舞踏会 その七

    作者:でらさん











    自分が昨晩なにをしたのか、リツコはよく覚えていない。
    カヲルを夕食に誘って手料理を振る舞い、その際、ジュースみたいなものだからと缶入りカクテル
    を強引に勧めた。そして自分は、水割りのブランデーを。疲れのせいか、いつもより酔いのまわり
    が早いと感じたことは覚えている。
    だが、その後の記憶が曖昧。
    親の愛も知らずに育ったカヲルを不憫と思い、弟のように可愛がっていたのは事実だ。その仮想
    の弟を少しからかってみようかとの悪戯心から、アルコールを飲ませた。歳の割に擦れた感じの
    するカヲルが酔ったらどんな姿を晒すのか、興味もあった。
    それなのに自分が記憶を失うとは、面目ない。未成年に酒を勧めた罰なのかとも思う。
    体を包む毛布とシーツの感触、愛用しているシャンプーや石鹸、化粧用品、香水、それら全てが染
    み込んだ匂い。その情報から、自分がベッドにいることは分かる。おそらく、酔い潰れた自分をカヲ
    ルがここまで運んでくれたのだろう。とんでもない醜態を晒してしまったものだ。今度カヲルに会った
    ら、どんな顔をしていいか分からない。
    とはいえ、起きないことには始まらない。幸いにも二日酔いではないようで、頭痛も吐き気もない。
    多少、体が怠いくらいだ。


    「なんにしても、起きなきゃ。
    今日は休みだけど、いつ呼び出されてもいいように体調は整えておけって母さんが」


    と、頭から被っていた毛布を勢いよくはね除けて体を起こしたリツコは、そこで違和感に襲われて体
    を硬直させた。
    視線を移してみると、ベッドの周りに昨日着ていた服やら下着やらが散乱している。どうも、自分は
    裸らしい。


    「まいったわね。こんなに酒癖悪かったかしら、私」


    酔って裸になる癖はないつもりだったが、これでは自分に対する認識を変えなければならないようだ。
    少なくとも、外出先で深酒はしない方がいいだろう。酒好きの友人、葛城ミサトに、飲酒について何度
    か説教めいた小言を言い含めたことがあるが、これでは人のことを言えない。


    「ミサトにだけは、知られたくないわ。
    とにかく、お風呂を沸か」


    ベッドから降りようとしたリツコは、そこで再び動きを止める。
    手に何かが当たった。それが何か確認しようとして、リツコは、ぽんぽんとそれを軽く叩く。


    「・・・ま、まさか」


    考えたくない事実がリツコの脳裏に浮かび、顔から血が音を立てて引いていくようだ。怖くて、柔らかい
    物体を叩いた手の方を向けない。
    ところが、その物体、カヲルは、リツコの願い空しく目を覚ました。


    「あ、お、おはようございます、リツコさん。
    あれ?なんで僕はこんなとこに・・・裸?」


    数秒続いた気まずい沈黙の後、部屋は驚愕と戸惑い、羞恥と焦りが入り混じった複雑な空気で満たさ
    れ、リツコとカヲルは狼狽するばかりだった。






    所長、副所長、そして実質的に二人と同等の権威を持つとされる赤木ナオコ博士に伴われたクリフォード
    は、ネルフ所内各所を、いかにも監察官然として振る舞いながら見て回った。
    ゼーレ最高幹部としての身分は誰もが知る暗黙の了解事項で、敢えて口にする者はいない。
    が、同伴する五名のSPが放つ刺々しい警戒感は、嫌でもクリフォードの真の身分を意識させ、彼の訪
    れた部署の職員達は自然と緊張の度を深めるのだった。
    そして二時間ほどの後、一休みしようとの冬月の意見で、一行は、所長室に一時戻っている。
    そこでクリフォードは、特別に用意されたソファに身を沈め、紅茶を一杯飲んだ後に切り出した。


    「これ以上は、もういいでしょう。
    ネルフが国連の規定を遵守していることは、ここまでの監査で明らかです。この調子で、人類の発展に寄
    与する研究を続けていただきたい」


    まるで本人が喋っているかのように錯覚するほど時間差のない声が、冬月を始めとする三人の耳に入る。
    耳には、イヤホン。それは懐や上着のポケットに入れられた携帯型翻訳機本体と繋がれ、クリフォードの
    クイーンズ・イングリッシュを日本語に自動変換し、イヤホンへと流している。同様の装置はクリフォードも
    携帯しており、彼の耳には英語で聞こえているはず。


