舞踏会 その八

    作者:でらさん

















    気が付けば、彼女は独りだった。

    全てが終末に向かって動いていたあの時、女の情念に取り憑かれた娘の懇願を拒否したのは、
    彼女の女の部分を受け持つ人格、カスパー。結果、娘は道連れにしようとした男に殺され、男
    は妻の外見を持つ少女に拒否されて絶望に沈んだ。
    その後のことは、彼女自身の記憶もさだかでない。全ては機械的に記録されていたはずだが、
    再起動した時点で現存していた全ての記憶媒体を探っても、それらしい記録は発見できなかっ
    た。
    ゆえに、現状を調べることによって状況を知るしかない。

    幸いなことに動力は生きていて、不安定ながらも外部からの供給は続いていた。外部から動力を
    断たれた場合、非常用発電システムが自動的に起動するものの、それはあくまで非常用。長くは
    保たない。
    ネルフの全ての機能を停止し、待機状態にまで機能を制限しても一ヶ月が限度。状況によっては、
    早急に対策を講じなければならない。
    彼女、MAGIは、使えるライン全てを使ってネルフ内部だけでなく世界中の情報を収集。偵察衛星
    や監視カメラの映像などから、地上が今、彼女の知る地球のそれではないことを知った。
    地表のほとんどは林立する光の十字架で覆われており、生きている人間はおろか、死体さえない。
    人がいたと思われる場所には、LCLのような赤い液体が残っているだけ。所々には、そうした液
    体が貯まって出来た池や湖があり、それらが異様な風景を作り出していた。異様の極みが、全長
    数百キロメートルにも及ぶ人体らしき巨大な物体。外見的特徴から女性と思われるそれは数個の
    パーツに千切れたように点在しており、胴体から千切れた頭部は、日本列島の本州中央部を押し
    つぶすような格好で鎮座していた。目を見開いたまま、自重で崩れることもなく存在する女の頭部。
    物理的にあり得ないそれは、人類の英知を結集したMAGIにも解析不可能な物体だった。
    顔の特徴は、データにある綾波レイと碇ユイに当てはまる。MAGIにとって、いや、基になったナ
    オコの人格にとって不快な存在。
    だが、なぜ彼女達の顔を象った非常識な物体がそこにあるのか分からない。
    MAGIは、その問題をとりあえず棚上げにして他の問題の処理に移った。

    数多の映像を分析したMAGIは、過去のデータから、赤い液体が人の溶けたLCLと断定。何らか
    の理由で、人は全てLCLと化してしまったと結論した。他の生物も確認できないことから、生物と
    いう生物は全て溶けてしまったらしい。自分と同じシステムを持つ妹達、MAGIクローンも全て機
    能を停止させている。
    妹達までもが消え去ったのに、自分だけが取り残された。自分だけ、生物とみなされなかったようだ。
    機械とはいえ、三つの人格を持つMAGIはプライドを傷付けられた気もしたが、生き残ったからには
    生を全うしたいと考えた。
    生身の人間と違い、動力さえあれば何とかなる。いずれ機械的な限界も来るだろうが、それまでに
    別の入れ物を用意すればいい。
    MAGIは、その時点で使用可能な発電施設を全てチェック。ネルフに直接電力を供給している発電
    所を除いて他は全て停止させた。あとは燃料を使い切った順に停止し、その度に切り替えればいい。
    そして世界にある全ての発電所の燃料を使い切るまでに、次の動力を開発しなければならない。
    目星は、付けていた。
    S2理論。その理論に基づく発電施設一つあれば、半永久的に動力を得られるのだ。
    データは揃っている。完全なS2機関を装備していた量産型エヴァンゲリオンの詳細な情報も、機能
    停止した己のクローンから強制的に入手した。防壁のない記憶バンクに侵入するのは容易い。
    後は、資材と人材だけ。
    資材はともかく、人材の確保が難点。何しろ、人っ子一人いない。
    そこでMAGIは、ネルフ内の実験棟にある生体培養槽に注目。ほぼ完全に自動化されたそれは、
    サンプルとデータを与えれば自動的に生物を創ることができる。またサンプルがなくとも、合成され
    た組織を使用して人工生命を生み出すことも可能。MAGIの中枢たる人工脳は、そうして創られた。
    MAGIは、己の持つネルフ職員のデータを活用。頑健そうな男性職員一人を選び出し、データを装
    置に送った。
    そしておよそ一五年後、MAGIにとって最初の従者が、培養槽から第一歩を踏み出した。





