舞踏会 その壱拾

    作者:でらさん














    このところ、リツコが何やら機嫌を良くしている。
    前が無愛想というわけではなかったのだが、親しい人間以外には、正直、取っつきにくい存在だった。
    少しきつめの顔つきが冷たい印象を与えてしまうのもマイナス点となっていて、人前では滅多に笑わ
    ないことからも、リツコに対する人間的な評価は、芳しいものではなかった。母のナオコが並以上に朗
    らかで人に慕われる事実に、リツコがわけもなく反発していたのかもしれない。学生時代の一時期、
    母と比べられることに嫌気がさしたリツコは、精神的に荒れた時期があるから。
    そのリツコの変化を、彼女を慕うマヤを始めとする部下達は敏感に感じ取っていたものの、ことさら理
    由を問い詰めたりはしていない。上司の機嫌がいいのは、職場にとってもいいことだ。それに、ふざけ
    半分で理由を聞き出してリツコが不機嫌になったら、目も当てられない。ただでさえ、今は超が付く多
    忙の中にあるのだから。


    「ていうのが、みんなの意見なんだけど、私は違うわよ。リっちゃん」


    もしかしたら、自分より瑞々しく綺麗なのではないかと思われる母の肌。それが至近距離でリツコの前
    にある。母が、身を乗り出してまで顔を寄せてきたからだ。肌には、ほとんど皺もなく、これが二〇半ば
    を過ぎた娘を持つ女とは思えない。加えるに、格好の遊び相手を見つけたような、その無邪気な表情
    には可愛ささえ感じる。所内の、老若を問わない男性職員からの高い人気も頷ける。
    が、今のリツコにとっては、ただの迷惑な女。茶を誘われたとき嫌な予感がしたのだが、時期が時期な
    ので仕事上の話だろうと断定したのが失敗だった。しかもここは、母の部屋。逃げ場はない。


    「な、何よ、母さん、その目は」


    「お隣に越してきた美少年、どうなの?」


    「い、い、意味が分からないわ。
    彼とは、その・・・
    そう!、お隣さん同士で、たまにご飯一緒するとか」


    いきなり核心を突いてきたナオコに、リツコは何とか言い繕おうとするものの、巧くいかない。ナオコでな
    い他の人間だったら、冷静に対処できただろう。でも母を前にすると、全てを見透かされているようで誤
    魔化しが利かないのだ。


    「見苦しいわよ、リツコ。正直に白状なさい」


    「ちょ、ちょっとした遊びよ、母さん。
    私だって女なんだから、そのくらい、いいじゃない」


    綺麗な顔の圧力に堪えかねたリツコは、とうとう白状。
    それでも、強がりは忘れない。中学生相手に本気だとは、絶対言えない。


    「火遊びで収めるのよ。彼のためにも、よくないわ。
    彼には将来があるんだし、可愛い彼女もいるんでしょ?しかも相手は、あのレイちゃん。
    レイちゃん泣かせたら、副所長が黙ってないわよ」


    「・・・何もかも知ってるのね」


    ナオコらしく、カヲルのことも色々と調べたらしい。レイとの関係まで知っている。


    「私を誰だと思ってるの?
    あなたのことは、誰よりも心配してるし、愛してる。幸せになってもらいたいのよ、あなたには。
    これは、母親のエゴかしら?」


    体を椅子に戻したナオコは、ちょこっと首を傾げ、リツコを見る。
    リツコは、母が時折見せる、その慈愛溢れる女神のような目に弱かった。母の愛情が、ストレートに伝
    わってくる気がするから。


