エピローグ

こういう場合 最終話

作者:でらさん
















シトシトと小降りの雨が湖面を叩く中、湖畔に建つコテージ風のレストランで食事を摂る少女が二人。
色の抜けた赤っぽい髪の毛を肩まで伸ばしたのがマナで、青みかがった白髪がレイ。
レイは以前と変わらないが、マナは髪の毛を伸ばし続けている。腰に届くほどのアスカほどではないにしても、
背の中頃までには伸ばすのだと本人は気合いを入れているらしい。

二人とも、チェック柄の短めのスカートに白いブラウスといった服装。高校の制服に見えない事もないが
制服ではない。
彼女達が通う学校の制服は、紺を基調とした地味な物。

マナは使徒戦と事後処理が一通り終わった後もネルフに残り、シンジやレイと同じ第壱高校へ編入となった。
古巣の戦自幼年学校には、レイを伴って一度挨拶に訪れている。
無事に帰ったマナは当然歓迎されたのだが、同行したレイの美しさに皆が目を奪われ、すぐにレイへ関心を移し
た旧友達に寂しい物を感じたのも確かだ。

でもレイなら仕方ないと思う。自分とて、憧れる一人なのだから。
いや、すでにその域は超えているか。


「せっかくレイさん誘ったのに雨なんて・・・ついてないな」


「でも、ここの料理は美味しいわ。
これなんか最高よ。マナも食べてみて」


「え?は、はい」


レイは皿にある小ぶりのステーキを一口大に切ると、フォークに刺してマナの口元に差し出した。マナは
一瞬驚いたが、慌てもせずにそれを口に入れる・・・確かに美味しい。ガイドブックで紹介されていた通りだ。


「本当!すっごく美味しい!」


「ふふ、可愛いわね」


「そ、そうですか?レイさんに比べれば、わたしなんて」


「謙遜ね。あなたは可愛いわ」


自分をジッと見つめるレイに、マナも暫し見とれてしまった。
数時間前から降り出した雨は、まだやまない。





約一ヶ月前・・


カヲルの身柄拘束と共に、ネルフ本部は使徒戦の終了を国連本部の事務総長に報告。
これを受けた事務総長は、実質的に活動停止していた人類補完委員会の解散を正式に決定した。
が、実質的に国連軍を掌握するネルフの立場に変わりはなく、組織図や大勢にも変化は見られない。
世界中のほとんどの軍を一元的に管理運営するバレンタイン条約は健在だし、その軍に睨みを利かせる超兵器、
エヴァ三機(他に実験機一機)の保持運用もネルフ本部が独占。
強大な強制力を持つ統一機構による世界の平和維持は、概ね上手くいっていると言っていいだろう。

かといって地球上から全ての紛争が消え去ったわけではなく、様々な理由による小規模な諍いは各地で絶えない。
また、世界各国間の関係も完全に安定しているわけでもない。アスカが予想したように、ネルフ支配に対する不満
がこの後噴出してくる事も考えられる。
使徒との戦いの方が楽だったと、嘆く日が来るかもしれないのだ。




「すまなかった?・・・それだけ?」


本部内からも使徒戦終了宣言直後のような華やいだ雰囲気は消え、幾分緊張感を保った平時に戻りつつある。
そんな中、司令室には特別厳しい空気が立ちこめていた。
ゲンドウがシンジ、アスカ、レイの三人を司令室に呼び、彼らが部屋に入ってから約一時間・・
これまでの労をねぎらうゲンドウの気遣いなどでくつろいでいた空気は、シンジのひと言で完全に一変した。

同席していたミサトやリツコ・・冬月までもが、シンジを止めない。
それどころかミサトとアスカの顔も紅潮していて、怒りの表情が窺える。


「で?僕にどうしろと言うんです?司令。自分を赦せとでも?」


「殴るなり殺すなり、私を好きにしろ。
お前がやらなければ、自分で命を絶つまでだ」


「何を今更・・」


ゲンドウは、これまで自分のしてきた事を全て明らかにし、シンジに頭を下げた。
冬月と並んで頭を下げるその姿にシンジは情けなさを感じ、怒りと憎悪をぶつけたくなる衝動を抑えきれない。
しかし彼は、両拳を血の滲むまで握りしめてそれに堪える。ここで殴り殺すのは簡単だが、アスカとの約束
もある。

父はゼーレという強大な秘密結社とコンタクトする手段として母に近づき、結婚。
だが心から愛していたというゲンドウの言葉は、母が初号機に取り込まれた後にリツコの母やリツコと関係を持った事
から考えて信用できない。
ましてや、つい最近まで三十にもならない年下の女性と同居していた・・信用しろという方が無理。
女を構う余裕はあるのに息子の自分は捨て置き、養育すら放棄した。
どう接して良いかわからなかったなどいう言い訳など、聞く耳を持たない。