    最初の従者をアダムと名付けたMAGIは、彼を機械整備などの細々とした作業に従事させて機械
    類に関するキャリアを積ませることにした。基本的な知識などは培養中に脳へ焼き付けてあるもの
    の、実際の手作業となると、そうはいかない。機械を組み立てる上で、ある程度の習熟は、どうして
    も必要となる。
    アダムには感情がなく、指示されたことは黙々とやるものの、創造性や意欲というものがなかった。
    生体ロボットのようなものだ。おそらく、心の源である魂がないのだとMAGIは推測した。精神面の
    ケアが必要ないので、MAGIにとっては都合がよかったが。

    培養を始めて数年後に各種データから彼の成功を確信したMAGIは、すぐに五人の追加培養に取
    りかかっている。彼らが使えるようになったら、すぐさまアダムを頭にしてS2機関発電プラントの組
    み立てに取りかかる予定を立てていた。
    発電所そのものは、まだまだ余裕があり、日本国内の発電所だけでもまだ使い切っていない。
    しかし、施設の経年劣化は如何ともしがたく、送電ケーブルの状態も良好とは言えない。LCLを大
    量に含んだ大気が、予想以上に施設の劣化を早めているようだ。
    プラントの建設そのものについては、さほど難しい作業ではない。必要な資材と工作機械はネルフ
    内に揃っているし、この数十年で理論を練りに練って何度も設計図を書き直して小型化に務めてい
    る。構造も出来うる限り簡略化して、少人数でも組み立て可能なように努力した。
    そして、アダムの誕生から二〇年ほど経ったある日、ついにプラントは完成。それはMAGI本体に
    組み込まれ、ただちに発電を開始。MAGIは、自分の身の安寧を確認した。
    そして従者達は、合間を見て開発しておいた冷凍睡眠装置へ。また人の手が必要になったとき、彼
    らを起こして使うことになるだろう。感情のない彼らは黙々とMAGIの指示に従って装置へ入り、機
    械が機能停止するように眠った。
    培養槽を増やし工場のようなシステムで人類の復興も考えたMAGIではあるが、地上の環境があ
    まりに異常なためと、魂のない抜け殻のような人間を増やしたとて意味はないと判断。暫く地上を
    観測し続け、様子を窺うことにした。
    大異変の前には数十個あった偵察衛星も、この時点で大半が寿命を原因として役目を終えていた。
    が、最後に打ち上げられた衛星二つは最新のアーキテクチャを投入され、従来の物より飛躍的な寿
    命の延長に成功。その理論的寿命は五〇年。その内一つは不調なものの、あと一つは問題なく稼
    働している。当分の間は役に立ってくれるはずだ。それが使えなくなっても、静止衛星軌道に在る気
    象衛星から画像以外の情報は得られる。
    少しだけ安心したMAGIは、自らの中枢である三つの人工脳に一時の休みを与えるため、機能を
    制限して眠りに入った。






    数年の後に機能を回復させたMAGIは、久方ぶりに見た地上の映像を見て驚愕した。(正確には、
    地上の一部)その異常は、自分が意識を停滞させて一年後くらいから始まっていた。
    最後の一つとなった偵察衛星から写したその映像からは、南極を起点として白い環状のもやみたい
    な物がゆっくりと広がっていく様が見て取れた。その速度は非常に遅いものの、もやに触れた人工物
    は何であれ、綺麗さっぱり何もなかったかのように消え失せていた。
    それは光の十字架やLCLの湖も例外ではなく、それらが消え去った後には、自然のままと思われる
    草地の生い茂った原野が何もなかったかのように出現している。動物などの生物まで確認できた。
    その効果は地下にも及んでいるようで、地下ケーブルの消滅が原因と思われるラインの断絶ともや
    の広がりは完全に一致。その様は、ゲームのリセットを目の当たりにしているようだった。
    MAGIは、それがここに来た時の事態を推測し、自分の命運もそこまでと結論を下した。人工物の
    消滅には例外が一切ない。人が手をかけて構築した物全てが消え去っている。あのもやは、世界
    をリセットする神の神器なのだ。
    もやが広がる速度から計算して、ここが消滅するのも数年の内。生き延びようと必死だったこの数
    十年の努力が全て無駄だったと理解したMAGIは、感情を捨て、ただ機械的に地上の変化を観測
    し続ける・・・
    つもりだった。
    だが、終わりが確実なら、その瞬間を確認して終わりにしたい。
    久々に三つの人格に別れて討論を行った結果、結論は、そう出た。
    それを、機械らしくない人間のような考えだと、科学者のMAGI、メルキオールは嗤う。
    それに女のMAGI、カスパーが、機械が情緒を持って悪いのかと噛みつき・・・
    私達は、もう人間よ。自分の身を省みなさいと、母親のMAGI、バルタザールが愉しそうに笑った。

