使徒が現れた。
そんな最中、シンジが居なくなった。
シンジは優柔不断でいつも曖昧な態度ばかり取っては、色んなことから逃げていたような気がする。
でも、肝心な事から逃げ出すような事は、私がシンジを見てきた中では無かったと思う。
少なくとも"戦い"に関しては。
使徒が現れる直前に居なくなるなんて、私にとっては意外だった。
もしかしたら私がシンジの事を知らなさ過ぎるのかもしれないけど…。
…いや、本当はシンジの事なんて、何一つ知らない。
アイツがいつも何を考えているのか、何をしたいのか、そんな事全然知らない。
知ってみたいと思った事はある。
でも、やっぱりアイツの事を知りたくないという気持ちもあって、確かめる気になれなかった。
アイツが何を考え、他人の事をどう思っているかなんて知りたくない。
結局、アイツの事なんて何一つ知らないまま、私は今までアイツの側で過ごしてきた。
そして私は近づけば何時だって側に行く事が出来たのに、わざとシンジを避けてきた。
変よね。一緒に暮らすようになったのも、最初は私から押しかけて行ったのに。
自分でもシンジの側に居たかったのかどうなのか、よく分からない。

…イヤだ。なんか、アイツの事が気になって仕方ない。

大体なんで居なくなったりしたのよ?
なんか私、アイツにまずい事言った?

…言ったわよね。
シンジが自分の事が嫌いかって尋ねた時に、大ッ嫌いって言ったし。
だってあの時のシンジは本当に嫌いだったもん。
私の顔色を伺いながらも寂しそうにしているシンジがイヤだった。
顔色なんて見なくてもいい。
私のご機嫌なんて伺わなくてもいい。
思っている事を口にすればいいじゃない。
黙っていたら何も伝わらないじゃないの。

でも…。

それは、私も同じ事だ…。

三人目の彼

- I get hold of you -

Author: AzusaYumi

「状況は?」
「分析パターン青からオレンジに周期的に変化しています。」
「何もかも不明って事か…。」

「作戦会議中失礼します!セカンド・チルドレン、只今到着しましたっ!!」

私は作戦室のドアを勢いよく開けた。
中では日向さんとミサトが緊迫した厳しい表情で話をしていた。どうやら現状の分析とそれに対する作戦を話し合っていたところらしい。
その様子を無表情にファーストが見守っている。
でも、フィフスだけは何処吹く風、いつもの調子を崩さずに涼しい顔をして立っている。
そしてシンジは…やっぱり居ない。
先に来てるんじゃないかって少しは期待してたのに…。

日向さんと話をしていたミサトが私の姿を見るなり、話しかけてきた。

「ちょうどいいところに来たわ。見て、これが今回現れた使徒。」

第3新東京市を映していた作戦室の巨大モニターが切り替わる。
画面には螺旋のように絡まって紐状をした使徒が円形になってぐるぐると回っている。

「…出現を確認してからこの状態をずっと維持しているわ。実質膠着状態ね。
 A.T.フィールドも観測されたりされなかったりしているわ。
 使徒の識別パターンも青からオレンジへと周期的に変化を繰り返している。
 目だった動きがないから敵の動きや攻撃パターンも読めない。
 正直、作戦の立てようが無いの。
 だからとりあえずは予測しうる使徒の進行ルート上にエヴァ弐号機を配置。
 そのバックアップに零号機ってところかしらね?」

「ちょっと待ってよ!
 シンジは?シンジは何処なのよ?!」

端然としているミサトに私は会話を中断するように尋ねた。
すると、ミサトは険しい顔つきになった。

「シンジ君は…ロストしたわ。」

「ロストって…、探しに行かないの?!」

「ロストしたのが第3新東京市内。
 ロストした地点から全力で足跡を追跡してるけど分かったのがついさっきだから。
 それに、もう時間も無いわ。どの道初号機は凍結されているから使えないし。
 今は使徒殲滅が最優先よ。」

「最優先って…!」

「アスカは弐号機で進行ルート上の前線。レイはバックアップで後方支援。
 カヲル君は本部で待機、いいわね?」

そう言ってミサトは私の抗議を途中で切って捨てて、日向さんを連れて足早に作戦室を後にした。
シンジを切り捨てるのか…。
私はそんなミサトに納得出来ず、唇を噛み締めた。
黙ってミサトが去って行った後の作戦室のドアを眺めていたらファーストが動じない様子で淡々と私に声をかける。

