チェロを弾いていた
チェロを弾き続けていた
あの日
あの子が目を覚ますこともなく
両親の元へと帰った日から
ただそれだけを
続けていた




Sweet & Bitter SevenTeen - 2nd Tactice -
Presented by まっきぃ from macky's JunkBox on the web






 それは高校に入ってからも、マナと付き合うようになってすら続けた。
 何故かは判らなかった。
 物事には理由があるというのに、ましてや自分が望んでやっていることなのに。
 僕はただ、弾く事に没頭するのみで、それを考えずにいた。
 もしかしたら、その理由を探すために、弾き続けていたのかも、しれない。
 そう。
 あの頃、その理由を探すためにEvaのパイロットであり続けたように。

「碇先輩、惣流さん、ずっと待ってますよ?」
「ん?」
 僕は弓を降ろして周りを見渡す。鷹取さんの視線の先にアスカを見つけた。
 一つのことに没頭しすぎるのは僕の悪い癖かもしれない。
「ほら、ぼーっとしてないで迎えにでも行ってあげたらどうですかっ!」
 一年年下の女の子に渇を入れられて、僕はようやく我を取り戻し、アスカを手招きで呼び寄せた。
「い、いいの?」
「いいんだよ。見学にでもしておけばいいからさ」
「・・・ずいぶん、アバウトなクラブなのね」
「別に学校に認められてるわけじゃないからね」
 僕から少し離れたところでアスカは椅子に腰掛けた。スコアをめくるのにも音あわせをするのにも邪魔にならない、彼女にしては少し控えめな態度だった。
「学校には認められなくても、それ以外では認められそうよ?」
 遅れてやってきた部長さんがそう言った。
 部長さんの親友でもある、つまり三年生の先輩が聞き返す。
「どういうことですか?」
「これよ」
 部長さんが一通の封筒を差し出す。
「・・・これ、今度の市内コンテストの案内状じゃない」
「え?」
 僕は思わず聞き返した。よく見るとそれは僕だけじゃなく、アスカを除いた全員であったと言っても過言ではない。
「そ。しかもね、碇君宛にはチェロ独奏部門の案内状まで入っていたわ」
 部長さんがもう一通の封筒を差しだしてくれた。僕はその紙を読み始める。
「シンジ?」
 僕は、アスカがすぐそばにいることさえ気が付かず、それを何度も読んでいたらしい。
 そう。
 それは始まりに過ぎなかったことに、僕は愚かなことに最後の最後で気付くことになる。


 市内とは言うが、ここ第三新東京市は国内でも有数の規模を誇る行政区だ。その割に科学が発展しすぎて、僕らがやっているような文化的なところで立ち後れ ていたりする。
 今度のコンテストはその市内の管弦楽団を新設する為の選考会でもある。もちろん僕らも知識としては知っていたが、まさか自分達がそれに参加する、出来る とは思ってもいなかった。参加申し込み基準である「複数回のコンテストへの参加、または一回以上の入賞」を僕たちの誰もが、無論このクラブとしても果たし ていなかったのだ。無理もない。
「でもね、この間の演奏会で新設される楽団の楽長が偶然私たちの演奏を耳にしたらしいの」
 部長が送られてきた手紙を見ながら話し始めた。
「で、一応リーダーである私のところにこの手紙を送ってきたそうよ」
「そっか。学校からの参加じゃないもんね」
「そういうこと。参加費も無料だし、この際みんなで挑戦してみるのも、いいんじゃないかしら」
「でも、そんなに凄い演奏してたわけでもないのにね」
「きっかけは碇君よ」
 部長はあっさりと僕の名前を口にした。無論僕は、僕宛の手紙を見て内容を知っているが、こうも簡単に口を割るとは思ってもいなかった。
「碇君の演奏が特に目を引いたらしいわ。だから楽団設立委員会の方で、碇君とこのクラブが申し込み基準を無視して選ばれたって言うわけ」
「・・・」
 みんなの視線がいっせいに僕に向けられる。
「・・・す、すごいじゃないですかっ!」
 誰が始めに言ったんだろうか。囲まれて大騒ぎになって、僕はただおろおろするばかりだった。
「はい、ストップストップ」
 部長が手を叩いてその騒ぎを止めなかったら、僕は一体どうなっていただろうか。想像するだに恐ろしい。
「本当に碇君だけが凄いんだったら、私たちは呼ばれなかったはずよ? これは私たちの全員の実力でもあるの。そこんとこ勘違いしないでね」
 厳しいことを言っているように聞こえるが、実は全員を誉めていることに、やがて全員気が付く。
「それに、コンテストへの参加権がもらえただけで、楽団に入れるとか、コンテストに入賞できるかって言うのは、また別の話よ?」
 だが、やる気になった全員の顔つきを見て部長は満足そうな顔をし、そして言った。
「学校を飛び越えて、もっと大きなところで認められるチャンスよ? みんな、あと一ヶ月しかないけど、覚悟はいいわね?」
「はい!」
 全員が気持ちよく答えた。
 僕はその時、アスカが上目遣いで何かを考え込んでいたように見えたが、彼女が思い悩んでいる事に気が付くどころか、想像することすら忘れてしまってい た。


