舞踏会 その壱拾壱

    作者:でらさん













    『また、会おうね』


    あの言葉だ。
    シンジは近頃、突然、頭に閃くように現れては消える声に悩まされていた。
    それはアスカの声のようだが、少し違う気もする。似ているというには似すぎているし、違うとは
    絶対に言えない。可能なら、ディスクにでも記録して比較検証したいくらいだ。
    声は、変な夢をみるようになって暫くしてから頭の中に響くようになっている。最初は空耳かと
    思い、次に幻聴を疑った。その先は、あまり考えたくない。自分が心の病に侵されたなどとは、
    とても考えられない。あまり酷くなるようなら、母か父に相談するしかないが、今のところ、それ
    ほど酷くはないし。一日に数度、聞こえるだけだ。
    こんなことは、アスカにも相談できない。彼女は意外にも心配性で、自分の不調を我が身のこ
    とのように心配するだろう。彼女は、明るく笑ってこその惣流アスカなのだ。できるなら、不安に
    沈んだ彼女の顔は見たくない。
    ・・・と、思っていたシンジなのだが。


    「その台詞、夢の中のアタシが喋ってたわ。
    とんでもなく嫌な夢だったけど、それは覚えてるのよね」


    アスカは最近、シンジのちょっとした変化に気付いていた。様子から察するに、体の不調らしい
    とも推測している。ここのところは、ユイかキョウコ、どちらかが必ず家にいるためにお泊まりは
    ないものの、長年シンジを見ているアスカには、分かる。そして彼が、自分を気遣って不調を口
    に出さないことも。
    そこでアスカは、通学途中で歩きながら、たわいのない世間話から徐々にシンジを誘導、不調
    の原因を遂に彼から聞き出したのだ。シンジの全てを把握し、且つ優秀な頭脳を持つアスカに
    しか出来ない芸当だろう。
    で、聞き出した原因を聞いたアスカは、それが自分の夢の記憶とかなり重なると知って驚き、そ
    して歓喜した。やはり、自分とシンジは見えない部分で繋がっていると実感したのだ。


    「その夢って、おかしな景色の夢だろ?」


    「ええ、そうよ。
    現実にあり得ない景色なのに、妙に現実感があるっていうかさ」


    「その夢で、僕は他に何か言ってた?」


    「全部は覚えてないけど・・
    夢の話よ?気にするだけ損よ」


    「でも、気になるよ。
    アスカだって、逆の立場だったら知りたくなるだろ?」


    「ま、まあね」


    「じゃあさ、知ってる範囲でいいから教えてよ」


    「えーっとね・・」


    アスカは、覚えていることから都合の悪いことを省いてシンジに話した。
    いくら夢とはいえ、シンジが自分の首を絞めようとしたとか、自分がシンジに殺意を抱くほどの
    憎悪を向けていたなど、とても話せるものではない。それに、あの感情は妙に生々しかった。そ
    れ故に不快。
    なぜ、自分がシンジを恨まなければならないのか。
    こんなに好きなのに。
    こんなにも、愛しいのに。


    「生まれ変わったら巧くやろうとか、そんなことも言ってたわ。
    輪廻転生なんて、アタシは信じないけど」


    「はは、やっぱり夢だね。あり得ないよ」


    大好きな笑顔を自分に向けるシンジにアスカは、この場で飛びつきたい衝動に駆られる。
    そしてそれは本能の赴くままに実行され、またしても周囲の失笑と顰蹙をかったのだった。
    しかし、幸せの内にいるアスカは知らなかった。
    シンジが一瞬・・
    ほんの一瞬だけ、顔を強ばらせたことを。







    約束の金は貰っている。
    それは、普通のサラリーマンが生涯に稼ぐ給料にも匹敵する額で、普通に働いていたのでは、
    絶対手にすることは出来ない金。しかも出所が出所なので、税金の心配もない。加持の頬も、
    自然と緩むというもの。あとは時期を見計らって職を辞し、前からの夢だったこぢんまりとした
    居酒屋でも開いて気楽に暮らしたい。あの金があれば、夢も楽に叶う。内務省の仕事を嫌って
    いたミサトとも気兼ねなく結婚できるし、加持の全ては、人生始まって以来の幸福に満たされて
    いた。
    それらを考えれば、仕事など真面目にやっていられない。上司に呼び出されて説教されたとて、
    何ほどのものか。
    椅子にふんぞり返ってこちらを見る上司は、いつになく嫌味な男に見える。その上司が、加持の
    心の内を見透かしたように言った。


