舞踏会 その六

    作者:でらさん












    権威は堕ちたものの、未だイギリス貴族としての矜持を保ち続けるアーサー・クリフォードにとって、
    彼の認識上、辺境の地である日本に自ら足を運ぶということは、大事である。それが、ゼーレの全
    権力を掌握する上で必要であるとしてもだ。
    半世紀以上に渡ってゼーレトップに君臨してきたキール・ローレンツ亡き今、ゼーレの最高意志決
    定機関である最高評議会。その構成委員は、現在四名。それぞれが評議会議長に名乗りを上げ、
    話し合いも数回行われたものの、物別れに終わっている。
    秘密結社の権力闘争といえば血を血で洗う実力行使が相場と思われがちだが、ゼーレはあまりに
    特殊な組織のため、それは始めから考慮されていない。もっと下の階層、下部組織などの跡目争い
    ならともかく、国連をも勢力下に置くゼーレの最高指導者には、それなりの徳と品が求められる。殺し
    合いで権力をもぎ取ったとて、威信を失うだけ。
    更には、実力行使できない根本的な理由もある。
    ゼーレ創設時から、最高指導者は、『導きの塔』と称される存在からの承認を得る必要があるのだ。
    それは絶対であり、いかなる強権を持った指導者とて、その掟を無視することはできない。
    過去には、掟を蔑ろにして権力を握ろうとする輩も少なくなかった。
    しかし、そういった輩の全ては不慮の死を遂げ、野望が成就することはなかったのだ。
    『導きの塔』は、ゼーレ内部でもこれまで謎の存在とされてきて、実在を疑われたことも多い。幹部
    の一人、リュシアン卿などは、組織防衛のための裏監察機関ではないかと主張していた。
    ところが、ローレンツ卿の死が謎の一端を明らかにした。ネルフの地下に在る未知の古代遺跡その
    ものが『導きの塔』であると、彼の執務端末に記されていたのである。
    記録を全て分析した幹部達四人は、塔との接触の仕方、タブーなどをも知り、各々のやり方で接触
    を図っている。たが、これまで塔からの反応を得た者はいない。クリフォードも、また然り。塔の代理人
    と思われる人物を探したり、出先機関でもないかと調べたりしたが、いずれも空振り続き。業を煮やし
    たクリフォードは、直接に塔と接触しようと思い立ったのだ。塔の本質に触れようとする行為は一番の
    タブーと記録にはあった。とはいえ、もうクリフォードには我慢がならない。一か八かの勝負に出たの
    である。
    クリフォードは、言葉より行動が信条。
    その点に置いてはフラビア卿も同様ではあるが、彼は外見に似合わない慎重さも持ち合わせている。
    危険を察知すれば、それを巧く避けようと動くのだ。
    だが、クリフォードは違う。危険の中に敢えて飛び込み、死中に活を求めることも厭わない。事実、その
    手法を多用してゼーレ最高幹部にまで上り詰めた。
    そして今回も・・・


    「ここが第三新東京市・・・
    なんと無機質な街だ。雅さの欠片もないではないか」


    クリフォードは、空港からネルフへと向かう車中、サイバー都市と異名を馳せる市街を見て顔をしか
    めた。イギリスの伝統的な父親らしい包容力に満ちた容貌が、厳しく歪む。
    クリフォードは、知恵による技術と発展を憎悪し、機械文明を否定する原理主義者ではない。むしろ、
    文明の進化は世の摂理とまで考えている。ただ、そこに人間らしさというか技術の遊びを求めるので
    ある。そこに、伝統との調和があれば尚いい。第三新東京市のように、まるでSF映画に出てくる近未
    来都市のようなデザインは彼の性に合わないのだ。それが証拠に、塔との接触が巧くいったら、京都
    や奈良を数日かけて見て回る予定。


    「日本人という人種は、よく分からん。
    素晴らしい伝統文化を持つというのに、こんな玩具のような都市を創るとはな。
    ファーガス。君は、こういう街に住みたいかね?」


    クリフォードは、前席の助手席に座る執事のファーガスに問うてみた。細身で白髪、鼻の下に見事な
    髭を付けた彼は、幼少の頃からクリフォードに仕え、友人とも言える存在。誰を置いても信頼する人間
    でもある。彼なら、自分の気持ちを分かってくれると思うのだ。