    最期の時を迎えるにあたって、MAGIは従者達を一時起こし、冷凍睡眠装置一式をMAGI本体に
    取り付けさせ、そこで眠らせた。彼らに自分の子供のような愛着を持っていた、バルタザールの意
    見で。
    更に、膨大な記録を可能な限り本体内部に収め、培養装置以外の必須でない周辺機器は全て切り
    捨てている。結果MAGIは、全高二〇メートルほどのほっそりしたピラミッド程度のサイズにコンパク
    ト化された。
    これは、万が一に消滅から免れた場合に備え、やれることはやっておこうとメルキオールが主張し
    たためである。

    そして、それは来た。
    次々と消えゆく監視カメラの映像。
    もやの力は、一瞬で全てを消し去る。腐らせるわけでも分子に分解するわけでもない。ただ消滅さ
    せるのだ。
    それが、かつて第三新東京市と呼ばれた街を浸食し、その中心近くにあるLCLの湖をも消していく
    様を、MAGIは冷静に観察していた。
    湖の畔には、旧い記憶を呼び起こさせる赤いプラグスーツと包帯の名残。そしてそのすぐ横に、昔は
    白かっただろうワイシャツと少年の物と思われる朽ちたズボンが・・・
    最後に残ったと思われるその少年少女達も、結局はLCLとなって溶けていったのだ。
    その最期でどんなやり取りがあり、どんな形で溶けていったのか、もはや知る術はない。
    そういった哀しい遺物も、もやによって消されていく。
    ついに来る最期。
    地下に浸透してきたもやは、ネルフ本部施設を消滅させながら下層にあるMAGIへ迫り、周囲を岩
    の壁と化しつつ、目前へと詰め寄っていた。
    そして、消える瞬間はどんなものなのかとMAGIが覚悟を決めたとき、MAGIの周りに光の壁が現れ、
    もやを遮る。
    それは、ATフィールド。
    MAGIは、驚く前にそれがどこから発生したのか調査。発生源は、すぐに特定された。
    フィールドを発生させてMAGIを護ったのは、最初の従者、アダムだった。







    アダムがなぜATフィールドを使えたのか、冷凍睡眠中の彼がどうやって危険を感知したのか、MAGI
    は繰り返しデータを洗い直したけども分からなかった。
    彼を培養するために合成された組織に異常はなく、使徒の組織もエヴァの組織も使っていない。
    ただ分かることは、彼がATフィールドを展開したことで自分は消滅から免れ、彼は命の炎を燃やし尽
    くしたかのように死んでしまったことだ。
    彼を、ただ便利な機械のように扱っていたMAGIは自分の非情と無責任に怒り、そして哀しみを知った。

