「まずいな・・・碇」

「ああ、過ぎてしまった時間は取り戻せん・・・しかし、時計の針を進めることはできる。」

「しかし、保護者代理が納得をせんぞ」

「大丈夫だ。彼女にはちゃんと別のモノを用意してある。」


「葛城三佐、入りたまえ」
「はっ」
「このシナリオを見てどう思うかね?」

ゲンドウは書類を見せて意見を問うた。
「はい・・・現状では実行は難しいかと思われます。」

「フッ・・・そう言うと思った・・・」
胸ポケットから分厚い封筒を取り出す。

「まあ、たいしたものではない。現金の札束ではないしな・・・」
「どうだ?葛城くん。悪い条件でもあるまい?シナリオの通りなら難しくはないだろう?」
副司令もこの作戦には同意しているようだ。


「はい、問題ありません。」
ミサトが包みの中を検めて、あっさりと前言を覆してそう返事をした。

「・・・よって君にはこの作戦に従ってもらう。」

「シナリオ通りだ・・・いいな?あとはこちらで引き受ける。」

「はっ!!」
直立不動の態勢のミサトは指示を受け振り返って退出しようとした。
その後ろ姿に向かって声が飛んだ。

「残りの報酬は後払いだ・・・今渡した以上のモノを用意してある・・・」



ちなみに第三新東京市の施政を全てネルフのMAGIが仕切っている以上は高級官僚も、議員達もネルフに時候のあいさつは欠かせない。
しかし、ネルフの最高幹部の二人は多忙であり接待の時間すら取る事はできない。

ミサトの受け取った封筒の中身はビール券の束だった。札束ではない。
ゲンドウや冬月の所にはお中元などで実際かなりの量のそれが貯まる。
実物を送られても困るし商品券も・・・一応公務員である以上は大きくはまずい。
お酒、それもビール券程度なら受け取ったとしてもそれほど高額ではないと思われる。
それならばそれほど問題はないだろうという暗黙のルールのようなものが数年前からできていた。

とは言え、とても二人で飲みきれる量ではない。またそれを表立って換金するわけにもいかない。
数年前からたまっていたそれは、酒豪で鳴る葛城三佐と言え、簡単に始末できないほどの量になっていた。
考えてみて欲しい・・・議員や高級官僚を併せて200人ほどがいて、それらが全員2000円程度のお中元、お歳暮をビール券でくれる・・・
2000円とは少ない金額だと思われるかも知れないが贈収賄などと騒がれるのも癪だ。これも不文律でほぼ決まっていた事だった。
それでも1000円のビール券400枚になる。
ビール券だけで半期に40万円分が貯まるのだ。それも一人分で・・・
1年に二人で受け取る量はその4倍にも及ぶ。
まあ、返礼は経費で落とすことにしている。立場がこちらが上なのでたいした額にはならない。

単純にエビチュが1本250円として・・・・・6400本分だ。
もっとも、表立って換金するわけにもいかず、とりあえずは忘年会などの援助として寄付をしたりして処分してきた。

彼女が今受け取ったのは1000円分のビール券200枚だった。
秘書が全て封筒から抜き出し改めてまとめたものだ。

えーと・・・・・これでエビチュ800本分!!!
ミサトコンピュータはすぐにその数字を弾き出して、損得を判断した。

ちなみにこれは既に封筒と言うレベルではあるがその封筒は縦に立つ。



あえなくビールで買収された作戦部長・・・・・とは言えこの任務は決して背徳的なものではない。
彼女からすると色々な意味で一石二鳥以上なのであり、自分がうまく出来さえすれば何の問題もなかった。





[碇アスカ育成計画]

written by オサーン







その数日後の葛城邸。

「シンジぃ、お風呂沸いてないの?!イヤっ!お洗濯もまだなんて信じらんなーい!!このグズ・・・(以下省略)」
この家の女王様、アスカのシンジを罵倒する声が響く。
それに対してシンジは「ゴメン・・・アスカ。今やるから」
と主夫全開である。


「ただいまぁ♪」
この家の主人、保護者が帰ってきた。
今日はスーパーの袋を提げている。その中はレトルト食品も入ってはいるが普通の食材が入っている。
「あれ、ミサトさん・・・今日買い物頼んでませんよ・・・」
この家の家事全般担当者が不思議そうに尋ねる。


「フフーン♪今日は私が料理します!!」
「うそ・・・やめてよ!!ミサトさん!!」
間を置かずに彼が答える。彼女の料理に対する前科は数知れない。それはこの家のタブーである。
人間の食物とは言い難いものを彼女は度々作ってきた。そしてその犠牲になってきたのは彼と彼女だった。