 その翌日から僕は、ここ数年縁の無かった過密スケジュールに追われることになる。
 週に四日はクラブの練習、うち一日は日曜日を半分つぶしての猛特訓、そして残った時間は手紙で紹介されたチェロの先生の所へと練習しに行った。
 先生についてチェロを弾くのも実に数年ぶりで最初の三回は緊張したモノだったが、やたら気前よく誉めてくれる先生で僕はすっかり気をよくして通ってい た。


 この時の僕はチェロを弾くことが目的に、理由になっていた。
 僕は、自分が昔やった過ちを、もう一度別の道で辿ろうと、していた。


「・・・碇先輩」
 それはコンテストのほんの二日前、学校での音あわせの最終日のことだった。
「どうしたの? 鷹取さん」
 どこか沈んだように見える彼女と話をし始めたのは練習も終わり、さあ帰ろうかとしたときだった。
「最近、惣流さんと話してます?」
「え?」
 明後日の話ばかりだと思っていた僕は、虚をつかれた。
「・・・やっぱりね」
 その声は別の所から聞こえた。
「・・・洞木さん、それにトウジ」
「お前、何やっとんねん」
「・・・」
 とっさに答えられなかった。
 答は簡単だったはずだ。
 チェロを弾いている。
 僕やこのクラブが認められる舞台は明後日にまで迫っていたのだから。
 たったそれだけのことが、この三人を前にして言葉の欠片すら出てこなかった。
「なんやねん。答えられへんのんかい」
「僕は・・・僕は、チェロを、弾いてる。僕と、このクラブがやっと認められるんだ。その為に・・・」
「そんなもんの為にお前は惣流を泣かしてるんか」
「鈴原!」
「・・・ヒカリは、黙っといてくれ」
 トウジの厳しい声が、かろうじて僕の耳に届く。
 アスカが、泣いている?
 その、信じられないような、そしてあの頃のイヤな思いがよみがえるような、そんな言葉を受け止めるだけで精一杯だから。
「なあシンジ、お前、一体何様のつもりや」
 それでもトウジは構わず続けた。
「・・・人と話すときは目ぐらいあわさんかい!」
 奥歯を噛みしめ、トウジの顔を見る。でも僕のなけなしの根性はそこでつきた。
「もう一度聞くわ。お前、何やっとんねん」
「チェロだよ」
「本気やな」
「・・・ああ」
 トウジはそこで深呼吸をする。
「じゃあ、なんで惣流は霧島の所で泣いてんねん」
「!?」
 僕はそれを聞いて駆けだした。
「今行っても無駄や。霧島には惣流とお前をあわさんようにゆうてある」
「なぜっ!?」
「なんでもへったくれもないわ。なんで泣かしてるかわからん限り、惣流にはあわせられんな」
 僕は洞木さんの方を見た。彼女なら、何か言ってくれるだろう。そんな甘い期待があったのだが、返ってきた答えはトウジよりも厳しかった。
「・・・今、碇君を会わせても、アスカは立ち直れないからよ。あの時の様に、ね」

 僕はその言葉を最後まで聞いたのだろうか。
 判っていたのは、気が付けば夜通し街を走っていた事だけだった。
 そして、朝日が昇ってもまだ、僕には一体何がなんだか、判らないでいた。

 その日のレッスンは全く気の抜けたものになった。
 当然だ。寝てないだけじゃない、体は疲労の限界をとっくに突破していたのだから。
 それでも先生は僕を誉めてくれた。
 ・・・なんでだ?
 さすがの僕も、今の自分の演奏が、誉められるには全く値しないことが判っていた。アスカのことに気を取られてそれどころじゃなかったのだから。
「いいよ、碇君。明日のコンテストは、貰ったも同然だよ」
「は、はい」
 とりあえずそう答えておく。
 でも、僕の思考はそこになかった。