「セカンド、時間が無いわ。」

「…分かってるわよ!!」

…この間までシンジと仲良くしていたクセに!
ミサトの考えが正しく、仕方のない事だというようなファーストの態度に、私は苛立ちが募った。
そして何事も無かったかのように作戦室を後にするファーストを私は睨みつけた。

釈然としない…。ミサトの言うことはある意味正しくもあるけど、ほとんどの使徒との戦闘の損害を見れば人が何人死んでいるのか分かったもんじゃない。
その中にシンジが居たっておかしくない。
たとえ大事なパイロットだとしても人ひとりくらいで組織が大きく動くはずもない。
わかってる。でも…。
私の目の前で淡々とした足取りで更衣室に向かうファーストを見ていると釈然としない思いが腹立だしさに変わっていく。
コイツ、シンジのことが気になってたんじゃないの?
この女のあっさりと物事を割り切る態度が無性に腹が立つ。

そうしてファーストをじっと睨みながら更衣室の前まで来ると、そこにはポケットに手を突っ込んで涼しい顔をしたアイツが居た。フィフス!

「アンタ、待機でしょ?アンタが乗るエヴァなんて無いわよ?
 更衣室なんか来る必要無いじゃない?何でこんなとこ居るのよ?」

「いや、君とファーストに用があってね。」

フィフスは笑顔を絶やさないまま、何故かファーストの方に近寄った。

「…何?」

ファーストが怪訝そうな顔つきでフィフスを見る。
フィフスはそのままファーストのすぐ横まで来て耳元に何かを囁く。
すると突然、ファーストがゆっくりと床の方に沈み込むように膝をついてその場に倒れこんだ。
私はこの事態に唖然とした。

「あ、アンタ!ファーストに何やったのよ?!」

「ちょっと眠ってもらっただけさ。この戦いが終るまで目を醒まさないよ。」

「目を覚まさないって…!」

「この戦い、誰が出ても痛み分けになるよ。」

…何言ってんのよ?コイツ? 痛み分けって…何?まるで先を見通しているような言い口調。
それにファーストを失神させたコイツって一体何なの?
少なくとも何か手を下した様子なんて無い。ただ耳元で何かを囁いただけ。
相変わらず飄々とした表情を崩さないフィフスを私は訝しげに見る。
でも、フィフスはそんな私の様子などお構いなしに何か遠くを見るような目つきで話を続ける。

「僕は本来の継承者としてこの世界を奪い返すはずだったんだ。」

「でも、君達の言葉や心に触れたら、たった一人で生き続けるのが寂しくなったんだ。
 僕にとってリリン達が消えてしまう方が、寂しい。」

「言ってる意味が分かんないわ!何よ、リリンって?何が言いたいのよ?!」

そう尋ねる私をフィフスは無視して笑顔を見せつつもいつもとは違う決然とした態度と口調で言う。

「僕が弐号機で戦うよ。」

は?弐号機で戦う?
突然のフィフスの発言に、私は目を丸くして大声を張り上げた。

「…何よ?いきなり何なのよ?!弐号機で戦うって…何よ?!
 アンタ、何考えてんのよ?!弐号機は私が…。」

「…君さ、探しモノがあるんじゃないのかい?」

「…え?」

「探しに行きたいんだろう?
 シンジ君は第3新東京市、A-05エリア、使徒の進行ルート上に居るよ。
 僕が代わりに弐号機で戦うから、君は早く行ってあげた方がいいよ?」

シンジの居場所? 何でそんな事、コイツが知ってるのよ? しかも分かりきったような口調。ファーストを失神させたのもおかしいけど、それよりも何だかいつもと様子が違う。おかしい、何かヘンだ。
私はフィフスを警戒しつつ、尋ねる。

「…アンタ、何者なのよ?」

すると、フィフスの笑顔が急に無くなって代わりにものすごい圧迫感のようなものを感じるようになった。まるで何人たりとも寄せ付けない壁のような、心の奥底から圧されるような感覚。
これ、この感覚…。エヴァに乗っていた時に感じたことがある。
まさか…。

「…時間が無いよ。早く行きなよ。」

いつもは見せないような、厳しい顔つきでフィフスが言う。
そっか、コイツは…。
この時私は気がついた。
フィフスはヒトじゃない、使徒だ。
感じている圧迫感は、多分、A.T.フィールド。
本人がそういった分けじゃないけど、本能的に感じる。コイツはヒトの敵であり、人類とは大きく隔たりのある存在だって。
それに、コイツがいくらヒト型とはいえ、生身で勝てる相手じゃない。
いくつも見てきた使徒。小さな存在から巨大な存在まで様々な形態をとってやってきたけど、エヴァ無しでまともに勝てたことはなかった。

