舞踏会 その九

    作者:でらさん















    これは、夢だ。
    アスカは、これを夢だと断ずることで、沸き上がる不快に堪えていた。

    既にお馴染みとなったシュールな背景のもと、馬乗りになったシンジが、自分の首を絞め
    ている。
    いや、絞めようとする寸前で、それ以上できないようだ。彼は、葛藤に苛まれている。
    何が原因でこうなっているのかアスカには分からないし、知りたいとも思わない。所詮は、
    夢の中。理由など考えても無駄。
    だけども、夢の中とはいえ、シンジが苦しんでいるのをただ眺めているのは、気が引ける。
    アスカは包帯の巻かれた右手を上げ、シンジの頬に、そっと添えた。
    それでも不快感は消えない。思わず、口が開く。


    「気持ち悪い」


    それと共に、訳の分からない記憶がアスカの頭に流れ込んできた。
    その記憶のほとんどは、まるで漫画かお伽話。
    巨大ロボットのパイロットとして、化け物と戦う自分。
    そして、仲間達・・・レイと、シンジ。
    レイは、無口、無表情で、肌も異常に白く、恐怖さえ感じられる少女。
    シンジは、人との関わりを恐れる弱々しい少年。
    いずれも、今自分が知る彼らとはかけ離れている。夢にしても酷いものだ。
    更に酷いのは、自分がシンジに向けていた感情。妬み、憎悪、嫉妬、そんなものしかない。
    遙か心の奥底に愛情らしきものがあるものの、それはあまりに小さく、負の感情の影に隠
    されていた。
    こんな感情をぶつけられたら、どんなに強い愛でも醒めてしまうだろう。


    「そこまで僕を拒否するのか」


    首から手を引いたシンジは、馬乗りになったまま、澱んだ瞳で自分を見下ろして言った。
    この少年は、自分の知るシンジではない。別の誰かだ。瞳の奥に憎悪の影を見たアスカ
    は、断ずる。
    シンジなら、絶対に自分をこんな目で見ない。見るはずがない。


    「アタシは、独りでいたいだけよ。
    アンタだって、同じじゃない。優しい外面被ったマザコン男。
    アンタは、お母さんさえいればいいんでしょ?あの赤い海で、母親替わりのファーストの
    おっぱい吸ってるのがお似合いだわ」


    自分の意志にかかわらず、口から勝手に出る言葉の数々。
    アスカには、意味不明。ただ、レイへの嫉妬が含まれているとは分かる。愛憎入り乱れ
    た複雑な想いが伝わってくる。


    「お母さんに甘えたいのは、アスカだろ?
    アスカこそ、あそこに行けばいい」


    「イヤよ。絶対にイヤ。
    他人と心を共有するなんて、冗談じゃないわ。いくらママでも、それだけはイヤ」


    「なら、僕たちは消えるしかない。
    このまま、ここで生きていても無意味だ」


    「珍しく意見が合うわね。アタシも、そう思ってたわ。
    心中でもする?」


    「そんなことは必要ない。僕がこの世界を拒否すれば、それで終わるんだ」


    「何よ、それ。アンタが神様?
    ふん、とんだ神様がいたものね」


    「僕は、ただの依代さ。神様なんかじゃない」


    「何でもいいけど、さっさと終わりにしなさいよ」


    「分かった」


    馬乗りになっていたシンジが立ち上がり、そのまま天を仰ぐ。
    空には淡い星空が瞬き、赤い帯が奔っている。昼間ではないが、かといって夜でもない。
    不思議な空だ。
    その空が何か影響したのだろうか。勝手に喋っていた夢の中の自分から、ふいに険しさ
    が消えた。最期の時を迎えた覚悟で、心に穏やかさが戻ったのだろうか。


