隠された心 後編




注1:本作は展開上、法的に不適切な表現があります。
  :法律は遵守するようにして下さい。
注2:独文は翻訳ソフトから出てきたものをそのまま転載しました。
  :ウムラウト表記は、『u¨』と表記しました。

葛城邸のリビングに、四人前の料理が並べられ、各々それをつついていた。
だが、その食卓に会話はない。
堪えかねたミサトは、居心地悪そうに沈黙の原因である二人に問いかける。

「ねぇ、あんた達。何かあったの?」

ミサトは自分の保護する子供達が一言も口を聞かず、目も合わさない状況にほとほと困り果てていた。
リツコという客がいる前でケンカなどと言う事は、絶対に止めて欲しかった。
ミサトに声をかけられたアスカとシンジは、ちらり、とお互いに視線を走らせ、視線があった途端に、全く同じ勢いで反対側へと顔を反らす。

「「何でもないわよ(です)!!」」
「そ、そう……」

赤い顔をした二人同時に放たれた言葉に、ミサトはそれ以上深く聞く事が出来ずに大人しく引き下がった。
しかし、ケンカはしてはいないようだが、二人の間に何かあった事をミサトは察する。
ミサトの瞳が妖しく光った。
そこへ、少しアルコールが入り機嫌が良くなったリツコが声をかけてきた。

「いいじゃない、ミサト。シンジ君とアスカだってたまにはケンカするわよ。ねぇ?」

珍しくにっこりと優しげな笑顔をみせたリツコに、シンジは一瞬目を奪われた。
その笑顔は普段の厳しい態度からは想像の出来ない母性を感じさせるものだった。
それを見ていたアスカが不意に口を開く。

「別にケンカなんかしてないわよ」
「あら、そう?」
「そうよ!」

おどけるリツコに対し、アスカはまるで噛み付くように声を荒げていた。

「そうね。明日はバレンタインデーですものね。ケンカなんかしてられないでしょうね」
「な!そ、それのどこが関係あるってのよ!!」

突然話題を明日について振られたアスカは、真っ赤になってリツコに食ってかかった。

「あら、私達にも関係があるのよ?明日の事は」

そう言ってリツコは意味ありげな視線をミサトに送った。
その視線を受けたミサトはばつが悪そうに視線を逸らす。
ミサトのそんな態度を微かに笑ったリツコは、今度はシンジへと話しかけ始めた。

「ねぇ、シンジ君。明日の事について、レイから何か聞いてない?」
「え…」

思わぬ事を聞かれたシンジは、どう答えたものかと助けを求めてアスカを見た。
アスカは不愉快そうに顔を歪めて、夕食のサラダをつついている。
シンジは諦めて何とか自分で応えようと努力し、口を開いた。

「えっと、綾波なら……」
「あの女なら、今日、アタシの目の前で、シンジにバレンタインのチョコ渡してたわよ」

その瞬間、シンジの言葉を遮るように発言したアスカの言葉に、誰もがきょとんとなった。

「え?」
「アスカ?」

思わずといったようにリツコが疑問の声をあげ、ミサトが詳細を聞こうとアスカに声をかけたが、アスカはミサトを無視し、リツコに声をかけていた。

「あのさ、リツコ。パイロットの連携を密にするのはいいけどさ。バレタインを利用するのはどうかと思うわよ?しかも対象がコイツとあの女なのよ?危うく溝ができるところだったわ」
「え!?アスカ、どういう事?」

慌てたようにリツコが問い質した。

「べ〜つ〜に〜?ただ、ファーストにはもう少し心の機微って奴を教えてやったほうが、パイロットの連携の為にはなるかもってだけね。妙にあんたからの作戦行動の指示だって事に拘ってたみたいだしさ。コイツ、チョコと一緒にそれ聞いちゃって、くっら〜くなっちゃって。しばらく使い物にならなかったんだから」

ほんの少し前まで大人しかったのが嘘のように、アスカは自分に都合の良いように所々端折った言葉をかけてシンジに絡み始めた。
それを感じたシンジは咄嗟にアスカに反論する。

「あ、綾波は悪くないよ!綾波が何の為にそうしたのかはともかく、僕にチョコくれたのは間違いないんだし…」
「はぁ〜ん?シンジ。あんた、誰のおかげでそれに気付けたんだっけ〜?」
「う、それは……」
「感謝しなさいよね!パイロットの連携の為の作戦行動のフォロー入れてやって、一応成功させてやったんだから!」

