舞踏会 その壱拾弐

    作者:でらさん















    余程のことがない限り、積極的には動かない男。
    ゼーレ最高評議委員にまで上り詰めたのも運に恵まれた過ぎず、突然に開かれた最高権力者への道も、
    彼はさして興味がないように見えた。
    実力は、認めている。
    何の取り柄もバックボーンもない凡庸な人間が、ゼーレという組織でのし上がれるはずはない。彼、ラング
    ストン・ウィリアムズ三世へのフラビアの評価は、総じて高い。洞察力と先を見る目に限って言えば、自分
    より上だとも思っている。ただ、ウィリアムは行動力に欠ける。そこが弱点。彼に自分程度の行動力が備わ
    っていたら、キールの後継者は、とっくに彼で決まっていたはずだ。


    「厄介な男が動き出したものだ。
    リュシアンならば、どうにかなるものを」


    フラビアは、眼下に広がるエメラルドブルーの海に視線を泳がせつつ、呟いた。
    ここは、地中海を望む別荘。フラビアが数多く持つ別荘の中でも、特別な意味を持つ館。

    情報部門を押さえるリュシアンは裏工作を得意とし、知謀においては随一。フラビアも、暗闘のみで彼と張
    り合うつもりはない。
    が、あの男は自分の能力を過信するところがある。基本的に慎重なものの、時として策に溺れることもある
    のだ。今でも、何らかの手を打っているのは間違いない。自分には思いもつかない意外な手段を使っている
    のかもしれない。
    それがどんな手であろうと、いずれは表面化する。その時を待って対策を講じればいい。工作の対象は、ネ
    ルフでしかない。あそこは、フラビアが勢力下に置く日本帝国内務省監視の下にある。いつでもカウンターを
    繰り出せる。
    ・・・と、思っていたのだが、ウィリアムの予想外の動きがフラビアの戦術を混乱させていた。
    ウィリアムが、自分の牙城であった内務省との関係構築を模索している。現所長、冬月の腹心、碇ゲンドウ
    と内務省が密かに接触しているとの報告は、フラビアに、そのような疑惑を生じさせるに充分な説得力を持
    っていた。


    「この私と、正面からやり合うつもりか。ウィリアム」


    ウィリアムは、リュシアンとそりが良くない。相性が悪いと言ってもいいだろう。その関係から、フラビアはウィ
    リアムを自陣に引き込めるかもしれないとの希望を持っていた。先日の会議での諍いなど、些細なこと。
    ゼーレ首領の座を思えば、大した問題ではない。ウィリアムの望む条件が分かれば、フラビアは、それを丸
    飲みしてでも彼を引き込む腹づもりだった。それが・・・


    「まだだ。まだ、そうと決まったわけではない。
    リュシアンの仕掛けかもしれんしな」


    自分のアピールに反応を示さない塔。クリフォードの死。予測から外れるウィリアムの動き。
    それらが、フラビアから平静さを奪いつつあった。







    昨晩、カヲルからレイとの関係が終わったと聞いたとき、リツコの心は、少女のようにときめいていた。
    それは、自分の歳から考えれば恥ずかしい部類に入る感情と、リツコは分かっている。分かってはいるが、
    ときめいた心を止められはしない。自然と顔に出てしまうのも、抑えられない。


    「何か、いいことでもあったんですか?先輩」


    意味もなく笑みを浮かべるリツコを訝しく思ったマヤが、僅かに空いた時間を狙って、リツコに話しかけた。
    機嫌の良い上司は大歓迎だが、それも程度問題。端末の画面に向かって時折微笑むリツコの姿は、忙し
    さの余り精神の平衡を失った人間と大差ない。いや、マヤは、リツコが本当に心を病んだのではないかと
    心配したのだ。リツコと付き合いの長いマヤは、リツコのタフさを知ってはいるが、ここのところの忙しさは
    尋常ではない。流石のリツコにも、疲れが見て取れる。疲れのせいか、肌の状態も良くないようだ。肌荒れ
    や目の下のくまを化粧でカバーしているのが、マヤにはよく分かる。徹夜明けとか夜勤明けより、帰宅した
    次の日の方が酷い気がする。気が抜けた反動だろうかとも思う。


