ひょうたんから駒  アスカ嬢生誕記念

    作者:でらさん














    それは、単なる冗談。或いは、洒落。
    もう一つ付け加えると、職員の士気高揚の手段。
    ただ、それだけに過ぎない・・・
    はずだった。
    ネルフ本部で辣腕を振るう葛城ミサト作戦本部長は、今でもあの判断が間違っていたとは思わない。


    「あのアスカがね・・・
    人って、こうまで変わるものなのかしら」


    ミサトは、ある事情でサイズを直さざるを得なくなった窮屈な礼服を気にしながら椅子に座り、まだ平
    穏な生活を送っていたあの頃を振り返ってみた。

    当時、本部内は、自爆型使徒に対して玉砕覚悟の悲壮な雰囲気で沈んでいた。迎え撃つ作戦は一
    応立てられていて準備も進んでいたものの、知恵袋たるMAGIの推奨案は完全撤退。つまり、作戦の
    成功はMAGIからも疑問視されていたわけだ。
    たとえMAGIの推奨案でも、ネルフに撤退はない。使徒との戦いを放棄しては、ネルフの存在意義そ
    のものがなくなる。ネルフ本部は第三新東京市民全てを避難させはしたが、職員全ては、非番も含め
    て全て招集。最後まで戦うネルフの姿勢を内外に誇示した。
    が、職員の全てが戦闘意欲旺盛で士気の高い人間ではない。むしろ、いかなる理由が在ろうと死に
    たくないと考える職員の方が多いだろう。
    現場で人を見るミサトは、本部内のそんな空気を敏感に感じ取り、作戦の遂行に支障がでかねない
    と判断。ある手段で士気の高揚を試みようとした。
    それは・・・


    『アタシとシンジが婚約〜〜〜!?』


    弐号機パイロット、惣流・アスカ・ラングレーと、初号機パイロット、碇シンジの婚約だった。
    実際はどうでも、士気の高揚が目的なだけに、零号機パイロットである綾波レイとシンジのカップリング
    でも別に良かった。
    だがアスカとシンジは、以前の作戦時から同居しており、周囲に対する説得力と真実味が大きいとの
    ミサトの判断で、彼ら二人に白羽の矢が立てられたのであった。
    とはいっても、当時の二人は、同居こそしているものの、見ている方が照れるような心の触れ合いとか
    甘い雰囲気など微塵もなく、仲の良い喧嘩友達。それ以上の関係ではなかった。事実、二人は猛烈な
    反発を示している。


    『目的は分かるけど、相手が問題よ!
    何で、シンジなのよ!加持さんにして!』


    『僕だって、家事もろくに出来ないうるさいだけの女の子と婚約なんて、絶対に、嘘でも嫌です!』


    『言ったわね!この、バカシンジ!
    女の子に対する気遣いってもんが、アンタにはないの!?』


    『本当のことじゃないか。
    調理実習で目玉焼きすら作れなかったの、誰だよ』


    『あ、あれは、フライパンが悪かったのよ。
    いつも使ってるフライパンなら』


    『アスカ、フライパンなんて使ったことないじゃないか』


    『きぃ〜〜〜!
    むかつくやつね、アンタって!』


    これはこれで痴話喧嘩と言えなくもないのだが、この時の二人の間に恋愛感情がなかったのは事実だ
    ろう。後に、二人自身も言っていた。あの事がなかったら、付き合っていたかどうか分からないと。


    「口の割には、二人ともすぐに意識してたのよね。
    一ヶ月も経ったら、デートまでしちゃってさ」


    いささかうんざりした様子のミサトは、体全体が脱力しそうな盛大な溜息を漏らし、椅子の背に体重をか
    けた。いつもネルフで使っている椅子とは違い丈夫なそれは、ミサトの体重をしっかり受け止め、軋み音
    一つしない。客に対する配慮が行き届いている証拠と言える。流石はネルフに指定される式場だけのこ
    とはある。ここ控え室自体も、中世ヨーロッパを思わせるアンティーク且つ豪華な造りで、式場自慢の施
    設の一つ。昨年、ここで式を挙げたミサトは、少女時代の夢がそのまま現実化したように感じたものだ。
    夫になった男は、あまり興味なさそうだったが。

