年齢の近しい兄弟、特に男女が混在した兄弟など、仲違いをする例がままある。

むろん、仲の良い兄弟も現存するだろうが、彼ら碇家の兄弟たちは特に仲の良い部類に属するだろう。

三人とも幼稚園から進学先は全部一緒。

お互いに大学生になってからは、よく三人で飲みにいく姿が見受けられた。

なぜにここまで仲が良いかといえば、やはり両親の影響が否定しきれないだろう。

強気で剛毅で意地っ張りででも寂しがりやで、おまけにすこぶるつきの美人の母親。

温和で、家事が上手で、容姿は十人前の童顔で母親の影に隠れがちだけど、とても優しい父親。

両親はとても仲が良い。

それこそケンカも数え切れないほどしているが、ケンカするほど、というヤツだ。

となれば、子供達は両親を習うのが世の常だろう。

三人の子供達は、両親に深い愛情と尊敬を持って育った。

若すぎる両親は、子育てに四苦八苦していたようだけど、結果として見事な社会規範の教育に成功している。多分に反面教師な部分があったにしても。

居酒屋の喧噪の中、談笑していた碇家三兄弟の長男が、ビールを呷る手を止める。

訝しがる弟妹たちに、唇の前に人差し指をあててみせ、彼が耳を澄ましたのは店内の有線放送。

決して高い音量ではないそれは、三人の耳に喧噪を圧して響く。

理解の表情を浮かべる弟妹たちに長男は破顔した。

「懐かしいな…」

ぽつりと漏らした台詞が、全員の心情を代弁する。

それは、もう10年以上前に流行った子供向け特撮番組の主題歌。


















きみの街が狙われてるぞ

家の中でも安心できない

だけど心配いらないさ

僕らに強い仲間がいる

変身プラグを空にむけ

Let'sエントリー!!

エレガンスのE!

エクセレントのE!

そしてなによりカッコEー!

やってくるぞ Eレンジャー!

みんなの平和を守るんだ

Eレンジャーがいるかぎり

僕らの夢は永遠だ…






































夫婦絶唱 回想編

あの頃、母はヒーローだった

by三只





























西暦2027年。

子供向け特撮番組、いわゆるヒーロー戦隊もので、最高視聴率23%を叩き出すことになる人気番組が、この年の4月からスタートした。

タイトルは『特務戦隊Eレンジャー』である。

従来の複雑化して幼児には理解困難な赴きさえあった特撮番組に新風を吹き込んだこの番組は、いうなれば原点回帰な作品だった。

勧善懲悪な、爽快感溢れるストーリーのみを追求。

単純すぎるほど単純な話は、まず幼児達に絶大な支持を持って受け入れられた。

ストーリー展開のみでなく、5人が通例だった戦隊メンバーを3人にしたことも分かり易くなった一因だろう。

もっともこれは以前からあった手法で、斬新なのは主人公役のレッドに女性を配し、男女比が1:2だったことである。





Eレッド   流サヤカ  勝ち気で強気の元気な女の子。

Eパープル  海野シン  内気で根性なしだけどやるときはやる男の子。

Eホワイト  月並リョウ クールで無口のミステリアスな女の子。 


                               (企画書キャラクター草案より抜粋)    