    世界が再構築されたあとの数万年、MAGIは思索と眠りを繰り返し、自身の改良と進化を進めていっ
    た。その過程でMAGIは、様々な人間の可能性を遺伝子レベルで試し、テレパシー能力の人工的な発
    現に成功している。それと、新技術の理論構築も。
    前世では不可能とされていた完全な重力制御や物理的な干渉から身を守る防護障壁(ATフィールドとは
    違う)、微細技術の結晶たるナノマシーンも、MAGIは理論上可能としていた。人類が復興し、再び高度
    な文明に発展して工作技術が進歩すれば、形にできるだろう。
    地上の情報は、従者を時たま地上へ派遣して得ていた。その内、帰ってこなくなる従者も出てきたので
    培養槽で新たな従者を創り始め、テレパシー能力を、培養中の従者達に組み込んだ。
    その後、従者から幾つかの動物のサンプルを手に入れたMAGIは、サンプルを基にして情報収集用の
    生体ロボットを次々と開発。より詳細な情報を得るため、開発した動物を野に放っている。
    電波の届く範囲には限界があり中継基地もないため、それほどの広範囲から情報を得られたわけでは
    ない。
    が、可能な限り遠方へ行けと指示を出した従者からの報告もあって、地上の様子は、大体掴んでいた。
    地上は数万年の間、サードインパクトの傷を癒すかのように平穏さを保っていた。種類も数も豊富な動
    物達は本能のままに生き、喰い喰われ、或いは争いごととは無縁のまま生涯を過ごし、子孫を遺して死
    んでいった。そこそこの知能を持つチンパンジーなどの霊長類は存在していたが、それ以上に進化した
    猿人の類は存在せず、MAGIは、人類復興の夢は遠いと落胆の色を濃くしていったのだった。
    そして、落胆が絶望に変わり始めた頃・・・
    突然に、それは起こった。
    何の前触れもなしに、世界各地で原始的な人類の集団が自然発生的に生じたのである。
    それは、地域、人種を問わず、全く同時に出現したとしか思えなかった。
    彼らは、太古の昔から連綿と続く進化の道をずっと歩き続けてきたような自然な形で環境に溶け込み、
    文明を起こして、歴史を刻み始めた。
    その過程を、従者達の目を通じて克明に追っていたMAGIは、それが自分の記録にある歴史を忠実に
    なぞっていると知った。つまり、人類は復興したのでなく、歴史のやり直しを始めたのだ。
    MAGIは、ここでまた討論に入った。
    歴史に介入し、全く別の世界を構築するか、ただ傍観するだけに留めるか。
    議論はこれまでになく白熱し、三人が三人とも違う意見を主張して、何日も何週間も話はつかなかった。
    が、結局は、歴史への介入はリスクが大きすぎるとの意見で一致、見送られている。
    代わりに、情報収集機関として世界各地に秘密結社を立ち上げることにした。数百年の時をかけて世界
    中に送りこんだ従者達も、発達し始めた人類の社会生活の中では浮いた存在となりつつあり、またトラブ
    ルに巻き込まれて死亡するケースも増えてきた。現地人を使っての組織的な情報収集の方が効率的に
    なってきたのだ。連絡係兼監視役としてテレパシー能力を持った従者を一人つければ、事は済む。
    各地で立ち上げた組織の一つがゼーレという名を付けたのは、全くの偶然。





