帰還

作者:でらさん












「今日も暑いわね」


惣流 アスカ ラングレーは、いつもと変わらない強い日射しに眉をひそめ、最後の
洗濯物を物干しに引っかけた。
そして一本に縛った髪の毛を振りほどくと、僅かな風に見事な金髪がサラサラと泳ぐ。
周囲に男性諸氏がいたのならば、その仕草と輝くばかりの容姿に目を奪われ、呆然
と立ちつくすだろう。
今のアスカは、女の絶頂期。彼女に心動かされない男はゲイの資質があるとまで噂
されている。


「ま、ネルフの中は関係ないか。
ミライ、そろそろ行くわよ〜」


「は〜い」


アスカが呼びかけ部屋から返事をしたのは、彼女の娘、ミライ。アスカが一五歳の時
に産んだ、彼女自身の子供。養子などではない。
父親は、いない。
いや、今ここにいないと言うべきか。
ミライの父、アスカが一四歳の時に関係した男は、嘗ての同僚であり同居人、碇シンジ。
彼は現在、行方不明。
その彼を、アスカは待ち続けている。
ミライを育てながら。







三人の少年少女達が心を擦り減らしてまで戦ったあの戦争から、一〇年の時が過ぎ
ようとしていた。
最後の最後で心の闇を振り払ったアスカとシンジは、ゼーレの切り札、量産型エヴァ
九機の攻勢を凌ぎ、逆に殲滅してゼーレの息の根を絶っている。
MAGIのハッキングに失敗し、ネルフ本部への直接侵攻を戦略自衛隊が拒否した時
点で大方の勝負はついていたのだが、量産型エヴァの殲滅は、ゼーレそのものを地
上から消し去る効果を発揮した。
ゼーレの消滅で名実共に世界の統治者となった国連では、ネルフが有力各国以上の
影響力を保持。絶対抑止力のエヴァを背景に睨みを利かせている。

現在のエヴァは完成型のダミープラグで起動、稼働し、パイロットは必要なくなっている。
アスカとレイは、一応予備役に留まりながらもネルフで独自の地位を得ており、アスカ
は作戦部。レイは技術部で活躍中。
この超美形コンビは、ネルフ内外の男達が何とか彼女達をゲットしようと悪戦苦闘する
なか、それらを嘲笑うように人生を愉しんでいた。
今日も二人は、アフターファイブを五人の男達と過ごしている。数ヶ月前から予約してい
た面々で、総務部の中堅職員の集まり。男達は、いずれも人は悪くなかった。食事中は
真面目な話に終始したし、食事の後でもしつこく誘ってくることもない。あっさり過ぎて、
アスカが拍子抜けしたくらい。


「今回は、随分とあっさり済んだわね。
何か、裏でもありそうな感じ」


帰宅する前に軽く一杯飲もうと、行きつけのバーに寄った二人は、カウンターでグラス
を傾ける。
レイはブランデーのトリプル。アスカは、ロックのウィスキー。二人とも、酒には耐性がある。

口数が少なく人との関わりを避けていたきらいもあるレイは、使徒戦の後、徐々に人間
らしさを身に付けてきた。今では、アスカの一番近しい人間。
時々アスカの自宅に遊びに行くので、ミライも彼女に懐いていて、歳の離れた姉のよう
に慕っている。
アスカと同様にシンジを待つ女の一人で、特定の恋人もいないが、友人以上恋人未満
のような存在は数人いる。レイによると、それも人生経験の一環だそうだ。


「何かを期待してたわけ?アスカは」


白のよそ行きできめたレイは、アスカから見ても綺麗だ。体がくっつきそうなほど隣に座っ
た彼女からは、甘ったるい、いい匂いもする。ここがバーでなくホテルの一室だったら、欲
望のままに押し倒しているかもしれない。
酒の力が自制心を弱めていることもあって、アスカは変な気分。


(やだ・・
欲求不満なのかしら、アタシ)
「冗〜談。アタシの体は、安くないのよ」


「朽ち果てる前に、高く売った方がいいわよ。
ミライちゃんのためにもね」


「ミライの?
どういうことよ、レイ」


「父親が必要なんじゃないかってこと。
寂しいはずよ、ミライちゃん」


「ミライの父親は、アイツだけよ」


ミライの父親になりたいと自分を売り込んでくる男は、これまで無数にいて、子育てに疲れ
ていた頃は考えないでもなかった。
だがその度にシンジの顔が頭に浮かび、アスカはその気持ちを追い払っていた。


