幸福とは、決してひとりでは味わえないものです。

アルブーゾー





2032年 第三新東京市 ネルフ本部

ジ、ジ、ジジーーーーー
カタカタカタ・・・・
プリンターの印刷する音とキーボードを打つ音がする。
それは不規則に、時に乱雑する雑音のように聞こえることもあるが、私にとっては調和されたBGMのように聞こえる。
ジジーーーと印刷が終わった音が聞こえると、私はプリントアウトされた紙を手に取り表示された分析結果に目を通す。
・・・数字的には決して悪くはない。
だが、満足いく結果でもない。私は考えをまとめようと紅茶の入ったポットを持ち上げるが、随分と軽い。
「あー!碇さん!ごめんね。紅茶全部飲んじゃった!」
同僚がごめんというように手を合わせている。
「そう、ないなら仕方がないわ」
「ごめんね。碇さんが入れる紅茶おいしいから、つい手が出ちゃうのよね」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
私は仕方なしに安物のティーパックをマグカップに入れるとお湯を注ぐ。すると、昼休みのチャイムが鳴った。
「さーて、お昼お昼!今日の定食はな・に・か・な~❤」
続々とお昼休憩を取るために部屋を出ていく同僚たち、私は一人椅子に座ると紅茶を飲んだ。
「あれ?碇さんお昼行かないの?」
不思議に思ったのかひとりの同僚が声をかける。
「もちろん行くわ。もう少ししたら彼が来るから」
私は机の下に置いたバッグを持つと腕時計を見る。もうすぐ彼が来るはず・・・あと10秒・・・5,4,3,2,1。
「お待たせレイ。迎えに来たよ」
ドアが開けてカヲルが部屋の外から覗き込んだ。
「グッドタイミングよ」
私は二人分のお弁当が入ったバッグを持つとカヲルと並んで食堂へと移動する。
「いいな~碇さんは。仕事も順調で、カッコいい彼氏もいて!幸せそう!」
「そうね、本当に羨ましいわ。勝ち組よ」
みな口々に私のことをそう評価する。
多分、私は周りから見れば随分と恵まれている環境ではあるかと思う。

でも、私には・・・

『幸せ』というものが、どういうものか。

私にはわからない。





綾波レイ育成計画

まごころをユーに






「それじゃ、いただきます」
カヲルは手を合わせるとお弁当をかきこむように食べる。戦自にいたときに自然と身についてしまった癖らしい。線の細かった体は今では随分と筋肉がついて男らしい体になっていた。
「折角作ったんだから、ちゃんと味わって食べて」
「・・・うぐっ!むむ・・・」
「もう」
喉を詰まらせたカヲルにぬるめのお茶を手渡すと、ひったくるようにお茶を取り飲み込む。
「ぷはーっありがとう」
「そんな食べ方するなら、もうカヲルのお弁当は作らないわ」
「そんなことしないでくれよ。僕はレイの料理が大好きなんだ」
カヲルは笑いながら言う。その笑顔は昔から変わることがない。いや、人に流されずに自分に素直に生きている分、眩しくなった。
彼の周りにはネルフの職員だけでなく、戦自にいる元同僚や上官がいつも誰かしらいる。カヲルはカヲルだけが持つ絆を得ている。しかし、私にはそれがない。私が持つ絆はカヲルが持つ絆とかぶっているのだ。カヲルは食べ終わると律儀に手を合わせる。
「ご馳走様でした。おいしかったよ」
「お粗末様、できればゆっくり食べてほしかったわ」
「あはは、どうしても染みついた習慣でね」
カヲルは苦笑いを浮かべるとすぐにいつもの飄々とした顔つきに戻る。
「この前レイに話をしていたことなんだけど・・・」
「なに?」
「ほら、戦自にいた頃の同期が結婚するからお祝いに呉に行くって言っただろ?」
「そういえば、そうね」
「それが、前日からどうも祝い酒をするみたいで急遽今夜行くことになったんだ。元上官からの命令でね」
「そう、じゃあ夕飯はいらないのね」
「ゴメン」
カヲルは心底申し訳なさそうな顔をした。

