がちゃがちゃ鉄が擦り合う音が近づいてくる。石で造られた階段を下りてきた物々しい鎧甲冑を着た兵士は光る珠を手の平に浮かべながら近づいてきた。
牢屋の前で槍を持っている兵士が姿勢を正す。
「隊長。ご苦労様です」
「ご苦労、“彼”の様子は?」
「先ほどから紙に何かを書いているようです。何を書いているのかわかりませんが・・・なんせ俺たちの言葉は話せず、ガキでも使える魔法のブックオブライト(読書の灯火)すら使えない蛮族ですからね。蝋燭の明かりで何か書いていた所でたかが知れてますよ」
門番は鼻で笑うように答えるが隊長と呼ばれた男はその表情を崩さない。過剰なまでに警戒をしている。
「だが、彼が紫色の鎧を身に纏った巨人を使役してわが皇国を脅かした巨人を倒したことは事実だ。丁重に扱えとのことだ。・・・何をしでかすかわからんからな」
「ま、隊長がそうおっしゃるなら構いませんけどね。この件で周りはなんと?」
「わからん。特に元老院が相当揉めているのは確からしい。こういうときカルッカ様がいてくだされば・・・なんでも急な病に伏せておられるとか・・・」
「あの・・・すみません」
牢屋の中からする声に話をしていた門番は思わず振り返り槍を突き立てる。
「な!なんだ!」
「紙をもらえますか?あとインクも」
「・・・紙とインクだな?待っていろ」
槍を持ち替えると備え付けてある机の中から羊皮紙とインクを取り出す。
「ほらよ。いくらなんでも使いすぎだぞ。ったく何を書いているんだか」
「はあ、すみません」
牢の中にいる青年は申し訳なさそうに会釈をすると再び蝋燭の明かりを便りに何かを書き始める。それは実に慣れたような日課のようだ。隊長はその光景があまりにも不可解なものに見えたのだ。門番の肩を掴む。
「おい!」
「いてて!なんですか隊長いきなり」
「あいつ、俺たちの言葉をしゃべったぞ」
「それくらいなら今日の昼ごろから片言ですけど」
「昨日現れてこんな数時間でか!?あいつ・・・蛮族なんかじゃない。相当な知能があるぞ」
部隊長が睨み付ける“彼”は蝋燭の僅かな明かりに灯された牢屋の中で何かを一心不乱に書いていた。



第二話 異世界






元老院は朝から白熱した議論が飛び交っている。
「あの巨人の紫色の鎧!なにでできているのかすら我々は想像すらできん!」
「あの男が着ていた服もだ!あんなにすべすべして薄いのに、刃物ひとつ通さないとは!」
「しかしあの男は子供でも使えるような魔法ひとつ使うことができん。驚異に値などせんわ」
「バラモス将軍!それは早計ですぞ!なんでもすぐに我々の言葉を覚えてしゃべったそうな!油断はできん!」
「奴が反乱を起こしても我が軍には世界最強の竜騎兵がおる。問題ない」
「何を言うか!その虎の子の竜騎兵の半数以上が先の巨人と、その前に来た巨人の襲来で死んでいるのだぞ!歩兵も随分と巨人にやられた!あの巨人を退けた所でどれほどの被害がでるのか見当もつかん」
そこにいる全員が各々に意見を述べるが議論は遅々として進んでいない。度重なる未知の遭遇に誰もが恐怖し頭を抱えているのだ。停滞する議会の扉がゆっくりと開き、部屋の中に不釣り合いな白のローブを着て、曲がった木に宝石をはめ込んだ杖を持つ女性が入ってきた。その女性を見ると激論を交わしていた議員、軍人たちは一様に口を閉ざして深々と女性に礼をする。
「カルッカ様!お体の具合はよろしいのですか?」
「ええ、まだふらつきますが休んでいられる状況でもないでしょう・・・あの紫の鎧の巨人と、使役していた青年のことですね?」
「ええ、そうです」
カルッカと呼ばれた女性は議会に集まった議員、兵士を見渡すと凛とした声でその事実を告げる。
「彼の者は、この私が召喚した者です」
その言葉にカルッカを除くすべての者が騒然となった。
「な!ではあの者はこの世界の住人ではないと!そうおっしゃるのか!?」
「ええ、彼は異世界から私が召喚した者で間違いないです。そのために私は術を使い、魔力を大量に使い果たして倒れたのです」
「異世界からですと!?」
「ではあの者は異世界から召喚された者なのか!」
議会を取り巻く空気が一変する。それは明確な恐怖だ。
「い、異世界の者を召喚する。このことがどういう意味かカルッカ様ならご存知でありましょう!何故そのような危険極まりないことをなされる!」
「簡単なことです。我が皇国を脅かす巨人に対抗する唯一の手段だからです」
その言葉にひときわ立派な鎧を着た軍の高官であろう禿げ頭の男が激昂する。
「何を申されます!カルッカ様と言えども聞き捨てなりませぬぞ!我が皇国には世界最強の竜騎兵がいます!如何に巨人が猛威を振るっても竜騎兵が奴らを駆逐させましょうぞ!」
「バラモス将軍。その竜騎兵が先の巨人、そしてその前の白の巨人との戦闘で半数がなくなっているのは事実じゃないですか。これ以上、我が勇敢なる竜騎兵ならびに歩兵諸君を正体不明の巨人との戦争で削るわけにはまいりません。今この時にも我が皇国が弱体化した隙を狙って反乱を企てる者がいるやもしれません」
「しかし!」
「このことはレーティア皇帝陛下も承諾済みです。元老院の皆様を通さず申し訳ないと仰せです」
「なんと・・・」
張り上げた声が消えて無音となる。ある者は空を仰ぎ、またある者は頭を両手で抱え込んだ。カルッカは杖を床についてコンッと響かせた。
「まずは、其の者と私を会わせてもらいます。もしその者が我が皇国の脅威となると判断したときは・・・そのときは兵の皆様にお願います」