    「昔から、住めば都と申します、旦那様」


    「君らしい答えだよ」


    期待していた応えとは違う台詞に、クリフォードは気分を僅かに乱す。その乱れが沈黙となり、ネルフ
    に着くまで、車中は気まずい沈黙で満たされていた。








    冬月は、朝早くから呼び出したゲンドウを前に、少しだけ過去を振り返った。
    ゲンドウとは彼が学生だった頃からの付き合いで、初めて彼と会った時の印象は、芳しくないものだった。
    寡黙で多くを語らず、かといって人間嫌いというわけでもない。ある程度気心が知れれば、普通に情の
    ある人間だと分かる。要は人見知り激しく、付き合う人間の選り好みも激しい。そんな男。
    冬月は、何故か彼の目がねにかなったようで何かと慕われるようになり、ユイとの結婚の際に仲人まで
    頼まれている。もっともそれは、ユイに心惹かれていた冬月の心情からすれば、気の進む頼まれごとで
    はなかったが。


    「今朝、内務省の男を地下に連れて行ったな、君は。君にその権限はあるが、理由を聞きたい。
    なに、今は情勢が情勢だ。ちょっとしたことも気になるんだよ」


    出勤してすぐ端末を確認した冬月は、保安部からの報告にまず目をとめた。朝の五時に、内務省の人間
    がゲンドウと会っていたというものだ。しかも、最下層へ彼を連れて行った。フラビア卿の意思で動いてい
    る人間があそこへ行ったとなると、何か意味があるはず。
    だが、ゲンドウはすぐ問いには応えず、己の耳のあたりを指して無言で何かを訴える。
    それを盗聴器のことだと理解した冬月は


    「大丈夫だ。盗聴器はオフにしてある」


    すると、その言葉を待っていたかのようにゲンドウが喋りだした。


    「実は、取引を持ちかけられました」


    「取引?ゼーレの意向か?」


    「そうです。
    あの石塔の正体を、ゼーレは知っているとのことでした。
    正確には、最高評議会の委員だけですが」


    「それを、君は知ったのか」


    「ええ。
    あれは、ゼーレの聖典に記述のある、導きの塔。ゼーレは古来から、どこにあるともしれないその塔の
    意思に導かれてきたということです」


    「では、塔の発見とネルフの設立は偶然でないということか」


    「発見は偶然でしょうが、ネルフの設立は裏でローレンツ卿が動いたものと」


    「・・・・」


    冬月は、考え込むように口を閉ざす。
    ネルフの設立に関する経緯については、冬月も訝しい思いを抱いたことがある。
    葛城博士は優秀な学者ではあったが、お世辞にも社交的な人間ではなかった。これといった政治思想
    もなく、海千山千の政治家や国家官僚相手に対等の取引ができる人間ではない。個人的にも親しかった
    冬月は、彼という人間をよく知っている。
    ところが彼は、それをやった。周囲の誰もが不可能と断じたことをだ。
    当時は、単に博士の純粋さ故の情熱が関係者を動かしたものと思っていたのだが、裏でローレンツ卿が
    動いていたとなれば、話は簡単。博士は隠れ蓑でしかなかったわけだ。或いは、博士とローレンツ卿が
    秘密裏に歩調を合わせていたかも・・・


    「だが、それが事実だとしても完全な答えになっていない。
    あの塔がなんなのかという、本質的な問題が残っている。まさか、神殿でもあるまい」


    「それは、ローレンツ卿のみが知っていたものと思われます」


    「それが、世界を揺るがすと言われる、ゼーレの最高機密か」


    「恐らくは」


    再び、冬月は思考の深みに嵌って口を閉ざした。
    あの塔がゼーレにとってそれほど重要な存在ならば、今日、国連特別査察官として訪れる予定のクリ
    フォード卿の意図も知れようというもの。彼も塔の見学を要求するだろう。そこで何をするかは分からな
    い。だが、すでにネルフがゼーレの権力闘争に組み入れられてしまったことは間違いない。
    冬月は、それでもネルフの関与は最小限にしたいと思う。研究機関に、いかなる形でさえ権力が介入
    すると、ろくなことはないのだ。


