西暦2040年12月24日 14時38分 碇家本邸 キッチン 



碇シンジは鍋を火にかける。

ついでフライパンの出来あがったばかりのソースを一舐め。

「ちょっと甘いかな・・・・・」

などとごちた後、オーブンのスイッチを入れる。

彼は、今夜のパーティの準備に忙しかった。

やけに広く、そこらへんのレストラン顔負けの設備を誇るキッチンを、所狭しと動きまわっている。

ちなみに、妻と娘はリビングの飾り付けに忙しい。

時々不協和音が聞こえてくるが、仕方のないことなのだろう、たぶん。

シンジは大皿を取り出すと、冷ましたスポンジケーキを移し変えた。

続いて卵白を泡立て、生クリームを作成する。

真中を水平に切ったスポンジに、イチゴと生クリームを塗り終え、いざデコレーションをと思ったとき、

ひょっこり妻が顔を出す。

「あっ、あたしにやらせて!! 」

旦那の手から強引に生クリームを引っ手繰ると、アスカはケーキの表面にデカデカと文字を描いた。

シンジが制止する暇もない。

彼女が、スポンジの表面に描かれたシンジ・アスカの相合傘に満足気な笑みを浮かべていると、今度は娘がやってくる。

「あ〜!! ママったら、ずーるーいー!!」

碇家長女であるミコト嬢は、母の手から生クリームを掠め取って、相合傘の母親の名前を消して、自分の名前を書く。

「なんてことするのよっ、この子わっ!!」

途端に展開される熾烈な生クリーム争奪戦。

デコレーションもへったくれもあったもんじゃない。

「あの〜、これもちゃんと食べるんだよ?」

シンジの声も二人の耳には入らなかった。

生クリームと唾を飛ばす妻と娘を眺めやって、シンジはため息混じりの苦笑を一つ。

そして彼は、あらかじめ用意しておいた予備のスポンジケーキを取り出すと、

キッチンの隅でこっそりとクリスマスケーキ作成にいそしむのだった。





















夫婦絶唱シリーズ

 
みんなでクリスマス
   

三只さん






















同年12月24日 19時09分 某高級ホテル最上階レストラン





「乾杯」

シャンペンの入った二つのグラスが宙に弾ける。

碇アスマは一息でグラスを煽った。

結構な高級品だろう。悪くない。

彼の目前には、黒いドレスを着た妙齢の美女がいる。

黝い髪に好奇心の強そうな猫みたいな目。

加持サトミ、21歳。

自他ともに認める、碇アスマ氏の恋人である。

今日の彼女のドレス姿は、アスマにとって中々に新鮮だった。

普段の化粧気のない彼女が、控えめだが軽く化粧を施しただけで、ガラリと雰囲気を変えていた。

淡いルージュが引かれた唇に、結構ドキリとさせられる。

しかし、その端整な唇から飛び出す言葉がいけない。

「・・・・・・大丈夫なの? 結構高そうよ、ここ・・・・」

「おまえなー・・・・・もう少し雰囲気的な台詞は出てこないもんなの?」

ここいら辺のガサツさが、彼女の母親譲りなところだろう。

「だってさー」

サトミはシャンパングラス片手にムクレて見せる。

彼女は恋人の経済状況の悪さは熟知している。

彼女なりに気を使ってくれてるのだろう。

しかし。

今日くらい、見栄張らせてくれないもんかなぁ・・・・

アスマは内心でごちた。

1年に一度のクリスマス・イブである。

付和雷同を良しとしないアスマであったが、こういうイベントに逆らっても大して面白くないことも知っていた。

せめて、恋人同志、それなりに盛りあがりたくもあるし、楽しみたくもある。

それに、今日の招待は、彼なりの2年間も彼女をほっぽらかしておいたことに対する贖罪の意味もあった。

(アスマは高校卒業と同時に、昨年まで海外を旅行していたのだ)