シンジは窓の外から見える空を見ながらこの数日間について思い返す。
シンジが目を覚ますと目の前に第三使徒サキエルに似た怪物がいた。
「くっ!使徒!?デーミッツさん!」
発令所にいるであろうデーミッを呼ぶが返事がない。いや、通信そのものが通じていない。
「なんだよ・・・これ」
そして広がる風景。それも見たこともないような風景だ。強いてあげるならドラ○ンクエストやウィザー○リィなどのRPGの世界観に似ている。中性ヨーロッパの原風景のような、それでいて文明は見た目より進んでいるようなそんな風景。
それよりも目の前にいる怪物。その怪物は明らかに殺気をシンジに向けていた。
(まずは目の前のこいつを倒さないとな・・・)
注意深く観察する。見た目はサキエルに似ている。だが、その怪物が使徒であるとは思えない。何故ならコアがどこにも見当たらないのだ。コア隠れているであろうと注意深く見てもそのような妙な膨らみもない。
(コイツ、使徒じゃない?じゃあなんだ・・・)
シンジが考えていると怪物は腕を振り上げて殴りかかってきた。しかし、その攻撃はATフィールドによって阻まれ初号機に届くことはなかった。
(ATフィールドが中和されていない?使徒じゃないんだ!)
そう思うとシンジの行動は早かった。ATフィールドを展開しつつ格闘戦に挑む。相手は子供が喧嘩をするように手を振り回して襲い掛かるがCQCを叩きこまれたシンジの相手ではなかった。最小限の動きで回避、または捌いてカウンターを入れる。敵の技能は低いと思われる。
シンジの放った蹴りで相手が豪快に吹っ飛ぶと今戦っているフィールドが住宅地であることに気が付く。自分の足元に人がいる。そう思うと血の気が引く思いがしたがここで立ち止まるわけにはいかない。シンジはウェポンラックから新しく開発されたプログナイフを取り出すと怪物の上に跳躍、馬乗りになるとナイフを突き立てて一気に切り裂いた。怪物は断末魔をあげながら初号機に抱きつく。
(自爆!?しまった!)
来るであろう衝撃に目を伏せて耐える覚悟を決めたが、その衝撃は来なかった。ゆっくり目を開けると怪物は抱きついたまま絶命していたのだ。
「ふーっ助かった」
化物の死体をそのまま引きはがして適当に転がそうと思ったが彼が立っているのは石造りの家々が立ち並ぶ住宅地のようだ。シンジは死体を引きはがして抱え込むと化け物が入って来たであろう壊れた壁のところまで大通りを使って歩いて行き壁の外に死体を投げ捨てた。
投げ捨てた所で爆発後のような拓けた場所まで移動し初号機をホールドして外に出て辺りを見回す。
そこは木造と思われる建設物は一切なく、すべてが石造りだ。街の中央にはヨーロッパの古城のような建物が鎮座しており、その近くにはパルテノン神殿のような建物も見える。
「どこだろう・・・ここ・・・」
シンジが頭を掻いてため息をついた時、自分がいる初号機よりも上の所から聞いたこともない言葉が聞こえた。
「うわあ!」
振り返ると上空に翼の大きい竜のような生き物に乗って鎧甲冑に身を包み長い槍を構える兵士の姿があった。
「ビュアルバ!!カセギドギリィ!!」
何を言っているのかさっぱりわからない。ただその兵士の顔は殺気立っておりシンジの行動如何によっては手に持った槍で刺そうとしていることはわかった。下手に動くわけにはいかない。抵抗の意志がないようにシンジは両腕をあげる。竜に乗った兵士たちが続々とシンジを取り囲む。それと同時に下ではまるでローマ兵の様に長い槍を持ち盾で身を固めた歩兵たちが初号機を取り囲んでいた。
シンジは両手を上げながらゆっくりと初号機を降りると、両手を頭につけて地面にうつぶせに倒れて無抵抗の意志を体で示す。そうしてやっと兵士たちはシンジに近づいてきてシンジに両手足に枷をつけてシンジを牢屋まで歩かせたのだ。
普通なら慌てふためき戸惑うであろう。しかし使徒との戦いの中でシンジは成長した。非日常的なことに慣れていたせいもあるかもしれない。あくまで冷静に対処し物事の静観に徹していた。
(僕はここでは完全に異邦人みたいだな・・・言葉がわからないや。まずは相手の言葉を覚えるのが先決だな)
それは加持から諜報の基礎として教えられたことでもある。
シンジは牢屋に監禁され監視されている中で羊皮紙とペンを使って彼らの言葉を覚えることに専念した。シンジが短期間でかれらの言葉を覚えたのには幸運があった。彼らの話す言葉は文法が英語と同じであったこと。文字は英語とロシア語の中間くらいのアルファベット。そして発音はドイツ語に似ていた。ロシア語は何度か文字を見たことがある程度だが英語とドイツ語、この2つ言語は既にシンジは習得済みという所が大きな幸運だった。英語は世界共通語として必須ということで覚え、ドイツ語はアスカと共通な話をもっとしたいからという下心満載の理由からだ。
(こりゃ、アスカに感謝だね)
シンジは心の中でアスカに礼を言った。

シンジが短期間で彼らの言葉を覚えようとしたのは、自分の意志とは関係なくこの世界に放り込まれたため元の世界に帰りたいということと、争う意思がないことを明確に伝えるためだ。ただ、自分たちの言葉がわからないため文字を持たない蛮族、あるいは知性が低い奴隷と思っていたこの世界の住人からは衝撃的なことだったらしく、そのことがかえってシンジに対する警戒を強めていた。

