舞踏会 その伍

    作者:でらさん













    夢・・・
    そう、これは夢。

    星が瞬いているのに、妙に明るい。
    そんな昼とも夜とも知れぬ不思議な空を仰ぎ見るアスカは、ここが夢の中だと断じた。
    こんな風景、現実にあるわけがない。夢と分かる夢は、何回となく経験がある。これも、そうに
    違いない。


    (何なのよ、あれ・・
    半分に割れたレイの頭、富士山より大きいんじゃないの?
    光の十字架が宙に浮かんでるし、ビルみたいにおっきいトカゲ人間が磔にされてる。
    ダリでも、こんな絵描かないわ)


    シュールレアリズムの巨匠、ダリの絵もアスカには理解し難いが、この夢は、それ以上。
    おまけに、遠近感の掴めない視覚がアスカを苛立たせる。


    (なんか、おかしいわね。左目の辺りがズキズキするし・・
    シンジのやつ、寝てるアタシに変なことしてるんじゃないでしょうね)


    今日も親達は不在で、アスカはシンジと同じ部屋、同じベッドで就寝。前にも、寝てる間に○×
    △なことや★□◎→なことをされて目が覚めたことがある。


    (ったく・・
    アタシも嫌いじゃないけど、寝てる間くらい、休ませてよね。
    腕まで痛いじゃない。なにしてんのよ)


    体の感覚がはっきりしてくるにつれ、右腕に結構な痛みと痺れをアスカは感じた。動かそうと思っ
    ても、思い通りに動いてくれない。
    まあ夢だし、こんなこともあるかとアスカが何とか右腕を上げて目の前にかかげる。
    そこに見えたのは、手首まで包帯に巻かれた自分の腕。大層な怪我をしているらしい。


    (ろくな夢じゃないわ。
    となると、左目もそうとうな怪我ってことか)


    夢と分かっていても、こんな怪我はイヤなものだ。早く醒めないものかと、アスカは空を仰ぐ。
    ・・と、突然、シンジが顔を覗き込んできた。
    思い詰めたように顔が蒼白。こんな彼は、見たことがない。


    (ちょっと、ちょっと、ちょっと!
    なんか危ないわよ、アンタ!)


    アスカは本能的な恐怖を感じ、自由になる左手でシンジの顔を遮るようにして押さえた。
    しかし、声は出ない。必死に口をパクパクさせてみても、どうにもならない。体も左手以外動かな
    いし、このままでは・・・


    「イ ヤ〜〜〜!!」


    「わ〜〜〜!!」


    気が付けば、そこは見慣れたシンジの部屋。
    アスカは、生まれたままの姿でベッドから半身を起こしていた。
    そしてベッドの横・・
    床に、シンジが頭を押さえて転がっている。アスカと同じく裸で、隠すべき所も隠していない。
    今の二人の関係を鑑みれば特に問題はないのだが、どこか情けない。品のないギャグのようだ。


    「なにやってんの?アンタ」


    「なにって・・
    アスカが魘されてたから、起こそうと思って体ゆすってたんだよ」


    「・・・で?」


    「いきなり顔押さえつけられて、そのまま突き飛ばされたんだ。
    あ〜、痛て。後頭部、まともだよ」


    枕元の時計を見れば、普通に起きる時間。体には何の変化もないようだし、シンジが悪戯してい
    たわけではなさそうだ。


    「ごめ〜ん。
    でも、変な夢だったわ。妙に現実的でさ」


    「まあ、いいや。
    とにかく、支度しよう。僕は、お風呂の準備するから」


    「じゃ、アタシは、ご飯の用意するわ」


    二人は、床に投げ出された各々のパジャマを拾って、下着も着けずに着る。
    シンジは、二人の下着を手にして風呂場へ。アスカは台所へ向かった。こういった役割分担は、
    話し合いの結果などではない。自然と、こうなっている。すでに新婚のような生活をしているわけだ。