だから、サトミには単純に楽しんでもらいたかったのである。

まあ、彼女に余計な心配をさせるあたりは、自分の不徳のせいかもしれないが・・・・・。

アスマは恋人を安心させるために、簡単に背景を説明することにした。

「クラブの先輩から、ここのディナー招待券を譲ってもらったんだよ。だから、料金のことは全然心配しなくてもいーの!!」

「なーんだ、そうならそうと言ってくれればいいのにぃ♪」

途端に破願するサトミ。

現金なやつ、と頭を掻きつつ、

アスマは、その先輩が、当初自分自身と彼の為にディナー招待券を所持していたことは伏せることにした。

ついでに、その先輩が‘男性’であることも。

「そうと解ったら、食べるわよー!!」

嬉々として前菜に取り組むサトミを見やって、アスマは苦笑して溜め息をつく。

色気より食い気かよ・・・なんて思いながら。

















同年12月24日 19時37分 箱根某所 渚邸リビング





「あの・・・・・・・・ミレイ?」

碇リュウジは視線だけを右斜め上にズラした。

「はい?」

青い髪の少女はニッコリと微笑み返して来る。

「えーと、そろそろお腹空いたナー、なんて・・・・」

途端に彼女の表情が曇った。

「リュウジさんは、私の膝枕に飽きたのですか?」

やや赤みを帯びた瞳が潤む。

「い、いや、そんなことないけど・・・」

慌てて否定するリュウジ。

「よかった」

柔らかい太腿へと更に頭を押し付けられる。

「今日は、父さまも母さまもいませんから、ゆっくりと・・・・・」

微笑みつつ、飽きもせず自分の髪を撫でつづける恋人に対し、リュウジは観念することにした。

視線の先にあるキッチンのローストチキンがこれほど恨めしく見えたことはない。
















19時43分 碇邸リビング



「ねぇ、始めちゃいましょうよ、シンジ」

「パパ、お腹すいたよぉ〜」

とてつもなく美味しそうな料理の山を目前にした妻と娘の合唱攻撃に晒されながらも、

シンジは気丈にも決断を譲らなかった。

「ダメ!!」

彼の勇気に、妻と娘の表情が同時に歪む。

「ああっ、シンジったら、あたしが飢え死にしてもいいのね・・・・」

「ううっ、パパったら、あたしがこれ以上おっきくならなくてもいーのね・・・」

そのままガバッと抱き合って、さめざめと涙を流すアスカとミコト。

「・・・・・・・・・・・・」

二人のお願いオーラに圧倒されつつも、シンジはごく当たり前の真実に行きついていた。

この二人は、やっぱり親子なんだなぁ、と。

「えーと、ミサトさんたちも、もうすぐ来るし・・・・」

シクシクシク・・・・・

「それに、カヲルくんたちだって、きっと今すぐにでも・・・」

さめざめさめざめ・・・・・・

「・・・・・・・・・・・・・・」

シンジは妥協することにした。ここいらの甘さが彼の彼たる所以だろう。

「じゃ・・・シャンペンを開けるだけだよ?」

その言葉に、瞬時に満面の笑みを湛え、拍手を送る似たもの親娘。

泣いたカラスでさえ、こう素早く切替はきかないだろう。

笑みを引きつらせつつ、シンジがシャンペンの封に手をかけた時。

玄関のチャイムが軽やかに来訪者を告げた。

胸を撫で下ろしたシンジは、早速お迎えへと向かう。

「はーい、シンちゃん、ご相伴に来たわよーん」

昔のままの口調のミサトに、シンジは苦笑しつつも懐かしさがこみ上げるのを感じた。

「毎年毎年、悪いね」

コートを脱ぎながら、加持リョウジも顔を出す。

「さあ、どうぞどうぞ」

シンジは、加持夫妻をリビングへと案内する。

彼自身もコートを預かりリビングへと戻った途端、再びチャイムが鳴った。

急いで応対に出ると、またしても見知った顔が陽気な口調で挨拶してくる。

「メリー・クリスマスだね、シンジくん♪」

バレンチノのコートに首にはマフラー、頭にはカラフルな三角帽子という格好の青年(?) が、玄関先で軽くステップを踏む。

渚カヲル。

年齢はシンジと同じのはずだが、まるで10代のように陽気で明るい。

外見も、見ようによっては10代に見えたり40代に見えたりするという不思議な風貌を身につけていた。

「こんばんは・・・・・・」

