有閑少女のカンヴァセーション、紅茶色

rinker




1.



「つまり貴女は加持一尉のことが好きであると同時に、碇君のことも気になっていると言うの ね?」


相変わらずの無表情で、淡々と、淀みなく、不思議な水色をした髪を持つ少女が
紅茶で染め抜いたような色の髪を持つ少女に向かってずばりと言った。


「まあ・・・・・・、単純に言うとそうなるかしらね、ハン」


ぶっすりとその口舌の刃に刺されたのが堪えたのか、
いささか決まり悪げに紅茶色の髪の少女――惣流・アスカ・ラングレーが答えた。
ハン、という部分が精一杯の抵抗だったのだが、
そこのところに相手が全く無反応では空しさがいや増すばかりだ。


「気になるというのは、積極的な意味で? それとも消極的に?」

「どういう意味よ、それ」


アスカが水色の髪の少女――綾波レイの言葉に含まれる真意を問い質そうとじろりと彼女を睨むと、
それまで顔をぴたりと身体と同じ正面に向けて、特にアスカと視線を合わせようとしていなかったレイが
鳥類のような機敏さで首をくっと友人の方に向けた。
そしてじっとその赤い瞳の焦点をアスカの青い瞳に結ばせた。
アスカはというと、レイが見せたあまりの瞬発力の発揮にどっきりして
密かに5ミリメートルほど仰け反ったのだが、
そんなことよりも彼女がたじろいでいるのはレイの視線の圧力の強烈さだった。
その不可思議で不気味で魅力的な真っ赤な瞳が、ひたと己を捉えて離さない様子に
彼女は戦慄した。
まるで赤外線かレーザでも飛ばしてきそうだ。
いやいやコイツなら出来るかも知れない、何しろコイツは綾波レイなのだ。
秘密組織ネルフの、その隠され過ぎた秘密の7割くらいを、
その真っ白でペッタンコなお腹の中に隠しているのだから。
自分をロックオンしているレッドアイズは、小揺るぎもしない。
まるで、貴女には分かっているはずよ、とでも言いたげに。むしろ雄弁に。
勿論、レーザ光線が飛ばせるかどうかではなくて彼女の言葉の意味の方だ。


「・・・・・・消極的、というのはアタシの内部の感情に対してフェアじゃないでしょうね」


問いかける視線の圧力に耐えかねたのか、
アスカが観念したように溜息混じりにレイに答えた。
むしろその声は独り言のような響きだったが、レイはきちんと聞いている。


「アタシのこの感情は相手がアタシに対して抱いている印象とは無関係にアタシの中に存在するものだし、
・・・・・・にも関わらず相手に対してアタシのこの感情への見返りを期待している・・・・・・、そう、アタシは
それを期待していて、その為の意思表示を繰り返している・・・・・・、どちらの点でも、積極的、でしょうね」

「彼のことが好きなのね」


アスカの告白に対するレイの返答は素早かった。
明らかに初めからこの言葉は彼女の中で用意されていたのだ。
自分が意識的に、慎重に避けていた言葉をずばりと投げかけられて、
アスカは血圧が上昇するのを感じた。
その様子を冷ややかに見て取って―本当に冷ややかに感じているのかは分からないが、
彼女はいつでもそんな印象があるのだ―レイは畳みかけるように言葉を続けた。


「加持一尉のことが好きであると同時に、碇君のことも好きである。
・・・・・・貴女は二人の人間に対して、同時的同義的感情を抱いている・・・・・・論理矛盾ね」


自分の抱えている心理的状態に対する彼女の下した結論に―まさしく、下した、というのが
相応しい口調と表情であった。彼女はいつだって曖昧さを回避するのだ―アスカは呆れてしまった。
そのせいで上昇していた血圧が幾分通常値へ向けて下降した。
アイシィ・ガール・綾波レイにはこんな効用もある。
もっとも血圧を上昇させたのも彼女だから、とても無駄な予感がそこはかとなく漂うのだが。


「論理矛盾って、アンタねぇ・・・・・・」

「おかわりはいかが?」


呆れ顔のアスカに向かって、唐突にレイは訊ねた。
無論、アスカに対する自分の分析を繰り返して欲しいのかと問うているのではなく、
飲み物のことだ。
彼女達の前にはティーカップとソーサが置かれていた。
その中身の液体、つまり紅茶は程よく消費されている。
絶妙のタイミングでの問いかけといえるが、しかし話の流れを全く無視しているところが
何とも綾波レイらしいというか、完敗です、という感じだ。


「戴くわ」


柔らかく答えて、アスカは微笑む。
こんなやり取りがごく自然なことになったのはいつからだったろうか。
彼女はそれを思い出そうと自分の記憶巣へダイヴしたが、一瞬で検索を諦めた。
どうせ思い出せない。
それはきっと、幸福なことだった。
レイは立ち上がり、キッチンへ歩いていく。
本日のホストは彼女であり、そして彼女はこの役目を楽しんでいた。
例によって、非常に分かりにくい楽しみ方を彼女はするのだが。
つまり、楽しんでいることが傍目には察することが困難なのだ。
何て厄介で魅力的な女の子なのかと、局所的に熱烈な支持を受けていると専らの噂である。
ちなみにアスカの方は分かりやす過ぎて、逆に複雑怪奇なお年頃だ。
だって、女の子だもの。
その一言で、エブリシング・イズ・オーケィなのである。



2.



しばらくして、レイが新しく淹れた紅茶をトレイに載せて戻ってくる。
テーブルの上に上品にトレイを置いて、ふわりと体重を感じさせない動作で彼女はソファに腰掛けた。
体重が存在しない訳は、勿論ないのだが、滑るような動作が彼女の魅力の一部なのだ。
ソーサに載せたカップをアスカの方に渡すと、彼女は礼を言ってそっと口を付けた。
豊かな薫りが穏やかな気分を誘う。
そして再び少女達は会話を再開させた。


「今度さ、センタ街のモールに買物に行かない?」

「何故?」

「買物する為よ。当たり前じゃない。別に戦いにいく訳じゃないわよ」

「何を求めに行くのかしら」

「服が欲しいの。がっちりハートを鷲掴みできるようなゴージャスでファンタスティックなア イテムが
アタシには必要なのよ。分かる、そこんとこ? こう、何て言うかさ、もっとこう・・・・・・」


アスカは両手を胸の前で糸巻きみたいにくるくる回しながら言い淀んでいる。
どうやらその動作は言葉を生み出す為のおまじないのようだ、とレイは思った。


「・・・・・・色仕掛けがしたいの?」

「そう! いや、違う! そうじゃなくて、えっと、これは本能よ」

「オスを誘うのが?」

「違う、バカ! ああもう、女の子はいつだってお洒落じゃなくちゃいけないのよ。
それは遺伝子に書き込まれた抗いがたい宿命なのよ。アンタも女の子でしょうが!」

「範疇化すれば。でもそれがさほど重要だとは思わないわ」

「カテゴライズしてんじゃないわよ。どっから見ても誰が見ても女の子じゃないのよ」

「男女の別なんて、大した違いではないわ。生物学的な構造の差異から言っても、
社会学的なジェンダーの差異から言っても、それはあくまで人間の単純化、記号化という・・・」