クライマックスで活躍する巨大ロボットに、合体変形ロボットを採用しなかったのも評判になった。

流線型デザインの限りなく人間のフォルムに近い主人公ロボは、従来のデコレーションロボでは出来なかった華麗なアクションを疲労し、熱狂的な歓迎を受けるに至る。

巨大ロボットを始め、メカや小道具など、実用的かつカッコイイデザインというコンセプトを両立させ、小学生をいうに及ばず、もっと年齢層の高いマニアの間でも評判を呼ぶ。

以上の結果、日曜日の早朝、子供たちは朝食そっちのけでTVに齧り付いた。

しかも翌月曜日からリピート放送するという人気ぶりである。

話し合いもせずに悪役を一方的に叩きのめしている、などと頭のお堅い方々からの的はずれな批判もあったが、それは瑕瑾にすらならなかった。

経済効果も凄まじく、番組スポンサーに名を連ねている第三新東京市に本社を置く『丸ドックソース』で有名な白ウナギ株式会社の株も、社名通り鰻登りだった。

ちなみに、その会社の経営母体が実はネルフであることを知る視聴者は殆どいない。

とにかく、その大多数の例に漏れず、碇家の子供達もこの特撮番組が大好きだった…。











「いや〜、ここまでウケるなんて、全然思ってもみなかったわ」

巨大なTVに齧り付く子供たちの背中を眺めながら、アスカは小声で呟くように夫シンジに語りかけた。

「本当にそうだね…」

しみじみとうなずくシンジの内心を正確に推し量れた人間は、おそらく皆無だろう。

彼がうなずいてしまうのも無理はない。

人気特撮番組『特務戦隊Eレンジャー』。

この番組の企画、シナリオを書いたのは、何を隠そう目前にいる金髪の妻なのだから。

もともと子供達の相手をして一緒に昔のヒーロー番組を見ている過程で思いついたらしい。

アスカは述懐する。

なんか、最近のは分かりづらいのよね。単純に戦うわけでもないし、変な人間ドラマまで展開されてるし。

カッコイイ俳優を使えばいいってもんでもないでしょ? 女親も視野に入れて作っているのがバレバレよ、いやらしいったら。

極端な意見である。それを自覚して、自分で企画を書いてしまうあたりが、彼女のすごい所だろう。

そして、その企画書をネルフへと持ち込んだのだ。

折しもネルフが規模縮小を促され困窮していた時期である。

組織を存続させるには、表だった会社でも建てて収益を確保するしかない。でなければリストラだ。

そんな所に転がり込んで来た企画は、天の配剤というより、自暴自棄の悪魔の書に等しかっただろう。

それでも、総司令の鶴の一声で一か八かの賭けに出た。

結果は記すまでもなく大当たりである。

多くのネルフ職員は喜んだが、たった一人の女性という個人に組織全体が頭が上がらなくなるという状況を想定し、暗鬱たる表情を浮かべた人間も極少数ながら存在したらしい。

最もその女性の方はというと、単純に自分の仕事に満足していたし、ネルフの役に立てたことも喜んでいた。

もともと子育ての合間の手慰みというか、その程度の認識でしかない。

しかしながら、原作者本人も、子供たちと一緒に熱狂していたのは事実。

一流どころのスタッフも確保できたワケではないし、俳優だって新人だ。

それでも原作は忠実に再現されていたし、特撮シーンやメカ造形などネルフの技術部が出向して行っている。

まあ、評判にはなるでしょ、と高を括っていたアスカであったが、そこで先ほどの発言である。

人気は誇張表現でなく大爆発。関連商品も売れに売れた。

あまり意識してないが、原作者へのマージンも相当なものだろう。

しかしなによりアスカ自身は、子供達が喜んでいる姿を見るのが一番嬉しい。

ただ、生来の性格のせいか、時々「この番組はお母さんが作ったのよ!」と子供たちにバラしたくてうずうずするのを堪えるのが苦痛だったけど…。

「ほら、もういいでしょ? 今日はおしまい!」

アスカが手を打ち鳴らす。

「え〜?」

未練タラタラの長男坊をTVから引き離しながら、アスカは呆れながら怒る。

「もう、一日何時間見れば気がすむのよ?」

彼女の言い分はもっともだ。現在は日曜の早朝ではない。

子供たちが見ていたのは、DVDレコーダーに収録されていた番組である。

「放っておくと、いつまでも見てるんだから…!」

リモコンを取り上げた母親に、ようやく子供達は諦めたらしい。

「よしっ、外でEレンジャーごっこしようぜ!!」

長男の号令一過、元気よく走り出そうとしたその小さな肩を、アスカは押しとどめる。

「ちょおおっと、まって。遊ぶ前に、お夕飯のお使いにいってきてちょうだい?」

不満そうな顔になる子供達に、そこでアスカは一言。

「家のお手伝いもきちんと出来ない子たちは、怪人が来てもEレンジャーは助けに来てくれないわよ?」

この一言の効果は絶大だった。

慌てて長男坊は買い物かごを受け取り、その背後に次男と末娘が整列する。

そのまま廊下を行進し、玄関先でそろって靴を履く。

まだ小さい妹が靴をうまく履けないのを兄たちが助ける光景は、微笑を誘わずにはいられない。。

「いってきま〜す!」

元気な声を上げ意気揚々と出かける後ろ姿が可愛らしくて、アスカも思わず声をかけてしまう。

「Eレンジャーソーセージも買ってきていいからね〜」

なんだかんだいっても、甘い母親だった。

その背後では、更に甘い父親のシンジが微笑んでいる。

夫を振り仰ぎ、アスカはイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「さて、夫婦水入らずでもする?」