「アスカの気持ちは分かるけど、実際にいないんじゃ、どうしようもないじゃない。
何人かいるんでしょ?候補は」


「みんな友達よ。それ以上じゃないわ」


確かに食事くらい付き合う男は何人かいる。
特に中学時代からの友人、相田ケンスケなどは、ミライと連れだって家族のように何度か
食事もした。子供受けのいいケンスケにはミライも好印象のようで、彼が父親になれば、
ミライは自然に受け容れるだろう。
ケンスケは良い人間だし、自分にどのような気持ちを抱いているかは分かっている。冗談
めかしてプロポーズされたこともある。
しかしアスカは、ケンスケの気持ちを受け容れることはできない。シンジの生死すら分か
らない今は。


「向こうは、そう思ってないわ」


「もういい。アタシ、帰る」


「アスカ・・」


レイとの話を打ち切ったアスカは、金をテーブルに置いて店を出た。
それ以上話すと変な方向へ話が飛びそうで、アスカは恐かったから。








翌朝・・


自分は、寂しくなどない。シンジがここにいなくても、いずれ彼は戻ってくる。
いつもは頼りなく見えたシンジは、土壇場に強かった。どんな状況にあろうとも、彼はきっと
自分の元へ戻ってくるとアスカは信じている。何よりシンジは、アスカに対して責任がある
のだから。
だがミライは・・
アスカは、娘に確認したことがない。
自分に似て気丈なミライは、滅多なことで涙は見せない。その気丈さ故に、父親のいない
寂しさを口にすることがないのかとも思う。


「確認したって、何も変わらないんだけど」


ミライが何を言ったところで、アスカは結婚など考えない。あくまでシンジを待つ。一時期、
気の迷いはあったものの、シンジ以外の男を愛せるわけはないし、抱かれたいとも思わない。


「一応、聞いてみますか」


朝食の用意を終えたアスカは、エプロンを外して椅子に座り、茶を飲みながら洗面所から
戻る娘を待つ。
顔を洗い、背中まで伸びる赤茶けた髪の毛を梳かして身を整えたミライが朝食の席につい
たのは、それから数分の後。





「ママ、ケンスケおじさんと結婚するの?」


「はい?」


いきなり核心を突いたミライの問いに、アスカも動揺を隠せない。
アスカの血を色濃く受け継ぐミライは、優秀な頭脳を持つ。アスカが、”パパが欲しい?”と
聞いただけで、ここまで話を飛躍させてしまう。


「だって、いきなり変なこと聞いてくるから。
とうとう結婚する気になったのかなって・・」


「違うわよ。
ミライに聞いたことなかったら、とりあえず聞いておこうと思ってさ」


「な〜んだ。
でも、ケンスケおじさんならパパになってくれてもいいな、あたし。
ホントに結婚しないの?ママ」


ミライは、まだ若く美しい母に幸せになってもらいたかった。
今が不幸というわけではない。世間並み、いや、それ以上に自分も母も幸せだと思う。
母は、女手一つ・・
それも、世間から白眼視されるような歳で自分を産んで育ててくれた。その母も、そろそろ
自分の幸せを求めてはいいのではないかとミライは思うのだ。
たまに食事を共にする相田ケンスケは、子供の目から見ても、ごく普通。へたな女優やモ
デルよりも綺麗な母と並ぶと、不自然にも見える。
しかし母の古い馴染みだという彼は優しく、変な悪戯などしたら、遠慮なくミライを叱る。
父がいたらこんな感じなのかなと・・
ケンスケが父親になったらいいなと、考えたこともある。


「しません。
いつも言ってるでしょ?ママの旦那様は」


「シンジだけ・・・
でしょ?」


母が口癖としている名前。
ミライは、そのシンジなる人物は母が見せてくれた写真でしか知らない。それも、一〇年
前の写真。いくらその人が父親だと言われても、ミライにはピンと来ない。
だが、話は合わせておく。母が喜ぶから。


「そういうこと。
分かったら、早く食べちゃいなさい。時間ないわよ」


「は〜い」


時間がなくなったのは母のせいなのだが、それもミライは胸にしまう。
齢九歳にして世渡りの何たるかを熟知している秀逸な子供。それがミライだった。






同日 PM八時過ぎ ネルフ本部 技術部第二工作室・・


今日は、エヴァに組み込まれたダミープラグのメンテナンス予定日。
ダミープラグの中枢にはMAGIに使用されている人工脳と同様の部品が使われていて、
それは収納と同時に自動的にロックされ、外部からの干渉を受け付けないようになってい
る。エヴァの危険性を考慮した上での処置で、異常動作など特別の事情がない限りロック
が解かれることはない。ロックを解くにも、司令だけが持つ特別なコードが必要なのだ。
普通の機械なら頻繁に行われるはずのメンテナンスは、一〇年に一回で充分とされてい
る。有機物で構成されたこの生体部品は、自己診断機能と修復機能を兼ね備えていて、
大抵の不具合は自分で勝手に直してしまうからである。
こんな最先端の機械だが、作戦本部を代表してリツコに立ち会っているミサトは、どうも
信用できない。
機械は壊れる物と認識しているミサトには、一〇年も壊れずに動き続ける機械など、理解
の外。