「ねえ、お菓子、他にはにゃいの?」


レイの講釈を遮って、アスカがテーブルにあった最後のパウンドケーキを
頬を膨らませてもしゃもしゃと食べながら言った。
口に物を含んで喋るのはレディにあるまじきマナー違反だが、今回は緊急避難として
目を瞑ろうとアスカは自分に言い訳した。
レイはというと、その言葉を受けて、はっとしてテーブルの上を凝視する。
初めに紅茶と一緒に用意したお菓子がなくなっていることに気が付かなかったなんて、
ホストとしてあるまじき失態だ、と慌てて立ち上がった。


「ごめんなさい。すぐ他の物を持ってくるわ」

「あら、気を遣わなくたっていいのよ? うふふ」


すでに身を翻してキッチンへ向かおうとしているレイの背中に、アスカは優越の言葉を投げかけた。
こうして、お互いにアルマジキを抱えた少女達の平和はあり得べきバランスに保たれたのである。
やれやれ、理屈っぽいんだから。
紅茶を飲みながら、アスカは心の中で溜息を吐いた。
そんなだから、真っ白な下着しか着けられないのよ。
とんでもない言い掛かりだが、それが事実なのを彼女は知っているのである。
ちなみに本日のアスカの下着は黒である。実は初挑戦でどきどきだった。
朝、姿見の前でポーズを決めながら一人悦に浸っていたのは、誰にも内緒だ。
そしてまさに彼女がそうして早朝一人芝居をしていた時、
隣の部屋では、ある特定の少年が眠っていた―と思われる―のだが、
彼女にとってその状況は何ともスパイシィでエキサイティングなデバイスであった。
ああっ、こっそり覗かれてたりしたら、アタシ、どうしたらいいのかしらっ?
そんなことを考えていると、再びレイが戻ってきた。


「ポテトチップスでも構わない?」

「ええ、オーケィ。問題ないわ」

「それ、司令の真似?」

「違うわよ。冗談よして。あ、でもさ、シンジのヤツが司令の物真似したの、見たことあ る?」

「いいえ」

「もう、爆笑よ。全然似てないんだもの」

「似てないのに、何故笑うの」

「似てないからよ」


アスカは肩を竦める。
多分この娘は大笑いなんてどうやってしたらいいのか分からないに違いない、と思いながら。
本当はやり方なんてないのだが。笑う時は笑う。それだけの話だ。


「いつ行くの?」


と、レイ。
話が唐突に飛んだ。
だが彼女達は二人とも頭の回転が早いので、そのことによっては会話に支障を来たさない。
いつ行くのか、とは、勿論アスカの言った買物のことだ。


「そうね、今度の土曜。日曜はもう予定が入ってるから」

「碇君と映画に行くのね」

「えっ! 何で知ってるのよう・・・・・・」

「碇君が相田君の誘いを断わっている場面に居合わせたから。
勿論、彼はその理由を挙げて相田君を納得させていたわ。だから、私はそれを知っている」

「あ、そう・・・・・・」

「何か不都合があったかしら。私が知っていることが気に障った?」


レイがぽりぽりとポテトチップスを食べながら、考え込むように口を尖らせたアスカを見て、訊いた。


「いや、別にいいんだけど。バカシンジのヤツ、口が軽いんだから、まったくどうしようもないわね」

「・・・・・・嬉しそうね」

「うぅ・・・、そんなことないもん」

「無理しなくていい」

「・・・・・・へ」


堪え切れず、といったところだろうか。
綾波レイは友人のにやけた口元から零れた笑い声らしきものを聞いて、そう分析した。
それにしても彼女の顔筋には軽微な問題が発生しているらしい。
彼女の標準の表情よりもかなりの逸脱が見られる。
つまり、いつもは引き締まっている彼女の顔が、かなりの程度で弛緩してしまっているのだ。
だが勿論、生命活動に支障を来たすことはないので、問題としてはそれは軽微なのだ。
何てだらしない、けれど人間味のある表情・・・・・・、興味深い。
そのことをアスカに伝えようかとレイは思ったが、彼女が行動に移る前に
アスカは自分の様に気付いたらしく、咳払いをしながら居住まいを正した。


「今のは見なかったことにして」

「何故」

「乙女として問題があったからよ」

「問題から目を逸らすのはよくない・・・・・・」

「・・・・・・分かったわ。アタシはにやけてたわよ、ええ、もうばっちりと。
悪い? アタシは日曜デートなの。そのデートの相手がちゃんとそれを認識してることが分かって
気分がよかったのよ。加えてデート当日の様子を思い浮かべれば、もう最高。
分かる? 快感だったの。エクスタシィよ。めくるめく心境だったの。叫び出したいくらい」

「そう・・・・・・」

「理解したわね? じゃあ、もう思い出さなくていいわ」

「何故」

「もうっ、何故何故って子どもみたいに。恥ずかしいからよ」

「恥じらい・・・・・・」

「そう。人間の美徳よ」

「だらしない顔は恥・・・・・・」

「アンタ、言ってくれるじゃないのよ。とにかく忘れてよ」


むっとした口調で話を打ち切ったアスカの顔を見て、
レイはどうやら失言をしてしまったらしいと思い至った。
ここはやはり謝るべきだろうか。機嫌を取っておくべきだろうか。
考えに考えて、彼女は紅茶を一口飲んでから、アスカに言葉を掛けた。


「私もデートしてみたい」


レイの口から放たれたその波長が空気を伝わってアスカの鼓膜を振動させ、
それを彼女の脳が認識した途端、呆気に取られた表情で彼女はレイのことを見つめた。


「あら・・・・・・、あらあらあら。アタシってば、アンタの新しい一面が生まれる瞬間に立ち会ったのかしら。
どういう心境の変化が起こったの。男女の別に重きを置かない綾波レイが、デートがしたいですって。
アタシ、アンタはそういう話題から一番縁遠い存在だと思ってたわ。だって、興味ないんでしょ?」


友人の驚愕的な発言の為、興奮してしまったのか口数の多いアスカ。
そんな彼女の顔を見て、レイは完璧な微笑みを浮かべて、更に言った。


「エクスタシィを経験してみたいの。さっきの貴女のように、とろけるような快感を」

「コイツッ!」


がばりとアスカはレイに襲い掛かった。
からかわれたと分かったのだ。しかも、なかなかに恥ずかしかった。
彼女達はL字型に置かれたソファにちょうど90度の角度で斜めに向かい合って座っていた。
その位置から一息で飛び掛かったアスカの瞬発力もなかなかのものと言えるだろう。
飛び掛かられたレイはというと、目を丸くして、「わっ」 と色気のない悲鳴を上げた。
少し驚いたようだ。
だが襲撃された身だというのに、どうしてだかまるで緊迫感を感じない。
レイの上に圧し掛かって彼女の頭をぐいぐいと押さえつけていたアスカは、
彼女の表情を見て呆れたように攻撃を止めた。


「何笑ってんのよ」

「え?」

「フン、女に襲われてニコニコ笑うかぁ、普通? 変態!」


勿論、アスカの言葉は冗談である。親愛の表現といってもいい。
上体を起こして腰に手を当てて、楽しそうに笑っているレイを見下ろした。
アスカは彼女に馬乗りになったままだ。