    作戦は、ミサトの士気高揚策のせいかどうか不明なものの無事に完遂され、使徒は殲滅。ネルフ本部も
    第三新東京市も、大した損害を出さずに済んでいる。
    アスカとシンジの婚約は、事後処理に忙殺されたミサトの意識から完全に消え、特にどうということもなく
    放っておかれた。
    だが盛大に発表されたためか、周囲は簡単に忘れてはくれず、事あるごとにアスカとシンジは冷やかさ
    れていた。そのせいか、当人達は否が応でも意識しまくっていたようだ。
    ただでさえ、微妙な年頃の二人である。それが同居ともなれば尚更で、繁忙となったミサトが家を空ける
    ことが多くなって、二人きりの状況に置かれることが多くなった二人に意識するなという方が無理だろう。
    その微妙な時期に、二人の間でどのようなやり取りがあって感情の触れ合いがあったのか、ミサトは知ら
    ない。保安部の監視体制も、そこまで踏み込んではいない。
    一つ言えることは、何か決定的なことがこの時期にあったということ。
    二人が初デートして関係者を驚かせたのも、アスカが加持と距離を取り始めたのも、二人の喧嘩がほと
    んど見られなくなったのも、全てこの時期が境となっている。普通なら、どちらかが思い切って告白したと
    考えるのが一番簡単且つ合理的。
    しかし、そんな単純な話ではないと、ミサトは今でも思っている。あの頃のシンジが、そこまで吹っ切れる
    はずはないし、アスカからというのは、シンジ以上に考えにくい。いつだかアスカにそのことを聞いたこと
    があるものの、彼女は言いたくないのか、適当に誤魔化されてしまった。シンジも同様で、二人の秘密に
    でもしたいのだろうと思うけども、気になる。甘酸っぱい思い出になるような出来事があったに違いないの
    だ。 でなければ、アスカがあの時期を境として柔和になっていった理由が分からない。


    「藪つついちゃったのかな、私。
    本人達は幸せだから、それでいいんだろうけど」


    二人の本格的な付き合いはなし崩し的に始まり、気が付いたらそうなっていたとしか、ミサトには言えない。
    いつの間にかアスカが炊事を担当するようになり、二人分の弁当も作るようになった。
    そしていつの間にか、朝、アスカがシンジの部屋に入って彼を起こすようになり、シンジがアスカの部屋を
    自由に出入りして、掃除したり洗濯物を整理したりしていた。
    家での二人の会話も所帯じみていて、ミサトは、新婚家庭に居候するような気まずい気分を数年の間、味
    わっている。
    そうだ。なんだかんだと、五年近くも同居は続いていた。
    二人が付き合いを公にしても、使徒戦が終わっても、ミサトを含めた三人の同居は終わらなかった。
    終わったのは、ミサトが結婚して思い出深い家を出た一年ほど前。
    二人が中学生の頃は、まだ良かった。付き合っているとはいえ、そう大っぴらにいちゃつくわけではなかった
    し、外見も子供の域を出なかった。ミサトから見れば、小さな恋人達という言葉の似合う、ママゴトの延長線
    上でしかなかったのだ。
    が、しかし、彼らの高校進学以降から事態は変わっていった。
    全力疾走で大人への階段を駆け上がっていた二人の成長は、一気に二人を変貌させ、アスカは女に。シン
    ジは男へと変わった。当然、付き合い方も体の成長に合わせて進み、ミサトが目のやり場に困ることもしばし
    ばとなった。
    更に、別の問題も発生していた。
    ミサトが、シンジを男として意識するようになってしまったこと。
    アスカと毎夜のように同衾するシンジ。そのシンジに翻弄されるごとく彼との関係にのめり込んでいたアスカ
    から聞く、身震いするようなシンジの性的テクニックと底知れぬ精力。そして、風呂上がりなどでチラと見る、
    贅肉のない引き締まった筋肉質の体。それらがミサトの女を激しく揺さぶり、シンジを性的対象として意識さ
    せていったのだった。
    もし何の抑えもなかったなら、ミサトは欲望の赴くままにシンジを誘い、彼が手を出してこなくても強引に関係
    を結んでいただろう。幸いだったのは、アスカの異常なまでの嫉妬深さと、ミサトの気持ちが性的興味に限定
    されていたところ。
    アスカは、シンジが他の女性と普通の会話をした程度でも露骨に不快感を現す。以前、アスカの目を盗んで
    シンジに迫ったネルフの女性職員が、現場をアスカに見られて本気で殴られ、肋骨を二本折って入院した話
    は有名。シンジと関係を持ったと彼女が知れば、真面目な話、命はないと思う。穏やかになったとはいえ、シ
    ンジに関する限り、それは例外となるのだ。ミサトは、そこまでの危険を冒してでもシンジと関係したいとは思
    わなかった。
    そして重要な点が一つ。体がいくらシンジに惹かれても、ミサトの心は、加持リョウジにだけ向けられていた。
    それが、性的欲望を上回っていた。そこは自分を褒めていいと、ミサトは思うのだ。結果としてミサトは彼と結
    婚し、子を身籠もった。かつての同居人達より先に。周囲は、アスカの方が早く子供を産むのではないかと噂
    していただけに、ホッとした。自分でも、そうなるのではないかと思っていたことだし。


    「アスカは、中学の時から、イレギュラーで出来ちゃっても産むって言ってたもんね。
    その昔は、子供なんかいらないって言ってたのに・・・
    変われば変わるもんよ」