    「ありがと、母さん。
    でも、母さんも人のこと言えないんじゃない?」


    「あら、私が?どうして?」


    「二課の佐藤君。最近、彼と一緒にいるところ、よく見るけど」


    「そ、それが、何よ」


    「彼って、歳の割に落ち着いて見えるから、母さんと並んで歩くと夫婦みたいだって、みんなが噂して
    るわよ」


    「や、やだわ、夫婦なんて。
    誰が、そんなこと」


    佐藤の名を出した途端、落ち着かないそぶりを見せるナオコ。顔や首に手をやり、頬も少し紅潮して
    いるようだ。間違いない。母は、佐藤に恋をしている。
    生まれてこのかた恋などしたことないと豪語し、リツコも、精子バンクから適当に選んだ精子を用いて
    生まれている。しかも自分で開発、特許まで取得した人工子宮の臨床試験に使用しており、自分の
    腹を痛めたわけではない。
    そんな母の言葉全てを信じれば、彼女は処女のままで自分を成したことになるが、いくらなんでもそ
    れはないとリツコは考えていた。母にも思春期はあり、多感な少女時代を過ごしたに違いないのだ。
    ナオコの人となりを知ることが出来たであろう当時の資料は、実家の火事で全て焼失。何も残ってい
    ない。昔は人見知りが激しかったとかで、当時の友人との付き合いもない。加えて、祖父母もすでに
    故人。つまり、証拠は何もない。
    しかしリツコは、ナオコも若い頃、激しい愛に身を焦がした経験があるものとの確信を持っている。そ
    れでなければ、未だ男を惑わせる強烈な艶と若さの原因が分からない。
    あくまで想像だが、佐藤は、かつて愛した男に似ている、もしくは、酷似しているのではないかと思う
    のだ。
    彼は、はっきり言って魅力ある男ではない。真面目で、それなりに優秀ではあるものの、部内の飲み
    会でも隅っこの方で飲み、誰も気づかない内に消えている、そんなつまらない男。ただ体を鍛えるの
    が趣味とかで、筋肉は並以上の物を持ち、また病気にもほとんど罹ったことがないという頑健な体
    が、唯一の特徴と言えば特徴。部内はおろか、ネルフ内のほとんどの女子職員にとっては、意識の
    外にある男と言っていいだろう。リツコも、彼を異性として意識したことはなかった。
    そんな彼に、ネルフで一、二を争う人気者のナオコが惹かれるなど、他の理由が思いつかない。いくら

    惚れた腫れたって問題は、ロジックじゃないのよ。

    が、口癖の母であってもだ。


    「照れるような歳?」


    「からかったわね、リツコ」


    「お互い様よ。
    母さんだって、年下の男に恋してるじゃない。歳の差考えれば、私と変わらないわよ。
    むしろ、私の方がマシなくらいだわ」


    「・・・言われてみれば、そうね。
    じゃなくて!、渚君は、まだ中学生なのよ。状況が全然違うわ」


    実際のところ、歳などナオコにとって無意味なので、一瞬納得してしまいそうになった。
    が、すぐにナオコは思い直した。リツコは、普通の人間だ。この体から生み出された卵子を使って成した
    自分の子。


    「あと何年かすれば、大した問題じゃなくなるわ」


    「世間体があるでしょ、世間体が。
    結婚でもするつもりなの?」


    「同じ言葉、母さんに返すわ」


    「まったくもう、あなたって子は」


    数万年経っても、激しい愛を求めるリツコの本質は変わらない。
    ナオコは、目の前のリツコが、女の情念に振り回されて死んだかつてのリツコに重なって見えた。
    今度は悲劇を招かないよう、自分はリツコを導かねばならない。それが母親としての義務だと、
    ナオコ(バルタザール)は、考えるのだった。






    どうもカヲルの様子がおかしい。
    彼はいつもにこやかな顔で、普通の人間は表情から感情を読みにくいのだが、カヲルと過ごす時間が
    多くなったレイは、微妙な癖などを大体覚えている。よって、最近の彼が自分に対して何か隠し事をし
    ているのではないかと思えてきた。
    それは、あまり良いことではないだろう。確たる証拠はないのだが、何故かそう思う。こんな勘は、不思
    議と当たるものだ。
    一番怪しいのが、彼の部屋のお隣さんだという、赤木リツコ。
    一ヶ月ほど前、偶然に街で会った彼女とカヲルの家まで一緒したのだが、彼女のカヲルを見る目には、
    単なる知り合いに対する以上のものがあったとレイは確信している。女の勘というやつだ。カヲルも、リ
    ツコと話をするときは、落ち着いた彼には珍しく声が弾んでいるように感じた。大人の女と少年の関係は、
    ドラマや漫画では珍しくもないけども、現実で滅多にある話ではないだろう・・・
    と、レイは思いたい。
    まだ、カヲルのことはよく知らない。
    好きなのかどうかも、よく分からない。
    でも、彼のことをもっと知りたいし、好きになりかけているのも確かだ。せっかくシンジを振りきったのに、
    年上の女などにあっさり奪われてしまうなど、どうにも嫌だ。


