ここはマンション、コンフォート17。



赤いTシャツの上にクリーム色のジャケット
ダークグリーンのバミューダ
スクエア・トゥの薄茶のパンプス

肩から下げた空色のポシェットと一緒に、栗色の髪がたなびいている。



そんなシルエットが、11階の廊下を駆けて行く。









[ お洗濯しましょ ]

written by naoto hasekura







「ただいまー!」

圧縮空気が漏れる軽い音と同時に、玄関から少女の元気な声が飛びこんできた。

バラバラと靴が適当に脱ぎ散らかされる音
トタトタと廊下を走る軽い足音
ガラガラとダイニングの引き戸が開けられる音

そして、

「あっつーい!」

髪を振り乱しながら、アスカは冷房の効いた場所へと駆け込んできた。



セカンドインパクトの影響で地軸がずれ、日本は常夏の国と化していた。
対して、一年を通して冷涼な気候となったドイツ、そこで生まれ育ったアスカ。
この国に住んで1年が経つが、その暑さに慣れることは、いまだなかった。



「おかえり、アスカ」

その言葉と共に、シンジの差し出した、よく冷えたジュースのコップを、ひったくるように受け取る。
アスカはそれを、ゴクッ、ゴクッ、と喉を大きく鳴らし、一息に流し込む。
空になったコップをテーブルにドンと置き、「はぁーーーーーーっ」と大きく息を吐く。

その様子に、シンジは(…ミサトさんに似てきたかな?)と、思う。

命が惜しいのでその考えを頭の中から必死で追い出しながら、
「ずいぶん早かったね、何かあったの?」
と、アスカに尋ねてみる。



今日は日曜日、学校は休み。



アスカが、ヒカリとの約束で部屋を出たのが9時半頃。
そして、今は10時半。
あまりに早いご帰宅である。



「もうイヤになっちゃうのよ、ヒカリったら!
 二人で遊ぶのかと思ってたら、高校生の男が一緒にいて!
 ヒカリの姉さんの友達かなんか知らないけど、
 抜き打ちでデートのセッティングなんかされちゃたまんないわよ!
 アッタマ来てそのまま帰ってきちゃった!」

「そ、そうだったんだ……」

本当に怒っているらしく、一息に言うアスカ。
とりあえず相槌を打ちながら、デートなどしないで帰ってきてくれたことに安堵するシンジ。




ちなみに、いまだ二人は友達以上恋人未満。
互いに意識しあってはいるが、そこから先に踏み出す勇気が、まだ二人にはない。
今の、この微妙な関係が楽しくも切なくもある、そんな二人。





そのまま部屋に戻るアスカが視界から消えてから、シンジは家事の続きをする。

今は洗濯の真っ最中。
シンジは、几帳面にも洗濯機を6回も回すようにしていた。

1. アスカとミサトの白い衣類
2. アスカとミサトの色柄物
3. アスカとミサトの下着類
4. シンジの白い衣類
5. シンジの色柄物
6. シンジの下着類

こんなに手間をかけていては、すべての洗濯が終わるまでに3時間以上かかってしまう。
電気と水と手間の無駄なような気もするが、シンジは家事に手を抜かない男だった。

もっとも、シンジの分を選り分けなければ半分で済むように思える。
ましてやミサトは今出張中で、洗濯物は二人分しかない。

だが、この分別は、アスカとミサトが嫌がるからではなく、シンジが恥ずかしいので、そうしていた。

今は3.が終わり、4.シンジの白い衣類の準備中。
脱水の終わった洗濯物を、かごに取り出す。
洗濯ネットから一つ一つ取り出しながら、どうしてもシンジは、その小さな布切れに赤面してしまう。

(下着の洗濯まで僕にやらせるなんて……)

家族として気を許しているということなのかもしれないが、思春期の少年はちょっと複雑な気分。

とりあえず、昨日着たYシャツ、白無地のTシャツ、買ったばかりの白地のプリントTシャツを、洗濯機に放りこむ。
水は、満水の4分の1ほど。
洗剤と漂白剤は、経験で『この程度』という量を入れる。
柔軟剤用のポケットに適量をセットし、2番目に弱い設定で洗濯開始。



さて、洗濯かごを持って洗面所から出てくると、ジャケットとポシェットを部屋に置いてきたアスカが、ダイニングに戻ってきた。
手には、アスカ専用のバスタオルと、着替えのタンクトップとホットパンツ、そして下着。

「あ、アスカ、お風呂沸いてないよ」
身の回りの状態が快適でないと、常に自分に対して当り散らす少女に、シンジは様子をうかがいつつ声をかける。
それはそうだ、まさか1時間で帰ってくるなどとは思っていなかったのだから。
しかも、さっきの様子からすると、アスカの機嫌はよろしくない。

だが、
「別にいいわよ、シャワー浴びるだけだし」
以外とおとなしい返事が返ってくる。
まあ、出かける前にきっちりお風呂に入っているし、今はこの汗を流したいだけ。
さすがにこんな早く帰ってきておいて、シンジに当たるのも筋違いだろう。