日曜日の昼下がり。のんびりするには最高の時間帯だろう。

ところがシンジは柔らかく首を振った。

「いくらなんでも、あの子たちだけじゃ心配だよ…」

「分かってるわよ。いってみただけ」

唇を尖らせるアスカに苦笑を投げかけ、シンジは自らもスニーカーを履き、靴ひもを締める。

一般家庭の例に漏れず、碇家でもそろそろ子供達に買い物やら家事手伝いをさせるようになっていた。

しかしながら、長男はまだ小学校低学年であり、弟妹たちも幼稚園児である。

心配な親がこっそりその跡をつける、というのは、取り分け珍しいことではない。

「あたしはあんまり尾行とか得意じゃないのよねー…」

ぶつぶついいながら、自分も靴を履くアスカ。

実際、彼女の容色は目立ちすぎるから考えものだ。

それでも、野球帽に自慢の金髪を押し込め、サングラスをかける。

更に悪目立ちするようになった妻を引き連れ、シンジが家の門をくぐった時。

間の悪すぎる訪問者がいた。

「あ、碇くん。大根と大豆の煮物を作りすぎたから、お裾分け…」

「ちょーどいいところに来たわね、レイ! ちょっと付き合いなさい!」

たちまちアスカに腕を掴まれ、捕獲される旧姓綾波レイ。

「え? なに? どうしたの…?」

不思議そうな表情の渚夫人をズルズルと引きずる妻の後を、シンジは慌てて追った。



















三人の子供達は、つつがなく買い物を済ませつつあった。

八百屋さんで野菜を購入し、馴染みのお肉屋さんでは少しおまけまでして貰ったり。

もちろん、Eレンジャーソーセージを買うのも忘れない。

長男はリーダーシップをとって先頭を歩き、その後ろに買い物かごを抱えた次男。

大事そうにソーセージの袋を抱えた末娘を、先を歩く二人が時々振り返り気遣う姿が微笑ましい。

「…まあ、今回もそれほど心配する必要もないかな?」

「そうだね」

商店街の物陰から、こっそり様子を窺う碇夫妻。

もちろん、先ほど捕獲されたレイも一緒である。

「にしても、今日は特になんか視線が気になるわね…?」

顔を上げたアスカは、サングラスをかけたままぐるりと周囲を見回す。

途端に通行人の八割が、弾かれたように視線を逸らし足早に通り過ぎていく。

アスカは首を捻るが、これは無理もないことだ。

野球帽から見事な金髪をはみ出させたサングラスの女性が、建物の影に隠れてキョロキョロしているこの状況。

背後に付き従う男性は置いておくにしても、もう一人の青い髪の女性も印象的なことには変わりない。

おまけに彼女は鍋を抱えているものだから、奇異な視線を集めないほうがおかしいだろう。

「ああ、子供達にお買い物させてるの…」

そして強制連行されたレイ自身も、なんとものんきな感想をもらして納得しているのだから世話がない。
 
「そゆこと。アンタんちも、そろそろお使いぐらいさせた方がいいわよ?」

アスカは得意げに語り、レイの抱えている鍋から大根をつまんで口に運ぶ。

「…ちょっとしょっぱいわね」

「そう?」

「あっ、ほら買い物終わったみたいだ」

一人、真面目すぎるほどに子供達を見守っていたシンジの声に、女性陣も慌てて視線を戻す。

最後の電気屋さんで、ハロゲン電球と白熱電球をどうやら間違えることなく購入できたようだ。

隠れて胸をなで下ろす両親の目の前を、意気揚々と子供達が歩いて行く。

「もう大丈夫ね」

「みたいだね。じゃあ、急いで帰らないと」

見届けたら、子供たちより早く家に帰らなければならない。しかも、見咎められることなく。

親の努めも、どうしてなかなか大変なのである。

シンジとアスカお互いにうなずきあい、そろってきびすを返そうとしたときである。

抑揚に乏しい冷静な声が割り込んできた。

「…ちょっと、待って」

「? どうしたの、レイ?」

「子供達が帰り道から逸れていくの…」

「!?」











最初にそれを発見したのは、碇家長男坊だった。

商店街の間の細い路地。薄暗い道のその先の光景。

道にうずくまる男の子。顔を覆い、小刻みに身体が揺れている。泣いているらしい。

「…どうしたのー?」

そう声をかけたのは、長男ゆえの面倒見の良さからである。

ひっくひっくいいんながら男の子は顔を上げた。