    「べ、別に、何もないわよ。
    いきなり、どうしたの?」


    リツコは、マヤがカヲルとの関係を嗅ぎつけたのかと一瞬思い、心臓を高鳴らせた。
    普通の恋人ができたなら何の問題もないが、カヲルは、まだ中学生。問題どころの話ではない。母には知
    られてしまったから仕方ないが、可能な限り隠さなければならない。


    「だって先輩、お疲れみたいだから」


    「心配してくれるのは嬉しいけど、私は大丈夫よ。
    それより、マヤの方はどうなの?仕事は、進んでる?」


    「え、ええ、ノルマはなんとか」


    「ノルマ以上をやるのが、プロってものよ」


    「努力は、してますけど」


    困ったような顔で自分を見るマヤには、少女のような可愛らしさがある。高校の制服を着れば、真面目な
    話、高校生で通じるだろう。大学時代に初めて会った時から変わらないその姿に、リツコは嫉妬のような
    感情を抱いたこともある。
    頻繁な男性職員からの誘いにもかかわらず誰とも付き合わず、未だ処女との噂もある彼女を汚してしま
    いたいとの黒い欲望が、一時期リツコの心に広がっていた。それは仕事が巧くいっていなかった時期と重
    なっており、仕事上のストレス故の、心の迷いだったと思う。あの時、何かきっかけでもあったら、リツコは
    マヤを犯していたかもしれない。
    その場合、彼女はどうしただろうか・・
    また、自分が明け方まで少年に組み敷かれ、悦楽に耽っていたと彼女が知ったとき、彼女はどういった反
    応を示すだろうか。不潔とでも言うのだろうか。マヤとて、それなりの知識と成熟した体を持った大人の女。
    性欲だって、当然あるに違いない。
    リツコは、マヤの隠された面を知らない。知っているのは、表の顔だけ。
    思えば、誰も彼もそうだ。上司や部下。ミサトに代表される友人達。そして、あらゆる面で目標とする母。例
    外なく、自分の知らない顔を持っているだろう。それは、カヲルも・・・


    (なに考えてるのかしら、私)
    「ふふ、安心しなさい。プレッシャーかけるつもりはないわ。
    もう一息なんだから、頑張りましょ。私も、気合い入れ直すわ」


    「はい!先輩!」


    純真無垢を絵に描いたようなマヤの笑顔が、リツコには眩しかった。







    変な夢。
    そうだ。あれは、単なる夢だったはず。
    シンジは、その確信が揺らいでいる。

    最初は、自分が巨大ロボットに乗って戦う単純なヒーロー物のような感じだった。戦う相手は、化け物とし
    か形容しようのない姿形で、まさに悪役。それが自衛隊の攻撃機や戦車などを蹴散らす様は、子供の頃
    によく観た怪獣物映画そのものだった。
    その化け物を、自分がロボットで殲滅する。これもまた、前世紀流行ったというアニメそのもの。あんなこと
    が現実にあるはずがない。
    仮に、あんな化け物が現実にいたとして、それに対する兵器として巨大ロボットが存在したとしても、パイ
    ロットが自分のような少年なんて、馬鹿馬鹿しい。普通に考えれば、自衛隊などで訓練を受けた正規のパ
    イロットが搭乗するだろう。いかに生々しい夢であったとしても、現実の前では妄想に過ぎない。
    と、つい最近まで、シンジは考えていた。
    それが、どうも怪しくなってきた。


    (僕も、アスカと同じ夢を見てる)


