『櫻』〜parallel world of Evangelion〜

written by hikaru

 今日は、第一中学の始業式である。
 今年も、櫻の季節になった。
 この四月で中学二年生になった碇シンジは、登校の途中、家の近くの公園で櫻の樹を見上げていた。
 長い間ここにいる櫻ではないのだろう。そんなに大きな幹ではない。
 この公園に、櫻の樹はこの一本しかない。 一本が、まるで一人でいることを淋しがるように花を咲きほころばせていた。年に一度、美しい花を咲かせることでそれを愛でて人々が集まることを切望するかのように、櫻はその花弁の先端にまで神経を通わせているかのようだった。

 シンジは、五年前この櫻を傷つけている。
 シンジの母が寵愛した花は、櫻であった。
 その母が病に倒れ、市民病院に入院した。シンジは、その見舞いに当時も満開だったこの櫻の細い枝を折っていったのである。彼女を元気づけようとする彼なりの最高の心遣いだった。
 しかし母はその枝を見ても、元気づくどころか悲しい顔をした。
 「どんなことがあっても、櫻を切ってはいけないの。櫻の手入れに枝打ちはないわ」
 それでも、その気持ちは嬉しいと言ってくれた。
 しかしその数時間後、母は去世した。
 『僕が、枝を折ったりしなければ!』
 当時のシンジには、母は、この櫻の樹が傷ついたから死んだのだと思えた。
 シンジがこうしてここに訪れているのは、それからのことである。花の咲いているあいだだけでもこの櫻に謝罪したいということだ。
 そうすることが、母への随一の供養になると思っているからである。

 もう学校に行かなくては、遅刻してしまうと、シンジはここで踵を返した。
 「!」
 少し驚いた。
 というのも、気付かないうちにそこに少女が立っていたからである。いくら櫻の樹を見上げていたからといって、ぼーっとしていたわけではない。近付いてきたのなら、気配くらい感じさせてもいいものだ。シンジには、その少女が卒然と現れたようにしか感じられなかった。
 不思議な雰囲気だ。
 シャギーにされた銀髪。
 ウサギのように紅い虹彩。
 血管が浮き出そうなほどの白磁の肌。
 アルビノという体質なんだろう。薄めの櫻色の唇が、なんとも綺麗だと思った。
 『タイプだ』
 これが一目惚れというやつだろうと意識していた。着ている衣服から、自分と同じ第一中学の生徒だと判る。同じ学園にこんなに可愛い娘がいるというのは運がいい。
 「こんにちは」
 と、その少女が屈託のないそよ風のような笑顔をみせてくれた。
 それならば、シンジとしても無愛想な表情だけは向けられなかった。ただ、どことなくしどろもどろになってしまった。
 「やぁ、…はじめまして」
 「一年ぶり…でしょう?」
 「?」
 どこで会っただろうかと過去を脳裏に巡らせてみるが、思い当たる節がなかった。
 失礼ながらも、それを彼女に訊こうとした。その刹那、彼女が視界から消えていた。
 「!」
 まばたきをしたほんの刹那にである。
 シンジは、辺りを見回した。
 どこにもいない。
 本当にどこにもいないのだ。
 一瞬にして、空気にとけ込んでしまったかのように消えてしまった。