「機嫌、直った?」

「別に初めっから怒ってないわよ」

「声が怒っていた」

「・・・・・・癖なのよ。気にしないで。悪かったわ」


そう言ってアスカはレイの上から身体を退けて自分が座っていた場所に戻った。


「アンタ、相変わらずパッとしないの、穿いてるわね」


レイの腰から下を見ながらアスカが言った。
アスカが飛び掛かったせいで彼女のスカートが捲れ上がって中の下着が顔を覗かせていた。
3枚組み980円とかで買ったんじゃないでしょうね。
アスカはじろじろと友人の股間に不躾な視線を送りながら考えた。
レイが起き上がって乱れてしまった服や髪を整える。
スカートの裾も慎みを取り戻し、アスカは彼女に視線を送るのを止めた。


「パッとしないとは、下着のこと?」

「もっと可愛いの、買ったら? 男のブリーフじゃあるまいし」


言いながら、アスカは日頃よく目撃する同居中の少年の洗濯物を思い出して、少しだけ呼吸が乱れた。
最近は慣れたはずなのにな・・・・・・。


「用は為しているわ」

「為してないわ。全然、足りてない」

「何が足りないの」

「魅力が、よ」


心底分からないという顔で質問をぶつけてくるレイに向かって、アスカはつんと顎を尖らせて答えた。


「そんなもの必要ではないわ」

「それはアンタの認識に誤りがあるのよ」

「私の定義に私が従うことは誤りではない」

「間違ってるわよ、誰が何と言おうと! ああもう、決めた!
今度の土曜はアンタの下着も服も買い捲るわよ。いいこと? これは決定事項よ」


レイに向けて腕を真っ直ぐに突き出して、アスカはぴしりと指を突き立ててみせた。
その友人の指を、無表情のレイが手を上げてそっと目の前から退ける。


「強引ね」

「だから何よ」


冷ややかな、僅かに呆れたようなレイの言葉にアスカはまったく動じない。
そしてレイもまた、高慢に顎を尖らせたアスカの言葉に動じなかった。


「いえ、別に。では土曜は空けておきましょう」

「そうそう。空けておきなさい。そしてたっくさん、買物するんだから」

「そんなに買ってどうするの」


衣装持ちの友人の意気込みを見てレイはいささか呆れた声を出した。
彼女にしては珍しいことといえるが、それほどアスカの買物量の多さを知っているのである。
さしものレイも、いつもいつも買い過ぎじゃないかと思ったのだ。
彼女にとって、装うという行為は今だに馴染まないものの一つだ。
無論、多少は必要だろうが、あまり過ぎると逆効果のような気がするのだけど・・・・・・。
しかしアスカはそんなレイの呆れも気にせず、ポテトチップスをぽりぽりと美味しそうに食べていた。
魅力、とは、全てを取り払った内側から見えてくるものなのではないかしら。
レイは紅茶を口に含んだ。
少なくとも、ごく少数の人間ではあるが、レイが彼らに魅力を感じた―という気がした―時、
彼女はその外面をまるで問題としていなかった。
別に装飾そのものに惹かれる訳でもないだろう。
その装飾が示す彼または彼女の人格に惹かれるということはあるかも知れないけど。
確かにいつでもよく見てもらいたいというアスカの気持ちは微笑ましくはあるけど・・・・・・。
紅茶を飲んでいるとアスカと目が合った。
レイがカップを口から離して微笑むと、アスカは歯をにっと剥き出して明け透けな笑みを返してきた。
こういうところは好きだわ。
そう・・・・・・、魅力的。
ますます彼女は微笑みを深くした。


「アンタがそんなニコニコ笑うようになるとはねぇ。エントロピィの増大かしら」

「そうかも知れないわね」



3.



ところで彼女達はエヴァンゲリオンと呼ばれる兵器のパイロットであった。
といっても、今では戦闘に出ることはない。すでに敵は退けたからだ。
しかし兵器の特質上、乗りこなすことが出来るのが彼女達しかいない為、
今でもテストパイロットのようなことを続けている。
さほど危険もなく、忙しくもない彼女達は、正直なところ暇であった。
命懸けの日々が過ぎ去ってしまうと、後に訪れた平凡な日常は気の抜けたコーラみたいに
まるきり刺激というものに欠けていた。
綾波レイは、それまでその身にほとんど備わっていなかった人間性を追及することを始めた。
理由は自分でもよく分からない。
碇シンジにそのように促されたからかも知れないし、
一緒に暮らすようになった赤木リツコとの関係が彼女の感覚を刺激したのかも知れない。
あるいは、赤木リツコの飼っている猫がレイに餌を強請って甘えたからかも知れないし、
ある晴れた日に風に捲くられた彼女のスカートの中を見て、
知らない男の子達が口笛を吹いて笑ったからかも知れなかった。
発端となった動機はともかく、その作業はまずまずの成果を上げていた。
彼女が驚いたのは、自分の変化と共に、自分を中心として認識される人間関係も変化していくことだった。
変化した自分が周囲に何らかの作用を及ぼしたのだろうかと、彼女は考えた。
それは世界を変革する力だと彼女は思い、自分にそんな力があることに驚き、
やがてその力は誰にでもあるのだと気付いた。
非常に興味深い。人間は、面白い。
生きることは、面白い。
緊張感のない日々は退屈で平凡だったが、綾波レイはそれでも概ね満たされていた。


「テレビ、面白い?」


レイがアスカに問いかけた。
紅茶色の長い髪を持つ少女は、先ほどからテレビを付けてアニメを熱心に見ていた。
小学生の少女が見るような可愛らしいアニメだ。


「別に。何となく見てただけ」


アスカはレイの方にちらりとだけ視線を送り、それから気のないような素振りで肩を竦めてみせた。
それにしては随分と息を詰めて、テレビ画面を見つめる視線にも力が入っていたと
レイは思ったが、口に出すのはやめておいた。
脳内でシミュレーションした結果、彼女は怒り出すだろうという結論が出たからだ。
いや、そんなことをするまでもなく、彼女の反応など読めるのだが。
アスカは、意外にこうした子ども染みたものが好きなのだ。
恐らく抑圧された少女時代に原因があるのだろうとレイは推測した。
彼女の推測はその通りで、アスカは子ども染みたもの―昔手に入らなかったもの―が好きだった。
たまたまテレビをつけてチャンネルを変えていたらアニメが放送されているのを発見し、
ついそれに見入ってしまった。
こういう時、自分はその興味を惹く対象に向かって吸い込まれそうな目をしているのだと
一緒に暮らす少年が言っていたのを彼女は思い出した。
子どもみたい、と彼は笑った。
バカシンジ、アタシはアンタより大人よ、と言い返して彼を軽く叩いた。
しかし2発目は手首を掴まれ、阻止された。
その時の手首の熱さ。
彼は易々と自分の手首を握って抑え込んでしまう。
出会ってから2年以上の月日は、彼と彼女の体格差を明確にしつつあった。
この人は男で自分は女なのだ。
そう強烈に知らされる瞬間が、ある。
加持リョウジは初めから大人だった。例えば父親が初めから父親で、母親が初めから母親であるように。
そういう当たり前の安心感があったのだ。
大人の相手をするのは大人。
だから加持の気を引く為には自分は大人でなくてはならず、
また彼の気を引くことが出来たなら自分は大人なのだ。
彼女はそのように思っていた。
恋慕というマントを被ったこの少女のゲームに、しかし加持リョウジは乗ってこなかった。
端から彼は真剣に取り合おうとせず、それは今だにそうである。
刻一刻と大人に近付いていっている近頃のアスカを見ても、やはり彼の視線は昔と変わらない。
次第にアスカは果たして自分の加持に対する恋は本物なのだろうかと危ぶむようになった。
自分の誘いにまったく乗ってこない加持に腹を立てるのは昔から変わらないが、
少し経てばけろりとして、再び彼に対して同じことを繰り返すところも変わらない。
彼女は自分の“本気”を疑うようになっていた。
果たして本気で彼を手に入れるつもりが自分にあるのだろうか。
じゃれつくことが嬉しいだけなのではないか。
葛城ミサトと並んで立つ加持リョウジの姿を見ても、以前ほどには心は波打たない。
褪めてしまったとかそういうことではなくて、何となく自分は落ち着いてきたのだと感じる。
彼のことが好きなのだ。本当に。
けれど、彼と自分の関係の変化が訪れる予感はあまりしなかった。
それともこれは、諦めかけているのかしら、とも思う。
しかしその割に、まるで悲愴を感じないところが少しだけ気に食わなかった。
空き缶が足元にあったら、蹴っ飛ばしたくなるような感覚。
でも泣いたりはしない。
カーンと一発、シュート!
それだけで少しすっきりするのだ。
恋してる癖に、もう少し盛り上がりがないものかしら、と息を吐く。


