僕には日課というべきものがある。
それは朝のラッシュアワーの混雑した時間帯に、反対側のホームを眺めることだ。
彼女は・・・土日はどうかわからないけど、平日の朝はいつも同じ時間、同じベンチに座り、いつもと同じようにゲームをしている。
きっと遊んでいるゲームも変わってはいないだろう。
そんなどこにでもあるような光景。そんな光景を見るのが僕の日課だった。
今、僕ができること
あぐおさん:作
最初の頃は気にも止めていなかった。
でも、一度目に入ると気になって仕方がなかった。
彼女は今、幸せなのだろうか?
僕が示した新しい居場所で、彼女は僕の親友と呼ぶべき人物と一緒に幸せに暮らしているのだろうか?
答えはわからない。
彼女だけじゃない。あの頃、僕が友達呼べた人物。家族と呼べた人たち。
どんな形であれ、僕のことを愛してくれた人たちは今、幸せな日々を送っているのだろうか?
そんなこと、僕には聞く資格などないのかもしれないけど。
いや、違う。
僕は怖いのだ。
彼らはあの頃の記憶などない。あの頃のことは僕と、マリしか知らない。そう願ったから。
僕はきっと誰にも気づかれず、理解もされず、ずっとこの記憶を抱いたまま、贖罪とも言うべき日々を送っていくのだろう。
マシなのは、孤独ではないということなのだろう。マリが僕と一緒にあの頃の記憶を持ったまま一緒にいてくれているお陰で、僕は重過ぎるその罪を背負うことができるのだ。
だから僕は怖いのだ。
僕のことを愛してくれた人たちが僕とまた出会ってしまうことで、不幸になってしまうと思うと怖いのだ。
僕がいない世界で、僕の知らない幸せを築いているだろう彼女に会うのが怖いのだ。
彼女は自分の居場所というべきものは既にあったことに気が付こうとはしなかった。だから僕は教えてあげた。
君にもちゃんと居場所はあると。君のことを支えてくれる人はいるのだと。
きっと彼女のことを託した大人の彼なら彼女のことを支え、彼女と共に幸せな日々を送っているであろう。
好きだからこそ。愛を知らなかった僕がただ一人愛した君だからこそ、誰よりも幸せになって欲しかった。
幸せにしたかった。
でも、子供過ぎた僕じゃそれができなかった。
そして、君が僕じゃない人と幸せになっていく。そんな君を知るのが、僕は怖かった。
「シンジ君、いつまで・・・眺めているの?」
いつの間に近くにいたのだろうか?マリが僕の隣に座る。
「さあ・・・いつまでだろうね。僕にもわからないよ」
「ここは君が望んだ新世紀。この世界にエヴァはないし、心を削るような争いもない。みんな・・・自分が思い描いた幸せを目指して生きていける世界だよ。みんな新しい生活。新しい仕事。新しい日々を送っているんだよ。なのに何故、君は前に進もうとしないのかな?」
僕は答えられない。いや、答えは既に出ているのだ。ただ、その一歩はATフィールドに阻まれて進むことができない。
マリは優しく語り掛ける。
「なんで・・・姫が相田君に信頼を寄せたのか・・・シンジ君はわかってる?」
「ケンスケが、アスカを支え続けたからだろ?」
14年間、ケンスケはアスカを支え続けた。だからこそ愛称で彼を呼んで、信頼を寄せたのだ。そんな彼らの距離が近くなるのは僕にでもわかることだ。
「半分正解で、半分間違いかな」
僕は思わずマリを見る。マリは笑みを浮かべている。
「彼は姫を・・・シンジ君を待ち続けることを否定しなかったんだよ。そして彼も待ち続けた。シンジ君のことを。そのためにあらゆる準備を進めていたんだよ」
「え・・・?」
「君、気が付かなかった?第三村で過ごしていた時に、いきなり来た割には君も含め綾波レイのそっくりさんも随分と村に慣れ親しめたじゃない。それさ、全部相田君と鈴原君が準備してきたおかげだよ。あのままヴンダーには乗らずに第三村で穏やかに過ごすこともできた。その選択肢を用意してくれたのは姫。そして、その準備ができる人物が相田君だったんだよ。彼が色々準備をしてくれていたからこそ、姫は第三村にいたとき影からいつもシンジ君に見守ることができた。それに友人のヒカリちゃんには頼れなかった。小さい子供がいたからね。彼しか、姫は頼れる“大人”がいなかったんだ。あの村にはね」