陽気な旦那の背後から静かな挨拶をしたのは、赤いコートを着た渚夫人、レイ。

彼女も、シンジの妻よろしく時の神様から著しく寵愛(もしくは敬遠)されているらしく、その風貌は、10代の頃と殆ど変わらない。

それでも、昔よりやや伸ばした髪のためか、年齢相応の雰囲気を醸し出している。

「ああ、二人とも寒かったでしょ? さあ、入って入って」

シンジが促すと、カヲルは喜色満面の笑みを湛える。

「いやー、12月の楽しみは、シンジくんの家でのパーティに限るねぇ〜」

毎年恒例のリップサービスに微笑で答えるシンジ。

ちなみに、お世辞を言った旦那の妻はというと、明らかにやれやれといった顔をしていた。

もっとも、一般人にはさっぱりわからないほどしか彼女の表情に変化はないけれど。

「ねぇ、シンちゃん。これで招待客は全員よね? なんか料理の数、多くない?」

リビングへ戻ったシンジらを迎えたのは、ミサトの発した質問だった。

「それは、なんとなく、ですよ、ミサトさん」

それがシンジの答えだった。

「ふ〜ん、なんとなく、ねぇ・・・・?」

質問はそれ以上誰も追及せず、ミサトが納得したようなしないような声を上げただけに留まる。

「さあ、揃ったんなら始めましょうよ!!」

アスカが急かす。彼女にしてみれば、料理の数など些末な問題である。

余っているなら食べればいい、と考えているのは明白だ。

彼女の提案に誰も異存があるわけはない。

全員にグラスとクラッカーが行き渡ると、途端に景気のいい音が連続した。

「メリー・クリスマス!!」

みんなの声が唱和し、パーティは始まった。



















20時05分 某高級ホテル最上階レストラン




「どうしたの? さっきから、あんまり食べてないみたいだけど・・・?」

「・・・おまえだって、殆どの料理半分残してるじゃないか」

サトミとアスマはフォークとナイフの手を止めた。

フルコースディナーはつつがなく進行し、メイン料理、チキンの香草焼きが目前で美味しそうな匂いを立てている。

しかし、二人とも、一口二口食べただけで、それ以上手をつけようとはしない。

味は、三ツ星といわれるだけあって、とても美味しい。

ワインもいい年代ものだし、ソムリエのサービスも悪くない。(サトミでなくアスマの方に熱心に視線を注いでくるソムリエだったが)

だけど、何か満たされない。

そして、不覚にも、アスマにはその原因が痛いくらいわかっていた。

でも、それを実行するのは、目前の恋人に対して、とても非礼なことではないか?

逡巡するアスマの手に、そっとサトミの手が添えられた。

二人の視線がつと合う。

「・・・・・あんたの好きにしていいよ。多分、あたしも同じこと考えているから」

サトミは悪戯っぽく笑う。

アスマは破顔した。

やっぱり、おまえは最高だよ。

胸中の呟きとは裏腹に、彼はニヤリとした笑みを浮かべ、恋人へと問い掛けた。

「行くか?」

「うん!!」

数秒後、ソムリエが呼びとめるのも無視してレストランを後にする一組のカップルの姿があった。



















20時18分 箱根某所 渚邸キッチン




「ああ、なんて私は不器用な女なのでしょう・・・?」

キッチンの電子レンジの前で、渚ミレイはさめざめと泣き崩れる。

「うーん、これは、ねぇ・・・・」

ようやく恋人の膝枕から開放された頭をリュウジは抱え込んだ。

「多分君の操作の問題でなく、不良品なんだよ、きっと」

彼はそう慰めてみたが、健気な恋人は顔を伏せたまま上げようとはしない。

開け放たれた電子レンジの中では、温めなおすはずだったローストチキンが、バラバラに分解していた。

もはや、不器用とかそういう次元の現象ではないような気がする。

「メインディッシュが無くなってしまった今、私はどうやってリュウジさんにお詫びをすればいいか・・・・」

より一層泣き声を深めるミレイに横目に、リュウジはキッチンのテーブルの上を見渡す。

残っているのはサラダとスープ。いくらなんでも寂しすぎるだろう。

「じゃあ、ちょっと出かけて買ってくるから・・・・」

「そんな!! 私の不始末が原因なのに、リュウジさんに買ってきてもらうなんて、そんな恥知らずなこと出来ません!!