    「よう、ミサト。そろそろ出番だぜ」


    ミサトがアスカの変わり様を再確認したちょうどその時、ドアを開けて入ってきたのは、礼服を着た夫の加持
    リョウジ。彼のトレードマークだった無精髭と適当に縛った長い髪の毛も、すでに過去。今は髭もきちんと剃り、
    髪の毛も普通に整えた普通の人。ミサトとの安定した生活が、彼に生きるゆとりを与えたようだ。


    「もう、そんな時間か。
    考え事してると、時間経つの早いわね」


    「また仕事か?
    暫く忘れろって言ったろ。今日は、特別な日なんだぜ」


    今日は、一二月四日。アスカ二〇歳の誕生日にして、この先、結婚記念日となる日。
    アスカとシンジは今日、長かった付き合いにピリオドを打ち、新たな人生を二人で歩み出す。
    アスカは、もっと早く結婚したかったようなのだが、実父であるクラウスの合意を得られず、断念していた。
    数年も前から実質的な夫婦だったとはいえ、入籍と結婚式は、人生の節目となる大事な儀式。ミサトは、関係
    者筆頭として二人の馴れ初めなどを挨拶で披露することになっている。そのため、式本番を早々に辞し、控え
    室で話の構想を練っていたのだ。前々から考えてはいたのだが、どうも巧く纏められなかったから。


    「違うわよ。
    アスカとシンジ君の馴れ初めを、どう説明しようか考えてたら、昔のこと思い出しちゃったの」


    「馴れ初めか・・・
    祝い事らしく、適当に創ったらどうだ。結婚式なんて、そんなもんだ。俺たちの時も、副司令が、ありもしない話
    をでっち上げたじゃないか」


    「客のほとんどは関係者なんだから、白々しいのは無理よ。
    私達の場合、関係者といっても昔からの知り合いは少なかったし」


    「じゃあ、そのままでいいじゃないか。
    作戦上の都合で婚約させたに過ぎないんだが、それが二人を結びつけたのは間違いないんだ。
    ひょうたんから駒って諺もある。色々脚色すれば、いい話になるさ」


    「それもそうね。
    ならさ、婚約してその気になっちゃった二人が、自分達も気付かないまま付き合ってたなんて話、どうかしら」


    「いいな、それ。絶対、受けるよ。
    よし、それでいこう。俺もフォローするよ」


    「そうと決まったら、行きますか」


    ミサトは、加持に手を引かれて椅子から立ち上がり、二人分になった重い体をいたわりながら部屋を出ていった。

    本番の挨拶でミサトが披露した馴れ初めの話は、加持が横から面白おかしく脚色したこともあって、招待客に
    大うけ。披露宴一番の盛り上がりとなった。
    が、ひな壇の二人は、どこかぎこちなく、二人揃って頬をピクピクと痙攣させていたという。


    「な、何で、ミサトが真相知ってんのよ。
    シンジ。アンタ、喋ったでしょ」


    「喋るわけないだろ、あんな恥ずかしい話。
    周りから乗せられたまま、いつの間にか付き合ってたなんて、言えるわけないじゃないか」


    ミサトの思いついた話は偶然にも真実を突いていて、アスカとシンジは、婚約を周りから囃し立てられている内、
    二人して、それを現実として思いこむようになっていた。気が付いた頃には、互いに離れられないと思うまでに
    関係は深まっており、もはやきっかけとか経過など、どうでもよくなっていたのだ。
    そのため、ミサトに付き合うきっかけとか何だとか聞かれても、応えようがない。適当に誤魔化すしかなかった
    のである。
    アスカも、今から考えると当時の自分達は一種の洗脳状態に置かれていたとも思うが、ここまで来ては引き返
    せないし、そのつもりもない。今自分の横にいる男を他の女にくれてやる気など、微塵もない。それほどに、シン
    ジを好きになってしまった。


    「きっかけは、どうあれ、アンタはアタシの物よ。
    いいわね?」


    「まあ、反論はしないけど・・
    物って言い方は、ないんじゃないか?今日から夫だよ、僕」


    「アンタは、アタシの所有物なの。
    一生・・
    違うわね。未来永劫、永遠によ」


    「永遠かよ。
    参ったな、もう」


    困った顔も見せながらも、シンジのその顔に悲壮感はない。

    アスカは知っている。
    彼が、どれほどに自分を愛してくれているか。
    どれほどに、自分が彼を愛しているか。
    だから、こんな我が侭も言える。彼は、それを許してくれる。
    きっかけなど、どうでもいい。
    結果オーライ。
    ひょうたんから駒。
    これもまた人生だと、アスカは心の底から思うのだった。







    でらさんからアスカ嬢誕生日をいただきました。

    経緯はともあれ、幸せなことは良いことです。

    アスカは幸せな贈り物をいただきましたね。

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