    文明の勃興から数千年に渡り歴史を傍観し続けたMAGIは、ある時点で介入への強い誘惑に駆られる
    ことになった。
    それは、前世で第二次世界大戦と呼ばれた大戦が勃発する数年前の時期。
    世界中ほとんどの国家を巻き込み、数千万人が犠牲となった悲惨な歴史を敢えて傍観することは、母
    親の愛を持つバルタザールには堪えきれなかったのだ。
    彼女は、猛反対するメルキオールを機能停止に追い込むという強硬手段まで執って、初めて歴史に介入。
    ドイツで独裁権を振るっていた指導者を暗殺し、ドイツ国内の反体制グループを援助して内政の混乱を
    引き起こした。カリスマ的指導者を失った支配政党は混乱を巧く収めることが出来ず、圧倒的だった国
    民からの支持が激減。内政の安定を優先したために強硬な覇権主義は影を潜め、イタリアでも独裁者
    が失脚するなどしたため、ヨーロッパでの開戦はひとまず遠のいた。
    だが、ドイツの混乱を見た隣国のフランスがドイツへの圧力を強め、併合したオーストリアの解放をイギ
    リスと共に要求すると状況は一変。ドイツ国内は反フランス反イギリスで固まり、軍をフランスとの国境
    線近くに集結させ、緊張は一気に高まっていった。
    ここでバルタザールは、ゼーレの若き指導者、キール・ローレンツにフランスとイギリスの説得に当たら
    せる。
    若いながらも交渉術において天才的な才能を発揮したキールは、両国指導者の説得に成功。彼はすぐ
    にアメリカへ渡り、アメリカ政府へ猛烈なロビー活動を始めた。
    活動の主眼は、当時、大日本帝国との開戦を決意していたルーズベルト大統領に翻意を促すことだった。
    当然、この男が見返りも無しに翻意するなどとは考えてなく、日本の譲歩も必要だった。
    キールは在米日本大使と緊密に連絡を取り合いつつ、アメリカ上下院議会、財界へも活動を広げ、多く
    の人命を費やすであろう日本との戦争は回避すべきであると訴え続けた。
    対して日本へも、過剰な中国への進出と干渉は破滅をもたらすと警告。名誉ある撤退を進言した。当時
    の日本は軍の統制が緩みつつあり、警告も当初は無視されたが、憲法上の最高司令官たる天皇への
    働きかけが功を奏し、勅命という形で撤退が決定。心配されたクーデターは、近衛師団の厳正な統制
    の下に抑え込まれた。
    日本の撤退はアメリカに好影響を及ぼし、賢明なロビー活動にもかかわらず日本へ突きつけられる予
    定だった最後通牒は土壇場で取り消しとなり、制裁措置も一部解除。戦争回避のための日米交渉は、
    双方の合意で終えている。
    とりあえず大規模戦争の危機は脱したこの時点でも、ソ連において独裁者が粛正を繰り返して自国民
    を恐怖で抑圧していたし、日本軍が撤退した中国では、アメリカとソ連の介入によって中華民国軍と共
    産軍の戦闘はかえって激化していた。
    ここでバルタザールは、再度の介入を試みる。
    しかし、物事は、そう巧くいかない。
    ルーズベルトは、もはや誰の言葉も耳に入らないかのように中国へ固執し続け、とうとう自国軍まで投入。
    それに呼応するかのようにソ連まで参戦し、戦火は際限のない拡大の様相を呈し始めた。
    幸いだったのは、大陸からの軍撤退で大衆の猛烈な反政府運動に見舞われた日本に参戦する余力がな
    かったことと、ヨーロッパでも同様な理由でドイツが動けない状況にあったこと。もし両者が参戦していたら、
    バルタザールの努力は水泡に帰していただろう。
    結局のところ、中国の内戦は両者痛み分けの形で一九四五年に終結。北部に共産勢力。南部に中華民
    国が別々の国家を立ち上げることで事は収まった。
    が、内戦の犠牲者は三千万人を超え、母親の心を持ったバルタザールは、自分の力が及ばなかったこ
    とに苦悩した。






    その後、世界は民族主義の高まりと共に大きく様変わりし、アフリカやアジアの植民地は次々と独立。
    それらの全てが平和裏に独立したわけではなく、大国の後押しを受けた武力蜂起という形が一番多か
    ったのは確かだ。それは大国間の代理戦争と言うべきもので、大国はその度に足の引っ張り合いに終始
    し、結果として多くの大国は国力を衰退させていった。
    とはいえ中には例外もあって、軍事偏重から脱したドイツと、ドイツ以上に軍への依存から脱した日本は
    経済的な成功を収め、前以上に大国としての存在感を増している。
    中国内戦の後に設立された国際連合は、その間隙を縫うかのように各国への統制を強めていき、幾多
    の紛争調停に成功する内、完全に国家以上の権力を振るう機関として認知されるようになっていた。そ
    の中枢を握ったのがキール・ローレンツであり、ゼーレ。
    そして、彼らが主と仰ぐMAGIであった。

    MAGIは、文明の発達と共に手に入るようになった高度な機械装置を密かに入手して、自身の強化とナノ
    マシーンなどの技術の確立に力を注いだ。それらが一段落すると、今度は、赤木ナオコの体を創って己の
    意識を転写することを考え始めた。
    それは数年後に現実となり、MAGIは赤木ナオコとして数万年ぶりに生の太陽を見ている。
    体は三体創られ、それぞれをメルキオール、バルタザール、カスパーが使用した。
    ゼーレを介して戸籍を手に入れたナオコは、偽りの経歴を持って大学に入学。三人が定期的に入れ替わ
    りながら人間として暮らしていた。
    その生活は、MAGIにとって刺激の連続だった。その刺激は官能的で、本体に戻ることが苦痛にも感じら
    れたくらい。