 気が付けば、学校だった。
 おんぼろの旧講堂の入り口に、僕は自分のチェロを持って立っていた。
「・・・」
 別名幽霊講堂と言われる理由が判る。
 昼間などとは比べモノにならないほど怪しい雰囲気が漂っている。
 それでも僕は、そこに入っていった。
「・・・」
 僕は椅子を引っぱり出し腰掛けて、チェロを構えた。
 まず弾いたのは明日のソロの課題曲だった。
 今日、先生の所でなぜか誉められた曲だった。
 この広い講堂ではそれが更に幼稚で、はっきり言ってどうしようもない演奏にしか聞こえない。
「こんなのが弾きたくて、僕はチェロを弾いているのか?」
 自問自答してみる。
 答えは分かり切っていた。
 いくら下手な僕でも、こんなのを弾きたいが為にチェロをやっているわけじゃない。
「・・・何でだと思う?」
 誰も、答える者はいない。
 当たり前だ。幽霊がいたとして、今の僕に助言してくれるとも思えない。
 僕は手の中に収まっているチェロを見た。
 あの戦いをくぐり抜けた、唯一の僕の持ち物。もうすでに十年は経っているだろう、それを。
「・・・失礼なことかもしれないけどさ、僕は何で君を弾いているんだろうね。僕には、そんな簡単なことが、判らないんだ」
 チェロは、答えてくれなかった。


 目覚めは、寒かった。
 僕は講堂のど真ん中で、チェロを片づけただけで、寝ていた。
「先輩。風邪、ひいてませんか?」
「だいじょうぶだよ」
 一人で練習しに来た鷹取さんに起こされた僕は、それに付き合ってから会場へと向かった。
 平日だから、普通の部活動であれば公休扱いだが、僕らは欠席と言うことになる。でもそう言うことは今日始まったことでもなく、全員が飄々と定刻通りに会 場入りした。
「まずは、碇君のソロね。がんばって」
「はい」
 午前中は各パートのソロだった。午後からは団体が始まる。順番の早いうちのクラブは午前中のうちから音あわせをする。チェロは僕だけというこのクラブで はなかなか難しいのだが、みんなのやる気は高い。

 待合室では、僕だけが浮いていた。
 僕だけが迷っていた。
 チェロを弾く、ただそれだけのことなのに・・・

 バイオリン、ビオラと続いてチェロの順番が来る。
 十人中八番という順番を貰った僕には他の人の演奏を聴く時間的余裕はあった。だが、精神的余裕は三人目ぐらいでなくなった。
 みんな、僕よりも遙かに上手かった。
 今更ながら、何故僕がここにいるのか、何故こんな場に呼び出されたのか判らなくなった。ただ、それでも僕はチェロを弾くだろう、そんなよく分からない決 心だけがあった。

「八番、碇シンジ」
 名前が呼ばれ、僕はステージの上へと出た。
 客席を見て一礼をする。
 顔を上げた先には、思ったより多くのお客さんがいた。
 この広い舞台に一人で立って、これだけのお客さんを前にする。何人かが緊張のあまりミスをしていた理由が少しだけ判った。
 でも僕は、そんなことではたぶん、緊張しなかっただろう。
 僕の視線の先にはアスカがいたから。
「・・・」
 今気が付いた。
 いや、今頃気が付いたと言うべきだろうか。
 アスカと顔を合わせるのは、トウジに怒られた日以来ではない。むしろこの一ヶ月間ずっと合わさなかった、といっていいだろう。その間僕の頭の中は今日の ことしかなかったのだから。
「では、始めてください」
 審査員の一人のその言葉を聞いて、僕は椅子を少しだけ傾けると腰掛けてチェロを構えた。
 正面にはアスカがいた。
 今にも泣き出しそうな、悲しい顔を無理矢理笑って押し込んでいる、僕が一番大事にするべき彼女が。

 目を閉じる。
 僕は間違っていたのかもしれない。
 少なくともコンテストの為、ましてやただ弾く為だけにチェロをやっているわけではない。
 僕は初めて、そして唯一人、僕と僕の弾くチェロを認めてくれた彼女の為に、彼女がいつ帰ってきてもいいように、いつでも彼女に聞かせられる為に、チェロ を続けていたのだから。

