというより、同性としてのシンパシー。

辛うじて輪郭を留めている幽霊に語りかける。

「あたしたちは、今日、第三新…いえ、箱根に帰るわ。だから、一緒にあなたをシンジロウさんのとこまで連れていってあげる」

明らかに幽霊は驚いた表情をした。

…幽霊を驚かすなんて、前代未聞かも。

などと考えてしまったアスカの脳裏に、消え入りそうな声が忍び込む。


「…あなたは、本当は優しい人なのですね……」


あったりまえじゃない!!

そう返したつもりだが自信はない。

なぜなら、次に気づいた時、シンジに肩を揺すられていたからだ。

「アスカ…起きてよ、アスカ…。こんなとこで寝たら風邪ひくよ?」

薄目を開け、脳天気そうな表情のシンジを見上げる。どうやら自分は眠っていたらしい。

とたんにアスカは上半身を跳ね起こす。

おかげで、もう少しでシンジに頭突きをかますところだった。

危ないなぁ、などとぼやく少年の頬を右手で鷲掴みにし、無理矢理前を向かせる。

暖かい手触りに、見た限り顔色もすこぶる良い。

それでも一応尋ねてみる。

「あんた、どこも具合悪くないの!?」

「? 別にどこも?」

呑気な答え。

「…ったく、丸1日半眠っていたのに…」

アスカが安堵を隠して毒づくと、シンジは不思議そうに首をひねる。むしろ驚いているようだ。

「そうなの? 神社から帰ってきて眠ったのまでは覚えてるんだけど。僕、そんなに眠ってたの…?」

「…今朝、じゃなくて昨日の朝、お医者さんから診てもらったのも覚えてない?」

ぷるんぷるんと首を振るシンジ。

さすがにアスカも頭にくる。

このバカ、人がどれだけ心配して、苦労して、神経すり減らして、考えなくていいことまで考えさせられて、あまつさえとんでもない台詞をいわされたってーのに!!! 

怒鳴ろうとして、止めた。さすがにもう体力が残っていなかった。

予想以上に消耗してしまったらしい。

…今回は、本当にお約束が多いわ…。

幽霊に取り憑かれていたことを覚えていないなんてその最たるものだろう。

冷静に思い返せば、あれだけ盛大に切った啖呵も恥ずかしい。

あんなディープインパクト級の告白を、シンジが全然覚えていないなんて、それで良かったような残念なような。

…でも、ま、コイツの本心は分かったし。

重い頭に反して、胸の奥がフワフワと暖かくなる。

シンジに対する回答は、先ほど思いっきりぶちまけたばかり。

でも。

そう、もう少しこの関係でいいんじゃない?

表情に出さずクスリと笑い、アスカは時計を仰ぎ見る。六時ちょっと過ぎだ。

「チェックアウトは十時よね? 朝ご飯いらないから、三時間くらい眠らせて…」

シンジに有無をいわせぬままアスカはずりずりと隣室へ移動。敷きっぱなしの布団へと倒れ込む。

冷え切った枕に頬を埋め、そしてやっと左手の違和感に気づく。

握りっぱなしの左手を目前まで持ってきて、開いた。

そこにあったのは、古ぼけた、それでいてなお光沢を放つピンクの櫛。

…ちゃんと連れてって上げるわよ。

誰にいうでもなく呟き、アスカはまぶたを閉じた。

その寝顔は心なしか少し微笑んでいた。







































◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




三時間したら起こしてといわれたので三時間後に起こしたら、アスカに滅茶苦茶怒られた。

「お風呂に入る時間がもうないじゃないのっ!!」

不条理な罵声を背にシンジは黙々と荷造りを完了させる。

隣の部屋でアスカがなおドタバタと着替えをしているが、さすがに助けに入るわけにもいかない。

手持ち無沙汰になったのでTVを点け、その放映番組のラインナップに、シンジは今日が平日であることを確認する。

本当に、日曜日丸一日眠っていたのかな、僕?

アスカにもいわれたが、さっぱり実感がない。

眠っていたという充足感や寝疲れもなければ、夢を見たかも覚えていない。

まるで、日曜日そのものがすっぽりと抜け落ちてしまったような…。

もちろん眠る前のことは覚えている。しかし、強烈な既視感や体調の悪さも、全快してしまった今となっては非常に曖昧な記憶になっている。

つい先日の記憶がそんなに希薄になるのは不思議といえば不思議といえるかもしれないが、そんな中で確かな感覚もあった。

異様な空腹感。丸一日食べていないのなら納得できる。

八時頃に仲居が持ってきた朝食は、恥ずかしながらアスカのぶんまでご馳走になった。

仲居の「ああ、お元気になられたのですねぇ、良かった」という言葉には、曖昧に微笑んで内心で首をひねるしかなかったが。

「さあ、帰るわよ!」

不機嫌全開のアスカが隣の部屋から勢いよく襖を開けて飛び出して来る。

なんか温泉旅行を満喫した、と断言できない気分だが、とにかく帰らなければならないだろう。

ロビーでは、女将を始め仲居までもが見送りに待ちかまえていた。

「ちょっとここで待ってなさい」

言い置くと、アスカはずかずかと女将の前に進み出て会話を交わしている。

会話の内容は聞こえなかったが、アスカがなにか手を広げて握っていたものを見せた途端、女将が大仰に頭を下げていたのが印象に残った。

シンジが追加の宿泊料について思い至ったのは、間抜けなことに盛大に見送られて乗り込んだバスが発車した段になってからである。

「ど、どうしよう、アスカ。一日多く泊っちゃた代金…」

アスカはつまらなさそうに一瞥すると、そっけなく言う。

「それなら、心配いらないわよ」

「それってどういう…」

シンジの問いかけを無視するように、アスカは盛大に欠伸をした。

それ以上尋ねることも出来ずシンジは黙り込む。

アスカもアスカでうたた寝を開始していた。

結局、アスカのうたた寝は、電車に乗り換えても続いた。

むしろ、新幹線に乗ったとたん、本格的に熟睡し始めた。

どうしてアスカはこんなに疲れているんだろう…?

