アスカとシンジはテーブルを挟んで向かい合って座る。
今日は場所こそ違ってはいるがこのようなシチュエーションは珍しいものではない。
家でもミサトの帰りが遅い、または夜勤などの時にはいつもそうだ。
しかし、いつもと違うのはテーブルの上の料理がシンジの作ったものではないことだった。
アスカはその違いに非常に緊張している。一方のシンジはリラックスしておりいつもと変化はない。




[碇アスカ育成計画6]

written by オサーン





「いただきます」
この挨拶はシンジだけが口にした。
アスカは彼が野菜炒めに箸を付けるまでの時間がスローモーションに見える。
実際には箸を持ってごく普通にひょいと取って小皿に移しただけのほんの短い時間だ。
それを口に運ぼうとする動作もアスカにはスローモーションに見える。
シンジはそれを口の前まで運んでその手を止めた。その動作にアスカは何か失敗していないか不安になる。
「アスカ、食べないの?」
シンジは普通の表情でアスカに訊ねただけだ。
アスカは安心しながらもぎこちない笑顔で「うん」と答えるだけだった。


アスカの気持ちは複雑だ。
確かにシンジに自分が作った料理を食べて欲しい。それははっきりと自覚できた。
でも、何か恥ずかしい気がする。
失敗してないかどうかも不安だ。
もし、大きな失敗をしていたらアタシの評価が大きく下がってしまう。
そう考えているアスカの心臓は口から飛び出そうなほど暴れている。

アスカが味見をした範囲では大きな失敗はなかったはずだ。そう思い直して自分を励ます。
(大丈夫、大丈夫よ。アスカ・・・)

アスカはシンジから目を離して少し下を向いている。
そのうちにシンジはもう口に入れてしまったのかそれを咀嚼している。

アスカは思わず
「お、おいしい?」
とシンジに聞く。シンジは平然と
「うん、美味しいよ。」
と答えるだけだ。
アスカはその言葉を聞いて一安心したのだが夢中になってしまった。
「どうおいしいのよっ!?」
その剣幕にシンジは大袈裟に驚いている。
「い、いや、塩味の加減もちょうどいいよ・・・でも、これって作ったのはマヤさん?」
アスカは気付く。シンジはこれを作ったのが誰か知らないのだ。

「あ、あ、あたしが・・・」と言おうとして「あ、あ、あ」までしか言えなかった。
「この、野菜炒め、人参の皮をむいてないみたい。」

アスカはその言葉で言いかけた言葉を止めた。大きな失敗でもないのかも知れないがマイナスポイントに間違いはない。
いつのまにかアスカも野菜炒めを箸でつまんでいたがそれを目の前に持って来ると確かに皮が付いている。

「こ、これはマヤが作ったのよ!」
アスカは思わず大声で答えてしまった。

別にシンジはさして気にしてはいないようだ。しかしアスカはそれを気にしすぎてしまってとうとう
「私がひとりで作った。」とは言えなかった。
それに改めてアスカは気が付くと落胆してしまう。
なぜ肩を落としたのかはわからないが鈍感大王のシンジでもさすがにアスカの変化には気づく。
しかし、理由が分からない以上はどうしていいかわからない。
「アスカ、これおいしいよ。おなか減ってるんだったら食べた方がいいんじゃない?」
シンジの食欲は別にいつもと変わらない。特別に大食というわけでもないがおいしそうに食べている。

偶然にもシンジが「おいしいよ」と口にした事に対してアスカは気を取り直し嬉しくなった。
少し嬉しそうに「うん、食べるわよ」と答えて口にした。
確かに自分で食べてもおいしいと思う。



あとはいつもの二人だけの食卓の様子だったが心持ち会話が弾んだようだった。
最後にシンジが洗い物をしようとしたがそれをアスカが押し止め、食休みを取るとシンジは特別研修室を出て行った。
入れ替わりにマヤが戻ってきた。おなかが空いているような様子はなく、血色もよく部屋に戻って来たのである。

アスカは再びエプロンを身に付けて洗いものをしている。洗濯物も全部干し終わっており後は乾くのを待つだけ。
午後の研修が開始される。
ここからの訓練は忍耐を要求されるだろう・・・・・そう考えるとマヤはアスカを見据えて励ましを与える。

「あの野菜炒めでアスカは葛城さんを超えたのよ!」

アスカは自信を取り戻す。人参の皮むきをしなかったこと、ご飯を炊き忘れたこと、多分マヤも噛んでいるはずだが
「シンジに初料理を食べさせられた」こと・・・それをシンジが「おいしい」と言って食べたこと・・・
そして思わず「マヤが作った」と言ってしまい後悔していること・・・・・
これらの思いが全て昇華された気がした。



マヤが取り出したのは大根、それと厚手の皮手袋を差し出した。
「ここからは包丁に慣れてもらうために色々やってもらうわよ。」
「手を切るといけないから手袋をしてやってみましょうか」
手を切り過ぎると訓練ができなくなる。それに痛さが伴うと今後のやる気を削いでしまうだろう。
それを考えての措置だ。

