おとぎの帝国 良くできた未来へ
    作者:でらさん
















    白い光に一瞬で包まれたあと、視界を失った。
    どちらからともなく繋がれていた手の感触はすぐに消え、闇の中を垂直に、かなりの速度で落ちて
    いく。不思議に風圧を感じることはなく、髪の毛の乱れもない。
    と、唐突に意識が消えていく。どんなに集中しようとしても頭は霞み、瞼の重みは消えてくれない。
    その内アスカは、抵抗を止めた。


    「やっと起きた。今度は、僕の方が早かったな」


    瞼を開けたアスカの目にまず映ったのは、シンジの嬉しそうな顔。そして次に、背後の白い景色。
    シンジの病院服、薬品臭からして、ここは病室らしい。まだ頭が重い。うまく思考がまとまらい。


    「アスカも、変な夢みたんだろ?
    ミサトさんに話したら笑われたから、何も言わない方がいいよ」


    「・・・夢?」


    「そうそう。僕がみたのは、ピーター・パンとかフックとか出てくる、お伽噺だよ。
    リツコさんが言うには、何かの不具合でLCL濃度が急に上がっちゃって、僕達は三日くらい気を失っ
    てたらしいんだ。変な夢は、そのショックが原因だろうってさ」


    あれが夢だとしたら、生々しすぎる。
    記憶の全て。肌に受けた日差し、レイチェルの使う香水の匂い、シンジの拉致現場で視た肉塊と
    血溜まりが発する腐臭、スライトリー号とダーリング号のあまりに緻密なディテール。あれらが夢だ
    としたら、自分の想像力を褒めてやりたい。
    そして何よりも、これから自分達が辿るであろう破滅的な未来。あれこそ夢であって欲しいが、何故
    かあれだけは絶対に否定できないような気がする。
    と、シンジが急に身を屈めて顔を近づけてくる。
    アスカは、警戒だとか身構える前に反射的な反応で手が出てしまった。


    「な、なにすんのよ、アンタ!」


    バチン!といった派手な音と共に、顔に一撃を受けたシンジは体勢を崩して床に転がってしまった。
    その様子を見てやりすぎたと思ったアスカは、上半身をベッドから起こして言った。


    「どうしたのよ、急に。
    キスでもしたいわけ?」


    「いや、なんか、え〜と・・・
    まあ、そうなんだけど」


    「あきれた。このアタシとキスなんて、一〇〇年早いってのよ。
    第一、加持さん以外は」


    「ああ、分かったからさ。勘弁してよ。
    僕もどうかしてたんだ。じゃ、またあとで」


    さっきの大胆さはどこへやら、シンジは平謝りして部屋を出ていった。アスカは、ばふんと音が出そ
    うな勢いで再びベッドに身を投げた。毛布も頭から被って。顔が熱い。
    手が咄嗟に出てしまったが、あんな急でなかったら、もう少し会話を愉しんだ後、その時まだ二人き
    りであったなら、自分は拒否していなかったと思う。夢の影響だろうか。
    レイチェルに言われた言葉、ウェンディに言われた言葉が、頭に浮かぶ。そして、忌まわしい映像に
    在った自分の深層意識。そこには、加持と同等の存在としてシンジがいた。それが意味することは
    明白だ。


    (アタシがシンジを?
    冗談じゃ・・・あれ?)


    照れをごまかすため寝返りをうって横を向いたアスカは、目の前に、二つ折りにされた紙片を見つ
    けた。開くと、文字にはシンジの特長が。彼の字は、よく知っている。
    それを秘密のメッセージと瞬間で判断したアスカは、監視カメラから逃れるため毛布を被ったまま
    で紙片を開いた。暗いので読みにくいが、なんとか読める。


    (夢でごまかしたから、くわしいことは、あとで話し合おう。
    ・・・て、そうか、そういうことね。意外に気が利くじゃない、アイツ)