でも、コイツは自分の言った通り、私達の為に戦うような気がする。
襲来してくる使徒もそうだったけど、ひたすら直進するようにネルフ本部に向かって進行してきた。何が目的だったのかは分からないけど、彼らは正面切ってここに攻めて来ていた。
そう、使徒の方が私達ヒトなんかよりもずっと真っ直ぐだ。
…そうか、だからなんだ。ヒトが使徒に勝てたのは。
ヒトは長い歴史の間に良い悪い関係なしに戦う術を蓄えてきた。当然、戦いに勝つ為の卑怯な手口なんて幾らでも知っているし、使ってきた。
でも、コイツをずっと見ていたけど、戦う術とかそんなことなんて何も知らない。
判らない事は言っても、することは全て常に真摯で真っ直ぐだ。
だから、多分、こいつは自分の言った事は曲げない。

…でも、変だ。何か引っかかりを感じる。
だって常に真っ直ぐしていたヤツが自分の目的を捻じ曲げてまでも私達の為に戦おうとしている。なんで?
私はフィフスに向かって尋ねた。

「ねぇ、何で私達の為に戦うの?」

すると、フィフスから感じていた圧迫感が急に無くなった。
そしてフィフスはいつもの笑顔を見せながら言った。

「…君達ヒトを好きになったからだよ。」

これを聞いた私は、フィフスをその場に残してただ真っ直ぐに駆け出した。

「こんな時にこんなモノが役に立つなんて…」

私はジオフロントから旧工事用エレベーター、そして緊急脱出用リニアシューターを経て、地上近くまで出てきた。これは前にシンジを引っ張り出して"ジオフロント及びネルフ本部の内部構造把握の為"というのを名目に探索した時に使った通路だ。
A-05エリアは第3新東京市の市街地の中でもわりと外れに位置する。元々が使徒迎撃用の要塞都市である第3新東京市は兵器ビルやネルフ関連のビル以外は 人家の少ない街だ。そしてこのエリアはネルフ関連の施設もわりに少なく兵器ビルもそんなに無い。外部から侵入するにはもってこいの場所だった。その為に私 達が探索目的で外部からジオフロントに侵入しようとした時にA-05エリア付近を選んだ。もっとも、私よりも先にこの街に来ていたシンジはそのあたりの事 を一切知らなかったようだけど。ただ、アイツとちょっとした冒険をしたみたいで楽しかった。
でも、結局私達が外部から正規でないルートでジオフロントに侵入というのでミサトにはちゃんとバレてて、後から散々グチグチ言われた。まぁ、多分、後ろから護衛目的で私らの後をつけまわしていた保安部のヤツラがチクったんだとは思うけど。
…思えば今回シンジがロストした時、なんで保安部のヤツラはシンジの姿を見失ったんだろう?
もしかして、保安部のヤツラってシンジがこの辺りに居る事を知っていて放置したのかしら?
A-09エリアは使徒が進行するルートだとフィフスは言っていた。
もしかしたらシンジを捕捉することよりも、保安部のやつらは身の安全を確保する為に退避する方を優先したのかもしれない。ふと、そんな気がした。
いくらパイロットが大事大事といっても所詮私らは子供だ。わざわざ命を賭けてまで守ろうとか保護しようとまでは思わないのかもしれない。
まぁ、単純にロストして使徒襲来で捜索断念というのが真相かもしれないけど、私はドイツで大人のそういう所を散々見てきたから悪く推測してるなとは思いつつもやっぱりそう思う。

「大人って最っ低ね…」

今まで何となく感じていたけど、形にならずにくすぶっていた言葉が、口に出た。
ミサトだってそうだ。捜索することよりも先にシンジを切り捨てた。
よく考えてみたらいくら表面上を軽く見せてもミサトは軍人肌であって、あの歳であの地位に上りつめたエリートであり、目的の為なら幾らでも犠牲を払える野 心家だ。時々オセンチなことを口走って人間らしさを出す事もあるけど、最終判断は私らだって切り捨てられるくらいの覚悟は持っているはずだ。
もちろん、その気持ちは判らなくもない。私もそうあろうとしたから。
…でも、私にはそれが出来なかった。
アイツが…シンジが私よりもずっと強くて、ずっと優秀で…。

…私、何考えてんだろう?
私なんかよりずっと優位に立ってるヤツを何で探しに行かなきゃいけないんだろ?
そこまで考えた時、リニアシューターが止まった。
私はかぶりを振って今考えていた事を頭から追い出して、通路をずかずかと歩いていく。そして分厚い非常用出口の扉のロックを外して蹴って開けた。