更にはレイを実験動物のように生み出し、扱った。
今でも本部の遙か下層には、レイのクローン達がLCLのプールで何も知らずに漂っている。ここにいるレイが死なない
限り彼女達に魂が宿ることはなく、彼女達のほとんどがそのプールで一生を終えるのだ。
こんな非道を許せというのか。

シンジは立ちつくすゲンドウにゆっくりと歩み寄り、まずそのサングラスを取り去る。その下にあったのは
老境に差し掛かろうとする、ごく普通の男の目だった。
数瞬その目を凝視したシンジは、サングラスを投げ捨てると右拳をゲンドウの顔面に叩き込んだ。
ゲンドウは大きく姿勢を崩すが、床に転がったりはしない。
息をのむ周囲の人間達は、事の推移を見守るかのように静観するだけ。


「どうした。それだけか?」


「僕があんたを殺してあんたが楽になるなら、そんな事はしない。
死んで楽になんかさせない!生き続けて醜態を晒し続けろ!」


シンジは、それ以上なにもすることなく、アスカを伴って部屋を出て行った。
ゲンドウは自分が赦されたわけではないと分かってはいるが、心のどこかでそうであって欲しいと願ってい
る部分がある。
シンジがそう言うなら生きてみようかと、ゲンドウは考え始めていた。それが生き恥を晒す事になっても。

と、レイがゲンドウの元に。
彼女に見つめられると、どうしてもユイを思い出してしまう。それはそれで辛い。


「私、今まで人を恨んだ事はありませんでした。多分、これからもそうでしょう」


「レイ・・・お前には」


「謝らないで下さい。決意が鈍りますから」


「決意?」


次の瞬間、ゲンドウはシンジが殴った方とは逆の頬に痛みを感じ、顔を逸らした。レイに平手を受けたのだ
と認識出来たのは、数秒の後。
レイはシンジのように憎悪をぶつけることもなく、ゲンドウに一発平手を張っただけで表情も変えずに、身
を翻して部屋を出て行った。

残された四人の大人達の間に、ほっとしたような気まずいような微妙な空気が流れている。
ミサトもゲンドウを一発殴ってやりたい気持ちはある・・が、自分にその資格が無いことを知っていた。
一時シンジ達を利用しようとしていた自分は、ゲンドウと大して変わらない。ゲンドウを罵り、殴る資格が
あるのはリツコだ。
彼女は、体も心も犯されたのだから。


「行きましょ、ミサト。話は終わったわ」


「え?ええ・・でも、あんた」


「私達は暇じゃないの。仕事が待ってるわ」


ミサトとリツコも出て行くと、部屋にはいつもと同じ人間しか残らない。
言葉もなく立ちつくす二人は何をするでもなく、ただ立ちつくすだけだった。




自分の仕事場に戻ろうと歩みを早めるリツコに合わせて、ミサトも歩いていた。
身長は同じくらいだし足の長さも同じくらいなので、苦痛にはならない。


「あれでいいの?リツコは。あんただって一発くらい」


「あの人との話は、ずっと前についてるわ。貰う物も貰ってる。
レイに比べれば、私が受けた苦しみなんて苦しみに入らないしね」


「委員会やら補完計画の真相も全部喋ってくれたし、あんたがそれで満足ならいいけど・・
だけど司令、これからどうするつもりかしら。自殺でもするんじゃないの?」


「あの人が、そんな柔なもんですか。明日にはケロッとしてるわよ」


「そんなもん?」


「そんなものよ。
さあて、エヴァの新兵器を完成させるわよ。今度は月を一撃で破壊するくらいのやつがいいわね」


「お願いだから、使える物作って」


本当はリツコもゲンドウを罵倒し、掴みかかりたかったに違いない。ミサトはそう思う。
ゲンドウはリツコにとって初めての男だと聞いた。いくら関係を清算したと言っても、わだかまりはそう簡単に
払拭できるものではない。
だがリツコは、レイがゲンドウを平手打ちしたのを見て遠慮した。レイの哀しみの深さは、彼女により近い位置
にいて拘わってきたリツコが一番知っているから。
冷たい女と噂される彼女の優しさを、ミサトは知っている。伊達に親友はやっていない。


「ねえ、リツコ」


「何?」


「私が男だったら、あんたを口説いてたかもね」


「あら、遠慮すること無いのに。女のままで大歓迎だわ」


「ちょ、ちょっと、何よその怪しい目は。近づかないで・・・
きゃ〜〜〜!!