「全部、シンジ君のためなんだよ。全部シンジ君のために姫が相田君にお願いしてやってきたことなんだよ。そしてそのお願いを実現できる人物が、あの村で比較的自由に行動ができる相田君だった」
想像もできなかった。
ケンスケ。君はやっぱすごいよ。僕は君に。
「姫を託して正解。なんて思ってる?」
僕の思考を読んだのか、マリはそう言った。
僕は頷く。
「それが間違いなんだよね。そもそも姫も相田君も、シンジ君が思っている感情は持ち合わせてもいないし、そんな関係も望んでいない。姫と相田君の関係は、シンジ君がいないと成立しない関係なんだよ。彼らはシンジ君を中心に回っているんだ。そんな二人の中心にいるはずのシンジ君がいなくなれば・・・離れていくしかないんだよ。確かに彼は姫を心の支えとなってくれたよ。でもね、姫の心に寄り添うことはしなかったんだよ。いや、できなかったというべきかな?彼にだって彼なりの幸せは、相田君の居場所はあるんだよ。そのことを忘れてないかい?」
考えもしなかった。ケンスケはケンスケの・・・彼だけの居場所があると。てっきりそれはアスカになると思っていたから。
だとするならば、彼女の居場所は?彼女はまだひとりぼっちだというのか?
でも、僕が行けば、今度はマリがひとりぼっちになってしまう。
マリは僕の背中を押した。
「シンジ君。私の一番欲しかった人はね、もうこの世にはいないんだよ。この世界にはいないんだ。だから、私はせめて君だけは救おうとした。私の幸せを本気で願うなら・・・姫を迎えに行ってあげて。そして、二人で幸せになりなよ。私はその姿を一番近くで見られれば良いから。それが私の幸せ。君たち二人が私の居場所なんだ」
僕は拳を握って立ち上がる。
もう迷わない。もう戻らない。
わかっていたはずじゃないか。彼女を見かけた日から。抑えきれないこの気持ちを。
ずっとずっと好きだったんだ!
彼女だけを想っていたいんだ!
僕は階段を駆け上がり、反対のホームへと駆け込む。
ホームには相変わらず、いつもの席に座ってゲームをしている彼女がいる。
ゆっくりと近づいていくと、彼女はゲームの電源を落としてバッグにしまい込む。
「あの・・・」
彼女に声をかける。
しかし、彼女は振り向かない。
「・・・いつまで、待たせるつもりなのよ。バカシンジ」
彼女は確かにそう言った。
「アスカ・・・君は・・・」
「アンタの考えようとしたことなんかお見通しよ。どうせアタシの記憶も全部消して、ケンケンと幸せな生活を送れればなんて思ったでしょ」
「・・・うん」
「バカシンジ!ガキシンジ!アホシンジ!アンタバカよ!本当に!本当に大馬鹿よ!」
「アスカ・・・」
アスカは勢いよく立ち上がると僕の胸倉をつかんだ。
「コネメガネがアタシの記憶を呼び戻してくれたおかげで、アタシはアタシのままでいられたけど!アンタのいない世界でどうしてアタシが幸せになれると思ったのよ!アンタがいなきゃ何も始まらないのよ!アンタがいなかったら!アタシの居場所なんてどこにもないのよ!アンタさえ!シンジさえいれば・・・・アタシは何もいらないのに・・・・」
僕はアスカを抱きしめる。もう離さないとアスカに伝えるために。
アスカは僕の腕の中で泣き続ける。
「ごめんね。僕は君をひとりぼっちにするところだったよ。本当に、ごめん」
「ゆるさない・・・ぜったいに、ゆるさない」
「うん、そうだね。だから、ここから先は僕が言うよ」
僕はアスカの体を少しだけ離すと、アスカと向き合う。お互いの体温がわかるギリギリの距離で。
「アスカ。僕と一緒にいよう。ずっとアスカの隣にいるよ」
これは“お願い”じゃない。一方的な僕の決意だ。
アスカは僕の胸元に頭を預ける。
「なら・・・許す」
僕はアスカをもう一度抱きしめる。アスカも僕の背中にその両手を回して抱き返す。
こんな簡単なことで、僕は何年も無駄な時間を過ごしてきたのだろうか?