扉を開けて見たその景色は、以前来た時と違っていた。
なぎ倒された木々、倒壊した建物、焦げた草花。
戦いのあった場所。
そっか、使徒戦役の間にここも被害にあったんだ。
私は一瞬、時間の中に取り残されたような寂しい気持ちになった。
ほんの少しの間でも時は流れてて、以前とは違う景色になってしまう。
嫌でも時間の経過を感じる。古びた思い出がどんどんセピア色になって壊れていく。

私は建物の瓦礫や倒れた木々を避けつつ、シンジを探す。
随分前に被害にあった場所だったのか、焼け焦げたような匂いや弾丸の火薬の残り香とかはしない。その代わりに焦げた草を踏みしめる度に黒い埃が足元にほんの少し舞い上がる。
しばらく歩き続けていたけど、人の居る気配は感じられない。
多分、この場所に居た人達はここがこんな風になった時から何処かに行ってしまったんだろう。異様な程の孤独と静けさが私の中に舞い降りる。
…そういえば、何でアイツはここに…。
漠然と思考を巡らせていたら、もっともらしい疑問にぶち当たる。
まさか、私との思い出の場所としてここに来たり…なんてことは無いわよね。
そう考えたりしていたら、壊れた建物の瓦礫の上に一人、ポツンと座っている人影が見えた。
第壱中学の制服を着た…もしかして、シンジ?

「バカシンジ!」

私がそう大声で呼びかけると、その人影はゆっくりとこちらを振り向いた。
いつも以上に根の暗そうな憂いのある顔をしていたけどやっぱりシンジだ。
シンジは私の顔を見て、一瞬驚いたような表情をしたけど、すぐにうつむき加減になって顔を下に向ける。
私は急いで駆け寄った。側まで来たとき、シンジはうつむいたまま呟いた。

「…どうしてこんな所に来たんだよ?」

「はぁ?それはこっちのセリフよ!
 アンタ何考えてんのよ!?使徒襲来の警報が鳴ったでしょうがぁっ!!」

怒鳴る私にシンジは顔を上げようとしないで無表情に答える。

「うん、知ってる。でも、初号機は凍結中だし、僕が居ても意味無いし。」

「はぁ?何よソレ?やる気ナシってこと?!」

「…そうだよ。何もする気が無くなったんだ。みんなだって別に必要ないって思ってるよ」

シンジが半ば自嘲的に笑って答える。
私はこの態度にカッとなって、シンジの襟首を引っつかんで怒りを込めて叫んだ。

「アンタねぇ!やる気ナシ?必要無いって?!人のコトナメてんの?!」

「…違うよ…。」

「じゃあなんだっていうのよっ?!」

私がそう叫ぶと、シンジは顔を上げて私の方を、目をじっと見つめる。一瞬唇をわななかせて何かを言おうとしたけど、結局は何も言わずに口をつぐむ。
昨日の晩と同じだ…!
何かあるような素振りで何かを言いたそうにしてるのに、何も言わない!
夕べは一応気遣ってやったけど、もう我慢出来ない!

「アンタは…!」

私が今まで口にしなかった言葉を言いかけたその時、シンジが両目を見開いた。その目は私を見てない。何か別のモノを見て驚いているような…?
私はシンジの襟首を掴んだまま、後ろを振り向いた。
…後ろの方には何もいない…そう思った瞬間、視界の上の方に"何か"が居るような気配を感じた。私は視線を上の方に移す。
すると、白い蛇のような巨大なモノが、その体躯をうねらせて浮かんでいた。
一瞬何なのかすぐに分からなかった。
でも、すぐに作戦室のモニターで見たモノの姿を思い出した。
あの時は円形になっていてグルグルと回転していた。今は形態を変え、蛇のような形を取っている。コイツは…。

「…まずい!使徒だわ!!」

ここは危ない…!
私は掴んでいた襟首を離す。シンジは私の手から解放されて、そのまま後ろの方に倒れそうになったけど、私はすぐにシンジの腕を掴んだ。そして勢い良くシンジを引っ張って走り出した。
とにかく早くこの場所から離れなくては…!
でも、あの使徒の大きさだ、人間の足じゃ逃げれる距離はたかがしれてる。コイツが何かの攻撃方法をもっていれば側に居る人間なんてひとたまりもない。一番 助かる可能性が高いのはさっき通ったリニアシューターである程度の地下へと逃げ込む事。地下なら何層か特殊装甲で守られてるからまだこの辺りの物陰に隠れ るよりはマシだ。
私はシンジの手を精一杯引っ張ってもと来た道を引き返す。シンジの足取りは少したどたどしい。元から緊急事態に鈍いヤツだけど、こんな時にそんな足取りで走るなと叫びたくなった。
でも、今私達はエヴァも無い生身の状態で、シンジはここ半年かそこらからいきなり戦闘に参加したヤツだ。私でもかなり焦っている。シンジにしっかりしろというのが土台無理な話かもしれない。