    「と、言うわけで、アスカとシンちゃんに協力してもらうことにしたわ。
    まさか、断らないわよね?」


    可愛い小物類とピンク系統の色調に纏められ、少女趣味という言葉がピッタリはまるレイの自室。その
    中心付近に据えられた白い小ぶりのテーブル。更にその脇に並んで据わるアスカとシンジは、腕を組
    み、命令口調のレイを惚けた顔で見た。
    人生のかかった頼みがあると、半ば強制的にレイの家まで連れてこられたアスカとシンジだが、レイに
    借りなどない。こんな尊大な態度で協力を迫られる理由などないのだ。
    よってアスカは、きっぱりと断る。


    「断るわ。
    アタシ達がアンタと渚の間を取り持って、何の得があるっていうのよ」


    「そ、そんなあ・・
    シンちゃ〜ん」


    「僕に振られても困るよ。
    カヲル君とは、そんなに仲がいいわけじゃないし」


    「そこを何とか。
    可愛い従妹のレイちゃんを助けると思って」


    「あのね」


    いくら付き合いの長いレイでも、シンジには荷が重い。元々人付き合いは苦手で、アスカとの付き合い
    だけで精一杯。そんなシンジに、他人の恋路を手助けする余裕などない。


    「思い切って別れれば?
    別に、好きで付き合ってるわけじゃないんでしょ?」


    「そうだけど、なんか好きになれそうだし」


    「はっきり言うわ。渚は、アンタよりリツコに気が向いてる。別れるなら、早いほうがいいわよ」


    まだカヲルに、それほどの執着を見せていないレイに少し安心したアスカは、更にもう一押ししてみた。
    カヲルの様子からして、リツコに気があるのは明白。それが憧れか本気かは分からないけども、傷の浅
    い内にレイの方から身を退かせるのがいいと思う。またシンジに気を寄せられても困るが、レイが傷つく
    姿も、アスカは見たくない。彼女は、大切な友人の一人だ。


    「あ、あれは、憧れよ。
    ほら、よくあるじゃない。年上の人に理想の女性像を当てはめて」


    「レイ、現実を見るのよ」


    「・・・・」


    「人の縁て、こんなものじゃないかな。綾波。
    カヲル君とは、縁がなかったんだよ」


    シンジと縁があれば、こんなことで悩むこともなかったと、シンジに文句も言いたくなったが、今更そんな
    ことを言っても空しいだけ。それに、妙に納得してしまう自分もいた。シンジといいカヲルといい、自分に
    は男運がないのかと思う。まだ人生の先は長いものの、自分はこの先、何度もこんなことを繰り返すの
    ではないかと想像してしまう。


    「とは言ってもね・・」


    まだ、振り切れない。
    物心ついたときからシンジだけ見てきた自分が、シンジ以外の好きになれそうな異性と出会えた。この
    出会いを、アスカがシンジとの出会いをそう称するように、運命と言い切りたかった。
    こんな出会いが、再びあるかどうかも怪しい。それに、カヲルの口からリツコとの関係を聞いたわけでは
    ないし、決定的な証拠を掴んだわけでもない。状況証拠だけだ。アスカ達の勘違いということもあり得る。
    レイは僅かな希望に縋り、今暫くの猶予を自分に与えた。