とはいえ、こんな風に考えることが、アスカにしては珍しいのは間違いない。
丸くなってきている理由は……まあ、いいだろう。



「まだ洗濯終わってないんだ…」
つまり、長々とお風呂に入られると困る、ということだろう。
アスカが風呂に入っている限り、シンジは洗面所にはいることさえ出来ない。
そんなシンジに、
「すぐ出るわよ、シャワーだけなんだから」
そっけなく言い残して洗面所のアコーディオンの向こうに消えるアスカ。

…本当に丸くなったものだ。
ネルフの誇る朴念仁は、驚きつつも理由の見当がつかないようだが。



かくして30分後、ちょうど洗濯機が止まったころ、アスカが洗面所から出てきた。
上気したアスカの肌から、熱いシャワーを浴びたことを察したシンジが、アスカに冷たい牛乳を用意する。
テーブルについて、手うちわで顔を扇いでいるアスカにコップを渡すと、シンジは洗面所へと入っていった。

そして……

「わー! 何だよ、これーー!!」

洗面所から響くシンジの声に、いたずらっぽく笑うアスカ。



(アタシのパンツ、見つけたわね……)



最近、シンジのしていることに興味を持ち始めたアスカ。
そのうちシンジの手伝いを、いきなりして驚かせてやろうかな、なんて考えて。
洗濯の仕方も、そのひとつである。

(お風呂に入る前にすれ違ったとき、シンジの洗濯籠には、アタシの下着が入っていた。
 なら、次からはシンジの洗濯物……)

汗を吸った服は、早く洗ってもらいたい。
でも、自分の服の洗濯はすでに終わっている。

ここでいたずら心が沸いたアスカは、動いている洗濯機に、自分の着ていた服を全部放りこんでしまったのである。



「あ、アスカ! 何するんだよ!」
シンジの怒った声。

そして、洗面所から、真っ赤な顔を出すはず。
『あーら、アタシの下着がそんなに嫌いなの?』
そんなことを言ってからかってやろうかと思っていると、

ダン!

思わずアスカが肩をすくめるほどの、大きな足音を立てて、シンジが現れた。
アスカの想像以上に怒った顔をして。

「な、何よ、そんなに怒って……」

思わぬシンジの憤激ぶりに、虚勢を張って見せるアスカ。
だが、そんなアスカの目の前に、

ドン!

と音を立てて、手に持っていたものをテーブルに叩きつける。
アスカはますます肩をすくめながら、それを見る。

それは、ピンク色のシャツが一着、同じくピンク色のTシャツが二着。
よく見ると、ピンクの色に少しムラがある。

どちらも男物、つまり、シンジのものである。

(いつの間にこんな色のを着るようになったの?)
とアスカがシンジを見上げると、それを待っていたようにシンジは口を開いた。

「何で勝手に洗濯物入れちゃうんだよ!
 YシャツもTシャツも、赤く染まっちゃったじゃないか!」


(……あ……)

アスカは気がついて、しまったという表情になる。





あの、赤いTシャツ。





つまり、あれが色落ちして、他の服を染めてしまったのである。

さすがに気まずくなってシンジの顔色をうかがう。



「このTシャツ、買ってきたばかりでまだ着てないんだよ!」

「ご、ごめんなさい…」

「このYシャツなんか、もう学校に着ていけないじゃないか!」

「ゴメン…」

「何だってこんなことするんだよ!」

「えっと、それは……」

「アスカは家事なんか出来ないんだから、余計なことしないでよ!」

カッチーン!

「ちょっと! 素直に謝ってれば、何よ、その言いぐさは!」
「なんだも何もないだろ! 悪いのはアスカじゃないか!」
「だから謝ってるのに、そこまで言われる筋合いないわよ!」
「なんだよ! 本当のことじゃないか!」
「言ったわね、このー!」

ばっちーん!

「大っ嫌い、バカシンジ!」
「こっちこそ!」

   ・
   ・
   ・

「「フン!!」」



のしのしと部屋に戻って行くアスカ。
手形のついた頬を押さえながら、洗濯に戻るシンジ。

ピシャン!

と、大きな音を響かせて、アスカの部屋の引き戸が閉まる。
勢いがつきすぎて、少し開いてしまうが、そこをまた音を立てて閉めるアスカ。

枕を抱いてベッドに腰掛け、今の怒りを反芻して眉を吊り上げて、

ばすんっ

枕を振りかぶって、引き戸めがけて投げつける。
そのまま、ふーっふーっと荒く息をつき、急にシュンとして枕を拾い、抱きしめてまたベッドの端に座る。



(あー、もう、こんなはずじゃなかったのに……
 ホントは、ヒカリにだまされてむしゃくしゃしてたから、
 シンジにかまってほしかっただけだったのに……)



こてっ、と横向きにベッドに倒れる。



(シンジが怒るのも無理ないわよね。
 アタシが勝手にイタズラして、服が三着もダメになっちゃったんだから。
 同じことシンジにされたら、きっとアタシはもっと怒るわよね。