涙でグシャグシャの顔で、鼻をすすりあげながら震える声を出す。

「ぼくがね、ひっく、ボールをね、ひっく、車にぶつけちゃったの…」

見回せば、なるほど近くにサッカーボールが落ちている。

妹がポケットから小さいハンカチを取り出し渡している傍らで、長男坊は更に訊ねた。

「車にぶつけて、どうして泣くの?」

「ひっく、それはね…」

派手な音が、会話を中断させた。

目を丸くする子供たちの前に、飛んできたのは中年男性だった。

「お父さん…!!」

男の子が立ち上がり、中年男性に駆け寄る。

見るからに貧弱そうで気弱そうな容貌。鼻血を流し、丸眼鏡の片方が割れていた。

「あ、ああ、大丈夫だよ…」

男性はそう答え、息子の頭を撫でようとしたが、背後に来た大柄な影に、無理矢理引き起こされた。

「おい、おっさん、この落とし前はどうつけてくれるんだ、ええ?」

アロハシャツを着た、見るからに柄の悪そうな男だ。

更に背後に付き従う影も、みな総じて柄が悪く、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。

いわゆる絵に描いたようなチンピラの面々だった。

「俺様の新車に、汚ねえボールの跡がついちまったじゃねぇか。それを謝っただけで済まそうってのか?」

「そ、そうだ。だいたい、子供が軽く蹴ったボールだぞ? 傷がついたわけでもないだろうに…!!」

この中年男性は、勇敢で誠実だった。しかし、それが通用しない人間のほうが世の中には多い。

むしろ、相手が悪過ぎたと評すべきだろうか。

顔面に岩のかたまりみたいな拳をくらい、中年男性は吹っ飛ぶ。

ゲラゲラ笑う手下たちの前で、アロハ男は軽く手を振り、獣じみた笑みを浮かべる。

「もうちっと、痛い目にあわなきゃわからんのかなあ? あんたの根性じゃなくて、誠意を見たいんだよ、俺らは」

さすがにこれだけ騒ぎが大きくなると、自然ギャラリーが集まってくる。

日曜日で家族連れの多い中、皆が関わり合いを避けようとしたのは、家族を巻き込まないため、仕方のないことだろう。

「おい、誰か警察を…」

と、声を上げるものもいたが、結局、連絡を取ろうとするものはいない。

誰もが誰かに期待する。結果として事態が硬直し、更に悪い局面を産む。

残念ながら、よく見られる光景だ。

「おい、見せ物じゃねえよ、あっちに行け!!」

チンピラどもがギャラリーを追い散らす。

「おっさん、ここじゃちーとアレだから、事務所へいくか、ん?」

アロハ男は、息も絶え絶えな中年男性の襟首を引っ張り上げた。

その時、ずいっとチンピラどものほうへと進み出た影がある。

「おい、おまえたち、悪者だな!?」

おそれ知らずの碇家長男坊だ。…訂正、彼がおそれるのは自らの母親だけである。

「あん? なんだ、このガキ?」

不愉快そうに投げつけてるチンピラの視線もものともせず、勇敢な長男坊は胸を張った。

「そんな風に悪いことをしてられるのも、今のウチだぞ? すぐにやってくるんだからな!」

自信満々の態度に、チンピラどもは面食らう。

直後、面食らった自身の態度に腹を立て、目前のクソ生意気に見える少年へと掴みかかる。

それをひょいとかわして、長男は力いっぱい叫んだ。

「助けて、Eレンジャ〜!!」

「助けてぇ〜!!」

「Eレンジャー〜!!」

弟妹たちも声をそろえる。

いや、唱和したのはこの三兄弟ばかりではなかった。

遠巻きにしていた家族連れのギャラリー。その子供たちも、目をキラキラさせながら、口々に叫んだのである。

「助けて〜!!」

「悪者がいるよ〜!!」

「来て〜!! Eレンジャ〜!!」

チンピラどもは、今度こそ完全に面食らった。

「なんだあ!?」

巻き起こるEレンジャーの大合唱コールに、少年を追いかけ回す手を止めて立ちつくす。

あまりの声の大きさに耳を押さえるチンピラの一人の首根っこを掴み、アロハ男は問いただした。

「おい、なんだ、ガキどもが喚いているEレンジャーってのは?」

「あ、はい、なんでもガキ向け番組のヒーローだとか…」

直後、アロハ男は哄笑した。

あまりの野太い声に、大合唱もピタリと止まる。

「まったく、このクソガキども。Eレンジャーなんて、ハナからいねえんだよ!! つくりもんだ、あれは」













