スターダスト

rinker





 彼女の背中を抱くようにして、薄暗闇の中、ぼくはベッドに横臥している。
 顔の前にある彼女の小さな頭。流れ、広がる鈍い銅色の髪。そこに鼻を埋め、芳しい香りを吸い込む。
 彼女の呼吸は穏やかで規則正しい。ともにベッドに横たわり、眠っている彼女を初めて見た時の不思議な感覚を今でも憶えている。
 ぼくは手を持ち上げ、カーブする彼女の肩に指先を載せた。パジャマの生地越しに仄かな体温が感じられる。
 そして、そこから腕の先に向かって、彼女の皮膚の弾力を確かめながら、ゆっくりと指先を滑らせた。

「どうしたの?」

 身動き一つせず、眠気を纏った声で彼女が訊ねてきた。

「柔らかいね」

 彼女の細い腕をなぞりながら、ぼくは答えた。手首まで到達すると、開いた手のひらを彼女の手の甲に重ねる。
 彼女の手がこんなにも小さいと気付いたのはいつのことだっただろう。
 少なくとも少年と少女として出会った昔は、同じくらいの大きさだった。といっても、そのころは大きさを比べてみようという発想さえなかったけれど。

「女の子が柔らかいのは、皮下脂肪と筋肉の量が違うからなんだね」

 自然と絡まる指と指。彼女の華奢で、すべすべした、柔らかい指。ぼくのものとはまったく違う感触。

「どうしてこんなに違うのか、ずっと不思議だったんだ」

「寝ずにそんなこと考えていたの?」

 眠そうな彼女の声は、いささか呆れを含んでいた。ぼくは彼女の小さな後頭部を見て、少し笑った。
 ぼくはただ、ささやかな「気付き」を伝えたくなっただけなのだ。気付いてみればあまりにも当たり前な不思議。それは言葉に出すと滑稽ですらあった。

「やっぱりお砂糖とスパイスと素敵な何かでできているからかな」

「何ならあなたにも仔犬のしっぽが生えているかどうか確かめてあげるわよ」

 繋いだ手をふくよかな乳房に引き寄せ、彼女は小さく息を吐いた。

「眠れないの?」

「いいや」

 ぼくは否定しながら、また彼女の髪に甘えた。

「……したくなった?」

「ううん。そういうんじゃないんだ」

 目を閉じて、大きく深呼吸する。
 ゆるやかに折り曲げられたぼくの身体にすっぽりと収まっている彼女の身体。
 自由なほうの手で彼女の長い髪を掻きわけ、露出した首筋にくちびるを当てると、彼女はかすかに身じろぎをした。

「本当はあたし、星屑のかけらでできているのよ」

「星屑のかけら」

 夢を漂うような彼女の言葉を、ぼくは指でなぞるみたいに繰り返した。
 その言葉には、どこか不思議な響きがあった。

「遠い遠い、遠い昔に、あたしは宇宙をひとりぼっちで漂う、小さな小さな、小さな星屑のかけらだった」

 彼女は絡めた指の感触を確かめるように動かしながら、静かに続ける。

「長い長い、長い旅をする光が行き交う宇宙で、あたしはずっとずっと、ずっと漂い続けていた。光を放つこともなく、纏う大気もなく、どこにも仲間はいな い。宝石をちりばめたような星屑の宇宙にひっそりと隠れて浮かぶ、あたしはそんなちっぽけな存在だった」

 歌うような彼女の言葉に耳を澄ませて、ぼくは閉じたまぶたの裏側に宇宙を思い描いた。
 どこまでも深く、どこまでも広い、無音の暗がり。
 その中を無数のきらめきが長い時間をかけて行き交い、しかし一粒の星屑のかけらが取り残されたように浮かんでいる。
 上下もなく、左右もなく、前も後ろもないそこにただ浮かんでいるというのは、どれほどの気分なのだろう。