まずは「かつらむき」から。
「えーと、りんごの皮むきはした事ある?」
マヤが手本を見せる。大根をゆっくりではあるが薄く曲線に沿って切って行く。
アスカにはとてつもない高等技術のように思えた。
見よう見まねで同じように大根を手に取ったアスカに注意が飛ぶ。
「包丁をあまり動かしてはだめよ。大根を回すのよ。」

切っていくスピードは遅い。しかもかなり厚くなってしまったり、しょっちゅう切れてしまう。
それでも根気よく切って行く。
今のアスカは夢中である。もともと彼女は物事にのめり込むタイプでもあり、一心不乱に練習し続ける。
休みなく1時間もかつらむきの練習を続けたアスカの上達ぶりは悪くない。
かつらむきのテストとして大根ではなくリンゴの皮むきをさせることにした。

アスカが初めてむいたリンゴ・・・たしかにむいた皮が厚かったりむけた皮は短かったりする。
しかし、それはリンゴとして球形を保ち、初めてとは思えないごくごく普通の出来だった。
もちろんアスカにしては最高とも言える出来だった。
そのリンゴをアスカは見て感慨に浸る。ここまでできれば問題はないはずだ。


ずっと包丁を握って、集中していたアスカは軽く疲れを感じた。しかし、自分の上達ぶりに満足したアスカは手を緩めない。
「ねえ、次は何をやるの?」


今日のメインイベントとも言える、そしてもっとも習得が難しいと言える作業の一つ、キャベツの千切りである。

その効果は絶大だ。
手許は見せる事がなくてもその後ろ姿、そしてリズム感の良くキャベツを切って行く音は、かなりの確率の男性をノックアウトする。
そして多くの男性が多少なりとも持つマザーコンプレックスを確実に刺激する。
ましてや「瞼の母」状態であるシンジにとってその効果が小さいわけがない。

マヤは簡単な説明をした後、実演をしてみせることにした。
「わ、わたしもあんまりうまくないんだけど・・・・・」
との前置き付きである。

アスカはマヤの周りをうろちょろしながら色々な角度から彼女を見る。
そのリズムははっきり言って、初めの断りの通り早くはない。
ただ、後ろから見ていると、その姿には好意的な母の姿が映る。
この音、この風景に似たものをアスカはずっと昔に見ていたと感じさせられる。
実際には見ていなかったのかも知れないが自分のママの後姿と被ってしまう。その感触は切ないような、懐かしいような・・・・・
ともあれ、こんな感触をシンジにも味あわせてあげたいと真剣に思うアスカだった。



訓練開始から2時間経過・・・・・
大きさに気を付けながら、やっとある程度のペースで包丁の音を響かせる事が出来るようになった。
例えれば平井堅のバラードに合わせて頭を左右に振るくらいのペースと例えればいいだろうか。

傍目ににもずっと集中して、夢中でやっているアスカの事が心配になってくる。
「今日の練習はもう終わりにして帰りましょうか?」
とりあえず切ったキャベツは大量になったのでマヤが食堂に持って行くことにした。



疲労困憊で家に付くと同時にぐったりとソファーに横たわったアスカだったが、先に帰っていたシンジがすでに台所に立っている。
キャベツの千切りが始まったようだ。その音に彼女は耳を澄ます。
そのペースは・・・・・普通のポップスどころではなく、ウリ・カッシュのマシンガンドラム並のスピードだった。
改めて「す、すごい」とアスカが呟いた事にシンジは反応して振り返る。
そのきょとんとして見つめる顔を見るとアスカには彼がモーツァルトのように天才のように見えてしまう。

敵愾心を燃やす気はすでに起こらない。
(あそこまでできなくても、気持ちのこもった、恥ずかしくないものが作れればいいな。)
今はそう思う。
(シンジにいつもおいしいって言ってもらえればいいな。)
素直にシンジのためにおいしい料理を作ってあげたいと思う。
そして、普段の私は押し殺してるけど、シンジなら素直に笑顔で「おいしいよ」と言ってくれると思う。
その笑顔が見たい。少しくらいの失敗ならきっとシンジも気にしないで笑顔を向けてくれるはずだ。

そう思って、アスカは決心してシンジの後姿にこう宣言する。
「明日の晩御飯はアタシが作るわよ!」
シンジはその声に驚きを隠さずにこう答える。
「うん・・・いいけど・・・アスカ、特別訓練で疲れてるんじゃないの?」

「そんなの大したことないわ。アンタ、明日の晩御飯には餓死しそうなくらいまでおなか減らしときなさいよ!」
言い方に多少の刺はあるが今のアスカの精一杯の彼に対する愛情表現だった。



ちなみにこの言葉は集音マイクにて拾われており、残業していたリツコとゲンドウに報告が入る。







オサーンさんからの碇アスカ育成計画の6まで更新です。

米とか油とか野菜炒めとか唐揚げとか、いろいろ勉強してますね。アスカの料理もなかなかおいしそうになっていきます。
作って試食させてみたら、シンジのことを見直す機会にもなったようですね。そうですね彼は料理少年ですから(笑

素敵なお話でありました。続きもぜひ読みたいですよね。

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