舞踏会 その四

    作者:でらさん













    「あら、渚君。いま帰り?」


    「え、ええ」


    後ろからの声に振り向いたカヲルは、反射的に返事をしてしまった。
    が、リツコと特別に親しいわけではない。会ったのは、今日の朝が初めて。学校へ行こうと玄関
    を出たところ、ちょうどリツコが帰ってきたのだ。
    そのときのリツコは、肩に少しかかるくらいの髪の毛を鮮やかなブロンドに染め、ルージュの色は
    きつくて化粧もかなり派手な感じ。香水と化粧の入り交じった匂いが強く、煙草の匂いまでする。
    服は煌びやかな装飾品の付いた紫のスーツ。どう見ても、お水系の女性。
    カヲルは、世間一般の常識に従って、リツコをそのように判断した。酒の匂いはしないが、早朝に
    帰宅する派手な女性に対する評価としては、まあ普通。
    だが、お隣さんということで、とりあえず挨拶くらいはしておこうとカヲルは、”おはようございます”と
    頭を下げた。
    するとリツコは、カヲルに対して疲れた様子ながら丁寧に挨拶を返し、一通りカヲルの素性を聞い
    て一人暮らしだと知ると、困ったことがあったら何でも相談しなさいと優しい言葉までかけてくれた。
    外見に似合わず、世話好きな女性であるらしい。世には、まだ優しさが残っていると社会勉強した
    カヲルである。


    「赤木さんは、お買い物からの帰りですか?」


    「その通り。見たまんまよ」


    おどけて見せたリツコの手には、自転車で数分のところにあるスーパーのロゴが入ったビニール袋。
    野菜やら果物が透けて見える。服も今朝と打って変わって地味で、膝丈くらいの淡いベージュ色し
    たスカートに、白いサマーセーター。そしてスカートと似た色の薄い上着。化粧も薄くて、まるで別人。
    金髪だけは、変わらないが。


    「これから晩ご飯食べて、すぐにまた出勤よ。
    忙しいったら、ありゃしない」


    「大変ですね。いくらも寝てないでしょうに」


    「まあ、忙しいのは、私だけじゃないしね。いいお給料貰ってるから、文句も言えないわ。
    それより、こんなとこで立ち話もなんだから、家に来ない?冷たい飲み物くらい、出すわよ」


    話の途中、リツコに何か思うところがあったようで、カヲルは誘われた。
    カヲルの頭に、一瞬よこしまな考えが浮かび・・


    「じゃあ、遠慮なくお邪魔します」


    誘いを簡単に受け容れる。
    が、すぐにカヲルは現実を直視。相手は大人の女性だし、特別な意味などないのは確実だからだ。Hな
    漫画や小説のような展開が、そうそうあるわけがない。


    「よかった。
    断られたら、女のプライドが傷つくとこだったわ」


    「からかうのは、やめて下さい」


    「ふふ・・
    擦れた顔して、意外とウブなのね」


    「擦れてなんかないですよ、僕は。
    あ、荷物、持ちます」


    「それが擦れてるって言うの。
    いいから、ついてきなさい」


    巧くあしらわれ、リツコの後ろに付くカヲルは、くびれたウェストと張り出した腰が左右に揺れる様に思わ
    ず目がいき、慌ててあらぬ方へ視線を逸らした。後ろを歩くことで自然と鼻に入ってくる甘い化粧の匂
    いも、カヲルの男を刺激する。
    レイも魅力的な少女ではあったが、リツコの発する女の色香には到底及ばない。カヲルは、生まれて初
    めて身近に接する女の色香に、文字通り翻弄されていた。
    自分に与えられた役目を忘れそうなほどに。









    複雑な血の交わりを証明するかのような容貌を持つ、初老の男。
    頭髪はアフリカ系を示す縮れ毛ながら肌の色は薄く、アジア系をも思わせる。鼻の下に伸ばした豊かな
    髭は白く変わりつつあり、小さな眼鏡に合った知的な目が、彼を学者然とした容貌に演出している。
    事実、この男、ラングストン・ウィリアムズ三世は、生物学の博士号を持つ真の学者。キール・ローレンツ
    亡き後、五人のゼーレ最高幹部達の中で冬月と性が合うのは、この男だけだ。
    冬月は、所長室に立体映像で現れた知己に敬意を表し、後ろに手を組んで直立の姿勢を崩さない。


