弐拾五   月光







「シンジ君、あなたのガードを解いたわ。今なら外に出られるわよ。」
リツコさんの電話だった。
「そのまま聞いて。あなたには見てもらわなければならないものがあるの・・・
マンションの外で待っているわ。今すぐ来てちょうだい。」

外に出るとリツコさんが車に乗り、僕を待っていた。彼女は僕が来た事に対して何もリアクションを起こさなかった。
そして何も言わずに車を出した。

ネルフ本部に直接向かうのかと思いきや、まず向かったのは埠頭だった。
車を降り彼女はただ暗い海を眺めていた。僕も黙って海を見ていた。
「これから・・・ね・・・面白いものを見せてあげるわよ・・・」
背筋が冷たくなるような言葉だった。
その彼女の寂しそうな、冷たいような、そしてどこかおかしくなってしまったような笑顔は本当に・・・怖い・・・と思った。

程なくして車に乗り、ネルフ本部に向かった。駐車場に車を入れ、薄明るい通路を無言のまま歩く。
移動はもっぱら彼女のパスだった。僕のパスでは入れないエリアを通っていたからだった。


そして、重要そうなチェックの前で彼女が驚く。
「ん?」彼女のパスが弾かれたのである。

「おあいにくさま・・・」
彼女の金髪に覆われている後頭部に銃口が突き付けられる。
この声はおそらく本気だ。友人に向けている言葉とは思えない冷たさを持っていた。
リツコの対応次第によってミサトはトリガーを引くかも知れない。

「そう・・・加持君の仕業ね・・・いいわ・・・全部見せてあげる。ただし彼も・・・ね」

この事を覚悟しているように平然と彼女は返答する。銃口が向けられていると言うのに笑顔さえ浮かべている。
ただ、その笑顔は寂しそうだった。
「いいわ・・・・・」
ミサトも冷たく答える。



まず向かったのは「ゴミ捨て場」だった。そこには肉体の構成がされていない零号機の頭部の残骸が打ち捨てられていた。
ここは過去に使われた実験用のケージだったが現在は使用されていない場所だった。

「ゴミ捨て場よ・・・でも、あなたのお母さんが消えた場所でもあるの。覚えてないの?
あなたも見ていたはずなのよ。あなたのお母さんが消える瞬間を・・・」
「フフッ・・・」

「リツコっ!!」
慌ててミサトさんが制して彼女に再び銃口を向けた。

僕の意識が変容していなければ恐ろしい言葉である。とても僕に向かって正気の人間が吐ける言葉ではない。
彼女を今、形作ってるもの・・・それは愛情の裏返しの憎しみしかないはずだ。
愛情を向けられていたのは碇ゲンドウであり、それが裏切られ憎しみに変わった。その憎しみが僕に向けられているという事だ。
平静を装い、彼女の次の案内に従う。


次の場所は、薄暗い病室のような無機質な部屋・・・綾波レイの育った処らしい。
この次の展開を知らなければさして重要な場所ではないかに思われた。
一緒に来た保護者は不満を露にして次の場所へ案内するように促す。
その保護者も博士への憎しみを隠そうとして平静を装い、無表情ではある。
彼女らにも譲れない事情があるのを僕は知っている・・・・・

「私はこんなものを見たくて来たわけじゃないの」
「わかってるわ・・・ミサト」



その奥の薄暗い部屋・・・
「ここは・・・・・」
僕は思わず言葉に出してしまう。決定的なものをここで見てしまうのだ・・・・・

「真実を見せてあげるわ!」
彼女がリモコンのような端末のボタンを押した瞬間・・・この光景は見たくなかった。
周囲の水槽がライトアップされ、人影が映る。
多数の綾波レイが漂っている光景・・・人間の倫理の一線を越えてしまった現場である。

その綾波レイは僕の姿を認めると一斉に僕を見て笑いかけた。
僕の事を意識しなくても認識をしている。
同じ遺伝子を持つ者だということを本能のように知っているのだ。
「これがダミープラグの正体よ・・・・・」
「あ、あんた・・・これ・・・・・」

「綾波レイ・・・彼女はあなたのお母さんのサルベージが失敗した時に取り出されたもの・・・
エヴァとあなたのお母さんによって肉体を構成された物・・・でも、ここにいるレイ達には心はないの・・・人形なのよ・・・」

「人形って・・・・・」
「フフ・・・エヴァには人の心が宿らせてあるの。エヴァは人間なのよ・・・」

「ここにいるレイ達にはそんなものはない・・・・・ただの入れ物に過ぎないの。」
「魂の宿った綾波レイは一人だけ・・・ガフの部屋にはもう何も残ってなかったのよ・・・・・」
「でも、わたしはこの人形にすら負けた・・・勝てなかったのよ・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「だから壊すの・・・憎いから・・・・・」