どこか挑発的にリツコに胸を張ったアスカに、何があったのかを察したリツコが溜め息を吐いた。

「レイはシンジ君に何故渡すのかまで話してチョコを渡したのね」

どこか頭痛をこらえるように額に手を当ててリツコは溢した。

「ま、そんなとこね」

やけに偉そうに断言したアスカに、リツコは怪しく微笑んですかさず追い討ちをかけた。

「で?貴女はあげるの?シンジ君に」
「「え?!」」

思わぬ事を言われたアスカとシンジが二人揃って動きを止めた。
そのまま同じ早さで顔に血を上らせていく。
二人のそんな様をリツコは興味深そうに眺めていた。
ちらり、と申し合わせたようにシンジと視線を合わせた瞬間、アスカが湯気をたてるほど真っ赤に染まってリツコに食ってかかった。

「な、な、な、何でアタシがシンジなんかにあげなくちゃならないのよ!!!!ア、アタシには加持さんが…」
「加持なら今日本にいないわよ」
「…え?」
「アイツ、司令直々の指示で国外に1ヶ月出向してんのよ」

苦々しげに口にするミサトをアスカは呆然と眺め、シンジはそんなアスカを見て俯いた。

「ま、居ない奴の話してもしょうがないわ。はい、アスカ。飲みなさい」
「「「は?」」」

そう言ってミサトがアスカに飲み物の入ったグラスを手渡す。

「ちょっと、ミサト。貴女、何考えてるの?」
「……ミサトさん?」

その中身が何かを察したリツコが柳眉を逆立ててミサトを詰問し、シンジが訝しげな眼差しをミサトに向けた。
アスカは手渡されたグラスに視線を注ぎ、不審そうな眼差しでミサトに問い質す。

「ミサト?これ、何?」
「決まってるじゃな〜い♪飲んでみればわかるわよ♪」
「そんな得体の知れない物をこのアタシが気安く飲める訳ないでしょ!!」
「何よ!あたしの心を無駄にする気!?
「誰もそんな事言ってないでしょ!!このグラスの中身は何かって聞いてるだけじゃない!」
「だ〜か〜ら〜♪飲んでみればわかるわよ♪」
「嫌よ!何で飲まなきゃならないのよ!!」

アスカとミサトはシンジとリツコを他所に二人だけで熱くなっていく。

「ふ〜ん、そう。アスカは飲めないんだ〜。逃げるのね!」
「んな!?だっ誰がそんな事言ったのよ!!」
「だってアスカ、飲めないんでしょ?それ」
「の!飲めるわよこれくらい!!」

ミサトに挑発され、頭に血を登らせたアスカがミサトの言葉に乗ってしまう。
何か良くない物を感じ取ったシンジがアスカを引き留め始めた。

「ア、アスカ、止めなよ。ミサトさん、それ、何なんですか!?」
「まあまあ、いいからいいから♪」
「そうよ!シンジ!あんたは黙ってて!!」
「でも……」
「ミサト?あまりアスカに変な物飲ませないで頂戴よ?」
「わ〜かってるって!大丈夫!コーヒー牛乳みたいな物よん♪さあ、アスカ♪ぐぐ〜っと空けちゃって♪」

ミサトに笑顔で詰め寄られ、引くに引けなくなったアスカはグラスの中身を覚悟を決めて飲み干した。

「うっ。けほけほけほっ。な、何よコレ。甘ったるくて、喉イガイガするじゃない、のよ……」

ミサトはニヤリと勝ち誇った笑顔でリツコを見た。
不審げな眼差しをミサトに向けたリツコとの間で、何らかのやり取りが交わされていた。
グラスの中身を干したアスカは、ふらりふらりと揺れ始める。

「ア、アスカ!?」

倒れかけたアスカを支えようと思わずシンジが手を伸ばす。
間一髪抱き止めたアスカの身体には、全く力が入っていなかった。

「ミ、ミサトさん!!アスカに一体何を飲ませたんですか!」
「これよん」

トン、とミサトがテーブルの上に牛乳と茶色のビンを置いた。
それを見たリツコは溜め息を漏らして呟く。

「そうじゃないかと思っていたけど。ミサト…。貴女、本当に何を考えているの?この娘はまだ未成年なのよ?」
「だ〜いじょうぶよ♪明日は日曜日だし、ネルフの予定でも一日くらい問題ないわ♪それより、そろそろ面白い物が見られるわよん♪」

