郷愁
    作者:でらさん
















    友人の結婚式に出席するたび、自分には縁のない行事だと思っていた。
    私は、子供の頃から平凡を絵に描いたような男で、異性を惹きつける魅力などなく、愉しませる
    術も知らなかった。当然、高校まで彼女という言葉とは無縁だった。
    レベルの高い大学へ進学すれば、自分でも・・・
    などと考え、必死で勉強して周りの誰もが無理だと言っていた大学に合格したが、世の中はそれ
    ほど甘くなく、そこでも現実が目の前に居座った。四年の間、私は友人には恵まれたものの、女性
    とは縁のない生活を余儀なくされたのだ。
    そして大学を卒業して就職した会社でも数年の間、状況は変わらず、結婚という言葉を聞くのも嫌
    になってきた頃、転機は訪れた。


    『今日付でここへ転属になった、○○○○○です。よろしくお願いします』


    人事異動で他部署から配属されてきた彼女は、中学時代好きだった同級生と同じ名前。心なしか、
    顔つきまで似ていた。第壱中の同窓会は数度開かれ、私は全てに出席していたものの、○○○○
    ○の姿を見たことはない。よって、大人になった彼女の顔は知らない。
    しかしその夜の歓迎会で、彼女が自分の知る○○○○○自身であることを知り、彼女も私を覚えて
    いて、互いに運命の奇遇さを笑った。そして、予期せぬ付き合いが始まった。
    それから数年が経った今、彼女は、私の妻となっている。
    こんな私でもいいと言ってくれた博愛精神溢れる彼女は、時折愚痴をこぼしつつ、家事と子供の躾
    に励んでくれている。総じて、私は幸せなのだろう。


    「あら、あなた。そんな物引っ張り出して、どうしたの?」


    クリスマスも近くなった休日の一時、リビングに寝ころんでアルバムを眺める私を見た妻は、咎める風
    でもなく、かといって興味を示すでもなく、話しかけてきた。
    今日、私に課せられた家事のノルマは完了したし、息子は私の両親の家へ遊びに出かけている。
    暇を持て余した私は、たまには物置の整理でもしようと思い立ち、旧い段ボールを開けては、ゴミと
    必要な物をより分けていた。
    そして、一際旧い段ボールの中から出てきたのは、中学時代に使っていた雑貨など。更にその中に、
    卒業アルバムがあった。
    それは、二〇年近い歳月を経ているにもかかわらず、陽の光から隔絶された物置に眠っていたせい
    か真新しさを維持していて、私の心にちょっとしたノスタルジーな気分を沸き上がらせたのだ。
    これといって波のない私の人生の中で、中学時代だけは思い出が多い。その思い出の片鱗を見せ
    てくれるアルバムは、まさに私の宝だった。


    「物置整理してたら、出てきたんだよ。
    あんまり懐かしいんで、ゆっくり見ようと思ってさ」


    「ほどほどにしてよ。三時には、サトシ迎えに行かないといけないんだから。
    お義父様達はサトシを甘やかせ過ぎるから、あまり長居させたくないの」


    「分かってるって。
    それより、お前も見てみろよ。懐かしいぞ」


    「ったく、そんな昔の写真」


    私の誘いに、妻はブツブツ言いつつ足早に近寄り、私の脇に腰を下ろす。
    妻の癖は分かり切っている。彼女は興味があるに違いないのだ。
    何より、このアルバムには、彼女にとって大切な思い出がしまわれている・・・初恋の思い出が。
    当然、相手は私などではない。


    「どうだ?」


    「・・・碇君が、いる」


    妻が好きだった少年の名は、碇シンジ。
    二年の始め頃に転向してきた彼は、当初あまり活発な様子ではなかったが、数ヶ月も経つと、クラス
    の中心人物の一人となっていた。
    整った顔立ちをした彼は、密かに女生徒達の人気も集めていて、妻も想いを寄せていた一人。私は
    それを知っていたがために、告白を諦めていた。
    だが、想いを伝えられなかったのは私だけではない。彼女も・・
    いや、碇に好意を寄せていた少女の全てが、想いを胸にしまっていた。
    女生徒達が想いを大っぴらに出来なかった要因。それは・・・


