魔法の鏡 大団円?

    作者:でらさん














    見慣れた部屋、見慣れた眞二の顔。
    そして、違和感の全くない自分の体。
    ここは、自分の世界。


    「まさか、本当に戻れるとはね」


    「アンタ、アタシを疑ってたの?」


    どこか残念そうな、しかも現状が、さも意外そうな眞二の言葉に、明日香は即座に反応した。
    対面に座る眞二を、眉間に皺を寄せて睨んでみる。
    ところが彼は、全く気にした様子もなく食事を続けている。思えば、向こうでもそうだった。彼
    の食欲は、環境の変化には左右されないようだ。几帳面で繊細な感じがしたシンジとは、や
    はり違う。ああいうタイプは苦手だ。いかに眞二でも、ああいった性格だったら好きになってい
    たかは疑問。
    日記が不完全にしか理解できなかったので、アスカが彼を好きになった理由は、分からない。
    色々と複雑な事情を抱えた世界であるため、その辺りの心情も複雑なのだろうと解釈するし
    かない。

    意識を取り戻してから暫くは、落ち着く間もないほどの忙しさだった。
    別室にいたネルフのスタッフ達も気を失っていたので、彼らを一人一人起こし、仕事に戻って
    もらった。尚子と津子の姿が見えなかったが、二人は何らかの事情で先にネルフへ帰ったも
    のと皆が考えていたので誰も不思議に思うことはなく、事後処理に奔走していた。
    碇宅の調査が再開される中、明日香と眞二は再びネルフに戻され、再度、両親と対面。
    いつもの子供達に戻ったことを確認した親達は、一様にホッとした様子だったという。特に源
    道は涙を流さんばかりに喜んでいたと、眞二は明日香に語っている。
    調査は一週間ほど続き、明日香と眞二も両親立ち会いの下に周到かつ精緻な事情聴取を
    受けた。
    ネルフは研究機関。いくらなんでも、普通はここまでしない。保安部門の人間まで投入した徹
    底的な事情聴取には、理由がある。赤木博士親子が失踪していたのである。
    状況的に難しいし監視記録にもないため断定はできないが、混乱に乗じた他組織の拉致も
    考えられたため、事情聴取は厳しいものとなったのだ。
    が、関係者の証言全て照らし合わせても矛盾はなく、碇宅の空間歪曲反応も消えていたの
    で、調査続行という形で原状の回復が成されている。
    そんなこんなで、落ち着いたのは、こっちに戻ってから一ヶ月ほど過ぎたこの頃。
    今日は、久方ぶりの落ち着いた夕食。なし崩し的に碇宅での同居が続いているので、すっか
    り夫婦気分になってしまった。
    落ち着いたと言っても、親達の方は、まだ収まっていない。あれから今日まで、家族揃ったの
    は数回しかない。赤木博士親子の失踪は、それほどの重大事だということ。
    馴染みの二人だけに明日香と眞二も心配はしているが、自分達にはどうにもならない。
    それに、大体の予想はついている。ネルフのスタッフ達が、何故こんなことに気付かないか
    不思議なくらいだ。


    「巧くいって、よかったじゃないか。
    そう怒らないでよ、明日香」


    ひとしきり食べた眞二が、箸と茶碗を置き、お茶を二口ばかり飲んで言った。
    満足したようなその顔を見ると、明日香の不満も自然と収まる。


    「別に怒ってないわよ。
    アタシだって、絶対巧くなんて思ってなかったもん。
    尚子おばさまも、半信半疑だったしさ」


    「尚子さんか・・
    今頃、どうしてるかな。
    変なことに巻き込まれてなきゃいいけど」


    尚子と津子は、向こうの世界にいる。
    二人が失踪したと聞いた当初から、明日香と眞二は、そう確信していた。
    だが、それを口にすることはなく、事の成り行きを静観している。
    言っても信じてくれそうにないのが、理由の一つ。意識だけの転位ならともかく、実体の転位
    など、笑い飛ばされるだけと思った。
    まだ理由はある。
    好奇心旺盛な二人の科学者達が早期の帰還を望んでいないだろうことは、容易に想像がつ
    くからだ。
    万が一、自分達の言うことをネルフのスタッフ達が汲み入れ、何らかの対策を講じて二人を
    救出したとしたら、愉しみを邪魔された二人に恨まれるかもしれない。
    まあ実際、親しい付き合いの二人から恨まれることはないにしても、せっかく愉しんでいるの
    に邪魔するのは野暮というものだ。
    尋問に際しては、その点だけは意見を一致させようと事前に打ち合わせをしておいた。その
    内、ネルフのスタッフの誰かが気付くだろうとも考えていたし。
    転位を疑えば、この家にスタッフが押し掛けるだろうから、まだ気付いていないということだ
    ろう。
    あれから、鏡に変化はない。普通の鏡。
    それでも明日香と眞二は、あの世界との絆が完全に断たれたとは思っていない。
    はっきりとは言えないけども、何かが繋がっている気がするのだ。あの世界とは。