似たような瓦礫や倒れた木々の風景が幾重も前方に連なってる。ここまで来た道が少し分かり辛い。
必死になって非常用出入り口の扉を探しながら走っていると、突然、ドン!と私の背後から強い衝撃が走った。

「きゃあっ!」
「うわぁっ!!」

使徒が紐状の首のあたりだと思える部分を半壊したビルに叩き付けた衝撃がこの場所まで来たらしい。小さな人間である私達は簡単に衝撃で飛ばされた。私の体 はシンジを押し倒すような形でシンジの方に吹っ飛び、シンジが私を支えきれずに後ろ向きに反る。私は咄嗟にシンジが後頭部を打ちそうになるのを防ごうと頭 を抱え込むようにそのまま一緒に倒れた。
シンジの頭の分の重みと倒れた勢いで腕を強く打ちつける。私の背中全体に痺れるような感覚と腕に鋭い痛みが走る。

「いったぁぁぁ!」

ほんの少しの間、背中の痺れと腕の痛みで、私とシンジは倒れたままじっとしていた。
私の下敷きになっているシンジは呻き声を上げているけど、すぐに目を開ける。どうやら軽い脳震盪程度で済んだみたい。私はシンジの頭の下になっている腕を引き抜こうとする。腕に鈍く痛みが走る。折れた…?いや、この程度の痛みなら骨折じゃない。
私はシンジの上から退いて立ち上がろうとする。
でも、その瞬間、背中の上の方…丁度肩辺りに妙な異物感のようなものを感じた。
シンジの方もノロノロと立ち上がろうとする。
しかし、私の方を見てさっき使徒を見た時よりももっと驚いたような顔をする。そして陰惨なものでも見たような苦しげな表情をして叫ぶ。

「あ、アスカっ!肩…血…!!」

私はシンジが一体何の事を言っているのかすぐには分からなかった。ただ、私の顔でない部分を見て叫んでいるのは分かる。
私は恐る恐る胸元や肩に触れようと腕を少し上げた。でも、動かした途端に肩の辺りからさっきより強い違和感を感じるようになった。私はこの違和感を圧して腕を動かし、妙な感覚の元になっている肩の部分に触れた。

「…っ!」

何かが手の平に触れる。その瞬間、切りつけられるような鋭く熱い感覚に襲われる。
私は自分の手のひらを見た。ばっくりと切れて、血が流れる。
やだ…!ガラスの破片か何かが肩に刺さってる。しかも、かなり大きい。

「う…!」

自覚した途端に酷い痛みに襲われる。
酷い…。この傷…かなり酷い!
シンジが慌てた様子で立ち上がり、悲愴そうな顔つきで私の肩に触れようとする。

「いつっ!!」

私の肩に刺さったものに触れた途端にぱっと手を離す。破片で手を切ったようだ。
それでも再び触れようとするシンジの様子から、破片を引き抜くつもりでいるのが分かった。

「…ダメ、触らないで!」

「どうして?!早く抜かなきゃ!!」

「ダメ!出血が酷くなるっ!」

シンジにそう叫んでなんとか私は膝をついている体を立ち上がらせようとする。背中に刺さっているものが重力で傾いて傷口をえぐるのを感じる。
…痛い!!
シンジが咄嗟に私の真横について肩を貸す。いつもなら変に意識して遠慮しているところだろうけど、今はそんな事を言っていられない。
私はシンジの肩に腕を回す為に少し手を上げる。でも、その小さな動きでさえ傷口を広げ、痛みを増させる。
…早く、こんなところから安全な場所に移動したい…。
痛みに耐えてシンジに肩を貸してもらいながら、なんとか歩く。
そして何歩か歩いているうちに、肩から急に異物感がなくなった。途端に私の後ろで何かが割れる音が聞こえた。足元に砕けたガラスの破片が飛んでくる。
背中に刺さってたのが落ちたんだ…。
足元に落ちてる破片を見てみると、かなり大きい。コレ、砕けた分だから、私の肩に刺さっていたのはもっと大きかったんだ。

血が腕を伝う。足の辺りまでヌルヌルとして気持ち悪い。
手先が痺れて冷たくなる。体中が、寒い。
血が…流れすぎてるんだ…。
だんだん足が重くなって、指の先の感覚が無くなっていくような感じがする。
どうしよう、このまま死んじゃうのかな…?
よくわからない考えが浮かぶ。
酷い傷だけど、場所的に致命傷ではないはずなのに、あまりにもの失血に意識が朦朧とし始めてまわりの景色や状況をちゃんと認識出来なくなってきてる。
ふと、私の冷たくなった手に、何かあったかいものが流れてきた。

…何?