    「今日は、クリフォード卿が査察の名目でここに来る。
    分かっているとは思うが、この話は」


    「承知しております、所長」


    「それでいい。
    ったく、厄介な荷物を抱え込んだものだよ。ゼーレの御神体とはな」


    葛城博士は、いい友人だった。
    しかし冬月は、今ほど彼を恨めしいと思ったことはない。
    彼がローレンツ卿と繋がっていたとすれば、いずれこうなると予想していたに違いないのだ。その上で
    自分をネルフのトップに推薦した。信頼の証とも受け取れるが、冬月にとっては重荷。本来自分は、こ
    んな組織の頭に座る人間ではなく、平々凡々とした研究生活が似合っているのだから。
    できるものなら、すぐにでも今の職を投げ出したいくらいだ。


    「ま、愚痴を言っても事は収まらん。我々にできることをするだけだ。
    頼りにしているぞ、碇君」


    返事の代わりにニヤリと顔を歪めたゲンドウが、冬月には頼もしく思えた。









    放課後、朝の痴話喧嘩を忘れたかのようなアスカとシンジは、カヲルとレイを伴って帰宅の途中。
    繁華街を皆で無駄話しながらの帰宅となると歩みものろくなりがちで、いつもなら着いている時間
    なのに、まだ市街も抜けていない。
    どっちのカップルが誘ったというわけでもなく、何となく自然に一緒になってしまった。
    シンジは、レイがカヲルと付き合うことになり、アスカとレイの小競り合いから解放されてホッと一息・・・
    とは、何故かならなかった。レイをカヲルに取られた感じがして、複雑な感情を否定しきれない。
    もちろんアスカへの愛情は変わらないし、レイと二股かけようとしていたわけでもない。親戚で、幼い
    頃からの知り合いだったレイが自分から離れていくようで、寂しさを禁じ得ないのだ。カヲルが嫌な男
    だったなら、まだ感情の持って行き所があったのだが、彼はどこを取っても非の打ち所のない出来た
    人間。ちょっと考えただけで幾つかの欠点を挙げられる自分とは、あまりに違う。一言で云えば、彼は
    大人。
    ゆえに、いつの間にか会話の主導権も握られてしまう。


    「へ〜、シンジ君はネルフに入ったことがあるんだ。
    羨ましいな。あそこは、基本的に見学を受け入れてないからね」


    「ラウンジとか食堂に行っただけだよ。ジオフロントは、少しだけ見ることができたけど」


    「それでも羨ましいよ。
    惣流さんも、一緒だったの?」


    「そうよ。
    そもそも、アタシがパパにお願いしたんだもん。ジオフロントでシンジとデートしたいって」


    「さっすが、わがまま姫のアスカちゃん。
    わたしには、とてもできないわ、そんなこと」


    レイが、茶化すような口調で言う。
    それに対しアスカが、落ち着いて切り返す。


    「よく言うわよ。場合によっちゃ、アタシより押しが強いくせに。
    今も、渚とジオフロントでデートしたいとか考えてるんじゃないの?」


    「何で、わたしの考えてることが分かるの?
    アスカったら、エスパー?」


    「アンタの考えてることくらい、お見通しよ。
    ゲンドウおじさまって、ユイさんに似てるアンタに甘いもんね。簡単に許可くれそうだわ」


    レイは、シンジの母、ユイと親子以上に似ていると言われている。シンジも母の学生時代とかの写真
    を見たことあるが、髪の毛の色が濃いくらいで、今のレイと瓜二つだった。当時のユイとレイが並べば
    双子で通じるだろう。
    そのレイにゲンドウが甘いというのは周知の事実で、関係者で知らぬ者はいない。実際、レイは昔か
    らゲンドウに可愛がられてきた。レイがゲンドウにお願いすれば、多少の無理はしてでも許可を出すだ
    ろうことは間違いない。カヲルの存在に不快感を表すのは、当然だろうが。
    と、向かいの人混みの中から、リツコがこちらへ歩いてくる。この四人全てが彼女を知っているけども、
    最初に反応したのは、カヲル。


    「あ、リツコさん」


    「渚君じゃない。後ろは・・・」


    一歩前に出たカヲルの後ろを窺うリツコは、見知った顔三つを確認。アスカとシンジはネルフ関係のパー
    ティなどで数回面識があるし、副所長の親類のレイも一度か二度会ったことがある。中でも惣流博士の
    娘であるアスカの優秀性には着目し、将来、時期が来たらネルフに誘おうかとも考えている。他の二人
    も、礼儀をわきまえている真面目な子達だ。
    その三人が、それぞれにペコッと頭を下げた。


