人生いろいろ

    作者:でらさん
















    Case.1

    この時代には珍しい完全内燃機関の車、しかも鮮やかな深紅のオープンタイプ。その上ボン
    ネット最前部には、前世紀からスポーツカーの代名詞ともなっている跳ね馬のシンボルマー
    クが。
    深夜の高速道路を時速一〇〇kmほどの巡航速度で疾走するそれに乗るのは、ステアリング
    を握る惣流・アスカ・ラングレーと、連れの男。
    この車が本来持つ性能からすれば、時速一〇〇kmなどジョギングにもならない。事実、先ほ
    どまでは電動ハードトップの屋根を閉め、時速二〇〇kmに迫る高速ドライブを愉しんでいた。
    だが、同乗する男が気分を悪化させ、事もあろうに車内で嘔吐。アスカは仕方なしに車を一
    時路肩に停め、男に後始末をさせたあと、屋根をオープンにして再度発進させた。帰宅して
    すぐに専門業者を呼んだとしても、匂いを完全に消すのは難しいだろう。内装を全て入れ替
    えた方が早いかもしれない。
    時間も時間だし、業者が対応してくれるかどうか怪しいものだが。


    (これなら、もう暫くマイクと付き合っておけばよかったわ)


    今宵のデートは、今まで付き合った男達の中でも最高の男が相手だった筈なのに、とんだ期
    待はずれ。つい一週間前まで付き合っていたアメリカ人のにやけた顔が、アスカの脳裏をよ
    ぎった。
    サッカーの世界で頂点を極め、若くして引退したあとも実業家として大成功した男。女の扱い
    にも長けていて、この男こそが自分の求めていた男だと思ったものだ。義理で出席したパー
    ティ会場でこの男と初めて顔を合わせたとき、アスカは運命すら感じている。
    それが、この程度のことで根を上げるとは・・・


    「やだ、雨?」


    フロントガラスに水滴を確認したアスカは、未だ気分の快復しない男を横目でチラと見ると、視
    線をすぐに戻してアクセルを軽く踏み込んだ。次の降り口までは、まだ数kmある。本降りになら
    ない内に高速を降りたい。 不快な匂いのする車から一刻も早く降りたいし、こんな男と身近に
    接するのも嫌だ。


    「ったく、こんな最低の日なんて、久しぶりだわ」


    自分の見込み違いと天気の急変は関係ないけども、持って行き場のない怒りがアスカの中に
    渦巻く。
    これほどの怒りは、一〇年ぶりか。
    何もかもが非常識と異常の中にあったあの時。
    アスカは、一四才の少女だった。





    フラフラと落ち着かない女。
    知人友人達の自分の評価は、こんなもの。
    世間一般には、モデル並みの容姿を持つ天才博士で通っているアスカも、身近な人間から視る
    と並以下の女でしかない。もちろん、容姿に問題があるわけではない。モデル並みと形容される
    容姿が、並以下であるはずがない。
    問題は、その性格というか、誰と付き合っても長続きしない飽きっぽさ、或いは完全主義とでも言
    おうか。
    高校時代からこれまで付き合った男の数は二〇人近くにもなるが、最長でも二ヶ月。最短で三日
    という記録がある。
    周囲から視ると、相手はいずれも好男子で、なぜアスカが不満を持つのか分からない男ばかり。
    資産家や著名プロスポーツ選手、青年実業家、俳優など、一流と目される男達がアスカの遍歴
    に記された。
    しかしアスカは、少しでも気にくわない点があると弊履のように男を切り捨てる。相手がどんな著
    名人、社会的地位の高い人間でも関係ない。
    アスカにしてみれば、ただ自分の理想を追い求めているだけ。他意など無い。周囲の受け止め方
    など、知ったことではないのだ。


    「ヒカリやミサトは、そろそろ落ち着けって言うけど、そう簡単に妥協できますかっての。
    花の盛りは一瞬だもんね。ちやほやされてる内に、最高の男をゲットしなくちゃ」


    朝風呂ですっきりしたアスカは、素肌の上にガウンをそのまま煽り、髪の毛の水気をタオルで絞り
    ながら冷蔵庫の前に。そして三段ある扉の内、真ん中にある一番大きい扉を開け、牛乳の一リット
    ルパックを取り出した。風呂上がりの牛乳は、物心付いた頃からの習慣。これは一生続きそうだ。