    恐らく、先に目覚めたシンジは、あのことを素直にそのまま喋ったのだろう。真面目な彼らしく。
    が、ここでそんなことを真に受ける人間がいるはずもない。ネヴァーランド、ピーター・パン、フック
    などという単語を真顔で口にするシンジがどういった扱いを受けたかは、大体想像が付く。全ては
    精神的な混乱で片づけられ、シンジはその筋の専門家から、メンタルケアと称してカウンセリング
    を受けたのかもしれない。夢だったと認めることで、周囲を納得させたのだろう。
    自分が同じ事をすれば、事態は更に厄介なことになりかねない。監視カメラの目をかいくぐるため、
    痛い思いを覚悟してまでひっそりと注意書きを忍ばせてくれたシンジに感謝だ。
    あの忌まわしい映像に関しては、絶対口に出来ない。もしあれが本当に未来だったら、自分達は
    未来を知る人間として徹底的に調べられ尋問される。ネルフの計画、上位組織である委員会の
    計画に支障をきたす可能性ありと判断されたら・・・


    (シンジは誘拐されてたからアレを知らないし、大丈夫だとは思うけど。
    フックに、おかしなこと吹き込まれてないでしょうね)


    身の危険を考えたとはいえ、シンジらしからぬ行動力にアスカは驚きを隠せない。
    フックの元で何があったかは向こうでも聞いていないだけに、どうも不安だ。向こうで、強気になる
    魔法でもかけられていなければいいのだが。


    (強気で積極的なアイツなんて、あんまり想像できないけど。
    ま、まあ、ちょっとだけ積極的になるぶんには、いいんだけどさ)


    「見たわよ、アスカ!
    駄目じゃない、あそこで手を出しちゃ。せっかくシンジ君が迫ってくれたのに!」


    「ミ、ミサト」


    ドアを開けるなり大声で喋りまくるミサトにアスカは焦りながら、手に握った紙片を服のポケットに入
    れる。あとは、トイレに行った時にでも流してしまえばいい。
    それにしても、監視カメラの存在は知っていたが、ミサト自身がリアルタイムで見ていたとは。
    シンジの演技は正解だったと言うべきか。


    「シンジ君があそこまで意思表示したんだから、アスカも応えないと。
    次は、ちゃんと受けるのよ。私も応援しちゃう」


    「う、うるさいわね!アンタにどうこう言われる問題じゃないわよ!
    アタシとシンジの問題でしょ!」


    「あらあ、堂々と恋人宣言?いつの間に、そこまでいってたわけ?
    全然、気付かなかったわ、お姉さん」


    「この、乳年増が・・」


    ミサトのからかいはともかく、シンジとの関係は悪くない方向へ変わっていく。
    それだけは確信できるアスカだった。







    シンジが母の墓参りに行くというので、アスカは付き合うことにした。
    ヒカリが姉の紹介とかでデートを斡旋してきたが、シンジと予定があると断ったら何故か大喜び。更
    に、シンジとのことを根ほり葉ほり聞きたがる始末。適当に答えたら、翌日にはすでに公認カップル
    となっていた。
    そのことと、ミサトが病室での一件を大々的に触れ回っているおかげで、二人で出かけても不審に
    思われることはなく、デート中の監視態勢も弛めてもらっているほど。行動は当然トレースされるが、
    会話まで把握されることはない。
    よって、ネヴァーランドでのことも、かなり深い話し合いが行われている。
    事態が好転するのはいいことであるのだが、この流れのままだと、シンジとの関係の進展が早すぎ
    る。すでにキスは日常の一部で、特別な行為ではない。雰囲気に流され、いくところまで行ってしまう
    可能性を否定できないし、絶対に拒否する自信がない。心の準備が不十分な今、それが怖い。シン
    ジもシンジで、どうも前と違う。妙に積極的で、自分の方が照れてしまうことが多々ある。キスとて、シ
    ンジから求めてくることが多いのだ。


    「フックって、極悪非道の海賊じゃないのね。
    そこら辺の大人より人格者じゃん」


    一通りの儀式を終えた後、アスカは心地よい風を受けながら幾分顎を上げ、こちらに近づいてくるVT
    OL機を見やりながら言った。箒を持ったシンジは、その後ろで周辺を掃きながら聞いている。
    見渡す限りの白い十字架が並ぶ共同墓地。その一角で、二人は並んで手を合わせ、持参した花を捧
    げた。二人ともよそ行きの格好で小綺麗にきめていてアスカは化粧までしているので、付き合いを墓
    前に報告に来たカップルとでも思われているだろう。実際、そのような意味もあったし。