    「シンジ」


    「なんだよ、怖じ気づいたのかい」


    「また、会えるといいね」


    涙腺が緩み、涙が頬を伝う感覚を、アスカは確かに感じ取った。
    夢とは思えないほど生々しい感覚。その涙で、夢の中の自分もシンジを求めていたのだ
    と理解した。
    ただその想いは、荒れ狂う運命の波に翻弄され続け、最悪の状況の中で押し潰されて
    いった。
    それが、ここでようやく口にできた。
    あまりに遅く、あまりに短い安息の時。
    こちらを見下ろすシンジの瞳からも、光る物が。


    「・・・そうだね、アスカ。
    生まれ変わることが出来て、また会えたら、今度はうまくやろうよ」


    「うん」


    その言葉を最期に、意識はかき消すように途絶えた。






    「夢・・・よね?」


    ベッドから身を起こしたアスカは、誰に言うともなく、呟いた。
    今朝は自分の部屋。パジャマもきちんと着て、髪の毛はアップに纏められている。ネル
    フで何やら事件があったらしく、母のキョウコが帰宅しているためだ。それはシンジ宅で
    も同じで、彼の母ユイも帰宅している。父親達は、事態沈静化の任を任されたために、
    ネルフから出られないらしい。
    ともかくも、数日ぶりの独り寝は、どこか落ち着かなかった。異常に生々しい夢を見たの
    は、そのせいかもしれない。


    「生まれ変わりか・・・
    んなこと、あるわけないわよね。マンガじゃあるまいしさ」


    夢の自分に流れ込んできた記憶は、全てではないにしても覚えている。それを思い返す
    と、とても現実的な話ではない。巨大ロボットだの使徒だの補完計画だの、まるで


    「シンジが見たっていう夢と似てるわね」


    シンジを馬鹿にした手前、彼に問いただすのもバツが悪い。
    が、確認はしてみたい。同じような夢を見るということは、それだけ強い絆で結ばれている
    証拠だとも思う。勿論、あんなことが現実に起こったはずはない。全ては夢だ。来世での
    幸せを共に願いながら終末を迎えたというなら、それはそれでロマンチックな話ではあるが。


    「アタシがシンジ憎むなんて、あり得ないもん」


    どんな事情があろうと、それだけはあり得ない。
    アスカは、アップにまとめた髪の毛を下ろし、パンと頬を軽く一回叩いて部屋を出ていった。








    もはや秘密結社とは言えなくなった組織の実体を反映してか、会議室の仕様も昔とは様
    変わりしていた。
    意識的に薄暗くされていた照明は普通のオフィスのように明るくなり、ゼーレの神秘性を
    象徴するような天井絵、カラバの秘儀が描かれたそれもすでにない。部屋の各所には、
    前衛芸術の粋を凝らした彫刻や絵画、モニュメントが絶妙な配置で置かれ、まるで美術
    館か博物館のようだ。
    ここは、ゼーレの最高幹部が集う評議委員会会議室。そこに今、この部屋に入る資格を
    持つ男三人が、古来から続く法衣に似た服を着て、それぞれの椅子に座っている。
    最近では珍しくなった、直接顔を合わせての会議。
    キール亡き後、互いへの牽制もあって、コンピュータラインを使ったバーチャル会議がほ
    とんどだったのだが、評議委員の一人が死亡したとあっては、顔を合わせないわけには
    いかない。
    クリフォードの死に関しては、すでに綿密な調査報告がネルフから上がっており、その死
    に不審な点はない。少なくとも、何も事情を知らない人間には分からないだろう。クリフォー
    ドの死の意味を。
    しかし、今日ここに集った三人は知っている。彼が、なぜ死んだのか。誰に殺されたのか。


    「きゃつも馬鹿なことをしたものだ。塔に直接の接触を図るとはな」


    フラビアは、精悍な顔から苦渋の色を隠さずに言った。
    彼自身も、進まない状況に業を煮やして直接ネルフへ出向こうと考えたことはある。
    が、しかし、命の危険を察したフラビアは日本の内務省を介した接触に留めている。
    接触は無事成功との報告は受けているものの、まだ塔からの反応はない。これから先も
    あるとは限らないが、下手には動けない。動けば、クリフォードの二の舞だ。