    <話は分かった。
    日本の内務省と関係が深いのは、マルセリーノだな。奴が差し向けたに違いない>


    ウィリアムズは、アメリカ東部のエスタブリッシュメントが使う比較的綺麗な英語で、よどみなく応えた。
    が、冬月の耳に入るのは、最新最高のマシンに自動翻訳された日本語。
    英語は完全に解する冬月ではあるけども、ゼーレの意向によって自動翻訳を介した会話になっている。
    声はウィリアムズの物なのに、唇の動きと合わないのは、どこか変だ。吹き替えの映画を観ているかのよう。
    しかし些細なことは頭の隅に追いやり、冬月は話を続ける。


    「その意図は、どこにあるのでしょうか」


    <そこまでは、分からん。
    だが、私も興味がある。今度の幹部会議でカマをかけてみよう。簡単に尻尾を出すとも思えんが、何らか
    の反応は見せるだろう。
    その内務省の男は、好きにさせるのだな。動きを見極めた上で対処するとしよう>


    「お手数を、おかけします。ウィリアム卿」


    <なに、私の事情もある。お互い様だよ。
    では、またな>


    「はっ、失礼致します」


    立体映像が消えると、部屋に灯りが戻って窓のシャッターも開く。
    冬月は執務に使う机に向かうと、ホッとしたように椅子へ腰を下ろした。


    「腹のさぐり合いも、疲れる」


    ウィリアムズの言ったことをそのまま信用するほど、冬月も愚かではない。ウィリアムズは故葛城博士の
    友人ではあったが、冬月とは知り合い以上の存在ではない。彼がいま展開中の権力闘争に邪魔となれば、
    自分の存在など簡単に消し去るはず。
    恐らくウィリアムズは、彼がマルセリーノと呼ぶフラビア卿の意図を知っている・・
    もしくは、予想くらいついていると冬月は推測するのだ。


    「ラングストンは好きにさせろと言ったが・・・
    そうもいかんな」


    冬月は机上の電話を手に取り、内線に繋ぐ。
    相手は、ネルフ内の警察権を管轄する監察部。内部監査で職員の不正を取り締まる部署。
    不正には情報漏洩なども含まれるため、内務省や軍の情報部から引き抜いた人間も存在する、研究機関
    らしからぬ組織でもある。必要とあれば実力行使も許されるので、準軍事組織と言っていいだろう。
    その組織の力を、完全に活用する時が来たようだ。







    気が付けば、そこにいるという感じ。
    マヤは、ナオコがいつ休んでいるのか、よく分からない。ネルフ内の一室を私物化して家代わりにしている
    のは有名な話だが、それにしても・・・
    昨日とて、惣流博士夫妻や碇ユイ博士と昼夜を問わない打ち合わせで時間を潰してしまい、ナオコ自身
    の仕事は手つかずだった。決裁を待つ案件が端末にかなり溜まっていたのを、マヤは知っている。とある
    部署から催促を受け、電話でナオコの許しを得たマヤが代理で処理した際に見たのだ。それが、マヤが
    夜勤のために出勤してきた時点で、すでに片づいてしまったらしい。覗き見る端末の画面は決裁に使用
    する様式でなく、MAGIの調整に使用する特殊な仕様。
    今もマヤの目と鼻の先で端末に向かい、調整しながら鼻歌など歌ってる始末。人間とは思えない。


    「おはようございます、博士」


    「あら、マヤちゃん。
    こんばんは・・じゃないの?」


    「”こんばんは”だと、いかにも夜勤て感じがして、嫌なんです」


    「ふふ、若いわね。
    それはそうと、リッちゃんは?」


    「まだみたいですね。先輩にしては、珍しく遅れてるみたいです。
    お疲れなんじゃないですか?前の勤務から、大して時間空いてないですし」


    今日は、リツコも夜勤。通常のシフトだとリツコの当番は来週なのだが、せっぱ詰まった今は、そんなこと
    も関係なく人員が投入されている。
    S2機関の実験プラント建設は数年前から予定されていたことであり、準備も進んでいた。MAGIの信用
    性だけがネックとされていて、それが確認されれば、あとはスムースに事が運ぶはずであった。
    しかし実際にGoサインが出ると、予期しなかった問題が次々と噴出。関係者達は打ち合わせと設計の
    見直しに忙殺されていたのである。
    リツコは、プラントを制御するプログラム開発責任者を任されていて、最も多忙な人間の内の一人。疲れ
    が溜まるのも、無理はない。
    リツコを尊敬し、崇拝すらするマヤは、そんなリツコを気遣っているのだ。
    が、ナオコは、そんなマヤに冷や水を浴びせる。