レイの平手はともかく、シンジの拳はゲンドウの口を簡単に切り鼻からも血が滴り落ちている。
以前、墓参りの折りに殴られた時は腫れる程度だったものが・・・
身長も自分と同じくらいに伸びたシンジの成長を、ゲンドウは感じる。
ゲンドウは椅子に座り、ティッシュで口と鼻の血を拭いながらそんな事を漠然と考えていた。冬月は立ったまま、
その様子をただぼーっと眺めるだけ。


「私は卑怯者です。この期に及んで、生にしがみつきたくなりました」


「なんだ、お前もか」


「は?」


「実は儂も最近、普通の幸せというものに興味が沸いてきおってな」


「先生」


「ローレンツ卿も、孫の顔を見て死ねなくなったそうだ。
責任を取るのは、もう少し先でよかろう」


「しかし」


「息子が生きろと言ったのだ。お前は生きるべきだ・・それが、贖罪の一つの形でもある。
・・・さて、すまんが今日は早引けさせてもらうぞ。どうも調子が悪くてな」


冬月もまた、ゆっくりと部屋を出て行く。
だだっ広い部屋に一人残されたゲンドウは、息子に与えられた生の意味をあらためて考えてみる。
だが、ハッキリとした答えは出ない。ただ、シンジは自分を赦したわけではないということだけが分かる。


「お前と笑って話せるときが来るまで、私は生きよう」




ゲンドウは、この日を境にサングラスをしなくなり髭も綺麗に剃っている。
新たな人生を踏み出す決意の表れと言えるだろう。

そしてそんなゲンドウに冬月の死が伝えられたのは、翌日の昼頃。
出勤もせず連絡の取れない冬月を心配したゲンドウが保安部に彼の所在と安否を確認させたところ、自室で
首をつって死んでいる冬月が発見されたのだ。
情報は秘匿され、冬月は急な病で突然死したとされて、数日後に盛大な葬儀が執り行われた。

遺された遺書には、ゲンドウ宛てにただ一言・・・”生きろ”と、あったという。
ゲンドウは、大人達の罪を一身に背負った冬月の気遣いに、涙で応えた。







降り続いていた雨が止み、雲の隙間から日が差し込む清々しい空気の中で、並んで湖畔を歩く男女のカップル
が在った。
大分お腹の目立ってきたアスカと、彼女の腰に手を回して気遣うように歩くシンジだ。

雨の中の散歩もいいものだと主張し、アスカは渋い顔をするシンジを引っ張り出した。
勢いに乗って芦ノ湖にまで来るとは自分でも予想外・・・と言うか、自分に呆れた。
ゲンドウとの確執は、未だシンジを解き放ってくれない。でも近い将来に産まれるお腹の子が親子の情を取り
持ってくれるのではないかと、アスカは楽観する。

と、アスカは見慣れた顔を遠くに見つけ、シンジを促す。


「ねえ、あれ」


「・・・綾波と霧島さん?」


アスカが指さした方向には、雨上がりの湖畔を並んで歩くレイとマナの姿があった。二人の手はしっかりと繋
がれて、仲の良さが分かる。
二人は立ち止まると、向き合ってお互いの体に手を回す。そして・・・


「堂々としてるわね・・ま、いいけど」


「た、確かに」


レイとマナの仲が友人同士の域を超え始めている事実を、アスカはそれとなく感じていた。
だから彼女達がキスしている光景を見ても、”ああ、やっぱりね”という程度。
近頃は若い女の子同士の間でキスが流行っているらしいが、あれは恋人同士のキスだと分かる。
シンジは戸惑いの方が大きい。今まで同性愛というのは、知識として知っていただけだから。

見続けるのは悪いと思ったアスカは、シンジの腰に手を回してレイ達のいる方向とは逆に歩き始めた。
あちこちに陽が差し始め、気温も上がって、また蒸し暑くなってくる。


「時々、これが夢なんじゃないかって思うわ。
あまりに巧く行き過ぎてるもの。幸せすぎて恐いって言葉、妙に実感するの」


「何だよ、突然」


「いいから聞いて。
お義父様の話だと、使徒は本来、三年も前に来てなきゃならなかったのよ。予定通り来襲してたら、どうな
ってたと思う?
アンタはろくに訓練もしないで、ぶっつけ本番で実戦に突入してたわ。しかもS2機関だって完成前。
アタシはまだ心に爆弾抱えてて、レイは心を閉ざしたまま・・・考えただけで恐ろしいわね。
ここが、破滅した世界で絶望する誰かが見てる夢の世界だとしたらアタシ・・」


