異邦人 ver.2

    作者:でらさん














    土屋タダシ。当年取って二十六歳。
    その彼は今、生まれて初めて足を踏み入れた第三新東京市で、その爽やかな顔を綻ばせ、
    感激に浸っていた。
    いや、使命感に打ち震えていると言うべきか。


    「ここが、第三新東京市か・・」


    降り立った駅は完全自動化され、駅員の姿は皆無。それでも怪しい人物は見かけないし、
    人々の顔に不安の色も全くない。治安の良さは、噂通り。


    「治安の良さは、抑圧の象徴ってね。
    ネルフの締め付けが、市民の自由を奪ってるってことさ。まるで監獄じゃないか」


    一見、平和そのものに思える光景でも、タダシには、それがネルフによって支配される第三新東
    京市が外に向けて発する幻想に見える。平和の裏にあるであろう、特務機関ネルフの強権を嫌悪
    するのだ。
    ただ、それはあくまでタダシの主観に過ぎない。第三新東京市において、ネルフは完全な支配者
    であると共にスポンサーでもある。使徒戦後、持てる力の全てを投入した広報部の尽力もあり、
    ネルフは市民の絶対的支持を取り付けるに至っている。
    犯罪者には、容赦のない摘発と刑罰という鞭を。一般市民には、充実した公共サービス&福祉と
    いう飴を提供。特務機関という組織の性質から不透明な部分も多いにせよ、市民達は、それらも
    含めてネルフを受け容れているのである。
    とはいうものの、何時の時代にも、現実を理解しないというか、場の空気を読めない哀しい人間
    は存在する。
    土屋タダシは、そんな人間の一人だった。
    彼の不幸は、第三新東京市に着いた時点で始まっていた。


    「ん?なんだ、あの娘は。こんな時間に、こんなところで・・」


    タダシの目に止まったのは、これから自分が赴任することになっている中学の制服を着た女子生徒。
    だが、ただの生徒ではない。ショートにした髪の毛は、青みがかった白に染められており、瞳にも赤
    いコンタクトを入れているようだ。今日は通常のカリキュラムの筈で、昼前のこの時間に駅のホーム
    にいる事自体、中学生らしからぬ行動。特殊な外見からしても、何らかの事情を持つ生徒に違いな
    いと、タダシは教師の勘で判断した。
    このようなとき行動してこそ、自分が教師という職に就いた意味があるのだと彼は確信している。


    「一言、注意しておくか」


    タダシは、荷物の詰まったバッグを肩から提げたまま、ツカツカと少女に歩み寄る。そして、次の便を
    待つ彼女に声をかけた。


    「君、ちょっといいかな?」


    「あなた、誰?」


    こちらを向いた少女は、大人のタダシでも一瞬言葉を詰まらせるほどの美少女。遠目でも綺麗な
    少女だとは思っていたが、間近で見ると更に美しい。
    しかし表情に乏しく、言葉にも抑揚がない。それが、タダシに少女の特殊性を余計に意識させる。

    (どんな事情があるにせよ、非行の芽は、早めに摘まないと)
    「僕は、こんど第壱中で教鞭を執ることになった、土屋タダシという者だ。学校は、どうしたんだ?
    君の名とクラスは?何なら、僕と一緒に学校へ戻ろう」


    「身分証を見せてもらおうか」


    「ああ、身分証ね。ちょっと待っ・・・ん?」


    身分証と言われ、それもそうかとタダシは懐から身分証を取り出そうとする・・
    が、動作は途中で止まる。
    声は背後からしたし、声も少女の物ではない。野太い男の声だ。タダシは、何事かと後ろを振り返る。
    すると・・


    「だ、誰だ、君達は」


    そこに立っていたのは、身長一九〇近いと思われる大男と、タダシと同じ一七〇半ばくらいの男。そし
    て、普通のOL風の若い女性が一人の、計三人。
    大男は、ジーンズにシャツのラフな格好。背の低い方が、グレーの背広。声をかけてきたのは、背広
    を着た方のようで、骨張ったいかつい顔を更に険しくして、詰め寄ってくる。


    「身分証を拝見したいと言った。聞こえたはずだが」


    「き、君達は、一体、なんの権利があって」


    「我々は、ネルフ保安部の者です。身分証の提示を、お願いします」


    初めて口を開いた女性の口調は穏やかだが、有無を言わせない圧力をタダシは感じる。それに、
    彼女はネルフと言った。警察相手ならともかく、ネルフなら反抗しても無駄。タダシは、渋々身分証
    を懐から取り出して女性に提示。
    女性が、それを大男に渡すと、受け取った男は、バッグから携帯端末らしき機械を引っ張り出し、
    身分証を差し入れた。身分の照会だろう。