    「さ〜て、今日は何にしようかな」


    冷蔵庫を開けて覗き込むアスカは、変な夢などすでに忘れてしまったかのよう。
    しかし、彼女は忘れたわけではなかった。










    まさか、向こうから来るとは思わなかった電話。それは、ゲンドウからの招待状だった。
    正式なアポイントメントを通さない面会で、時間も早朝。朝の五時とは、加持も職業柄、色々考えて
    しまう。
    前回のゲンドウは、頑なな姿勢ながら、ゼーレの機密を持ち出したら強い反応を示した。外見に似
    合わない学者肌で、好奇心も強そうだ。ナオコが顔を出さなかったら、いいところまで話が進んだか
    もしれない。
    更にゲンドウには、ある性癖があった。女に目がなく、しかも若くて美形の女を好む。結婚してからも、
    浮気が原因で数度の離婚の危機にあったと記録で読んだ。恐妻家という噂も、そのあたりに起因し
    ている様子。
    最近はさすがに自重しているようだが、加持はその線から攻めてみようと考えていた。
    情ではなく金で動く女を、加持は何人か知っている。プロではなく、世の中金と割り切っている女だ。
    皆、そこそこの美形なので、ゲンドウを刺激するに充分だと思われる。加持は彼女達に根回しし、
    写真まで用意してきた。


    「おはようございます、副所長。
    いつも、こんなに早く出勤なさるんですか?」


    ゲンドウの執務室に入った加持は、まず挨拶。ついでに、この時間に呼んだ理由をさりげなく聞いておく。


    「泊まりだよ。ここのところ、ずっとな。
    息子の顔も、ろくに見とらん」


    「そんなにお忙しいとは」


    「所長を始めとする幹部連中は、みんな似たようなものだ。
    だが、人類の夢がかかっている。この程度、大した問題ではない」


    加持も、現在のエネルギー問題を一挙に解決すると言われるS2機関実用化の話は聞いている。
    と言うか、S2機関が実用化されると世界政治のバランスに多大な影響を及ぼすのは必死。ましてや
    今は、世界を牛耳ってきたゼーレそのものが内部抗争で揺れている。日本の情報を司る内務省が関
    心を寄せるのは当然。
    が、今の加持は、政界の混迷よりアルバイト優先。


    「今日は、いい返事をもらえそうですね」


    「否定はしない。君の要望を受け容れるとしよう」


    「ご協力、感謝します」


    「ただし・・」


    「分かっています。あれ・・・ですね?」


    加持は、ゲンドウの沈黙を了解と受け取る。
    ネルフには厳しい情報統制が在り、内部に警察機構のような部署も存在する。この部屋に盗聴器が
    あっても不思議ではない。喋りすぎは禁物。


    「ここを疑うわけではありませんが、声に出せません。
    その代わり、これを」


    ズボンのポケットから、真空パックされた小ぶりな一枚のディスクを取り出した加持は、それを机上に
    差し出した。ゲンドウは、それを手に取り、サングラス越しにディスクを品定めする。ゲンドウの見る限
    り、この時代では、ごく一般的な記憶媒体。封を破って空気に触れれば、一定時間の後に使用不能に
    なってデータも完全に消滅する物だ。


    「これが本物である証拠は?」


    「信頼していただくしかありませんな」


    「ここで確認したいが」


    「どうぞ。
    ただし、ラインに繋がっている端末は使わないでいただきたい。
    それと、それは一〇分程しか保ちませんので」


    「そんなヘマは、せんよ」


    ゲンドウは、私用で使っている端末を引き出しから出し、電源を入れて立ち上げる。
    そしてディスクの封を破って挿入し、暫く画面に見入った。
    その間、数分。
    加持は何をするでもなく、ゲンドウの様子を窺う。大金がかかっているのだ。変な行動で事を台無し
    にしたくはない。


    「これが真実だと?」


    「私には分かりません。
    ディスクの内容について、私は何も知らされていないんです。
    世界の謎なんて、私は興味ありませんよ」


    実のところ、加持も関心がないわけではないが、この秘密は危険すぎる。命と引き替えに知りたいほ
    どの物ではない。ディスクも、上司から渡されただけ。
    それより、早いとこ事を済ませてしまいたい。


    「満足していただけたなら、あれを」


    「分かった。付いてきたまえ」


    ゲンドウは、ディスクを端末から取り出して上着のポケットにしまい、椅子から腰を上げる。
    そして、加持を引き連れて部屋を出て行った。
    下層への道中、加持がオマケとして若い女の写真付きプロフィール数枚を渡したのは、言うまでもない。









    突き飛ばされたことが不満なのか、あるいは朝ご飯のメニューが気に入らなかったのか、シンジは家
    を出てからあまり話さない。アスカの話に相づちを打ったり笑みを浮かべたりするものの、いつもの反
    応ではない。
    シンジと付き合いの長いアスカのこと、彼の顔を見れば、機嫌の善し悪しくらいは簡単に分かる。
    今のシンジは、明らかに機嫌が下降中。