シンジが物思いにふけっていると呼ぶ声がする。
「おい」
「なんです?」
「出ろ」
言われるがままに牢屋から出る。
「こっちだ、ついてこい」
無愛想な兵士は顎でシンジに命令をするとどこかへ案内する。
(まさか僕を処刑に?いや、まさか・・・でもまだ動く時じゃない。チャンスを伺わなければ)
不安を余所にシンジが連れてこられたのはパルテノン神殿の中にある講堂のようなところだった。そこには大勢の人が集まり、服装からして高貴な身分であることがわかる。
シンジはその中央に座らされた。処刑されるとは到底思えないがいい気分でもない。シンジは悟られぬように周囲を伺っていると、教壇の所から一人の女性が現れた。
「異世界の者よ。よくぞ来てくれました」
シンジはその声の主に驚いた。
真っ白な肌。銀の髪。そして緑色の瞳。その容姿は良く知る人物に似ていた。
「綾波!?・・・いや・・・違う」
綾波レイに似ている。だが、よく見ると別人だ。
「アヤナミ?それはどういう意味ですか?」
「いやその・・・僕のよく知る人と似ていたものですから」
「噂は本当ですね。この世界に来てわずか3日で私たちの言葉を流暢に話すとは」
女性は感心したように何度も頷く。
「あの、僕は碇シンジと言います。あの・・・あなたは?」
「私はカルッカ。賢者です。人は私のことを氷嵐のカルッカと呼びます。それよりも」
カルッカはシンジの目の前まで歩いてくるとすぐ近くにいる兵士を睨み付ける。
「いますぐこの者の手足の枷を外しなさい!早く!」
カルッカの凛とした激が飛ぶと兵士は慌ててシンジの枷を外した。
「可哀想に・・・申し訳ございません。碇様」
「いえいえ・・・気にしてませんから」
手をぷらぷらさせて返事をするとカルッカは姿勢を正して深々とシンジに頭を下げた。
「碇様。無礼は重々承知の上でお願いしたことがございます。あの巨人と戦ってこの皇国を守っていただきたいのです」
「いや、あの・・・」
「碇様が倒した巨人の前にもう1体巨人がこの国を襲いました。壁が一部崩れていたのをご存じでしょう。あれはその時の巨人が壊したものです。そのときは我が国の勇敢な兵士たちがその身を挺して守り抜きました。しかし、その時にはすでにわが軍の精鋭たちの半数が壊滅してしまい、もし巨人を退けたとしても他国が我が国に攻め込んできたとなるとひとたまりもありません。どうかお願いです。我が国を守ってください!」
カルッカの国を想う悲痛な叫びはシンジに確かに届いていた。できることなら協力したい。しかしシンジはシンジで元の世界に帰りたいのだ。
「あの、僕は元の世界に帰りたいのですが」
「その点には心配及びません。碇様をこの世界に呼んだのは他でもない私です。ですので、全てが終わればすぐにでも元の世界にお送りします」
(つまり、協力しなければ返さないってことじゃないか)
選択の余地はないようだ。しかし交渉の余地は十分ある。そう判断したシンジは少し考えてから言う。
「わかりました。但し条件があります。僕の元の世界には僕の生活というものがあります。一時的にせよ元の世界に帰ることができる。これが条件です」
これはカルッカの予想範囲内の答えだ。シンジを元の世界に返すのは元より最初からそのつもりだし時間をかければできる内容だ。だが、この事態が収束していない段階で返して「はいさよなら」では困るのだ。何が何でも手を貸してほしい。
「できないと言ったら?」
「あなたを脅してでも帰らせてもらいます。それができなければあの巨人を使ってこの国に報復します」
その言葉に騒然となる。
「なんて奴だ!殺せ!いますぐ殺せ!」
「待て!巨人が暴れだすかもしれないぞ!他の条件を出して協力をしてもらうのだ!」
辺りが騒然とする中、カルッカはシンジの目をまっすぐ見る。シンジは笑みを浮かべながらカルッカを見つめ返す。
殺すなら殺せ。その代償はこの国そのものだ。
シンジは目でそう訴えているのだ。シンジにその意思は全くなくブラフだ。しかしカルッカはこれがブラフかどうか判断に迷った。判断を間違えれば亡国の危機があるのだ。そしてシンジの浮かべる笑み。余程自信がなければこんな状況下で笑えるわけがない。カルッカはため息をついた。
「選択の余地はないようですね。わかりました。あなたの世界と自由に行き来できるように善処します。ただ、少し時間をください。すぐにできることではありませんので」
カルッカの言葉を持って契約は成立した。シンジは囚人が着るようなボロ布の服を脱いで新しい服に着替えると護衛もかねて兵士たちに新たな住まいへと案内されていった。
シンジがいなくなった所で議員がカルッカの元へ駆けつける。
「カルッカ様、よろしいのですか?あのようなことを申されて」
「構いません。私の労力を費やすだけで我が国にはなんの痛手でもありませんから。そのようなことでこの皇国が守れるなら安いものです」
「しかし、異世界と道を繋げて異世界の者に滅ぼされた国があることをご存じでしょう?そのせいで異空間転移の魔法が禁忌とされているのをご存じのはず」
「確かにその通りです。しかし今は我が皇国の存亡の危機です。そのためなら私は敢えて禁忌を犯しましょう。それに、異世界の者だけなら我が国の兵士でも十分対応できるかと思われますが」
「ふむ、確かに」
「ローレンツ卿。あなたは元老院を抑えてください。元老院の中にもこのことを面白くないと思う人はいるでしょうから」
「ははっ」



「ここだ。この家は貴様が自由に使っていいそうだ」
シンジは兵士に案内されて二階建ての石造りの家に案内された。家の中には待女であろう女性が2名いる。
「この女どもはお前の身の回りの世話をする役割だ。好きに使え」
「家事全般できますので彼女たちはいらないです」
「はあ?何言っているんだ。彼女たちは家事をやるためだけにここにいるわけじゃない。いいから好き使え」
「好きに使えというのは?」
「あん?好きにしろって意味に決まってるだろ?その意味がわからないわけじゃないだろ?じゃあな」
兵士は面白くなさそうに部屋から出ていく。
「何を怒っているんだろ?」
シンジは困ったように苦笑いをする。侍女がシンジに話しかけた。
「無理もありません。二階建ての家に住むというのは我が国では裕福な方しかできないことなのです。しかも私達侍女を持つことは高貴な身分の者しか許可がされておりません」
侍女はシンジにVIP扱いされているのだということを暗に話した。
「それでは私どもが碇様の身の回りのお世話を全てさせていただきます。もちろん夜のお供も喜んでお受けしますので」
「お声を掛けていただければいつでもお相手します」
「「よろしくお願いします。ご主人様」」
侍女二名は深々とシンジに頭を下げた。
(ご主人様って・・・どういうプレイだよ・・・)
シンジは苦笑いを浮かべることしかできなかった。