私が身命を賭してでも、買ってきます!!」

「いや、そんな大げさな・・・・」

「ですから、捨てないで下さい〜〜・・・・・」

リュウジに縋りつくミレイ。

「・・・なんか変なメロドラマでも見なかった?」

彼の声も届かない。

ここだけの話、こうなってしまった彼女を慰めるのは、実は至極簡単なのである。

ただ、ギュッと抱きしめて、キスの一つもすればいい。

しかし、その後、事態はなし崩し的に展開していくことになるので、この方法は避けたかった。

さすがに恋人メニューフルコースは、空きっ腹ではキツすぎる。

「えーと・・・・」

しばらくミレイの肩に手を置いて宙を睨んでいたリュウジだったが、ちょっとリビングを後にするとヘルメットを両手に戻ってきた。

片方のヘルメットをミレイへと被せる。

「行こうか?」

「・・・・・リュウジさんが宜しければ」

数分後、爆音を響かせ、黒のドゥカティが渚邸の前から走り去った。















20時37分 碇家リビング




今、シンジの腕を振るった料理の数々は、着々と消化されつつあった。

「んー、このビーフシチューは絶品だねぇ♪」

カヲルが感嘆の声をあげれぱ、ミサトも唱和する。

「ほんと、毎年毎年美味しくなっていくみたい・・・・!!」

三杯目のお替わりを堂々と平らげ、ビールを一息で飲み干す。

よく汁物系ばかり入るものである。一度リツコに解剖してもらうのもいいかもしれない。

「このあったしの旦那なんだから、とーぜんでしょ♪」

アスカが我が事のように自慢すれば、我が子の方は父親への絡みと忙しい。

「はい、パパ、あ〜ん(はぁと)」

「う、うん。あ〜ん」

娘の差し出したスプーンにぱくつくシンジ。

そんな彼の目前に、もう一つのスプーンが。

「・・・・レイ? 」

「・・・食べて」

静かな迫力に気圧されたように素直に食べてしまうシンジであったが、今度は本妻のほうがやかましい。

「くぅおるぁぁぁぁ!! あんたら、人の旦那になにやってんのよ!! 」

「あたしのパパだもん♪」

「・・・面白い」

シンジを囲んで女性陣が騒ぐこと騒ぐこと。

「ふふふ、本当の旦那である僕は、どうでもいいんだね、レイ・・・・」

涙混じりに呟くカヲルの肩に添えられる手。

「まあ、飲もう。シンジくんは特別だよ」

満たされたグラスを渡して加持。

彼の妻も料理制覇に忙しいらしく、レイと同じく旦那はどうでもいいらしい。

悲しげな男たちは、悲しげに乾杯を交わす。

その時。

「ただいま〜。う〜寒い寒い」

碇家長男、帰還。

「お邪魔しま〜す」

加持家の長女も一緒だ。

「あんふぁふぁち、ふぉへるれりぃらーやらかったほ?(あんたたち、ホテルでディナーじゃなかったの?)」

ミサトがローストチキンを頬張りながら訊ねる。

「うーん、結構美味しかったんだけど・・・、ねぇ?」

サトミとアスマが視線を交わす。

「やっぱり、クリスマスは父さんの料理じゃなきゃ、しっくりこないんだよな」

照れたように告白するアスマ。

そんな息子をアスカはビシッっと指差す。

「だから、家でパーティしましょ、っていったじゃない!」

「いついったんだよ、いつ・・・・・」

椅子の上に立ち、勝ち誇ったように豊かな胸を反らす母に対し、息子にも言い分はあったがグッと飲み込んだ。

「はい、アスマ、サトミちゃん」

何時の間にか、熱々のシチューを盛りつけた皿を持ってシンジが彼らの目前へと来ていた。

「うひょ〜、美味そう!!」

「手ぇくらい洗ってきたら?」

コートを脱ぎ散らかす兄に対し、シャンパン片手のミコトが呆れ声を出す。

しかし、兄は全く意に介さず、受け取ったシチューをスプーンで早速口に放り込んだ。

「う〜ん、美味いぞう!!」

感涙と感動の声を上げる。

「なにも泣かなくても・・・・・」

「クライング・イートマンとでも呼んでくれ」

わけの解らない宣言をするアスマを眺めながら、サトミは彼のコートを片付ける。

ここいら辺のマメさは、母親から受け継がなかった美徳のひとつだろう。

彼女も結構世話好きで、意外とズボラなアスマと、なんだかんだいっても似合いのカップルなのである。

「あの〜・・・・ただいまぁ〜・・・」

控えめな声が玄関から漂ってきた。

「あら、リュウジ? どったの?」

アスカが目を丸くする中、恋人の手を引いた次男坊がリビングへとお目見えする。

「ミレイも? 今日は家で二人きりで過ごすんじゃなかったのかい?」

「父さま、実は・・・・」

父親の問いに、少女の涙腺が開きかけた。

慌ててリュウジがミレイの目を押さえる。

「その、やっぱりクリスマスはみんなでワイワイ過ごしたほうがいいかなー、なんて。

そうだろ、ミレイ?」

「・・・・リュウジさんがそう仰るなら・・・」

さっぱりフォローになっていない。

しかしながら、リュウジが手を離しても、彼女の仄かに赤い瞳から涙がこぼれることはなかった。

そんな彼女の前に差し出される杯。

「母さま・・・・・?」

「飲みなさい、ミレイ」

レイがじっと娘を見据えている。

訝しく思いながらも、母の手から琥珀色の液体を湛えた杯を受け取る娘。

「さあ、ぐっと、行きなさい、ぐっと」

口調も表情も淡々としているため、誰も彼女が泥酔していることに気づかなかった。

これが悲劇(喜劇?)その一。

有無を言わせぬもの静かな圧力に屈し、ミレイは一息で杯を干した。

「・・・・・・・・・・はうっ!」

そのまま彼女は昏倒してしまう。

「ちょっ・・・大丈夫か!? 」

恋人を受けとめてリュウジ。

「まだまだ未熟ね」

娘を冷ややかに眺め呟くレイ。

「・・・・あんた、一体なに飲ませたの?」

さすがに疑問を口にするアスカに対し、彼女の答えは至ってシンプルだった。

「ただのウイスキー割りよ」

「そうなんだ。・・・ミレイちゃんて、お酒弱いのねぇ」

「正確には、ウイスキーを老酒とテキーラで割ったヤツだけどね」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