    「なによ。朝のことは謝ったじゃない。
    それとも、パンが不満だったの?仕方ないでしょ。お米が切れてたんだから」


    うじうじ悩むのは性に合わないアスカは、ふと立ち止まってシンジの正面に立ち、思い切って言ってみた。
    しかしシンジは、ポカンとするだけ。


    「いきなり、なんだよ。
    別に怒ってないよ」


    「なら、どうして落ち込んでるのよ」


    「落ち込んでるんじゃなくて、考え事してたんだ」


    「珍しいわね。シンジが考え事なんて」


    シンジの成績は悪くないものの、レイと共に学年トップを常に窺うアスカには及ばない。それで引け目
    を感じるということはない。むしろ、頭のいい彼女を自慢しているくらいだ。
    とはいえ、今の台詞は少し癇に障る。
    その気分が、声のオクターブ低下によって現れた。


    「来年は高校生だよ、一応」


    「はいはい。
    で、何を考えてたの?」


    「アスカの夢のことさ。
    妙にリアルだったって言ったよね?」


    「うん。痛みとかも、ちゃんと覚えてるわ。
    風景は、信じられないくらいシュールだったけど」


    「シュール?」


    「そうよ。
    富士山みたいにおっきいレイの頭が半分に割れてたり、漫画に出てくるような巨大トカゲ人間が磔に
    されてたり・・
    美術で習った、ダリの絵みたいだったわ」


    「なに?それ」


    「だから、夢って言ってるじゃない」


    「僕がたまに観る夢の方がマシだな」


    先ほどの意趣返しとばかりに、シンジが勝ち誇ったような感じで笑みを浮かべる。
    今度は、アスカが不機嫌になる番


    「イヤな言い方するわね。
    じゃあ、聞くけど。アンタの夢って?」


    「僕が巨大ロボットに乗って化け物と戦うんだ。
    それが強くてさ。次から次と化け物を」


    「あははははは!
    バッカじゃないの?
    アタシの夢の方が高尚よ。きっと、シュールレアリズムの才能があるんだわ。アタシ」


    シンジの話を、アスカは笑いで遮る。
    アスカにしてみれば、シンジの夢は、漫画やアニメなどのヒーローに対する憧れが夢という形になって
    現れたに過ぎない。自分の夢とは本質的に違うと思う。二〇一六年現在でも等身大ロボットがやっと
    という現実を見れば、それは正しい見方かもしれない。
    シンジとてそれは分かっているものの、アスカの言い方が気に入らない。


    「ロ、ロボットの、どこが馬鹿なんだよ」


    「子供みたいじゃん。
    そろそろ、そういうのから卒業したら?」


    「その子供に毎晩泣かされてるのは、どこの誰だよ」


    「そ、それとこれとは、話が別よ!
    大体、アンタだって所構わずじゃれついてきて、後始末が大変じゃない!」


    「アスカだって断らないじゃないか!
    最近は、アスカの方からじゃれついてくることが多いと思うけどね!」


    「言った わね〜!!」


    声量の大きいアスカの声が、朝の通学時間帯まっただ中の路上に響く。
    ただでさえ鬱陶しい痴話喧嘩なのに、歳に似合わぬ会話の内容に、誰もが引いている。それは、彼
    らの友人であるこの二人も一緒。


    「おい、ケンスケ。あいつら、何とかならんのかいな。
    中学生の会話やないで」


    「俺に言うな、俺に」


    ぶっちゃけた話、あのアスカとよろしくやっているシンジを羨ましいと思うケンスケだが、考えれば考
    えるほどむかついてくるので、無関心を装う。
    レイは一週間ほど前からカヲルと付き合い始めたようだ。どことなく雰囲気が似通っている二人は、お
    似合いで、シンジ達と違って落ち着いた関係を見せる彼らは周りの評判もいい。カヲルに関心を寄せ
    ていた女の子達でさえ、レイに嫉妬をぶつけることはないのだ。
    ケンスケも、カヲルには嫉妬らしきものを感じない。外見において彼と自分を比べるのは無意味でさ
    えあるし、人の良い彼を恨むとなると、自分が卑しい人間に思えるだろう。自分に限らず、カヲルと
    接する人間は、大方そうだと思う。アスカに、大きなトラブルも無しに異性の友人として認められたの
    は、ケンスケの記憶にある限りカヲルだけだ。自分もトウジも、アスカと出会った当初は喧嘩ばかり
    だったから。
    と、カヲルがこちらへ歩いてくる。隣にはレイも一緒だ。