    アスカが見たという、変な夢。
    シュールな景色で囲まれた非現実的な夢。
    それを、自分も見た。
    化け物と戦う夢は、決められたシナリオがあるように日毎に進んでいき、アスカとの出会いやラブコメのよ
    うなストーリーまであった。それが中途から重苦しい展開になって、最後の方になるとアスカと口も聞かな
    くなり、挙げ句の果て、彼女は心を閉ざして入院してしまった。
    そして迎える、地獄のような結末。そこでの自分は、いくら夢であっても許せる範囲を超えていた。
    無気力のままにアスカを見捨て、仲間の全てを見捨てた。あれが現実であったなら、シンジは自分を許せ
    ないと思う。
    現実世界の全てが終わり、レイに導かれるようにして人々の魂を掬い上げ、一つにまとめ上げていく自分。
    その時点で自分は神の一部であり、魂の補完から取り残された部外者だった。
    補完の作業が一通り終わったとき、シンジは、レイから選択を迫られる
    魂の海に溶け込んで永遠のまどろみに耽溺するか、もしくは、現実世界に復帰するか。
    シンジが選んだのは、後者。
    そして、アスカも魂の補完を拒否して生身の生を選択した。
    だが現実を選んだ二人を待っていたのは、更なる拒絶だった。シンジはアスカを恐怖し、アスカは、そんな
    シンジをはねつけた。


    『気持ち悪い』


    彼女から聞いた台詞は、ほぼ同じ。詳しく覚えていないという彼女からの情報は限られていて、断定するの
    は早計なような気もするが、シンジは、間違いないと思う。自分とアスカは、同じ夢を見ている。
    奇妙な現象ではあるけども、実際にあるのだから、それはそれで仕方ない。シンジも、深く考えるつもりはな
    い。考えたところで、自分に現象の原因が分かるわけでも解析出来るわけでもない。問題は、夢の中身だ。


    (僕とアスカが、あそこまで憎みあうなんて・・)


    今のアスカとの関係を考えれば、彼女に憎悪されるなど絶対にあり得ないし、自分が彼女に恐怖を抱くこと
    も、またあり得ない。
    しかし・・・


    (小説とかじゃ、生まれ変わりなんて、よくある設定だけど)


    生まれ変わりが本当にあって前世というものが存在したとしても、あの夢が前世などと、シンジは思いたくな
    い。あれには、救いも何もない。全てが破滅に向かって仕組まれていたとしか思えない。


    「そうだよな。夢ってのは、ハッピーエンドが基本だもんな」


    「なに言ってんの?アンタ」


    「え?」


    アスカに言われ、惚けた顔を至近距離に座る彼女へ向けたシンジは、自分をジッと見詰める彼女の蒼い瞳
    に暫し見入った。
    二人の間に恋人達が醸し出す微妙な空気が生まれ、それが部屋の中に満ちていく。
    が、ここはアスカの部屋でもシンジの部屋でもない。レイの部屋であったことが問題だった。
    自分の部屋でいや〜んな雰囲気になられても、レイには迷惑なだけだ。


    「ちょっと、二人とも!」


    レイの声で我に返った二人は、顔をあらぬ方へ向けたり髪の毛を気にしてみたり、せわしない動き。
    白々しいその動きが、余計にレイを苛つかせる。
    今日は、カヲルにふられたレイを心配したアスカとシンジが、レイを励まそうとデートを中断してまで訪ねて
    きた。ただ、デートの途中というのが災いしたのか、二人は時たま自分達の世界へ跳んでしまう。独り身にな
    った自分への当てつけなのかと、レイが疑うほどだ。