 家事のことでも、アタシが怒るのは間違ってるわよね。
 覚えようとしてるのはホントだけど、内緒にしてるから、シンジは知らないし。
 実際、アタシはミサトほどじゃないにしても、ほとんど出来ないし……

 はぁ……

 なーんで、こんなにすぐ頭に血が上っちゃうんだろ?
 こんなんじゃシンジに嫌われちゃうよぉ……

 もう、嫌われちゃったのかな?
 ……どうしよう、アタシ……)



枕を抱いていた腕を放し、大の字になる。
見上げた天井が、なんだか遠い。
胸がスースーと寒いのは、きっと枕を放したせいじゃない。

枕を取って、顔の上に載せる。
枕越しに、腕の重みが伝わってくる。



枕の隙間から、光るものがこぼれる。
込められたものは、自己嫌悪、切なさ、やるせなさ。



(……どうして素直になれないのかな……

 どうして、シンジの前だと、嫌な女になっちゃうのかな……)





取り留めのない考えにとらわれて、ベッドの上を、右に、左に。

一度シンジが、お昼だと呼びに来るが、引き戸に枕を投げつけて追い返してしまう。



(もうヤダ、こんなアタシ……)



さらなる自己嫌悪。
枕の下で、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる。



そして、泣き疲れて、夢さえ見ない眠りの中へ。










やがて目が覚めると、部屋はオレンジ色に染まっていた。
外を見れば、夕陽は山の陰に沈み行くところだった。

ベッドから起きだし、鏡を見る。



(ヤダ……ひどい顔………)



自分を見返すのは、充血した目の、元気のかけらもない自分。
頬には、いくつもの涙の跡。

顔を洗いに行きたい、でも、シンジにこんな顔を見られたくない……。



顔が出る分だけ部屋の戸を開けて、シンジの様子をうかがう。
ベランダから、洗濯ばさみを外す軽い音。

その隙に、洗面所に駆け込む。
アコーディオンを閉め、洗面台の水を勢いよく流し、何度も、何度も顔を洗う。

涙の跡は消えて、充血した目が落ちついてきても、なくなった元気は戻ってこない。
力のない顔を見ていると、悲しい気分を思い出して、目元に涙が浮かんでしまう。

(ダメ! もう泣いちゃダメ!)

目がまた赤くなるのもかまわずに、両手のひらを目に押し付けてこする。
でも、我慢すればするほど、涙があふれて。

蛇口は勢いよく開かれたまま。
その音の陰で、アスカは声を押し殺して、涙。





ようやく落ちついたアスカが、洗面所から出てきたのは30分後。
うつむいたままのアスカを、おいしそうな夕食の匂いが出迎える。

「待ってたよ、アスカ。ご飯にしよう」

いつもの優しいシンジの声に、精一杯強がってアスカは顔を上げる。

「?!」

アスカの表情が驚きに固まる。

「…シンジ、それ……」

アスカが指差すのは、シンジのTシャツ。





それは、ピンクに染まったプリントTシャツ。





「やっぱり、変かな?」
苦笑するシンジ。

「な、何で…?」

そしてシンジは、とびきりの優しい笑顔を浮かべて、





「アスカの色に染まったヤツだからね、大事に着るよ」





(……バカ!……そんな…そんな顔されたら、アタシ……アタシ!)

うつむくアスカの瞳から、今日何度目かの、涙。

静かに震えるアスカの肩を、シンジはそっと抱きしめる。
一瞬、大きく震えたアスカだが、すぐにシンジに体を預けてくる。
肩から背中に手を回してアスカを支えながら、

「……ごめん、昼間は僕が言いすぎた」

アスカに謝罪の言葉をかける。
アスカはただ、シンジの肩に顔をうずめ、泣きつづける。

「アスカにこんなに悲しい思いをなんて、僕はひどいヤツだ」

突然、アスカの手がシンジの首の後ろに回る。
力いっぱい抱き着いて、でも、顔をシンジの肩に押し付けたまま、

「シンジぃ……シンジぃ………」

ただ、シンジの名を呼び続け、泣きじゃくる。

そんなアスカの髪を片手でなで、もう片手でより強くアスカを抱きしめ、
ただただ、シンジは優しい笑みを浮かべて。










次の週末。



「あれ、シンちゃん? そんなTシャツ持ってたっけ?」
「僕の宝物ですよ」

ミサトの言葉に答えるシンジ。
その傍らに、アスカ。





「ねえ、シンジ」
「何? アスカ」
「家事教えて。アタシも手伝いたい」
「ありがとう。じゃあ、洗濯からだね」
「うん!」





同居人からちょっと先に進んだ少年と少女は、幸せな笑顔を浮かべて。














[ end. ]


 支倉 直人さんからリンク記念にいただいてしまいました。

 超絶的に萌えであります‥‥ところで私も染色したことがあります(笑)

 素晴らしいお話をくださった直人さんに是非感想メールを!

 あと直人さんのページを訪問されたりすると喜ばれるかもしれません。

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