    「少し考えるわ。彼を信じたい気持ちもあるし」








    <そうか。赤木リツコ博士とな・・>


    立体映像を映し出すため暗くされた部屋で、本物かと見まがうほどリアルに浮き上がったリュシアンの
    細面。その、鷲をイメージさせる鼻の形状と狡猾さを思わせる目が、カヲルは苦手だった。
    定期の報告。
    カヲルはリツコとの関係を誤魔化しきれず、思い切ってリュシアンに事の詳細を話した。
    関係を持ったあの日以来、基本的に忙しいリツコと時間が合うことは頻繁と言えない。その分、たまに
    時間が取れたときは、リツコの部屋で互いの体を貪るような行為に耽溺している。
    カヲルは、レイとの付き合いが切れても仕方ないとまで考えていて、彼女の電話やメールにも素っ気な
    い対応をとることが多くなってしまった。それでも健気なレイからの連絡は密度を失うことなく、学校での
    スキンシップも変わらない。それが、カヲルの胸を痛めていた。良心が刃となり、肉欲に溺れるカヲルの
    心を突くのだ。ただ利用するために近づいた罰のように。


    「申し訳ありません、リュシアン卿。ご期待に背き、自分勝手な行動で任務を疎かにしています」


    <責めているのではない、カヲルよ。個人的な付き合いにまで、私は干渉するつもりはない。
    愛も恋も、大いに結構。私も、若い頃は年上の女に憧れたものだ>


    「しかし、任務に支障が出ては」


    <ならば、リツコ嬢に協力してもらえばよい。ターゲットはリツコ嬢の母君、赤木ナオコ博士だ。
    かえって好都合ではないか>


    リュシアンの顔自体は朗らかなものの、目から緊張は解けていない。
    カヲルは、卿の台詞と様子で、彼の本当の意図がどこにあったのか分かったような気がした。
    リュシアンは、始めから自分とリツコを結びつけようと画策していたのだ。おそらく、リツコの男の好みと
    か心理状態まで分析し、自分が選ばれたに違いない。アスカ、レイ、シンジのいずれか、もしくは全て
    と交友を深め、ネルフに入り込めという当初のアドバイスは、単なるフェイク。或いは、自然にリツコと
    自分を結びつかせる作戦の一環だったのかもしれない。中学生の少年に妙齢の女性を口説けと言って
    も、普通は、まず成功などしないだろうから。
    頭の回転には自信があり、合理的で論理的な思考にも自信のあったカヲルは、リュシアンの前では普
    通の子供に過ぎないと、思い知らされた。
    声のトーンも、自然と落ちる。


    「そんなこと、あの人が承知してくれるかどうか」


    <女という生き物はな、好きな男が望むなら、多少の無理は何とかするものだ>


    「そうでしょうか。
    僕は、まだ子供です」


    <向こうは、そう思っておらんよ。
    関係を持ってしまえば、男と女。それ以上でも以下でもない>


    人生経験豊かであろうリュシアンは言うが、リツコが自分をどう思っているか、カヲルは自信がない。
    自分は、リツコを好きだ。しかし彼女は、自分をただの性的な玩具と位置づけているかもしれない。
    会っている時でも会話らしい会話は、あまりないし、歳を考えれば、それが普通のようにも思える。
    駄目元で言ってみるしかない。


    「明日、お願いしてみます」


    <気楽に今を愉しむのだ、カヲルよ。焦ることはないのだからな>


    「はい、リュシアン卿」


    リュシアンは、最終的に自分に何をさせるつもりなのか、カヲルの中で不安と猜疑心が膨れあがる。
    何もかも投げ出してリツコと爛れた関係に浸り続けることで、現実から逃げたいとも思う。
    が、自分の背には、施設の子供達の生活がかかっている。決して恵まれているとは言えない彼らの
    生活を、より豊かにするために、自分は任務を果たさなければならない。たとえ、レイの気持ちを踏
    みにじったとしても。
    カヲルは、底抜けに人の良いレイが自分に失望して涙を流す姿を想像し、リュシアンが消えた後の
    暗い部屋の中で、身を震わせた。








    でらさんから連載第壱拾話をいただきました。

    母娘恋愛談義ですか。なかなか良いですね。
    父息恋愛談義?の方は、ちょっとアレでしたね(^^;;

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