そしてシンジが異世界に来て3週間の時間が流れた。
皇都は今異世界から来た謎多き青年の話が巷を賑わしている。
「聞いた?異世界から来た男についての噂!」
「聞いた聞いた!なんでも錬金術師って話じゃない!」
「錬金術師?私は凄腕の料理人って聞いたわよ。その料理がまたこの世の物とは思えないほど美味しいって話よ!」

「そういえばあの男、異国の賢者様だってな。俺は最初から気が付いてたわけよ!あの
男は只者じゃないってな!」
「あん?何言っているんだ。あいつは歴戦の戦士だろ?なんでも重歩兵のヤンガスの野郎を一瞬で組み伏せたって話じゃねえか。牛みたいな怪力男、あんな優男がどうやったらねじ伏せられるのかね?」

「異世界から来た人ってものすごい美形で逞しい体なんですって?」
「それにものすごく紳士なんですって!まるで御伽噺の騎士様ね。あんな人に抱かれてみたいわ」

この世界でシンジは錬金術師、凄腕の料理人、賢者、歴戦の戦士あるいは勇者のように噂されている。それらはどれも的外れだが、この世界に住む人々から見ればそういうものかもしれない。
水洗いが一般的なこの世界でシンジはまず体や服を洗うために石鹸を作った。灰と排油を混ぜ合わせて作る。これは小学生の科学のレベルだがこの世界おいて石鹸は自然にできたものしか存在せず、それらは神様からの贈り物という考え方であったため自分たちの手で作るという発想がなかった。そのためシンジが石鹸を作って親切心で侍女やその周りにいる人に配ったことで瞬く間に評判となり伝説の錬金術師、あるいは神の使いではないかという噂までもたった。
そして料理はシンジの真骨頂でもある。焼く。煮る。蒸す。しかない調理方法のこの世界で揚げる、炒めるは未知の調理法だったのだ。この世界でもシンジの得意料理のハンバーグは文字通りこの世の物とは思えないほどのうまさだった。
賢者扱いされたのはシンジが買い物をしていた時、おつりを誤魔化してお金をせしめようと商人がそろばんを持ち出して計算しようとしたところシンジは暗算で正確に即答したのだ。この世界では暗算ができるのは大学教授くらいのレベルの学力を持つ人物ぐらいだからだ。だからこそ若いシンジが何故高度な暗算ができるのかと学問に携る人々は腰を抜かした。
そして戦士という噂は力自慢の歩兵がシンジに手合せを挑んだところ、簡単に投げ飛ばされた挙句に絞め落とされたからだ。それはCQCの基礎とも言える技だが初めて見た者からすればそれは仙人のような技だったのだ。
シンジが何者なのか?それは噂が噂を呼び、謎が深くなるばかりだった。


その頃シンジはこの世界で見聞きしたことを羊皮紙に纏めていた。それは近いうちにシンジの世界とこの世界が通じて行き来できるようになるであろうと予想してのことだった。
シンジはこの世界について次のように纏めた。

異世界。
この世界全体を表す地図はなく、その名もない。各地域ごとに地図が存在するがその正確性は低いらしい。一般的には大きな1つの大陸がこの世界の全てらしい。
そしてここには4つの種族が共存しており、ヒューム族。いわゆる人間族。そして見た目がエルフのように耳が尖っているエルヴィス族。ネコ科の亜人ミュラ族。そしてゴリラのように手が長く剛腕なドラゴ族。この4種族だ。
ヒューム族はこの世界の半数を占めていると言われている。この国の政治も主にヒューム族が行っている。能力はシンジの世界の人間とほぼ変わりはない。
エルヴィス族。見た目は耳の長い所謂エルフだが、寿命はヒューム族と変わらない。知的で学者が多く、魔術師にはエルヴィス族の者が多数を占める。プライドが高く他の種族と群れるのを嫌う傾向がある。音楽や芸術を好む一方で傭兵や賞金稼ぎなどの好戦的な一面も持つ。
ネコ科のミュラ族は元々流浪の狩猟民族で自由奔放で気性が荒い。特徴としては男が生まれる確率が低く大体が女性らしい。結婚という概念はなく貞操概念もない。故に気に入った男性がいれば誰とでも肌を重ね、その子供を産む。子供は仲間で育てるというのが一般的らしい。独自の宗教観を持ち、火を信仰の対象にしている。
ドラゴ族。竜の様に固い皮膚を持ち、いかつく手が長く剛腕で力強い体格で強面な顔が特徴的だが、手先が器用で顔に似合わず臆病。しかし一度怒り出すと手の付けようがないほど暴れだす。職人気質で頑固者が多く信心深い種族のようである。鍛冶や彫金、司祭の職に多い。

建造物や食文化、衣服などを見るとヨーロッパ中世頃の文化レベルである。いわゆるハーミットのような生活だ。しかしこの世界の住人のほとんどが魔法を使うことができる。魔法文化の歴史は古く記録が残っている最古のものは1000年以上前のものが現存の資料として残っている。このことから歴史という意味では自分たちが住む世界とあまりかわらない。ただ文化の派生が全く異なりこの世界は魔法を主とした虚理。自分の世界は哲学や科学を主とした実理が元となっている。
魔法が自分たちのいた世界で言う科学、哲学、医学になるため中世の文化レベルでしか必要性がなかったため、産業革命などの文明的ターニングポイントがない。故にこの世界では電気という概念がない。(天候による雷現象はあるがそれが科学現象であるとは認知されていない)
例えば火を使おうとすれば火の魔法を。食品を保存するには氷の魔法を。水を使いたければ水の魔法をと、魔法で大抵のことはどうにかなるという考え方が一般的で、実理的なものは魔法が使えない身分の低いもの、あるいは卑しいものという考え方がある。
ただ、みんなが魔法を使えると言ってもそれはあくまでも日常的なものに限定されており、大規模なこと(建築や戦争)に使用するにあたっては魔術師という魔法のスペシャリストが不可欠であり、それはシンジの世界で言う職人という立場である。