「アンタはああ言ったけどさ・・・」

「え?」


また話が飛んだ。
突然、アスカが発した言葉に、レイは紅茶のカップを口に運ぼうとしていた手を止めて
彼女の顔を見つめた。


「アタシはそうは思わないな。人間ってそんな単純なものじゃないよ」


アスカがじっと見ているテレビ画面では、星が瞬くように輝く大きな瞳をした少女が
少しだけ斜に構えたような鋭利な表情の少年に向かって顔を赤らめていた。
少女の横では、少しだけ体の小さい、優しげな男の子が呆れたような溜息を吐き出していた。
その溜息を表現する、真っ白な空気の塊。
ぱっと現れて、ふわりと消える。
愛らしいくらいの単純さ。明快な記号。


「そう?」

「人間は機械じゃない。矛盾とはそもそも人間に備わった形質よ。いえ、矛盾に耐え得る形 質、かしら。
それによって内包されるランダム性とカオスこそが人間的なんだわ。ねえ、そう思わない?」

「つまり、たとえ二人の人間に並立すべきでない感情を抱くことも、肯定するのね」

「うん・・・・・・、でも、そこからアタシがどういう行動に移るのか、アタシが何を選び取 るのか。
それはまた別の話だけど、アンタが言うほど単純じゃない」

「論理矛盾ではない?」

「そもそも論理ではないというべきかしら。家の中でリツコがアンタに一体どういう接し方を しているのか
知らないけど、例えばアンタにとってもっとも小さくて身近なこの人間関係を、論理で説明できるの?」


アスカの問いかけにレイは目を丸くした。


「そう・・・・・・、そうね、私は・・・・・・彼女が好きだわ」

「それで」

「彼女も私のことを想っている・・・・・・、私はそう感じている。
彼女は優しくて、温かい。温かくて、柔らかい。柔らかくて、懐かしい。
家族とは、こういうものなのかと思わせてくれる。私達は、家族なんだ、と」

「でも、アンタは知ってるはずよ。初めはそうじゃなかった」


綾波レイは目蓋を閉じて腹の前で庇うように両手を組み合わせた。
勿論、アスカの言うことを承知していた。
赤木リツコは自分を憎んでいた。
道具と生命。創造と破壊。憎しみと愛。母親と娘。忠誠と破戒。
存在の価値、あるいは無価値。
そして、彼女、綾波レイは、赤木リツコにまったくの無関心だった。
それが何故、家族となり得たのだろう?
この関係は一体何なのだ。この現象は何だ?
まったくもって論理的でない。救いがたいほどの矛盾。


「そうね・・・・・・、上手く説明が出来ない。つまり・・・・・・」


レイはそう言って、ゆっくりと瞬きをした。


「ただ、好きなの。どうしようもない・・・・・・筋道をつけられない、けれど」

「アタシだってそうよ。どうしようもないのよ。だって、そうなっちゃったんだもの。
そしてそれで壊れるほど人間は単純じゃないの。矛盾をそのまま受け入れることが出来る。
でも、そのままでいいと思ってるわけじゃない。だから・・・・・・、結局そこが問題なのね」


溜息をつくようにアスカは俯いて言った。
テレビ画面から脳天気な鼻声の歌が聞こえてくる。
30分間の夢の終わりを告げる儀式だ。
アスカはそっと目を伏せた。
夢。現実の合間にある捉えられない隙間。時として現実よりも大きい隙間。
現実。それを定義しようとして初めて認識できるだけの不確かなもの。感じられない基底。
生。エネルギィ交換、繁殖行動、思考活動。死の夢見た幻想。
死。思考停止、有機体腐敗、循環。個性消失。生を夢見た現実。
アタシは果たして今、現実にいるのだろうか。それとも夢を見ているのか?
この紅茶の美味しさは現実、それとも夢?
加持リョウジへの恋慕は現実、それとも夢?
碇シンジへの愛おしさは現実、それとも夢?
もし自分が夢を見ているのなら、醒めなければいいのだ。そうすれば夢は現実と同義。
それは心地好くどこまでも続く・・・・・・。
レイが立てたカップをソーサに戻すかちゃりという音で我に帰った。
馬鹿なことを考えているな、錯綜している、とアスカは思った。



4.



「ねえ、古文の宿題、やった?」


出し抜けに話を変えるアスカ。
ふと思い出したのだ。
古文は彼女の苦手中の苦手である。どうしたって馴染めない。
続けて彼女はぶつぶつと文句を言った。


「ああ、もう最悪。大体、あんな大昔の言葉遣いなんか、勉強しなくたっていいじゃないのよう」

「昨日出た宿題? それなら済ませたわ。貴女、してないの?」


私もやってないの、ほんと最悪よね、などという可愛げは綾波レイには装備されていない。
少なくとも、今のところそういったオプション機能は付いていないのである。


「だってぇ・・・・・・」

「碇君に教えてもらったら」

「うぅん・・・・・・、いつもいつも頼むのもねぇ。かっこわるいじゃない」


と、アスカがクッションを抱き締めて顎を乗せながら言った。


「何が格好悪いのか分からない」

「アタシはぁ、男に甘えるだけの軽い女じゃないの。一人で立てる女なのよ」

「じゃあ、一人ですれば」


と、冷ややかなレイ。


「だからぁ、出来ることはぁ、自分でやるけどぉ・・・・・・、ね?」

「知らないわ。何でさっきからそんな頭の悪そうな喋り方をしてるの」


じろりとアスカのことを睨みつけて、レイはゆっくりとソファの背凭れに凭れて足を組んだ。
これはかなり苛立っている証拠だ。彼女は普段、足を組んだりはしない。


「ヒュウッ、レイったらかっこいい。冷たい感じがセクシィだわぁ」

「何が言いたいの。宿題を写させてくれとでも?」

「まっさかぁ。そんな卑怯なことはしないもの」


目を丸く見開いて大仰に手を広げて振るアスカに、レイは溜息を吐いた。


「碇君に教えてもらうのでしょう。それが嬉しいからって、わざわざ照れ隠しの演技を見せないで。
その頭の悪い甘えた振りは、貴女の芝居の中で一番不愉快だわ」

「エヘッ、ばれた? 参ったなり」


ぺろりと舌を出して、アスカはおどけてみせた。
レイが息を吐き出しながら、腕を組んで彼女を見ていると、
彼女はひょいと足をソファの上にあげて、腕で抱えた。
身体と足の間に挟み込んだクッションの上に顎を乗せて、幸せそうな溜息を吐く。
頼まなくたってシンジはきっと古文の宿題を教えてくれる。
自分がそれに困るのを彼は知っているからだ。
勿論、彼が察してくれるのは何も古文の宿題だけではなく日常のあらゆる場面であったし、
彼女の方も彼が言葉にしなくても彼のことを察することが出来た。
言わなくたって通じるって、何かいいわよねぇ。これはシンジとだけよね。