「ちょ・・・ミサトっ!!何考えてるのよ。アンタの料理なんて人間の味覚を持ったアタシ達に食べられるわけないじゃん!!」
さらに続ける。
「アタシ達は食べなきゃいいだけだけどさぁ、原材料作ってるぅ、生産者の方々に申し訳ないわぁ♪」
そう言ってお手上げのポーズを取ってみせる。


その光景はミサトの神経を逆撫でするのに十分であった。
とは言え、これは作戦だった。彼女は不機嫌さを露わにして演技を続ける。


「あら、何にもできないアンタに言われたかないわよ。何もかもシンジ君に丸投げしてるアンタにね。」

「何言ってんのよ!!シンジが喜んでやってくれるって言うからさせてあげてんのよっ!ア・タ・シはっ!!」

「ホホぅ、じゃあシンちゃんいなくなったらどうすんの?アンタ。単なる何にもできないバカ女じゃなーい♪」



見事に挑発に乗ったアスカ。その証拠にここからは彼女の母国語のドイツ語で話し始めた。
話すと言うより罵っているのは態度や口調を見ていてわかる。
それに対してミサトも流暢な英語で罵っているらしい。

アスカの得意であるドイツ語で土俵に乗ると、口喧嘩で負けてしまう可能性もある。
また、日本語でストレートに話してしまうと傍で聞いているシンジに大幅なイメージダウンは避けられない。
ここは、アスカにも意味がわかり、またシンジに正確なところを掴ませず、さすがにアスカよりも得意な英語で話した方がいい。
このあたりの咄嗟な判断はさすがに作戦部長だった。

実際、あまりシンジには聞き取れなかったが、昔見たベトナム戦争ものの映画で聞いたことのある言葉が多々出てきているようだった。
フルメタルジャケットとかハンバーガーヒルとかプラトーンとかの訓練風景に出てくるそれである。

やがて、ヒートアップしてきてミサトはアスカに中指を立てた。アスカはそれに対して裏ピースをしている。
(ヨーロッパの人なんだな)とシンジは思った。
30分ほど経って、二人とも息が切れて睨み合いを続けるだけになった。話に結論が出たようだ。


「シンジ君、アタシが料理を作って、ちゃんと食べられるようだったらアスカにある課程をしてもらう事になったわ!」
「フン!アタシがそれをすることは絶対にないわ」

「これからアタシが料理をするから、不正がないか後ろで見ててちょうだい。監視カメラ置くわよ。」
「だってさ、シンジ。アタシお風呂入って来るから絶対手伝ったりしちゃだめよ!!」

そう言ってアスカはお風呂に行った。
「じゃあ、始めるわよ。炒め物だけどいいわよね?」
「え、ええ・・・・・」

彼女はキャベツを取り出し何枚かの葉をちぎって洗いだした。まあ、分量も全く問題はない。
そして・・・・・次の瞬間に彼は驚いた。普段とは全く違う事を始めたのである。


彼女は計量カップを数個持ちだして正確に調味料を準備し始めた。
醤油、サラダ油、胡椒、ガーリック、そして塩・・・これらを正確に取り分けて、その他の調味料を片付け始めた。
調味料を完全に片付けたその瞬間、彼はアスカの敗北を直感した。

炒め物、はっきり言って焦がさない限り、よほどの事では失敗しないはずだ。
さらに、彼女の作ろうとしているものは凝ったものではない。手順は非常に簡単なものだ。ミスする要素はほとんどない。

それに食べられなくなるという事はほとんどの場合は味付けが問題である。
味付けが薄いものであれば塩コショウを振ったり醤油を掛けたりすれば食すのに問題はない。
また余計なオリジナリティを加えようとする可能性も今回はない。
今までの彼女の失敗の理由はそれに尽きるがそれを注意しての行動を採っている。
(失敗する要素がここまで全くない・・・・・)
シンジは青ざめた顔をして見ていた。


彼女は野菜を切り始めた。
はっきり言って手際は悪い。とは言え彼がやる場合の2倍以上の時間を掛けても粘り強く作業をする。
炒め物、それもキャベツとピーマンと豚肉だけの非常にシンプルなものだ。
肉にさえちゃんと火が通って、野菜が適当な大きさであれば、野菜の火の通りが微妙でも問題はない。
キャベツを適当な大きさに切る。ホントに適当だ。でも、問題はないだろう。
ピーマンは半分にして種を取った。それを不器用に切って行くが決して細かくはない。でもちゃんと口に入る大きさだ。

彼女は鍋を暖め始めた。強火ではなく弱火だった。腕時計を盛んに気にしている。
「よし!」
油を入れてまた時計を気にしている。
完全にタイムスケジュールと言う感じで準備しているのだ。料理に慣れていればこんなことは感覚でやってしまうがここは初心者全開だった。
指差呼称の上で進行する異様な光景ではある。

