本物は誰? 第七話

作者:でらさん













夜の八時を過ぎた時間の、突然の呼集。
だがアスカとシンジにとって、それは珍しい事ではない。
使徒戦は終わったもののゼーレや日本国政府との暗闘は続いており、ネルフ本部の緊張は持続
している。時間を選ばない非常招集訓練も多いのだ。
今回の呼び出しも、その訓練の一環だと二人は考えていた。
本部に着くまでは。


『何よ、この張りつめた空気。昔に戻ったみたいじゃない。
何かあったのかしら』


シンジと共に本部内に足を踏み入れたアスカは、その尋常でない様子に身を固くした。
行き交う職員の顔に訓練独特の余裕はなく、皆が張りつめた空気を、身に纏っている。まるで、
使徒戦の時のようだ。ミサトに至っては、使徒戦時よりも緊張を漲らせているくらい。
本部についてすぐミサトの執務室に呼び出された二人は、いつになく厳しい顔のミサトと対面している。
その雰囲気につられてか、自分専用にカスタマイズされたネルフの制服を着た二人は、ミサトの前で
直立の姿勢を崩さない。

ミサトは、赤い制服を着たアスカと濃いグレーの制服を着たシンジを前にすると、彼らの成長に感慨を
禁じ得ない。直立する二人の姿は、清々しい士官候補生のようだ。僅かな時間で、よくもここまで成長
してくれたものと思う。


「御用は、何でありましょうか。三佐殿」


痺れを切らしたシンジが、姿勢を崩さず、前方を見据えたままミサトに問いかける。
その口調は、あくまで公的なもの。


「これから説明するわ。
二人とも、楽にして」


「「はっ!」」


「普通でいいのよ。座りなさい。
喉が渇いたら、冷蔵庫から何か適当に出して飲んでね」


機敏な動作で、脚を少し広げ手を後ろに組んだ二人に、ミサトは表情を緩ませて着席を促した。
と、アスカがとたんに体を弛緩させる。


「最初から言いなさいよ。緊張して、損したわ」


「こっちが面食らったわよ」


二人を座らせたミサトは、机の引き出しから資料の入った袋を幾つか取りだし、更にその袋から数枚
の写真を抜き取って机上に置いた。


「これを見て」


「アタシとシンジじゃない。どこで隠し撮りしたの?
まさか、いつもこんな事してるんじゃ」


「見られて困るような事してるわけ?場所も考えないで」


ミサトは同居人達の関係は知っているし、それに茶々入れるつもりもない。彼らの過去を考えれば、
一言祝福の言葉をあげたいくらい。アスカには生理安定の名目で医療部からピルも支給されている
事だし、そっちの心配もない。
とはいえ、彼らの歳を考えると素直に喜べないのも、また事実。それが、ミサトの口調に出た。
そのミサトに、アスカは開き直りで対抗した。


「してるわよ。恋人同士なら、当然でしょ?
アタシ達若いしさ。気が向けば、したくなるのは当然よ」


「ア、アスカ」


ストレートな言葉で反撃するアスカを抑えようとするシンジだが、アスカは意に介さない。
そんなアスカに対し、ミサトは懇々と説教したい気持ちを必死に静め、話を次に進めた。


「・・・言いたいことは山ほど在るけど、とりあえずそれは置いとくわ。
問題は、この写真よ」


「これがどうかしたの?普通に買い物してるだけよ」


「これ、シンジ君じゃないわ」


「ミサト。アンタ、アタシ達をからかってんの?これ、どう見てもシンジ・・・」


写真を見直したアスカの口が止まる。
よくよく見れば、それは先日のショッピングセンターでの写真。背景から見ても間違いない。
そして、自分と並んで写るそのシンジには、当時感じた違和感が・・
写真のシンジは、自分の知るシンジではない。何がどうとはっきり言えないが、アスカには分かる。


「アスカには分かったようね。
これが、保安部から上がってきた、撮影当時の詳細な報告書。
本来は、あなた達が読める書類じゃないけど、特別に読ませてあげる」


「・・・これ」


書類に目を通すアスカの顔が一瞬で強ばる。
その彼女の様子・・先程の反応からしても、自分の意図は伝わったとミサトは確信。彼らの身分では
閲覧不可能な秘密文書まで見せたのだ。納得してもらわないと困る。