 ただ、櫻の香りが残っているだけであった。

 「シンジ」
 「!」
 背後からいきなり肩を叩かれてシンジは仰天した。
 といっても、その仕種を感じとられない程度にである。先刻の少女がいきなり背後に回り込んでいたとしたら、シンジは驚愕の色を隠しきれなかっただろう。しかし、そこにいたのは、去年のクラスメートの少女だったのだ。
 「アスカか。脅かさないでよ」
 「そんなつもりなんて。シンジが、ボーッとしていたからいけないんでしょ。
 …このころになると、いつも櫻を見ているのね」
 シンジは、この櫻のことを誰にも話してはいない。たとえそれが、顔見知りで初恋の相手でもあるこの惣流アスカにもである。
 これといった理由はない。ただ、何となく話したくないだけだ。
 「どうでもいだろ。早くしないと、遅刻する」
 『また、同じクラスになれるといいわね』
 アスカは、今年もそれを口に発せずじまいだった。腕にしがみついて、ちょっとあまえてみせたいのだがそれもできない。シンジを追いかけて走り出すと、赤みのかかったブロンドがゆれた。
 シンジは自分をわずかに追い抜いたアスカのブロンドにまた見蕩れてしまった。どうしてこうも何からなにまで綺麗なんだろう。自分とは、構成物が絶対違うと思った。
 そして、先刻の少女は櫻の色と香りに翻弄されて見た幻覚なのだと思った。

 クラス発表の掲示を見て、講堂で始業式を終えた後、シンジは二年A組の教室で席に着いた。
 新学期の宿命、出席名簿の順に席が決まってしまうので、惣流アスカとは席が離れてしまったがまた同じクラスになれた。これは驚倒すべきことで、初めてクラスが一緒になった小学四年生の時からずっと同じクラスになり続けているのである。「あんたは、私の下僕なんだから、クラスが一緒になるって決まってるのよ」と一昨年だったかアスカがそう言っていたことを思い出した。職員室に圧力を加えているんじゃないのかと疑ったほどで、いや、彼女の普段の挙動を思えばその疑いは今も晴れていない? まあ、それならば次の席替えで席が近付くこともあるさと思う。運命とか、そういったたぐいのものを端から信じてはいないが、それならそれでいいとも思う。

 担任が教室に入ってきたので、アスカから前へと視線を移そうとした時、
 『!』
 アスカの隣の席に、今朝、櫻の木の下で微笑みかけてくれた少女がいることに気付いた。
 それは、嬉しい誤算といえた。同じ学校だろうということは制服から判っていた。だが、同じ学年でしかも同じクラスだろうとは思いもよらなかったのである。
 このホームルームが終わったら声をかけようと思う。
 この時、自分の中でアスカは完全に欠落しているなと思った。