    「問題ありません、二尉殿。明日付で第壱中へ赴任する予定の、新任の教師です」


    「先生ですか。これは、失礼」


    「この街では、新住民をこのように歓迎するんですか!?実に不愉快だ!」


    相手がいくらネルフといえど、タダシも流石にカチンときた。故に、声も自然と大きくなる。周囲の人間
    が何事かと注意を向けたが、不思議なことに、その全てが一目で納得したように去っていった。


    「おい、貴様」


    「もういいわ。その人を解放してあげて。リニアが来ます」


    「はっ!」


    大男が威圧するようにタダシへ迫ったが、少女の一言で、彼の行動は止まる。タダシには、わけが分
    からない。
    只一つ分かること。それは、少女は見た目通りの人間ではないということ。
    ネルフでも、かなりの地位にあるらしい。

    ・・と、リニアが到着。
    少女は、何事もなかったかのようにリニアへ乗り込み、タダシを詰問した男女三人も、彼女を護るよう
    にして乗り込んだ。
    タダシは、それを唖然と見送るだけだった。


    「何だったんだ、まったく。彼女は一体、何者なんだ」


    翌日、タダシは、赴任した学校でこの少女について一端ではあるものの知ることが出来た。
    それは、彼女の名、綾波レイ。そして、一切の詮索が許されないという事実。それだけ。
    その時タダシは、あんな儚げな少女まで組織に取り込み利用しているネルフに、割り切れない
    思いを強くした。
    活動目的さえ秘匿されている組織のこと。陰で何をしているか分かったものではないのだから。








    翌日 第壱中学 三−A教室・・


    大学に入り立ての頃、暇つぶしに観た、前世紀の学園ドラマ。
    中学を舞台にしたそのドラマは、タダシに革命的な衝撃を与えた。
    長髪の男性教師が生徒達の悩みに正面からぶつかり、励まして、または叱り、共に泣く。それが、
    教師の理想像に思えた。
    そして自分もそんな教師になりたいと思い、進路を変更。教師への道を選んだのだ。
    教育実習でも生徒達の反応は悪くなく、現場の教師にも特に注意されたところはない。にもかかわ
    らず、これまで正式な採用は一度とてなく、非常勤の仕事ばかり。
    そんなタダシにチャンスが。
    今回もまたもや非常勤ではあるが、前任の教師は高齢で、体調を崩して入院はしたものの快復の
    見込みが薄いとのこと。余程のヘマをしなければ、そのまま正式採用となるだろうと校長は言った。
    タダシが、これを聞いて燃えないわけがない。


    「俺は、土屋タダシ。今日から、このクラスの担任だ。よろしくな!」


    勢い込んで挨拶したものの、教室からは、あまり反応がない。
    事前に得た情報では、特に問題もないクラスと聞いていた。問題が無さ過ぎて、クラスに活気がな
    いのかとも思う。


    「どうした、どうした、元気ないぞ。
    え〜と委員長は、洞木か・・」


    「わたしです」


    「おお、すまんな。号令、頼むよ」


    「はい。起立!」


    学園ドラマを地でいこうと突進する、土屋タダシ。
    彼の存在は、ここ第三新東京市で・・
    いや西暦二〇一六年の日本で、完全に浮いていた。








    ネルフ本部 葛城ミサト作戦本部長執務室・・


    今日は、訓練も何もない休養日。
    シンジは、たまには男同士の付き合いに参加しろだとかの理由で、ケンスケとトウジが拉致。
    ならば自分もと、アスカはヒカリと甘味処にでも寄ろうかと思ったのだが、彼女は生憎と家の用事で
    早々に帰らねばならなかった。
    そこでアスカが学校帰りに寄ったのは、ネルフ。
    運が良かったのか悪かったのか、ミサトも溜まっていた書類の決裁も終わって、ちょうど暇だった。
    それを知ったアスカは、ミサトの執務室で暇つぶしすることに決めた。
    暇な女二人のすることと言えば・・・