仕事を早々に切り上げた私たちは自宅でカヲルの準備をしている。カヲルはすでに戦自の制服に身を着替えている。
「これ、着替え一式。ご祝儀は持ったの?」
「もちろん」
「ああ、もう、ネクタイが曲がってる」
私はカヲルのネクタイを直す。ふとカヲルが笑った。
「あはは・・・」
「どうしたの?」
「なんか、僕たち夫婦みたいでいいなって」
その言葉に私の体が震える。カヲルはすぐに気が付いたようだ。
「・・・その、そんなつもりじゃないんだ。ごめん」
「わかってるわ」
「僕は、いつまでも待っているから・・・」
「うん」
「いってきます」
カヲルは荷物を持って出かけて行った。
夜、私はベッドに横になる。ひとりで過ごす夜は初めてではない。カヲルの立場上そういうことは過去に何度もあった。長期出張で何日も帰ってこない日もあった。ひとりの夜は慣れている。
慣れているはずなのに、今日は何故かベッドがいつもより広く感じた。
朝、静まり返った部屋にカタカタと響く物音で私は目が覚めた。ふと周りを見渡すと、携帯電話が点滅している。どうやらメールが届いたらしい。時間からするとカヲルだろう。私はメールをひらく。


「お好み焼きウマー(・Д・)」

イラッとした。


朝、家事を済ませた私は何をして休日を過ごそうか考える。外に出ようと思ったが、特に用事もなく欲しい物もない。お金に余裕はあるが、無駄遣いをするのが嫌いなのでやめた。本を読んで過ごす?これも悪くないが、家の中には専門書しかない。そういえば仕事が忙しくて見逃したドラマがあった。ネットで検索して見て過ごす・・・ネルフでは一日中MAGIと睨めっこしているから休日の日くらいはパソコンに触りたくはない。悶々とした気分になってくる。
「あ、そういえば・・・」
あることを思い出した私はクローゼットの中から作りかけのジグソーパズルを出した。少し前に好きな画家の絵だからと買ったジグソーパズルだが、最近はなにかと忙しかったためか少しだけやってそのままにしていたのだ。
ジグソーパズルはどうやら私の性にあっているらしい。その証拠に私の個室には何枚かのジグソーパズルが飾られている。カヲル曰く、研究に行き詰っている時や、何か苛々しているときに私は一心不乱にジグソーパズルにのめり込むらしい。自覚はないけど・・・
私は何も考えずに目の前にあるピースをはめ込むことに集中をし始めた。


適当にストックしてあったお菓子がなくなり、味もなくなった出がらしの紅茶を飲んでふと気が付く。外を見ると真っ暗になっていた。
いつもこうだ。私は何かに集中しはじめると時間の感覚がなくなりやすい。このことでいつもカヲルに怒られている気がする。色々な感覚が私の中で戻ってくるとくぅと私のお腹が鳴った。そういえば朝からつまむ程度のスナック菓子しか口にしていない。普段なら家にあるもので適当に料理をしているのだが、今夜は自分で料理をする気には到底なれなかった。
外にどこか食べに行こうか。
そう思った私はコートを羽織り、お財布をバッグに入れるとドアを開けて外へと出る。
外に出ると私の吐いた息が真っ白に染まった。もう季節は真冬なのだという当たり前のことに今更ながら気が付かされる。こういう寒い日は温かい物が食べたい。
「久しぶりに、行こうかしら」
私はあの店に行くことを決めた。


ガラガラと戸を開けると中から元気な声が私を出迎えてくれた。
「いらっしゃーいって、レイじゃない」
「アスカ。席、空いてる?」
「ええ、カウンターでいいでしょ?」
「構わないわ」
「OK,外は寒かったでしょ?中に入って」
店の中に入ると兄の姿も見えた。
「綾波。いらっしゃい」
いつもの優しい笑顔で兄は迎えてくれた。
ここは私の兄と義姉が店を構える老舗京料理店から暖簾分けした店だ。暖簾分けというより店を受け継いだという表現が正しいのかもしれない。
この店にはいつもたくさんの人で賑わっている。たまにこの店に鈴原君が婿入りした洞木さん一家や相田君などが家族を連れて来るという。ミサトさんや父さん、ネルフ職員はこの店の常連客だ。