 いざ話しかけようと思うと、なかなか話しかけられないものだとシンジは苦虫を噛むような思いをしていた。
 今朝の娘に話しかけて、彼女にどうこう思われるのはそんなに問題ではないのだ。それよりも、アスカの視線の方が気になるのである。
 欠落して、毫も感じていないはずではなかったのかと自問しても始まらない。アスカがいなければ、何の躊躇もなく話しかけているはずなのだ。
 こうやって一人相撲をやっているうちに、アスカの方が近付いてきてしまった。
 「シンジ。帰ろう。
 駅裏に新しいアイスクリーム屋ができたから、一緒に行かない?」
 「な。…ああ。アスカから誘う以上は、奢ってくれるんだろ?」
 「なに言ってんの。あんたが出すんじゃなけりゃワリカンに決まってるでしょう。シンジの分まで出せるほどお小遣いないんだから」
 「わかったよ」
 奢ってくれないのならやめだと言わない自分に、ひょっとしたらプレイボーイとしての才能があるのかも知れないと思った。ましてや、今の自分は櫻の樹の下にいた娘に興味がわいているのだ。それでもなお、アスカの誘いにのってしまうのだから折り紙付きなのかも知れない。
 「ねえ、私も一緒にいっていいかしら」
 櫻の樹の下の娘が、いきなり背後から話しかけてきた。
 またしてでもある。
 己の心臓が一瞬しゃっくりをしたのを、シンジのどこか冷静な部分が感じとっていた。
 「あ、いや。…かまわないけど」
 動揺をさとれまいとしつつ。シンジは俄かに少女の申し出を受け入れていた。
 その刹那、アスカの突き刺さる視線を感じたが、後悔はなかった。
 これで、この娘とお近づきになれればしめたものだ。そんなことだけが頭の中にあった。
 彼女は以前から自分のことを知っているらしいのに、自分は彼女のこと毫も知らないことを忘れてしまっているのだ。こんなことが知れたら、彼女を深く傷つけてしまうだろうということなど今朝だけのことになってしまっていた。
 「ちょっと、あなた誰よ」
 アスカが、まるで威嚇するかのごとく語気をとがらせた。
 「綾波。…綾波レイ。碇君とは七年前から知り合いなのよね」
 ここでこちらにふられてしまったので、シンジは焦燥の色を隠せなかった。
 聞いてないわよといった表情で、アスカに睨まれてシンジはますます焦るばかりだ。
 「い、いや…」
 シンジは絶句したまま手も足もでなくなってしまった。優柔不断というか、女に対して曖昧だとこういうめにあうのである。今朝、櫻の下で出会った時にもっとはっきりとさせておけばこうまではならなかったはずだ。もっと言ってしまえば、惣流アスカと特別な付き合いがあるというのに、綾波レイに目移りしているということじたいがいけないのである。
 「小学一年の時、同じクラスだったのよね」
 ここで綾波レイが助け船を出してくれた。
 勿論、嘘である。
 いや、この時のシンジにしてみれば、嘘だと思うとしか言いようがなかった。ひょっとしたらそうだったかも知れないとも思えるし、違うような気もするのだ。だいたいいい加減なのである。
 「それから、この街からはなれてたから」
 レイは、そう付帯させた。
 そう言ったことで、リアリティーが増した。
 しかし、言ってしまえばアスカにはそんなことはどうでもいいわけで、シンジに近付く女がいるということが問題であり懸念でもあるわけである。当然、レイに対するライバル意識は毫も萎えてはいないだろう。レイの助け船は、シンジのだらしなさを隠蔽したにすぎない。
 「久しぶりに会って、話したいってことがあるなら私達についてきてもかまわないわよ」
 寛大な発言にも感じられるが、シンジと己をカップリングして表現することで自分の優位を堅持しようとするアスカの意志が見えた。 綾波レイは、それを意に介さない表情できょとんとしていたが、シンジはえらいことになってしまったと胃が痛くなりそうな気がした。はからずも、彼女を傷つけることなく名前を知り得たことなど既にどうでもよくなっていた。

 駅裏のアイスクリーム屋についた。
 三人ともメニューが決まり、いざレジとあいなった時、
 「奢るよ」
 シンジがそう言った。その瞬間、アスカの細く長い指が思いきり手の甲を抓った。
 「私には奢れって言ったくせに」
 別段気どったつもりはない。たしかにレイのことが気になって、いいところも見せたいが、こんなものが男の甲斐性だとは思わないからである。こんなことを男の甲斐性だと自分が思っているなどと勘違いしてほしくもないのだ。むしろ、先刻から機嫌を損ねているアスカの機嫌取りのつもりだったが、逆効果だったか?
 「はじめから、奢るつもりだったさ。ほら、先に上がってなよ」
 先に二階に上がって席を取っておいてくれとアスカの背中を押した。奢るつもりだったなどと言うのは、もちろん嘘である。こうでも言わなければ、その場を回避できそうにないと思ったからである。