場が凍りつく。

「リュウジ!! 早くお手洗いに連れてって吐かせてくるのよ!」

アスカの鋭い叱咤に弾かれるように、ミレイを抱えてリュウジは駆け出す。

「あんた、なんてもの飲ませるのよっ!?」

怒声は、娘を昏倒させた母親へも向けられた。

「ふふふ・・・・問題ないわ。酔わなきゃ酔わす。それだけよ」

赤い瞳は完全に座っている。

「うわ、誰だ、このボトル丸々空けたの?」

「・・・・・・テキーラと老酒なんてあったっけ?」

背後で恐ろしい誰何の声が上がったが、レイは自分の分のウイスキー・テキーラ老酒割りを飲んで涼しい顔をしている。

なおアスカが怒鳴りたてる中、洗面所で事を果たしたミレイを抱えてリュウジが戻ってきた。

リビングの一角にあるお座敷にミレイの身体を横たえるリュウジ。

もともと白い彼女の顔は蒼白になっている。

「・・・・・・行かないで下さい、リュウジさん・・・・」

弱々しい声とともに、白く細い手が温もりを求めてさまよう。

「大丈夫、そばにいるから・・・・」

手を受けとめ握り返すと、彼女は苦しげに微笑み、瞼を閉じた。

苦しげな呼吸が寝息に変わったのを確認し、いざ傍を離れようとしたリュウジだったが、できなかった。

ミレイの細い指が、信じられないほどの強さで彼の手を握って離さないのである。

「うそだろ・・・・・・・」

彼女を起こしてまで手を離させるのは憚られた。なにより彼女が目を覚ましたら覚ましたで、やっぱり離してくれないだろう。

ほんの数メートル先では、父の作ったご馳走の山が蟲惑的なオーラを放っているというのに。

腹ペコの極致にある彼にとって、現在の状態は拷問に等しい。

「うう・・・・・誰かぁ・・・・」

呼びかけてみるが、父は母と妹の「アーン」波状攻撃に晒されとてもそれどころではないようだし、

兄とその恋人は、何気にいい雰囲気で二人きりの世界へと没入してしまっている。

頼みの綱の加持とカヲルは、ガッチリとレイに首根っ子を押さえられ、強制的にアルコールを摂取させられているらしい。

今だ料理制覇に勤しむミサトに至っては、論外である。

彼の呼びかけも腹の音も、リビングの喧騒に飲まれて消えた。

















21時43分 碇邸リビング




「ここにも、クライング・イートマンが一人・・・・」

どうにか恋人の戒めから解放されたリュウジは、やっと父の料理の数々を口にすることが出来た。

ただでさえ極上の味を誇る料理に加え、最高の調味料である空腹も相まって、

兄と妹が呟いたとおり涙の一つも出ようというものだ。

「ほら、まだあるから、もっとゆっくり食べなさい」

シンジが追加の料理を片手に息子を諭す。

「しっかし・・・流石ねぇ」

一通り料理を堪能し終え満足したらしいミサトが、ビール片手に微笑む。

「なんとなく、なんていってたけど、シンちゃんはみんなが帰ってくるのが解ってて、たくさん料理を用意してたんでしょ?」

問いかけに、シンジは微笑を浮べるだけだった。

リビングを見渡せば、リュウジ以外はみな食欲は満たされたらしく、専ら飲みに移行している。

最初から飲みに徹していたのに、今だペースが落ちないレイの存在が一際異彩を放ってはいたが。

「じゃ、そろそろケーキを出そうか?」

シンジの提案に、アスカとミコトが真っ先に賛同の拍手を上げる。

他の全員も異存はないらしいので、シンジはキッチンにとって返し、大皿を抱えて戻ってきた。

皿の上には、芸術的なまでの繊細さと美しさでデコレーションされたケーキが鎮座している。