「どう?信じた?」


「難しい漢字が多すぎるわ。
シンジ、アンタが読んでみて」


「わ、分かったよ、アスカ」


まだ、漢字は苦手なアスカだった。








ミサトの報告で事の次第を知ったゲンドウは、すぐさまショウヘイを呼び出して事情を聞く事にした。
この件に彼が絡んでいるのは確実と直感したからだ。
ミサトが推測として述べたゼーレ謀略論も可能性として考えることは可能だけども、今のゼーレに
そこまでの謀略を仕掛ける覇気があるのか・・それは疑問だ。続くネルフとの暗闘の影響で、ゼーレ
に昔日の力はない。起死回生を狙ったと考えられなくもないが。
ショウヘイが堂々と素顔を晒すとも思えない。しかし、その可能性を否定できないのも事実。彼の
行動原理は、未だ持って不明だし。
あと考えられるのは、異世界のシンジが、もう一人この世界に侵入してきた可能性。ショウヘイの抱
えるトラブルの元かもしれない。
いずれにしろ、カギはショウヘイが握っているとゲンドウは推理するのだ。


「どういう事か、説明してもらおうか。
無理にとは言わんが、互いの利益の為に隠し事はやめにしようではないか」


「無理も何も、推測はしてるんだろ?」


「大体な。異世界のシンジが、もう一人この世界にいるわけだ。
お前の敵なのか?あ奴は」


歳に似合わぬ泰然とした姿勢を崩さないショウヘイにゲンドウは内心感嘆しつつも、ショウヘイの敵だ
という、もう一人のシンジが気になる。暗い影を見せるこのショウヘイが敵と認識する人物となると、救
いようのない極悪人かもしれないのだ。


「僕の命を狙ってる。僕は、親の仇なんだ」


「異世界の私を殺したのか、お前は」


「そうだ。それも一人じゃない。あんたを殺せば、三人になるな」


「お前は馬鹿ではない。私の利用価値の高さは、理解してるはずだ」


「・・・あんたみたいなタイプ、初めてだよ」


ショウヘイは、このゲンドウが今まで会ったゲンドウの誰とも違うタイプと知り、少し戸惑う。
単なる親馬鹿だったり、情の欠片もない非情の男だったりするケースがほとんど。人間として完成され
たケースは一例だけ。その理想に近い人間であったゲンドウを、ショウヘイは殺してしまった。後悔が
ないと言えば、嘘になる。
このゲンドウは、いずれのケースにも当てはまらない。
自分に愛情を見せるわけではないし、突き放すわけでもない。現実に則って取引を交わすだけ。


「で、どうするのだ?もう一人の自分を」


「追い回されるのも、いい加減鬱陶しくなってきてね。
ここらで決着を付けたい」


「殺すというのか?自分を」


「自分?僕から見れば、同じ顔した他人に過ぎないね。まあ、殺すとは限らないけど。
それより、協力してくれるんだろ?」


「協力の見返りは何だ?危険を冒してまでこっちが一方的に協力するのは、割に合わん」


「ゼーレの老人達・・邪魔なんだろ?」


「お前が暗殺でもするというのか。
大した力は無いという、お前にできるのか?」


「僕の言うことを、そのまま信じてたわけでもないだろ?あんた。
僕の知らないところで、監視もしてるはずだ」


「・・・・」


ショウヘイの真の力は、こんなものでないだろうと、ゲンドウが考えているのは事実。いつ捕らえら
れるか分からないネルフ本部に堂々と出入りする自信。彼の隠す異能の力がどれほどの物なのか、
それだけで分かろうというもの。


「初号機を貸してくれればいい。それで、事は足りる」


「初号機を使うのか!?」


「あれを使うのが、一番効率的なんだ。
別の手もあるけど、時間が掛かりすぎる。僕は、万能じゃないんでね」


「初号機を使うとなると、問題がありすぎる。
S2機関の制御だけでも難しいのだぞ。ここのシンジでは、完全に制御できんのだ」


現在、新造された零号機改や弐号機も含めて、エヴァは全てS2機関搭載型となっている。
しかし初号機のパワースペックは他の二機と隔絶しており、全ての始祖、アダムをも超えるのでは
ないかと推測されているのだ。
そのハイパワー故に、初号機の運用は慎重を期して行われる。実機を使った訓練も、最近はあまり
ないのが現状。訓練中にまかり間違って暴走でもしたら、誰も止められなくなる。冗談ではなく、人類
の破滅にもなりかねない。