    「あの子が、そんな柔なもんですか。
    隣に可愛い男の子が越してきたとか言ってたから、今頃、お愉しみなのかもよ」


    昼間、ナオコは、仕事のことで少し聞きたいことがあったのでリツコに電話したのだが、仕事の話のあと
    世間話になり、隣に美形の少年が越してきたとリツコは愉しそうだった。
    娘に年下趣味があるとも思えないのだが、高校から大学にかけて数人の男と付き合ったリツコも、大学を
    出てからは、ずっと独り身の様子。多少、浮ついた気分になるのは仕方ないのかもしれない。実際に手を
    出したら、それはそれで問題だ。
    手を出さなければ、気分転換にはいい。仕事に張りも出るだろう。


    「先輩は、そんな人じゃありません。
    不潔です。その言い方」


    ところがマヤには、不快の元にしかならない話であったようだ。
    マヤは、リツコに憧れ以上の感情を抱いているようであるから。


    「あらあら。マヤちゃんには、刺激が強かったかしら」


    「知りません!」


    マヤがプイと自分の机に向かい、資料を置いて椅子に腰を下ろしたとき、ちょうどリツコが部屋に。


    「おはよう、マヤ」


    「おはようございます!先輩!」


    リツコの顔を見たら、一瞬で機嫌が直ったマヤである。
    その女子高生のような無邪気な顔と切り替えの速さを持つマヤが、IQ一八〇を超える頭脳を持つ英才
    だとは、どうも信じがたいナオコであった。







    ものはついでだからと、リツコに早い夕食まで馳走になったカヲルは、自分の部屋に帰って風呂の準備。
    そして風呂が沸くまでの間、リビングのテレビにスイッチを入れ、なんとはなしに暇つぶし。
    勉強は、しない・・・
    と言うより、カヲルは今まで勉強らしい勉強をしたことがない。授業は全て頭に入っていて、それを忘れる
    ことがないし、理解も完璧。その必要がないのだ。
    だがテストがオール満点かというと、そうでもない。世間一般から見れば、秀才と呼ばれるくらいのレベル。
    幼い頃の一時期に天才と騒がれて以来、テストなどでわざと間違える習性が身に付いてしまった。自分だ
    け特別扱いされ、周りから浮いて排除されるかもしれないという危機意識が芽生えたためである。記憶力
    といい理解力といい、まさに天才の域にいるカヲルだけども、彼は極めて冷静かつ慎重。傲ることがない。


    「赤木さんか・・
    あんな姉さんがいたらな」


    テレビでは、ちょうどニュースが。
    カヲルは、ボーっと眺めながら独り言をポツリ。
    招かれたリツコの部屋は綺麗に整頓されていて、家具や小物にも大人の落ち着きを感じた。カヲルは、リツ
    コをお水系と思った第一印象を恥じたものだ。
    更に驚いたのが、彼女の仕事。
    なんと、ネルフに勤める学者だという。
    カヲルは驚くと共に、リュシアンがここに部屋を確保したことに何か意味があるのだろうかと疑ってしまう。
    カヲルがリュシアンから依頼された仕事は、ネルフに大きな関わりがある。ネルフに務めるリツコにも、何らか
    のアクションを期待しているのだろうか・・
    だが自分がリツコと釣り合う相応の男ならともかく、ただの中学生。考えすぎというもの。カヲルがリツコに姉
    を感じたように、彼女は自分に弟のような親近感を感じているのだと思う。


    「赤木さんも、一人っ子だって言ってたからな。
    それはともかく、シンジ君か惣流さんに近づかないと。
    惣流さんは無理っぽいから、シンジ君か・・
    あ、電話だ」


    テーブルに置いた携帯が、軽い音で着信を知らせる。
    手に取ったディスプレイの表示は


    <こんばんは、カヲル君。
    分かるでしょ?>


    レイだ。
    カヲルはそこで、彼女がアスカやシンジと馴染みだと思い出す。カヲルはテレビを消して、電話に集中する。


    「ああ、ちゃんと分かるよ。レイさんだね」
    (そうだ。この娘を通じて、なんとか)