    「そんな君の気持ちは分かるんだが、私としては、君に仕事をしてもらわんと困るんだよ」


    「課長も、バイト料は貰ったはずですが。
    そりの合わない局長に頭下げ続けるくらいなら、思い切って転職なされたらいかがです?
    帝国内務省課長なら、いい天下り先もあるでしょうに」


    いつもの通りに嫌味な上司の小言も、加持には馬耳東風。首にするならしろとでも言うように言
    葉を返した。
    それに、事実は事実。上司が手にした金額は分からないが、それなりの手数料は入ったはず。
    天下り企業にも困らない。法の規制やら省庁によるランク付けもあるので一概には言えないが、
    内務省の課長なら、中堅企業の取締役くらいはなんとかなるだろう。一〇年ほどかけて数社渡
    り歩けば、残りの一生を優雅に暮らして釣りがくるくらいの収入は得られる。


    「こう見えても私は、陛下と帝国への忠義を尽くしたいと考える人間でね。
    天下りなど、考えておらんよ」


    「それは、自分も同じですよ」


    加持は、上司の言葉を鵜呑みにはしない。国家官僚の多くが口にする建前だ。この男が、そん
    な高尚な志を持つ筈はない。自分と同じに。
    半世紀以上前ならともかく、現代において、それは悪徳と見なされていない。経済の成功による
    豊かさの享受と急速な民主化の進展は、国民の意識を根本から変えていた。国家への忠誠より
    個人の幸せを優先するのが、今風なのだ。官僚とて例外ではないし、長年に渡り皇軍としての誇
    りを誇示していた軍でさえ、そのような傾向にある。陸海空三軍で事故が続いている昨今、士気
    の低下が問題になっているほどだ。
    ともかく加持は、今日の本題に入ることにした。ただ説教するために呼ばれたわけでもあるまい。


    「で、何か問題でも?」


    「例の、ゼーレの最高機密な。
    見つかったよ」


    「ご冗談を。
    世界中の情報機関やら秘密結社が血眼になって探してたアレが、そう簡単に見つかるはずない
    じゃないですか。
    また、ガセ掴まされたんじゃないですか?」


    キール・ローレンツが遺した、ゼーレの最高機密。
    それが公開された場合、世界を根本から揺るがすと言われ、手にした物は、世界政治をリードで
    きるとも言われる代物。持ちだした人間自身は自殺してしまい、情報そのものは行方不明だった。
    どうやら持ちだした人間は、当初、持ち出した物がそれほど重要な物とは知らず、見た目は宝石
    箱のそれを質屋にでも叩き売って小遣いにするつもりだったらしい。それが、周囲の騒ぎから、自
    分の手に負えない貴重品と知った男は、捕まった後の拷問を恐れて衝動的に自殺。気の弱い男
    だった。
    その後、男の家やら関係者先がゼーレにより徹底的に調べられたがそれらしい物は発見できず、
    調査は現在も続いている。ゼーレの異変を察知した世界中の国々や組織も関心を寄せ、心理学
    者や推理作家まで動員して探索しているという噂もある。そこまでして見つからない物が、決して
    有能とは言えない目の前の上司が手に入れたなど、信じられるはずがない。


    「ガセか本物か、正直言って分からん。
    だが、内容の分析は、すでに終わってる。上への報告はまだだが、私は分析結果を読んだよ。
    まあ、オカルトの部類に入る与太話なんで、報告を躊躇ってるのが実情なんだがな」


    「それと、私が何か?
    まさか、私に報告しろとでも?」


    上司は、情報の真偽によほど自信がないらしい。自分に報告させ、ガセだった場合のリスクを負わ
    せようという魂胆だと加持は思う。勿論、本物であったなら、手柄は上司のものだ。以前にも、似た
    ようなことは何回かあった。一度は、土下座すらして加持に懇願したものだ。泥を被ってくれと。そ
    れもあって加持は、この職に見切りをつける腹づもりを持っている。金だけの問題ではないのだ。


    「責任の押しつけは、せんよ。
    君は、ネルフの高官とパイプを築いたそうじゃないか」


    「副所長の、碇ゲンドウ氏ですか?」


    加持は予想外の展開にホッとするも、上司の意図が読めない。この上司と付き合いは長いが、こん
    なことは初めて。


    「そうだ。すぐにでも、その男と会ってほしい。
    用件は・・
    そうだな。この前の礼と、クリフォード卿急死の事情聴取といったところか。外事の仕事として、不
    自然ではないからな。外国要人の急死事件は」