 二階で、三人の着けそうな窓際の席を見つけると、アスカは無言でその席に着いた。レイに一声かけるなどということは、思いつくだけで素直に行動にはなりそうになかった。
 アスカは、キッと奥歯を噛みしめた。
 こんな自分が嫌だからである。でも、シンジが他の女の子に関心をもつのも嫌だし、取られるなどというのはもっと嫌なのだ。こんなことをやってなんにもならないのは解っているし、こうすることでシンジが自分に愛想を尽かしてしまう危険性すらあるということだって解っている。解ってはいるが、素直にはなれない。
 「私のこと、迷惑に思ってるんでしょ」
 レイが、まるで肺腑を見透かしたかのように訊いてきた。
 「だって…」
 アスカは、否定もしなければ開き直るようなこともなかった。否定するのは卑怯だと思ったし、ここでライバルであるとお互いに認識があった方がいいと思ったからである。開き直らなかったのは、そうすることで、自分が今以上に嫌な女の子になってしまいそうで、それがシンジを遠のかせると確信があったからである。
 そうなのだ。アスカは、今の自分が好意を寄せている人に好かれるだけの価値が薄いのだと意識していたのである。
 「大丈夫よ。だってあなた可愛いじゃないの。碇君のタイプよ」
 「だって、あなたがいるのに」
 綾波レイの言葉は、まるで根拠がないもののように感じられた。からかわれているのではなかろうか。そうでないとするのなら、レイ自身の余裕から生まれてくる気休めだ。
 アスカは、声をあげそうになるのを抑えることにも必死になった。
 「誤解がないように言っておくんだけど、彼にはあなたが抱いているような興味はないのよ」
 「だったら、私達の邪魔をしないで。どうしてついてきたのよ」
 それは真理だ。礼儀知らずだと言ってもいいだろう。興味半分で他人の恋路を掻き回すようなことはやめてもらいたい。
 「あなたのような興味はないって言ったけど、私なりに興味があるから。……本当に心配しなくてもいいのよ」
 レイは、念を押すようにそう言った。一見は、色素の薄さの所為か驚きもするが、どこか落ちつきがあって、まるで大人のようだと思う。そのうえ厭味がないのだ。自分がこんな魅力を持つようになるにはどれだけの時間と努力を費やさなくてはならないかと気が遠くなりかけた。最後になにかひとこと言いたかったが、三人分のアイスクリームを手にしたシンジが視界に入ったのでそれを理由にやめておいた。

 アスカは、アイスクリームを口に運びながらレイを気にしていた。本当は、シンジと一緒で楽しいはずの一時がこんなに緊張した時間になってしまった。
 『冗談じゃないわ』
 レイが、自分達の間に割り込んできているわけではない。しかし、アスカがそう被害妄想にかられてしまうのは理不尽とは言えないのである。肝心のシンジが、レイに惹かれていると判るからである。恋心ゆえに想い人を理不尽に責めるのだが、恋敵を責めもするのだ。
 アスカだって、理不尽は解っている。
 奥歯をグッと噛みしめるだけだった。

 その夜のことである。
 シンジのところに、電話があった。
 それも、綾波レイからである。
 最初に電話にでた父親の口から綾波レイという名前を聞いたときは正直驚愕があった。今日のアイスクリームを食べている時だって、彼女はアスカに遠慮しているような物腰に感じられたからである。
 しかし、だからこそいま電話をかけてきたのかも知れないという期待もあった。
 今のシンジから、惣流アスカという名前は完全に欠落していた。

 「換わりました。シンジですけど」
 「碇君? 今朝の公園に来てくれない。夜櫻が見えるのよ」
 「ああ。三丁目の公園だな」
 こんな夜中とはいえ、あんな可愛い娘からの呼び出しなら大歓迎である。余計な期待を抱かずにはいられないのだった。なんと言っても、この季節の櫻の樹の下だ。シチュエーションがいい。
 シンジは、自分は助平なのかなと思っていた。