余裕を崩さないミサトをリツコは不審に思う。

「ミサトさん、リツコさん!それ、何なんですか!?アスカ、気を失っちゃったのに、何で平気な顔してるんですか!?」

意識を失ったアスカを抱き抱えながら焦るシンジに、リツコは沈痛な顔で告げた。

「シンジ君。ミサトがアスカに飲ませたのはカクテル。つまり、お酒なの」
「へ?お酒……って、お酒ぇ〜!?」

驚愕の声をあげたシンジの腕の中でほんのりと薄ピンクに色づいたアスカが目をあけた。

「しんじ?」
「え!?う、うん。ア、アスカ、大丈夫?」

ほんの少し呂律が回らず、舌ったらずになったアスカにどきりとしながらシンジは問いかけた。
アスカは、にっこりと満面の笑みを浮かべるとシンジの首に手を回して抱きついた。

「しんじ〜♪」
「うわっ、うわっ、うわぁぁぁ?!ア、アスカぁ〜!?」
「うふふふふ♪しんじだぁ♪」

すりすりとまるで猫のように頭を擦りつけている。
その光景を呆気にとられて眺めていたリツコがミサトに問い質した。

「ミサト?コレは何?どういう事?」
「ふふん♪」

ミサトはリツコに完全勝利と描いた笑みを浮かべて解説を始めた。

「アスカはねぇ、お酒を飲むと、とっっっても素直な甘えん坊になっちゃうのよん♪」
「は!?」

リツコはミサトが何を言ってるのかがわからなかった。
固まったリツコを他所に、ミサトは猫なで声でアスカに問いかけた。

「ねぇ〜、アスカ〜?あたしの事どう思う?」

シンジに抱きついたアスカは、ミサトを振り返った。

「みさと?」
「そう!あたしよ!!」

とろんとしたアスカの目元がアルコールのせいで赤く染まっていた。 アスカは満面の笑顔で答える。

「あったかいから好き!」
「「えぇ!?」」

予想外の答えにリツコとシンジが驚愕の声をあげた。
ミサトが満更でもなさそうにな笑顔でアスカに応えた。

「あらん、ありがとう♪」
「でもね、おさけくさくてからかうから嫌い」

アスカの答えにミサトの笑顔がひきつり、リツコとシンジが笑いを噛み殺した。

「じ、じゃあ〜、リツコはどう思う?」

ピクピクとこめかみをひきつらせたミサトの言葉にアスカはリツコに視線を向けた。
どこか焦点の合わない青い瞳に見つめられたリツコは居心地の悪い思いを味わった。
アスカはそのままポロポロと涙を溢して泣き始める。

「え!ち、ちょっとアスカ!?」

さすがに焦りを感じたミサトが声をかけた時、アスカが思う事を口にし出した。

「あたしのママみたい。いっつもしごととパパの事でいそがしくってたいへんなの。でもママはしんじゃったわ。リツコはママに似てるからしんじゃやだ」

しくしくと泣き始めたアスカに、リツコは呆気にとられて声を出す事が出来なかった。

「ち、ちょっと、ミサト。何とかしなさいよ!」
「そんな事言ったってどう慰めれば良いのよ!アスカはあんたを心配して泣いてんのよ!?」
「そ、そんな事言ったって…。アスカにお酒を飲ませたのはミサトでしょう!?貴女が責任取りなさい!」
「だ、だってぇ〜。アスカがあんたに懐いてる何て思わなかったんだもの」
「わ、私に!?私、アスカに好かれるような事何もしてないわよ!」
「ママはね、いっつもはくいきてたの。そしていっつもいそがしそうだったの」

ぐしぐしと泣きながらアスカは吐露していく。

「今のリツコ、いなくなっちゃう前のママみたいなの。リツコしんじゃやだー!!」

そう叫びながら大声で泣き出してしまったアスカを持て余し、三人は硬直してしまった。
泣いているアスカに、先程の経験を思い出したシンジがおそるおそるアスカの頭を撫でた。
アスカは驚いたように顔をあげて、再びシンジに抱きついた。

「しんじぃ〜!」
「わわっ!ち、ちょっとアスカ!駄目だよ!離れてよ!!」

アスカはいやいやをするように首を降ってシンジを抱き締めた。
涙は止まったようだった。

「しんじ、好きー♪」

嬉しそうにシンジに抱き付いているアスカに、ミサトがニヤニヤしながら問いかける。

「アスカ〜?アスカは加持が好きなんじゃなかったの?」

アスカはシンジに抱き付いたまま、視線をミサトに移して答えた。

「うん!かじさんも好き!あのね、かじさんはね、おっきくってあったかくって、いっしょにいるとあんしんするの!あたしかじさんだ〜い好き!」

嬉しそうに満面の笑顔で宣言するアスカに、ミサトは微妙に表情を翳らせ、シンジは胸に鋭い痛みを感じた。

「でもね、あたししってる。かじさんあたしのところにいるのはしごとだからなの。あたしのことすきなわけじゃないの」

ぎゅっ、とシンジに抱きつくアスカの手に力が篭り、シンジは更にどきりとする。
守りたいという気持ちがわいてくるのをシンジは混乱しながら感じていた。
そこにリツコが面白そうに問いかけた。