    「うん、美味い!」


    半分ほどを一気に飲んだアスカは、残りを冷蔵庫に戻す。
    と、唐突にアスカは、パックから直に飲むな、コップを使えと誰かによく言われたことを思い出した。


    「誰だったかしら。
    ミサトじゃないわよね」


    最近、記憶があやふやになることが多い。特に一〇年前の使徒戦辺りのことがはっきり思い出せ
    ない。
    昨晩のことは、鮮明に覚えている。高速から降りてすぐに男を車から叩き出し、濡れるのも構わず
    オープンのまま第三新東京市の自宅マンションへ急行。深夜ということもあって信号にそれほど引
    っかからなかったのが幸いし、ずぶ濡れになることはなかった。
    が、気合いを入れた化粧や特注のドレス、ヘアのセット、豪奢な革を奢った車の内装は台無し。金
    に換算すると相当な額になるだろう。
    一番長く付き合った男の名前、顔、体の細部に至るまでも記憶にある。三日で別れた男も同様。
    それが、あの時代のこととなると途端に怪しくなる。


    「そういえば、初めての男って、誰だったっけ?」


    ヴァージンを失った相手は重要な記憶の筈だが、思い出せない。
    高校の頃、初めて付き合った男とはキスしかしてない。それも二、三回。その頃は既に経験してい
    たように思う。それどころか、仕込まれるだけ仕込まれたような体だった気が・・・


    「・・・何か、おかしいわ」


    何者かに記憶をブロックされているような得体の知れない寒気すら感じたアスカの思考は、いきな
    り鳴ったインターホンのチャイムによって中断。気を取り直したアスカは、着替えるかどうか幾らか
    迷ったのち、面倒だからという理由でガウンのまま玄関へ向かった。玄関を写すカメラ映像には、
    宅配便の制服を着た青年が大きめの段ボールを抱え、緊張の面もちで直立している。


    「いつもの彼か。
    荷物はレイね。レイも、義理堅いんだから」


    青年は、すでに顔馴染み。ここへの宅配便は、彼しか来ない。一度、気分の悪いときに八つ当た
    り気味に配達員へ文句を言ったところ、新人の彼しか寄越さないようになってしまった。どうも、要
    注意人物扱いされてしまったらしい。
    それはともかく、荷物はレイに違いない。
    大学時代に知り合った男性と結婚したレイは、男性の田舎で幸せに暮らしている。一男一女の子
    宝にも恵まれ、すっかり主婦が板に付いたという話だ。
    そのレイは、地元で採れた野菜や果物を頻繁に送ってくれる。とても一人で食べきれる量でないの
    で、ヒカリやその他の友人達にお裾分けするのが少し面倒だが、友人の心遣いは嬉しいもの。


    「どうぞ」


    電子ロックを解除したアスカは、穏やかに声をかけた。
    不名誉な評判には、早々に消えて貰いたい。


    「失礼します」


    軽く会釈しながら入ってきた青年は、あらためて視ると結構な長身であることが分かった。細身な
    がら一八〇は越えている。顔もなかなかの美形・・・とまでいかないものの、割と整っている。性格
    も優しそうだし、身近にこんな男がいたとは、少し意外な気がする。贅を尽くした美食に飽きて粗食
    に興味を向ける美食家のようなものだろうか。


    (なんで、これまで気付かなかったのかしら。なんか、損した気分ね。
    名前は・・・
    碇・・・シンジ?)


    胸の名札を視たアスカの思考が、凍り付いたように止まった。
    碇シンジ。
    この名を自分は知っている。
    いや、そんなレベルの話ではない。
    愛し、愛され、魂の芯まで官能に染まるほど抱かれた男。
    そうだ。
    自分のヴァージンは、この男が奪った。
    その後も、幸せな時を彼と共に過ごした。
    別れた理由は・・・
    分からない。全く記憶にない。


    「シンジ、なんでアンタが」


    瞬間、その場にいるアスカとシンジ、空気までもが凝固したように動かなくなった。
    まるで、テレビ画面のビデオ映像が一時停止するように。









    「プロモーションビデオは、ここまでよ。
    何か、質問ある?」


    リモコンでビデオを一時停止させた赤木リツコは、モニターとして呼んだ、アスカ、シンジ、レイ、ミサ
    トに問うた。
    彼女の横にある一〇〇型は優に超えるだろう大画面テレビの画面には、愕然とした表情のまま固ま
    った二四才のアスカ。そして、その彼女を不思議な顔で見返す二四才のシンジがいる。
    これは、リツコが新規に開発したという仮想空間シミュレーションプログラムの成果をプロモーション
    したビデオ。声から何から全てが合成された映像で、現実ではない。大体、アスカ達はまだ一六才
    の高校生だし。