    「そうだ。
    惣流も、綾波もいるんだよ」


    惣流・アスカ・ラングレー。そして、綾波レイ。
    この二人の存在が、碇に女生徒を寄せ付けなかったのだ。
    惣流は白人系の血が四分の三入ったクォーターで、背の中程まで伸びた豊かな金髪と蒼い瞳を持つ
    美少女。
    綾波は日本人の美意識を体現したかのような美しさを持ち、教師の中にもファンを自称する者までいた。
    この二人が碇を巡って恋の火花を散らしていたことは、クラスの皆が知る事実。惣流と綾波に正面から
    闘いを挑むのは無謀と、誰もが知っていた。
    今となっては、超の付く美少女二人が碇のどこに惹かれたかは、知るよしもないが。


    「笑ってる。
    みんな、笑ってるわ」


    涙を堪えきれない妻は、私の胸に顔を埋めて嗚咽を上げた。
    堪えきれなかったのは、妻だけではない。私も、突き上げる哀しみのままに涙を零していた。
    あの混乱の後、彼らの消息は聞かない。
    彼らが所属し、世界の命運を握っていたと噂される国連特務機関ネルフは未だ存在するし、時折、世界
    各所の紛争に介入しているらしいとの話も聞く。
    だが、三人の名は全く出てこない。数度開かれた同窓会に出席したこともない。目撃情報さえないのだ。


    「どこかで生きてるさ。
    きっと・・」


    アルバムには、屈託のない笑顔でこちらを見る三人の写真がある。ほとんど表情の変化がなかった綾
    波までもが、天使のような笑顔を浮かべている。
    おそらく、写真マニアの相田ケンスケが撮ったと思われる写真。碇を挟んで両脇に陣取る、惣流と綾波。
    惣流は碇の腕を抱え込み、綾波は、さりげなく彼の手を握っている。
    彼女達の性格を端的に顕しているようだ。こんな彼らがすでに死んでしまったとしたら、どうにもやりき
    れない。
    あの頃は訳の分からない災害やら戦争があって、ネルフに所属していた彼ら三人は、何らかの形で戦
    闘に参加していたようだった。相田など一部クラスメート達は、彼らが巨大ロボットのパイロットだと語っ
    ていたのだが、私はそれを半信半疑で聞いていた。とても現実的な話ではなかったからだ。
    それが事実と分かったのは、戦争が最終局面に向かっていた時期。
    何の前触れもなく突然第三新東京市全市民に避難命令が下り、私はろくな荷物も持たず、ネルフ職員
    の先導で、家族と共に郊外へと徒歩で向かっていた。途中、合流する市民達も多く、市街を見渡せる丘
    陵に辿り着いた頃には、かなりの数に膨れあがっていた。ネルフ職員達は、集まってくる市民達を細か
    くグループ分けし、グループごとに別々の避難所へと誘導していった。その手際の良さから、事前の準
    備は整っていたらしいと子供心に思ったものだ。
    そしてその最中、眼下の市街に変化が起こった。あるビルは地中に没し、あるビルは形を変えて中身を
    晒し、ミサイル発射台となった。それは、誰が見ても迫り来る敵への備え。そこにいた人々のほとんどが
    初めて目にする光景。第三新東京市は、都市全てが一つの要塞だったのだ。
    避難するのも忘れ、今まで自分達が住んでいた街の真の姿に見入っていた人々は、そのあと現れた二
    体の巨人達に息をのんだ。それは、私も同じだった。