    「ま〜た、脳天気な先生が担任になったものね」


    たわいもない世間話。
    今日は、アスカのクラスに赴任してきた新任の教師が話題に上っている。

    自分が煎れた濃いめのコーヒーを啜るミサトは、長い脚を誇示するように組んで、背もたれのつい
    た革張りの椅子に座っている。雑然とした部屋に合わない豪奢な椅子は、司令からのお下がり。
    言ってみれば廃品利用だが、ミサトは気に入っているようだ。
    対面に座るアスカは、普通のパイプ椅子。彼女も、ミサトに対抗するかのように足を組んでいる。
    それはまだ円熟した艶を魅せるミサトのそれには適わないものの、歳に似合わない危うげな色気
    が見え隠れしている。
    それは、どう見ても処女のものではないし、その相手もミサトは知っている。
    なし崩し的に未だ同居する少年、碇シンジ・・・彼だ。
    本人達は目立たないようにしているつもりなのだろうが、同居していれば、目にしないようにしてい
    ても目に入ってしまうこともある。
    若い今の二人にとって、性の悦楽は麻薬にも等しい甘露で、抗いがたい欲望に溺れるのもミサトは
    理解できる。自分も、若い頃に経験があるし。
    しかし、もう少し遠慮してもらいたいものだ。大人の女であるミサトには、刺激が強すぎる。


    「他人事だと思って、ミサトは」


    「私は、毎日あんた達のラブ見せつけられてんのよ?
    それに比べれば、大した問題じゃないわ。我慢の範囲内よ」


    「ラ、ラブって・・
    な、な、なんのことよ」


    アスカには珍しく、少々の動揺。口が巧く動いてくれない。
    ミサトの前では普段通りを心がけているはずで、キスとてミサトの前では絶対しない。今更、シンジ
    との関係で冷やかされてもどうということはないが、敢えて人前でいちゃつくつもりもない。
    ところが、ミサトの視点では違うようだ。


    「台所で揃いのエプロン着て楽しそうに茶碗洗ったり、やたらペアの小物揃えたり、二人で布団干し
    たりしてさ。休みの日なんか朝からいちゃつくし、まるで新婚さん見てるみたい。
    自覚ないの?」


    「・・・ない」


    「ま、いいけど」


    ミサトはコーヒーカップを机に置き、スナック菓子の盛られた皿から小さなビスケットを一つ取って口
    へ放り込む。それは僅かな回数で噛み砕かれ、再び流れ込んできたコーヒーによって、ミサトの胃
    に押し込まれていった。


    「アスカが妊娠でもしないかぎり、あんた達に干渉しないから、好きにしてちょうだい。
    イチャイチャすれば、脳天気な先生のことも気にならなくなるわ」


    「平和教育だとか言って、戦自が人殺しの集団だとか平和憲法の復活だとか、世迷い事聞かされる
    こっちの身にもなってよ。クラスのみんなも、うんざりしてるわ。
    何とかなんないの?第壱中は、ネルフの管轄なんでしょ?」


    「そうなんだけどね・・」


    第壱中学は確かにネルフの管轄下にあって、市の行政組織から独立した存在。教師の中にもネルフ
    関係者が数人いる。特殊な資質が必要とされるエヴァンゲリオンパイロットの候補として選抜された
    子供達を集め、効率的に管理するためだ。
    だが、使徒と呼ばれた敵性体との戦いが数度の苦戦を経て終わり、増援として予定されていた量産
    型エヴァの建造は中止、当然、パイロットも現役三名をもって採用を取りやめている。
    パイロット候補とされた子供達も、それに伴ってネルフと無関係になり、第壱中をネルフの管轄下に
    置く意味が薄れている。実際の話、幹部会議でも第壱中を市の管轄へ戻してはどうかとの意見が出
    ている昨今なのだ。
    つまり、強引な介入はなるべくしたくないというのが、ミサトの正直な心境であった。


    「戦時中と違って、今は色々と動きづらいのよ。
    露骨に介入すると役人がうるさいし。ネルフは、国連の組織だからね」


    「ひょっとして、文部省の嫌がらせ?
    日本の公立学校を国連組織が牛耳ってるのが面白くないとか?」


    「たかが嫌がらせのために、わざわざ、そんな教師選んで寄こしたって言うの?
    そこまで捻くれてないし、暇でもないと思うけど。一応、国家官僚よ」


    「分かんないわよ。使徒戦の最中だって、色々と邪魔してくれたじゃない」


    「内務省は、特別よ。常識の無さじゃ、外務省とタメ張るわね」


    「どうだか・・」


    人類の存亡に関わる使徒戦の最中でも、戦自とネルフの協力関係に楔を打ち込もうとしたり、内務省
    が管轄する偵察衛星の使用を拒んだりするような連中である。最近では、アスカの国籍問題を持ち出
    し、アメリカやドイツと連携して日本から追い出す動きまで見せていた。アスカには、そんな官僚の集団
    が信用できないのだ。