彼女の言う通り本当にバカなのかもしれない。
「アスカ。ずっとずっとずっと、一緒だよ」
「・・・うん」
僕の新世紀は、今ここから始まったのだ。
私は少し離れたところからシンジ君たちを見ていた。
シンジ君は姫と抱き合っている。
私は街で彼女を見かけた時に声をかけてみた。もしかしたらという微かな望みをかけて。もし、声をかけて私のことを思い出さなければ、彼女は幸せな日々を送っている証拠だからそれでいいと思っていた。
でも、姫は多少の混乱はあったけど、すぐに私のことを思い出した。シンジ君の願いよりも、姫の忘れたくないという想いのほうが強かったみたいだ。
良かったね姫。14年間、ずっと積み重ね続けた想いがやっと報われたね。
彼らを見ていると、やはり二人はお似合いなのだということに気が付かされる。姫には王子様がいないと輝けないのだ。
遠くから見た彼女は本当に輝いていた。
ヴンダーで一緒に生活していた時は、誰に対しても一度も笑うことはなかったよね。いつもブスッとして愛想がなくて、いつもピリピリしていた。
そう言えば、宇宙に浮かぶシンジ君を助けに行く前夜、姫は夜空を見上げていたよね。その時の姫の顔、どういう顔をしていたか知っている?
まるで遠方に暮らす恋人に久しぶりに会えるのを楽しみにしている女の顔をしていたんだよ?
姫は認めないかもしれないけどさ。
シンジ君の背中を押したとき、君たち二人が私の居場所なんてカッコつけたけど、それは代替えに過ぎなんだよ。本当に欲しい居場所は、ここにはないからさ。
だからせめて、君たちが私の居場所になってよ。
それが私の・・・・
「嘘はいけないわね。マリ。あなたもそう思うでしょ?」
「・・・ああ」
懐かしい声に、夢にまで見た声に思わず振り返る。
そこには、私が欲しかった本当の居場所とも言うべき人物がいた。
「せんぱい・・・?ゲンドウ君も・・・」
二人はまるで出来の悪い妹を見るような優しい眼差しで私を見ている。
「マリ、迎えに来たわよ。あなたったらシンジの世話ばかりしていたから、声がかけにくかったじゃない」
「・・・マリ。シンジのこと、世話になったな。ありがとう」
あのゲンドウ君がお礼を言った・・・迎えに来たって・・・もしかして、そういうこと?
「バカね。幽霊じゃないわよ。ちゃんと私たちは生きている。シンジが望んだ世界で、私たち夫婦はやり直すの。もう一度ね」
「フッ・・・そういうことだ。マリ。お前も来い」
「来いって言われても・・・その、心の準備が・・・」
先輩はいつもそうだよね。いつも突然やってきて、いつも私の心を引っ掻き回している。
「私たちのことをあれほど慕ってくれたマリを私がひとりぼっちにすると思う?マリ、今までお疲れ様。うちの人が迷惑を掛けたわね。もうあの子は大丈夫。私達がいなくてもあの子は強く生きていけるわ。そして、今度はあなたの番。私達3人で、一緒に生きていきましょう。少し離れた所から、あの子たちを見守りましょう」
ユイ先輩はそう言って、優しく手を差し出す。私はその手を取らずに、先輩に抱き着き泣いた。
懐かしい大好きの先輩の香りだ。子供のように泣きじゃくる私の背中を撫でてくれる先輩。そして、先輩と私を包み込むように抱きしめてくれるゲンドウ君。
あったんだ。この新しい世紀にも私の居場所はあったんだ。それが嬉しくて!嬉しくて!涙が止まることがない。
シンジ君。ありがとう。君は自分の両親もあの呪縛から解放しただけじゃなく、やり直せるチャンスもあげたんだね。
そしてそこには夢にまで見た、欲しくてたまらなかった私の居場所がある。
私は泣き止むと、二人の腕を取る。
「ユイ先輩!ゲンドウ君!これから、3人で楽しく生きるにゃ!」
「ええ、一緒に生きていきましょう。ねえ、あなた」
「ああ・・・そうだな」
私たちは彼らとは違う反対側のホームに降りて遠くから抱き合う二人を見つめていた。
やっと手に入れたアタシが一番欲しかったアタシだけの居場所。
もう絶対離してやるもんか!
