ソノ六
作者:でらさん












「先生、もうお昼ですよ」


私の妻となっても彼女は私を先生と呼ぶ。
不満も無いことはないが、呼び方などどうでもいい。

彼女が私の妻という事実に変わりはないのだから。



17年前・・
彼女が私の研究室に所属してすぐ、私は彼女の虜となった。

その美しさは勿論の事、性格、聡明さ、考え方に至るまで私の理想とも言える女性。

だが、年甲斐もない思いだというのは自覚していた。
それに自分などでは手の届かない女性であるということも。

彼女はその美しさゆえ周りの男子学生達が放っておく筈もなく、しがない中年男の出る幕など
はなからない。
しかも人付き合いが苦手で、出世するチャンスをも物に出来ない凡人など彼女の方から
願い下げだと思っていた。
優秀な彼女が、将来科学者として成功するのは目に見えていた事だし。

そんな彼女から見れば、私はパートナーとして明らかに役不足。

よって私は彼女の良き指導者として接することに徹し、自分の思いもいずれは時が忘れさせて
くれるものと考え、平和な日常を過ごしていたのだ。


その日常をあらゆる意味で崩したのが、六分儀 ゲンドウという男。

やつは私の密かな思いを踏みにじるかのように彼女に近づき、その心に住み着いて
彼女を奪った。

そしてセカンドインパクトが私の全てを変えた。



あれから彼女と結婚した奴は、姓を彼女のものに変えていた。
奴は彼女と共に、彼女の背後にある裏社会とのパイプも手に入れたのだ。

そんなあいつはいつの間にか私を引き入れ、自分のシナリオに組み込んでいった。

私は昔から今に至るまでやつに協力した覚えはない。
全ては彼女のため。

自分の思いを成就させようなどとは考えなかった。
ただ、彼女と共にいる時間が欲しかった・・



その思いは私の予想以上の結果をもたらした。

使徒との戦いが終わり、エヴァ初号機から彼女を救い出すサルベージが実行されたのだが
サルベージされた彼女は夫であったやつを拒否。

神とも言えるリリスのダイレクトコピーである初号機の力・・超知覚能力で、この10年間やつの
してきた行為を全て知っていた彼女。
赤木親子との関係、レイに対する異常な愛情と息子に対する非道な扱い。

これらの行為は、通常の良識を持った人間であれば許せるものであるはずがない。
それが夫のしたことならば尚更。

やつを捨てた彼女は、当然のように私と結ばれたのだ。

もう子供を作るのは気が引ける年だが、彼女はそれを望んでいる。
初号機に取り込まれた時から年を取っていない彼女はまだ若い。

今日、昼まで寝てしまったのも昨晩のお勤めのせいだ。


「3時にアスカちゃんのご両親と会うんですから、それまでにはしゃんとしてください」


「ああ、そうだったな」


そうだ、今日はシンジ君・・いや、シンジとアスカ君の正式な婚約を決める日だった。
父親として恥ずかしくない態度で接しなければな。

気合いを入れるために恒例のあれを・・


「ユイ、朝の挨拶を頼む」


「まあ、先生ったら・・・仕方ないですね」







「ん〜〜〜」


「副司令って可愛い。ねえ、みんなも見てよ!」


今日は週末の晩・・
とある居酒屋に秘書室の女性職員達数人と飲みに来た冬月であるが、寄る年波には勝てず
途中で寝てしまったらしい。

そんな彼は若い彼女達にとって格好の餌食だ。


「どれどれ・・・きゃー、ホント!
家のお父さんとは比べられないわ」


「司令とは大違い。
いつも無愛想で何考えてるか分からないしさ、あの人。
配置換えで担当になったら、私ネルフ辞めるもん」


「室長はよく保ってるわよね」


「仕方ないわよ、逃げられない立場だもの・・あの人」


ゲンドウの担当は秘書室の最高責任者自らが引き受けている。
誰もがゲンドウの担当を嫌がっているのを察して、自分の担当としたわけだ。
おかげで、秘書室そのものの仕事は副室長に任せっきりだが。


「こら!あなた達!副司令で遊んじゃだめじゃない。
副司令はお疲れなのよ、そのくらい察しなさい」


「す、済みません、室長」


トイレから戻った室長の女性は、眠る冬月を取り囲んで騒ぐ部下達を一喝すると
次に店員を呼びハイヤーの手配を頼む。
冬月はネルフの公用車があまり好きではないと、彼女は知っている。