「アスカ」


シンジはアスカの話を遮り、歩みを止め体の向きを変えて、彼女を正面から見据えた。
変わらずに綺麗な彼女が不安におののいている。


「僕に難しい事は分からないけど、現実はこうなってる。
それでいいじゃないか・・・それに」


膨らんだアスカのお腹に手を添えたシンジは、愛おしそうに軽くなでた。


「これが夢であるはずない。
ここで息づいてる命は、夢なんかじゃないよ」


「シンジ・・」


「未来には色々な可能性があると思う。
でもこの世界が”こういう場合”なんて言葉で表せる軽い一つの世界だなんて、僕は思わない。
僕達の居るこの世界こそが、真実なんだ」


実はシンジも、今の幸せが恐いと思ったことはある。あまりに都合良く進んだ状況が夢のように思えたのだ。
場合によっては、最悪の道を突き進む危険性もあった。しかし現実は現実。これが夢などであるはずがない。


「たまには、いいこと言うわね、アンタ」


「”たま”は酷いよ」


「だって、本当じゃない。
だけどさ」


「・・・なんだい?」


「そんなアンタが、大好き」




この人と会えて良かった。
抱きしめ合う二人は、そんな互いの心の声をはっきりと聞いた。










「なあ、マコト・・」


「何だよシゲル。無駄話してないで、仕事しろ仕事」


「経理課との合コン誘うつもりだったんだが・・・そうか、仕事人間のお前には合コンなんてくだらないよな。
分かったよ」


「それを先 に言え!仕事が何だ!」





「ほ〜ほほほほほほほ!究極の砲が完成したわ!これなら月も一撃で粉砕よ!」


「先輩!やりましたね!今度は、何て名前付けるんです?」


「インドラの矢・・神の雷・・・どれもありきたりね。草薙の剣・・・これも違うわ」


「思い切って、○動砲なんてどうですか?」


「いいわね、それ!・・・って、何でマヤがそれ知ってるの?」





「君には天性の素質がある。俺に弟子入りしないか?」


「素質?何の素質ですか?加持さん」


「決まってるだろ、ジゴロの素質さ。
俺に付いてくれば、あんな事やこんな事がやり放題なんだぜ。どうだ?渚君」


「何も知らない人間に何を教えてんの、あんたは!」


「うっ、ミ、ミサト・・なぜここに」


「面白い人達だねえ・・」





「俺の秘蔵写真を見て興奮するなよ、トウジ。
どうだ、この豊満にして均整の取れたボディ・・洞木の体より数段上だろ?」


「おう、これは確かに・・・って、アホ!なに言わせるんじゃ!」


「私の体が何だって?」


「ヒ、ヒカリ・・」


「じゃ、俺はこれで」


「待ちなさ い!変態メガネ!」





「ロシア支部から出向してまいりました、タチアナ リコビノフ一尉であります。
以後、お見知りおきを。佐藤三尉」


「恐縮であります、一尉殿」


「若々しいシンジ イカリもいいけど、逞しいあなたも魅力的ね」


「こ、光栄でありま、痛て!何をするんだ、アヤ!尻に蹴りを入れることはないだろ!」


「あらあら、売約済みだったようね・・・残念」





「客か。誰だこんな時間に・・・君は」


「帰ってきちゃいました・・あら、髭剃ったんですね」


「・・・何でまた。向こうでまずいことでもあったのか?」


「副司令から、副司令が亡くなる前に書いた手紙が来たんです。それには、あなたには私が必要だって
・・面倒見てやれって書いてありました。勿論、私の意志もありますけど。
今度は何を言われても出て行きませんからね、私。シンジ君とだって、うまくやってみせます」


「先生・・・あなたはどこまで」





「酷いわ、みんな。わたし達の愛を理解してくれないなんて。
レズが何だっていうのよ!」


「レズって何?マナ」


「へ?女の子同士で愛し合う人を一般的に称した言葉なんですけど・・・」


「私はマナが好きよ。それがいけないの?」


「いえ、その・・・ま、いっか。私もレイさんが好き!」





「ねえ、シンジ」


「何だい?」


「アタシのこと、好き?」


「ああ、好きだよ。当然じゃないか」


「どのくらい?」


「どのくらいって・・・」


「ふふ・・まあ、いいわ。アタシはね」


「?」


「やっぱりやめた。教えてあげない」


「何だよ、はっきり言ってくれよ。喉に魚の骨が刺さったみたいだ」


「や〜だよ」


「アスカってば〜」


「いやったら、いや〜」





あらゆる可能性・・・その一つ。
こういう場合も、あっていい。





終わり

でらさんから『こういう場合』のエピローグをいただきました。

神様の怠け癖のおかげで皆が満足できる世界。やはり現代の人類はあまりお節介焼きな神を必要としていないと いうことでせうか(笑)

でらさん。長きに渡る連載、お疲れ様でした・・・。

物語を完成させたでらさんに是非皆様一緒に『おめでとう』メールを送りましょう!