仕切直し

    作者:でらさん














    「やっぱり、変わらないか」


    世の女性が浮かれるバレンタインの時期だというのに、アスカの気分は冴えない。
    惣流・アスカ・ラングレーは、密かに期待していた結果が出ないことに落胆し、手にしていた
    使い捨ての妊娠検査紙をゴミ箱に放り込んだ。
    三日前、遅れる生理に嫌な予感がしたアスカは妊娠検査薬を購入。家に帰ってすぐ検査し
    たところ、結果は陽性。何かの間違いであって欲しいと思い、今日、再び検査。
    でも、結果は変わらない。自分は、妊娠している。
    身に覚えはある。
    というか、そのような行為は既に日常の一部で、特別なことではない。
    相手も特定できる。行為の相手は、一人しかいない。同居して三年以上にもなる、碇シンジだ。


    「シンジに、何て言おうかしら。
    アイツが喜ぶとは思えないし」


    アスカは制服のままベッドに身を投げ出し、大の字になって天井を仰いだ。
    シンジとは同衾する仲だが、付き合っているわけではない。好きだとか愛してるだとか、彼に
    言ったことはないし、言われたこともない。関係を一言で現すなら、セックスフレンド。それ以上
    でも以下でもない。
    よって、妊娠など望んだことはない。第一、自分はまだ一八になったばかり。しかも高校生。未
    だネルフに属し特殊な立場にあるとはいえ、結婚や出産など頭にないし。


    「何にしても、いずれはばれるんだし、早い内に相談しておく方がいいわね」


    自らを奮い立たせるように勢いよくベッドから降りたアスカは、小物を入れたバッグ一つ抱えて
    部屋を出る。
    メディカルチェックでばれてミサトに説教されるより、自分から申告して小言をもらった方がマシ。
    いずれにしろ、結果は同じだと思う。堕胎しろと言われるだろう。ネルフが、そんなに甘い組織
    でないことは知っている。産んでいいなどとは、間違っても言うまい。それに、自分も産むつもり
    はない。
    シンジは体を許した男だし、気心も知れている。嫌いなわけはない。あの戦いの一時期、心の
    迷いから彼を恨んだこともあったが、それも既に過去。今はむしろ、好きとさえ言える。でも、彼
    の子供を産みたいとまで思う相手ではない。それは、シンジも同じだろう。彼は自分の体を気に
    入っているだけで、心まで欲してはいない。体の相性がいいだけなのだ、自分達は。


    「シンジがどうしてもって言うなら、産んでもいいけど・・・
    ま、そんなこと言うわけないか」


    一瞬、シンジと幼子をあやす自分を想像したアスカは、あり得ない未来を嗤った。







    ネルフ本部 葛城ミサト執務室・・・


    アスカ担当の女医から報告を受けたミサトは、第二新東京で開かれる予定だった戦自幹部との
    定期会合をキャンセル。急遽、本部に戻り、アスカから直接事情を聞くことにした。
    二年ほど前、シンジとの関係を知ってからこのような事態をある程度は予想していたが、いざ目
    の前にすると想像以上に動揺するものだ。
    アスカとシンジ両者には最新の避妊薬が処方されているので、薬の飲み忘れがなければ妊娠
    などありえないはずなのだが。片一方が飲み忘れたにしても、二人同時など故意としか思えない。


    「確かに、ここ何ヶ月かは飲んでなかったわ。
    飲まなくても、月の物は安定してたし。
    それに、これまで薬なんてなくても妊娠しなかったから」


    「・・・・」


    ミサトは、呆れて言葉もない。
    二人が高校生になった頃から、必要以上に干渉するのも何だろうと放任に近い形で接してきた
    のは間違いであったようだ。エヴァの完全自動化に目処が付いたことでパイロットの重要性も以
    前ほどではなくなり、メディカルチェックを簡略化したのも拙かった。尿検査をすれば、薬を飲ん
    でいないことなどすぐに分かっただろうに。
    とはいえ、いくら悔やんでも事態が好転するわけではない。
    幸いにも、今現在は概ね平和。世界に目をやれば問題がないわけではないが、可及的速やか
    に解決しなければならない問題はない。いざともなれば、シンジと綾波レイがいる。最悪、アス
    カがパイロットを退役しても、デジタルダミープラグの実用化は間近。なんとかなる。