肩に彼女の頭の重みを感じながら、シンジは思う。

いくら考えても分からなかった。仕方なくシンジは車窓に視線を飛ばす。

妙に目が冴えていた。














結局、第三新東京市に着いたのは夕方だった。

日曜日ならいざ知らず、平日の夕方だ。駅前は学校帰りの学生でごった返している。

さすがに旅装のままで佇むのは恥ずかしい。

それでなくともアスカの容色は際だって目立つし、この街ではちょっとした有名人だったりするから尚更だ。

「アスカ、早く帰ろうよ…」

駅前の広場で不意に携帯電話を操り始めた少女に声をかける。

いったいどうしたんだろう、メールでも来たのかな?

新幹線に乗り込む前、彼女が携帯を操作していたのをシンジは目撃していた。

だけど、こんな公衆の面前で、メールチェックなどしなくてもいいだろうに。

「ねえ、アスカ…」

さすがに道行く学生とかの視線が痛い。

片手に余る荷物を抱えながら、シンジはアスカの袖を引っ張ろうとして――――。

「うん、こっちよ」

携帯の画面から顔を上げたアスカが急に歩き始めた。

結果としてシンジは引きずられることになる。

「ちょ、ちょっとどこ行くの!?」

どうにか体勢を立て直すシンジに、アスカは振り返ろうともしない。

ツカツカと、まるで何かに急かされるように、バスの発着所へと向かう。

乗り込んだバスが動いたのは、どう見てもマンションと正反対の方向。

ここにいたってようやくシンジは口を挟むのを止めた。

アスカが付き合わせようとしている以上、いくら逆らっても無駄なことを思い出したのだ。

姫君と従者を思わせる二人が降り立ったのは人通りの少ない停留所。

こんな場所になんの用があるのだろう…?

シンジは首をひねっていると、アスカはガードレールを乗り越えて、うっそうと茂る森の中へと足を踏み入れていた。

制止する暇もない。道なき道を驀進するアスカは、振り返ると躊躇してるシンジを怒鳴りつける。

「ほらっ、はやく来なさい!!」

慌ててシンジも後を追う。

この先に何があるのだろう。しかし、それほど長く考える必要もなかった。

間もなく目前に開けた光景に、シンジは感嘆の声を上げる。

「湖だ……!!」

すぐ前が砂浜でその先に広がる広大な湖。

没しようとする太陽が水面を橙色に染め上げ、単純に美しい。

「芦ノ湖…?」

周囲を観察しながらシンジは違和感に襲われる。

芦ノ湖にしては、展望台もなければ売店や自販機もない。

もっと考えてみれば、芦ノ湖に来るのに、あんな辺鄙な道とも呼べないところを来る必要があったのか?

「第二芦ノ湖よ」

訂正したアスカの声は、なぜか穏やかなものだった。

「ああ、そうか…」

数年前、使徒戦のさなかに作られた人工(?)湖。

シンジは夕陽に目を細めながら湖面を眺める。ちょっとだけ感慨深い。

「本当は、ここいらへんに墓地があったんだって…」

「…? そうなんだ」

振り仰げば、同じく眩しそうに目を細めるアスカがすぐ側まで来ていた。

「リツコに調べてもらったの。昔、箱根のサナトリウムで亡くなった人とか、多く葬られてたみたい」

「そうか、さっきのメール…」

後半の台詞の意味は分からなかったが、無難に話を合わせておくことにする。

まっすぐ湖を見つめたアスカは、左手に視線を落とす。

シンジも釣られて覗き込めば、それは桃色の櫛だった。

ずいぶん年代ものだ。アスカのものだろうか? どこで手にいれたのだろうか…?

「贈り物だったのよ、これは」

「は?」

間抜けな顔になってしまったシンジに気づいた様子はなく、アスカは独白めいた口調で続ける。

「そう。昔、恋人から贈られたの…」

「!?}

思わずシンジは櫛を凝視してしまう。滑らかな曲面に文字が刻んであった。

…………『アヤカ』って誰だ? 

「いっとくけど、あたしへの贈り物じゃないからね?」

こちらも見ずに、アスカの鋭い声。

「う、うん…」

訳も分らずなお見つめていると、その左手が大きく振りかぶられる。

あっと思ったときには、その手から櫛は姿を消していた。

代わりに、夕陽にキラキラと反射する小さな物体が、大きな放物線を描いて湖に着水する。

突然の行動にシンジが呆気にとられていると、アスカは湖に向かって更に叫ぶ。

「あとは自分で捜しなさいよー!!」

まったくどういう意味なのか。

目を白黒させるシンジに向かって振り向き、アスカは笑った。

「あたしたちはね、半世紀以上も前の恋に関わっている暇なんかないのよ!?」

意味を計りかねる言葉より、落日の残光をまとった彼女の笑顔はこれまでに見たこともないほど大人っぽくて、なぜかシンジはドギマギした。





























おしまい。





















































三只さんからシリーズ完結話をいただきました。

ええ、これで完結したそうです‥‥結局、アスカはシンジらぶといことは認めたのですが、二人の関係に進展は無かったようで‥‥。
いや、少しだけ、距離が縮まったような?シンジ君がアスカの新しい表情を見て惚れなおしてましたし(笑

長い間執筆ご苦労さまでした<三只さん

素晴らしいお話を書いてくださった三只さんへの感想をお願いします。