 チューニングの音を鳴らす。
 昨日の夜、講堂で弾いたのと同じ物だとは思えない程透き通った、今まさに僕が望んでいる音が鳴る。
「・・・君も、そう思うんだね・・・間違いはまだ正せるよね」
 そう、まだ、手遅れじゃない。だって彼女は僕の目の前にいる。僕の演奏に耳を傾けてくれる。

 だから弾いた。
 最初の音を出してからは、ほとんど何も考えなかった。ただただ僕の想いがアスカに伝わるように。

 無伴奏チェロ組曲

 会場のざわめきも、審査員の苦情も、僕には届かない。
 雑音が響き、マイクが切られても僕の音は彼女に届く。
 僕のありったけの想いと技術、それに何より十年連れ添った相棒の出す音なのだから。

 弾き終わった。
 コンテストは、間違いなく落ちるだろう。それでも僕は満足だった。
 アスカの涙を、初めて彼女の嬉しそうな涙を見ることが出来たから。

 そして聞こえてきたのは、審査員達の罵声ではなく、会場中の拍手だった。


 控え室で僕を待っていてくれたのは、クラブのメンバーだった。
「碇君、言い訳は、ある?」
 一番前に立っていた部長が詰め寄ってくる。
 まるであの時のトウジのようだったが、それでも僕は怯まなかった。むしろ部長よりも堂々としていた。
「ありません。みなさんには申し訳ないかもしれませんが、それでも僕はあの時、あの場所、何よりも彼女の前であの曲を弾きたかったんです」
 罵声を浴びせられる事を覚悟で、それでも僕は胸を張って言い切った。
 聞こえてきたのは、拍手だった。
「え?」
「ここにいる誰もが、あなたを責めたりはしない。聞いての通りよ」
「・・・部長」
「ありがとう、碇君。あんなに素晴らしい演奏、本当に久しぶりに堪能させて貰ったわ」
「先輩、凄かったです」
「良くやったな、碇」
 僕は、みんなにそう言われて喜ぶよりもまず、ほっとしてしまった。
「さすがの碇君も、気が抜けたようね」
「そ、そうですね。なんか、今になって震えが来ました」
 みんながいっせいに笑い出す。
「でも先輩? 気を抜くのはまだ早いですよ?」
「判ってるよ、鷹取さん。午後の部だろ?」
「それもありますけど、先輩にとってもっと大事なことがあるんじゃないですか?」
「そうよシンジ、このけなげなアスカちゃんのことを忘れてるんじゃないでしょうね」
「マナッ!?」
 扉の向こうから入ってきたのは、マナと、彼女に引っ張られるようにしてきたアスカ、その後ろにはトウジとケンスケ、洞木さんまでもがいたのだった。

「あ、あの・・・」
 心の準備をしていない僕は、普段よりも更に口べたになる。それがアスカの事に至ってはなおさらだった。
「・・・シンジ」
「な、なに?」
「いろいろ考えたんだけどね、もう何でも良くなった」
 一瞬、頭が真っ白になる。
「アスカ・・・」
「シンジッ!」
 アスカはそう言うと僕の首に抱きついて、来た。
 は、はぃ?
「あ、あのね、ありがと・・・アタシのために・・・弾いてくれたんだよね」
「うん・・・僕こそごめん、なにより、ありがとう」
 それ以上は、言葉にならなかった。
 僕はアスカを一ヶ月ぶりに抱きしめた。
 またいつか今日思ったことを話すときが来るだろう。だけど今は、今だけはこれでいいような気がした。

 気がしただけだった。

「熱いねぇ、お二人さん」
「ほんまや。あんなにマジになったん、アホみたいや」
 みんなが笑っている。
 みんなが笑って僕を見ている。
「・・・あの、アスカ、その」
「イヤ」
「まだ何もいってないんだけど・・・」
「・・・何?」
「あの、離れてくれない・・・かな」
「絶対、イヤ」
「ご、午後の部もあることだし・・・」
「まだお昼にもなってない」
「そ、それに、そろそろここ開けないと、他のクラブの人に迷惑だろうし・・・」
「・・・」
 アスカはようやく納得したのか、僕の肩でぐしぐしと涙を拭くと、そのまま腕にぶら下がった。
「あ、あの・・・」
「これ以上は譲らないわよ? 今までほったらかしにしておいて、この程度で済むんだから腹くくりなさいっ!」
「・・・はい」
 これでまた当分冷やかされるんだろう。
 腹を抱えてまで笑っているトウジとケンスケを蹴り飛ばしたくなったのは、ここだけの秘密だ。