何処に行っても、どんな世界にいても、アタシ達は何度でも出会い。そして何度でも恋をする。来世だってコイツを離す気はない。ずっと傍に居続けてやる。
その前に・・・コネメガネにはお礼のひとつも言ってあげないとね。
アタシはシンジの体から離れると辺りを見渡す。
多分近くでほくそ微笑んでいるであろうバカネコの姿を探してみるが、どこにもいない。そんなアタシを見てシンジが声をかける。
「どうしたの?アスカ」
「コネメガネの奴・・・どこに隠れているのかなって」
「ああ、マリはあそこにいるよ」
シンジがそう言って指をさした反対側のホーム。そこには司令によく似たスーツを着た男性と綾波レイによく似たガジュアルな服を着た女性の間に挟まれて、二人の腕を組んでいるコネメガネの姿が見えた。
コネメガネが大きくバカみたいに手を振る。その顔は、今まで見たことがないような幸せそうな顔をしていた。
そう言えば、アイツはいつもヘラヘラ笑っていたけど、あんなふうに笑った顔なんて見たことがなかった。
アンタもそんな風に笑えるんだね。
アンタにもそんな顔で笑える居場所があったのね。アタシはそれがシンジだと隣とばかり思っていた。
だから、アンタがアタシの記憶を呼び戻したとき、嫉妬したわ。なんでアンタがいるんだって・・・でも、本当のアンタの居場所はそこだったんだ。
「マリが腕を組んでいるのは、僕の父さんと母さん。マリが本当に欲しかった場所は、父さんと母さんがいる場所だったんだよ。良かった。彼女にも自分の居場所がようやく見つけられたんだね。いや、戻ってこれたというべきかな?」
シンジは嬉しそうに言う。
コネメガネはもう一度シンジのパパとママの腕を取ると、駅のホームに入ってきた電車に乗り込み、3人で何処かへと向かっていった。
これが、シンジが望んだ世界なんだね。みんなに居場所がある優しい世界。そんなバカみたいに優しい人をアタシはどうしようもないほど好きなったんだ。
「アスカ、僕たちも行こう」
シンジはそう言ってアタシの手を握ると、離さないと言わんばかりにその指を絡める。
思わず顔が熱くなる。いつの間にそんなプレイボーイのような真似ができるようになったんだろう。必ず問い詰めてやる。
そんなアタシの心境を察してか、シンジは照れたように笑い、互いの指を絡めた手をアタシに見せる。
「もう絶対に離れないというおまじない。・・・っていうのは、ダメかな?」
アタシは首を横に振る。そんなおまじないなら、いくらでもかけて欲しい。
アタシとシンジはもう二度と離れることがないように、強く手を握りしめ合いながら階段を駆け上がり、光の射す駅の外へと走り出していく。
一度はけじめをつけたはずの恋。
そして、好きだったと言われてもう一度燃え上がったこの想い。
そしてもう一度信じてみるアタシ達の運命。
そしてやっと手に入れたアタシだけの居場所
アタシだけの白馬の王子様。
アタシ達は光り輝くこの世界の片隅で、何度だってアタシ達はアイを叫ぶ。
いつでも。何処でも。何度でも。
“ねえ、アスカ。僕、どうしてもやりたいことがあるんだ”
“何をする気?危ない橋は渡らせないわよ”
“みんなが失ったあの頃の記憶を、記録として残したい。後世に物語として”
“・・・なんでそんな面倒なことをするのよ?贖罪のつもり?”
“違うよ。残したいんだ。そしてみんなに知って欲しいんだ。あの頃のことを。あの日々のことを。僕らは確かにここにいたって”
“どうしてもやりたいっていうなら止めないわよ。どうせ聞かないだろうし。その代わり、アタシも混ぜなさいよ”
“わかってるよ。どうせSFみたいな現実離れした話になるからね。誰も書かれたことが現実に起こった話なんて思わないだろうし”
“当然よね。本気で信じたら病院に連れていかれるわ。それで?どうやって記録に残すの?ブログでもやり始める気?”
“そうだね、それも悪くないけど・・・多分、本にすると思う。本にすれば、みんな読んでくれると思うし、SFの話になるし”
“良いわよ。付き合ってあげる”
“ありがとう。アスカ・・・・実はもうタイトル考えてあるんだよね”
“ふーん・・・用意が良いわね。なんてタイトルなの?”
”タイトルは・・・“
「新世紀 エヴァンゲリオン」