「若、おでんもらえる?」
「はい、かしこまりました」
「すみませ~ん。ビールください~」
「はい、今行きます」
カウンター席で客の目の前で調理をしている兄さんは『若』と呼ばれている。なんでも京都老舗料亭の頑固親父が認めた若い後継者だからなのだそうだ。年齢もさることながら容姿を見ると大学生と間違えられることもあるからなのだろう。兄さんは苦笑いを浮かべるしかなかった。
そして、アスカは黄色に花柄の着物を着てこの店の女将さんをしている。最初は白人の女将ということで珍しい物見たさで来る客でごった返した。しかし、彼女は気遣いが人一倍できる人なのだ。修業時代は身のこなしや言葉遣いなどを随分と注意されたと聞いた。そのおかげで今では先代の常連客も認める女将へと変貌を遂げたのだ。その実力たるや日本舞踊と華道の師範の免許を取るほどだ。つくづくアスカという人は努力の人なのだろう。
二人三脚で多くの人たちの支えをもって盛り上げてきたこの店は温かい。私は席に座るとお茶を飲みながらその温かい味を噛み締める様に少しずつ料理を楽しんだ。


「ありがとうございました。またお越しください」
アスカが最後の客を見送る。店には兄さんと私、そしてアスカの3人しかいない。アスカは引き戸が閉まると束ねていた髪をほどいた。
「ふーっ今日もお客様がいっぱい入ったわね」
アスカはそう言うと店の奥へと姿を消してすぐに手に瓶を持って戻ってきた。
「レイ、少し付き合いなさい。あ、シンジ」
「わかってるよ」
兄さんはアスカの言わんとすることがわかっていたように私とその隣の席に小料理を出す。
「京都のママから地酒を送ってきてくれたの。飲みましょう」
「これは・・・富翁!?」
言わずと知れた京都の名酒だ。
「あら、よく知ってるじゃない。ネルフの女性スタッフはなんでこうも呑兵衛が多いのかしら?」
「多分、初代作戦部長がミサトさんだからだと思う」


特務機関ネルフ。
私たちの頃は使徒迎撃のためという偽りの目的のために作られた組織だったが、今では医学、薬学の国際研究機関である一方、エヴァを使った災害派遣や治安維持、紛争地域への人道的支援を目的とした機関へと変貌を遂げている。その立役者となった父、碇ゲンドウは3年前に司令の座を引退。同時期に冬月副司令も引退した。冬月副司令は京都でのんびりと余生を過ごしていると聞く。現在、副司令はアメリカ支部の研究主任が、司令官は日向さんが着任している。作戦部長は国連軍から派遣された人が、その補佐としてカヲルがいる。エヴァを使う以上チルドレンも健在で世界中からマルドゥック機関より選抜された子供たち10名がその任務にあたっている。E計画責任者は伊吹マヤさん。私は彼女の下で研究者として働いている。
ネルフの女性スタッフのほとんどがお酒に強い。毎週のように朝まで飲み会などがあり、彼女たちと酒の席を付き合う男性はほとんどいない。それはネルフを代表したミサトさんやリツコ母さんの2名が恐ろしく強かった名残なのかもしれない。おかげで私も随分とお酒に詳しくなってしまった。


アスカのお猪口に私がお酒を注ぎ、私のお猪口にアスカが注ぐ。注がれるお酒を見てまるで宗教の儀式のようだと考えていた。
兄さんは何も言わずにツマミをテーブルに置くと店の奥へと入っていった。
「それじゃ、乾杯」
私とアスカはお猪口を掲げると一気に杯を煽った。


ツマミを少しずつ食べながらちびりちびりと杯を重ねていく。会話はない。いや、会話などなくてもよいというのが正しいかもしれない。ミサトさんが前に私と呑んだ時に言った台詞が思い出される。
『本当にわかりあえる友人とお酒を飲むと、会話がなくても相手のことが手に取るようにわかるものよ』
ミサトさんが言う通りなのかもしれない。
お酒がすすみ、ほろ酔い加減になった頃にアスカが唐突に口を開く。
「レイ、私に話をしたいことでもあるんでしょ?」
「え?」
「そういう顔をしているわ」
アスカは少し赤みを帯びた顔で私に微笑む。
無理矢理聞き出そうとせずにじっくりと心がほぐれるのを待ってから話を切り出す。待つというのが嫌いだったはずのアスカがじっくりと相手にそれを悟られないようにその時を待っている。それは彼女が大人になった証左なのだろう。伊達に3人の子を持つ母親ではないということなのだろうか?
つくづくアスカには敵わない。
「もしかして、あのバカに変なこと言われた?」
「変なこと?違うわ。カヲルは私を大切にしてくれているわ」
「それじゃ、あの話なのかしら?」
私は頷いた。
「まだ迷ってるの?」
「ええ」
アスカの顔つきが厳しくなる。
「もしかしてレイ・・・」
「違うわ。前みたいな理由じゃないもの」
アスカが言いかけた言葉を遮って私は彼女の考えたことを否定する。