宗教は多神教で一神教という概念はこの国においてはない。なんでも「神とも言えども完璧な神はいない」という考えを持ち、それぞれに弱点があるという説が通説だ。考え方としてはギリシャ神話や日本の神道が一番近い。

氷嵐のカルッカ。
この名前を皇国内、及び魔法に携る者で知らない者はモグリとも言われる超有名な魔法使いであり、この世のすべての知識に通じる賢者でもある。元々は貧しい農民の子として産まれたらしいが飢饉によりたまたま狩って食べたのが不老不死の効力があるという人魚の肝だったらしく、その日以来外見が変わらないのだという。
氷の魔法を得意としているようで嵐を呼び、雹を降らせて敵を凍らせる氷嵐の魔法が使えるのは世界広しといえどもカルッカただ一人で氷嵐の魔法の開発者でもある。皇国が長年安定して繁栄をしているのも彼女のおかげだと言われている。

皇国 ドトルマギナ
シンジを召喚した国で約200年の歴史がある。
元々は小さな集落だったらしいが、数々の戦を経て国家へと変貌を遂げた。そして100年前、ひとりの天才がこの国の支配者となる。名をランページ・ドラギーユ。ドトルマギナを皇国という巨大国家にまで押し上げて強固な国を作った英雄であり戦王としてその名を世界に轟かせている。
そして戦王亡き後、皇国に最大のピンチが襲う。戦王によって戦に敗れ支配された連合を組んで皇国に攻め込んできたのだった。その皇国の危機を救ったのがランページ皇帝が生前密かに組織していた竜を従えた部隊。高機動飛行竜騎士団。通称、竜騎兵だった。
当時竜を倒せることは物理的に難しく、獰猛で知性の高い竜を使役するという発想もなかった。竜を使った部隊はここで誕生した。竜騎兵の前に連合軍は成す総べなく総崩れとなった。
同じことが今後ないようにとランページ皇帝の血を引く長女、エルザ・ドラギーユが皇都を囲むように壁を作ることを指示。決して壊されず、乗り越えない壁をということで高さ45メートルの巨大な壁が50年の歳月をかけて完成された。
そして現在ドトルマギナの政治体制は立憲君主制らしいが皇位は空白となっており代わりに政治を行っているのがレーティア・ドラギーユ皇女。若干17歳で皇国のトップに立っている。決して元老院の言いなりではなく100年に一人生まれるか否かの逸材らしい。彼女は他国の王子と政略結婚ではあるが婚約者がおり、彼女が政治の中心でいられるのは弟のガルマ・ドラギーユ二世が元服し皇位継承するまでの数年間の間のようだ。


「ふーっ」
シンジは筆をおくと大きく伸びをした。
元いた世界とこの世界とでは物事の概念が根本的に違いすぎる。文明のスタートラインがそもそも違うのだから当然と言えば当然だ。そして使徒に似ている巨人の存在。巨人は半年前に突然現れたらしい。その戦闘で全軍の40%は壊滅したという話だから驚きだ。通りで連日街へいくと兵士の募集が叫ばれているわけだ。どれだけ多くの死者が出たかは想像するのも嫌になる。シンジは窓から見える月明かりに目を奪われる。月や太陽はあまり変わりがないようだ。
「みんなに・・・会いたいな・・・」
シンジの本音は誰に聞かれることなく風に消えていった。



「カルッカ。巷ではあの異人の話が流行話ということですが、彼はどのような御人で?」
「そうですね、紳士的で好感が持てることは確かです。それに博学でもあります。それは私たちの世界と彼のいる世界の違いでもあるように思えます」
「そうですか、一度その御人に会って話をしてみたいです。会って話す機会を作れますか?」
「レーティア姫、それはあまりお奨めできません。何分異邦人ですので」
「しかしカルッカの目に適った人物であることは間違いないのでしょう?我が皇国を救う守り人の役目を無理を言って担ってもらっているのです。皇女である私がまず礼を尽くせないようでは、我が国は無礼者の蛮族と思われ笑われることでしょう。それは国の恥です」
「しかし・・・わかりました。謁見の準備を致しましょう」
「いつもすまぬな。我が友カルッカよ」