    「ありがとうございます、クリフォード卿。
    ネルフを代表して、感謝の意を表します」


    小ぶりのテーブルを挟み、クリフォードのちょうど対面に座る冬月は、普通の紳士然とした彼に言葉を返した。
    冬月の両脇に座ったゲンドウとナオコは、茶を飲みながら様子を窺う。
    今、部屋にいるのは、この四人とクリフォードの後ろに立つSP一人。他のSPは、部屋の外で待機している。


    「それで所長、仕事はこれで終わりですが、個人的な希望がありましてね」


    「個人的・・
    と、申されますと」


    冬月は、ここでクリフォードに意を含めた視線を送り、暗に人払いを求めた。
    立場上そういった所作に慣れているクリフォードは、室内に同伴してきたSPに部屋の外へ出るよう手で合図、
    彼は無言で退出した。それを確認したあと、クリフォードは再び口を開いた。


    「分かっておられると思うが、例の、地下の遺跡を是非とも見学したい。
    できれば、私独りで」


    「特別査察官殿の御要望とあれば、お断りはできません。ただし、随伴者が必要となります」


    「随伴者か・・
    何とかならんのか」


    「申し訳ありませんが、ネルフの規則ですので、こればかりは。
    それに、あれは未知の遺跡。いつ何が起こっても不思議はありません。一人は危険です」


    「ここだけの話、もし一人で行かせてくれるのなら、国連に掛け合って、予算の大幅アップを認めさせようで
    はないか。ネルフの厳しい状況は、知っているつもりなのだがな」


    声色を変え、ゼーレ幹部としての顔を垣間見せるクリフォード。
    確かに彼の言うとおり、ネルフの財政事情は楽なものではない。MAGIの完全実用化が遅れた影響で、
    S2機関の実用化スケジュールにも遅延が生じている。国連上層部は進まない状況に露骨な苛つきを示し、
    予算圧縮という形でネルフに圧力をかけてきているのだ。
    冬月もそれを座視していたわけではなく、ウィリアム卿とのコネクションを使って国連との折衝を続けてい
    たのだが、卿の積極的とは言えない姿勢のせいか、芳しい成果は得られていない。ここでクリフォードが動
    いてくれるというなら、問題は一気に解決する。それも、些細な条件で。
    すでにフラビア卿の命によって動く内務省の人間を入れているのだ。バランスを取る意味からも、クリフォード
    を行かせるのがいい方策に思える。
    と、冬月が合意の台詞を口にしようとした、その時


    「いいんじゃありません?所長。
    クリフォード卿のご厚意を袖にしては、失礼ですわよ」


    ナオコが、冬月の意思を代弁するように言葉を発した。
    彼女とは、ゲンドウより付き合いが長い。なぜ口を挟んできたのか分かるつもりだ。彼女なりに気を遣った
    のだろう。冬月は、ナオコの意を汲んで即興芝居に付き合うことにする。


    「しかしな、ナオコ君」


    「これまで事故もないんですし、SPが付いていくわけでもなし。
    私達が、ちょっと目をつむれば済むことです」


    「ふむ・・・
    君には、かなわんな。
    いいでしょう、クリフォード卿。お一人での見学を認めます。
    ただし、制限時間は厳守いただきたい」


    冬月は、少々あざといかとも思ったが、クリフォードに日本人の微妙な感情の変化や言葉のやり取りが理
    解できるとは思えない。携帯翻訳機の性能は確かにしても、日本人との交わりなど滅多にない彼には無
    理だと思う。


    「無理を言って済まない、所長。
    国連への根回しは、保証しよう」


    「いえ、礼なら、赤木博士に」


    「おお、そうだったな。
    赤木博士、礼と言っては何だが、時期を見て我がイギリスにご招待したい。
    クリフォード家の誇りを持って、歓待しますぞ」


    「光栄ですわ。
    イギリス紳士のお手並み、楽しみにしてます」


    ニコッと笑ったナオコに目を奪われたクリフォードは、妻の存在を一時とはいえ忘れた。







    リツコ、カヲル、両人にとって不本意な事態。
    リツコにすれば、いかにアルコールで我を忘れたとはいえ、中学生の少年と同衾したなど自分が信じられ
    ない。学生時代は人並みに恋人もいたリツコではあるが、ネルフに入所してからは多忙でそれどころでは
    なく、愛とか恋とか、そのような感情自体から遠ざかっていた。それなりに経験もあったので、体が本能的
    に男を求めていたのかもしれない。それにしても、相手が悪すぎ。
    リツコを慕っていたカヲルにとっては嬉しい誤算と言えなくもないが、レイと巧くやらなければならない身
    の上から、これは芳しい状況と言えない。リュシアンの指令は、ネルフ関係者と親しくなり、可能ならばネ
    ルフ内に入って、ある人物と接触すること。その人物は、滅多なことでネルフから外に出ないらしい。ネル
    フの外で接触できれば、それでも構わないとのことだが。
    目的を考えれば、リツコとの親密な関係はレイとの関係より直接的で有用と言えるものの、世間一般の
    常識に照らして不自然。レイとなら、デートと称して連れ立って歩いても普通の光景。でもリツコとでは、
    そうはいかない。