私が言おうとした話はカヲルからのプロポーズの話だ。
それは今から2年前のことだ。私の目の前にカヲルは膝をついて指輪の入った箱を差し出した。そのとき、カヲルが私にどのようなプロポーズの言葉を贈ってくれたのか定かではない。情けないことに私はただ、困ったようにおろおろすることしかできなかったから。
そんな私にカヲルは優しく声をかけてくれた。
「返事はいつでも構わない。僕はいつまでも待っているから」

彼のことを好きか?と問われれば好きと私は答える。愛しているか?と問われれば愛していると言える。そこに時間をかけるほど曖昧な想いではない。
しかし、私は彼のプロポーズにその場で応えることができなかった。あるはただただ不安だった。私はこのときのことをアスカに相談した。
『アイツと交際を始めて10年。うち同棲が2年。なにか不満でもあるの?』
『ないわ。何一つ』
『だったらいいじゃない。レイのこと悲しませるようなことはしないわよ』
『でも・・・』

『私も彼も、元々は人じゃないから・・・』
その瞬間、私の顔は横に逸れた。頬が熱い。アスカに顔を思いっきり叩かれたのだ。ゆっくり顔を戻すと、そこには白い肌を真っ赤に染め上げ蒼い目を潤ませて大粒の涙を流しているアスカだった。
『アスカ・・・』
『アンタ・・・今度同じこと言ったら殴るからね』
『もう殴ったわ』
アスカはもう一度私の頬を叩く。
『二度もぶった。父さんにも殴られたことないのに!』
『そういうシュチュエーションじゃないでしょ!?空気読みなさいよ!』
アスカは力強く私の肩を掴むと久しく聞いてない大声で私に叫んだ。
『アンタは人よ!人以外に何があるのよ!今度同じこと言ったら、アタシ許さないからね!絶対に!絶対に許さないからね!』
そう叫ぶとアスカは私に抱きつき大声で泣いた。私はそこで初めて彼女を傷つけたことを理解した。
『ごめん。ごめん、なさい』
私はアスカを抱き返し泣きながら謝り続けた。
その日以来、私は自分のことを人ではないと思うことを辞めた。



「それで?今度は何に悩んでいるの?」
私は胸の内を話す。
「結婚ってしなきゃいけないのかって・・・私は別にこのままでもいいと思う」
「このままって・・・結婚しないで同棲を続けるってこと?」
私は頷く。今の私とカヲルの交際は極めて順調であり、平穏なものである。それはお互いが公私ともに充実しているからかもしれない。もし、彼との間に子供ができたとしても別に今のままで育てるのに支障はまったくない。なにもかもが揃っているから結婚というものに重要性を全く感じていないのだ。
「アスカはどうして兄さんと結婚したの?あのままずっと一緒にいてもうまくいきそうなのに」
アスカは注がれたお酒を飲む。
「けじめ・・・かな。過去の自分と未来の自分に対してのね」
「けじめ?」
「確かにレイの言う通りあのままでもうまくやっていける自信はあったわ。でも、それだけじゃダメなのよね」
「どうして?」
私は首を傾げる。アスカは優しい笑みを浮かべた。
「結婚っていうのは魂と魂の契約。そこに偽りも裏切りも許されないわ。例え死が私達を分かつとしても魂のつながりだけは分かつことはできない。それが神であってもね」
「魂のつながり・・・絆・・・」
「そう、それが私なりの解釈。でも、私が本当に望んだことは・・・来世でも、そのまた来世でも、シンジの隣には私が居続ける。それだけよ」
アスカは最後に照れ臭そうに笑った。どんなに時が流れても、何度輪廻転生を繰り返しても兄さんの隣に彼女が居続ける。彼女が心底願うものとは、なんと強欲で、なんと俗悪で、なんと純粋で美しいものだろう。
「可哀想。兄さんは来世でも赤鬼に追いかけまわされるのね」
「な~に言っているのよ。シンジなら涙流して喜ぶわよ」
思わず私たちは顔を見合わせて笑いあった。