    「励ましに来てくれたのはありがたいけど、見せつけるのは、やめて。
    いちゃつきたいなら、早く帰ればいいじゃない」


    「い、今のは、シンジが悪いのよ。
    惚けたこと言うから」


    「ちょっと、考え事してたんだよ」


    「はいはい。夫婦喧嘩も、帰ってからね。
    わたしは大丈夫だから、帰ってHでもすれば?」


    レイは、テーブルに肩肘ついて対面の二人を冷ややかに見ると、自分で用意したレモンスカッシュを一口含
    んだ。
    色気も何もない部屋着で、髪の毛もろくに梳かしていない。普段から身なりには気を遣っていたレイにしては
    珍しく、ラフな格好。彼女に好意を寄せる少年達には見せられない姿。カヲルとの別れは、確実に彼女へショ
    ックを与えているようだ。
    口では強気を通していても、レイをよく知るアスカとシンジには分かる。


    「そう、邪険にしないの。
    今日は、アンタにいい話を持ってきたのよ」


    「誰か紹介するつもり?
    まだ、そんなの考えられないわよ」


    「そこまで無神経じゃないわよ。
    アンタ、ネルフに行きたがってたでしょ?」


    「見学できるの!?」


    レイは、不機嫌を吹き飛ばすような笑顔でアスカの言葉に反応し、身を乗り出す。


    「見学ってほど、入れるわけじゃないわ。今は前と違って警備が厳重になったらしいから、ジオフロント限定の
    上に施設内は立ち入り禁止。それもリニアの中からって条件だけど、どう?」


    「行く、行く!」


    前からネルフに高い関心を持っていたレイである。断るはずがなかった。
    まるで映画にでも出てきそうな地下施設ジオフロントは、第三新東京市、いや、大部分の子供達が一度は行
    ってみたい場所として名が知られている。
    技術の粋を凝らして建設されたそこには、地上から光ファイバーケーブルで引き込まれた陽光が地上と何ら
    変わりない景色を作り出し、昼夜、天候、季節まで再現していると謂われる。
    そして地上施設と一体化した巨大な研究棟が一本の槍のように中心を貫き、近未来都市もかくやと思われる
    光景を創りだしているのだ。
    大深度開発の実験台として創られたそこには、いずれ一般市民を受け入れて地下都市を建設する予定でも
    あるという。
    ただ現在は、大深度ゆえの問題点を一つ一つクリアしなければならない段階なので、一般人の立ち入りなど
    は厳しく制限され、関係者でも見学は難しいとされる。
    しかし、どこの世界でも抜け道というか例外みたいなものはあって、密かに関係者やVIPなどの見学者はいた
    りする。ネルフ施設内となると、また話は別になるが。アスカとシンジは、例外中の例外ということになるだろう。

    アスカは、カヲルとの関係を終わらせたレイが気丈に振る舞うのを見て、痛々しい思いを抱いていた。
    別れを勧めたのは自分だし、その方がいいと思った。今でも、それは変わらない。カヲルには、どうも危険な匂
    いがする。リツコとの関係を別にしても、レイと付き合うのはどうかと思うのだ。
    そう思う理由は、自分でも分からない。だが何故か、カヲルにはレイを任せられないと思う。
    過去には色々あったものの、今のレイは親友。カヲルとのことを過去へ早く追いやるために、何かしてあげた
    かった。そのためアスカは、母のキョウコと、シンジの母、ユイへ懇願してまで今回の見学を設定した。自分
    達も含めたのは、ついでというか便乗みたいなものだが。


    「じゃあ、来週の日曜日に予定入れておいて。
    朝六時に、アタシ達が迎えに来るわ」


    「朝の六時?随分、早いのね」


    「事情は分からないけど、それが条件なの。
    文句いわない」


    「は〜い、了解であります」


    間延びしたレイの声と、棘のない表情。
    夢の彼女とまるで逆なその姿に、アスカとシンジは、無意識に安心するのだった。









    でらさんから連載第壱拾弐話を頂きました。

    でらさんは今回は次回以降にあわせて伏線をはっておられるようです。

    ゼーレ内部で起こっていること、リツコのと周囲の関係、アスカとシンジの夢の話。

    同時進行で何か起きているようですね。もっとあとで伏線を回収される話まできたらもう一度再確認しましょう。

    鋭意執筆中のでらさんに感想メールをお願いします。

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