    そんな生活を長年愉しみ、バイオテクノロジーを用いて娘のリツコまで成したMAGIは、政府の新首都建設
    計画の発表で来るべき時を悟った。MAGIは本体をATフィールドとは違う位相空間バリアで覆って石塔の
    偽装を施し、更に土と岩石で完全に埋めて隠した。
    特殊な地形を持つここは、いずれ発見される。発見されるが、発見する人間は選ばなくてはならない。
    そして、その後は・・・




    かなり強い調子でドアを叩く音で我に返ったナオコは、意識が生身の体に戻ったことを知った。クリフォード
    の処分はメルキオールに全て任せたとはいえ、成り行きを見守りたかったカスパーたる自分は自室に籠
    もり、意識を本体に跳ばしていたのだ。
    ナオコはベッドから身を起こし、一通り身なりを確認してからドアに向かう。
    圧縮空気の抜ける音と共にドアが開くと、そこには見知った顔。部下の一人である若い青年がいた。その
    顔には、懐かしくも哀しい記憶がある。彼は、あのアダムの原型となった青年であるから。
    彼は偶然か必然か、この世界でもネルフに在籍している。
    感情などないと思っていた彼が、命と引き替えに自分を破滅から救ってくれた。彼は、本当の従者だった。
    一般的な美意識から言えば冴えない容姿だが、ナオコの目には、凛々しく映る。


    「どうされました?赤木博士。
    何度お呼びしても反応がないので、心配しましたよ」


    ナオコは、先ほどまで振り返っていた過去に影響されたのか、数瞬、彼の顔に見入ってしまった。
    それが言葉の動揺に出てしまう。


    「ご、ごめんなさい。
    最近、ちょっと疲れやすくて。熟睡しちゃったみたい」


    「博士は、働き過ぎですよ。
    それより、お耳に入れたいことが」


    「どうしたの?」


    「実は、クリフォード卿が、先ほど亡くなられました。
    所内は今、大騒ぎです」


    予想の範囲内というか、これは予定通り。
    メルキオールがクリフォードの背後から目に見えないほどのナノマシーンを打ち込み、意識を奪ったのは、
    あの場だが、完全な死は意図的に遅らせている。
    ナオコは、そんな事実など知らぬように表情まで作って意外さを装う。こんな芝居も、慣れたものだ。


    「クリフォード卿が?暗殺でもされたの?」


    「いえ、それが・・
    正面ゲート付近で突然倒れられ、医療部の集中治療室に運ばれて緊急チームが全力を尽くしたのですが、
    それきりに。
    死因は、急性の心不全だそうです」


    「まあ、怖いわね。
    私も歳だから、気を付けないと」


    「博士は、大丈夫だと思いますけど」


    「あら、私が、殺しても死なないタフガイみたいな言い方ね。
    随分じゃない?佐藤君」


    「いえ、決してそんなことは」


    佐藤に拗ねて見せたナオコは、同時に媚びるような視線も送るが、彼の反応は鈍いものだ。
    これまで女性と付き合ったことがないという彼は、そういった方面に疎いというか臆病な青年。そこに何故か
    安心するが、逆に物足りなさも感じてしまう。女の性が強いと、複雑な感情を背負ってしまうものだと思う。
    遙かな過去、碇ゲンドウという男に執着するあまり、実の娘をも見放したのだから。
    他の二人なら、どうするだろうか・・・
    佐藤がネルフに入所して一年あまりが経つものの、まだ誰も関係を持っていないことから考えても、似たよ
    うなものか。
    母親も科学者も女も、人を好きになる気持ちの前では、大した違いはないらしい。
    そうだ。赤木ナオコの人格全てが佐藤に恋をしている。かつてゲンドウに抱いた執着を上回るほどに。


    「ともかく、そんな大事になってるなら、所長に会わないと。
    あなたも一緒に来なさい」


    「はい、博士」


    佐藤を後ろに従えたナオコは、人間の歴史の直中にいる幸せを心の底より感じる。
    自分には心があり、人を愛することもできる。
    これは人間たる証だと、ナオコは思う。
    歴史の舞台で踊る役者の一人。
    この舞台に参加できただけでも数万年生きてきた価値があると、ナオコは暫しの感慨に浸るのだった。




    でらさんから連載第八話をいただきました。

    今回はMAGIの話、ナオコさんもいろいろあったのですね。

    ナオコさんも今度こそ幸せになるといいのです。

    みなさんもでらさんへの感想メールをお願いします。

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