    「何の意味があるんです?」


    「正直に言おう。君のパイプを強化、発展させてほしいんだ。知っての通り、現在の所長、冬月氏は、
    ゼーレのウィリアム卿と繋がってる。その冬月所長は、数年以内に勇退するだろう。次は、碇ゲンドウ
    が最有力候補だ。冬月氏を師と仰ぐあの男が後を継ぐとなれば、ウィリアム卿とのパイプも引き継ぐ
    と見て良い。
    と、なればだ。碇ゲンドウと昵懇になっておけば、我々は、ゼーレ幹部二人とパイプを持つことになる。
    何かと口を出してくるアメリカへの睨みも、効くというものだよ」


    上司の饒舌な口の動きと整然とした理屈に加持は、彼への見方を変えた。少なくとも、今まで彼が自
    分に見せていた姿の大部分は創られたものだと分かった。おそらく、土下座とかも特定の人格像を創
    るための演技だと思う。嫌味で、陰湿で、部下の手柄を横取りしてまで出世を目論む低劣な人間。そ
    んな役を演じていたのだ。この男は。
    だが加持は、その動揺をおくびにも出さずに言った。


    「副所長が継ぐ前にウィリアム卿が失脚でもしたら、パイプも何もありませんよ」


    「君も知らないわけではあるまい?副所長夫人、碇ユイ博士の実家のことを」


    「ええ、まあ」


    碇ユイの実家、碇家は、表向き資産家の顔を持ちながら裏社会へも影響力を持つ旧家。その力は巨
    大で、この国の大部分にも及び、政財界は、事実上碇家の支配下にあると言っても過言ではないだろ
    う。 ゼーレといつ結びついたのかは誰も知らないが、現在、碇家がゼーレの有力スポンサーの一つで
    あり有力メンバーでもある事実は、情報関係者なら誰もが知っている。
    ユイは、総本家、つまり碇家全てを束ねる宗家の一人娘。本来なら碇家を継ぐべき立場なのだが、研
    究に専念したいとの意思から、現在は碇家と距離を置いた生活をしている。生活も、ごく普通。彼女の
    息子は、母方の実家のことなど何も知らないはずだ。


    「非公式な話だが、クリフォード卿の後釜に碇家から人を出そうとの動きもあるらしい。すぐには無理だ
    ろうが、今の事態が落ち着けば、それは現実になると思っていい。いずれにしろ、碇ゲンドウと親しい
    付き合いをしておけば損はないのさ」


    「一筋縄ではいきませんよ、あの男は」


    「分かっている。
    ただし、付き合い方には気を付けてくれ」


    「どういうことです?」


    「女をあてがうのは、厳禁てことだ。細君に知られたら、こっちがとばっちりを受けかねん。碇家に睨ま
    れたら、終わりだよ」


    「・・・肝に銘じておきます」


    ゲンドウに渡したプロフィール兼紹介状を、彼がまだ未使用なことを、加持は祈る。
    あれには、女の携帯電話の番号とメールアドレスが書いてあって、女達にも下話は済んでいた。ゲンド
    ウから連絡があれば、すぐにでも関係は始まるはず。ゲンドウに対する軽いサービスのつもりだったの
    だが、これは拙い。早急に女達と連絡を取る必要がある。ユイのことは知っていたつもりだが、そこまで
    とは思わなかった。
    加持は、上司へ一礼し、部屋を辞した。







    昼休み、ちょっと話があると、レイはカヲルに人気のない校舎裏に連れてこられた。
    いつになく固い表情のカヲル。そんな彼をあまり見たことのないレイは、考えたくない結末が目の前に
    迫っているのではないかと身構えた。
    最近、カヲルの態度に冷たさを感じるのは錯覚ではない。夜、電話をしても以前のように話は盛り上が
    らず、互いに沈黙してしまい、堪らず切ることが多い。大体、彼は電話自体にあまり出ない。
    メールも状況は同じ。返事がこないということはないものの、内容はほとんどない。
    それらを考えると、アスカの言ったように、カヲルはリツコへの想いを募らせている。或いは、すでに彼女
    と何かあったのではないかと思う。
    もし後者だとしたら、結末は見えている。じたばたしても、仕方ない。今の自分に、大人の女に対抗でき
    るだけの艶はない。容姿には一端の自信はあるものの、男を惑わせる技術とかその気にさせるような色
    気が、自分にはない。経験が圧倒的に足りないのだ。リツコに比べれば、ただの子供。カヲルの嗜好は、
    同年代よりアダルト方面に向いているらしいし。