「一〇年なんて、永すぎない?
人工脳とはいえ、一応は生体部品でしょ?」


「理論的には、二〇〇年くらい保つ部品よ。一〇年程度で、ちょうどいいのよ」


ミサトは、暇をもてあますように、部屋にある他の機械類を珍しそうに見て廻っている。ネル
フには長いが、この部屋に入ったのは初めてで、興味は尽きないようだ。七歳の子供がい
る母親にしては、行動が幼い。

リツコは、ミサトを相手にしながらダミープラグ真横にあるメンテ用画面を開き、ゲンドウから
預かった特殊なカードを差し込む。
幾重にもガードされたカードの情報を読み込んだプラグのサブコンピューターは、カードを
正式な物と認めロックを解いた。
ダミープラグが真ん中付近から二つに割れ、リツコの前で左右にスライドしていく。


「二〇〇年ね・・
人間の寿命も、それくらい」


「何よ!これ!」


リツコの悲鳴に近い大声にミサトが振り向くと、彼女は開ききったプラグの前で体を硬直さ
せている。
ミサトは、人工脳に何らかの異常があったと判断。リツコの方へ向かう。


(やっぱ、機械は機械じゃない)
「なによ、リツコ。うるさいわね。
プラグの中にシンジ君がいたとでも言うわけ?」


「い、いたわ」


「はあ?」


「いたのよ!シンジ君が!」


「ちょっと、リツコ。いくらなんでも、そんな」


自分の軽口に対応したリツコの悪ふざけと受け取ったミサトは、一応は彼女の指し示す先
を目で追う。
そこには、人間の脳をいくらか小ぶりにし、LCLに浸された人工の脳があるはず・・・
だった。
が、そこにあった・・
いや、いたのは、顔面を黒い髭で覆われた一人の男性。
死んだように目を閉じて眠る彼の胸は僅かに上下し、彼がちゃんと生きていることを実証し
ている。
問題は、彼の顔。
顔が髭で覆われていても、大人の体になっていてもミサトには分かった。
この男は、シンジだ。


「シ、シ、シ、シ、シ・・・」


ミサトの口から最後まで台詞が出ることはなく、彼女はそのまま意識を失ってしまった。
それは、シンジを発見した衝撃が原因ではない。これほど身近にいながら、一〇年の間シン
ジを発見できなかった自分達にアスカが怒り狂うことは確実。その怒りを恐れたのである。

ミサトの予感は、数時間後に的中する。
すぐにネルフへ呼ばれたアスカは、集中治療室で蘇生を待つシンジと再会して感激したの
も束の間。直後に怒りを爆発・・
いや、そんな言葉では言い表せないほどの憤怒でネルフを恐怖に陥れた。
怪我人は重傷者も含めて一〇〇人以上にも及び、当直にあたっていた職員の実に八割強。
重傷者の中には、ミサトやリツコは勿論、加持、日向、青葉の各員。たまには夜勤に励む職
員を激励しようと出勤していた司令のゲンドウまで含まれていたという。
被害を免れた数少ない人間の一人、伊吹マヤは、後にこう語っている。


『わ、私は、悪魔を見ました。
嘘じゃありません!本当です!私は見たんです!』


あれから一ヶ月経った現在、ネルフのセラピストは寝る間もないほど多忙を極めているという。
事件で心に傷を負った被害者の相談が後を絶たないためだ。マヤも、その一人。
そして、シンジを待ち続けたアスカは・・・


「はいシンジ、あ〜んして」


医療部に三部屋しかない、最高の病室。
まるで高級ホテルの一室のような部屋のベッドで、シンジに覆い被さるように世話をするのは、
アスカ。
ベッドから少し離れた椅子で、その様子をポカンと見続けるのが、二人の娘、ミライ。
ダミープラグ内で眠り続けながら、なぜか体が歳相応に成長していたシンジは、快復も早かった。
蘇生して一週間もした頃には、自分の脚で立って歩いている。当然、箸を持つくらい、普通にで
きる。アスカが口元に食べ物を持っていく必要はないのだ。