見たら、シンジがボロボロ涙を流してる。

…何で泣いてんの?

ダメ、話すのも億劫だ。

「…めん。僕が…げたから…」

嗚咽しながら、シンジが何かを言ってる。
でも、シンジが何を言ってるのか、よく意味が理解出来ない。

「戦う……が無くなったと思っ…んだ…。もう……る必要が無くな……て…」

声がかすれすぎてよく判んない。
何の必要が無くなったって?
それを聞いてみたくてシンジの頬に手を差し伸べようとした。
でも、うまく動かない…。

ちょうどその時、体が浮き上がるような感覚に襲われた。
何かの衝撃みたい。でも、意識が朦朧としていてそれが痛いとも苦しいとも感じなかった。
ただ、シンジが私を離さないとばかりに強く抱きしめてるのだけは分かった。
シンジの腕の中がなんだか、とても暖かくて心地よかった。
私の無くなりかけている意識の中で、弐号機が宙を舞うようにこの場所に降り立ったのが見えた。
…アイツが…フィフスが相変わらずの飄々とした笑顔を見せながら空から私達の前に舞い降りてくるのが見えたような気がする。

「…探しモノは見つかったようだね?」

何故か、その声だけははっきりと聞こえた。

気がつくと、真っ白なベッドで私はうつ伏せになっていた。
なんか、この体勢って息苦しい。
私は起き上がろうとしたのだけど、肩辺りからかなり激しい痛みを感じてやめた。
ここは、病院のベッド?
せめて寝返りをうとうとしたのだけど、私の寝ている両脇に重くて大きいものが置かれていて体を固定されているようで動かない。
なんとか身じろぎ出来ないかと体を揺すってみたのだけど、再び肩の辺りから激しい痛みがきた。

「ううう…。」

苦しい体勢と肩の痛みが不愉快で少し呻いてみた。
すると、私の脇の方でベッドとシーツが少し動く気配を感じた。
誰かいるの?

「…ちょっと!誰か居るなら体動かすの手伝ってよ!」

私は体勢が体勢だけに押しつぶされたような搾り出すような声だ。
しかも、声が肩の傷に響いて痛い。

「…ん…?アスカ…?」

シンジ?

「あ、良かった!目が覚めたんだね!」

シンジが私がうつ伏せになっているベッドの横で顔を上げて嬉しそうな声を出す。
私の横で寝てたの?

「良かった。一昨日からずっと眠ったままだったんだよ。」

「それはいいからさ、この体勢、直してくれないかしら?」

「それは…ダメだよ…。」

「何でよっ?!」

体を少し浮かせるようにして抗議の声を上げら、途端に傷口に響く。痛い!

「う、動いちゃダメだよっ!しばらく体を固定してなきゃ傷口が塞がらないんだって!」

なんて忌々しいのよっ!!
私はしばらく自分の背に負った傷とこの状況を呪うように唇を噛み締めた。
そんな私の様子を見ていたシンジが俯き加減に私の方を見る。
暗い…暗すぎる!!
痛くてがんじがらめにされていた私は少し苛立って、暗そうに下を向いて何か言いにくそうな表情をするシンジを少し睨んだ。

「…何よ?」

「あ、いや。その…」

シンジの右手には包帯が巻かれている。
…あの時、私の肩からガラスの破片を取ろうとした時に切った傷…。
何か言いにくそうにしながらシンジはその手を閉じたり開いたりしている。
…アンタだって傷口開くわよ?
そう、言いたくなったけど、言うより先に、シンジは急にそれを止めた。そして、何か言いたげな顔をして私の目をじっと見る。

「ねぇ、言いたい事があるなら…」

「…ゴメン。」

私が話し終えるより先に、遮るようにシンジが口を開いた。
私は俯いたまま顔を横に向けてたまま、視線だけをシンジの方にやる。

「…僕が戦いを放棄して逃げ出さなきゃ、アスカはこんな怪我しなくて済んだよね。
 …ゴメン。」

ああ、そんな事…。
そういいたくなったけど、やっぱり私は口をつぐむ。
大したことじゃないのに…。やっぱり、言いたいこと言えないのは私の方かな…?
なんとなくそんな風に思えてきた。
そしてそう思った途端に、シンジの顔が真っ直ぐ見れなくなってきた。
…コレじゃあシンジと同じじゃないの。