    「僕も意外だったけどさ。
    もっと意外だったのは、あの人の提案ていうか、要望だったんだ」


    「要望って?」


    こちらを向いたアスカがあまりに可愛い表情をしていたので、シンジは、思わずキスをしようと体が反応
    してしまった。
    しかし、次第に機影を大きくするVTOL機が視界に入り、踏みとどまる。微妙な間が通り過ぎた後、シン
    ジの説明が始まった。


    「え〜と・・」


    フックによれば、既にネヴァーランドの八割方はピーターが勢力下に収め、余程のアクシデントか奇蹟で
    も起きない限りレジスタンス側の敗北は避けられないとのこと。
    ピーターによるネヴァーランド制圧の後、次元を超えてこちらの世界に進出することは確定済みで、魔法
    術師をも含んだ諜報員を大量に送り込み、こちらの情勢は、ほぼ完全に掴んでいるという。
    今こちらで起こっている事態の結末を予知で知ったピーターは、自分が進出する世界を破滅から救うこと
    で存続させ、情勢が落ち着いたところで進出を図る算段らしい。ピーターが自分達に手を貸すのは、決し
    て善意からではないというのだ。要は、自分が手に入れる予定の世界を勝手に壊されては困るといった
    ところ。


    「やっぱりね。
    そんなことだろうと思ったわ。ウェンディとレイチェルはともかく、ピーターは怖い人だもん」


    「ピーター・パンが怖い?」


    「原作でも、けっこう残酷よ。卑怯な手なんかも使うし。
    やってることは、フックとあまり変わらないのよね」


    「そ、そうなんだ。どうも、イメージが追いつかないな」


    「そんなことより、まだ先があるんでしょ?」


    「ああ、そうだった。
    将軍は、こっちとの同盟を望んでるんだ。こっちが落ち着くまで、何とか時間稼ぎして凌ぐからって言ってた」


    「ま、向こうの兵器体系は詳しく知らないけど、エヴァは有力な戦力になるもんね。
    量産型も建造中だし、それが全部揃えば、ピーターにも充分対抗できると踏んでるんだと思うわ」


    「でも、僕に言われてもね。
    同盟なんて、僕一人の意思でどうにかなるもんじゃないよ」


    「そうなんだけど、アタシ達がまず・・
    ちっ、話は終わりよ。アンタのパパが来たわ。ファーストも一緒か」


    こちらへ向かってきていたVTOL機が墓地の外れに着陸し、シンジの父、ネルフ総司令のゲンドウがレイ
    を伴って降りてきた。ゲンドウはいつもの黒を基調とした制服だが、レイは珍しくも私服。薄い水色のワンピ
    ース。同色のパンプスまで履いている。白のワンピースのアスカに対抗しているとも受け取れるが、よく似
    合っていることに変わりはない。シンジの目も、思わず引き寄せられた。
    そのシンジの尻にアスカのお仕置きが加えられたのは、言うまでもない。


    「父さんも、お墓参り?」


    「ああ、そうだ。
    ・・・セカンドも一緒とはな」


    ゲンドウは、シンジの横に立つアスカをちらと見る。
    サングラスのせいで表情は伺えないが、不機嫌ではなさそうだ。アスカは、深い礼でゲンドウに挨拶して、
    ニコリと笑った。
    ゲンドウの後ろに控えるレイの視線が厳しいのは、気のせいではないだろう。レイのシンジに対する想い
    は知っているアスカである。自分が日本に来る前は、シンジといい雰囲気であったらしいことも。
    忌まわしい記憶の中では、レイに対する嫉妬も心を壊した一因だった。
    が、今ここで優位に立つのは自分だ。


    「僕達は終わったから、先に行くよ。
    じゃ、父さん。綾波も」


    「さよなら、碇君」


    アスカは、手を引くシンジの横に並んで付いていく。
    去り際に見たレイの瞳は、嫉妬の炎に彩られていた。シンジとの関係発展で自分の不安要因は消えつつ
    あるものの、レイが不安定になったら元も子もない。何か対策を考えなくてはならないだろう。
    ここまで来たら、シンジを手放すつもりは全くない。レイに別の心の拠り所を与えるしかない。