    「シンジ君とアスカ。でもって、レイちゃんか。
    ひょっとして、みんなクラスが一緒とか?」


    「ええ、まあ」


    カヲルの応えで、予想が当たっていたことに小さな幸せを感じたリツコは、満足したかのように顔を綻ば
    せると、


    「じゃ、私はこれで失礼するわ」


    足早にそこを去ろうとする。四人一緒ということで気を遣ったのかもしれないし、仕事帰りで疲れている
    のかもしれない。
    が、カヲルは、リツコともう少し一緒にいたかった。ここのところ、リツコとは時間的に合わず、会話どころ
    か顔も見ていない。シンジ達ともっと親しくならなければいけないと頭では分かっているものの、リツコへ
    の執着がそれを上回ってしまう。その執着が、咄嗟の言葉となって口から出た。


    「僕も、これから帰るんです。
    ご一緒していいですか?」


    「レイちゃんに怒られるわよ」


    呼び止められたリツコは、不満げなレイを見て、カヲルとレイの関係を察した。自分を姉のように慕ってく
    れるカヲルの気持ちは嬉しいが、レイに恨まれるのは勘弁だ。母の友人で、副所長の妻でもあるユイに
    似ているレイは、リツコが苦手とする人間の一人。


    「もちろん、彼女も一緒ですよ。
    レイ、リツコさんと帰ろうよ」


    「・・・し、仕方ないわね」


    レイは渋々といった様子で同意すると、カヲルの横に並び、彼の手に自分の手を絡ませる。あからさまに
    リツコを意識した行為だ。
    カヲルはリツコにちらと目を向け、彼女と視線が合うと、はにかむような表情を浮かべた。それを誤魔化
    すように、カヲルは言った。


    「じゃあ、こういうことだから。
    シンジ君達とは、ここでお別れだね」


    カヲル自身は誤魔化したつもりでも、端から見ていたアスカとシンジにすれば、事の次第は明らか。
    カヲルは、リツコに憧れ・・
    いや、恋をしている。レイへの気持ちとは、また別のようだが。
    それが分かるだけに、二人はさよならと言いつつ、微妙な間をとって歩いていく三人を複雑な顔で見送
    るのだった。






    事業で成功した祖父が、落ちぶれた貴族から買い叩いた古城の奥深く、古来は城主が執務のために
    使っていたと伝わる部屋に彼はいた。
    アンリ・ド・リュシアン。カヲルを第三新東京市に送り込んだ、ゼーレ最高評議委員の一人。
    彼は今、世界中に張り巡らせた諜報網から上がってくる情報と接し、情報の大海を驚くべき早さと正確
    さで泳ぎ回り、探索している。
    文字通り、彼は情報の海を泳いでいる。コンピューターと脳を直接リンクし、意識を仮想空間に跳ばして
    情報に直接触れているのだ。その世界において情報は空気となり、理解する必要はない。ただ、受け入
    れればいい。受け入れるだけで、全てが分かる。


    <カヲルは、赤木博士の娘と親密になりつつある。予定通りだな。他は・・・
    ふん、マルセリーノとアーサーが接触を焦っているか。焦ったところで、塔から承認は降りんよ。我々は、
    今この瞬間にも試されているのだからな。
    ウィリアムの動きが読めんが、奴のことだ、様子見といったところだろう>


    リュシアンは、ゼーレの情報部門を勢力下に置く。よって、導きの塔についても他の幹部達より詳しいと
    自負している。
    真実が明らかになるまで、リュシアンは導きの塔の実在に懐疑的な考えを持っていた。それは彼の合
    理性に依るもので、証拠が在れば、それをありのままに受け入れるだけ。実際、キールが遺した膨大な
    量の執務記録を分析し尽くしたリュシアンは、導きの塔の代理人とも言うべき人物を、推論ではあるが
    導き出している。


    <赤木ナオコ・・・か>


    ナオコの全情報を記録の棚から引き出したリュシアンは、視覚化された彼女の容姿に見入り、実年齢
    とかけはなれた若く美しい容姿に、暫し魅了された。








    でらさんから連載第六話をいただきました。

    また妖しげな単語が出てきました。導きの塔ですか

    ゼーレのひとたちも、胎動して来ているようですね。

    次回も楽しみですね。ぜひでらさん宛に感想メールをお願いします。

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