 外は快晴だった。
 今の僕の心のように、と言うと格好を付け過ぎな様な気がするが、そんなことはおいておいても気持ちよかった。
「それにしても、碇君があんなに無茶な人だとは、思わなかったわ」
 部長の言葉。
 僕らは今、昼食をとるためにここにいた。
 控え室で大騒ぎして、半ば追い出されたのはみんな気が付いていたが、そっとしまっておく。
「そんなことあらへんですわ。センセはいつも無茶ばかりしとったんです。最近は大人しかったですけどね」
「そういわれると、そうねぇ」
 トウジとケンスケ、挙げ句の果てには洞木さんまでもが笑ってこっちを見ている。マナに至っては僕の後ろに立ってぽんぽん頭を叩く始末だ。
「みんなさ、僕で遊ぶの、いい加減飽きない?」
「飽きない」
 ケンスケの言葉に全員が頷く。確かに今の、アスカを片腕にぶら下げている僕が何を言っても無駄だとは判っているけど。
「むぅ〜。シンジで遊んでいいのはアタシだけなんだから・・・」
 そのアスカが隣でなにやらぶつぶつ呟いているが、聞かなかったことにする。問題を先送りにしているだけで、何の解決にもなってない。

 そしてもう一つ、解決されていない別次元の問題があった。

「碇君!」
 この一ヶ月お世話になったチェロの先生と、もう一人、実際に会ったのはあのステージの上から見ただけの、新生第三新東京市オーケストラの楽団長、その二 人が走って僕の所へとやってきた。
「君は一体どういうつもりだね!」
 とても音楽を愛する人とは思えないほどの、罵声。僕はそこにかすかな違和感を感じた。そう、何故こんな人が楽団を率いることが出来るのだろうか、と言 う。
「申し訳ありません。ただ僕には・・・」
「言い訳など聞きたくない!」
「・・・僕には、コンテストよりもオーケストラに入るよりももっと大事なことがあったんです」
 逆に言葉を遮った。少なくとも、これだけは言わずにいられなかった。
「そんなことくだらないことを聞いているんじゃない!」
 僕ですら思わずかちんとくる。後ろでは暴れ出しそうなトウジをケンスケと洞木さんが止めているようだった。
「私は、君が入ることを見越してこのオーケストラを設立するんだ。それを君は、台無しにしてくれたんだ」
 おかしい、何かが引っかかる。それはこの場にいる全員が気が付いているようだった。
「確かに『無伴奏チェロ組曲』は難しい曲だ。だが課題曲を無視して合格させられるほど、コンテストは甘くないんだ」
「・・・それはそうでしょう。だから言ったじゃないですか、僕にはコンテストよりも大事なことがある、と」
「君のそのくだらない感傷で・・・っ!」
 ばきっ!
 ・・・思わず手が出てしまった。
 僕よりも手が早いアスカやトウジですら呆気にとられている。
「僕の価値観を、何であなたに決められなきゃいけないんですか」
「ハッ、出るとこに出たら犯罪者のくせしやがって、そんなお前を使ってやろうといってるんだぞ?」
 後ろで息をのむ音が聞こえた。
 一つはクラブのメンバーだろう、そしてもう一つは昔から僕とアスカを知る三人の。
「そのチェロを弾く腕で何人殺したんだ?」
 目の前に立つ男が何かを放り投げるたび、僕の心は氷のように冷たく、堅くなっていく。
「サードチルドレンの・・・おっ?!」
「別にいいんですよ? 今更一人二人殺したところで、僕の罪が消えるはずもないんだから」
 僕は一足飛びにその男の首を右手で締め上げた。
「や、やめなさいっ、シンジッ!」
 アスカの静止がなければ、完全に落ちていたかもしれない。
「・・・つまりこういうわけですね。あなた達はオーケストラの話題性と集客、お金のために僕を雇い入れたかった。世界の救世主であるサードチルドレンの僕 を、ね」
 先生があからさまに狼狽えた。
 たった一ヶ月とはいえ、こんな人の元で指導を受けていた自分が恥ずかしくなる。
 ようやく落ち着いた楽団長も憎悪の視線を下に向けていた。
 まだその視線を僕の目に叩き付けられた方がすっきりするんだけど。
「・・・後悔するなよ」
 捨て台詞とも思えない言葉をあらぬ方向に吐き捨てて、彼らは去っていった。