その日、シンジが起きると武装した重歩兵が家を取り囲んでいた。自分が何か不手際をやらかした覚えが全くないため何が起きたのかと肝を冷やした。
「レーティア・ドラギーユ皇女が貴様と話をしたいそうだ。さっさと支度をしろ。姫を待たせるな」
有無を言わせぬ言い方にシンジは不満を感じながらも身支度をする。そして重歩兵に護衛?されながら連れてこられたのは他国のVIPをもてなす来賓室だった。部屋の中には絵画であったり、鎧や彫刻が並べられている。並べ方にも拘りがあるのか品があり嫌味に感じられない。
兵士に案内されて待つように言われたシンジはなんとなく飾られた絵画に目を奪われる。絵画は3枚あり一枚は如何にも威厳のある男の肖像画。そしてもうひとつは聖母の様な笑みを浮かべた女性。そして最後の一枚は上品な花のような女性だ。
シンジは特に最後の絵に目を止める。それはアスカに似ているからだ。
(この女の人、アスカにそっくりだ)
思わず頬が緩む。その時、ドアが開いてカルッカが部屋の中に入ってきた。
「おはようございます。突然お呼び出ししてしまい申し訳ありません」
「いえ、少し驚きました」
シンジは気にしていないように振舞う。カルッカはその様子を見てどこか安心した表情を浮かべた。
「レーティア・ドラギーユ皇女がどうしても碇様と直接お会いしたいと申しつけるものですから・・・一度決めたら何が何でもというお方なものですから、困ったものです」
「あはは・・・」
困ったというカルッカの顔はすぐに真剣なものへと変わる。
「しかし、勘違いされないでいただきたい。本来なら他国の使者であるならいざ知らず、どこの馬とも知れない異邦人が我が国の皇族にお目にかかることなど万に一つもありもしないことです。碇様をお連れしたのは先の巨人を倒していただいたのと、皇国のためにその力を引き続きふるってもらうために姫自らが礼儀を尽くすというお心遣いの賜物です。努々お忘れのないよう」
カルッカは釘をさすように言う。シンジも今までの見聞からして自分が如何に特別扱いを受けているか承知している。シンジは黙って頷いた。
「それでは、姫をお連れ致します。少々お待ちください」
カルッカは一礼すると部屋を出ていく。部屋で一人になったシンジは部屋の窓を開けて風に当たる。微かに花の香りが風にのってくる。部屋の外のベランダには花が埋め尽くされている。
しばらく待っていると廊下に大勢の人の気配がする。音から甲冑を纏った護衛兵がいるようだ。
「この部屋には私とカルッカのみで入る。其の物はここで待て」
「しかし姫様!相手は異邦人なのですぞ!危険すぎます!」
「お前たちが入ってきたところで相手を威圧するだけであろう!それでは意味がないのです。私は対等に彼の者と話がしたいだけなのです」
「しかし・・・・くっわかりました」
声から察するに姫様が近衛兵の忠告を聞き入れずに自分と会おうとしているらしい。それにしてもここまで自分の意見をはっきり言うとはなんと豪胆な姫様だ。シンジはそう思った。
そして扉が開かれまずはカルッカが部屋の中に入り、そして後に続いて黄色のドレスを身に纏い、夕日のように赤い長い髪を靡かせた女性が部屋に入ってきた。その女性は品のある決して穢してはならないというオーラを纏っている。これが皇族たる気品故なのか?
それよりもシンジが驚いたのは顔がアスカにそっくりなところだった。違うのは髪の色と目が赤みの増したブラウンという点だ。そしてその物腰もアスカに比べて随分と柔らかい。
「お待たせしました。碇シンジ様でいらっしゃいますね?」
「え、はい」
「お初に目にかかります。私はドトルマギナ皇国、レーティア・ドラギーユ第一皇女です。此度は突然召喚されたにも関わらず、我が国を救っていただき誠に感謝の意が絶えません。この場を借りて我が国を代表しまして御礼させていただきます」
レーティアは深々とお辞儀をしながらシンジに礼を言う。その仕草がなんと気品のあることか。思わず目を奪われた。それはシンジの知るアスカが急におしとやかになったような錯覚すら起きている。
「碇様?」
何も言わず微動だにしないシンジを不審に思ってかレーティアは声を掛ける。
「ああ、すみません・・・僕のよく知る人にそっくりだったものですから」
「まあ、そうでしたの」
レーティアとカルッカはシンジと対面の席に座る。
「今回このような場を作ったのは巷では実に様々な碇様のお噂を耳にします。それはどれも真実ではないかと思い相手のことを知るために是非に一度面を向かってお話をせねばならないと私自身が感じカルッカに無理を言ったのです」
「それはカルッカさんから聞きました。こうして皇族の方が直接話す機会などないって」
「全くその通りです。しかし、碇様はこの国の救世主といって過言ではありません。そのような方のことをその御好意を受ける私どもが何も知らないというのはドラギーユ家の一員として末代までの恥にございます。碇様がいらっしゃった異世界のこと、この私に存分にお話しくださいませ」
要はシンジのいた世界のことについて単純に興味があるようだ。兎角何かと理由をつけてこちらのことを知る機会を伺いたいというのが言葉の節々に見られた。シンジは苦笑いを浮かべそうになる。シンジを連れまわそうととにかく理由をつけるところはまるでアスカだ。
(こっちの世界のアスカもアスカはアスカなんだな)
シンジはレーティアの申し出を快く応じ、自分のいた世界について話し始めた。