私はシンジから視線を外して俯き気味になっていると、急に自分の手のひらに何かが触れる感触がした。
…何?
見たら、シンジが私の右手をそっと何度も撫でてる。
シンジに撫でられて気がついたけど、私の右手には包帯が巻かれている。
そうだ、丁度私もガラスの破片で切ったんだ。
シンジはそんな私の手をひたすら撫で続ける。なんか、傷を負っているせいか、神経が集中しているみたい、感触が敏感だ。それに、シンジに撫でられると気持ちいいけどくすぐったい。何より…。

「し、シンジ…。」

「…何?」

シンジは撫でるのを止めて、今度はそっと手を握ってきた。
何よ、コレ?
これに何か意味があるの?これに何か意味があるの?これに何か意味があるの?!
というかぁぁぁ!!急にらしくないことするなぁぁぁぁ!!対処に困る!!!
私が意味もなく悶々と考えているとシンジが私の耳元に顔を寄せてそっと囁いてきた。

「…アスカは、僕の事が嫌い?」

「え?」

「側に居ると、やっぱり嫌だったりする?」

…この前と似たような質問。
どう答えろって言うのよ?別に嫌いじゃない。
でも、だからといって…好きとは言えない。言えるわけがない。
そんな事言うような玉じゃない。

「…別に、嫌じゃないわ。」

これで精一杯好感のある返事のつもりだった。これ以上は言い辛い。
そして今気がついたけど、言えたら苦労してないな…。
シンジは私のその言葉を聞いてしばらく考え込んだ。
…もしかして、ヘコませた…?
私の方がシンジみたいに顔色見てオロオロしていると、シンジが嬉しそうな顔をして言った。

「…そっか。良かった。」

はぁ?何納得してんのよ?コイツ?
私がワケ判らないという顔をしていると、シンジがボソっと呟いた。

「…戦う理由が出来たよ。もうアスカが傷ついたりしないように、頑張るから。」

…何、今の?何が言いたかったのよ?!その言葉にどういう意味があるっていうのよ?!
再び悶々と考え始める私をよそに、シンジは意気揚々に病室を去って行こうとする。
私は呼び止めようか呼び止めまいか散々悩みまくった挙句、何も言えずにただひたすらシンジの背を視線で追う。
シンジはドアの近くまで行ってから、急に立ち止まって私の方に振り向いた。

「ごめんね、アスカ。それと、僕を探しに来てくれてありがとう。」

そう一言告げてからシンジは病室を出た。
私はシンジの去って行った後のドアを見つめながら、そっと呟いた。

「バカ。恥ずかしい事言うんじゃないわよ…!」

手が動かせたら頭まで布団を被りたい気分になっていた私は、枕に顔を埋めた。

入院している間中、シンジは毎日のように私の元にお見舞いと世話をしにやってきていた。私も前のように邪険にしたり避けたりはしない。というよりも出来ないし。
それに、前ほどシンジが側に居るのに不安を感じたり、避けたいという気持ちがなくなった。どうしてかな?
まぁ、逆にミサトとは少し距離を置いてるけど。
ファーストは一回きりお見舞いに来たけど、作戦を無視してうんぬんをボソっと言って私を苛立たせた。
アンタなんて気を失ってたクセにって怒鳴り散らしてやったけど、あまり動じている様子も無くただ私の方が自分で出した怒鳴り声が傷口に響いただけだった。
あと、フィフスが見舞いに来なかったけどそれをシンジに尋ねたら少し嫌そうな、それでいて言い難そうにしていた。
もしかして、シンジが私にフィフスが好きかと尋ねてきたときに「焼いていた」のはまんざら嘘でもなかったんじゃないかなと思う。
でも、結局は誰もフィフスの事は触れず、アイツの事は一切分からなくなった。
もっとも、アイツは使徒だったから、何か色々あったんじゃないかとは思うけど…。