    翌日・・


    三時限目の授業が始まって暫くしたとき、それは鳴り響いた。
    市内に特別非常警戒態勢が敷かれる合図。緊急避難警報である。
    半年ほど前まで、それは現実に戦争を意味した。
    ところが今は、それが訓練だとほとんどの人間が疑わない。事前に予定が聞かされていたわけではな
    く、完全な抜き打ちなのだが、市民は実戦と訓練の違いを肌で覚えたようだ。
    タダシも、このような訓練は数度経験している。初めてではない。
    が、戦自が大々的に参加する訓練は初めて。戦闘服に身を固め、小銃を手にした完全武装の兵が学
    校のシェルターにまで入り込んで動き回る光景に、彼は反射的な反発を覚えた。軍とか軍人は、タダシ
    が信奉する学園ドラマの教師も嫌っていた。その影響だろう。


    「なんなんだ、あいつらは」


    シェルターでクラスメート達の人数を確認した委員長のヒカリは、タダシにそれを報告するため、出入り口
    付近に立ち、状況を見守っている彼に近づいた。そして異常なしと報告しようとしたのだが、タダシは顔
    を険しくして、何やら機嫌が悪い。
    避難する最中、何か不手際があったのかもしれない。だとしたら、ヒカリは委員長として責任がある。


    「どうかしましたか?先生」


    「ここは、いつもこうなのか?」


    「は?」


    「あれだよ。戦自の隊員」


    タダシが指さしたのは、通路の角で警備につく隊員。ヒカリには、見慣れた光景。
    演習時は僅かな笑みすら漏らさない隊員も、演習が終わった後には生徒達に囲まれて雑談する事が多い。
    前の担任の時には、日頃の職務遂行に感謝の意味を込め、クラスから戦自へ礼状を送ったことさえある。


    「ええ、そうですけど。
    それがなにか?」


    「銃なんて必要ないだろ。
    学校にあんな物を持ち込むなんて、非常識だ」


    「戦自の人達が、銃を持っちゃいけないんですか?」


    「あれは人殺しの道具だ。君達を撃つかもしれないんだぞ」


    ヒカリは、タダシの熱意そのものは評価していた。ここまで熱意を持って接してくれる教師は、そういない。
    多少空回り気味なのは、ご愛敬くらいに考えていたのだ。
    だが、ここまでくると付いていけない。


    「・・・・」
    (疲れる先生ね・・
    付き合ってらんないわ)


    ヒカリは無言でタダシの前を去り、遊びに興じるクラスメートの輪に加わった。
    残ったタダシは出入り口のドアを閉め、暫く教え子達の様子を見ていたが、やがて我慢できなくなったように、


    「一言、言ってやる」


    再びドアを開け、彼は先程の戦自隊員に向かって歩いていく。
    およそ二時間後、演習の終わりが告げられて市民達がシェルターから解放されたとき、タダシがヒカリ達
    の前に姿を現すことはなかった。
    彼は、極秘の内に身柄をネルフ保安部に拘束されていたのである。
    表向きは体調不良で早退とされ、ネルフ関係者の一人である教頭と他一名の教師だけが、その事実を
    知らされていた。







    アスカから聞いていた、件の教師。
    彼が今、ミサトの前に行儀良く座っている。
    正確には、小さな机を挟んだ向かい側。
    中肉中背で、顔もそれなり。至って普通の青年。人柄も良さそうだ。

    ここは、保安部が管轄する取調室。部屋には、タダシとミサト。そして警備担当の保安員が二人、保安
    員を示す赤いベレー帽を被ってタダシの後ろに立っている。小銃はさすがに携行していないものの、
    拳銃は、腰のホルスターで撃てる態勢にある。
    本来なら、取り調べを専門とする保安部の人間が、今ミサトの座っている椅子にいなければならない。
    しかし、タダシがパイロットの所属するクラス担任という微妙な立場の人間のため、急遽ミサトが呼ば
    れたのだ。
    ミサトは、管轄外の仕事が面倒で仕方ない。
    保安部は作戦本部の指揮下にある組織だが、ミサトが現場に駆り出されることは、立場上まずない。
    事実、これまでは一度もなかった。
    ネルフ本部に戦闘部隊が侵攻し、ミサト自ら銃をとらねばならないような状況ならまだしも、時代遅れ
    の勘違い教師を相手にしなければならないとは、気が重い。
    が、仕事は仕事。
    ミサトは気を取り直し、静かに口を開いた。