シンジの口から語られるシンジの住んでいた世界。それはレーティア、カルッカの両名とも衝撃を受けるような内容ばかりだった。
「それでは碇様のご出身の御国は2000年の歴史があると!?それも男系血族のみで受け継がれているとは・・・そのようなことが可能なのですか!?」
「奴隷が存在しない国家など・・・私が生を受けて300年ほど経ちますが、そのような国があるとは初めて聞きました」
2000年続く国。奴隷制のない世界。平等に受けられる高度な教育。鉄の塊が海を渡り、空を飛ぶという技術力。それらはレーティアは元より、カルッカですら想像が及ばない世界だった。もはやそれは衝撃と言う表現では生ぬるい。脅威だ。カルッカの顔が青ざめていく。
「なんと恐ろしい。姫、私は皇国を救うべく禁忌を犯してまでも異世界から碇様を召喚しました。しかし碇様のいらっしゃった世界は私達の常識とは根本的に違います。恥ずかしながら私は碇様が魔法を使えないことで彼と彼がいた世界を軽視しておりました。脅威に値しないと・・・しかしそれは大きな間違いでした。今になって私は何故異空間転移魔法が禁忌とされているか本当の理由がわかりました。私たちを取り巻く全ての常識が引っくり返る様な事態になる可能性が高いからです!恐ろしい・・・なんと恐ろしい」
この世界の見聞に精通しているからこそカルッカはこの恐ろしさを理解できたのであろう。一国家だけの話で収まらない。当たり前のようにあった常識を根本から覆し、そしてそれは異世界全てを巻き込んだ大災害とも言える事態に成りかねないのだ。だが、レーティアはあくまで冷静だった。優しくカルッカの肩に手を添える。
「カルッカ。過ぎたことを悔やんでも仕方がありません。ひとつ幸運なのは私たちが何も知らないということを自覚している。そのことをわかっていることです。碇様のお話をお聞きして私は我が国で是非に導入してみたいことが見つかりました。まずは全ての国民に教育を普及させます。貴族、奴隷関係なくです。そして・・・行く行くは奴隷制を廃止します。我が国がこれから先も繁栄していくためには戦争で領土を広げるのではなく、国民の質を高めることにあると常々考えており、それが正しい選択であるとわかりました。巨人との戦いが終わったら早速取り掛かっていきましょう」
「姫がそうおっしゃるなら」
シンジはカルッカとレーティアの掛け合いを見ていて不思議に思ったことがあった。レーティアはこの国の皇族でありトップでもある。そしてカルッカは長年皇族に仕えているとはいえ賢者にすぎない。普通ならカルッカはレーティアに対して一定の敬意や畏怖というものがあると思ったがそれがない。レーティアもカルッカに対して家臣を扱うような仕草がまるでない。それは長年の友人のような間柄であるように感じた。そしてそれは間違っていなかった。レーティアもカルッカもお互いの立場や身分を超えて、互いが対等な立場で敬意を払っているのだ。それはある意味で理想的な関係でもあるだろう。
「なんだか、お二人は昔からの友人みたいですね」
思わず率直な感想が口に出る。しかし二人は気分を害するようなことはなく、むしろ当然の様に言う。
「当たり前です。私はカルッカのことを尊敬し、慕っております。私と彼女の間には身分などありません。対等な友人としてこれからも付き合っていきます」
「それは私も同じです。レーティア姫はとても聡明で常に民のことを考えておいでです。彼女の前では身分など小さいことです。もし私が奴隷であっても彼女は私に対等な立場をお望みになられるでしょう」
互いに微笑みあうレーティアとカルッカ。二人の間には他の人が入れない固く結ばれた絆があるのだろう。とても微笑ましい光景だ。
「それよりも碇様は音楽が得意とおっしゃっておりましたね?是非聞かせてはもらえないでしょうか?異世界の音楽とは如何なるものなのかとても興味があります」
身を乗り出すように聞くレーティア、カルッカは懐中時計を取り出すとレーティアの肩を叩く。
「レーティア姫、そろそろ公務に戻らなくてはいけません。それは後ほど・・・」
「そうですか・・・もうそんな時間ですか。嫌ですわ。楽しいひと時は瞬く間に過ぎてしまいますのね」
レーティアは心底残念そうな顔をしている。
「あの、また機会があるときで良ければ弾きますよ。僕のチェロで良ければ」
シンジの思いがけない提案にレーティアの表情がまさしく花が咲いたように明るくなった。
「まあ!それは本当ですか?是非お願い申し上げますわ!」
シンジの手を両手で掴み、ブンブンとふるレーティア。リアクションこそは違うが、明るくなった表情や自分の希望が叶ったときの行動がまるでアスカのようだ。シンジはそう感じた。
「それでは、その機会を心待ちにしておりますわ」
無事レーティアとシンジの会談が終わる。その時だ。遠くから鐘を打つ音が聞こえる。そう、まるで火事を知らせるような緊迫した雰囲気。
「この鐘は・・・」
「火急の鐘の音ですね。まさか・・・」
二人の顔に緊張が走る。それを裏付けるかのように兵士がせきを切ったように部屋に飛び込んできた。
「申し上げます!巨人が一体、西より皇都に向かってきております!」
シンジは座っていたソファから立ち上がるとベランダに飛び出す。西の方角にはそびえ立つ壁が視界を塞ぎ正確な位置はわからない。しかし、壁の向こう側からはドドドドという音が聞こえる。音と音の間隔が短い。多分4本以上の足を持つ何かが向かってきていると予想できる。問題なのはその速さだ。音の発信源が近づいてきているのがわかる。それもものすごい速い速度で。
「出撃します。僕をエヴァ・・・じゃない。紫の巨人の所まで案内してください!」
「は、はい!すぐに早馬を用意します!」
「待ってください。音から察するにかなりの速度で我が国に向かって来ているのでしょう。馬では間に合わないかもしれません。至急竜騎兵を1名こちらに」
カルッカは兵士に指示を出す。しかし・・・
「カルッカ様。竜騎兵は巨人迎撃のためにみな出撃しております!こちらには誰一人おりません!」
「な!なんてこと・・・・」
皇都防衛の要でもある竜騎兵がいないことはカルッカも想定していなかった。
「カルッカ、要は碇様を急ぎ紫の巨人の所まで送れば良いのですね?」
「ええ、ですが馬では巨人が壁に到達して破られる可能性が高いです。できれば壁の前で迎撃できれば・・・」
苦渋に満ちたカルッカをあざ笑うかのようにレーティアが言う。
「なら簡単なことです。私の飛龍でお送りしましょう」
その提案は兵士とカルッカの度肝を抜いた答えだった。レーティアが口笛を高く吹くと空から白い飛龍が姿を現しレーティアの前でその頭を垂れる。レーティアは白い飛龍の背中に軽やかに飛び乗るとシンジに手を差し伸べる。
「碇様!早く!」
「お待ちください!姫様!」
「レーティア姫!なりませぬ!」
レーティアの誘いに乗るようにシンジもまた飛龍の背中に飛び乗ると周囲の声を無視して飛龍は空高く羽ばたき宮殿から飛び立った。
「ああ・・・なんということだ・・・」
兵士はその場に膝をついて頭を抱え込む。カルッカはただ呆然と羽ばたいていった飛龍の背中を見ることしかできなかった。


「あの・・・いいんですか?」
シンジはレーティアの使役する竜の背中に乗りながらレーティアに問う。カルッカと兵士の態度を見る限りレーティアの取った行動は常軌を逸しているように思えたからだ。
「なにがですか?」
「あの、僕がこの竜に乗って」
「まず、私が怒られるでしょうね。烈火の如く」
「ええ!?それってまずいんじゃないですか!?」
「まずいのは巨人が我が国に攻め込んできている今この時です。確かに皇族のみが乗ることが許される白き竜に異世界の人を乗せるというのは大問題ではあるでしょう。しかし、それは時が平時である時のみ。今は有事です。そのような些細なことに捉われている状況ではないのです。大丈夫です。策はあります」
レーティアは笑って言った。

竜からシンジはエヴァに飛び降りるとすぐにエントリープラグに乗り込み起動準備に入る。
「ふーん、また奇妙な作りをしている部屋ですね」
声がする。後ろを振り向くとレーティアがさも当然のようにエントリープラグに入っていた。
「ええ!?あの、危ないから出ていってもらえますか?」
「それはできません。私もこの巨人と碇様と共に戦います」
「いや、いくらなんでも」
「そんなこと言っている場合ではないでしょう!早く巨人を起こしなさい!」
「はいぃ!!」
有無を言わせぬレーティアの物言いにシンジはすっかり反論を無くす。そして、エヴァンゲリオン初号機改は起動した。