    「まあ、焦りは禁物ということだ。
    それより、欠員の補充はどうする?三人では、評議委員会の体裁がつかん」


    フラビアとは対照的に動揺の欠片も見せないリュシアンが、落ち着き払って言う。
    そのリュシアンに、ウィリアムズが即座に突っ込んだ。


    「それは、最高指導者選出の後と前から決めていたはず。それを反古にするのかね?リュ
    シアン」


    「誤解しないで欲しいな、ウィリアムズ。私はただ、ゼーレのトップがいつまでも不在では、
    組織はおろか世界情勢に影響が出かねないと懸念しているのだよ。
    実際問題、アメリカや日本で不穏な動きがある。早めに対処しないと、手遅れになるぞ」


    アメリカを始めとする各大国の動きが不穏さを増しているのは、事実だ。
    共産革命の失敗で瓦解したソビエト連邦を引き継いだロシアは未だ混乱から脱せず、経済
    の成功でヨーロッパの覇権を握ったドイツが、ロシアに替わり、超大国としての地位を確立し
    つつある。
    アジアでは、様々な問題を抱えてはいるものの、既に日本が盟主としての地位を得ていた。
    人口から言えば他を圧する最大勢力で、交渉中の統一経済圏構想が実現すれば、世界の
    経済は事実上アジアに呑み込まれるとも言われる。
    この地域に日本に勝るとも劣らない経済権益を持つアメリカとの関係悪化を覚悟してまで、
    構想実現に奔走する日本の積極姿勢。その裏には、実用化間近となったS2機関がある。
    日本はおろか世界の学会から見放された故葛城博士に早くから注目し、援助したのは、日
    本の軍組織。世界初のN2爆弾は、日本で完成した。その関係から、S2機関の基幹特許の
    約半分は日本政府に寄贈されている。その割合は、国連よりも多いのだ。
    となれば、日本は近い将来、国家的悲願であったエネルギーの自給体制を手に入れる。資
    源輸出国に気を遣う必要も顔色を窺う必要もなくなる。それはつまり、彼らの後ろ盾となって
    いるアメリカへの遠慮もなくなるということだ。
    日本とアメリカの対立が表面化すれば、八〇年前の再現となりかねない。一昔前とは違い、
    現在はクリーンな核、N2兵器群がある。核に匹敵する破壊力を持ちながら有害な放射能を
    出さないそれらの兵器は、クリーンさ故に、必要とあらば簡単な手続きで使用されることだろ
    う。数億人単位で人が死ぬ戦争になるかもしれないのだ。
    生前のキールは、それを深く憂慮しており、そのため、国家から軍を切り離して国連の管理
    下に置く構想の実現に力を注いでいた。


    「ならば、暫定的に我らが集団指導体制を布くというのは、どうだ?そうすれば、他の委員も
    とりあえずは必要ないしな。
    規約を一部変えねばならんが、塔の信頼は得られよう」


    フラビアが妥協案を提示すると、他の二人は暫し考え込む。
    この妥協案は、思いつきで言ったわけではない。塔からの反応がない今、対立はなるべく避
    けた方がいいと判断した結果。抗争に積極的でないウィリアムズが賛成することも計算の内。
    彼の性格は、よく分かっている。
    リュシアンの反応が未知数だが、たとえ彼が反対しても、ウィリアムズを引き込めば有利に事
    は運べる。
    そして予想通りに、まずはウィリアムズが賛意を示した。