「僕なら、完璧に操って見せる。
連中の根城は特定できてるはずだ。準備ができ次第、直接攻撃に出る。国連への根回しや秘密工作、
早い内に頼むよ」


「・・・簡単に言ってくれる」


ゲンドウの精一杯の抗議にショウヘイは軽い笑みで応え、薄暗い部屋を出て行く。
その背を見るゲンドウの心には、高圧的に事を運ぶショウヘイに対し、不思議と怒りというものがなかった。
今のゲンドウを言葉に表すなら、立派に成長した息子に目を細める父親といった感じか。


「息子か・・」






街の様子が、どこか変だ。
警察車両が目に付くし、彼らと打ち合わせする黒服の連中もちらほらと多く見かける。
明らかに、ネルフで何らかの動きがある証拠。


(ネルフの動きがおかしい。
まさか、あの時のアレが原因か?)


顔を変え、普通の若者らしい恰好で街を歩く異世界のシンジは、先日、この世界のアスカと鉢合わせ
した自分のミスと関連付けてみる。
アスカとシンジがまだエヴァパイロットだとすればガードは付いているし、そのガード達がもう一人の
シンジを確認すれば混乱するのは確実。その次には、もう一人の方に疑いの目を向けて探索するのが
筋というもの・・焦りから出たとはいえ、厄介な失敗をしたものだ。
更に、重大な問題がある。
彼が仇と狙う、もう一人の自分の気配がほとんど掴めない。居場所が特定できないのだ。こんな事は、
初めて。
一度、共に次元を超えた影響からか、彼と自分の間には特殊な繋がりがある。それは気配として感じ
られ、どこにいるかが感覚として分かるのだ。言ってみれば、限定された生体レーダーみたいなもの。
ところが、その気配が相当に弱い。壁のような物を通して見るように不鮮明。
意識を集中してこの程度。集中しなかったら、気配そのものを捉えられないだろう。事実、この世界に
来た当初は気配を感じられずに戸惑った。


(まずいな。
これじゃ、奴を探すにしても制約が多すぎる。
ここのネルフ関係者に接触するのは危険・・・となると)


シンジは人並みの中で立ち止まり、とあるビルへ目を向けた。
目の先には、ビルの壁面に在る広告用の巨大スクリーン。今そこで映し出されているのは、最近売れ
ている女性アイドルグループのプロモーションビデオ。画面の下には、現在の時刻と第三新東京市の
ピンポイント天気予報がテロップとして流れている。


(三時過ぎか・・
学校も終わる頃だな)


再び動き出したシンジの足は、第壱中学へと向かう。






「やあ、洞木さん」


学校からの帰り道。背後からの聞き慣れた声にヒカリが振り返れば、そこにはシンジが。半長のパンツ
にTシャツというラフな恰好。
彼にしては何か不自然だと思ったら・・
隣にアスカがいない。


「あら、碇君。アスカは?
昨日の晩、一緒に呼び出されたんでしょ?」


「ああ、アスカはちょっとした用事でね。僕だけ、先に帰ってきたんだ」


「そう・・」


シンジがどういうつもりで自分に声をかけたのか知らないが、ヒカリとしては、あまり長話はしたくない。
それよりも、”今日は会えない”との電話以降、連絡の取れなくなったショウヘイの部屋に早く行きたい。
丸一日連絡が取れないなど、付き合い始めてから経験がない。急な病気などで伏せっていたとしたら・・・
そんな事はないと思いつつも、ヒカリの頭は不安で満たされていた。