    『巨大ロボット・・・
    本当だったのか』


    紅の巨人は槍のような武器を持ち、紫の巨人は剣のような武器を持って地中から静かに現れた。
    誰が乗っているのか、私には分からなかった。どんな敵と戦っているのかも。
    私には、全てが謎だった。それは、今も変わっていない。あれから戦いが実際に在ったのは確かなよう
    だが、政府の公式発表では、戦自の一部部隊によるクーデター未遂となっていた。鎮圧部隊との戦闘
    で追いつめられた反乱部隊はネルフに立て籠もろうとしたものの、ネルフの防衛部隊に反撃され、鎮圧
    部隊との挟み撃ちにあって全滅したとのことだった。
    政府の発表を信じれば突発的な事件の筈なのだが、事件を予期していたような市民の避難措置など
    を考えると、私には疑問に思えた。
    ネルフ職員にも犠牲者が出たとのことなので、その中に碇達が含まれていても不思議ではない。子供が
    犠牲になったとなれば、いかにネルフでも公表を控えるかもしれない。そんな哀しいことは信じたくない。
    信じたくないけども、現実はそんなものだと。アニメや漫画のように子供がヒーローになることはないと、
    醒めている自分がいる。 そんな自分が、何よりも哀しい。
    あれから二〇年近くの時が流れ、私も三〇を過ぎ、あの時の感傷は日々の生活に埋もれ、薄れていく。
    それでも、アルバムの中の三人は変わらない。この笑顔が、僅かばかり変わったであろうこの笑顔が、
    今もどこかに在ると私は思いたい。
    そう願いながら、私はアルバムを閉じた。









    妻が心配した通り、父らはサトシに新型携帯ゲーム機やら漫画やら買い与え、その上小遣いまで渡し
    ていた。
    半分諦めていたという孫が可愛いのは分かるが、少し自重してもらいたいものだ。欲しい物は何でも
    手に入ると子供が錯覚したまま成長したら、ろくな人間にならない。大体、私にはいつも我慢を口にし
    ていたというのに・・・
    子と孫は、違うのだろうか。過ぎたこととはいえ、どうも腑に落ちない。


    「おとうさん、なんでお金かえしちゃったの?
    せっかく、おじいちゃんがくれたのに」


    買い物かごを持ち、妻から渡された紙片に書かれている品物を物色する私に息子は恨みがましく言う。
    小脇には、これだけは渡さないと言わんばかりに新型ゲーム機が抱えられている。
    実家からの帰り、ついでと言って妻に頼まれた買い物をするために寄ったスーパー。まだ時間は早いが、
    休日ということで店内はそこそこの混みようだ。そんな中、遠慮のない子供の大きい声は、結構目立つ。
    何人かの客が、面白そうに、ちらと見ては過ぎていく。世間体というものに弱い私は、周りを気にしながら
    声を潜めて言った。


    「今日は、それ買って貰っただろ?
    お金は、つぎ遊びに行った時にでも貰いなさい」


    「つぎって、いつ?」


    「さあな。お爺ちゃんと、お母さんに聞かないと」


    「え〜、すぐいきたいよ」


    「我が侭言うと、お母さんに怒られるぞ」


    息子は、それで沈黙した。不満そうに口をすぼめているが、駄々をこねることはない。
    息子は妻を慕っている。慕っているけども、恐怖の対象でもある。普段は優しい妻。しかし、怒ると遠慮
    がない。
    叱らない教育というのが世間では流行っているようだが、妻はそれを鼻で笑っているくらいだ。結婚し
    てから知った、意外な妻の逞しさを頼もしいと思う。私は、子供に妥協しがちだから。


    「あ・・」


    紙片に書かれた品物を一通りかごに放り込んだ私が、忘れ物がないか確認していると、視界の隅に懐
    かしい顔が。大人っぽく成長して、トレードマークだった二つのおさげもなくなっていて、そばかすもないけ
    ども間違いない。中学でずっと委員長だった、洞木ヒカリだ。今は、鈴原ヒカリか。
    隣で、長身で精悍な顔をした亭主、鈴原トウジがキャリーを押している。同級生で一番早く結婚した彼ら
    を、当時は羨ましげに見ていたものだ。結婚してすぐ子宝に恵まれたと聞いたので、子供はもう中学生
    くらいになるはず。が、子供らしき姿は見えない。塾か留守番、或いは、友達と一緒だろうか。
    近況でも聞いてみるかと思い立った私は、すぐに考え直した。彼らが私を覚えているかどうか、甚だ疑問
    であったから。
    常にクラスの中心にいた彼らと違い、私はその他大勢の一人。数度の同窓会でも、彼らと面と向かって
    話はしていない。妻が覚えていてくれたのは、偶然か奇跡以外にない。そんな私が声をかけたとて、見
    知らぬ他人でしかないのだ。迷惑なだけだろう。