    「大丈夫よ。向こうには、アタシ達もいるんだし。
    その内、津子さんと一緒に、何にもなかったような顔して帰ってくるって。
    シンジ君は、ちょっと頼りないけど」


    「なんか棘あるな、その言い方。
    僕に言われてるみたいだよ」


    「アンタだって、そう思うでしょ?」


    「あいつは、やるときはやる人間だよ」


    「あら、庇うんだ。
    やっぱり、同じ人間は信じたいものなのね」


    「ああ、信じるよ。
    ・・・絶対とは言えないけど」


    一抹の不安はあるものの、自分の分身は信じたい。
    それに彼は、ただ気弱で臆病なだけの人間ではない気がする。日記の中に、ほんの僅かだ
    けども、内に秘めた攻撃性のようなものを感じているし。
    彼は未だ特務機関の一員で特殊な訓練も続けている。それに戦争とて経験している。その
    点では、普通の高校生でしかない自分より高見にあるとさえ言える。何かきっかけさえあれ
    ば、自信を付ければ、彼は変わることが出来ると思う。
    そしてそれは、アスカが望んでいることでもあるだろう。いかに別世界とはいえ、他の男とア
    スカとの仲睦まじい姿など見たくないものだ。


    「見てみたいわね、凛々しいシンジ君に甘えるアスカをさ」


    「そうだね。
    いつか、あの二人と笑って話したいよ」


    いつか、その日は来る。
    愉しく笑い合う二人は、それを疑っていない。










    近頃のアスカは、すこぶる機嫌がいい。
    それは、三年以上にも及んだ熾烈な抗争を勝利の内に終えたことが原因と、誰もが認めて
    いる。
    逆転勝利を手にすると意気込んでいたレイや、アスカと付き合えるチャンスを掴んだと勘違
    いしていた男子生徒にとっては、意気消沈する現実ではあったが。
    幸いなことに、ふられた二人はタフな精神の持ち主であったようで、ダメージは既に快復。ま
    だ人生が終わったわけではないと、揃って再起を誓っていたりする。
    報われない愛に没入する二人の間に友情が芽生え、それが更に愛へと発展し・・・
    なんてことはなく、実際は友情すら怪しい。
    が、アスカとシンジの間に茶々を入れる都合上、行動を共にすることが多いので、第壱高で
    はカップルと認識されているようだ。レイはもとより、男子生徒もそこそこ美形なのでビジュア
    ル的には申し分ない。アスカ、シンジ両人としては、そのまま付き合って欲しいくらい。そうす
    れば、問題が一つ片づく。
    こちらに帰還した二人は、同時告白という奇跡のような、笑い話のような過程を経て晴れて
    恋人同士となった。別世界での経験は、無駄ではなかったらしい。
    時間としては一日弱に過ぎないけども、様々な出会いと得た知識が、二人を変えたようだ。
    アスカは杏子と対面したことで精神的安寧を得、更に明日香の評判を聞くことで女らしさとい
    うものに、より多くの目を向けるようになった。そのおかげか今のアスカは、内面から滲み出
    るような美しさを魅せる大人の女と評価されている。
    シンジはやはり、唯と対面した件が彼を大きく変えるきっかけだったのだろう。
    常に心のどこかに在った、母への追慕。
    それが満たされたことでシンジの心が解き放たれたのか、彼は前向きに、失敗を恐れない勇
    気を持つ男になっていた。
    それはアスカに対しても向けられ、常にリードする立場だったアスカは漸減的な後退を強いら
    れ、現在では、アスカが一方的にシンジをへこませるようなことはない。
    二人を監督する立場であり家主でもあるミサトは、仲睦まじく一緒に家事をする二人を冷やか
    すでもなく煽るわけでもなく、ただボーっと眺めることが多い。あまりに自然で睦まじいので、声
    をかけるにもかけられないとは、本人の談。
    ちなみにこれは、ミサトが家にいるときの場合。
    最近は、目のやり場に困るほどの若い恋人達のスキンシップから逃れるため、あまり家には帰
    っていないから。
    その余波で彼女を泊めることが多い加持リョウジは、真剣に結婚を考え始めているらしいので、
    プラスマイナスゼロといったところか。
    アスカとシンジにとっては全てが好転し、問題など無い筈なのだが、実は幾つかある。
    その一つが、ゲンドウの入院。
    精神的ストレスからくる内臓系疾患で入院して、すでに一週間が過ぎている。
    それなのに、快復の兆しがない。それどころか、悪化の兆しさえあるという。
    ネルフ内では、ゲンドウは心のバランスを崩していて司令職の続行が不可能なため、冬月副
    司令が正式に昇格するのではないかと噂されているくらい。冬月の周りには今、時勢の変化
    に敏感な職員が相当数群がっているとのこと。冬月も、満更ではないようだ。
    父と未だ完全に打ち解けてはいないシンジでも、父が周囲から見放され、堕ちていく姿を哀れ
    と思う。
    それは、アスカも同じ。恋人の父は、自分の父も同然だし。