    「おはよう、相田君。鈴原君も」


    「おう、渚。早いな」


    「おはようさん、ご両人」


    レイは、手を軽く挙げただけ。
    ではあるものの、愛想がないというわけではない。カヲルが挨拶したのだから、自分はいいだろうと思っ
    ただけ。


    「相変わらずね、アスカとシンちゃんは。
    全く進歩がないんだから」


    「そうか?色惚けぶりは、進歩してると思うがな。
    渚も、そう思うだろ?」


    「え?いや・・」


    ケンスケに話を振られたカヲルは、一瞬、返答に困る。
    が、すぐに


    「仲が良いのは、悪いことじゃないと思うよ。
    レイもよく言ってるけど、あの二人は特別なんだよ。あれでいいんじゃないか」


    「そうか?
    ま、あいつらが特別ってのは認めるけどな」


    カヲルの言うことももっともと納得したケンスケは、レイの顔を見て自分達が邪魔と判断。トウジを引っ
    張るようにして、カヲル達から離れた。
    アスカとシンジの痴話喧嘩はすでに収まったようで、姿も声もない。イベントは、終了したわけだ。
    そう、あれはイベント。
    いつかどこかで見たことあるような、そんな微笑ましい風景。


    『なんや、また夫婦喧嘩かいな』


    『『そんなんじゃない!』』


    ケンスケの頭に何かが浮かび、それは一瞬で消え去っていった。








    その塔は依然として何も語らず、何を示すこともなく、客二人を向かい入れた。
    歓迎しているとは限らないが、至近距離で接しても何も害がないことから察すれば、少なくとも邪険に
    は扱われていないということだ。
    ゲンドウは、加持を塔の正面にまで連れてきている。
    その加持はといえば、初めて見る未知の遺跡に興味津々の様子。


    「南米のピラミッドに似てますね。マヤ・・・
    インカだったかな。アステカとは違うみたいだが」


    「外見だけはな。
    中身は、まったくもって分からん」


    「そういえば、光波やダイヤモンドカッターも受け付けないんでしたっけ?ただの石を組み上げただけに
    見えますが、石ではないってことか」


    「好奇心旺盛なのはいいが、さっさと用件を済ませたまえ。
    ここにいられる時間は、私とて長くないのだ」


    ここは、ネルフの最下層にして最重要区画。ごく一部の人間しか知らないけども、ネルフが創られたの
    は、この遺跡のため。
    よって立ち入りは厳しく制限され、許可された人間でも、時間は最長三〇分。当然、全てはMAGIの監
    視下にある。三〇分を過ぎればエレベーターは自動的に上昇し、幾ばくかの後に保安部の要員が完全
    武装で迎えに来るだろう。それは、副所長のゲンドウとて例外ではない。所長と副所長は一人の帯同が
    認められているものの、履歴と行動はMAGIにしっかりと記録される。今現在も、それは同じ。記録の閲
    覧は、基本的に所長しかできないが。


    「分かっています。
    塔の周りを歩いてよろしいですか?」


    「急ぐんだ」


    了解を得た加持は、塔の周りを早歩きで見て回る。その途中、ゲンドウが視界から外れた頃合いを見計
    らって、持ってきた煙草の箱を、ちょっとした石と石との段差に置いた。加持は、この行動の意味など分
    からない。箱の中身が何であろうが興味ないし、知りたいとも思わない。余計なことを考えれば、死ぬだ
    けだ。
    ただ、雇い主から依頼された仕事は、これで終わり。加持は、早足から駆け足に切り替え、ゲンドウの元
    に戻った。


    「け、結構、大きいですね」


    「時間がない。すぐに出るぞ」


    「は、はい」


    二人の客は慌ただしく去り、場には静寂が戻った。
    その静寂の中、先ほど加持が置いた煙草の箱が、すーっと、石に吸い込まれるようにして消えた。
    箱は潰れるでもなく、元の形を保ったまま。また、石の隙間に吸い込まれたわけでもない。石をそのまま
    透過したと言えばいいだろうか。
    そして塔全体が一瞬だけ震え、その後は、巨大な空間に静寂という停滞だけが存在するのだった。






    でらさんから連載第五話をいただきました。

    二人の見た夢といい、加持の怪しい行動といい、伏線をはりまくっておりますね。

    期待感を盛り上げております。
    加持にはあまり期待しませんが(笑

    素敵なお話を書いてくださったでらさんに是非感想メールをお願いします。

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