滑らかな美しさで盛りつけられたクリームの上には、細い飴細工が、輝くオブジェのように乗せられていた。 「キレイ〜! さっすがパパ♪」

ミコトがはしゃぐ。

「じゃ、切り分けるから・・・・」

手馴れた手つきでケーキを切り分けるシンジ。

それでも彼の視線はこの上なく真剣である。

なんせ、妻と娘への切り方が少しでも違うものなら、たちまちクレームがあがるのだから。

どうにか暴動も起きず、シンジは切り分けたケーキを配り終える。

「ん〜、美味しい!!」

さっそくパクつき、本日幾度目かすら定かでない感嘆を上げるアスカ。

「ホントねぇ、こりゃビールに良くあうわ♪」

ミサトの常人には理解しがたい追従の声は、彼女以外の人間のボルテージを軒並み低下させた。

いや、一人だけ例外が、ミサトと趣味を同じくするものがいた。

「母さん・・・・・・」

サトミがうんざりとした声を上げる中、その例外が激しく自己主張する。

「どれどれ? あ、ホント、日本酒にあうなぁ、これ」

何時の間にかお猪口片手のリュウジが、ケーキを一欠片食べて賛同の声を上げている。

「・・・ゲテモノ・ドランカーズ」

アスカの嫌味にも似た呟きも、二人の耳には入らない。

気を取りなおし、ケーキを食べ終え、また飲み始める一同。

わずかな静寂が訪れる。

しかし、その静寂も、聖夜に相応しい音色で破られた。

どこからか響いてくるジングル・ベルの音。

「何だ何だ?」

大方の予想はついていたが、それはお約束である。アスマは庭に面した窓のカーテンを開けた。

「わあ・・・・・・!!」

無邪気な声を上げたのは末っ子だ。

リビングにいる全員の視線が、庭へと、正確には庭の上空へと注がれる。

そこには、天空から舞い降りる、トナカイに引かれたソリの姿があった。

大音量の「ジングル・ベル」の響く中、庭先に降り立ったソリから赤い影が降りてくる。

影は、勝手知ったる的に庭を横切ると、窓をくぐって堂々と碇家リビングへとその全貌を現した。

「メリー・クリスマス!!」 

赤い帽子に赤い上下。フサフサの白いヒゲに、背中に背負った大きな袋。

それは、紛れも無いサンタクロースであった。

「わーい、サンタさんだぁ♪」

毎年恒例のこととはいえ、ミコトはサンクロースへと縋りつく。

「ほっほっほ、今年もいい子にしてたかな? ミコトちゃんには、赤のケリーバックを上げよう」

袋の中に手を突っ込んで丁寧に包装された箱を取りだし、ミコトへと渡すサンタクロース。

「やったぁー、ありがとぉ♪」

小躍りするミコトを、それはそれは優しい目で見やって、サンタクロースはアスマらにも視線を転じた。

「ほっほっほ、君たちにもプレゼントを用意してあるよ」

「いや、もうこの歳になったから、別に・・・・」

苦笑を浮べっぱなしでアスマが言うと、サンタクロースはとてつもなく悲しい目をした。

「わ、解った、オレが悪かったよ、お祖父ちゃん・・・・!!」

謝りつつアスマが近づく。

サンタクロースは一転再び笑みを浮かべると、袋を漁って一つの包み紙を取り出した。

「海外旅行の好きなアスマくんには、これを上げよう」

「これは・・・・・・・?」

包み紙を受けとって不思議そうな顔をするアスマに対し、サンタクロースは説明した。

「特別製の防弾防刃スーツだそうだ。これを着ていれば、マグナム弾でも骨にヒビが入る程度ですむそうだ」

「・・・・・は、ははははは、ありがと」

乾いた笑いを洩らす以外、今の彼に何が出来るだろう?