この言葉の後、僕は「やめてよ!!リツコさん!!」と大声を出した。

しかし、それに構わず彼女はそのボタンを押す・・・・・
いきなり、少女の笑い声と共に彼女たちの身体が崩れていく・・・
その血液は赤く、内臓の赤やピンク、骨の白・・・その組織だって僕らと何も変わらないのに・・・・・
その水槽の色はすぐに赤く変色した。
そして少女たちの笑い声の中、彼女達は臓腑や四肢の形を崩していき・・・
その多くは粉々になって沈殿し、一部は原型を保ったまま底に沈み、軽いものは浮遊している。


笑い声は悲痛なものではなかった・・・彼女のスペア達は消え去る事に喜びを感じていたのかも知れない・・・
本来は存在してはいけないはずのものだから・・・
その自然な倫理に従って、それを理解していればこのような結末を本当は望んでいたとしても不思議ではない。


この凄まじい光景は辛いけど、僕は目を逸らさずにできるだけ見ることにした。
それが彼女たちへの礼儀だと思ったから・・・
ミサトさんはこれを見て一瞬動きを止めたが我に帰ると彼女に銃を向けて叫んだ。
「あんたっ!!何してるのかわかってるの!!」


「わかっているわ・・・破壊よ・・・ここにいるレイ達には心がない・・・ただの物なのよ・・・でも、そんなものにすら私は負けた・・・・・」

ここまでは普通の声で話していたが次の言葉は感情を露わにした大声だった。
「馬鹿なのよっ!!親子揃って大馬鹿だわ!!うぅぅぅ・・・・・」

号泣だった。
「それで私を撃つつもり?いえ、そうしてもらえると嬉しい・・・・・私をここで消してちょうだい!!ミサトっ!!」


「それこそ馬鹿よ・・・・・」
その言葉は親友を慰めたような彼女の優しさがあった。
ミサトさんは力なく構えていた銃を下した。
そしてリツコさんは膝を落とし泣き始めた。その泣き声は悲痛だった。
取り返しのつかない道を歩んでしまった彼女にも非は免れないが、女の性や悲哀をむき出しにして、それに対する慟哭には・・・
僕は彼女が犯してしまった行為は許せないと思いつつも少なからず同情した。その彼女の号泣を聞きながらそう思った。

「リツコさん・・・・・」
僕の問いかけにも応じずただ泣き続けている。

「あなたを撃つことはできないわ・・・・・シンジ君、ここを出ましょう・・・・・」
そう一言を残して、ミサトさんに促されてそこを出た。



ミサトさんと長い廊下を歩く。彼女が口を開いた。
「シンジ君・・・ごめんなさい・・・こんな思いをさせて・・・辛かったわよね」
その声はどこか凛としていて、単なる慰めではないような気がした。
「いえ、大丈夫です・・・ミサトさんこそ・・・・・」
「私は大丈夫よ・・・・・シンジ君、随分強くなったのね・・・・・」
「そんなことは・・・ないですよ・・・」

無言のまま車に乗り、その車は家へと向かわなかった。山道を走り、車を止めたのはどこかのモーテルだった。

「シンジ君・・・・・」
そう言って止めた車中で下を向いたまま僕の手を握る・・・・・
僕も下を向いたまま小さな声で、でもはっきりと答えた。

「ごめんなさい・・・・・そういう気分じゃないんです・・・・・」

「・・・・・そう・・・・・ごめん・・・・・このことは忘れて・・・・・私も・・・・・
さみしいのよっ!・・・・・」
「・・・・・そして・・・・・どうしていいかもわからない・・・・・」

ミサトさんの嗚咽が聞こえる。彼女の瞳からは光るものが落ちていた。


彼女だって辛いはずだった。
恋人を失い、その遺したものによってこの事を知るに至る事が出来た。
しかし、その結果は彼女にとっても残酷なものだった。
予想しただろうとは言え、彼女の親友も決定的に彼女を初めから裏切っていた。
彼女に近い人間もどんどん減っている。
僕と同じように「独り」に近づいている・・・・・

ただ彼女は自分の心を慰める術、ごまかすことのできる術を知っていた。
それにより自分の寂しさを一時的に麻痺させる事ができる術だった。
いや、これは人間の本能なのかも知れない。
それによってだけ、人間は自らの仲間を増やすことができるわけだし、大きな快楽を得る事ができるのだから・・・



彼女は5分程泣いた後、僕をマンションへと送って、再びどこかへと出かけて行った。
「まあ・・・どちらにしても大騒ぎでしょうから・・・」
そう軽く言って別れた。



部屋に着くと僕はベッドにうつ伏せになり、泣いた。
誰もいない部屋だったので周囲に気付かれることはないだろう。

誰も僕の近くにはいなくなってしまった。いや、僕は近づけない。近づく勇気がない。
それなのに寂しい・・・・・誰か僕を受け止めて・・・・・
こんな状況になってしまった、してしまった、僕の秘密を受け止めて、僕のここまでの行動を受け止めて・・・・・
確かに、この立場ではできないことだってたくさんあった。けれども僕は・・・僕は・・・