    「第三新東京市の演習に関してはネルフが全権を担い、戦自もネルフの指揮下に入ります。
    よって、戦自からの告発もネルフが受理、処理する責任を負います。よろしいですか?先生」


    「私は、法に触れるようなことをした覚えはありません。
    このような扱いは、不当と考えます」


    タダシは動揺することもなく、ミサトの目を見据えて言い切った。
    ネルフに連行されて尋問を受け、ここまで冷静な人間は珍しい。よほど肝が据わっているか、ネルフの
    ことを知らない無知・・・
    または、自分に罪はないと信じ切っている愚者のどれかだ。
    ミサトが考えるに、タダシは最後のケースに当てはまる人間だと思う。ならば、適当に相手して早く帰す
    に限る。どうせ、話が通じる相手ではない。後の処分は、総務にでも任せればいい。それなりに対処す
    るはずだ。


    「戦略自衛隊第一師団司令の告発に依れば、あなたは第壱中学のシェルターで警備にあたっていた
    第一師団所属の兵二人に対し、わけの分からない執拗な抗議を繰り返して業務を妨害した。しかも駆
    けつけた上官にも同様の行為に及び、それは演習の間を通して続いた。
    間違いありませんね?」


    「私が、戦自の隊員達に戦いの愚を説いたのは確かです。
    それが罪になるというなら、私は甘んじて処分を受けましょう」


    タダシの応えは、大体ミサトが予想した通り。
    形ばかりとはいえ、本人が罪を認めて処分も受けるというのだから、用意しておいた書類にサインさ
    せて帰してしまえば、それで仕事は終わる。
    だがミサトは、タダシの態度に堪えきれない怒りを感じた。
    好き好んで戦争する人間など、頭のネジが何本か飛んだ人間だけだ。戦自の隊員とて、それは同じ。
    戦自は戦争に生き甲斐を感じる人間の集団ではない。
    いくら嫌でも、戦わなければいけない時が、どうしてもある。
    前の使徒戦がそうだった。あの戦いを愚かと言われたら、レイやアスカやシンジは自分以上に怒り、
    タダシを軽蔑するだろう。一番苦しんだのは、彼らなのだから。
    レイは、エヴァプロトタイプである零号機の試験で未完成故の事故から何度も怪我を負い、それを押
    して出撃したことも何度かある。そうしなければならない状況だったのだ。その無理が祟ってか、未だ
    内蔵系疾患に悩まされ、完治は数年先だという。
    アスカは、その卓越した戦闘能力故に最前線へ投入され続けたことで怪我が絶えず、特に左目には、
    失明を疑われたほどの重傷を負った。現在はほとんど快復しているものの、動揺から一時は精神的
    にも荒れている。シンジがいなかったら、どうなっていたか分からない。
    シンジはシンジで、理論的に危険きわまりないとされるシンクロ率一〇〇%超えを何度も記録しており
    最高四〇〇%をも記録。その時は肉体がLCL化し、魂はエヴァと同化してしまった。サルベージできた
    のは奇跡に近いのだ。
    それらを思うと、タダシへの怒りは抑えようがない。


    「あなたの特殊な思想について、ネルフは干渉しません。
    ですが、シェルター内での身勝手な行為は、戦時法及びネルフの定める法規に依って厳しい処分の
    対象になります。
    教師のあなたが知らないとも思えませんが」


    「私は、人間の英知と理性を信じています。
    全ての軍人が銃を置き、武装放棄すれば、この世から戦争はなくなるんです。
    あんな演習だって、やらなくて済む。そのために私は」


    「演習の邪魔をしたってわけね」


    「そうです!
    将来を担う子供達のためにも、私達大人が戦争の廃絶に向けて全力を尽くす必要があるんです!
    子供達に戦争の悲惨さと愚かさを説いて平和教育をし、市民が連帯して政府や軍に圧力をかけ続け、
    子供達が軍に入ろうと希望するときは、何としても阻止して」