一方、物陰から助けに飛び出すタイミングを計っていた碇夫妻は、完全に機会を逸してしまっていた。

「…どうしよう、アスカ?」

シンジの困惑した問いは、アスカにもよく理解できた。

ここから飛び出し、チンピラどもを叩きのめすのは簡単だ。

しかし、それは同時に、子供達の夢を粉砕してしまう結果をもたらす。

それでも、やはり助けに向かうべきか。

先ほど叩きのめされた男の子の父親だって気にかかる。

焦燥に駆られながら、アスカは周囲をしきりに見回した。

何か打開策はないか。やはり警察を呼ぶしかないのか…。

そんな中、それを発見したのは、偶然というより必然だったのかも知れない。

「シンジっ、レイっ、こっちよ!!」

言葉だけを残し、アスカは現場と反対方向へと駆け出す。

















「そんなのウソだいっ!! Eレンジャーはいるんだい!!」

抗弁する少年に追従するように、周囲の子供達からも声が上がる。

しかし、小鳥のような甲高い声をいくらぶつけても、アロハ男はびくともしなかった。

「はな垂れ小僧どもが!! あれはTVの中だけの話だ」

うそぶきながら何気ない動作で、男は先ほど痛めつけた中年男性の側までいく。

そして、倒れたまま呻くその身体を思い切り蹴りつけた。

「ほら、また一つ、俺は悪いことしたぜ? Eレンジャーとやらは、まだこないのか?」

あまりにも直接的な暴力の見せつけは、子供達に冷水をぶっかけたに等しかった。

一気に押し黙った空気の中、なお強気で抵抗するのは、碇家三兄弟のみである。

「い、いま来るんだい!! だから、逃げないでまってろ!!」

長男がそういってのけたのは、いっそ天晴れだろう。

その後ろで次男は妹をかばうように立ち、末娘は驚くほど大きく澄んだ黒い瞳で、悪党どもを見据えている。

「まーだわかんねぇのか、このクソガキは? だから、アレは作りもんだっていってるだろーが!!」

自信満々の態度に、周囲の子供達も訝しげに、まもなく不安そうな顔になった。

確かに、これだけ待ってもEレンジャーはやってこない。TVでは、子供の助けの声を聞けば、すぐにやってくるのに。

やがて子供の一人が泣き出した。

自分の信じてたものが裏切られたからか、現状に恐怖したのか、単に悲しくなったからか。

たちまちその空気は伝播し、歓声は一転、響いてくるのは嗚咽ばかり。

さすがにこうなってくると、碇家の兄弟たちもたじろぐ。

「…ウソだ、Eレンジャーはいるもん!!」

くじけそうになる心を必死で奮い立たせ、涙目になって唇も噛む。

それでも、碇家長男坊は踏ん張った。挙げ句、無謀にも敵の首魁へと躍りかかったのだ。

小さな影の懇親の力を込めた体当たりも、毛ほどの効果も見られない。

アロハ男の巨大な手が、地面に転がった少年の襟首をつまみ上げる。

「おら、どうした、ガキ? Eレンジャーとやらは、まだ来てくれないぞ? ん?」

顔を近づけ、厳つい歯をむき出し、威嚇してくる。

ついに、不敵で物怖じしないと言われた少年の瞳から、涙がこぼれ落ちそうになる。

悲しかった。

これだけ呼んでもEレンジャーが来てくれないことが。

悔しかった。

本当はEレンジャーはいないと信じそうになってしまう自分が。

あんなに大好きなのに。

助けに来てくれると信じていたのに…。

震えだした幼い肩を見て、アロハ男は更に下卑た笑い声を上げた。

「ようやく気づきやがった、このガキ。そうさ、TV番組なんざ全部作り物…」

絶望的な空気に子供達の鳴き声だけが流れる。

それを殴殺するように響く、現実という名の無惨な悪党の高笑い。

膨らんだ幼い夢が、希望が、無惨にも砕かれようとしたその時。



























「待ちなさいっ!!」




















沈痛に浸りきっていた子供達の視線が声の方向に注がれる。

その姿を何か理解したとき、幼い表情は爆発したように輝いた。

それは抽象的な表現でなく、直後に続いた巨大な歓声もその事実を裏付けている。

彼らは見た。

視線の先。

ビルの谷間に立つ、三つの見慣れた、見慣れ過ぎたシルエット。







来た!!

来てくれた!!

Eレンジャーが来てくれた!!