「シンジ君の事はどう思ってるの?」
「しんじ?」

アスカはきょとんとした後、シンジの顔をまじまじと見つめ始めた。
アスカに抱き着かれたまま見つめられたシンジは、激しく胸が高鳴り始めるのを感じる。
今日一日で体験した全てがシンジに何かを期待させ、胸を高鳴らさせていた。
知らず知らずのうちに、シンジの喉がこくり、と鳴る。
アスカがアルコールに浮かされたまま口を開く。

「しんじはね、あたしの敵!」
「「「え!?」」」

余りに突飛な答えにその場にいた三人は同じ言葉をあげてしまっていた。
アスカは頓着せずに言葉を続けて行く。

「しんじとふぁーすとはね、あたしの敵なの!だって、負けちゃったら、あたし、またすてられちゃうもん。あたしはえう゛ぁで一番にならなきゃいけないから、しんじのことはきらいじゃないけどあたしのてきなの!」

ぼろぼろと涙をこぼしながら辛そうに訴えるアスカに、何故か共感を感じたシンジが途端に叫んだ。

「そ、そんな事ないよ!アスカは、アスカは一番だよ!僕はアスカの味方だよ!!」
「ほんとう?」
「う、うん…」
「Ich liebe Shinji aus befreundeten♪」

涙に濡れた瞳で真偽を問いかけシンジを見つめたアスカは、望む答えをもらった途端何事かドイツ語で叫びながらに再度シンジに抱き付いた。

「わ、わあぁ!アスカ!!だ、抱き付かないでよ!!」
「Und es!」
「何で僕に抱き付くのさ!」
「きもちいいから!」
「き、気持ちいいって…。アスカ……。ぼ、僕はアスカのおもちゃじゃないよ!!」

今日、何度も薄着のアスカに抱き付かれ、その度にアスカの柔らかさを感じる羽目になってしまっているシンジが、真っ赤になりながら必死に抗議した。
シンジの答えを聞いたアスカが大人しくシンジから身を離す。
ほっとしたシンジが息を吐いた時、アスカの泣きそうな声が聞こえてきた。

「しんじは、しんじは、あたしのこときらい?」

青い瞳いっぱいに涙を溜めて、泣きそうなのを堪えて聞いてくるアスカに、シンジは心臓を握り締められた。
嫌いじゃないからこそこんなにも困っているのに、何故そんな事を聞いてくるのだろう。
思わず助けを求めて視線をさ迷わせ、シンジは自分が孤立無援であることに気がついた。

「シンちゃ〜ん、あたし達の事なら気にしなくていいわよぉん」
「そうね。そのままならアスカは泣いてしまうわ」

興味津々な眼差しで自分達を見つめて楽しんでいる妙齢の女性二人に、シンジは自分も泣きたくなった。
と、シンジの膝にポタリと生暖かい何かが落ちてきた。

「Shinji、しんじは、あたしのこときらいなの?しんじも、あたしのことすてるの?Sie sind mit Ihrem Vater wu¨rde Shinji?ごはんつくってくれるっていったのに。Es war wie eine andere Person als Mom。かぞくだっていってくれたの、うそなの?」

ぽたぽたと膝に落ちてくる涙に、アスカに目を向けたシンジはぎょっとした。
所々ドイツ語が混じり、何を言っているのかがわからないところはあったが、いつも強気なアスカが、弱々しい表情で、まるですがるようにシンジを見ていた。

「あ、ああああの…」
「しんじもあたしのこといらないの?」
「い、いらない訳有る訳ないじゃないか!」

すがるような眼差しで問いかけてきたアスカのその言葉を聞いた瞬間、シンジはもうダメだと思ってしまった。
反射的に答えてしまって、何が何だか良くわからなくなってしまったが、とにかく何かが駄目になってしまったのだ。
自分でも理由が良くわからない、深い諦念に包まれたシンジは、ミサトに確認をとった。

「ミサトさん…?アスカは今、酔ってるんですよね?」
「そうよ〜。因みに明日は丸一日潰れてて、自分が何してたのか覚えてないだろうから、何をしてもダイジョブよん♪」
「ミサト。貴女何でそんな事を……って、まさか貴女!」