    「そこまで」


    放っておくと独演会が延々と続きそうなので、ミサトは呆れつつ、制止した。ここまでくると、怒る気
    すら失せる。
    セカンドインパクト前には耳にたこができるほど聞かされた話だけども、今現在では、空理空論どこ
    ろか冗談にもならない。


    「あなたみたいな人が、まだこの国にいたなんて、驚いたわ」


    セカンドインパクトと、その後の動乱を経験した世代は現実的で、それ以前の観念的平和主義勢力
    は、ほぼ政治的力を無くしていた。それ故に憲法改正はスムースに進み、憲法に国防の義務が明記
    されるようにもなっている。
    嘗ては一大勢力を誇った、とある教職員組合の組織率も、最近は一%を割っているくらい。タダシの
    ような人物を見つけ出すこと自体、今では困難だ。


    「思想については干渉しないと言ったけど、それは撤回します。
    今後、そのくだらない戯言に関する発言一切を、ネルフの法的特権によって禁止するわ。
    ただし、第三新東京市内に限ってね。
    ここ以外では、好きにしなさい」


    「思想統制か!憲法違反だ!
    私は、ネルフの法的特権など認めない!
    こんな横暴、心ある市民達が黙っていないぞ!断固、抗議する!」


    「黙らせて」


    ミサトは、激昂して喚くタダシの背後に立つ保安員二人に指示を出す。
    そして二人のうち一人がタダシを背後から羽交い締めにして体を固定、もう一人が、用意した空気
    圧縮式の注射器を首筋に押しつけ、


    プシュッ


    圧縮空気の抜ける音と共に即効性の特殊な薬剤が体内に注入され、タダシの体はガクンと弛緩した。


    「ここまでお馬鹿さんだと、アスカの言ったこともあながち否定できないわね。
    調べてみようかしら」


    アスカの言うように、文部省の役人が嫌がらせのつもりでこの男を送り込んできたのかもしれない。
    だとしたら、何らかの形でカウンターを繰り出す必要がある。ネルフの立場として、座視することは
    沽券に関わる。
    ミサトはタダシの背後関係を調べてみる気になり、彼の処理を保安員に命ずると、懐から携帯を取り
    だして、諜報部に繋げた。







    「あれ?ここは・・
    俺の部屋か」


    タダシは、二日酔いのような頭痛と怠い体を不思議に思いながら、目覚めた。
    ボーっとした視線で部屋を見渡せば、ここは越して来て幾らも経たない自分の部屋。しかも服は脱ぎ
    散らかし、自分はパンツ一枚でリビングに転がっている。
    タダシには、何故こうなったか分からない。避難警報が鳴った時点からの記憶がないのだ。


    「あ、電話だ」


    と、携帯電話が着信を知らせる。
    タダシは音源を探り、何枚か重なった服の下から携帯を見つけ出してディスプレイの表示で相手を確認・・・
    教頭だ。


    (何だろう・・)
    「はい、土屋です」


    <どうした?二日酔いか?
    昨日は、かなり飲んだからな>


    「は?」


    <なんだ、覚えてないのか?
    昨日、私と佐伯君の三人で飲んだだろう。君は、佐伯君に送ってもらったはずだが>


    「も、申し訳ありません。
    それが、全く記憶になくて」


    タダシは反射的に謝り、携帯を耳に当てながら頭まで下げてしまった。
    酒は強い方ではなく、学生時代も何度か記憶を失ったことがある。今回もそうだと、タダシは納得した。
    教頭の言う佐伯君とは、タダシと同い年の女性教師で隣のクラスの担任、佐伯ミドリに違いない。
    美人というほどではないが、アップにした髪の毛と小さな眼鏡の取り合わせが妙に艶っぽい女性。
    実はタダシも、密かにいいなと思っていたりする。送ってもらったのなら、記憶のないのが無念だ。


    <ははははは!
    まあ、若いうちは、よくやるもんだ。
    私も若い頃は、二日酔いで仕事を休んで先輩に怒られたよ>


    「仕事って・・・
    あっ!!」


    タダシが壁に掛けられたデジタル表示式の時計を見ると、日付が変わり、時間も午前一〇時を過
    ぎている。
    もはや遅刻などというレベルではない。


    <今日は、もういい。ゆっくり休め。校長と他のみんなには、私から巧く言っといたから。
    明日からは、ちゃんと頼むぞ>


    「は、はい!申し訳ありませんでした!」


    タダシは再度、携帯を持ったまま頭を下げ、しまったと思いながら通話を切った。
    そして、未だはっきりしない頭を何とかしようと、部屋を見回して薬箱を探す。この二日酔いは、そうとう
    酷い。すぐにも戻しそうだ。