「すっかり長居してしまったわ」
気が付いたら深夜を既に回っていた。私は帰り支度をし、コートを羽織る。
「レイなら構わないわよ。いつでもいらっしゃいな。たまには昼間にも顔を見せなさいよ。うちの子たちも楽しみにしているから」
「そうするわ」
外に出ると冷たい風が吹き抜ける。空気が乾燥しているせいか月明かりがやけに眩しい。
「あら・・・今夜はこういう日だったのね」
「え?」
「ほら、月を見て」
アスカの言う通り月を見上げると真っ白でいつもより大きな満月が辺りを照らしている。その光はすべてを見透かすように眩しく、柔らかく、そして神々しい。
「今夜はスーパームーンよ」
「セーラームーン?」
「それはミサト」
「スーパームーン?」
「ええ」
聞いたことがある。月が地球に最も近づき占星術にて衝の位置に着いた時に見られる現象で天文学的に言えば満月の月はペリジー・フル・ムーンと呼ばれている。名前は聞いたことはあるが見るのは初めてだ。
「綺麗・・・」
思わず呟いた。
「ヨーロッパではこの月を見ると良いことがあるって言い伝えがあるのよ」
「どうして?」
「滅多に見れないし、こんなにも綺麗だからね」
私はもう一度月を見上げる。その月の光はまるで私にこれから先の道を照らすように眩しい光だった。


私は月明かりの下を一人歩く。いつもならタクシーを使って帰るのだが、折角の機会だからこの月の下を歩いて帰らないともったいない気がしたからだ。歩きながら色々なことが私の頭を過る。それは私が生まれた理由であったり、彼らとの出会いであったり・・・その思い出は決して良いものばかりではない。しかし私という人間を作り上げた大切な過程でもあるように思える。
いつもひとりぼっちだった。
でも、気が付けば私の周りにはいつも人がいた。兄さん。アスカ。ミサトさん。父さんと母さん。ヒカリさんと鈴原君。相田君。ネルフのみんな。そして・・・カヲル。
彼のことが頭を過った時、今、私の隣に誰もいないことが不安になった。怖くなった。そして・・・とてもとても寂しくなった。心が凍えそうになる。思わず身を屈める。
会いたい。あの人に。
今の私を見れば彼はこう言うだろう。
「どうしたんだい?」
そう、そう言って・・・
私は思わず振り返る。そこには月明かりをバックに微笑むカヲルの姿があった。
「カヲル・・・」
「三次会誘われていたけどさ、仕事があるって断って帰ってきちゃったよ」
カヲルは苦笑いをしながら頭を掻いた。
「どうして?」
「何故かな?どうしてかレイの顔を見たくなったんだよ」
これを以心伝心とでも言うのだろう?心が温まる。
カヲルは空を見上げた。
「今夜はすごく月が綺麗だね。レイに会いたくなったのも月のせいなのかな?」
バカだ。この人はバカだ。歯が浮くような台詞を自然と口にする。そのせいで何度女性トラブルを起こしたのかわからないくらいに・・・でも、そんな彼を愛してしまった私もバカなのだろう。

「Fly me to the moon,and let me play among the star」
(私を月に連れてって、星たちに囲まれて遊びたいの)


思わず口から歌が飛び出した。それはミサトさんの披露宴の時に歌ったあの歌。一度口にするとそのメロディーは流れる水の如く私の口からあふれ出す。
カヲルはただ黙って私の口ずさむ音に耳を傾けている。
私は昔から何かを表現することが苦手だ。それでいつも失敗ばかりしている。
ネルフに入ってすぐに先輩からお高く止まった嫌な奴だと思われたこともある。
カヲルのことを狙っていた女性から本気で彼のことが好きなはずがないと決めつけられたこともある。
表情や言葉で何かを伝えることが苦手な私と一緒に彼はいつも私のことをみんなに話していた。伝えていた。最初は誤解ばかりだったけど、それでも時間をかけて私はできる限り私の言葉を持って話をし続けて気兼ねなく付き合える友人を増やすことができた。