    「私に異論はない。
    リュシアンは、どうだ?」


    「私も、フラビアに賛成する」


    意外にあっさりと賛成したリュシアンの真意を推し量るフラビアは、釘を差しておくことにする。
    ゼーレの情報部門を仕切るリュシアンの裏工作は、侮れない。


    「よし。では、決まりだ。
    当面の間は、裏工作も互いになし。いいな?二人とも」


    「元々、私は何もしとらん。
    君とは違うよ、マルセリーノ」


    日本の内務省を使って工作を仕掛けた自分を棚上げするかのようなフラビアの物言いに、ウィ
    リアムズが疑義を現した。学者肌の彼は、基本的に抗争を好まない温厚な人物だが、腹をくくる
    と情の欠片も見せない非情に徹する男だ。それを知るリュシアンは、彼を抑えに廻る。
    感情も露わにぶつかり合うなど、品がないとも思う。


    「やめておけ、ウィリアムズ。
    せっかく纏まった話を、ぶち壊すつもりか?」


    「余裕だな、リュシアン。
    何か掴んだのか?塔の攻略法とか」


    「さて、それはどうかな」


    リュシアンはウィリアムズの問いには応えず、失礼するよと一言残し、部屋から立ち去っていった。
    残された二人は、ちらと視線を交わしただけで、後は事務的な話に終始した。








    アーサー・クリフォードの死はネルフを騒然とさせ、一時は職務も滞ったものの、それはすぐに収
    束し、数日も経つと何もなかったかのように通常の体勢に戻っていた。クリフォードは確かに世界
    の要人だが、ネルフと縁ある人物ではない。冬月やゲンドウが死亡したほうが、遙かに大きな影
    響を及ぼすだろう。
    早期の収束は、所内を纏めたゲンドウやクラウスの手腕に依るところも大きい。彼らは、学者より
    政治家が似合っているのではないかと思われるほど巧みに人心を操り、動揺を最小限に抑えて
    いった。まさに、リーダーに相応しい人間。ただ担がれてトップに据わった自分とは違うと、冬月は
    感心している。


    「クリフォード卿には悪いが、面倒が一つ減った。
    このまま、ゼーレの内紛が収まってくれればよいのだがな」


    冬月は、自分独りしかいない執務室で湯飲み片手に、キィキィと金属音を奏でる椅子を揺らしな
    がら呟く。
    あれから、懇意にしているウィリアムズと何度か話したが、クリフォードの突然死の背景について
    は何も知らないようだった。謀略の可能性は低そうだ。少なくとも、ウィリアムズは関わっていない
    と思う。


    「残るは、三人か。
    ラングストンに、もう少し覇気があれば期待できるが・・・
    あれではな」


    冬月としては、日頃から接触のあるウィリアムズがゼーレのトップに立ってくれれば・・
    との思いがある。
    クリフォードが言っていたように、ネルフの立場は盤石という物ではない。切り札はS2機関とMA
    GIだが、それさえも国連が強権を発動させれば簡単に取り上げられてしまうだろう。いや、その前
    に、日本政府が軍を使って接収しようとするかもしれない。強力な後ろ盾が在れば、それに越した
    ことはないのだ。
    しかし、比較的ネルフに理解のあるゼーレ幹部、ウィリアム卿は、その特殊な立場にもかかわらず
    押しの弱いところがある。一応、ローレンツ卿の後継者に名乗りを上げているものの、どこまで本気
    か怪しいもの。彼が何故、ゼーレのような組織で最高幹部にまで出世できたのか、冬月には分か
    らない。冬月の知らない部分があるとしても、それほどのものとは思えないし。


    「次は、誰が、どう動くというのだ」


    冬月は、先行きの不安を振り払うように温くなった茶を一気に飲み干すと、机上の端末を呼び起こ
    し、執務を再開した。
    冬月のゼーレに対する認識は、ウィリアムズへの認識不足にあるように、まだ甘いようだ。
    その認識の甘さは、後に少々の問題を起こすことになる。







    でらさんから連載第九話をいただきました。

    新たな展開を思わせますね。
    別の人生の記憶は、アスカとシンジの二人をどこへと連れていくのでしょうか。
    ゼーレの混乱はネルフの関係者全てに何をもたらすのでしょうか。

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