    「司令は、相変わらずなの?シンジ」


    アスカは、テーブルを挟んだ対面に座るシンジに何気なしに聞いた。リビングに布かれた絨毯
    が、素足へ艶めかしい感触を伝える。
    経験とは、恐ろしいもの。以前は何でもなかったことが、性的な意味合いへと変わっていること
    が多い。二人が今くつろいでいるリビングも、時としてベッドの代わりとなる。それが、今の二人
    の関係だ。今日の昼間もここで・・・
    昼間はともかく、夕食は終わり、その他の雑事も一通り終わったので、二人は寝る前の一時を
    リビングでお茶を飲みながら雑談。
    前は、こんなこともあまりなかった。二人きりになると、照れくささが二人の心のほとんどを占め
    ていたから。


    「良いとは言えないね。
    尚子さんが見舞いに行っても、視線も合わせられないんだ」


    尚子とは、あの赤木尚子。
    一ヶ月ほど前、整備中のエヴァンゲリオン初号機が勝手に起動し、ネルフでひと騒動あった時
    に初号機のコアから出現した人物。それは丁度、アスカとシンジが帰還した日でもある。
    しかも尚子一人ではなく、赤木津子も一緒だった。ナオコ、リツコと同一のDNAを持つ二人の出
    現は、関係者を混乱と混濁に巻き込んだのだ。
    津子は、まだよかった。色々と騒がれたものの、リツコという一番身近な理解者がいたし、母の
    尚子も一緒だった。
    が、尚子は違う。
    こちらのナオコは既に故人で、ゲンドウとの間にも何か事情があるらしく、ゲンドウは当初から
    尚子に対して及び腰。直接の尋問を求めた冬月とは対照的だった。シンジも、あれほど狼狽
    した父は見たことがない。
    そしてリツコも、尚子とは微妙な距離を置いている。尚子から近づいても事務的な話に終始す
    ると、ミサトは言っていた。それらから、ゲンドウ、ナオコ、リツコの間には、余人には計り知れ
    ない事情があるとシンジにも分かった。それを深く知りたいとは思わないが。


    「父さんの過去には興味ないけど、何かあったことは確かだよね。
    尚子さんは、それを愉しんでるみたいなとこあるから、余計に父さんが気にしてるみたいなんだ」


    「リツコも、なんか様子おかしいし。
    出来の悪いドラマ観てるみたい。愛憎ドロドロのやつ」


    「でも、向こうの津子さんは流石だね。
    毎日技術部に顔出して勉強してるし愛想もいいから、男の人から凄い人気だよ」


    二人の存在は、出現時の混乱に乗じた情報操作で巧妙に擬装され、二人ともリツコの縁者とし
    て公示。
    今はネルフ内に一室を与えられ、客分扱いの研究者として馴染んでいる。全ては、何かと心を
    砕いて二人を支援している冬月の配慮。
    朗らかで笑顔を絶やさない尚子は、母のような親しみやすさが人気だが、津子は清楚な美女と
    して絶大な人気を得るようになった。背の中程まで伸ばした黒髪と程々に抑えた化粧が、かな
    りなインパクトを与えたらしい。


    「ミサトが僻むくらいだもんね。
    でも、男ばっかじゃないわよ、騒いでるのは。
    女の連中も津子の争奪戦に参加してるらしいわよ。食事の誘いとか、ひっきりなしだってさ」