『歌はいいねぇ。歌はその時の感情や想いを人に伝えることができる。素晴らしいものだよ。正に文化の極みさ。そうは思わないかい?』

だから私は伝える。一番伝えたい気持ちを。一番伝えたい人に向けて。

この一言を

「「I love you」」


最後は二人で歌っていた。歌ってくれた。体の奥が熱い。外はこんなにも寒いはずなのに私の体と心は熱でどうにかなってしまったようだ。
カヲルを見る。彼はただ優しく微笑んでいる。その笑顔がどうしようもないほど心地いい。
「今夜は冷える。帰ろう。レイ」
カヲルは手を差し出す。
そうか、今わかった。
幸せはこんなにも私の側にあったのだ。私の幸せはここにあったのだ。
こんな簡単なことに私はどれだけ無駄な時間を使ったのだろう。私は過去の自分と比べて今があまりにも幸せすぎるから、自分でも抱えきれないほどの想いがあるから、その幸せが今の環境が変わることで壊れてしまいそうで、一人で歩けなくなっていたのだ。一人で歩けなくても二人でなら歩いていける。二人ならずっと続けられる。
こんな簡単なことに今更気が付いた。
私はカヲルの手を取ると両手でその手を抱いた。
「レイ?」
言える。今なら言える。もう逃がさない。私はカヲルの目をまっすぐに見た。
「カオル。あなたのプロポーズ。受けます」
「ええっ?」
カヲルは鳩が豆鉄砲を食らったような顔を浮かべる。
「ほ、本当に?」
私が小さく頷くとカヲルは大声をあげてガッツポーズをした。
「ちょっとカヲル!?深夜よ。声が大きいわ」
「何を言っているんだい!こんな嬉しいこと叫びたくなるに決まっているじゃないか!レイ、君のことは僕が幸せにする!」
「バカね」
私はクスリと笑った。
「二人で幸せになるのよ」




そして式当日。
「ねえ、本当に私でいいの?お義父さまのほうが適任じゃないの?」
「いいえ、マダオよりアスカのほうが適役。だから頼んだの」
私の控室には着物を着たアスカがいる。私はアスカに一緒にヴァージンロードを歩いてほしいと頼んだのだ。
「お義父さまじゃだめなの?お義父さま自分が歩くんだって思ってたらしくって、タキシードをオーダーメイドしたのよ!?しかも私に頼んだって聞いた途端にケンシロウのように服を破いて役目を終えたロンギヌスの槍を見せてヤケ酒よ?リツコが強制的に回収したらしいけど、義姉が妹連れて歩くだなんて前代未聞よ」
「そうかもしれないわね。でも、私を育ててくれたのは、一番面倒みてくれたのはアスカだから。アスカが色々なことを教えてくれた。だから・・・私にとってアスカはお母さんなの」
「レイのママか・・・そう言われたら断れないじゃない」
「当然ね。断らせるつもりはないもの」
「そういうとこ、シンジに似てるわよ」
アスカが席を立つとスタッフから入場の合図が送られた。
「さ、行くわよ。ママが案内してあげるわ」
「ええ、行きましょう」
アスカの手を取って私は歩き出す。扉が開くと溢れんばかりの拍手と目がくらむような光が私に降り注ぐ。私が目を閉じたのは眩しいだけのせいじゃないはず。私はアスカの手を取りながらゆっくり、ゆっくりと目を閉じて光の中へと歩いて行った。















「・・・・ちゃん!」











「おばあちゃんってば!」
「あ・・・」
「やっと目を覚ました~」
「お義母さま、お体は大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。少し寝ていただけだから」
私はそう言って体を起こす。
「お体を起こして大丈夫ですか?」
「おばあちゃん。洞木先生のとこ行こうか?」
「大丈夫よ。今日は気分がいいから」
二人の女性の声がする。ひとりは私の息子の妻、そしてもうひとりは息子夫婦から生まれた娘だ。
あれは私がカヲルと結婚した時の夢だ。昔の頃の夢は随分と久しく見ていない気もする。
あの日から60年以上の年月が流れた。長いようで短い時間だ。
私とカヲルの間には2人の男の子が生まれた。一人は官僚として第二東京で働き、もう一人は技術者として働き、私達と同居している。そして私達の息子夫婦にも家族ができ、今ではひ孫もいる。
私の友人たちはみんな旅立ってしまった。兄さんもアスカも、鈴原君もヒカリさんも、相田君も、カヲルもいない。私だけが残り最後の時を待つ。私の部屋にはみんながまだ生きていた頃の写真が何枚もある。しかしそれを見ることももう叶わない。私の視力は老化が原因で僅かな光しか見えないのだ。
でも、悲観はない。目に見えるものが全てじゃない。遠くなった耳で聞こえる音もあるし、皺だらけになった顔で感じる風の揺らめきもある。そしてあの世に行けば再び彼らに会えるのだ。寂しくはない。
私は体を横にすると自然の音に耳を傾ける。聞こえるはずもない音の中に微かに歌声が混じっているのを聞いた。
“レイ、お迎えにきたよ”
「カヲル・・・?」
“うん、みんなも待ってるよ。特にアスカ君がね”
「ああ、そろそろかねぇ」
“うん、そろそろだね”
「もう一度生まれ変わっても、みんなに会えるかねぇ」
“何度生まれ変わっても、僕は君に会いに行くよ”
“綾波、お疲れ様”
“レイ~いつまで待たせるのよ!”
みんなが呼んでいる。私は行かなければいけない。私は必死に手を伸ばす。その手をカヲルは確かに掴んだ。そして私の体は空高く舞い上がっていった。