ちなみに・・
ショウヘイが他の女と会っているという疑惑など、ヒカリの頭には一欠片もない。
彼がそんなにもてるはずないと確信しているためだ。


「浮かない顔だね。どうしたの?」


「べ、別に、何でもないの」


不安が顔に出たのだろう。自分を案じるシンジの気遣いがヒカリには嬉しい。
と、そこで、ヒカリの頭に閃く物があった。


「そうだ。
碇君、あいつから電話とかないの?」


「あいつって?」


「やだ、からかわないで。
ショウヘイよ。碇君の親戚の」


「ああ、ごめん。そんなつもりはなかったんだ。
でも電話は・・」
(僕の親戚?・・この世界には、そんな人間が僕の廻りにいるのか)


ヒカリと話をするのは、顔を元に戻した異世界のシンジ。アスカ達に近いであろうヒカリから情報を得よう
としたのだ。
勿論、ヒカリに声をかける前に、他の第壱中生徒から今日はアスカとシンジが学校を休んでいるとの情報
を得ている。他の学校から来たアスカのファンだと言ったら、彼らは何の疑いもなく質問に答えてくれた。


「その様子からすると、ないみたいね。
どこ、ほっつき歩いてんのよ、あいつったら」


「ショウヘイが、どうかしたの?」


ヒカリの様子から、どうやらショウヘイなる人物とヒカリが親しい間柄にあると判断したシンジは、適当に
話を合わせて更なる情報を引き出そうとする。
追い続けるもう一人の自分は、どういうわけか女を懐柔するのが得意だ。どこの世界でも、複数の女が
彼の周りにいてサポートしていた。ショウヘイがそうとは限らないが、彼の人物像を知っておくことに越し
たことはない。


「昨日の朝、急用が出来たから今日は会えないって電話があったっきり、連絡取れないの。
予備校でも友達が何人かできたみたいだから、その友達と遊んでるんだとは思うけど・・」


「友達との付き合いなら、そんなに心配することないって。
彼は信用しなきゃ」


「でも病気だったら」


と、その時、ヒカリの携帯が鞄の中で音を立てた。
慌てて鞄から携帯を取り出すヒカリが携帯のディスプレイに見たのは、待ち焦がれた番号。
ヒカリの顔が、一気に崩れる。


「昨日、どこ行ってたの?何回も電話したのよ、わたし。
・・・は?友達の家で宴会やってた?お酒飲んで、二日酔い!?自分がどういう立場か、分かってんの!?
なに考えてんのよ!!」


喜びに崩れた顔は、一瞬で憤怒の表情に変わった。
そして、ヒカリの勢いは止まらない。


「あなた、まだ十六で予備校生なのよ!そんなことやっていい歳でも立場でもないのよ!!
・・・・わたしに謝ってもしょうがないでしょ!
これから部屋に行くから、おとなしくしてるのよ!いいわね!?」



怒り収まらないヒカリは携帯を乱暴に鞄にしまうと、シンジに訳を話して別れの挨拶をしようと、彼の立っ
ている方へ視線を向けた。


「ったく、もう、あいつったら・・
あ、取り乱してごめんなさい、碇君。わたし」


しかし・・


「あれ?いない・・
呆れて行っちゃったのかな」


シンジの姿は、どこにもない。
辺りを見回しても、彼の背すら見えない。
変だとは思うが、今のヒカリは、それ以上にショウヘイに対する憤りで頭がいっぱい。


「ま、いいわ。
それより、早くあいつの部屋に行かなきゃ」


ヒカリは、鞄を小脇に抱えて走り出す。その顔に、先程の激情はない。
代わりに、隠しきれない艶が顔に滲み出ていた。
それは、いつかヒカリ自身がアスカに感じたもの・・
雄を求める雌の顔。

そして、そんな彼女を後から追う人影が一つ。
ヒカリから一時離れ、顔を変装用に変えたシンジである。
そして更に、そのシンジを追う人影も複数存在する。
それは、一般人に偽装したネルフの保安部員。


「H班、目標を確認しました。
尾行を続行します」


追われる自分の状況を、異世界のシンジは、まだ知らない。





つづく



でらさんから『本物は誰?』第七話をいただきました。
いよいよ光シンジと闇シンジの対決になるのでしょうか。
そろそろ異世界シンジも正体が露見しそうですね。

ますます目の話せないお話を書いてくださったでらさんに是非感想メールをお願いします。