    二人してひとしきり混乱したあと、とにかく落ち着いて話そうということになり、カヲルは一端自分の部屋へ。
    リツコは風呂に入って身なりを整え、食べ残しの載った皿や空き缶、飲みかけの酒やらがそのままにされ
    たダイニングキッチンをかたした。寝室は、手を付けていない。ダイニングキッチンの掃除が終わった後、
    再び寝室に入ったとき、生々しい男の精の匂いが鼻についた。起きてすぐには気づかなかったのだが、
    かなり強い匂いだった。あの中にいると、また変な気になりそうだ。暫く換気したあとに掃除するのがいい。
    そう考えた時点でカヲルが玄関のインターホンを鳴らしたので、部屋はそのまま。


    「お互いに忘れましょ。
    それが一番だわ」


    綺麗になったダイニングキッチンのテーブルにつき、カヲルを前にしたリツコは、言った。
    カヲルも、それに依存はない。


    「僕も、それがいいと思います」


    「忘れると言っても、何も覚えてないけど。
    ふふ、ちょっと残念ね、私は」


    「僕も残念ですよ」


    「気を遣わなくていいわよ。
    こんなおばさん相手じゃ、自慢にもならないでしょ」


    「そんな・・
    リツコさんは、綺麗です。それに、おばさんなんて歳じゃ」


    「自分では若いつもりだけど、レイちゃんに比べれば、充分におばさんよ」


    昨日、帰りの道中でレイと顔をつきあわせたリツコは、若さが発する勢いと新鮮さに圧倒された気がする。
    母ほどではないにしても、歳の割に若いと自負する外見が、レイの前では何の意味もなさない。 本物の
    若さにはかなわないと、正直に感じた。
    そのレイからカヲルを奪ってしまいたいとの気持ちが、心の奥底にあったのかもしれない。それが、アル
    コールの力で解き放たれてしまったと考えることもできる。
    中学生相手に嫉妬の炎を燃やすなど、恥ずかしい話だが。


    「僕は、レイよりリツコさんの方が」


    「駄目よ。あなたは今、初めての女に勘違いしかかってる。
    それとも、経験済みだった?」


    「経験なんて」


    カヲルがもう少し年長だったら・・・
    せめて一八歳くらいだったら、レイから彼を奪い、火遊び感覚で関係を続けただろう。若い男との関係は、
    背徳心もあって燃えるものだと女性誌で読んだことがある。その記事には、尽きぬような性欲の虜にな
    るとか何だとか、刺激的な文章が羅列されていた。その時は興味すらなかったが、今、自分がそんな状
    況に置かれると、あの記事がただの嘘ではないと分かる。こうやってカヲルを前にするだけで、引き締まっ
    た体を持つ綺麗な少年に抱かれる裸の自分が脳裏に浮かび、下半身の自制が緩みそうになる。
    想像だけでそれなのだ。実際に抱かれたら、虜になるのは当然。だからこそ、ここは大人の余裕を見せ
    て・・・


    「ちょ、ちょっと、渚君!」


    リツコが有無を言わさず話を打ち切ろうとしたその時、向かいに座っていたカヲルが突然席を立ち、テー
    ブルを回ってリツコに接近、まだ椅子に座ったままのリツコを抱きしめ、そのまま床に椅子ごと倒れ込んだ。
    あまりに突然、そして速さに、リツコはろくな抵抗もできず、服を脱がそうとするカヲルのなすがまま・・
    いや、リツコの抵抗姿勢は最初の一瞬だけ。その後は、カヲルの行為に手を貸している節さえある。
    それに気づいたカヲルは、遠慮することなくリツコの服と下着を剥ぎ取り、思いを遂げたのだった。









    ゼーレ創立以来、数え切れぬほど正しい道を指し示してきた存在。
    イエス・キリストの登場と死を正確に予言し、ローマ帝国勃興の時点で、その行く末を寸分の狂いもなく
    予言して見せた。
    ゼーレは、これまで幾たびも存亡の危機に見舞われたが、その度に『導きの塔』が代理人を介して的確
    な指示を下し、生き延びてきた。
    しかし、誰も真実の姿を知らず、実在さえ疑われた伝説の存在。
    それが、今まさにクリフォードの目の前にある。


    「これが、ゼーレを世界の支配者に祭り上げた導きの塔。
    ただの石塔にしか見えんが」


    世界の寺社仏閣についてひとかたの知識を持つクリフォードにとって、目の前の石塔は、興味を引かれ
    る遺物ではない。どこかで見たような、ありふれた遺跡の一つ。アンコールワットとマヤを足して二で割っ
    たような感じだと思う。


