好きと言ったら負け るゲーム


rinker




epilogue,さて勝ったのはどちらでしょう




 ミュンヘン国際空港のロビーに降り立ったシンジの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。

「ハロー、ここよ」

 きょろきょろして声の主を探すと、明るい赤茶色の髪の女性が手を振りながら近づいてくるところだった。シンジも手を振り返し、寒さで白くなった息を弾ま せてキャリーバッグをごろごろ 引っ張っていき、彼女と向かい合った。

「久しぶりね、シンジ。ドイツへようこそ」

「うん。会いたかったよ、アスカ」

 飾り気もなく笑顔を浮かべるシンジの胸をアスカは軽くこぶしで叩いて言った。

「あたしも」

 そして、二人は感極まったような表情で無言になり、お互いに見つめ合った。だが、しばらくして、シンジが誤魔化すように冗談めかして 言った。そうしなければ泣き出してしまいそうだったからだ。

「アスカに背を追い抜かされなくてほっとしたよ。今もヒールがあるの履いてるんだよね」

 大人になったシンジとアスカの目線は、あえていえばシンジのほうが若干高い位置にあったが、ほとんど変わらなかった。アスカは片脚をひょいと上げて自分 の靴を見下ろし、それからシンジに視線を戻すと、片眉を吊り上げた。

「これからはもっと低い靴を履くようにしましょうか?」

「悪かったよ。謝るから、噛みつかないで」

 シンジが降参のポーズをすると、アスカは腰に手を当て、芝居がかって言った。

「あら、そんなことしないわよ。実は噛んだんじゃなくて、爪を立てたの。好きなのよ、爪を立てるのが。よく知ってるでしょ?」

「爪あとだらけだからね」

 シンジがおどけると、アスカは赤く塗られたとがった爪をむき出し、「にゃーお」と鳴いた。その声はびっくりするほど猫そっくりだった。

「ところで、他の人たちはどう? 元気にしてる?」

「もちろん。父さんも加持さんもミサトさんも」

「ま、そういう話もおいおい聞かせてもらうわね」

 アスカは手をひらひらさせてそう答えた。
 それから、シンジの顔を見つめてなにやら妙な表情をしていたかと思うと、身体をぎゅっと縮め、「んー!」とうなりながら、ぴょんぴょん跳ねた。

「もう限界!」

 叫ぶやいなや、アスカは勢いよくシンジに飛びついた。驚きながら上手く抱きとめたシンジがアスカのお尻をしっかり支えると、彼の腰に両脚を、首には両腕 を巻きつ けて、彼女は覆いかぶさるようにして熱烈な口づけをお見舞いした。
 長々と時間をかけてから、音を立ててくちびるが離されると、シンジはきらきらと輝いているアスカの表情を眺めながら、慎み深く言った。

「人が見てるよ」

 しかし、アスカは空吹く風とばかりに言い返した。

「だから?」

 二人がいるのは空港のロビーだ。まだ最初の場所から動いてもいない。当然、周りはたくさんの空港の利用客や見送り客でごった返している。
 その真ん中で繰り広げられる、人種の異なる若い美男美女のキスシーンは、もちろん注目を集めていた。なにしろアスカは声が大きかったし、たとえ話してい るの が日本語であっても、愛のやり取りというのはどこの国でもそれほど変わらないものだ。
 若く、情熱的で、羞恥心のない恋人たちだと笑われているような気がして、シンジはあまり居心地がよくなかった。だが、アスカはもう一度シンジのくちびる にキスを落とすと、あろうことか周囲の人々に向かってドイツ語で語りかけた。

「誰か、カメラを持ってる人はいる? あたしたちを撮影したら、世界中に発信しちゃってもいいわよ!」

 誇らしげにシンジに抱きついて宣言するアスカに向かって、周囲の人々は口笛と拍手で温かく(からかいまじりに)祝福した。ドイツ語が多少理解できるシン ジは、彼女の言葉に苦笑するほかなかった。

「まいったな」

「いいじゃないの。タイトルは『恋人たちの再会』で決まりね。退屈な恋愛映画でよくありそうな陳腐なタイトルだけど。でも、あたしたちのは感動的な内容 よ。とりわけ幕引きが抜群なの」