    「女の人ってことは、つまり、その・・・」


    「レズじゃなくて、女子校のノリよ。
    綺麗で仕事も出来る素敵なお姉さまに憧れる心理って、分からないじゃないわ。
    ま、中には、そっちの人間もいると思うけど」


    「男には、分からないな。
    分かりたくもない」


    「シンジは、それでいいわ。
    彼がゲイに目覚めるなんて、悪夢だもん」


    「はは・・
    アスカがいれば、それでいいよ、僕は」


    会話は、そこでいきなり途切れ、後が続かない。
    何となく気まずい空気が部屋に満ち、テレビも沈黙しているために時だけが刻々と過ぎていく。
    その内、茶もなくなった。
    と、まずはシンジが立ち上がると、テーブルを周り、アスカに手を差し出した。


    「そろそろ、寝ようか」


    「・・・うん」


    はにかむアスカが伸ばした手をシンジが握って引き起こすと、アスカは当然のようにシンジの
    腰に腕を廻して体を寄せる。
    頭半分ほど高い身長のせいで、アスカの髪の毛の匂いがシンジの鼻を暴力的に攻撃する。そ
    れは、彼女の甘い体臭と柔らかい体の感触と併せ、シンジの理性を根こそぎ奪っていく。


    「明日は学校よ。分かってる?」


    「分かってるさ」


    「ホントに?」


    「ほんとだって」


    「信用ならないわ、アンタ。
    熱中すると止まらなくなるんだから」


    「それは、アスカだって同じじゃないか。
    あの頃の初々しいアスカが懐かしいよ」


    「言ったわね。
    大体、こんなアタシにしたのは・・・」


    歩きながら、喋りながら、二人はリビングの灯りを消してアスカの部屋へ向かう。
    あと数十年に渡って彼らがそこで同衾するとは、彼ら自身、まだ想像もしていないだろう。
    が、それは真実。
    または、確実に巡ってくる現実。
    二人の幸せは、始まったばかり。










    おまけ


    「久しぶりね、明日香」


    <一ヶ月ぶりかしら。
    ちょっと見ない間に、すっかり女らしくなったわ。
    巧くいったみたいね、シンジと>


    「おかげさまで。
    でもアンタ、嘘ついたわね。きっちり痛かったわよ」


    <真に受けてたの?冗談に決まってるでしょ!
    そっちじゃ、何もしてないわよ!>


    「まあ、血は出なかったし、すぐに痛みもなくなったからいいけどさ。
    それより、尚子さん達のことで」


    <話の前にアンタ、首とか胸元の痣、何とかしなさい。
    それで学校行くつもり?>


    「え?痣って・・・
    あ〜〜〜!!」


    <夢中になるのもいいけど、少しは考れば?
    獣じゃないんだから>


    「ま、まさか、シンジにも・・
    シンジ!ちょっと来て〜!」


    <なんて、お馬鹿なの>


    洗面所に置いてあった予備の手鏡でキスマークという痣を確認したアスカは、シンジを呼
    んでいる。彼女には覚えがあるようだ。
    頭を抱える明日香だが、実は人のことを言えた義理ではない。関係ができた当初、彼らも
    同じようなことをして恥をかいている。
    しかもその時は○学生であったため、ちょっとした騒動にもなった。年齢から考えれば、明
    日香達の方がかなり問題だ。
    ともかくも、次元を越えた交流は永く続き、尚子は数ヶ月後に自力で帰還。津子は居残り、
    その世界で生を全うした。
    津子が何を思って残ったのか、誰も、尚子さえ知らない。アスカも、そしてシンジも折に触
    れて聞いたものの、彼女は決して理由を明かさなかった。
    事態があらかた収束した後、別世界を映す鏡のことは次第に人々の記憶から薄れていき、
    明日香とアスカ、眞二とシンジも仕事と生活に追われて気にすることが少なくなっていった。
    そして一〇年以上の時が流れた頃、彼らの子供達が、眠っていた虎を起こすように鏡を目
    覚めさせる。


    「あたしは、碇美莱。あんた、誰よ」


    <ミライ。碇ミライよ>


    魔法の鏡は、いつでも悪戯好きのようだ。






    でらさんから連載最終話をいただきました。

    ついに完結しましたね。物語の中では子供たちが何か巻き込まれているようですが、それはおいといて‥
    何はともあれみんな幸せ(ゲンドウは除くけどこんなものでもいいでしょう)で良かったです

    読み終えたらでらさんに感想メールを送ってくださいな。

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