「あぁあ・・・・・・、やっぱりアタシの相手はアイツなのかしら」

「貴女次第でしょう。加持一尉だって可能性がない訳ではない。ゼロではないわ」


パンツ、真っ黒だわ、とレイは足を上げたせいで丸見せのアスカの股間を見ながら思った。


「オーナイン・システム、とかつまんないこと言ったらクッション投げるわよ。
でもさぁ、シンジって・・・・・・・、シンジって・・・・・・」

「何」


言い淀むアスカに、レイは胡乱げな眼差しを向ける。


「シンジ、最近、男くさくなってきたのよねぇ、何となく。部屋とか特にさ」


そう言って、アスカは口を尖らせた。


「なぁんかさ、あんなヤツでも大きくなればむさくなるのね・・・・・・。背、伸びたしさ。
こないだなんか、髭剃ってたのよ、洗面台で。神妙な顔しちゃってさ。まだ生え始めみたいだけど。
力も強くなってきたし、アタシに対して手加減する瞬間があるのよ。ホント、生意気!」


背凭れに思い切り身体をぶつけて、抱えたクッションをぎゅうぎゅうと押し潰しながら、
彼女は喚きたてた。
レイはアスカの言っていることがよく分からなかったが、
アスカの感じている理不尽さは、どう見ても彼女を不快にしているようには見えないと思った。
むしろくすぐったがっているようだ。
顰めさせた表情の裏側に照れ臭いくすくす笑いが隠されている。
恋とはよほど己を偽らずにはいられないものなのね、と冷め始めた残り少ない紅茶を飲みながら考える。
厄介なこと。それに彼女は相手を意識するあまり、自分のことが分かっていない。
そこらへんを分からせてやろうと、親切なレイはストレートに思っていることを言ってみることにした。


「そうなの。でも、貴女もにおうわ」

「え?」

「貴女も、におう」


ソファの上で尻を弾ませていたアスカが、レイのストレートな言葉に固まった。


「嘘っ、ど、どういうこと。やだ、アタシ、臭い? ねえ、変な匂いがするの? どんな感じに?」


うろたえた様子で、アスカはクッションを放り出して服の襟元を引っ張ったり
腋に鼻を寄せたりして、くんくんと懸命に自分の匂いを確認している。
その様子を見て、レイは予想外の過剰な反応に目を丸くした。


「ちょっとぉ! 澄ましてないでちゃんと教えてよ!
嫌な匂いがするの、アタシ? 訊いてるんだから答えてよ!」


次第にアスカは腹が立ってきた。
こんなショッキングなことを平然と口にして、コイツはうろたえるアタシのことを見て楽しんでるんだ。


「ねえってば! 誰か他の人もそう言ってたの、まさか、シンジとか?」

「ああ・・・・・・、そういえば」

「ちょっと、ホントに・・・・・・?」


ほとんどアスカは青褪めていたが、レイは相変わらずの調子で続けた。


「碇君もそう言っていたわ」

「アア、アアアタシのことが臭いって・・・・・・?」

「アアアタシ?」

「真面目に答えろ!」


怒鳴りつけてクッションをぶん投げた。
素晴らしい速さで飛んだクッションは、レイの水色の頭に激突して、ぼすんと埃を立てながら
ソファの裏に転がった。
さしものレイもむっとした。
別にクッションをぶつけられたくらいはどうということもないが、
何だってこの友人は人の話を聞く前から勝手に苛立っているのだ。黙って聞いていればいいものを。


「興奮しないで。話さないとは言っていないでしょう。さあ、聞く気はあるの?」

「う・・・・・・、悪かったわよ。それで、シンジは何て言ってたの。お願い、教えて」


レーザ光線を飛ばしそうな赤目に睨みつけられて大人しくなったアスカは
足をソファの下におろして、膝の上に両手を揃えておあずけさせられた犬みたいにレイの言葉を待った。


「そう、碇君は、アスカの部屋に入るのが最近気まずくなってきた、と言っていたわ。
確かに、私が貴女の部屋に行った時も思ったけれど、独特のむっとする匂いがする。
碇君にとってはそれが少し刺激が強いみたいね。昔よりきつくなってきたと言っていた」

「シンジ、嫌だって・・・・・・?」


泣きそうな顔でアスカが訊ねた。そんなに自分の体臭はきついのだろうか。


「嫌というより、恥ずかしそうだったわ。小声で、内緒だって断わりながら話してくれたもの」

「ねえ、どんな匂いなの。そんなにアタシ、体臭が強いの?」

「そうね・・・・・・。敢えて言うなら、花のような匂いかしら。不快なものじゃないわ。
確かに、貴女独特の匂いであって、説明するのが困難だけど」

「臭くはないのね?」


少しだけほっとしたような表情になったアスカを見て、レイは腰を上げて彼女の隣へ移動した。
そして不思議そうな顔をしてそれを目で追っていたアスカの方に体を向けて、彼女の両肩を掴んだ。


「へ? な、何?」


真っ直ぐにレイはアスカの目を見つめている。
アスカも動くことが出来ず、その眼差しをじっと受け止めていた。
まさか、キスかしら。
駄目よ、アタシ達、女の子同士だし。別に嫌じゃないけど。
いや、そうじゃなくって、アタシがキスするのはシンジだけ・・・・・・。あ、加持さんも。したことないけど。
そんなことを考えていると、レイが顔を近づけてきた。
でも何でこんな展開に・・・・・・、あ、唇の形がシンジに似てる・・・・・・、かも。
キスされるのかと、ついつい、思わず、身体が言うことを聞かずに目を閉じてしまったアスカだが、
唇ではなく、思わぬところに感触を感じた。
レイは彼女の首筋に顔を寄せたのだ。
そして、押し当てた。唇ではなく、鼻を。


「ちょ、ちょっとぉ!?」


驚いたアスカの声を無視して、レイは一杯に鼻から息を吸い込んだ。
アスカの匂いを嗅いだのだ。
くすぐったさに堪らず首を竦めたが、それを許さないようにがっしりとレイはアスカの肩を掴んで
鼻を押し当てている。
数度、息を吸い込んだレイは、満足したのかアスカの首筋にうずめていた顔を上げて
再び彼女の目を覗き込んだ。


「ふうっ」

「・・・・・・ふうっ、じゃないわよ! 何すんのよ、アンタバカァ!?」

「何、赤くなっているの? 貴女の匂いを確認しただけなのに」

「だからっていきなりでしょ! 驚いたじゃないのよ!」


どうやら自分のやり方はアスカを驚かせたらしいと気付いたレイは、
正直に謝ることにした。


「ごめんなさい。確かに同性同士ということもあって不躾になってしまったかも知れないわ。
とはいえ勿論、私は相手が碇君であっても同じことを・・・」

「したら殺す」


視線に怨念を込めるアスカ。


「・・・相手が異性であっても同じことをしたかも知れないけれど。碇君は除外するとして。
それはともかく、貴女も気にしていたようだし、匂いの記憶が確実とも限らなかったので、
直接確認させてもらったわ」