    「こうなっちゃったからには、説教しても仕方ないわ。使徒戦の頃なら、大騒ぎだけど。
    だから、アスカの好きにしていいわよ」


    「堕ろせってこと?」


    「それが、アスカとシンジ君の意思なの?」


    「シンジには、まだ言ってないから」


    「アスカは、どうしたいの?」


    「・・・分からない。
    妊娠なんて、考えてもなかったし」


    アスカのことだからドライに割り切ると思っていたミサトは、悩める乙女と化したアスカを見直
    した。
    子供なんか一生産まないと言い切り、生理すら嫌悪した少女が、変われば変わるものだ。
    これも、シンジとの良き関係がもたらした結果の一つだろうか。
    ならば、シンジのためにも後押ししなければ。
    予定外とはいえ、せっかく授かった子供を堕ろすのは忍びない。世には、産みたくても産めな
    い人も多いことだし。


    「迷うことないでしょ?
    シンジ君の子供なんだから」


    「それが問題なのよ。
    アイツが喜ぶとでも思ってるわけ?」


    「喜ぶ以外のシンジ君なんて、想像すらできないけど。
    私がいいと言ってるんだから、堂々と産めばいいのよ」


    「アタシとシンジは、ただのセフレ同士よ。それ以上でも以下でもないわ。
    それが証拠に、アタシはシンジ以外の男とデートしてるし、シンジもアタシ以外の女とデート
    してるじゃない。
    まあ、付き合ってる男はいないけど」


    「・・・え?」


    ミサトは一瞬、反応に困る。
    アスカが動揺のあまり、精神的にどうにかなってしまったのかと思った。
    が、とりあえず確認してみる。


    「それ、本気で言ってんの?」


    「なにか、変?」


    「変も何も・・・」


    アスカとシンジの関係がセフレなら、世のカップルは全てセフレとまで断言できる。
    彼らの関係を知ったのは二年前だが、実際の関係はその一年ほど前から始まったと後で聞
    いた。
    ヒカリ、トウジ、ケンスケ、レイまでも含むいつもの仲良しグループで温泉旅行に行ったときが、
    関係の始まりだったとか。
    どのような経緯、ドラマを経たのかは知らないし聞いたこともない。彼らには複雑な事情があ
    り、感情的な面に踏み込むのは躊躇いがあったからだ。
    関係も、当初は可能な限り隠していた。関係が発覚するまでミサトの前でなれなれしい態度は
    一切せず、ミサトも全く気付かなかったことからもそれは徹底していた。
    が、ばれると状況は一転。それまでの憂さを晴らすかのように、所構わずキスはするわ、それ
    以上の行為をミサトの前でも平気でしようとするわ、露出趣味でもあるのかと疑ったくらい。新
    婚夫婦でも、もう少し節操があるだろう。
    アスカが他の男とデートするといっても、それは友人知人からの斡旋で、しかもきっちりと金を
    取っている。いわば、アルバイトのようなものだ。デート自体にも厳しい制限が付き、男が待ち
    合わせに一秒でも遅れたら、即中止。更に、指一本触れさせないとの話は有名である。
    シンジも金を受け取らない以外同じようなものだが、彼の場合、本人がどうこうではなく、アス
    カの意を受けたケンスケがデートを監視する紐付きデート。相手の女の子が何かアクションを
    起こすと、すかさずケンスケの駄目出しでデートは中断する。いや、ここまで来るとデートと言
    えるかどうかも怪しい。
    確かに二人で外出することは少なくデートもたまにしかしないが、その分、家でスキンシップを
    深めているのが現実。これで、体のみの割り切った関係などと言われて納得出来るはずがない。


    「ここまでの事実があるのに、まだセフレだとかぬかすわけ?アスカは」


    「・・・・」


    あらためてミサトに言われると、今度はアスカが言葉に詰まる。
    確かに前から、気にはなっていた。
    自分とシンジが普通にしていることを、周囲がバカップルと称することを。
    他の男とデートするのは、はっきり言って金目的。パイロットの給与は多額だが、それは成人
    するまで使えない。よって小遣いはミサトから貰うか、自分で稼ぐしかない。デートは、手軽な
    バイトとして重宝していた。もちろん、好きでもない男に自分を安く売ることはしない。一度、何
    かの拍子で手を握られたときなど、相手の男の肩が脱臼するほどの勢いでふりほどいた。シ
    ンジなら、大抵のことは平気なのに。