警備は特に問題はないはずだ。

第三新東京市にある企業の全てはネルフのコントロール下にある。
タクシー会社も例外ではなく、冬月を乗せるとあれば保安部から人員が派遣されるだろうから。


「いい?あなた達よく聞きなさい。
ネルフが今の体制を維持出来て国連に影響力を行使出来るのも、全ては副司令のおかげなのよ。
いつも言ってるでしょ?
こんな事言いたくはないんだけど、司令はただのお飾りみたいなもの。
だから、私達は全力を挙げて副司令をサポートするの。
そのことは絶対忘れてはダメよ」


冬月やゲンドウと接する機会の多いこの室長は、ネルフが本当は誰によって動かされているのか
よく分かっていた。

ネルフ各支部、第三新東京市、日本政府、戦自、国連・・・
これら組織との調整は全て冬月が自らの責任で行っているのだ。
更には本部内各部署間の調整まで。
ゲンドウはほとんど何もしていないと言える。

それを知っているのはごく一部の人間だけ。
冬月が厳重な箝口令を敷いていることも原因なのだが。

トップはあくまでゲンドウ・・

その立場を変えようとせず、あくまで黒子に徹する冬月を室長は尊敬もしていた。


「こんな席でお説教なんかして悪いわね。
気分直しにあなた達はこれでカラオケにでも行きなさい。
私は副司令を家まで送るから」


「そ、そんな、お金はいいです。自分達で出しますから」


「若い子が遠慮しないの。
領収書もいらないから、全部使っちゃって」


職員の一人に数枚の紙幣を渡し、自分は帰るための準備をする室長。
それに倣って他の職員達も帰り支度を始める。

その間でも冬月はぐっすりと寝たまま。
余程疲れているらしい。




「じゃ、ほどほどに騒いで楽しみなさい」


見送りに来た職員達との挨拶を終えると、ハイヤーは走り出した。
運転手はどう見ても運転手ではなく、保安部から派遣された人間と分かる。
行き先も言っていないのに、冬月の住むマンションへ直行しているし。

しかも信号に引っかからない。
保安部でコントロールしているのだろう。
一般のドライバーにとっては迷惑この上ない。

冬月が寝ていて良かったと思う室長である。
彼は人一倍、こういう特権じみた事を嫌う人間であるから。




「よいしょっと・・・意外と若作りなのね、部屋は」


冬月の部屋に入った彼女は年に似合わぬ部屋の様子に驚き、気に入った
元大学の先生だというので、堅物を絵に描いたような部屋を想像していたのだが
そんな様子はまるでない。

流石にアイドルのポスターを貼っているということはないが、20代独身男性の部屋と言わ
れても疑わないだろう。


「・・・確かに寝顔は可愛いかも」


ベッドに寝かせた冬月の顔をまじまじと見る。
年にしては若い・・

そんな時、ちょっとした悪戯心が彼女に芽生えた。


「初なねんねじゃないし・・これくらいいいわよね」


この晩、彼女は久しぶりに外泊した。










「あの子と私と、どちらを選ぶというの?あなた」


全てが終わり愛するユイもサルベージされ、すっかり元の鞘と思ったのも束の間。
私には重大な問題が突きつけられた。


「ナオコどころかリツコさんにまで手を付けるなんて・・
リツコさんと手を切る気はないのかしら?」


「・・・ない。
彼女の事も愛している・・ユイ、お前と同じようにな」


そうだ、私はいつでも本気だった。
赤木 ナオコ女史との関係も、その娘リツコとの関係も遊びなどでは断じてない。
彼女達が結果的に重要なポストにいただけだ。

それは誰にも理解してもらえない私の真実。

いや、冬月先生だけは分かっているはずだ。
私は決して非道な人間などではないという事を。


「ふっ、男の勝手な都合ね。
でもいいわリツコさんなら・・・本題はこれからよ。
レイに手を付けたのはどう説明するおつもり?
あの子妊娠したそうね」


「そ、それは何かの間違いだ!誰だ、そんなデマを言うのは!」


「私です」


「レ、レ、レ、レ、レ、レ、レイ!どうしてここに!」


なぜだ、なぜレイがここにいるのだ。
彼女は松代で療養(出産準備)している筈・・
ユイに密告したやつがいるな。


そうか、シンジか!!
レイを私に取られたのでその腹いせなのだな。

お前にはクォーターの金髪娘がいるではないか!
何が不満だというのだ!
私もあやかりたいくらいだぞ!

リツコ君の金髪は染めた物だしな、本物の金髪とは・・・

違う!!