「・・・・・・で、どうなのよ」

「アスカ、貴女、いい匂いがするわね」

「え、そ、そう?」

「ええ。髪からもいい匂いがするし」


少しだけ、アスカは頬を赤らめた。
悪い気はしない。


「ふ、ふぅん。ねえ、花みたいってどんな感じ?」

「難しいわね。実際、どの花の匂いとは言えないし、感覚的なものね」


そう言って、くすくすとレイは笑い出した。
自分が、感覚的、などと言い出したことが可笑しかったのだ。
彼女の匂いは、爽やかで、清涼感があって、でも少しだけ甘い。透明な若々しい匂い。
アスカの匂いとしか言いようがないのだ。
下手に花みたいとかミルクみたいとか表現しない方がいいのかも知れない。
所詮、言葉で正確に表現することは出来ないし、
無理にすれば、かえって言葉に埋没して匂いそのものの印象が消えてしまう。


「シンジはどう言ってたの?」

「ええと・・・・・・、内緒」

「駄目、教えて!」


シンジとレイが内緒話をしていることもかなり気に入らないが、
それより何より自分の話題なのだ。
シンジが何と言っていたのか気になるし、もしも彼が自分の体臭が気に入らないと言っていたなら
何か香水をつけるだとか石鹸を替えるだとか考えなくてはならない。


「秘密だと言っていたもの」

「ずるいわよ、そんなの。ここまで喋ったんなら最後まで教えて」


隣に座るレイの肩に身体をぶつけてアスカは言った。
どうあっても聞き出したい。


「そうね・・・・・・、私が喋ったと彼に言わないなら。聞いたことは胸に留めて」

「言わない、言わない! 絶対秘密にするから!」


でも内容次第では泣いちゃうかも、と少しだけ思う。
泣くのが自分かシンジかも、内容に依る。



5.



「そんなに言うなら・・・・・・、教えましょう」


唇を噛んでじっと自分を見つめている―睨みつけているようにも見えるが―友人の
あまりの熱意にほだされたのか、綾波レイはすっと足を揃え、膝の上に手を置いて
アスカを見ず、正面を向きながら静かに話し始めた。


「彼はこう言っていたわ・・・・・・、
貴女の部屋に篭もった匂いを嗅ぐと、頭がぼうっとして胸が息苦しくなってくる。
いつまでもそれに包まれていたいような、すぐにでも振り払ってしまいたいような、
けれど、そんな考えも朧げに霞んでしまって、次第に何だか変な気分が湧き上がってくる。
部屋だけでなくて、貴女自身からもそれは香ってくる。
貴女が傍に身を寄せた時、貴女が髪を振るった時、お風呂上りに擦れ違う時。
貴女の服からも染みついたように。
こういうことを感じていることはとても後ろめたいことだけれど、
貴女が次第に成熟していっているのだと自覚させられる。
それに自分は反応しているのだと。
出会った頃より背も高くなったし、身体も少年のような細い手足をしていたのに
最近は丸みを帯びてきて、特に白い太腿を見るとふくよかな柔らかみが露わに感じられる。
太っている訳ではないのに尻は豊満に膨らみ、胸も昔よりずっと張り出している。誇らしげに・・・・・・。
きっとこの先、もっと魅力的になっていくのだろう。大人になって・・・・・・。
貴女の匂いも、今よりもっと柔らかく、甘くなっていくのかも知れない。
完成された女性になる貴女。
そんな貴女を夢想する。貴女の指。貴女の顎。貴女の胸。貴女の背中。貴女の腿。
変化していく貴女を見ているのは驚きの連続だ。
随分と攻撃的だった貴女だけれど、それさえも柔らかな脂肪の中に隠されてしまったような気がする。
実際、貴女はずっと穏やかに、優しくなった・・・・・・」


淡々と言葉を続けるレイ。
アスカは真っ赤になってそれに聞き入っている。
こんなことを考えていたなんて、いやらしい奴。
恥ずかしい。忌々しい。嬉しい。愛おしい。
身体が熱い。何がなんだか分からなくなる。
ああ、でも、そう・・・・・・、アタシも同じよ・・・・・・。


「・・・・・・時々、貴女の身体を抱き締めたらどんな心地がするだろうと夢想する。
勿論そんな馬鹿なことはしないけれど、一体どんなにか恍惚とするだろう、と思わずにいられない。
いつも貴女の胸や足に視線を集中しない為に、非常な努力をしている。
貴女から立ち上る匂いに溺れてしまわないように、努力をしている。
けれど、柔らかに香る貴女の心の中は、まるで分からない。
芳しい匂いに紛れて判断が出来なくなる。肉体の魅力に紛れて見えなくなる。
きっと、貴女は自分のことを弟くらいにしか―貴女の方が幾らか年下だけれど―思っていないだろう。
貴女は時に自分を溺愛し、時に激しく憎悪し、
ころころと笑いながら纏わりつき、意地悪をして鼻で馬鹿にする。
時に自分は召使になり、時に兄弟になり、主人になったり犬になったりする。
自分は恐らく、貴女の寂しさを埋める一時の存在でしかないんだろう。
初めから・・・・・・、いえ、ある時期から、そう思うようになった。
それでも構わないと考えるようになった。
だから、いつでも貴女の前から消える覚悟があるし、貴女が自分の前から消える覚悟もある。
だから、貴女の前で決して変な気を起こしたりはしないし、禁忌に手を触れたりはしない。
だから、ただ純粋に貴女のことを見守ることが出来る。その時が来るまで。
いつか貴女を守ってくれる人が現れる時まで。貴女と一緒に歩む人が現れる時まで。
そして、いつか貴女が貴女の道を歩むその時に、ただこれだけを、願う。
貴女がこれまでに受けてきた苦しみや不幸や、憎悪、殺戮。
そんなものよりもずっと、ずっと多くの、幸せがあるように・・・・・・」


レイが口を噤んだ。
僅かな余韻を残しながら消え入るばかりに彼女の―碇シンジの―言葉はふつりと途切れた。
綺麗な言葉。
レイはそう思う。
純粋で、真摯で、一途で、そして彼にしか理解出来ない。
アスカの方を見た。
唇を痛いくらいに噛み締めて、顔を真っ赤にさせて、じっとレイを睨みつけながら震えていた。
頬を流れるものが一雫。
ぽろり。
滑らかな頬を伝って彼女の膝の上の手に落ちた。
ぽろり、ぽろり。ぽろ、ぽろぽろぽろ・・・・・・。
一雫、二雫。とめどなく、次から次へ溢れてくる。
止まらない。拭いもしない。
湧き上がり、流れ落ち、弾けて消える。


「今ので全てよ」


レイは自分が聞いた通りの言葉を伝えた。
アスカの口が、喘ぐように開かれ、震えながら閉じた。
そしてもう一度、開かれた唇の奥から、震えた声が漏れ出した。


「何、よ。それ・・・・・・」

「貴女が聞いた通り。出来得る限り正確に話したわ。貴女が知りたがったのでしょう」


感情を感じさせない声でレイがアスカに向かって言った。


「バ、バカじゃな、いの・・・・・・?」


息を詰まらせながら言葉を搾り出すアスカの顔を、レイは眉を悲しげに顰めて見つめた。
馬鹿だろうか。碇シンジは、馬鹿だろうか。
それはレイには分からない。彼の言葉が、意思が、理解出来ないから。
けれど綺麗だとは思う。
何故アスカは泣くのだろう。こんなにも綺麗な感情を抱かれて。