いつかどこかの日常

教室
「おっはよ~~~!!」
「ったく、レイは朝からうるさいわね~」
「なによ~アスカひどくない?」
「ああ、綾波おはよう」
「碇く~~~ん!アスカがいじめる~~~~!!」
「うわわっ!なにすんだよ綾波!離れてよ!」
「こおおおおおら!シンジから離れなさいよ!シンジも鼻の下伸ばしてんじゃないわよ!」
「の、伸ばしてないよ!」
「べーっだ!」
「この~~~~!!」

「まったく朝から元気やのぉ」
「いつものことだろ?」
「ちょっとアスカ!綾波さんも静かにしてよ!もうすぐ先生が来るわよ!」


「おはよう!喜べ女子!転校生を紹介するわ!しかもイケメンよ!」


「おお~」「キャー!カッコいい!」「なんか線の細い奴やのぉ」「肌が白い・・・病気?」「こいつは売れるぞ!」「ふーん、顔はいいじゃない。シンジほどじゃないけど」「友達になれるかな・・・?」


「あ・・・あの人は・・・」



学校屋上

「またこうして会えるなんて思いもしなかったわ。しかも前世の記憶つきで」
「神様の粋な計らいでね。尤も、僕は記憶がなくても追いかけるつもりだったけど?」
「また、私たちの物語が始まるのね。今度生まれ変わるときは前世の記憶を無くして生まれたいわ。そうすれば違う感動もあるかと思うの」
「僕は構わないよ。どこにいても、僕は君に会いに行くから」
「さ、教室に戻りましょうか。必要以上に話をしていると怪しまれるわ」
「そうだね、ゆっくりと行こうか。今度はもっと長く一緒にいられるように」
「カヲル・・・」
「レイ、僕のまごころをユーに」
(ルー大柴?)






あとがきと言う名の言い訳
あぐおです。この話を作り始める時ラストのプロポーズを受けるところからのスタートでした。そこから逆算して色々作ったSSです。
頭にあったのは“レイがレイらしく幸せになる”という所です。レイがレイらしくというのが一番難しかったですね。シンジもアスカもぶっちゃけお味噌程度の扱いです。ただ、レイという人物を育てる中心人物がアスカとさせてもらいました。LRSファンが読んで「これはアリ」と思えれば嬉しいです。
開始当初からそんなに長い話にする気もなく、キャラ崩壊、ネタ上等の気持ちでやってました。そのためにあまりないような俗っぽいカッコ悪いカヲル君であったり、カッコいいケンスケなどを書きました。LASでありながらレイが主人公という意味が分からないSSかと思いますが最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
エンディングがほぼ決まった状態で書いていた途中、女性としての幸せは結婚なのかという疑問が沸いたりもしました。あくまでも個人的な意見としましては結婚と言うのはひとつの形であり、大事なのはお互いの価値観を共有することではないかと思います。シンジ達が第三東京に戻ってきたあとの大まかなまとめは考えてありますが、今回の主人公はレイということで省かせてあります。
今作もたくさんの方からのメールをいただき、ありがとうございます。この場にて御礼申し上げます。励みになりました。
今後も投稿をやらせていただきたく思います。その時は見捨てずにお願いします。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

あぐおさんからの綾波レイ育成計画、完結であります。
綺麗な〆になりました。第一話を読み返してみると驚く程の育成ぶりであります。
素敵なお話を読ませていただいたあぐおさんに是非感謝のお便りなどをお願いします!

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