壊れた壁から外へ出る。初号機が睨み付ける先には確かに巨人がこちらに向かってくるのがみえる。それはエルヴィン族のように耳が尖がり、頭を振り、長い舌を振り回し、涎を周囲にまき散らしながら暴走してゼリエルを捕食した初号機のように四つん這いで向かってくる姿だった。

「なんと奇怪な!」
レーティアの口から思わず嫌悪感に満ちた言葉が出る。
「来る・・・!」
シンジは静かに迎撃態勢を取る。
巨人はまっすぐ初号機改に向かってくると跳躍。飛び掛かってきた。それを体を横に捌いて躱すと回し蹴りを腹部に当てて相手を蹴り飛ばす。巨人はゴロゴロと転がり、再び四つ這いになると今度は様子を伺うように周りをまわり始める。
「碇様・・・」
「黙ってて。気が散る」
レーティアが横目でシンジの顔を除くと想像ができなかったほど真剣な表情をしている。その顔は見慣れたはずの顔。歴戦を潜り抜けた戦士の顔だった。
(この人、こんな顔もできる方でしたのね・・・)
予断を許さない戦闘中にも関わらずレーティアは呑気にそんなことを考えていた。
そして、巨人が再び飛び掛かる。同じように跳躍して相手を勢いで抑え込もうとしたのだ。初号機は同じように体を横に逸らして捌こうとするが、捌く直後に首を伸ばして捌いた腕にかみついた。
「・・・くっ」
シンクロしているためその損傷の痛みはシンジに襲い掛かるがそれを気合で押し込める。巨人はシンジの左腕に噛みついたまま右腕を掴み、動きを封じる。そして、空いた手でフルスイングのボディブローを当ててきた。
「ぐふっ!」
「碇様!?」
これにはたまらず息がもれる。巨人はその後もボディブレーを幾度も当ててくる。
「ち・・・舐めるな!」
シンジは合気道で言う手解きで右腕を半ば強引に引きはがすと喉へ強烈な一撃を返す。
「グヘァ!」
シンジの反撃に噛みついていた口が離れる。そして、巨人の首に腕を回すと首を極めたまま投げて地面に叩きつけた。首投げだ。そして、首を極めたまま足を胴に回して相手の動きを封じると一気に背中を反らして首関節を極める。
ボギャ
鈍い音が響くと首があらぬ方向へと曲がり、一度だけ手足をばたつかせるとすぐに脱力した。
「勝ったのか?」
レーティアの問いにシンジは答えない。ただ、技を解いて立ち上がるとトドメに相手の顔面を足で踏みつけた。相手が動かないことを確認するとここでようやくシンジの戦闘状態が解除される。
「ふーっ倒したようです」
シンジはレーティアを安心させるように微笑みかける。レーティアはその笑顔を見て思わず胸の奥が高まる。体中が熱い。恥ずかしくて思わず顔を背けた。
「レーティア姫?」
「な、なんでもないです!大丈夫です!」
シンジが壁の中へと戻りエヴァからレーティアを連れて降りると殺気立った兵士たちに囲まれた。
「貴様!姫を誑かすとは!どういう了見だ!」
「姫を巨人の中にいれるとは・・・言語道断!」
それはシンジに向けられた明らかな殺気だった。
「これは、どういうことですか?」
「説明しなければわかりませんか?」
レーティアの問いにカルッカが近づき答える。
「姫が彼を皇族しか乗ることが許されない白龍に乗せた。これは大目に見ましょう。しかし、姫を巨人の中に引き入れるなど許されることではありません」
「待ってください。カルッカ、そして兵士達よ。あなたがたは大きな勘違いをしてます」
レーティアは周囲を見回すと凛として反論する。
「確かに私はこの巨人の中に入りました。しかし、それは碇様に誑かされたわけではありません。私自らが碇様にお願いをして入らせてもらったからなのです」
「それは!姫の身に何かあったらどうするおつもりですか!」
「私の身には何もありません。それが答えです」
「しかし!」
「彼の偉大なる戦王、ランページ・ドラギーユ皇帝は戦の時は皇帝自らが先駆けとなり兵を率いて戦ったと聞きます。私はその血を受け継ぐドラギーユ家第一皇女レーティア・ドラギーユです!なれば私自らが戦場に立ち!その脅威と戦うのは皇女としての使命でもあります!そして、我が国を襲った巨人は私と、カルッカが召喚せし碇様とその巨人が見事討ち取りました!皆の者!我がドラギーユ家はその血に従い自らが先駆けとなり我が国を脅かす脅威戦いましょう!勇敢で勇猛な我が国の兵士達よ!我に続け!」
まるでかの有名な独裁者のスピーチのように力強く、そして反論の声が上がらないほどのオーラを纏った彼女の言葉にその場にいる兵士たちはみなひれ伏し拳を胸に収めて忠誠を使った。カルッカはただ無表情で彼女を見ている。そして小さくため息をついた。
「彼の戦王の名まで出されては何も言えませんね。しかし、姫ご自身が戦場に立つのは認めるわけにはまいりませぬ。ガルマ皇太子殿下のためにも・・・」
「カルッカ、心配かけて申し訳なく思います。ただ、碇様の・・・」
「わかっております。不問とさせていただきます。碇様、これからもよろしくお願いします」
カルッカは深々と頭を下げるとレーティアを連れて宮殿へと戻っていった。
シンジはこの日をもってドトルマギナ皇国を救うメシアとして市民から認められるようになった。
レーティアの演説。シンジへの期待。それは皇都中がお祭り騒ぎになるほどだった。
その中心にいながらシンジはどこか冷めた目でこれからのことを考えていた。
(シャムシエルとは違うけど変則的な攻撃をしてくる敵だったな。じゃあ次は・・・やっぱり元の世界に帰ってみんなに協力をしてもらわないとな・・・そうじゃないと)
「絶対に勝てない」
シンジの呟きは大騒ぎする民衆の声に紛れて誰に聞かれることもなく消えていった。





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