    (鈴原はヒカリが唾つけてるし、他にこれといって・・・
    ダメ元で相田をけしかけてみるかな)


    このさい贅沢は言っていられない。レイが何かの拍子で、相田ケンスケでもいいと思う可能性もないでは
    ない。恋とか愛は、デジタルで割り切れるものではないのだから。
    考えてみれば、自分がシンジに想いを寄せているのも、不思議な部類に入る。思い描いていた理想から
    ほど遠い男なのに。


    (考えても仕方ないか)
    「ねえ、シンジ。アンタ、チェロやってたって前に言ったわよね?
    こっちにも、持ってきてるんでしょ?」


    「最近は、いじってないよ」


    「いいから、これから帰って聴かせなさい。
    これは命令よ」


    「め、命令かよ」


    「うまかったら、ご褒美あげるわ」


    「なんだって?
    よし!碇シンジ、行きます!」


    「な、なに、張り切ってんのよ、このバカ!
    H、バカ、変態、スケベ!」


    シンジのチェロにお褒めの言葉はあったのか、アスカのご褒美とは何であったのか。
    それを知る者は、どこにもいない。
    ただ、この世界の彼らは心をすり減らすことはなく、一人の脱落者もなく、悲劇とは無縁に使徒戦を終え
    ている。
    そして全てが終わり、ちょうど一年が経過した頃、世界は再び動乱の時代を迎えることになる。
    それは、お伽の帝国が現世に降臨した日でもあったのだが、それはまた次の機会に語られることだろう。









    おまけ


    「司令。碇君とセカンドは、とても愉しそうでした」


    「ああ、これからデートでもするのだろう」
    (シンジめ、いつの間にセカンドと・・・)


    「私も、デートしたい」


    「分かった。映画でもいくか。
    車を回すよう手配するから、暫く待て」


    「僭越ですが、司令」


    「何だ」


    「私は、碇君とデートしたいのですが」


    「そうか。では、今度の休みにでも」
    (し、しまったぁ!つい、返事をぉ!)


    「本当ですね?」


    「ま、まあ、任せておけ」
    (拙い、拙いぞ、これは。今更、あてがないとは言えん。
    シンジに頭を下げて何とか・・・)


    「ありがとうございます、司令」


    「ふっ、問題ない」
    (我が息子よ、よもや私を裏切るまいな。信じているぞ!)





    翌日 司令室・・


    「シンジ、頼む!この通りだ!
    レイとデートしてくれ!」


    「え〜、困るよ、そんなの。
    アスカに怒られちゃうよ」


    「そう言わずに、頼む!
    セカンドには、いや惣流君には、それなりの謝礼を出す!」


    「だから、それ僕に言われてもさ」


    「私の命がかかっとるんだぞ!お前は、私を見殺しにする気か!」


    「はは・・
    そんな、大袈裟な」


    父と子の葛藤は、うやむやの内に消え去り、これ以降、ゲンドウとシンジは普通の親子関係を築いていく。
    なお、結局シンジの同意を得られなかったゲンドウが、レイにどんな罰を受けたのか・・・
    それは、彼をよく知るこの方に語っていただこう。


    「碇?まだ、退院せんよ。
    自宅の階段から転げ落ちて全身を複雑骨折してな。しかも寝ぼけておったそうだ。
    この忙しいときに、まったく・・・
    奴がいなくても使徒戦は順調だし、委員会は内輪もめを始めて計画どころではないし、その煽りで量産型
    エヴァの建造も一時凍結だし、まあ、忙しい以外に問題はないのだがな」


    強面で敬遠されがちなゲンドウとは違い、内外から人格者との評価を得ている副司令の冬月コウゾウは、
    愛用の湯飲みから美味そうに茶を啜った。
    表向きは、単なる事故と発表されたゲンドウの怪我。その真相を知る者達は、ネルフを裏から支配するレ
    イへの恐怖におののいたという。





    でらさまからエピックファンタジィでエヴァなお話をいただきました。

    なんというか、もっと長いお話の序章のような雰囲気でしょうか?続きもちょっと期待してしまいます。

    それはそうと、シンジとアスカの仲が修復されて良かったのです。

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