    「あった、あった。あれだ」


    すると、それはビデオディスクを収納したラックの上にあった。
    薬を取り出すタダシが、ふとラックに目をやると、○×先生というタイトルの付けられたディスクが
    何枚も並んでいる。
    だがタダシは、憧れてやまなかったそのドラマに何も感じない自分に気付く。まったく、何も感じない。
    それどころか、何故あんなドラマに熱中していたのか分からない。


    「今日は、部屋を整理するか。
    まだ、解いてない荷物もあるしな」


    タダシは心の変化を顧みることもなく、とりあえずは風呂にでも入ろうと、風呂の用意をするために
    風呂場へ向かうのだった。

    そして、この日の夜、タダシはスーパーの袋を下げて訪問してきたミドリに目を丸くして驚くことになる。
    更に彼が腰をぬかさんばかりに驚愕したのは、ミドリが用意した食事を二人で食べている最中。昨晩、
    自分とミドリが関係したと言うのだ。まさか記憶にないとは言えず、タダシは話を合わせるだけだった。
    このあと、なし崩し的に二人の関係は既成事実化し、幾つかのドラマ的な展開を経て、タダシとミドリ
    は結婚。タダシは校長まで上り詰め、第三新東京市で平穏に人生を終えたということだ。

    ちなみに・・
    タダシは件の演習後からガラリと変わり、ごく普通の、ちょっと人気のある若い教師として認知され
    るようになったという。







    おまけ


    「洗脳は、どうだった?リツコ」


    「一晩じゃ、付け焼き刃もいいとこね。
    すぐに解ける可能性が大よ」


    気を失ったまま、取調室から医療部のとある一室へ移されたタダシは、そこで特殊な装置と薬による
    洗脳措置を施されている。
    措置には、装置の開発にあたったリツコと精神医学の専門家があたり、数時間の措置の後に彼は
    意識のないまま、身柄を自宅へ運ばれたのだ。
    洗脳用の器機は元々、反抗的なパイロットを効率的に洗脳する目的で開発された物。当然、一度
    も使用されたことはなく、またこれからも使用する予定もなく、解体を待つばかりだった。


    「そこは、保安部に巧くやってもらうわ。
    女で誤魔化す手もあるし」


    「そこまで構う必要があるの?ただの教師じゃない。
    まあ、特殊な思想は、持ち合わせてるけど」


    「諜報部に調べさせてるんだけど、彼の赴任に関して文部省の関与が濃厚みたいなのよ。相当、上
    の人間が噛んでるわね。
    アスカの言った嫌がらせ、本当みたい」


    「たかが教師一人の人事に介入するなんて、国の役人も暇ね。
    洗脳は、その連中に対する示威行為?」


    「そういうこと。
    ネルフに手を出せば、ただの嫌がらせだろうと徹底的に叩く姿勢を見せつけるの。ただ送り返したん
    じゃ、向こうはせせら笑うだけだわ」


    「駒に使われた本人が、一番不幸ね」


    「そうでもないわよ」


    「どういうこと?」


    「洗脳がうまく安定すれば、異邦人から普通の人になるのよ。
    感謝してもらいたいくらいだわ」


    「物は言いようね・・
    でも、外れてもいないか」


    リツコはミサトの言葉に納得し、残り少なくなった煙草を一息吸うと、それを灰皿で揉み消す。その
    行為で、彼女の頭からタダシは消えた。
    そしてミサトも・・


    「そんなことより、リツコ。今夜、久しぶりに飲まない?いい店、見つけたんだけど」


    「たまにはいいか。
    他に、だれ誘う?リョウちゃんは、アメリカに出張中よ」


    「ん〜・・
    日向君は、最近付き合い悪いし。青葉君は、元々付き合い悪いしね・・」


    ミサトの頭からも、タダシはすでに消えている。
    彼女達にとって、それくらい軽い存在だったらしい。




    でらさんから勘違い教師のお話をいただきました。

    なんというか、登場してくる世界を間違ったとしか言えませんね。
    こういうのもクロスオーバーものというのでしょうか(笑

    みなさんもでらさんへの感想メールをお願いします。

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