 シンジが公園に駆けつけると、既にレイはそこにいた。
 櫻の樹の下で、うす櫻色のブラウスというなりで立っていた。
 「待たせたな」
 シンジは、荒い呼吸を整えながら謝った。待たせたとしても、多めに見て五分ほどのはずである。しかし、ずっと待っていたような表情をしていたからだ。
 「思ったよりずっと早かったわ」
 レイは、屈託なく微笑んだ。
 そして、右掌をスッとさし出した。
 握手を求められているのだと解ったから、シンジはその意味を介していなくともそれに応えた。
 白磁の細い掌を優しく握りしめた。思わぬ収獲だ。この感触を忘れずにいたいものだと思う。アスカの肌よりも柔らかくてスベスベしているように感じられる。『男なのだという認識をしなくてはならないのだ』そんなプレッシャーを感じているような気がする。五年前、母に櫻の花を見せなくてはならないと枝を折った時の心境とよく似ていた。
 「なんの用だい?」
 「少し早めだけど、お別れを言いたかったから。一年。…来年までお別れね」
 「新学期早々、一年間、どこかに留学でもする気なのか」
 そう笑いながら言葉を返したが、レイの表情を見ているとそれが冗談でないことは掴めた。どういうことなのか解らないが、これで一年彼女とは会えなくなるのだと信用することが出来たのだ。
 「私は、ここから動きはしないわ。私の脚では、そんなに遠くにいけないもの。ただ、来年のこの季節まで眠るだけ」
 レイは、口元をわずかに綻ばせながら小首を傾けた。それがなんとも可愛いと思う。ただ、彼女の言うことがあまりに悲しかった。薄い唇から漏れる言葉が、切なくて堪らないのである。
 「僕の傍にいてくれないのか」
 歯がうくような台詞だと思った。アスカを相手にしていたら、決して発ない言葉だ。
 「貴方のことはずっと見守ってるわ。でも、貴方の傍にいるのは私じゃない」
 「アスカは、…アスカは違うんだ。たまたま、一緒にいるだけで」
 必死で言い訳をしている自分が情けない。好きな女の子に見せられる姿ではないはずだと思いながらも、裏腹にしどろもどろ口走っていた。
 レイの方から、握手をほどき、
 「私が女の姿をしているのは、貴方が男だったからよ。そうでなかったら、男の姿だったわ。喋り方だってね」
 どういうことなのだ。理解しきれない。レイの気が違ったとも思えないし、当然バカにされているようにも感じられなかった。
 しかし、次の彼女の挙動が総てを理解させてくれた。ブラウスの右袖のボタンをはずすと、捲りあげて白い腕をあらわにしたのである。
 いつものシンジなら、その産毛もないような腕に見蕩れていただろう。しかし、そこにあるわずかな傷跡に気付いたのである。そして、それが何なのか解った。とても信じられないが、心当たりがある。
 「あんた…」
 そうなのだ。彼女は櫻の樹だ。五年前、シンジが枝を折った、この公園の目前にある櫻の樹なのだ。
 シンジは、歯の根が合わない様子のまま次の言葉を選ぶこともできなかった。
 たしかに驚いてはいるが、彼女の狂言だとも夢を見ているのだとも思えなかった。そう思える自分に驚いてもいた。
 「痛かったわ。でも、役立ててよかった」
 「まさか。櫻の枝を折るなんてインモラルだって怒られたんだ」
 レイの口調は決して揶揄っぽくはないしそうではないのだろうが、シンジの倫理観が苦笑をさせずにはいられなかった。
 「でも、貴方の心根が嬉しいってお母様は言ったわ」
 「ああ、そうだったな」
 五年前のことを俄かに思い出していた。いい思い出ではない。しかし、決して忘れてはいけない追憶なのだ。
 「この季節になると、必ずここに来てくれるのはとても嬉しかった。でも、枝を折ったことをいつまでも気にしているんじゃないかって、…気掛かりだったの」
 レイは袖を直すと、もう一度握手を求めてきた。シンジは、その掌を握り返しながら、離したくないと思う。
 「有り難う…」
 無論、彼女は人間ではない。しかし、そんなことはどうでもいいのだと思う、一緒にいられることが、とても幸せな気がするのは幻覚ではないはずだ。それならば、恋人としてずっと傍にいてほしいというのは当然の欲求ではないか。
 自分の感情をそうやって正当化していた。
 「染め物のことなんだけど、櫻色に染める時、何を使うか知ってる?」
 「?」
 矢庭に切り出されて、シンジはおおいに困窮した。こんな時、何を言いたいというのか。
 「当然みたいだけど、櫻を使うのよ。でもね、花弁は使わないで樹皮の方を使うのよ」
 「花弁を使ったんじゃ、効率が悪いのか」
 今のシンジでは、この状況をどうこうできるというものではない。だからレイレの話に耳を傾けるしかなかった。
 レイは、怜悧さを感じさせる暖かい視線をシンジに投げかけながら首を振った。
 「そうじゃないわ、素敵な櫻色が発ないからよ。
 花弁のあの色は、その基になる幹に染められたものなの。惣流さんのこと、もっと見てあげなくちゃ可哀想よ」
 「でも、俺には…」
 そこでレイがシンジの言葉を遮った。断じて拒否したわけではないが、
 「お母様が好きな花が櫻でも、私は、貴方の母親になれないのよ」
 レイは、片手をスッと上げた。まっすぐ健やかにのび、その指先は、あの櫻の樹をさしていた。
 「綾波!」
 「もう帰らなくっちゃ。惣流さんを喚んでおいたから、後はよろしくね」
 彼女にはおおよそ似合わないウインクをすると、その瞬間、レイの身体が櫻色に輝いた。比喩ではない。目を閉じていても、皮膚からも感じとれるような暖かい光だった。
 それが瞬く間に強くなり、レイの身体は天にまで延びた光の柱の中にとけ込んで見えなくなっていた。
 「綾波!」
 シンジは、もう一度叫んでいた。
 叫びはしたが、もう返事はないだろうと解っていた。
 しかし、この先ずっと彼女は見守ってくれているのではないかと思う。それは、母が櫻を愛したように自分が櫻を愛している証拠なのではないか。漠然とそう思えた。
 シンジが自分にとってのレイの存在価値を知り、そして自分のなかにあるアスカへの感情を意識したとき、その光は、消えた。
 この五年間、この櫻の樹を気にかけていただけではないのだ。寧ろ、この櫻が自分を心配してくれていた。枝を折られてなお、恨みもせずに見守ってくれていたのだ。