私が退院出来たのは、一か月半後だった。
予定では二週間から三週間のはずだったけど、傷の回復が遅れた。
ドクターが言うには、ちゃんとじっとしてなきゃいけないものを、動き回ったからだと言った。自分のヤブ医者な腕を棚に上げておいて、いっちょまえに注意だけするのがいけ好かないわね。
なんとか無事に退院出来たから、久々に弐号機を見ようとケージに足を運んでみると、そこには溝落ちから下が…奇麗になくなって頭なんかが凄い事になってる、なんというか、慣れない人が見たら失神しそうな程に大破した弐号機があった。
あ、アタシの弐号機がぁぁぁ…。
日向さんが言うには、ネルフ本部内部からA.T.フィールドの発生を確認。あらゆる分析を行なった結果、A.T.フィールド発生元はフィフス・チルドレ ン、渚カヲルからであり、パターンは青、目標を使徒と断定。その後フィフスは外部操作で弐号機を操り、襲来した使徒と接触、相手の使徒が物理的接触を計っ て来た時に、物理的接触が計られた部分から派手に爆破して使徒とフィフスは消失、弐号機はかろうじて胴体の半分とコアと半ば潰れた頭部だけが残った状態 だったらしい。
フィフスも無茶苦茶やってくれるわねっ!!
でも、文句を言いたくてもそいつは…フィフスは居ない。
もう、あの笑顔は見れないんだ…。
そう思うと私はちょっぴり寂しさを感じた。

「ねぇ、アスカー。ハガキが届いてるよー?」

ある朝、シンジが郵便受けからダイレクトメールやガス水道その他諸々の料金明細やらと一緒にハガキを持って来た。

「へぇ。これ、ドイツから…だ…よ?」

途中まで普通に話していたのに、突然とぎれとぎれの暗く重苦しい口調に変わった。

「何よ?」

急に様子の変わったシンジを不審に思いながら、今置いたと思われるダイニングテーブルの上のハガキを手に取って見た。流暢なラテン文字のアルファベットの筆記体で住所が書かれていたけど、裏側は日本語だった。

愛しの2nd.へ
やあ、元気にしてるかい?僕は色々な国を旅してまわってるんだ。
今、君の生まれたドイツに来ているよ?
リリンの歴史や文化を知るのは面白い事だね。
今度日本に行くから、その時は二人で一緒にどこかに行こう。
最後に、君の事は今でも好きだよ。
5th.C Kaworu Nagisaより2nd.へ愛を込めて
P.S.
三人目の彼にもよろしくって伝えておいて欲しい。

フィフスは生きてる…?!…じゃない!!
な、な、な、な、なんなのよぉぉぉぉ?!この誤解を招きそうなハガキは?!
っていうか、ハガキで送ってくるな!ハガキで!!シンジに読まれるでしょうがぁぁっ!!
私はチラリとシンジの方を見る。
シンジは捨てられた子犬のような目で私を見ている。
…うっ。そ、そんな目で見ないでよ…。
そして、ものすごく寂しげな笑みを浮かべて遠くを見るような眼差しで言う。

「…カヲル君。アスカの事が好きだったんだね…。」

「それは、そう!ほら、アレよ!アレ!
 ヒヨコが初めて見たものを親鳥と間違えたり、子犬が懐いたりするような…。」

うわぁぁぁ!!いかにも言い訳って感じ?!私がシンジみたいじゃないのっ!!

「いいよ、僕の事なんて気にしなくったって…。」

シンジは捨てられた子犬の視線をあらぬ方向に向け、ことさら寂しそうな笑顔をして言う。
どう見たって、「気にかけて下さい。話しかけて下さい。」って顔に書いてあるじゃないのっ?!

「あー、分かった!分かったからっ!!焼きもちやくの、やめてくんない?!」

「違うよ…」

「違うくないっっ!!」

結局、シンジを私がなだめすかす羽目になる。
なんだか、シンジはすぐ拗ねるのよね。絶対本当に思った事を口にしない。
…でも、まぁ、私も同じだけど。
お互いに拗ねて、針で突きあって、傷つけて。
そうしてお互いの距離を取ったり、取らなかったり。こういうのって…。

「…"ヤマアラシのジレンマ"っていうのよね。」

「え?」

「とーにーかー!私にあらぬ嫌疑をかけないでよね!
 私はアンタの方が、まぁ、気に入ってるし。」

「えっ?えっ?」

「もう!そーゆーコトなんだからねっ!!」

まぁ、これが私なりのかなりの譲歩。
歩み寄ってあげたんだから、アンタも少しは距離を縮めなさいよねっ!!

おわり

あとがき
ハイ、アスカが逆襲してシンジ君を奪回してきました(違う
そしてシンジ君、何も成長してません。
…す、すいません。ウチのシンジ君はダメなんです…ダメなんですよ…

初稿: 2005/09/08 AzusaYumi


AzusaYumiさんから後編をいただきました。

アスカがんばりましたね。シンジ君は駄目でしたけど(笑

素敵なお話を執筆してくださったAzusaYumiさんにぜひ感想メールを送りましょう。

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