疑問を抱いたリツコが、答えを察する。
誤魔化すような笑顔を浮かべてミサトが暴露する。

「えへへへぇ〜。ドイツにいた時に、ちょっちねぇ〜」
「呆れた…。ドイツにいた時ってこの娘いったい幾つだったのよ!非常識にも程があるわ!」
「まあまあ。そのお陰で勝てるようなもんだし?問題ないわよ」

ニヤリとリツコに笑いかけるミサトに、氷の眼差しでリツコが応じた。

「……まだ終わってないわ。最後まで分からないものよ?」

シンジは交わされる二人の会話に疑問を持ったが、しくしくと未だに泣いているアスカに向き合った。
今日1日で、シンジが持っていたアスカへのイメージは消し飛んでしまった。
それなのに、それが決して嫌ではない自分も見つけている。
この気持ちが何なのかは良くわからないけれど、アスカの事は好きだと思う。
シンジは自分の気持ちを整理すると、覚悟を決めてアスカに話かけた。

「アスカ?」

シンジに話かけられ、素直に涙に濡れた顔をあげたアスカに、シンジはのたうちまわりたくなるような衝動を感じた。
シンジは必死に暴れる感情を抑える。
替わりに、自分の頬が赤く染まっているだろう事を自覚した。
自分に突き刺さる二つの視線が痛い。
アスカの視線からも逃げ出してしまいたかった。
青い瞳からぽろりとこぼれ落ちたアスカの涙に、シンジは崖から突き落とされた思いを味わった。

「あ、あのね、僕は、アスカの事、き、嫌いじゃないよ!!」

真っ赤に染まった顔でシンジは精一杯自分の気持ちを打ち明けた。

「ほんとう?」

どこか掴み所のないアスカの眼差しに、シンジは困る。
照れくさいものを隠し、シンジはアスカの疑問に答えた。

「う、うん」
「うそ。Mama und Papa wu¨rdeあたしをすてたもん。Also auch Shinjiあたしをすてるの。Also habe ichいちばんになってひとりでいきるの」

精一杯心を込めて答えたシンジは、アスカの答えに愕然とした。
所々ドイツ語が混じって正確に意味はわからないが、わかるところから推察するアスカの言葉の意味は、どこか自分に似ている物が内包してはいないだろうか?
自分と似たものを思い起こさせる今の拒絶の言葉と、今まで目にしてきたアスカの言葉や行動が思い起こされ、シンジは本日二度目の衝撃を受けた。
アスカって、すごい。
脳内でそれらが組み合わされた後、導き出された答えに。
シンジは素直にそう思った。
父親に捨てられたと感じた後、自分は何もしない事を選び続けていたのに、アスカは頑張り続けていたんだ。
そのようにアスカのこれまでを推理し、アスカの事情を察したシンジは、目の前で泣き続けるアスカを見つめた。
おそるおそるシンジの手がアスカの顔に伸び始める。

「アスカ。泣かないで。嘘じゃないよ。僕はアスカの事、そ、その、嫌いじゃないよ」

シンジはアスカの涙を拭い取りながら答えた。
今までに感じた事がない程動悸が激しく、逃げ出してしまいたかった。
が、背中に感じる二つの視線がシンジにそれを許さなかった。

「Wirklich?」
「うん」
「じゃあずっとそばにいてくれる?」
「え!!」

余りにも飛びすぎた要求にシンジは固まる。
頭の中を様々な思いが駆け巡り、最終的に自分がアスカの側に居ていいのか?という疑問になった。
逡巡するシンジに、止まっていたアスカの涙が再度溢れ出して行く。
シンジは慌てた。

「あ、ああ!アスカ泣かないで!いるから!ずっと!アスカの側に!」

その言葉を聞いた途端、背後の気配が色めきたち、アスカはシンジの目をじっと見つめて動かなくなってしまった。

「しんじ」
「な、何?」
「あたしうれしい♪Shinji Dank!!」
「う、うわぁぁぁ!?」

動きが止まったのも数秒。
アスカはすぐに身体中で喜びを表し、シンジにまたも抱き付いて、更にはキスの雨を所狭しとシンジの顔に降らせてきた。
シンジは、そんなアスカの行動に思わず叫び声をあげてしまう。

「ア、ア、ア、アスカ!わかった、わかったから!お願いだから離れてよ〜〜!!頼むよぉっ!!ミ、ミサトさぁ〜ん!!!!」

抱き付いてきているアスカ自身や匂い。
頬や何やらに当たるアスカの唇の感触等がシンジの全てを攻撃し、その攻撃に耐え切れなくなったシンジはとうとうミサトに助けを求めた。
しかし助けを求められたミサトはニヤニヤしながらシンジを揶揄する。