「オレにはオレには?」

リュウジもやってくる。

「ほっほっほ、リュウジくんには、これを上げよう」

サンタクロースは、袋の中から一枚のカードを取り出す。

『ケーキバイキング フヂヤ 1年間フリーパス』

「・・・・・・・・・・・・・・」

受けとって固まるリュウジに、サンタクロースは哄笑する。

「ほっほっほ、これで1年間、リュウジくんの好きなチーズケーキがいつでも食べ放題だぞぉ?」

「あ、あの・・・、別にオレはケーキで酒を飲むのは好きだけど、ケーキが単体で好きってわけじゃ・・・・」

たちまち捨てられた野良犬のような目をするサンタクロース。

「ありがとお、サンタクロースさん! とっても嬉しいよおっ!」

半ばヤケ気味に叫ぶリュウジだった。

満足げな笑みを浮かべるサンタクロースに、グラス片手に近づく家主。

「毎年お疲れ様、父さん」

「むう・・・・いつものことだ、問題ない」

どこから取り出したのか、サングラスをかけて息子と相対するサンタクロース・ゲンドウ。

孫たちに接するときと実の息子に接するときの口調の変化は、180°どころか540°ほども違う。

「お腹すいてない? なんなら料理を温めなおすし」

シンジが提案したが、ゲンドウは素っ気無く首を振った。

「妻を待たせてある。悪いが遠慮しておこう」

袋を引きずってリビングを出ていこうとする。

「お祖父ちゃん、まったね〜♪」

ミコトがひたすら明るい声をかけた。

「うむっ!! また来年!!」

ほとんど条件反射的に、陽気に手を上げるゲンドウ。

そして、孫以外の視線にも気づくと、たちまち表情を消して、そそくさと出て行ってしまう。

彼が庭に出て行ってソリらしきものに乗り込むと同時に、ソリは上昇を始めた。

そしてその姿はたちまち夜の中へと消えてしまう。全くどういう仕掛けなのだろう?