「ア、アタシがそんなことされ、されて、嬉しがるとでも、お、思ってんの。
バカじゃないの、バカよ、大バカ・・・・・・」


声を震わせながら、アスカは懸命に悪態を吐いていた。
一体シンジは何を考えているのだ。
裏切りにも程がある。こんな酷いことってない。
彼はいつだって自分を捨てるつもりだったのだ。
だというのに、そんなことも知らずに自分は彼の顔を見て、いつも安堵を感じていたのだ。
そして、こんな場所でレイと紅茶を飲みながら、シンジが気になるだの、加持が好きだの。
何という滑稽さか。
とうとう、彼女はソファに身を投げ出してクッションに顔を埋め、
しゃくりあげながら身も世もないとばかりに、大声で泣き始めた。


「・・・・・・」


レイは悲しげにアスカの震える肩と背中を見つめた。
クッションの中に吸い込まれてくぐもった、しかしそれでも大きな彼女の泣き声。
耳を塞ぎたくなる。
レイは両手を自分の耳に伸ばしかけ、しかしそれを止めて今度はそっとアスカの肩に触れようと
彼女の方にその手を伸ばし、それもやはり何故だか躊躇われて、行き場をなくした両手を
ゆっくりと戻して膝の上に置いた。
掛ける言葉もなく、ただじっと泣きじゃくる少女を見つめる。
どれくらい彼女は泣くのだろう。
今日飲んだ紅茶の量くらい?
そうすれば軽くなるのかしら。彼女の悲しみは、軽くなるの?
彼女の目から溢れ出て流れ落ちる涙は、果たして何を洗い流してくれるの?
彼女の口から放たれる悲痛な叫びは、果たして何を吐き出させてくれるの?
そうすれば、碇君がいつかいなくなることに耐えることが出来るようになるのかしら。
自分で決めた道を進む覚悟を、果たして彼女は決めることが?
分からない。
少なくとも、この子の姿を見ながら、それを分かりたくない。
レイは、勢いよく伏せったせいで捲れてしまったアスカのスカートの裾に手を伸ばした。
黒い下着。美しいレース。
大好きな人の為の、精一杯のお洒落。大人に手を伸ばす、どきどきする心。
胸が締め付けられる、彼女は恋をしている。
丁寧にスカートの裾を直し、レイは優しく撫でつけるようにして、アスカの上に手を滑らせた。



6.



「少しは落ち着いた?」


ようやくしゃくりあげるのが治まったアスカに向かって、
キッチンから戻ってきたレイは優しく声を掛けた。
手に持っていたグラスをテーブルの上に置き、静かにアスカの隣に腰を掛ける。


「・・・・・・目が痛い」


アスカがクッションに顔を埋めたまま、呟いた。


「そうでしょうとも。あれだけ泣いたのだから」

「喉も」

「レモネード、お飲みなさい」


レイがアスカの背を擦ってやると、アスカは億劫そうに身を起こして、
それから目の前に置かれた水滴のついたグラスを手に取り、
黙ってそれをごくごくと半分程飲み干した。
いつのまにやらテーブルの上の紅茶やお菓子は片付けられていた。
彼女が泣き濡れている間に、レイはそれらを片付けて、
加えて彼女の為にレモネードまで用意してくれたのだ。
今は最高に感傷的になっていたアスカは、そのありがたさと自分の身の上の情けなさに
再び鼻がつんとして涙が込み上げてきた。
一度泣き始めると、完全に治まるまで何度もぶり返してしまうのだ。
綺麗な顔をくしゃくしゃにして、「えっ、えっく」 としゃくりあげながら、
彼女は涙が一杯に溜まって歪んでしまった視界の中のグラスをじっと見つめた。
溜まりきって飽和を越えた涙がぽろりと零れ落ちた。
それと同時に堪らず目蓋を閉じる。
縋るようにグラスを持っていた両手が震えた。


「まだ泣くの。仕様のない子ね」


よしよし、とまた泣きじゃくり始めたアスカの背中をレイが擦ってやる。


「ア、アタシ、ふられちゃったんだわ・・・・・・」

「そうなの?」

「だ、だって、アタシのこと、置いていくつも、りなのよ。一緒にいてくれないん だ・・・・・・」

「一緒にいて欲しいの?」

「そ、そりゃあ、まだこ、こ、告白もしてないけど、でも、アタシのことなんて、どうでもい いんだ・・・・・・」

「それはどうかしら。彼は彼のやり方で貴女を想っているわ」

「勝手よ、そんなの・・・・・・」

「そうね、勝手ね。でも、だったら加持一尉の方だけ考えればいいのじゃない。
それとも他の誰か。何といっても、この世の半分は男なのよ」


ぽんぽんとアスカの背を叩いてあやしながら、レイは自分でもよく分からない慰めを口にした。
普段なら絶対に口にしなかったであろうが、慰めのつもりだったのだ。
しかし、その彼女の言葉はアスカを怒らせる結果となった。


「何よそれ! ア、アタシがそんなに軽い女の子だとでも思ってるの。
世界の半分は男ですって? そんなこと当然じゃないの。でも、世界でアイツ以外はアイツじゃないのよ!」

「・・・・・・まあ、そうね」


突然の剣幕にいささか驚いて、レイはアスカに頷いてみせた。
確かに当然だ。だかシンジ以外であって何が悪い?


「でも、貴女は加持一尉が好きなのでしょう? ならばそれでいいのじゃない。
両立し得ない感情を受け入れる・・・・・・でも結局その先どちらかに身を委ねる決断をするのなら、
それが加持一尉の方であって何がいけないの? どちらを手に入れるかに意味の違いはあるの?」


もはや到底慰めには聞こえない、冷たく鋭利でさえあるレイの言葉に、
アスカは衝撃を受けて黙り込んでしまった。
涙に濡れた頬が段々と赤味を失っていく。


「貴女、それは子どもの駄々と同じよ。どちらかひとつしか手に入らないならば、
もう片方のことは潔く諦めるのね。それが出来ないなら、貴女はどっちつかずのいい加減な女の子だし、
そう、私なら品性を少々疑う事態にもなるわね。そういう人間も沢山いるけど、見苦しいわ」


アスカの背から優しく撫でていた手を離し、冷淡に―少なくともそう聞こえる声で―レイは言い放った。


「別にそれが悪いことだとは言わない。貴方の言う通り、人間はそんなに単純なものではないのでしょう。
中には一人の人間だけでなく、複数の人間を同時に愛せる容量の豊かな人間もいるのかも知れないわ。
まあ、いいわ。ともかく貴方の好きになさい。少なくとも、感情の発生は自由だものね」