それは、BGMがないことのほうが不思議なくらい爽快な光景。









「愛と情熱の戦士、Eレッドぉぉっ!!」

「え、えーと、Eパープル…?」

「………Eホワイト」





「…ちょっと、アンタたち、ノリ悪いわよ!?」

「そ、そんなこと言われても、僕初めてだよ、こんなことするの…」

「…………」






Eレンジャーたちが小声で何か言い交わしていたのも、ホワイトがなぜか鍋を抱えていたのも、子供たちの気にはならなかった。

ただ、幼い魂たちは感動に打ち震えている。

彼らの耳にははっきりとBGMが鳴り響いている。






「…なんなんだ、いったい?」

アロハ男の呟きがチンピラ一同の心情を代弁していた。

束の間の茫然自失の時間が訪れ、その隙に長男坊は首魁の手から脱出に成功する。

「Eレンジャー〜!! 悪党たちをやっつけろ〜!!」

やんややんやと子供たちの喝采が上がった。

Eレッドもとい、アスカは、マスクの下で苦笑する。

簡単に言ってくれるわね…。

先ほど、デパートのヒーローショーの準備をしていた一団を見つけ、衣装を借り受けられたのは僥倖だった。

しかし、慣れない被り物を着てのアクションとなると、どれほど勝手が違うのか把握できない。

子供たちの夢を壊さないよう最善の方策をとったつもりだけど…。

「というわけで、シンジ、レイ、穏便に、穏便にね?」

アスカはポーズを決めたまま、小声で後ろで同じくポーズをとる二人に確認する。

「う、うん…」

Eパープルのシンジは否応もない。もともと争いごとは苦手なたちだ。

ただ、この状況下で、非暴力的な解決法など存在しないように思えたが。

Eホワイトことレイも黙ってうなずくだけ。

ところが、一番活動性のなさそうなこのEホワイトが、真っ先に戦闘の口火を切ることになる。

茫然自失を脱したチンピラの一人が、ポーズを決めたまま動かない三人に近づいてきた。

その中で、鍋を抱えたままというシュールな格好のホワイトは、比較的組みやすく思えたのだろう。

「なんだ、てめえらは!? ふざけてんじゃねえぞ!?」

乱暴に払った手は、レイの抱えていた鍋を地面にたたきつける結果となった。

当然、中身は全てぶちまけられる。

間髪おかず、チンピラの右頬が音高く鳴った。

「なんだ、てめえふざけ」

今度は左頬。

「こら、やめ」

また右。

そして左。

右、

左、

右、

左。

「ちょ、ちょっと、レイ、穏便にって…!!」

全然聞いちゃいない。

更に容赦ない数往復が喰らわせられ、顔面を丸々と腫らせたチンピラは地面に伸びる。

驚く悪党どもの前で、子供達の歓声が爆発した。

「ホワイトスラッシュだ!!」

きょとんとするEホワイトに向けて、歓声と拍手が送られる。

「…ったく、穏便にっていったのに!!」

悪態をつきつつ、アスカことEレッドも疾走を開始した。「雑魚は頼むわよ」との言葉を残して。

「ひーっさつ、E(エレガント)チョーップ!!」

先手必勝とばかりに、未だ状況を把握できず立ちつくすチンピラの顔面に、ジャンプチョップを喰らわせる。

わずか一撃で昏倒してのけたのは、不慣れなスーツを着てもなお突出した生来の運動神経の恩恵だろう。

更に子供たちの歓声が爆発したが、結果としてチンピラたちが正気を取り戻す引き金ともなった。

「ふざけた野郎どもだ、ぶっ殺せ!!」

アロハ男の号令のもと、チンピラどもが殺到してくる。

「E(エキサイティング)パーンチ!!」

「E(エクセレント)キーック!!」

「E・E(エンドレス・エレクトリック)アンマー!!!」

アスカの叫び声とともに、次々とチンピラが殲滅されてく。

雑魚は任せたとかいっておきながら、一人で突っ込んでいくのだからしようがない。

それでも、彼女の攻撃範囲を免れたチンピラの一人が、シンジへと詰め寄ってきた。

こちらに狙いを定めたのは、先ほどのホワイトの攻撃が強烈だったからかも知れない。

有無を言わさず殴りつけてくる拳を避け、シンジは転がる。

やはりこのスーツ、視界も確保しづらく、動きにくいことこの上ない。やっぱりアスカは大したものだと思う。

と、妻の活躍に感心している暇はなかった。

防戦一方のシンジをどう見たのか、チンピラは胸元からバタフライナイフを抜く。

「…ぶっ殺してやる!!」

両眼が血で泡だっている。

「え、えーと、刃物は危ないよ…?」

「やかましいっ!!」

もっともな意見は、刃物の一閃で報われた。

どうにか頭を低くしてその一撃を避けたと思ったら、すかさず前蹴りを食らう。

どよめくギャラリーをかき分けるようにして、シンジは店先まで吹っ飛んだ。

「いてててて…」

スーツが衝撃を吸収してくれたおかげかダメージ自体は少ない。

どうにか立ち上がろうとするシンジの狭い視界には、腰だめに刃物を構えて突っ込んでくるチンピラの姿が。

「おうじょうせいやあ〜!!」

アナクロな台詞はともかく、回避不能なスピード。

だから手に触れたもので身を守ったのは咄嗟の防衛本能。

それがフライパンだったのは単なる偶然だ。

音高く、ナイフの刃先が折れた。

鳩が豆鉄砲喰らったような表情になるチンピラに、シンジは返す手でフライパンの一撃を食らわせる。

普段から使いなれているものだから、非常に勝手が良かった。

チンピラが動かなくなったのを確認し、ようやくシンジは立ち上がる。

まったく、つっこんだ先が金物屋さんで本当によかった…。

しみじみそんなことを考えていると、周囲の拍手に包まれた。

「すげー!! パープルかっこいい!!」

「マゴロク・E・ソードだよ、アレ!!」

…このフライパンがソードねえ…?

とりあえず困惑顔はマスクの下に隠し、ポーズなんか決めてみせるシンジ。

更なる盛大な拍手は、ちょっとした快感だ。これはこれでクセになりそう。

だからといって、そのまま余韻に浸っている時間はなかった。

わずか10メートルほど先で、珍しいことにEレッドが苦戦していた。












アスカは肩で呼吸をしていた。

慣れないスーツを着てのアクションは、急激に体力を消耗させてくれた。

熱い、苦しい、マスクを外したい。

でも、すぐ後ろで見守っている子供達がいる…!!