「よし!!フェイズ2に移行」

普段の訓練に使う用語が出て来ると今度は野菜を入れる。かき混ぜながら数分経つと彼女の腕時計のアラームが鳴る。
「次の手順は・・・」

肉を入れて、次々に用意してあった調味料を入れる。そしてかき混ぜる。
鍋を振ると言った動作はあまりない。しかし、かき混ぜられて、熱さえ通れば食べられないものはできない。

途中、一度だけ味見をして彼女の手が調味料の棚を開けた。そして取り出したコチジャンを目の前で見つめていた。
しかし、目を閉じて首を大きく何度も振りそれを棚に戻した。
その瞬間、アスカの敗北は決定した。

落ち着いて火を止めてそれを大皿に乗せた。
「さあ、シンちゃん。できたわよ・・・・・」
彼女は大仕事を成し遂げたように汗だくの笑顔を彼に向けた。



食卓はまだ二人だけ、向かい合って座っている。
彼が箸を付ける。そのとき彼女はこの言葉を忘れなかった。
「味付けが薄ければお醤油でも塩コショウでも使ってね」

それを口に入れると・・・・・
「おいしい・・・・・」
「うそ・・・うそ・・・」
そして彼は叫んだのである。
「ミサトさーん!!すごいじゃないですか!!」

確かに細かい面では問題はある。火の通り加減とか、味付けとかは向上の余地がある。
しかし、許容範囲だ。決してこれは食べられないものではない。

ミサトはその言葉を聞き椅子から離れて彼のもとに行った。
そして感極まって泣きながら彼に抱きついた。
「シンちゃん・・・シンちゃん・・・」
感動のあまり言葉が続かない。
シンジは彼女に対しての称賛の言葉を惜しまない。普通の人からすると問題のある発言だが・・・・・
「この前なんて・・・お魚の煮付けにリポD入れてたのに・・・これはちゃんと人間の食べ物ですよっ!!」

その騒ぎを聞きつけ慌ててアスカが戻ってきた。
彼女からしても異変の前兆はあった。お風呂から出ても異臭を感じないのだ。

ミサトはあわてて彼から離れると監視カメラを止め、それを彼女に手渡した。

「不正はないわ。アスカ。」
アスカには向き直って毅然とした態度で言う。
シンジは感動してアスカに話しかける。
「あの、ミサトさんが、ミサトさんがっ!!」


「アスカ食べてみてよ。冷めないうちに。さあっ!」
敗北を認めるのが怖いアスカだが、彼がそう言いながら食しているのを見ると自らも箸を付けざるを得ない。

「うそ・・・・・」

予想はできなかった・・・でも、お風呂を上がった瞬間、そんな予感もした。

これ・・・食べられる・・・シンジの料理には及ばないとは思うけど、コンビニの温め直した野菜炒めより・・・・・
美味しい・・・・・

彼女は一回手に取ったカメラを静かに置いてがっくりとうなだれた。



その次の瞬間、ミサトは悪魔の笑顔を浮かべてこう言ったのだ。

「クアッハッハッハぁ!!どうよ小娘ぇ、アンタにこんなものは作れないわよねぇ・・・上げ膳据え膳だもんねぇ」

「まあ、アンタなんかには一生かかっても、シンジ君においしいご飯を作るなんてできっこないわ!!クアッハッハッハぁ!!」

「これで、女としてわたしの方が優秀だってことが身に染みたでしょう?2度と大きな口を利けないわねぇ♪」

「今まで、わたしの悪口とシンジ君の家事に文句ばっかり言ってたのはこの口かっ?この口かっ?」

アスカの口元を指さして、後にはミサトの高笑いだけが響く。


アスカは上目使いで彼女を睨む。その青い瞳には涙が一杯溜まっていた。
「出来るもん!出来るもん!!」
そう言って首を何度も振る彼女からは涙が落ちる。

「まあ、勝負あったわねぇ・・・プログラムは明日渡すわ・・・クククク・・・ハッハッハッハァッ!!」
彼女は高笑いと共に自室に入った。


「アタシだって・・・やるわ・・・」
そう言って顔を上げたアスカは
「負けてらんないのよぉぉっ!!」

そう一言叫び、さっきまでミサトが向かっていた台所に向かった。
食事を終えたシンジは彼女のその姿に恐れをなして自室に戻ったがキッチンからは大きな音と悲鳴が絶え間なく響いていた。
それが止んだ後、ハウスキーパーのシンジがキッチンに向かうとそこはすでに無人だった。
しかし、そこは戦場のように荒れ果てていた。そして大量の試作品が放置されていた。
それは見た目にも焦げて食べられそうになかったり、つまんでみると妙な刺激があったりと彼の味覚からすると

食・べ・ら・れ・る・モ・ノ
ではなかった。




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