「いいじゃないのシンちゃん♪アスカに抱き付かれてキスされるなんて、滅多にある事じゃないわよん?素面じゃ絶対に有り得ないわね!!しばらくその状態を楽しんでいたら?シンちゃんも悪い気持ちはしないでしょ?」
「んな、んな、んな、何言ってるんですかミサトさん!!!!」

図星を刺されたシンジは動揺し、ミサト達が帰って来る前にアスカに抱き付かれた事は何があろうと黙っている事を心に固く誓った。
もしもばれたとしたら、どうからかわれるのかがわからない。
シンジはその恐怖を感じ、顔を青褪めさせた。
その時シンジの表情を観察していたリツコがミサトに釘を刺した。

「ミサト。悪趣味よ」

リツコに嗜められたミサトは、肩を竦める。

「まぁ、たしかに、ちょっち、やり過ぎちゃったかもね。ま、いいか。リツコ、あんたに塩送ってあげるわ」

ミサトの言葉を疑問に思ったリツコとシンジがミサトに注目した。

「アスカ〜?もうバレンタインデーなんだけど、シンちゃんにチョコあげなくていいの?」

ニヤニヤしながら言われた猫なで声のミサトの言葉にシンジは思わず時計を確認してしまった。
まだ、明日には2、3時間程余裕があった。
疑問に思ったシンジが思わず呟いた。

「ミサトさん?」
「Vielen Dank fu¨r Oshie, Misato」

しかしミサトの言葉を聞いたアスカは、やはりドイツ語で何事かつぶやくと大人しく抱き付いていたシンジを解放してふらふらと立ち上がり、自分の部屋へと歩いて行った。

「ア、アスカ?」

その覚束無い足取りに不安を覚えたシンジは、アスカの後を追おうとして、立つ事の出来ない自分に気が付いてしまった。
軽く腰を浮かして立ち上がろうとして、そのまま静かにその場に腰を落ち着けてしまう。 ミサトがそんな様子のシンジに、嫌らしい笑みを浮かべて絡んで来た。

「あらぁ?どしたの、シンちゃん。アスカ、追いかけなくて良いの?」

笑みを浮かべたミサトの顔は、シンジの状態を正確に把握している顔だった。
その上でシンジの困惑を楽しんでいるに違いない。
シンジは涙目になりながらミサトに抗議の眼差しを向ける。
しかしミサトは意に解した様子もなくニヤニヤとしているばかりだった。
その様子を眺めていたリツコが溜め息をついて、再度ミサトを嗜めた。

「ミサト……。だから貴女悪趣味よ。そっとしておいてあげなさい。可哀想に」

リツコのその言葉で、自分の状態をリツコにまで知られてしまっている事を察したシンジは、泣きたくなって笑顔を浮かべた。
そこへ、ふらふらと赤い顔で自室から戻ってきたアスカが、まるで倒れ込むような勢いでシンジの目の前に座り込む。

「Shinji, ja, das♪」

花が開いたように全開の笑顔でアスカが差し出してくる包装紙とリボンにくるまれた小箱に、シンジは戸惑った。

「え……」
「いっつもね、あたししんじにわがままばっかりいってるから、ひかりといっしょにばれんたいんでーのあたしがつくったの!これ、しんじにあげる!いっつもやさしくしてくれてありがとう!あたししんじがすき♪」

ニコニコとチョコを差し出してくるアスカと、アスカの言葉が意味するあまりの可愛らしさに、シンジは目眩を感じた。
思わずアスカが、いつもこんなに素直でいてくれたら…という自分に都合の良い思いを抱いてしまう。

「あ、ありがとう…」

差し出されたチョコを素直に受け取ったシンジに、アスカは蒸気した頬で嬉しそうに微笑む。

「Fufufu Tofu. Shinji〜♪」

そしてまたもやシンジに抱き付いて来る。

「ア、アスカ……」

もはやとうとう諦めの境地に至ったシンジは、今日はもうアスカの好きにさせる事に決めた。
すりすりと顔を擦り付けてくるアスカの髪が甘い香りを放ちながらもこそばゆい。
けれど、シンジは男としてそれが決して嫌ではなかった。
これがアスカの本心だというのなら、身悶えしてしまうほど嬉しい。
けれど、今のアスカは普通の状態ではなく、先程のように明確に自分の意思でシンジに抱きついているわけではないと、シンジはそう結論付けた。
シンジはアスカの、ぷにぷにすべすべとした女の子特有の感触と、甘い花のような香りを、必死に意識の外に追い出す努力を始めた。
がっくりと首を項垂れたシンジと、シンジに絡み付いて嬉しそうにしているアスカを見ていたミサトが感想を漏らす。