    「話の内容は何となく分かるから、ちゃっちゃと済ませて。
    時間も、あんまりないからさ」


    なかなか話を切り出そうとしないカヲルに助け船を出すように、レイから話しかけた。
    カヲルは、そんなレイに苦悶とも取れる顔で言った。


    「済まない、レイ」


    その一言で、レイには全てが分かった。
    僅かに吹く心地よい風と、ざわめく木々の葉。風が運んでくる埃っぽいグラウンドの匂い。それら細々とし
    た物が、レイの五感を通り過ぎていく。
    現実を受け止めたレイの神経が、突如として過敏になったようだ。まるで、時間さえも手に内にあるよう
    な不思議な感覚。
    こんな感覚は、前にも経験があったような気がする。
    ずっと、ずっと、ずっと・・
    思い出せないほど、遠い昔に。
    その時も、何か大切な物を失ったはず。今と同じように。
    それが何か、忘れてしまったが。


    「謝まんないで。別に、カヲルが悪いわけじゃないわ。
    元々、わたしが一方的に絡んだだけなんだから」


    「違うんだ。違うんだよ、レイ」


    「何が?」


    「僕は・・・」


    カヲルは、あまりに人の良いレイに罪悪感を感じ、自分の全てを喋ってしまおうかと、一瞬言葉を詰まら
    せた。
    レイに近づいた理由、リツコとの爛れた関係。そして、ゼーレという組織との関係。それらを話した上で、
    彼女に謝ろうと思った。それが、彼女に対する贖罪に思えたのだ。
    しかし、分別と現実的な思考が感情を抑えた。


    「その、巧く言えないんだけど、勘違いしてたみたいなんだ。
    君を好きだと思ってたけど、それは友達としての気持ちで、それ以上じゃなかったんだよ。
    付き合ってみて、よく分かったんだ。自分の本当の気持ちが」


    適当な台詞が、つらつらと口から出る自分を、カヲルは嫌悪する。
    事ここに至っても、良い人であろうとする建前に固執する自分が、何よりも嫌だった。


    「どこまでも優しいのね、カヲルは」


    「そんなんじゃないよ。僕は、ただ」


    「いいわよ、分かったわ。
    これからも、友達でいてくれる?いいでしょ?」


    レイの言葉が、人の心を弄んだ罪を、より自覚させ、カヲルの心を苛む。
    そして逆に、これでリツコと心おきなく付き合えるという開放感をも、カヲルにもたらしていた。
    そんな自分の調子良さを隠すように、カヲルは言った。自分でも気持ち悪くなるほどの笑顔で。


    「当たり前じゃないか。
    ありがとう、レイ」


    レイは、カヲルの言葉に可愛らしい笑顔で応え、背を向けて歩いていった。その小さな背が、痛々しく見
    える。
    どこなく自分と似た雰囲気を持つレイ。
    性格は言うことなく、容姿については、言葉もない。
    このような少女と、この先出会えるとは思えない。いや、こんな出会いは、まずないだろう。自分は、目先
    の欲望としがらみで、一生悔やむような間違いを犯したのかもしれない。
    それでもいい。
    自分は、自由意思そのもの。生と死さえ等価値とまで言えるほどの・・・


    「自由意思?
    僕は一体、なにを考えたんだ?」


    ほんの一瞬だけ頭を支配した哲学的な思考は、すぐに消えた。
    消えたそれは、人間の思考範囲を超えた高次に在ると思われるような難解さだった。今の自分には、と
    ても理解できない。生と死が等価値など、神でもあるまいし。
    カヲルは、ただの気の迷いと決め、リツコにメールでもしようかと、携帯電話をズボンのポケットから取り
    出すのだった。








    でらさんから連載第壱拾壱話をいただきました。

    加持さんは加持さんで、ゲンドウに女をあてがおうとしていたのですか。
    碇家の真の魔王がわかっていなかったようですね(笑
    上司さんのおかげで命拾いしましたね。

    カヲルは、レイとはお別れしてしまったのですな。
    やはり前世のアレがあるのか、その心の中では‥。

    今回もいろいろ、伏線があるようですね。素晴らしいお話をくださったでらさんへとぜひ感想メールをお願いします。

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