    「なるほど。
    ただのバイトよね、これ。
    って、ことは」


    シンジのデートにケンスケを張り付けさせたのは、他の女に触った手で自分に触れてほしくな
    かったからだ。デートの後、シンジの服に付いた、僅かな移り香もイヤだった。


    「嫉妬ね、これは。
    と、なると」


    日常で使う小物。茶碗や箸、コップや歯ブラシに至るまでペア物を揃えて愛用している。そうい
    えば、部屋着と寝間着もほとんどペアだ。何か買うとき、自然とそうなってしまうので意識した
    ことはなかったのだが・・・


    「付き合ってんじゃん、アタシ達」


    今更のように自らの立場を自覚したアスカは、そこでハッと思い直す。
    自分達には、重大な何かが欠落している。
    そうだ。想いを、互いに告げたことがない。
    あまりに体の相性がいいため、いつの間にかセフレと思いこんでいたようだ。
    ならば、シンジはどうなのだろうか。自分を愛してくれているのだろうか。


    「いい機会だわ。バレンタインで、仕切直しよ!
    アタシ達は、再出発するのよ!」


    一人で完結してしまったアスカを前にミサトは、妊娠のことはすっかり忘れているだろう彼女を、
    惚けた顔で見るのだった。
    そして、心中で一言。


    (だめだ、こりゃ)









    バレンタインデー、当日・・・


    悲喜こもごもの喧噪を見せる、第三新東京市立第壱高等学校。
    貰ったチョコの数を競い合う男達、無関心な男、無関心を装いながらも実は気になって仕方ない男、
    はなから諦めている男。
    勝負をかける女、義理堅い女、八方美人な女、無関心な女、等々。
    元は、とある菓子製造会社の仕掛けと謂われるイベントで、最近はその存在意義も疑問視されて
    はいるが、人々は様々な形で愉しんでいる。
    中学時代は、もてない男の象徴のように見られていた相田ケンスケは、写真部の部長を務めたこ
    とと持ち前の人の良さもあって、後輩の女子達からそれなりの数のチョコを貰うようになった。その
    ほとんどが義理であると分かっていても、かつての境遇を思うと嬉しいものだ。それに、その内の
    一つは付き合う彼女からの物。仲を取り持ってくれたアスカには、感謝の言葉しかない。もっとも、
    シンジの義理デート監視という交換条件は、そろそろ廃棄してもらたいものだ。シンジにデートを申
    し込む女の子も、ほぼいなくなったことだし。


    「惣流にデート申し込む男も特攻する男もいなくなったし。
    大体、もう卒業だぜ、俺たち。
    あと何ヶ月かすれば大学生なのに、いつまでもそんな子供じみたことやってるわけにはいかないだろ。
    そう思わんか?トウジ」


    昼休み。
    甘い香りがほのかに薫る教室内で、ケンスケは、机を合わせて向かいに座るトウジに言葉を投げた。
    弁当を食べ終え、今朝貰ったチョコをデザートのように囓る鈴原トウジは、ケンスケの問いかけに関
    心もないといった感じ。
    トウジは今、それどころではない。付き合う洞木ヒカリとの人生設計をどうするかで、彼女と揉めてい
    る最中なのだから。
    揉めていても弁当と手作りチョコを忘れないのは、しっかり者のヒカリらしさが出ている。