「へえ、どんな風なの?」

 アスカの冗談に付き合ってシンジが訊ねると、彼女は不意に悪戯っぽい表情を引っ込め、うっとりと幸せそうに笑った。

「若かった恋人たちは、たくさんの子どもたちや孫たちに囲まれたおじいちゃんとおばあちゃんになるのよ」

「いいね、それ」

 シンジは心から言った。

「そう言ってくれると思ってたわ。いいわよね、そういうの。最期まで退屈しっこないもの」

 アスカはまた恋人にキスをして、くすくす笑った。

「頑張らなきゃね、シンジ?」

 その意味するところにシンジはさっと顔を赤らめた。

「こんなところでする話じゃないよ」

「ここは日本じゃないのよ? あたしたちの言葉が理解できる人なんていやしないわよ」

「向こうの人、日本人だ」

 シンジがあごをしゃくって示したほうをアスカが振り返って確かめると、確かにそれらしき男性がこちらを苦笑いしながら眺めていた。

「あら」

 アスカは口元を左右に引き伸ばして笑顔を作り、そちらへ向かって指をひらひらさせた。

「ま、そんなこともあるわよね」

 肩を竦めて向き直った彼女の顔を見て、シンジも口を左右に引き伸ばした。わざとらしく。

「さて、そろそろ降りてよ。腕がしびれてきた」

 両手でしっかりと支えているアスカのお尻の感触は素晴らしかったが、何ごとにも限界というものはある。腕がしびれてきたのは本当のことだったし、了解を 得ないまま手を離したりすれば、変な意地を張って巻きつけた手足を外そうとしない彼女に服をずりおろされる恐れがあった。この寒いドイツでそれは勘弁して ほしい、とシンジは思った。

「ちょっと、シンジったら、あたしが重いなんて言うんじゃないでしょうね?」

 アスカは目をとんがらせてシンジに言った。

「まさか。きっと重いのは服だよ」

 シンジは平然と答えた。

「ドイツは寒いからね」

 確かにアスカもシンジも防寒具でぶくぶくと着膨れていた。年中暑い日本で暮らしてきたシンジにとってはそんな格好をするのは初めての経験で、なんて重く て動きにくいんだ、というのが感想だった。といっても、もちろん本当にアスカが着込んだ服がシンジの腕を疲労させているわけではないが、抱きかかえている のが裸の彼 女なら、もう少しは頑張れるかもしれない、と彼はのん気に想像した。
 しかし、アスカは五本の指をぜんぶ使って、にやけたシンジの頬をつまむと、とがった爪を食い込ませながら低い声で警告した。

「あとで覚えてなさいよ」

 そして、シンジをにらみつけながらしぶしぶ彼の身体から降り、自分の足で立った。

「じゃあ、そろそろ行きましょうか。感動の再会もすませたことだし」

「助かるよ。アスカが離れたら、また急に寒くなってきた。動かないと凍えてしまうよ」

 五つの赤い爪あとがついた頬をこすりながら、シンジは本心からそう訴えた。

「バカね、寒いのは当たり前でしょ。真冬なんだから。なんならあたしを抱っこして運ばせてあげてもいいのよ?」

「いや、自分の足で歩くんだ。さ、行こう」

 結構本気で抱っこしてほしかったアスカは頬を膨らませてむくれたが、すぐに機嫌を直すと、死んでも離すもんかというくらいにしっかりシンジと腕を組み、 彼に行くべき方向を指し示してから歩き出した。
 これまでの二人のやり取りを観ていた周囲の人々は、まるで新郎新婦をヴァージンロードから送り出すように、温かい祝福とともに見送った。
 だからというわけでもないだろうが、アスカは心から嬉しそうな笑顔を浮かべ続けていた。やたらと弾むような歩き方をしているのも、はしゃぐ心の表れに違 いない、と彼女が弾むたびに一緒に揺さぶられるシンジは思った。もしかすると、体重が軽いことをアピールしているだけかもしれないが。
 ともあれ、シンジとしても、この再会を心から喜んでいることには違いなかったので、彼女と同じように明るい笑顔を浮かべながら、長時間のフライトですっ かり疲労した両足を振り、一緒になって弾むような歩き方をした。
 ロビーを通り抜けて建物の外に出ると、そこは一面の銀世界だった。