「もう自分でできるから、いいよ」


「アンタは、まだ病人なのよ。
妻の言うことは聞きなさい!」


「妻?
いつ、入籍したの?」


「今日よ。
アンタの指紋があれば、手続きはOKだもんね。
アタシは、碇アスカになったの」


「・・・変わらないね、君は」


「さすがは、ママ。
やることが一々凄いわ」


今更ながらシンジはアスカの行動力に舌を巻き、ミライは尊敬の念すら覚える。シンジには、ア
スカが碇姓を名乗るのが少し意外ではあったが。
アスカなら夫婦別姓にするか、シンジに惣流姓を名乗らせるかとも思っていた。


「というわけだから・・
ミライ。アンタは、もう家に帰るのよ」


「どうして?
あたしも、パパのお世話したい」


「これからは、大人の時間なの。
新婚初夜を邪魔する気?」


別にアスカを非難するわけではないが、シンジの体力が回復してきた三週間ほど前から、既に
アスカは一〇年ぶりの歓喜を味わっている。しかも、それからほぼ毎日のように・・・
初夜などと、開いた口が塞がらない。
まだ幼いながらも、その辺の事情は分かっているミライではあるけども、敢えて母に逆らう愚は
犯さない。
母の怖さは、十二分に承知している。今、医療部一般病棟のベッドが満杯なのは、母が原因だ。
その母に逆らうことは死を意味すると言っても、過言ではない。


「いえ、家に帰ります」


「聞き分けのいい子は好きよ。
保安部の人間に送らせるから、ゲートで待ってなさい」


「は〜い」


風呂上がりのように頬が上気した母に、ミライは何か別の怖さを感じる。
対して父の目は、口とは裏腹にぎらついているようだ。

ミライは、アスカ譲りの利発な頭で大人達の事情に理解を示しつつ、部屋を後にした。
そしてネルフの中をゲートに向かって歩くミライは、写真の少年がそのまま大人になったような
シンジの整った顔を思い出し、ケンスケおじさんが父親にならなくてよかったと、心の底から安堵
するのだった。









おまけ


シンジとは違い、ミサトは、二人部屋のベッドで怪我の痛みに耐える。骨は折れてないようだが、
打ち身が酷い。隣のベッドにいるリツコも、似たような程度。
ミサトは、リツコに聞きたいことがある。どうしても聞いておきたい。


「な、なんで、シンジ君があんなとこにいたのよ、リツコ」


「色々考えてみたんだけど、多分・・」


「はっきり言って」


「ついさっき思い出したんだけど、シンジ君が失踪する直前、私が彼を呼び出してたのよね」


「・・・それで?」


「ダミープラグのプログラムに、パイロットのシンクロデータ組み込もうと思って・・
使うからには、最高のデータが欲しいじゃない?」


「それで、シンクロ率の一番高いシンジ君を呼び出した」


「そう!そうなのよ!」


「で、それからどうしたの?」


「ダイレクトなデータ取るためにシンジ君をダミープラグに乗せて、それからすぐに停電があったの。
覚えてる?ほら、三日くらい続いたやつ」


「ええ、覚えてるわ。大きな改修工事やってて、誰かが間違ってメインケーブル切っちゃったんだっけ。
予備の方も工事中で電気はまったく使えず。業者が平謝りして、工事代金がチャラになった・・・
て、まさか、あんた」


「そのゴタゴタで、シンジ君のこと忘れてたみたい」


「みたいって・・
全部、あんたのせいじゃない!!」


「ま、まあ、無事見つかったんだし」


「無事じゃないわよ!無事じゃ!一〇〇人の人間が入院してんのよ!
大体、なんで気付かなかったのよ!あのダミープラグ、何回もテストしたでしょ!」


「妙にシンクロ率がいいなとは思ったんだけど・・」


「思っただけか!!」


リツコの意外なまでの惚けぶりに、ミサトは、ただ呆れるしかない。
しかし、この話は絶対アスカに知られてはならない。
知られたら、リツコの命はない。

ミサトは、シンジが生きていたことを神に感謝しつつ、友人の先行きを心配するのだった。
監視カメラと盗聴器が張り巡らされた部屋で。





でらさんからその後のアスカ達なお話をいただきました。

なんともルーズなNERVですね(笑

シンジの境遇とアスカの暴走は笑い事ではないですが(汗

素敵なお話でありました。みなさまもでらさんに感想メールをお願いします。

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