    「おとうさん、どうしたの?」


    「忘れ物がないか、考えてたんだよ。
    忘れ物すると、お母さんに怒られるからな」


    「・・・おとうさんも、おかあさんがこわいんだね」


    「ははははは・・
    まあ、そういうことだ。さ、お金払って帰ろう」


    「うん!」


    レジに行く前、鈴原夫妻と視線が僅かに交錯したけども、案の定、彼らは私に気付くこともなく買い物を
    続けていた。
    これが現実と分かっていても、少し寂しい。
    中学時代の友人と連絡が途切れて久しい。今付き合っている友人は、大学時代に知り合った者と就職
    してから知り合った者だけ。彼らは皆いい奴で、裏表無く話ができ、信頼に足る人間ばかりだ。
    でも中学時代の友人達とは、それとは別の意味の連帯感があった。特異な時代を共有した者同士の繋
    がりとでも言えるような、奇妙な連帯感。たとえ付き合いはなくとも、目に見えぬ絆で結ばれていると思っ
    ていた。妻も、この意見には同意してくれている。私と妻だけの錯覚なのかもしれないが。


    「あ〜!、ヒカリじゃない!」


    甲高く、しかもはんぱでない声量。
    更には独特のイントネーションが、車に乗り込もうとした私の耳を襲った。私は反射的に、声のした方へ
    首を向ける。
    それは店の出入り口で、長身の男と連れだって訪れた金髪の若い女が、店から出たばかりの鈴原夫妻
    に駆け寄っているところ。男は、高校生くらいの女の子に腕を抱えられている。彼らの子供にしては大き
    すぎる。歳が合わない。親戚か何かだろうか。
    駆けている女の、背の中ほどまで伸びた天然の金髪が、一瞬、あの頃の惣流に重なった。
    まさかと思った。
    他人のそら似と疑った。
    でも、その後に続いた委員長の台詞が、それが現実であると私に教えてくれた。


    「アスカ!」


    そして、鈴原トウジの一声。


    「センセ、シンジやないかい!」


    碇と惣流が生きていた、生きていてくれた。
    しかも、これ以上ないくらい幸せそうに笑っている二人。
    連れだっているところからして、彼らは恋人同士か夫婦に違いない。よく見れば、碇の腕から離れない少
    女は惣流に似ている。髪の毛も栗色で、碇と惣流の子供と考えてよさそうだ。早い時期にできた子供 と
    考えれば、辻褄は合う。あの子が見た目通りの歳だとすると、生まれた時期に少々問題はありそうだが。
    それはともかく、私も、あの喜びの輪に入りたい。
    が、場の雰囲気を壊すわけにはいかない。事実を知ることが出来ただけで良しとするべきだろう。
    私が顔を出したところで・・・


    「おとうさん、なんで泣いてるの?」


    「え?あ、いや、目にゴミが入っちゃってな。
    それより、シートベルトしたか?」


    「ちゃんとやってるよ。見えないの?おとうさん」


    「そ、そうだったな。じゃ、行くぞ」


    私は、息子の前で嗚咽を漏らすまいと必死に堪えながら家路を急ぐ。
    碇の生存を、早く妻に伝えなくては。
    私は知っている。妻はまだ、碇への想いを捨てていない。同窓会に一度も出席しなかったのは、碇のいな
    い現実を認めたくなかったからだ。私と結婚したのは、何かの間違いか気の迷いでしかない。
    それでもいい。妻が未だに碇を想っていてもいい。私は、妻の喜ぶ顔が見たい。
    その顔はきっと、今まで見たことないほど綺麗であろうから。










    でらさんから元クラスメートの人から見たエヴァキャラのその後のお話をいただきました。

    姿を消したシンジとアスカ‥‥。
    いったい何があったのでしょうねって、

    >あの子が見た目通りの歳だとすると、生まれた時期に少々問題はありそう

    ナニがあったのですね(笑
    奥様も今では旧友殿が一番好きですから、アスカ×シンジの幸せを素直に祝ってくださると思いますよ。

    素敵なお話でした。みなさんも是非でらさんに読後の感想メールをお願いします。

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