 それから、一時も経たずにアスカがやってきた。
 「シンジ。何でまたこんなところに?」
 アスカは、シンジの顔を見て少し驚いたようだった。どうやら、自分の名前は聞かされないで呼び出されたようだ。
 「レイに喚ばれて…」
 いまさら緊張しているらしく、アスカは一人で喋りはじめようとしていた。
 自分には、見守ってくれる人がたくさんいるのだ。櫻しか見ていなかったから、こんなに回り道をしてしまったのだ。それが無駄だったとは思いはしないが、アスカには随分とつらい思いをさせたこともあっただろうと思う。好きになるであろう女の子なら、なおさら贖罪をしなくてはならないのだと、暖かい気持ちになっっていた。
 「そうか」
 シンジは、優しく微笑みながら右掌をさし出した。


 あとがき

 オリジナルとして描いたものなんですが、よく読んでみたらエヴァンゲリオンにぴったり当てはまるって思ったんです。で、名前を置き換えたら、あらま本当にぴったり。いかがなもんでしょうか?

  hikaru[wild heaven]


 hikaruさんからあらまぁアナザーワールドなのね。な感じのなかなかいいお話をもらいました〜嬉しいことです。

 シンジの前に現れたレイ、それは櫻の精であったのですか。母親の面影をずっと櫻に探していたシンジにとっては、眩しく輝く女性と目に映ったことでしょう。

 アスカがかすむくらいに。

 ただレイのほうではシンジのことを色々と気にかけてくれていても、それは保護者のような心配の仕方であったのですな。未来の嫁さん候補を見繕うとか(爆)彼女のおかげでシンジはアスカの価値に気づいたのですな‥‥花を愛することは美しきことですね(適当な結論(爆))

 それにしても、レイは相手が女の子だったら‥‥カヲルとかいって出てきたのでしょうかな?なんだかそうなると耽美な雰囲気になりそうで個人的には却下ですが(爆)

 なかなかいいお話でありました。みなさんも是非hikaruさんに感想メールをお願いします。

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