そんな事を考えながら、泣きながら眠ってしまった。



翌日、意外にも早めに目が覚めた。近くの時計を見ると6時少し過ぎ。
ミサトさんが帰って来た様子はない。最近はほとんど泊まり込んでいるのか着替えを取りに来たりする程度だ。
一人で朝食を摂り僕は出かけた。
ミサトさんとの約束を破るために・・・アスカのいる病院へ向かった。

9時半、面会時間が始まる。この時間であれば怪しまれることなく彼女の病室に入る事が出来るだろう。
ここ数日は病室に特に警備などは付いていないようだ。
僕の警備だって今はかなり甘いようだ。
どことなく気配でわかる。
あのセントラルドグマでの事もありその警備任務だって諜報部にはあるだろう。
普通の警備部署にそこの警備は任せられないはずだ。
さらに先の戦闘でクレーターができてしまっている位だから諜報部だって人員不足のはずだった。
僕の監視どころではない状態になっているのだろう。
それに彼女を知っていてここに来ることができる人間は限られている。
もっとも病室はモニターで監視されているだろうし、音声だって盗られているはずだ。
でも、僕は彼女に会わなくてはならない。彼女はやはり僕を拒否するのだろうか?
でも、言葉を選びながらでも彼女と話さなくてはならない。そして彼女の病室に足を踏み入れようとロックを解除する。




アスカはトロンとした目をしたまま虚空を見つめていた。
「アスカ?」
「アスカ、入るよ」

「シンジ・・・か」
「ひさしぶりだね・・・・・」
「そうね・・・・・何の用?」
言葉に覇気は全くない。でも僕をなんとなく拒絶しているのはわかる。
僕を特別に拒否しているというわけではないのかも知れない。


「アスカ・・・・・そのまま聞いてくれるだけでいい。」

「僕には君が必要だ。エヴァに乗れないアスカだとしてもそんなの関係ない。」
「もう僕には君しか残っていないんだ。だから、アスカ、もう一度戻って来て。」

反応はない。

「エヴァに乗らないアスカだって僕にとっては大事なアスカに変わりはないんだ。
自分のためじゃなくて僕のためにも生きて欲しい。お願いだから・・・」

「・・・嘘・・・アタシの事はもうどうでもいいんじゃない?」
「そんなことない!アスカじゃなきゃだめなんだ!僕のそばにいて欲しいのは君なんだ!」

「・・・もしかしてアンタ、誰も相手にしてくれないからってアタシの所に来たの?・・・」
「違う!」


「・・・もう・・・これ以上アタシに惨めな思いをさせないで・・・・・」
「違う!アスカ、わかって!」
「アンタ、アタシの事わかってるの・・・・・?」
僕はその言葉に口をつぐむ。

「・・・ごめん・・・アタシ、わからないわ・・・・・アンタはアタシの事だけを見てくれてたわけでもないと思う・・・」
「トウジを傷つけてからアタシを拒否して・・・それからも・・・あの時だってアタシを助けてはくれなかった・・・」
「今のアンタを信じていいかもわからない・・・それにエヴァにも乗れない、何にもできないアタシが何でアンタに今さら必要なのかわからない・・・」


「アタシ、ここにいる意味がわからない・・・・・」
「死にたいとも思わないけど、生きたいとも思わない・・・だから今は放っておいて・・・・・もう少し色々考えさせて・・・・・」
「・・・今はアタシを一人にして・・・・・」


「・・・・・アスカ・・・・・僕の事が信じられなくてもいい・・・でも、それを決めるのは君自身だよ。」
「今の僕に言えるのはそれだけだから・・・身体、早く治して・・・」


僕は彼女に秘密を打ち明けるように続ける。
「・・・・・もう、最後の使徒が来るはずだよ・・・間に合って一緒に戦って欲しいとは言わない。
でも、そのあとに最後の戦いが待っているんだ・・・だから、エヴァに今は乗れなくても身体を治して・・・・・」

「そして、僕を受け入れて・・・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「じゃあ・・・行くよ・・・・・」

「シンジ・・・」
「ん?」

「・・・何でもない・・・」


彼女に僕の想いは伝わっているか、僕にはわからなかった。それでも気は少し晴れた気がする。

それから、僕は綾波にも会わなかったし、ミサトさんにも会わずに一人で部屋に閉じこもっている。
一度だけ、アスカの病室を訪ねたけれども彼女は眠っていたので持って行った赤と白のバラを花瓶を借りて差して帰った。
それ以外の日は一日、一言も声を発しない事だってある。

僕は一人になった・・・・・僕の心も欠けているんだって事を感じていた。





(ベートーベンのピアノです。)














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