    「あいつらには、常識が通じんからの。
    中学生で同棲始めるやつらやで?わいらとは、基本的に違うんじゃ。基本的に」


    「それは、分かってるけどよ」


    「惣流も、そんなん忘れとるやろ。やつらが最後に義理デートしたんは、半年も前やさかいの。
    ほっとけばええんや」


    「そうだよな。あいつだって・・・
    って、惣流とシンジ、何やってんだ?痴話喧嘩か?」


    ケンスケが目を向けた先には、自分達と同じく向かい合わせに座るアスカとシンジが。
    いつもなら、長年連れ添った夫婦のようにごく自然に食事している彼らが、今日は何やら騒がしい。
    痴話喧嘩自体は、別に珍しくもない。彼らにとっては、ガス抜きみたいなもの。
    が、それは大方、朝に始まって昼には収まっている。こんなに引きずるのは、極めて珍しい。
    クラスメート達も、いつもと違う雰囲気を敏感に察知して事の成り行きを注視。教室内のざわめきは
    急速に萎んでいき、アスカとシンジの声がクローズアップされる。
    が、当の二人は興奮のあまりか、自分達が耳目を集めていることに気付いていない。言い合いの
    声が、段々と大きくなっていく。


    「首突っ込むだけ損やで、ケンスケ。
    余計なとばっちり受けるだけや」


    声を潜めて言ったトウジに、ケンスケも無言で同意。貰ったチョコでも食べて気を紛らわせるかと
    鞄を漁ろうとしたその時、一際声量を上げたアスカの台詞がケンスケの耳に飛び込んできた。


    「アタシ達は恋人同士なのよ!?その確認を求めて、何が悪いのよ!」


    全く、いつも通りの痴話喧嘩。
    しかもその原因は、とんでもなくくだらないことらしい。
    とはいえ、ケンスケを始めとするクラスメート達は爆笑どころか失笑すらも許されない。この二人は、
    自分達がバカップルと呼ばれることを著しく嫌う。迂闊に笑い声など挙げたら、苛烈な制裁を受け
    るのは必定。苦しくても我慢するしかない。


    「今更、言うことでもないだろ!
    大体、こんなところで言えないよ!」


    「アタシを愛してるなら、場所なんて関係ないわ!
    さあ、愛してるって言って!」


    「・・・家でなら、言うよ」


    「アタシは妊娠したのよ!
    責任取らないつもり!?やり逃げなんて、絶対に許さないからね!!」



    瞬間、教室内は物音一つしない完全な静寂に支配された。
    普通なら、誰もが妊娠など冗談と受け取る。たとえ妊娠したとしても、女子高生が教室で大声張
    り上げて言ったりしない。通常は、秘めざるを得ない事実であるからだ。
    し・か・し
    アスカなら、本当に妊娠している可能性が高い。
    いや、彼女のことだ。確実に妊娠しているだろう。状況的に疑いようがない。
    そしてその認識は、シンジも同様だった。
    ネルフで新開発されたという男性用避妊薬を支給されてはいたが、最近は飲み忘れることが多く
    なっていた。アスカにも薬が支給されていると知っていたので、彼女が飲み忘れることはあるまい
    と楽観もしていたし。
    平和に慣れすぎ、アスカとの関係に溺れ、気持ちに緩みが出てしまったようだ。
    まだ父親になる覚悟はしてなかったが、こうなったら腹をくくるしかないだろう。
    その前に、言うべきことを言わなくては。
    今まで、気恥ずかしくて口に出来なかった言葉。
    でも、いつか言わなければと思っていた言葉。


    「冗談じゃないよね、アスカ」


    「アタシが、こんなことでウソ言うはずないでしょ」


    正直言って、妊娠のことは一時的に頭から消えていたアスカである。
    今朝、家を出る前に自製のチョコと共に自分から”好き”と言ったのに、シンジは明確な意思表示
    をしなかった。ただ好きと言ってくれれば、それでよかったのに。
    それが心に引っかかって、昼までに鬱憤が溜まりに溜まり・・・
    その果ての激情が妊娠を思い起こさせ、口から勝手に出てしまった。場所が場所だけに流石に恥
    ずかしいが、言ってしまったことは仕方ない。


    「待たせて、ごめん」


    次にシンジの言った言葉を、アスカは一生忘れなかった。
    その後のクラスメート達の祝福と冷やかしと、頬を伝う涙の暖かさも。











    でらさんからバレンタイン話をいただきました。

    濃厚な関係になりながら付き合っていると認識できないとは、変な風に素直じゃないですなあ。
    シンジの方がわかっていたのでしょうか。

    読んでらぶらぶぶりに体が痒くなれたら、でらさんに感想メールをお願いします。

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