こんな事を考えている場合ではない。
この危機的状況を切り抜ける手段を考えなくては。
最悪、私は全てをうしなってしまう。

そうだ!シンジを使おう。


「レイの相手はシンジだ。
偽りの記憶を植え付けられているのだよ、レイは。
いくらなんでも、私が中学生に手を出すはずがあるまい」


「碇君が?」


「そうだレイ。
お前はシンジの協力者によって記憶を操作され、あたかも私がお前に手を出したように
思いこまされたのだ。
なぜかあいつは私を良く思っていないからな、嫌がらせのつもりだろう」


ふっ、身の保全のためなら何でも言うぞ私は。
証拠など後から作ればいい。
私は何でも出来る立場だからな。


「シンジがね・・」


「信じてくれユイ。私は息子に嵌められただけだ」


「誰が誰を嵌めたって?」


「シ、シ、シ、シ、シ、シ、シ、シンジ!!」


バ、バカな・・シンジは金髪娘と温泉に行ってるはずだぞ!

こ、ここまで役者が揃うということはもしかして全て・・


「私は全て知っているのよあなた。あ〜んな事からこ〜んな事までね」


うう、まずい。
これは最後の手段しかないようだな・・逃げよう。

うっ、体が動かない、コーヒーに痺れ薬を入れたな、ユイ!


「逃げようたって無駄よ。覚悟はよろしい?」


こ、恐い。
私のこれまでの人生で最大の恐怖を感じるぞ。
誰か助けてくれ。

誰か・・・








「助けてくれ!!」


隣の部屋に聞こえるのではないかと思われる絶叫を挙げて起床したゲンドウ。
起きあがり、あらためて自分のベッドを見ると酷い有様だ。
汗でびしょ濡れだし、乱れかたも普通ではない。

性行為の後でもここまで乱れないだろう。


「くだらん夢を見た。
ん?もう10時近いのか・・冬月の所で茶でも飲むか」


傍に誰もいないのに虚勢を張る。
この男の性格が滲み出ていて、端で見れば面白いやつだ。





冬月宅 玄関前・・


「遅いな冬月」


インターホンを押してもなかなか出てこない冬月を待つゲンドウは、夢のこともあって苛つく。
それでなくとも最近はろくな事がないのだ。

愛人関係にあったリツコに振られたあげく、巨額の慰謝料は取られるし
息子のシンジとは相変わらず上手くいかないし
レイもほとんど口を利いてくれなくなった。
更には職員達までもが自分を避けているような気がする。
(全部自分の責任なのだが、本人はまるで気付いていない)

これでは気も滅入るというもの。


シュッ


「何をやっていたのだ、冬・・」


「済みません、まだ寝てたもので・・あら、司令」


ゲンドウの目前に現れたのは自分の秘書を務めている女性。
しかも冬月の物らしいガウンを羽織って。

リツコと別れたゲンドウが密かに目を付けていた女性でもある。
彼が目を付けるだけあってなかなかの美女。
しかも秘書室長を務める才媛。
年もまだ30になったばかりだと聞いた。

しかし様子から見て冬月との関係は明白。


「や、やだわ、とんだ所を見られてしまって。
あ、あの、この事は内密に・・」


「分かっている、冬月によろしくな」
(おのれ冬月・・知らぬ間にうまいことやりおって!)


「はい、伝えておきます」
(し、司令に見られちゃった・・今更悪戯なんて言えないわ)


「うむ」


自宅に戻るゲンドウを見送った室長は、冬月が起きない前に帰ろうと寝室に置いてある
自分の荷物と服を回収しようとした。
ゲンドウに見られた以上、冗談では済まなくなる。
話が変な方に進むと、冬月に迷惑がかかるかもしれない・・

が、冬月はもう起きていた。


「・・・・・・記憶にないが、そういう事か」


「い、いえ、副司令、これは・・」


「気を遣わなくていい。
酔ったとはいえ、弁解の出来ない行為を私はしたようだ。
この年でこんな事になるとは・・自分が恥ずかしいよ」


「だからその・・」


「何でも言ってくれ、私の出来うる限りの償いをさせてもらう」


無理矢理関係を結んだと誤解した冬月の落ち込む様は、彼女にある決心をさせた。

いつも見ていたのだ・・優しい笑顔を。

この先、一生傍にいて見ていたいと思う。
それにやはり自分は彼を愛していると言える。

尊敬なのではない。
これは愛だ。


「では、私を一生あなたの傍に置いてください・・・冬月さん」









半年後・・

冬月は一生の伴侶を手にした。
ネルフ本部職員は例外なく、心から祝福したという。

この男を除いて。


「自分だけ幸せになりおって・・・恥ずかしいと思わんのか!」


敢えて誰とは言うまい・・



 でらさんからシリーズ『夢』6話目をいただきました。

 冬月‥‥ユイさんのことを忘れられなかったのですね。
 しかしまぁ許せる範囲でしょうか。

 それにしてもゲンドウ、夢の中まで鬼畜ですな。
 冬月の幸せを見せつけられるのも当然過ぎる報いと言えましょう。

 続きも楽しみですね。でらさんに是非感想メールを送りましょう。

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