「アスカ、よっぽどシンジ君に懐いているのね。シンジ君、ある意味加持の奴よりすごいわ」
「どういう事?」
「だって、加持とアスカは数年近くの付き合いだけど、アスカがシンジ君と会ってまだ半年もたって無いのにアレよ…?」

ミサトが指した先では、シンジに抱き付いたまま、あどけない寝顔を晒しているアスカの姿があった。
シンジは余りの事に硬直してしまっている。
暫くその光景を眺めていたリツコが苦笑しながら口を開いた。

「そうね。それにどうやら私の予想も外れたようだしね」
「じゃあ、あたしの勝ちって事でいいのね?」

勝ち誇った顔のミサトがリツコに確認する。
リツコは平然とした顔で供されているグラスを干した。

「ええ。構わないわ」

そして勝ち誇るミサトに冷静に指摘する。

「でも今回の賭けは無効よ」
「な、何でよ!!」

焦りを浮かべたミサトがリツコに食い下がった。

「だって、アスカもレイも14日ではなくて、13日にチョコを渡しているもの。だから、ここ一月の貴女の遅刻をなかった事にする件は無しね」
「どうしてよ!ちゃんとアスカは手作りチョコをシンちゃんにあげたじゃない!!」
「だから、言ったでしょう?今日はまだ13日よ。私と貴女は『14日』に、私がレイがバレンタインのチョコをシンジ君にあげると予想して、同じく貴女はアスカが手作りチョコを渡すと予想した。まあ、貴女が小細工しなければ、本当に14日にアスカは手作りチョコをシンジ君にあげた可能性が高かったみたいだけど」
「そ、そんなぁ〜」

がっくりと項垂れたミサトに、シンジの疑問の声が届く。

「ミサトさん?リツコさん?それ、何の話ですか?まさか、僕達で、賭けなんかしてた訳じゃないですよね…?」

シンジの目が微妙に据わった物になっていた。

「な、な〜に言ってんのよ〜。そんな訳ないじゃな〜い」

ミサトは誤魔化すような笑顔を浮かべた。

「そうね。賭けではないけど、ミサトは勝負と言っていたわね」
「ちょっ、リツコ!あんたどっちの味方なのよ!!」
「どちらでもないわ?それじゃ、そろそろ私、帰るわ。シンジ君、ごちそうさま」

リツコはシンジに礼を言うとそそくさとミサトの家を立ち去った。

「ち、ちょっとリツコ!あんた待ちなさいよ!」
「ミサトさん?どういう事ですか!?やっぱり賭けてたんですね!?」
「それは、その〜…」

シンジに問い詰められ、焦ったミサトは話を反らす事を選択する。
「ほ、ほらシンちゃん。あんまり騒ぐとアスカが起きちゃうわよ。良いのかしら?酔い、醒めちゃってるかも知れないわよ?」
「え!」
「手伝ってあげるから、アスカを部屋に連れて行ってあげましょう?ね?」
「……わかりました」

ミサトの提案にシンジは納得いかなかったが、不承不承同意した。
そして、結局シンジはその日、そのままミサトに煙に巻かれてしまったのだった。









15日の朝。
シンジとアスカの登校途中の光景は、いつもと全く変わりがない物だった。

「ちょっとシンジ!急ぎなさいよ!遅れちゃうじゃないの!!」
「ま、待ってよ、アスカ〜!」

ミサトの言った通り、丸一日寝込んだアスカは酔っていた間のことを何も覚えておらず、シンジに対する態度は何も変わらなかった。
ほんの少し、シンジはそれを残念に思う。
けれど、どこか変わらない関係に自分が安堵している事にも気付いていた。
しかし、一昨日に交わしたアスカとの約束は確実にシンジの中に根を張りつつある。
強気なアスカの姿の陰に、一昨日の泣いていたアスカが隠されているように感じて、常にアスカを意識するようになってしまっていた。
アスカのちょっとした仕草に、どんな意味があるのかが気になって仕方がない。
その上、アスカもシンジを何やら気にしている素振りを見せていた。
今も、言葉や態度はいつも道理の強気なものだが、ふとした瞬間に躊躇いがちに物問いたげな視線を向けてきている。
思い余ったシンジはアスカに問いかけてみた。