「ある時、音を聞いたの。それはあたしが初めて聞く音だった。あたしの内側から聞こえてくる音。どこまでも深く、どこまでも広い宇宙で、あたしだけに聞こ えた 音」

 それはこの指先に伝わる、力強い鼓動のような音だろうか。
 柔らかな乳房としなやかな肋骨を内側から叩く、彼女の熱いハート。
 とても、熱い、真紅のハート。

「それはあたしが何かに引っ張られ ることで生じた音だった。でも、あたしを引っ張るものの正体は? 一体誰がこのあたしを見つけることができたというのかしら」

 彼女は胸を震わせ、大きく深呼吸した。

「引き寄せられるままにあたしは飛び始めた。宇宙を行き交う光の輝線は、あたしが動き始めた途端、複雑に交差し、集中したかと思えば拡散し、至るところで スパークした。
 旅は一瞬、でも永遠より濃密な一瞬だった。身体中を火花が取り巻いて、あたしはぐるぐると螺旋を描きながら、ついには落ちて行ったのよ」

「……どこへ?」

 言葉を途切れさせた彼女の首筋へほとんどくちびるを触れさせたまま、ぼくはささやくように訊ねた。
 彼女はこちらに寝返りを打ち、繋いだ手は自分の胸元へ引き寄せたままにもう一方の手を差し伸べ、華奢ですべすべした柔らかい指の腹 で、ぼくの 心臓の上をそっと押さえた。

「ここへ」

 パジャマの襟元から潜り込んだ彼女の指先は、ぼくの鼓動に正確に重ねられていた。
 まるで不思議な力によって、分かちがたく結びついているかのように。
 たとえば、引力のような。
 たとえば、抗いがたい、強力な、星と星とを結びつける力によって。

「あなたの引力に引き寄せられて、あたしは落ちてきた」

 暗闇の中で彼女のくちびるが艶やかに微笑みを象るのが分かった。

「身体を取り巻いた火花に照らされて、あたしは初めて自分の姿を知った。遠い遠い、遠い昔に、ちっぽけな星屑のかけらだったあたし。でも、今のこの姿は悪 くない わ」

「きみは素敵だよ」

 ぼくが褒めると、彼女のくちびるの隙間から小さな歯が夜空の星のようにまたたいた。

「あなたに恋をしてよかった。心からそう思う」

 きみに恋をしてよかったと思っているのはぼくのほうだ、と口には出さない。
 代わりに彼女のなめらかな頬を撫でてから、豊かな乳房を包み込んでいるパジャマのボタンをもてあそび、彼女の瞳をじっと見つめた。

「ぼくは落ちてくるきみを上手く掴まえることができた?」

「上出来よ。何度かフラついたみたいだけどね」

 くすくすとぼくたちは笑い合った。
 そうしていると、なぜか二人の周りで閃光がまたたくのが見えるような気がした。
 暗闇を照らす小さな小さな、小さな火花。
 無数のそれが彼女の瞳に映りこんで、まるで宝石をちりばめた夜空がそこに広がるようだ。
 遠い遠い、遠い記憶の中に閉じ込められた、きらめく星屑の宇宙を覗き込んでいるようだ。

「……その、ひとついい?」

「ええ」

「やっぱりパジャマ脱がせてもいいかな」

 もてあそんでいたボタンを外し、潜り込ませた指を彼女の心臓の上に置いて、ぼくは言った。
 かつて、どこまでも深くどこまでも広い宇宙で彼女だけが聞いたという音を、指の腹で触れて確かめる。
 力強く、音楽的で、燃えるように熱い。
 皮膚を通じて伝わるこの感動を表すにはあまりに散文的で、間が抜けてさえいるぼくの言葉を、しかし彼女は真剣な表情と熱い鼓動とで受け止めて言った。

「しっかり掴まえてね。あたしが飛び出して行ったりしないように」

 ぼくの恋人はこの腕の中で、美しくしなやかな身体を躍らせた。
 夜空から降る流れ星のように、きらめきに包まれながら。










stardust










恋の引力のお話。

シチュエーションはお好みで。
すべてが上手く行ったその後の世界でも、
平和なパラレル世界でも、
二人きりで残された赤い海でも。

今はこんなのしか書けませんが、これでよろしければ。

ありがとうございました。


rinker


リンカさまより天体観測気分のお二人のお話をいただきました。

天体観測は怪作も何度か経験ありますが……こんなシチュエーションは無かったですねえ。
望遠鏡担いでいくハードな方でしたし、そもそもアスカとシンジは星を見るよりお互いを見つめあっていますが(笑)

素敵なお話を書いてくださったリンカさんにぜひ感想メールをお送りしましょう!

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