「雪だ……」

 シンジは目の前に広がった世界に目を奪われていた。

「そ、雪よ」

「これ、全部がそうなんだ。すごいな」

 頬に触れた冷たい感触にシンジは頭上を見あげた。すると、無数の真っ白くて小さなかけらが空から舞い降りてきていた。それはまるで、目では見えないほど はるかな高みに暮らす誰かがこの地上に蒔く種子のようだった。
 はるかな高みから風に揺られながら舞い散り落ちるこの美しい種子が根づくのはどこなのだろう。この世界にどんな芽を出すのだろう。
 そんなことを考えるシンジの頬に、またひとひら雪片が舞い落ち、彼の肌に音もなく溶けた。

「本当にすごいね、アスカ」

「ふふ。これからは、これがあんたの日常になるのよ」

 答えたアスカの眼差しは、驚嘆するシンジの横顔に限りなく優しく注がれていた。

「そうか。そうだね」

「そうよ。ま、雪合戦はあとでもできるわ。今は駐車場に向かいましょ」

「うん。……雪合戦って?」

 雪を見るのも初めてのシンジが、雪を使った遊びを知らないのは無理もない。アスカは悪戯っぽく目を細めると、もったいぶって言った。

「それもあとで。安心して、ちゃんと教えてあげるから」

 二人は腕を組み、ぴったりと寄り添って、アスカの車が停めてある空港の駐車場へ向かって歩いていた。シンジは雪の中を歩くのが初めてだったので、足を滑 らせて転んだりしないよう慎重に進まなければならなかったが、アスカも彼に歩調を合わせ、滑りやすそうなところは注意してやりながら、ゆっくりと歩いた。
 道すがら、二人はたくさんの話をした。次から次へと話題は尽きることがなかった。そうやって離れていた時間を埋めていきながら、彼らはお互いへの愛情を 確認し 合った。そして、時折視線が絡む瞬間に会話が途切れると、その狭間で言葉よりも多くのことを伝え合った。
 やがて、駐車場に停めているアスカの車が見えてくると、彼女は離したくない大切なものを抱えるようにいっそうきつくシンジの腕にしがみついてから、努め てなに げない調子で言った。

「あのね、シンジ。実はあたし、ずっと病気だったの」

 はっとしたシンジが足を止め、大きく目を見開いてアスカを見つめると、彼女はゆっくりと彼のほうへ顔を向けて、その大きな青い瞳で、まばたきもせず見つ め返してきた。
 白い雪が音もなく降っていた。雪はアスカの鮮やかな夕陽のような髪や、仄かに色づいた滑らかな頬や、女性らしい曲線を描く肩に触れると、またたく間に消 えていった。そうでなければ、ただ地面に白く降り積もった。
 そしてまた、アスカも同じものを見ていた。白い息を吐きながら彼女を見据えるシンジの眼差しは、まだ空を舞っている雪をも溶かしそうだった。
 アスカは腕を持ち上げて恋人のかすかに震える頬に触れると、指先で優しくなぞってから、雪解けに芽吹く春の花のように、くちびるをほころばせた。

「あたしの病名は恋よ。もう長いことわずらってるの」

 それから、彼女は悪戯が成功したときにいつも見せていた得意げな目付きになって、恋人の頬を軽くつねった。

「碇シンジ欠乏症ともいうわ」

 まんまとしてやられたシンジは、再び歩き始めたアスカに腕を引っ張られるまで、動くことも忘れていた。くすくすと意地悪く笑う彼女に遅れないよう、歩き にくい雪に足をもつれさせて付いて行きながら、彼はやっとショックから立ち直って、負けじと恋人に言い返した。

「じゃあ、これからはアスカの病気はよくなりそうだね」

 シンジの反撃にアスカは目をくりくりさせて彼を見た。

「それはあんた次第かしら」

 車まで到着すると、彼らはトランクにシンジのキャリーバッグを入れた。そして、それぞれ運転席と助手席に座るため、ようやく組んでいた腕を離した。
 運転席でシートベルトを着けハンドルを握ったアスカは、エンジンをかけてから、隣に顔を向けて言った。