「ね、ねぇ、アスカ?僕に何か聞きたい事でもあるの?」
「え!!べ、別に何もないわよあんたに聞く事なんて!!!!」

話しかけた途端に真っ赤になって怒鳴り返してきたアスカに、シンジは何故か落胆した。
だが、そのおかげでシンジは自分がアスカに言わなくてはならない事があるのを思い出す。

「そ、そう…。あ!あのさ、アスカ!その…」
「な、何よ!」

言い澱んだシンジを警戒するように睨み付けるアスカに、大輪の花のような笑顔を浮かべてチョコを差し出したアスカが重なった。

「バレンタインのチョコ、ありがとう。美味しかったよ」
「……へ?」

アスカは呆然と、真っ赤な顔で照れを押さえているシンジを見詰めた。

シンジの言葉を理解したアスカが、段々と顔に血を登らせ始める。

「だっ、なんっ!?え?いつ!チョコ!?え!だ、ど、えぇ!?」

混乱していると一目でわかるアスカの口から飛び出て来たのは、やはりその混乱ぶりを示すような意味不明なものだった。
しかし、なぜかシンジにはアスカが何を言いたいのかが何となくわかった。

「あのね、一昨日ミサトさんがアスカにお酒飲ませた時に、アスカが僕にくれたんだ」
「……………………………」

アスカは顔を真っ赤にしたまま沈黙してしまった。

「その、ありがとう。すごく嬉しかった」

シンジは恥ずかしさで自分が破裂してしまいそうだと感じていた。
そのまま、二人共黙り込んでしまう。
不意にアスカが、小さな声で口を開いた。

「その、アタシ、覚えてないんだけど。変な事、言ったり、したり、してなかった…?」

らしくもなく、おそるおそるかけられた響きに、シンジの胸が高鳴る。
一昨日以来、アスカと一緒にいると、ふとした瞬間にこの症状が出てきてしまうようになり、正直シンジはとても困っていた。
何が原因なのかはわからないが、とても苦しくて辛いのに、舞い上がるような気持ちを同時に感じているのだ。
それはとても辛い事なのに、どこかもっと感じていたくもある。
シンジは自分がおかしくなってしまったのでは?と心配になっていた。
どちらにせよ、自分の変調にはアスカが関わっている。
直感的にそう悟っていたシンジは、横目でこっそりとアスカの様子を伺っていた。
そこには、シンジの予想道理mほんの少し不安そうな瞳をしているアスカがいた。
シンジの心臓が更に鼓動を早める。

「な、な、な、何も言ってなかったよ!アスカは、僕にバレンタインのチョコをくれただけだよ!」

本当は、アスカに抱きつかれたり、泣かれたり、約束を交したりしたのだが、シンジは咄嗟にそれを隠した。
それは、まだ隠しておかなければいけないとシンジは思ったのだ。
何故なら、あの時のアスカは酔っていて、いつものアスカではなかったのだから。

「そ、そう…」

目に見えて安堵の響きをのせたアスカに、シンジは自分の判断が正しかった事を確信する。

「か、感謝しなさいよね!このアタシがあんたなんかにあげてあげたんだから!勘違いしないでよ!あんたにあげたのなんか、加持さんのお裾分けみたいな物なんだから!!」

その途端、うって変わっていつもの調子を取り戻し、高飛車になるアスカがシンジにはおかしくて、とても可愛らしく思えた。
バレンタインの前まではびくびくしていたはずのアスカの言動が、今では全く違う意味を持っている。

「うん」
「何ニヤニヤしてるのよっ!アタシは義理だって言ってんのよ!?」
「うん。わかってるよ」
「だったら何でそんなに嬉しそうなのよっ!」
「だって、嬉しかったから」
「なっ!!」

絶句するアスカに、シンジはウキウキしながら告げた。

「アスカが僕にチョコをくれた気持ち、すっごく嬉しかったから」
「なっ!あっ、あんた、何言ってるのよ!生意気よ!シンジのくせに!バカシンジのくせに〜!!」

何故か突然激昂し始めたアスカを、シンジは珍しくあせりもせずに笑いながら受け流していた。

「おはよう、アスカ」
「あ、お、おはよう!ヒカリ!」

そんなシンジを訝しみながら、アスカは声をかけてきたヒカリと並び、シンジを置いて通学路を歩き始める。
一人になったシンジも、歩いてきたトウジとケンスケを見つけて挨拶を交わす。

「よう!シンジ、おはよう」
「おはようさん、シンジ」
「おはよう、トウジ、ケンスケ」

変わらない日常の中で、シンジは友人達と歩き出した。
変わり行く心を隠し、ドイツ語の勉強をしようと心の片隅で誓いながら。

「隠された心」後編にして完結です。

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