先ほどから冷ややかなレイの言葉に、アスカはもうびっくりしてしまって、
言葉もなく、ただ傷ついて顔を両手で覆い隠して涙を堪えていた。
傷ついてはいたが、しかしレイの言うことがさほどに間違っているとは彼女には思えなかった。
もうシンジのことは諦めるべきなのだろうか。
大体恋が思い通りにいかないことなんて、当たり前のようにあることなのだ。
複数の異性の間で迷うことだって、仕方ないことだ。自分でだってどうしようもないのだから。
そして、たとえ相手が自分の想いにも関わらず受け入れてくれなくても、それも仕方がない。
どう頑張っても駄目な時は駄目なのだから。
シンジを勝手だと彼女は言ったが、しかし彼女の想いだって勝手なのだ。
彼の事情など少しも斟酌することなく、受け入れて欲しいと駄々を捏ね、
それが破れればこうして涙に暮れる。
いくら彼が自分のことを想っていなくたって、それはどうしようもない・・・・・・。


「・・・・・・待って」

「なあに?」


突然、張りのある声を上げたアスカに、ゆったりとレイは訊き返した。


「シンジはアタシのことをどう思ってるの?」


と、顔を上げたアスカがレイを睨みつけるように見た。


「あら、分からなかったかしら。彼は、貴女のことをとても一途に、大切に想っているようね」

「なのに何でアイツはアタシを捨てるなんて言い出すのよ」

「貴女には貴女の考えがあって、それが彼には理解出来ない・・・・・・彼の存在とは相容れ ないから」


かしらね、と、次第に顔を紅潮させてきているアスカとは対照的に
涼しげな顔をして少し大袈裟にレイは答えた。


「貴女の想いが分からないの。でも、彼なりに結論を出して、その役割を果たすことを心に決めた。
彼の言葉からそれが読み取れなかったの?」

「じゃあ、アイツは勝手に勘違いしてるんじゃないの!」

「とも言えない。何故なら貴女は加持一尉のことが好きなのだから。
馬鹿な子ね。口に出さなければ分からないことはあるものなのよ、どんなに近しくても」

「だって、だって、アイツは加持さんじゃないじゃないのよ!」

「そうね。碇君は世界中で碇君だけね。何だか支離滅裂だわ、貴女。一体どうしたの?」


アスカは言葉が出てこなくって、わなわなと身体を震わせた。
そう、シンジは加持ではない。加持への想いとシンジへの想いも似ているようでまったく違う。
自分の傍から彼がいなくなるなんて考えもしなかった。
彼は、すでに2年以上前から彼女のものだったのだ。
勿論それは彼女の独り善がりな思い込みだったが、
疑問を差し挟む余地もないほどに彼と彼女は近くにあり続けた。
言わなくても、何もかも通じ合うと思っていた。
しかしここに至って、ようやくアスカはそれが思い違いも甚だしいものであることに気付き、
同時に自分が本当は誰を求めているのかに気付いた。


「いらないわ・・・・・・」


と、アスカは呟いた。
何て馬鹿だったんだろう、自分は。不器用の鈍感にも程がある。
けれど彼だってそれは同じだ。このままで済ますものか。


「何が?」

「シンジ以外、何も」


いらない、と、低い声でアスカは言った。


「さよなら、加持さんに恋したアタシ」


どんなにアイツが逃げても、捕まえてやる。絶対に。
あの鈍感の朴念仁のおたんこなすめ。大好きだ、バカヤロウ。


「そう・・・・・・、それが貴女の選択ね」

「フン、ふざけやがって。何が見守るよ。押し倒すくらいの根性を見せたらどうなのよ!」

「押し倒されてよかったの?」

「いい訳ないでしょ! ムードがないじゃない!」


アスカの叫びにレイは呆れてものも言えなかった。


「そりゃあ、いつだって準備は怠らないけど、それとこれとは話が別よ」


準備、とは例えば今日の黒い下着のことか、とレイは思った。
何ともたくましい話ではある。
意味もなく、彼女は失笑した。


「とにかく、自分の不幸に酔うのは止めたようね。顔を拭きなさい」


と、レイがアスカにティッシュの箱を差し出した。
それを受け取ったアスカは、不幸に酔う、は幾らなんでも酷いんじゃないかと
顔を顰めながらも頬や目の周りを拭いた。
これでも真剣にシンジを想って泣いていたのに。
しかしレイは構わず言葉を続けた。


「自己愛ね。こういうところが女の悪いところだとリツコが言っていた」


レイが自分の同居人を呼び捨てるのに、アスカはいつ聞いても新鮮だと思った。
つまり、いつまで経っても耳慣れない。これまでもよく聞いていたのだが。
果たしてどういった経緯でこのように呼ぶようになったのかは知らないが、
何だか微笑ましくも思えてくる。あのレイとリツコが、といったところか。


「アタシのシンジへの愛の深さを知ったら、アンタ、驚くわ」

「どうだか」


アスカの反論に肩を竦めるレイ。
そしてふたりは、顔を見合わせて、「ふふっ」 と笑い合った。
と、突然アスカの携帯から着信音が鳴った。
それを手に取ってディスプレイを睨んでいたアスカは、顔を上げると
レモネードのグラスを掴んで、残りの半分を一気に飲み干した。


「メール? 誰から?」

「シンジから。迎えに来るって。あと20分くらい」


タンッ、と勢いよくテーブルにグラスを置いたアスカは、
ソファの下に置いていた自分のバッグから小さなポーチを取り出して、
機敏にソファから立ち上がって身を翻した。
その背中にレイは声を掛ける。


「どこに行くの」

「おトイレッ!」


と、叫び返して、颯爽とアスカはリビングルームから出て行ってしまった。
その勇壮とした後姿を見送って、レイは空のグラスを片付けようと立ち上がって
キッチンに向かいながら、柔らかく微笑んでいる自分に気付いた。
多分、ぎりぎりまでアスカは戻って来ない。
泣いたせいで腫れぼったくなった目の周りをどれくらい誤魔化せるだろう。
何も知らずにここにやってくるシンジは、これからどうなってしまうのだろうか。
まったく、可笑しくって仕方がない。
アスカは知らないだろうが、レイはシンジから頻繁に相談や打ち明け話を受ける。
他の友人や大人達に、そして勿論アスカにも打ち明けられない相談相手に、
シンジはレイを選んだのだ。ある意味、父親と並んで彼と最も近しい人間。
そして勿論、アスカからも彼女は相談を受ける。
一体何をどう捻くったらそうなるのか、彼らの思考にはいつもほとんど彼女は困惑させられた。
ふたりの間に一本、筋道を通してしまえば分かり易いのに、といつも考えていたが、
それもまた、論理ではない恋心の致し方なさなのだろう。
ともあれ果たしてこの先どうなることか。
これで収まるように収まってしまうのだろうか。
それはそれで少しだけ悲しいような、寂しいような気がした。
自分だけふたりに取り残されるような錯覚を覚えたのだ。
けれど、きっとそれでいいのだ。
嬉しく思う自分もまた、確かにいるのだから。
少しくらいの寂しさには目を瞑って我慢しなくては。
シンクに置かれた紅茶のカップやソーサと一緒に、アスカが飲んだレモネードのグラスを置き、
蛇口をきゅっと小気味よく捻った。
少しだけ捻り過ぎて、勢いよく流れ出した水の飛沫が飛び散った。
綾波レイは、推定16歳の可愛らしい無邪気な陽気さで、
足や頭でリズムを取りながら鼻歌まじりにシンクに溜まった食器を洗い始めた。
時折、くすくすと笑いを零しながら、楽しげに・・・・・・。




終わり


リンカさんから素敵なお話をいただきました。
アスカ、シンジ、レイの三人の関係がいいですね。

いい話でしたね。ぜひ読み終えた後にリンカさんへ感想メールをだしましょう。

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