    <呼び捨てでいいわ。レイよ、レイ>


    「じゃあ、レイ。
    昼間の話の続きなんだけど・・
    あれは、どういうことだい?」


    <アスカとシンちゃんの関係はね、普通の関係と違うの>


    「え〜と・・
    変な趣味でもあるのかい?あの二人」


    <は・ず・れ。
    二人のご両親がネルフの学者だってことは、昼間に話したわよね?>


    「うん、それは聞いたよ」


    アスカとシンジについてはカヲルが聞くまでもなく、放課後の街案内で、歩きながらレイが教えてくれた。
    実はレイに教えてもらうまでもなく、リュシアンから事前に送られた大量の資料によって、ほとんどの事情は
    分かっている。ゼーレやネルフについてもかなり詳細な資料だったので、カヲルは、自分がこんな情報を知っ
    てもいいのかと不安になったくらいだ。


    <でね、何年前だったかしら・・
    そうそう、小学校最後の夏休みの頃よ。シンちゃんのお母さんが面白半分に、アスカとシンちゃんのDNA
    使ってシミュレーションしたのよね>


    「シミュレーション?」


    <二人の間に子供ができると、どんな病気に罹りやすくなるとか運動能力がどうとかIQがどうとか、そんな
    ことよ。学者らしく、他の組み合わせと比較検証したらしいの。
    はっきり言って、親馬鹿ね>


    「それが一体・・」


    <分からない?
    アスカとシンちゃんの相性は、DNAレベルでも最強だったのよ。まるで仕組まれたような完璧な相性だって、
    おばさま驚いてたわ>


    当時からすでにシンジを巡ってレイとライバル関係にあったアスカは、この結果を聞いて勝ち誇り、以前にも
    増してシンジへ積極的なアプローチを展開。お隣さんという距離的なアドバンテージもあり。中学へ進学する
    頃には、デートをするような仲にまで関係は進んでいた。
    その後、レイの猛烈な巻き返しや急速な関係の進展を懸念した親達の妨害工作もあったので、正式な付き合
    いが始まるには、更に時間を要したわけだが。


    <今だから言えるけど、あの二人、好きとか嫌いとか超越した関係なんだと思うわ。何もかもが運命って言うか・・
    ついこの間まで、認められなかったんだけどさ>


    「僕には、よく分からないけど、シンジ君と友達になって色々と聞いてみたいな。
    興味をそそられるよ」


    <カヲルって、そっちの人?>


    「へ?」


    <だって、シンちゃんに興味あるんでしょ?>


    女の子達に囲まれても平然と・・
    それどころか、どこか突き放した態度さえ見せるカヲルに同性愛的な空気を見て取ったレイは、思った通り聞い
    てみた。
    遠回しに聞くのは性に合わないし、今の時代、そう珍しい話ではない。街を歩いていても、ニューハーフらしき人
    を見かけることがある。実際、シンジはたまに男から声をかけられるそうだし。
    カヲルと付き合えるかどうか分からないけども、付き合いが始まってから彼の性癖を知ってショックを受けるより、
    事前に知って付き合いを避けた方がいい。
    ところが、そんなレイの杞憂は無駄に終わる。


    「まさか。
    僕は女の子が人並み以上に好きでね。できれば、君と付き合いたいんだ。
    シンジ君は、友人として面白いかなと思っただけだよ」


    <な〜んだ。やっぱり、そうよね。
    男なら、私と付き合いたいと思うのが本当って・・・
    今、なんて言ったの!?あなた!!>


    「君と付き合いたい。
    ダメかな、僕とじゃ」


    <問題ありません!!
    ふつつか者ですが、よろしくお願いします!!>



    レイを利用しようとする罪悪感が、極小の針となってカヲルの心を突く。
    それはまだ触れる程度で、突き刺すところまでいっていない。
    しかし、いつか長大にして鋭い剣で刺し貫かれるほどの痛みに堪えねばならない時が来る。
    カヲルは、そんな予感がしていた。





    でらさんから連載第三話をいただきました。

    シンジ君とアスカちゃんの相性は最強だったのですか。なんと不思議なことでしょう。

    カヲルとレイの仲が急接近ですか。あまり痛いことにならないといいですね。難しいかもしれませんが。

    素敵なお話を書いてくださったでらさんにぜひ感想メールをお願いします。

    寄贈インデックスにもどる

    烏賊のホウムにもどる