「シンジ・・・」
 アスカが心配そうな目でこちらを見ている。
「いいんだよ。あんな人に認められるぐらいなら、場末のバーでせこせこと自分の好きなチェロを弾いていた方がよっぽどましだよ」
「でも・・・」
「惣流さん、私たちも、碇君に賛成よ」
「部長・・・」
「欲とお金に汚れた耳で、私たちの演奏は聴いて欲しくない。つまらないけど、それが音楽家としての、私たちの最低限のプライド。碇君はそれを護ってくれた の」
「・・・」
「音楽のこと知らなくてもいい、詳しくなくてもいい、でも感じるままに楽しんでくれれば、それだけで満足なの。あなたもそうだったんでしょ? さっきの碇 君の演奏に感動して、涙した。音楽家にはね、それが一番の賛辞なのよ」
「・・・」
「・・・って、台詞奪ってまずかったかしら、碇君」
「いえ、いいですよ」
 部長のその物の言い様に、僕たちは笑った。
「でも、チルドレンのこと・・・」
「・・・そうだね」
 今まですっかり忘れていたが、先ほどの話で僕がチルドレンであることがクラブのみんなに・・・
「先輩、それはみんな知ってますよ?」
「・・・なんだって?」
 僕は鷹取さんの言葉がまるで信じられなかった。彼女はそれを察したわけではないだろうが続ける。
「だって、私含めて何人か一中の生徒ですし・・・」
「・・・」
「・・・」
「おい、シンジ」
「な、なんだいケンスケ」
「お前、バレてないとでも思ってたの?」
「だってほら、自慢することでもなければ、一応極秘情報だし・・・」
 僕は呆気にとられた。
 解体の時、あれほど口酸っぱく耳にタコができるほど聞かされた極秘情報とは、所詮この程度だったのか、と。
 隣を見れば、やはリアスカも同じように呆れ返っていた。
「ま、」
「いいけどね」
 僕らは顔を見合わせて溜息をついた。
 それを見て、僕ら以外の全員が笑った。

「でも、ちょっとだけ残念ね」
 先輩の内の一人が、あっけらかんと言った。
「そうねぇ。碇君、審査委員長殴っちゃったから、賞はもらえないわねぇ」
「あっ・・・、す、すいません」
「いいのいいの。あんなのが委員長やってるコンテストで賞貰ったって嬉しくないから。でも、学校側に認められないままって言うのは、少しだけ心残りかな。 ま、来年碇君に頑張って貰うまでだけどね。それで許してあげるわ」
「それって、凄く大変じゃないですか? それにこれから先もまだ演奏会あるし・・・」
「そうね。今回はダメだろうけど、ま、徐々にやりましょ? とりあえずは今日、全員が悔いの残らないように演奏すること。いいわね」
「はい」
 クラブの全員が元気な声で返事をした。
 そう。これこそがこのクラブの存在する理由なのだ。


「シンジは幸せ者ね」
「ん?」
「だって、こんなにたくさんの理解者と、こんなに可愛い彼女がいるのよ? まさに無敵のシンジ様ってやつ?」
「それは止めてよ、アスカ」
「ふふっ、どーしよっかなぁ」
「イチゴサンデーでどうかなぁ」
「みっつ。通算で七つ」
「・・・そんなことばっかり覚えてるんだもんな」


 その日、結局僕らは参加賞すらもらえなかった。
 その代わりと言っては何だけど、一番盛大な拍手をもらえた。

 今は、それだけで十分だった。
 そしていつの日かきっと、僕らのやっていることが、僕らが紡ぎだす音楽が、認められる日が来ることを信じて。


「ねえシンジ、アタシ、マネージャーしよっか」
「文化部にマネージャーって、あんまり聞いたこと無いけど・・・」









 まっきぃさんからまたもや投稿作品をいただいてしまいました。
 以前頂いたお話の続きになりますね。

 ちぇろの得意なシンジ君ってのはお約束ですが‥‥シンジ君にとってちぇろこそあいでんちちーで あるかというと、やはりそれは違うのかなーってまっきぃさんのお話読んで思ったのです。

 シンジ君にとってほんとに重要なのは‥‥‥大切なヒトとの絆でありましょう。

 もちろん、シンジを利用することしか考えていない大人たちは大切ではないのです!(笑)

 素敵でありました。
 皆様も読後に是非まっきぃさんに感想メールを出してくださいますよう‥‥。

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