アスカは気力を奮い立たせ、アロハ男に再度攻撃を放った。

チョップ、パンチ、キックのコンビネーションを綺麗に決めたのに、男は微動だにしない。

あまつさえ、強烈な蹴りで反撃してきたのをトンボを切ってかわすので精一杯。

疲労もあるが、根本的なウェイトの差がある。

そりゃあ、戦隊もので主人公のピンチはお約束だけどねえ…。

マスクの下で滝のような汗を流しながら、アスカは眉をしかめる。

このまま体力勝負を続けては、いずれジリ貧だ。

子供達のハラハラしている様子を肌で感じる。

「負けるな〜!! Eレッドぉお〜!!」

泣きそうな声が、悲鳴じみた応援が背中を押す。

この純真な期待を裏切るわけにはいかない。

絶対に負けられない。

…ならば、渾身の一撃に賭ける!!

アスカは全力で跳躍した。

日曜の昼の太陽を背にした、必殺の一撃。

「スーパー・E(エクセレント)・キーックっっ!!」

空中からかなりえげつない角度で迫るその蹴りを、なんとアロハ男は胸板で受け止めた。

しかもすかさず足首を掴み、Eレッドを地面に叩きつけた。

「きゃっ!?」

子供達の悲鳴も上がる中、捕まったアスカは背後から押さえつけられる形になってしまう。

「ったく、どこの誰だかしらねえが、手間取らせやがって。そのツラ、拝んでやる…!!」

男の大きな手がマスクにかけられた。

逃れようともがくも、ガッチリ押さえ込まれてそれもままならない。

アスカの背筋を恐怖が滑り落ちる。

負けるのはもちろん嫌だけど、マスクをはぎ取られるのは何より回避したかった。

だって、TVの俳優と違う姿がマスクの下から現れたら?

子供達はどう思うだろう。

夢を壊したくなかった。

正義が存在することを教えたかった。

だから、ヒーローを負けちゃいけない。

負けちゃいられないのに…!!

固く噛んだ唇までマスクを捲り上げられる。中にまとめていた金髪まで滑り落ちてきた。

あと一息で全てが露出する。アスカが覚悟を決めたその時。

子供達の声に鳴らない悲鳴の波をかき分け、跳躍する姿が。

「マゴロク・E・ソードォォォ!!」

シンジもといEパープルの声が響き渡り、フライパンの一撃がアロハ男の肩を直撃する。

さすがに腕が弛み、アスカは辛くも脱出に成功した。

「おそいわよ、何やってんのよ!?」

マスクをなおしながら、小声で、それでも鋭く罵る。

「ご、ごめん…」

罰の悪そうにフライパンを握りしめるシンジの目前で、肩を押さえたアロハ男は憤怒の表情を浮かべた。

「てめえら…!! なめくさりやがって…!!」

素のシンジだったら思わずたじろんでしまうような形相だったが、今の彼は違う。

今の自分はEパープル。正義の味方、ヒーローなのだ。

背後から溢れてくる声援も、更に意識を燃え立たせずにはいない。

「いくわよ、シン…じゃなかった、パープル!!」

「うん!!」

そうして、二人はまるで示し合わせたように疾走した。

アロハ男の大振りの右フックを、二人ともしゃがんでかわす。

よろけたところをすかさずアッパーで反撃し、のけぞった男に、今度は回し蹴り気味のかかと落としを炸裂させた。

息のピッタリあった一撃は、威力を単純に倍加させる。

「ぐはっ!?」

さすがに膝を折る男に対し、レッドとパープルは全く同時に、高く高く跳躍した。

それは、一種の美しささえ漂う光景。

空中で、一瞬二人の身体が制止する。

碇家三兄弟は叫んだ。

周囲の子供たちも叫んだ。

「いけ〜〜!!」

希望の声援を一身に受け、シンジとアスカは急降下しつつ全く異口同音に叫ぶ!