    「質問というより、文句が言いたいわ」


    シンジと指を絡ませて手を繋ぐアスカが、パイプ椅子に座ったまま声を挙げる。薄化粧した顔の表情
    は固い。隣のシンジは、何とも言い難い複雑な顔。


    「あらアスカ、何か不満?
    主役にしろと言ったのは、あなたよ」


    「こんな、尻の軽い女にしろと言った覚えはないわ。
    まるで娼婦じゃない」


    「私が演出したわけじゃないわよ。
    あなたのデータを元に創ったキャラが、自分で判断して自分で動いているだけ。このソフトでは、キャラ
    は全て己の意思で動く、まさに生きた人間なの。
    だから、これはあなたの未来を写す鏡とも言えるわ。文句なら、プログラムに言って」


    このソフト最大の特徴が、これ。
    キャラクターは特定のシナリオに基づいて動くのではなく、全て自立的な判断で動いている。勿論、舞
    台背景などの初期設定は必要だが、それらが揃えば台詞などを用意する必要がない。画面上のキャ
    ラが勝手に物語を進めてくれる。それ故に問題もあり、予定したシナリオ通り進むとは限らないのが難
    点。キャラの性格設定などで相当程度はコントロールできるものの、自立行動ゆえに予想し得ない行
    動を取るキャラもいる。対策として、ストーリーを修正するキャラを緊急避難的に投入することもあったり
    するのだ。
    これらの説明は事前に受けていたアスカではあるが、基本設定そのものに納得がいかない。八年後
    の自分がこんな女になるなど、とても受け容れられるものではない。


    「でも、基本の設定創ったのは、リツコでしょ?」


    「そ、それはそうだけど」


    「アンタ、前に、”夢見る乙女”だとかいう怪しいマシンでアタシと鈴原を絡ませたこともあったわよね?
    アタシを、なんだと思ってんの?」


    「あれは、鈴原君のリクエストに応えただけで・・・
    で、でもね、アスカ、あれは良い値段で売れたのよ。でも、高すぎるって意見もあったから、よりリーズ
    ナブルに仮想空間を愉しめる方法を考えてみたの。
    それがこの仮想空間シミュレーションソフト、”人生いろいろ”よ!
    設定次第で、あらゆる自分の可能性を視ることができるのよ。それも、映画以上のクォリティと、現実と
    見紛うほどのリアルさで。
    どう?凄いでしょ?」


    「モノが凄いのは認めるけど、このプロモーションビデオは却下よ。
    作り直して」


    「私も、このビデオには賛成できません」


    未だアスカと対立することの多いレイが、珍しくアスカに賛意を示した。
    信頼していたレイの態度に、リツコのショックは大きい。


    「レ、レイ、あなたまで。
    ミサト、あなたはどうなの?」


    「わたしの出番ないじゃない。
    これじゃ、評価のしようがないわ。ちゃっちゃとリテイクしてちょうだい。
    出来たら、また呼んで。じゃあね」


    「・・・・」


    興味自体なさそうなミサトは、スタスタと部屋を出ていく。はっきりと分かるほど不満そうな顔をしたレイ
    も、ミサトの後に続く。
    シンジの意見も聞いてみようと彼を目で追ったリツコだが、彼はアスカに腕を引っ張られるようにして
    行ってしまった。着飾った二人の格好からして、これからデートだろう。
    ぽつんと独り残されただだっ広い会議室で、言いようのない屈辱感が、リツコの胸を覆う。
    このプロモーションビデオは、確かにベストではなかったかもしれない。
    だがこれでも映画やドラマを研究して、いわゆる格好良い大人の女というものを表現したつもりだった。
    自分でも何かおかしいと思ったのは事実だが、映画などはこんなヒロインが多かったのだ。
    これで駄目となると、等身大の日常を写したドラマということになるが、そうなると脚本家などの専門的
    な人間に手伝ってもらった方がいいだろう。自分も含めた技術部スタッフに、そこまでの演出は無理。


    「私は赤木リツコよ。このまま引き下がるわけにはいかないわ。
    見てらっしゃい!」


    というわけで、”人生いろいろ”プロモーションビデオ第二弾の製作は、決定した。






    でらさんから短編「人生いろいろ」をいただきました。

    某所に投稿された第二弾のお話の、後日譚になります。こんなことがあったのですね。
    ウケを取れる要素を研究したつもりなんでしょうが‥‥リツコさんはちょっと汚れすぎだと思います。ええ。

    ぜひ感想メールを出して、でらさんに楽しいお話を読ませてもらった感謝の気持ちを伝えることにしましょう。

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