「年々凝っていくよなぁ・・・」

その光景を見送って、防弾チョッキ片手に呟く長男。

「ほんとだよね。去年は無音式のヘリをチャーターしたみたいだけど、今年はどうやったんだろ? 新型の垂直離陸機か何かかな?」

次男は感想ならぬ疑問を口にする。

「多分、黒塗りの熱気球に吊るしたんだね、うん」

「なるほど〜」

カヲルの答えに、同時に手を打ち鳴らす兄弟であった。

しかし、孫にプレゼントを渡すためだけに、そこまでするゲンドウこそ恐るべし。

「まったく、相変わらず、不器用な人ねぇ・・・・・」

ミサトが好意的な苦笑を洩らす。間違い無く、昔と比べて一番変わったのは、あの人だろう。

「照れてるのよ、ホント。あんなに孫に甘い人だなんて、結婚前は全く予想つかなかったわ」

アスカも義父をそう評して見せる。

まあ、甘いとかどうとかいうレベルとも、ちょっと違うような気もするけども。

その自他ともに認める孫馬鹿と化したゲンドウの息子はというと、ひたすら嬉しそうな笑みを浮かべていた。


















23時13分 碇邸裏庭




「あら、ここにいたの、シンジ」

彼はアスカの声に振りかえる。

「ああ・・・ちょっと酔い醒ましにね」

寒い寒いと言いながらやってきた妻は、夫にぴったりと寄り添った。

シンジはそんな彼女を見下ろす。

酒気を帯びているためかわずかに紅潮した頬。

微かに潤んだ蒼い瞳。

しっとりと腕に絡みつく金髪。

「アスカは、ずっと綺麗なままだな・・・・」

素直に、大して深い意味もこめず呟いたつもりだったが、評された本人は瞬間沸騰してしまった。

「な、何あたりまえのこといってるのよ、もう!!」

しどろもどろになる妻を愛しそうに眺め、シンジは別の質問を口にした。

「みんなはどうしてる?」

「ミコトは酔っ払って寝ちゃったし、ミレイちゃんも撃沈したまま。

リュウジはミサトと一緒にまだケーキ突っつきながら酒飲んでて、

加持さんは今だレイに捕まってるわ。

そんで、酔っ払ったナルシスホモに迫られているアスマを、今必死でサトミちゃんが牽制しているとこ」

即座に答えが返って来た。

「・・・さすがだね」

シンジはそうアスカの明晰さを称えると、彼女もニッと笑って見せる。

彼も微笑みかえすと、視線を夜空へと転じた。

ツンと鼻の奥をつくような冷たい空気の中、幾千もの星が瞬いている。

一緒に空を見上げる妻に、シンジはまたも呟いた。

「・・・幸せだね」

ギュッと握られる腕。

それがアスカの返答だった。

肯定された温もりを嬉しく感じながら、

シンジは独白めいた呟きを洩らす。



「君と出会って・・・・・・・

みんなと出会って・・・・・・・

辛かったことも一杯あったけど、

悲しいことも一杯あったけど、

みんな、生きていて・・・・・・・・・・。

君と結ばれて、

子供も出来て、

みんなみんな、優しく変わって行って・・・・・・・」




不意に、シンジは愛する妻を抱きしめた。




「シンジ・・・・?」


思わずアスカは呟く。





「この幸せは変わらない? 

幸せすぎて、

楽しすぎて、

逆に不安になるんだ。

突然・・・・

君が・・・子供たちや誰かが僕の前から消えちゃいそうで、怖いんだよ・・・」



シンジはアスカの胸に顔を埋め、そのままズルズルと跪く。

最愛の夫の頭を包み込むように撫でながら、妻は優しく優しく答えた。



「変わらないわ。この幸せは永遠よ。

みんな、ずっとあなたの傍にいるわ。

・・・ううん、違うの。

あたしたちこそ、あなたが必要なの。

みんな、

互いに互いを必要としているのよ・・・・。

人は、誰かから必要とされているから生きていける。

だったら、互いに互いを必要とすれば、怖いものなんて何もないわ・・・」



星空のもと抱き合う二人。

今、二人は、『幸せ』という魔法のランプを片手に、過去へと遡行している。

欺瞞と強制。

理不尽と不条理。

一つとして確かなものはなく、一つとして信じられるものはなかったあの頃・・・・・。

でも今なら。

魔法の光は、辛い過去をも見透かす力をくれる。

そして全てを柔らかく、優しくしていく。

今だから、向き合えることもある。

今だから、許せることもある。

忌まわしきエヴァンゲリオン。

だが、確かにその名の通り、福音をもたらすものだったのかもしれない。

傍らにある幸せまで、導いてくれたのだから。

運命や結果論などという無粋な言葉は捨ててしまおう。

今、手にした幸せは、紛れも無く自身で掴み取ったものだから・・・・・。


この答えこそ、二人への聖夜の贈り物たれ。








「おーい、父さ〜ん、母さ〜ん」

「どこ行ったの〜?」

子供たちの声が、二人を回想から引き戻す。

立ちあがったシンジは、最愛の人へと手を差し出した。

もはやこの幸せは揺るぐことはない。

「行こう、アスカ」

「うん!!」

再びしっかりと寄り添った二人は、暖かな家の中へと消えて行った。






彼らは還る。

果てしない幸せの中へと・・・・・




























fin





























こんにちは、三只です。

今作、いかがだったでしょうか?

自分でも予想していた以上にスンナリ書きあがった今回のお話は、

最も気に入った作品の一つとなりました。

正味な話、わたしの言いたいこと、テーマが全て盛り込まれています。

幸せな結末があれば、辛い過去をも優しく振りかえることができるのではないか?

「新世紀エヴァンゲリオン」という作品に対する、

わたしなりの敬意と願望の現れが本作です。

願わくば、拙作を読んだ人にとって、この結末が、「エヴァ」という作品の真の結末とならんことを。

・・・・・ちょっとおこがまし過ぎますね(^^;

なお、「みんなで〜」というタイトルの割には、トウジ、ヒカリ、ケンスケらに加え、

オペレーターズもさっぱり出てませんが、彼らも元気に健在です。

冬月は・・・・・うーむ、どうなのかなあ?(爆)

では、またその内に、お会いしましょう。

 三只さんから『今年の打ち止め!くりすますっ!』な話をいただきました〜。

 なかなか素晴らしかったのです。

 みんな幸せ‥‥うん、碇家とその周囲から伝わってくる幸せのオーラがはっきりわかりますね。

 出てこない人たちだって幸せなんじゃないかな〜って雰囲気的にそう思いますよね。

 みなさんも読後に三只さんへの感想メールをお願いします。