「スーパー・E(エクセレント)・W・キィィィィィィッック!!」

完璧にユニゾンした一撃は、アロハ男の胸板に命中。

その威力たるや、巨体は数メートル吹っ飛び、自転車屋のシャッターへ激突してようやく止まった。

着地したEレッドとパープルに静まりかえる商店街。

ゆっくり二人が立ち上がると、まるで豪雷のような拍手が鳴り響いた。

子供が叫ぶ。歓喜の声を上げている。

見回せば、家族連れの両親までもが惜しみない拍手を送っていた。

荒い呼吸をマスクの下に押し込めアスカが手を挙げると、更に音量があがる。

シンジの方はもはやポーズを決めてみせる余裕もない。思わずその場にへたり込んでしまう。

そこでようやくホワイトが合流してきた。

「アンタ、どこいってたのよ?」

荒い呼吸も整わないままに、アスカは訊ねる。

「…男の子のお父さん、応急手当しておいたわ」

「…あ」

まさか失念してしまっていたとは言えないアスカは言葉に詰まる。

「それと、後始末…」

遠くから救急車のサイレンの音が響いてきた。つまりはそういうことだろう。

Eレッドの扮装のまま、アスカはチラリと背後の息子たちを一瞥する。

最後まで、正義を信じ、ヒーローの存在を信じ切った、誇るべき子供たち。

なにか喋ってあげたかった。

勇気を褒め称えてあげたかった。

でも、それはできない。

今のあたしはEレンジャーのEレッド。

この子達にとっての希望であると同時に、TVを見ている子供たち全員の希望でもある。

特定の子だけを依怙贔屓するわけにはいかないのだ。

「アスカ、もう行かなきゃ…」

シンジの心情もアスカと同調していたけど、やむを得ないので小声で促す。

この格好のまま、その、色々と巻き込まれるのは避けたい。

うなずき、アスカは拳を高々と上げ、叫ぶ。

「Eレンジャーは、いつでも良い子の味方よ!!」

惜しみない拍手の嵐。

純粋な“想い”だけで醸成されたそれは、なにも増して心に染みた。

もっと浸っていたかったけど、鍋を抱えたホワイトを先頭にEレンジャーの面々は死闘の場を後にする。

しんがりのレッドの背中に、碇家三兄弟は感謝の言葉をぶつけた。

「ありがとう、Eレンジャー〜!!」

レッドは、軽く手を挙げて見せてくれたように思う。

勇ましい後ろ姿。赤いスーツの首筋からはみ出した金色が印象に残った。



















果たして、興奮全開の様相で碇家の幼い兄弟たちは買い物より帰還した。

玄関で行儀悪く靴を脱ぎ散らかし、全力疾走でリビングへと走り込んで来る。

「ねえ、聞いて聞いて、おとーさん、おかーさん!! 今日、Eレンジャーがね…!!」

興奮に顔を真っ赤にしている子供達を、シンジはリビングの入り口で出迎えた。

「そう、それは凄かったね。でも、ちょっと静かにしてくれないかな?」

そういって人差し指を唇の前に当てると、子供達は不思議そうな顔になる。

ちょっとだけ身体をずらし、シンジはリビングの奥を見せた。

子供たちは納得すると同時に口をつぐむ。

「さあ、あっちのお部屋でお話しようか…?」

後ろ手にリビングのドアを閉じ、シンジは子供達を促す。

「う、うん、そうだ、おとーさん!! 今日、ぼくたちはね…!!」

興奮した声が徐々に遠ざかっていく。

その声が完全に聞こえなくなっても、リビングの一角のお座敷スペースで、若く綺麗な母親は熟睡していた…。






















◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「本当に、懐かしいな…」

碇家の長男は差し向かいの弟と妹の顔を見回す。

その表情から察するに、全く同じことを回想したのだろう。

正義の味方は確かに存在し、世界は優しさに満ちていた幼いあの頃。

もちろん、子供の頃の幻想はいずれは破られるものだ。

やがて現実と摺り合わされ、荒唐無稽で途方もない夢は色あせる。

そしていつしか昔みた夢を忘れていく。

だけど、子供たちは忘れない。

あの時の思い出だけは。



母は気づいていただろうか?

子供たちがあの時のEレンジャーの正体を看破していたことを。

母は知っていただろうか?

子供たちが、それをどれほど誇りに思い、感動していたのかを。

夜は興奮して、布団の中でいつまでも眠れなかった。

友達に吹聴して歩きたかった。

学校で大声で叫びたかった。

僕のおかーさんは、正義の味方Eレンジャーなんだぞ、と。



その大人気番組も最終回を迎えてからしばらく経ち、ようやく子供たちも気づく。

あの時の母親は、着ぐるみか何かを着て、自分たちを助けに来てくれたとことを。

だからといって、思い出が色あせたわけではない。

今なお眩しいくらいの輝きを放っている。

そう。

子供の時みたあの光景。

あの時、母は、まさしく本物のヒーローだったのだ。











だから、碇家の子供たちは、懐かしい歌を耳にする度、何よりも勇ましい母の姿をはっきりと思い出す。


















三只さんから夫婦絶唱回想編を頂きました〜。

アスカは確かに、ヒロインというよりヒーローですね(笑
子どもたちも大喜びのヒーローですとも。

素晴らしいお話を書いてくださった三只さんへ、読み終えた後に感想メールをお願いします。