「一生かけてあたしを治してね、シンジ」

「もちろん」

 シンジもアスカのほうへ顔を向け、彼女の言葉に答えた。それから、急に身体を乗り出してささやいた。

「ブレーキは離しちゃ駄目だよ」

 心のこもったキスが終わると、再びシンジは席に戻って、落ち着き払った顔できちんとシートベルトを着けた。一方の不意打ちされたアスカは、赤らんだ顔で 咳払いをし、長い髪を何度か指でといてから、改めてハンドルを握り直した。
 ともあれ、ついに自分たちの恋が本当に成就したことを知った二人は、懲りずに見つめ合っていた顔をどちらともなくほころばせた。

「そろそろいいかな」

「ええ。じゃ、帰りましょ」










fin.

 








ついにあとにかく


 最後までお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

 やっと終わりました。本当にやっと。
 やはり続き物などやるものではないとつくづく思い知りました。長かろうが短かろうが、きちんと最後まで書き上げてからお預けするべきでした。
 いえ、前々から分かってはいたのですけど。

 最後となりました今回だけこれまでより大幅に長いのですが、短く縮める労力をかけたり、さらにいくつかに細分化することもせ ず、もう面倒くさいので全部Fにまとめてしまった結果がこのありさまでございます。
 なげやりな私でごめんなさい。

 Fのあとにはエピローグもくっついていますが、「海水浴で海から上がったら、でろっとしたわかめっぽい何かがすね毛に絡んでついて来やがったぜ」みたい な感 じに邪険になさらないで下されば幸いです。
 むしろ「わかめかと思ったらでろっとしたすね毛だった」みたいな新鮮な驚きを感じて頂けると、なおよろしいのですが、もう何がなんだか分かりませんね。 ごめんなさい。
 私個人としては、エピローグを書いているのが一番楽しかったのですが、にも係わらず、書く際にもっとも心配りがされていないのもエピローグです。
 エピローグに限らず、時間が足りなくてあまりきちんと見直していないので、粗が目立つことと思います。大変申し訳ありませんが、どうかご容赦下さい。

 何だか今回もいつもと同じようなお話になってしまったと反省しております。
 マンネリ打破に新機軸を打ち出す必要性をひしひし感じているところでございます。
 ところで、Fのミサトの決め台詞が幸村誠みたいだと書いていて思いました。愛さずにはいられないのよって。
 それから、たぶんペンペンはすごく気まずかったと思います。彼(彼女?)が円形脱毛症をわずらっていないか心配です。それか胃潰瘍。
 おそらく空港のシンジとアスカを撮影した動画は、ユーチューブ的なものにアップされて、地味にアクセス数を稼ぐことでしょう。それでローカル局の取材と か受けて下さいよもう。
 あと、雪が落ちたシンジの頬から不思議な何かが発芽したりしたら、ちょっとしたホラーだと思います。そうするとアスカは冒頭で殺されちゃうやたら悲鳴が でかくておっぱいが大きくて何気にちょっと可愛い女の子Aの役どころになってしまうかもしれません。しかし、これもまた新機軸といえなくもないというか、 まあいえませんよね。
 
 本当はあとがきの中で、このたび珍しく登場させた加持リョウジに関する弁護をシミュレーションさせて頂こうかと思っていたのですが、今猛烈に眠いからや めます。また今度で。
 今回のお話は無事に終わりましたので、次はぬいぐるみ的なものが出てくるお話に戻ったり戻らなかったりしようかなと考えております。

 では、ここまでお読み下さった皆様。怪作様。
 本当にありがとうございました。


 rinker/リンカ



リンカさんの「好きと言ったら負けるゲーム」完結&エピローグです!

アスカとシンジの感情の動きが良く感じられる、いいお話でした。
最初意識しあうくらいだった二人のらぶらぶっぷりは、最後は世界的に拡散するレベルでしたね。

素敵にお話を書いてくださったリンカさんに是非ありがとうの感想メールを!


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