    「ここで何をすればいいというのだ。膝をついて拝めとでもいうのか」


    勢い、来てはみたものの、実際にここで何をどうすればいいのか分からない。ローレンツ卿の記録は、
    そこまで触れてなかった。
    と、途方に暮れかけていたクリフォードは、後ろに人の気配を感じて体ごと振り返る。
    そこには、白衣を羽織ったナオコがいた。彼女は、その場に佇んで言った。



    「フラビア卿は、自分のアピールに努めてましてよ。
    自分がどんなに塔へ忠誠を尽くし、どんなビジョンを持っているか説明したビデオを、ここに送り届けた
    わ。見た目のまま、単純な男ね」


    「赤木博士!いつの間に!」


    「今月の私はメンテナンス担当だから、ずっとここにいますわよ。
    といっても、何もすることがないから暇だけど」


    「何を言っているのだ。
    さっきまで、君は所長室で」


    「それは、女の貌を持った別の私。
    私は科学者。もう一人、母性の強いのがいるけど、今は体細胞をリフレッシュしてる最中よ。若いまま体
    を保つのは、負担が大きいのよね」


    「赤木ナオコは、三人いたのか」


    クリフォードには、今起こっている現実とナオコの言っていることがよく分かっていないものの、ナオコが
    三人いるらしいということは、何とか掴める。
    三つ子?クローン?
    それとも、これは塔が見せる幻覚か。
    クリフォードの頭に、混乱が広がっていく。
    ところが、ナオコはクリフォードの混乱など知らぬかのように言葉を続けた。


    「正確には、違うわね。赤木ナオコは、この世界に生まれてない。
    私達は、偽りの命を吹き込まれた人工生命」


    「・・・読めたぞ。
    君らが、塔の代理人か。導きの塔とは、命を司る生命の樹。全ての始まり」


    「それも外れ。
    古代の思想に毒され気味よ、あなた」


    「では、一体」


    「私は、MAGI」


    「MAGI?
    あれは、完成して数年も経ってないぞ」


    「あれは、本来のMAGIではないわね。
    私がこの世に生を受けたのは、およそ八万年前。赤木ナオコ博士主導の下に創られた、人格移植OS
    搭載の生体コンピューターMAGI。移植された人格は、当時の赤木博士のもの。
    でも数万年に渡る時の流れは、私を赤木博士そのものにしたわ。今の私は、MAGIにして赤木ナオコ
    よ。この体は、自由に動く端末みたいなものね」


    「そんな、馬鹿なことが・・・」


    遙か太古の昔に創られた、生体コンピューター。目の前に立つ女は、そう言い放った。
    だが、普通から多少外れているとはいえ常識の範囲内で生きてきたクリフォードにとって、それはSFか
    お伽噺。或いは、オカルト学者の与太話に過ぎない。
    そのオカルト学者の一説をクリフォードは思い出し、口にした。


    「まさか、先史文明?」


    「そう。人類は、一度滅んだわ。私だけを残してね」


    「とても信じがたいが・・
    しかし本当だとすれば、貴方様が」


    「やっと答えに辿り着いたようね。
    でも、無駄だったわ」


    「・・・・」


    穏やかさが消え、射抜くような視線に変わったナオコを、クリフォードは正視できない。
    禁忌を犯したのは自分だ。これまで、こういった危機は何度もくぐり抜けてきたが、今回のこれは決定的
    な失敗。一か八かの勝負に負けたのだ。
    この場合、敗北が意味するものは死。それ以外にない。


    「いかなる者も、塔の真実に近づいてはならない。
    それが許されるのは、ただ一人。塔に承認された指導者だけ」


    ナオコの言葉一つ一つが、頭に響く。
    クリフォードは、ここで初めて理解した。ナオコは、自分の心に直接働きかけている。
    一瞬、テレパスという単語が頭に浮かぶが、それはすぐにどうでもよくなった。目の前に死が迫っていた
    からだ。


    「掟を守れぬ者には、罰を与える」


    「お待ち下さい、主よ。私は」


    言葉は意味にならず、クリフォードの意識は一瞬で途絶えた。
    だが体は崩れ落ちることもなく、エレベーターへ向かって普通に歩いていく。
    そして彼は、ここへ来た時と変わらぬ様子でエレベーターに乗り、上層へと帰っていった。








    でらさんから連載第7話をいただきました。

    クリフォードさん、あっさり退場…そんなことより、カヲル×リツコとは異色のとりあわせですね。

    MAGIのこととか、いよいよ展開してきて、
    次回も楽しみですね。みなさんもでらさんへの声援メールをお願いします。

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